対処・解消法

人の話が理解できない原因はトリッキー【自分の理解スタイルがある】

人と話している際、耳には入っているが理解できないことがあると思います。

「理解力がないのかな?」と思うかもしれません。

「理解力」という言葉、非常にわかりにくく、日本だからこその使い方をしている可能性があります。

人の話が理解できない時、さまざまな要因が絡み合い、結果としてわからなくなります。

そんな時、原因となるのは理解力ではなく、自分にとっての理解スタイルがないからかもしれません。

ここでは、人の話が理解できない原因を探り、自分の理解スタイルとは何かを見ていかれてください。

  • 人の話が理解できないのはなぜ?
  • 自分の理解スタイルとは一体?
  • 理解できない時に大切なこととは?

これらを紐解き、「人の話とは両者の責任によって理解できるもの」と知っていただく内容となっております。

日本だからこそ理解できなくなっている、そんな可能性がありますので、多角的にご自身を理解する一つの考え方となれば幸いです。

おそらく一部の方が該当する奇妙なお話ですので、気楽にお楽しみください。

人の話が理解できない原因

どうして話が理解できないのか?

物事を理解する際、まずは理解するための材料を集めます。

見る、聞く、感じる、考える、評価する、判断するなどの基盤、認識力と言われるものです。

まずは物事を認識し、その後に仕組みや状況、目の前のことや人の気持ちを正しく判断して、自分なりに落とし込む。これを理解力と言います。

人の話の場合、相手の話す内容や音や気持ちを認識し、正しく判断して理解する一連。

認識力と理解力は別物ですが、材料集めに認識力を使い、正しく理解するために理解力を使います。

認識力と理解力がキーとなり、人の話が理解できない理由が表れます。

人の話が理解できない理由
  1. 相手の話を聞く余裕がない
    (許容がない)
  2. 相手の話を相手の立場で聞いていない
    (認識力がない)
  3. 話(言語や文脈や意味)を理解しようとして頭が追い付かない
    (自分の世界にこもる)
  4. 話に興味がないので聞いている振りになっている
    (他に興味がない)
  5. 言語知識、経験が少ない
    (知識量が少ない)

上記の理由は全て認識力に関係しています。

心や精神や肉体の調子によって、余裕がなくなると認識力は下がります。

どれだけ自分から目の前の人に興味を広げるかによって、傾聴も集中も変わり、認識力は極端に変わります。

どれだけ学んで場数を踏み、知識として定着させているかによっても認識力や余裕が変わり、理解力に違いが表れます。

 

話を理解できない人のタイプ

英語でスピーキングだけやっていても話は理解できないように、自分のみを捉える場合には相手の話が理解できないのは当然です。

しかし、「どうして自分のみを捉える認識になるのか?」の答えが人によって違い、タイプが分かれます。

人の話が理解できないタイプ
  1. 認識力がないタイプ
  2. 自分のみを認識したいタイプ
  3. 自分のみを認識せざるを得なくなっているタイプ

①、②のタイプは、上記の理由が該当します。

③は訳あって自分の認識に偏ることで、上記の理由に該当する状態でして、タイプによって内情が全く異なり、根底に原因が潜みます。

ここから先は③が対象の主旨となります。

どうして、③自分のみを認識せざるを得なくなっているのか、見ていきましょう。

※話が通じない内情は、頭が悪い人と話が通じない時に知れること【実は人生の先生なの?!】 をどうぞ。

 

人の話が理解できない原因

理由を見ていきましたが、ここでお伝えしたいのは原因、核となるものです。

認識力や理解力は人それぞれに違いがあり、能力としてどれだけ練習や鍛錬にて向上させているかで大きく変わります。

向上心や成長意欲、自らを高めて育む人は、毎日を使って理解力を高め続けます。

しかし、そんなことは一旦ポイッと放り投げます。大切ですが一旦置いておきます。

人の話が理解できない原因としてお伝えしたいのは、相手と共に理解し合う概念がないことです。

 

相手と共に理解し合う概念がない=理解することに合致がない

相手が話す内容ですので、自分ではなく「他の理解」を要します。

目の前の人の気持ちがわからないように、私達は自分以外の他を理解できないので、できるのはどれだけ本人にしかわからない事実に近づけるかの努力です。

実際に自分の意見を持った人と話してみるとわかると思いますが、相手の立場や気持ちや思考に寄り添わなければ少しも理解できないので、話を聞く際は相手の認識に近づこうとします。

話す人も聞く人も、「私はこの人に話している」「私はこの人の話を聞いている」とお互いが自らの行為を認める状態で合致、理解するための空間が完成します。

しかし、話が理解できない場合はお互いの合致がなく、一方通行になると理解しているつもりになる可能性があります。

合致には傾聴力や共感力が大切になりますが、これら以上に大切なのが、両者が自分の理解スタイルを持っているかどうかです。

 

自分の理解スタイルを持っている人同士でないと、話は理解できない

自分の理解スタイルとは、話をする(または聞く)責任を持っていることです。

「責任」と言うとなんだか重たい気がするかもしれませんが、責任とは自らの思考や行動を認めることですので、どれだけ自覚しているかどうかの気楽なもの。

  • 話をする人の自分の理解スタイルは、目の前に人がいるから話していると認める
  • 話を聞く人の自分の理解スタイルは、目の前の人の話を理解するために聞くと認める

責任を持つと、会話や対話は相手がいるからする行為として認め、話すのは相手に伝えるため、聞くのは相手を理解するためと、認識が自然と自分だけではなくなります。

人の話を聞く自分を認めているか否かで責任有無がわかります

責任を持つと自分の理解スタイルが作られます。しかし、どちらかに責任がないと一方通行が起きるので合致がなくなり、理解したつもりにはなれますが実際には理解できなくなります。

お互いに自らの話す・聞く行為を認めることで共有空間が作られ、お互いの合致によって相手を理解する努力をできますが、合致がないと理解できない(または理解したつもりになる)という考え方です。

  • 自分の理解スタイルがある
    …相手を理解するために自らの在り方に従う
  • 自分の理解スタイルがない
    …如何に自分が理解したと思えるかが着目(または他に従う)

※人の話が頭に入らない原因は、【脳内洞察内容】人の話が頭に入らない原因と改善策。をご覧ください。

 

人の話が理解できないポイント:理解スタイル有無と合致

原因としてお伝えしたいのは、理解スタイルがなくなる責任のなさではありません。

理解スタイルを持った人同士の合致があるかないかです。

自らが理解スタイルを持っていても、相手が持っていなければ合致が起きません。その逆も然りです。

合致が起きないと理解できませんが、世の中には理解できていると思える抜け穴があり、理解力をトリッキーにします。

これが、社会通念です。

常識やルールによる一般的な見解は、誰しもの共通が前提にあるため、理解はお互いの合致がなくてもできるようになります。

自分の理解スタイルは皆無になり、社会通念スタイルに身を寄せます。

相手のことを理解しようとしなくても、社会通念を把握すれば相手の言ったことを理解したと思えます。

しかい、特定の人に問題が起きます。

責任を持っている人は、社会通念に頼って責任を持たない人と話しても理解できなくなります。

これが、③自分のみを認識せざるを得なくなっているタイプです。

 

自分の理解スタイルは社会通念上、邪魔になる

理解しようと相手にフォーカスした時、相手はこちらを見ておらず社会のルールを見ている。

ここに合致はありませんので、相手を理解するためには自分の理解スタイルを投げ捨て、社会通念に則る必要があります。

社会通念に則ったスタイル同士で理解し合えます

しかし、大変なのが自分の理解スタイルを投げ捨てること。責任を持って相手を認識するのをやめる行為、いわゆる他者を理解する努力放棄です。

昔からある近所の小さな本屋には優しいおばあちゃんがいて、いつも本を読み聞かせてくれました。

今では直ぐそばに大型本屋がドンッと建ち、カフェ付き、読み放題。もうおばあちゃんに用なしポイポイッ、とはできない。

しかし、大型本屋にシフトしなければ世の中についていけないから、まるで自分の心を封じ込めるように行く。気づくと小さな本屋は潰れてなくなった。

人の話が理解できない時、もしかすると周囲に社会通念スタイル一派しかいない可能性があります。

小さな本屋に来ていた人達なら理解できる、「おばあちゃんとは話せていたんだ」ということです。

※職場で話さない真意は、職場で必要以上に話さないと起きる不思議│静かなのに目立つってどういうことー をどうぞ。

 

自分だけの問題ではない

話を聞く気がない、認識力がない、自らの行動に責任がない場合、相手の話を理解する努力がなくなるので、理解できないのは当然です。

しかし、努力したくてもできなくなるのが、スタイルの不合致によるてんてこまい。

社会通念スタイルは「正しい」という大きなバックアップですので、責任を持たなくてよくなります。自分の意見、思考、知性、意思、なくても大丈夫、「大型スーパーは何でも売ってるよ」とマスコットが薄ら笑顔で手招き、ペコペコと誘ってきます。

正しい前提の上では不安や恐怖がなくなって楽になります。しかし、「自らが相手の話しを聞く、自らがこの人に話している」と認めた行動がなくなる(責任がない)ので、着目は相手ではなく自分が理解したと思えるか否か

実際に理解する対象は相手ではないので、相手に着目したくてもできなくなります。

極端に言うと、目の前で話している人はただ口をパクパクしているだけなので、理解ポイントがわかりにくくなり、「この意味は?」「この文脈はどういうこと?」と赤点チェックに追われたり、虫眼鏡で辞書を調べたり、理解しようと頑張れば頑張るほど認識を自分に絞り、脳が稼働しすぎて余裕がなくなり、許容を超えやすくなります。

例えば、ふとした日常会話があります。

「この前さ、二人でシェアして暮らしている友達と喧嘩しちゃった。クローゼットは半分ずつ利用するのが普通なのに、ほとんど牛耳られてたんだよね」

難しい言葉はないので、文脈や言葉の意味を追いかける必要はなく、許容を持って話を聞けたとしても理解できない人もいます。私がそうです。

「え、なんで半々が普通なの?牛耳られてたら喧嘩になるの?なんでなんで?」とわからないことだらけ。自分の世界に入ってしまうと、相手の話に集中できず、話そのものを聞けなくもなります。

この会話は片方が社会通念スタイル、もう片方が自分の理解スタイルでありながら相手が社会通念スタイルだと知らない状態。合致がないだけでなく社会通念に合わせなければならず、認識のフォーカスが目の前の人なのに口パクパク、フォーカス対象がわからず検索検索、理解するために文章解読に入り、脳内稼働過多、許容オーバー、ボンッ。

話が理解できない原因は自分だけの問題ではありません。

社会的には、みんなはどういうスタイル、何が主流なのかによって、理解スタイルを変えなければならない。

ここに、日本の価値観が関わります。

※人の気持ちが理解できない詳細は、人の気持ちがわからないのは当たり前。言われたからには意味がある をどうぞ。

 

人の話がわからない原因の根っこに日本の価値観

原因のさらに奥には、日本の価値観が隠れていると考えられます。

私の理解では、日本で人の話を理解するのは難易度:難です。

人の話を理解している人は多いと思いますが、おそらくほとんどは相手に近づいた理解ではなく、自分の価値観での理解です。

自分の価値観とはほとんど日本の価値観、日本ならではのものとして強くあると考えられるのが、自分が正しいと思いたい価値観です。

これはインドに行くまで私は全く気づかなかったのですが、日本では個人を重んじながら、大枠は集団として固めているように思います。

不安が根底にあるので、自らを特化させたり頭を飛び抜けさせる個々の生き方がありながら、常に集団で物事を管理します。その結果頭が飛び抜けるまで放置して、いざ飛び出た時にバフっと叩きます。

自分は他と同じではないと思いながら、実際に同じではなくなるのを怖れ、他の失敗や成功を許せなくなる心理に繋がります。

自分を個として守りながら仲間外れを怖れ、「私は正しい、間違っていない」と思いたくなると考えられます。

自分の意見であるかのように社会通念を言う矛盾が起きます。

凄くオリジナル感を出して国歌を熱唱する人に対して、「これをどう理解すればいいか?答えは社会通念スタイルにする」です。

私の理解では日本で主語は要りません。「私は、あなたは」と主語を使うとしっかり相手を理解しようとする人は矛盾を感じ、認識しなければならないことが多くなり、不毛に許容がなくなり、理解力を高める育みをしたくなくなり、向上意欲がなくなり、まるで自分に問題があるかのようになっていきます。

本当に自分の意見を持っている人と話せば、主語があっても違和感がないので理解できます。

自分の意思があり、より相手を理解しようとすればするほど、日本では理解できない矛盾が起きている可能性があります。

 

インドでは理解できないのに理解しようとすると笑われる

価値観は自然に根付いているので無意識だと思います。

私は無意識に日本の価値観を持っていましたが、インド人達と話している時に、急にヒンディー語を挟まれて、「えっ、どういうこと?」と反応すると、大概笑われます。

「そんなに理解したいの?」という感じがあるようで、「日本人は真面目だな」と言われます。

違う。

社会通念に則って自分の理解スタイルを消していたので、相手やその場の雰囲気を理解するのではなく、私自身が理解したと思えるように会話に参加していただけ。真面目なんかではない。

インドでは教育や大切な価値観として、「人を許す」が浸透しています。

自分だけのフォーカスから離れて他者を捉える認識の広さを物語り、「人は失敗するものだから他者を許しなさい」というものです。

理解したと自分が納得するのではなく、相手の立場や気持ちになって話を聞き、雰囲気に合わせたり、適当にあしらったり、「自分だけ」という概念があまりありません。

日本は反対に「自分」への着目が強くあり、「理解」の意味が相手への着目ではなく、脳内にインプットした社会通念に則って把握できたか否か。

ビジネスシーンでは大切ですが、他者をしっかり捉えない価値観になりかねず、まるでロボットと会話するかのように、ルールに則ったものになるかもしれません。

 

人の話が理解できない時の工夫

一度ご自身の責任有無を確認されてみてください。

責任を持った人と話した時、他の人と話した理解度との違いはどうでしょうか?

もし理解しやすければ、自らの責任を周囲に合わせて放棄しているから理解しにくくなっている。これが原因と考えられます。

日本では社会通念スタイルに調整する必要があります。

この内容の理解があると、関わる人や場所、状況や状態に合わせて都度変換できるようになります。

  • 仕事場では社会通念スタイル
  • 同僚との会話は少し自分の理解スタイルを追加
  • 家族とは自分の理解スタイル
  • 友人とは、知人とは、親戚とは…

私達は常に状況が変わる世界を行き来しており、都度自分が変わるのは自然です。

そんな環境で自らを押し付けることはいばらの道を作ってしまうので、切り替える大切さがあります。

「今はこっち、今はあっち」と自覚して切り替える行為そのものが責任を持つさまですので、「常識的にはこうだ、普通ってのはこういう意味だ」と社会通念スタイルにすると、事前理解した上で話を聞けるのでより理解しやすくなります。

柔軟に自らのスタイルを守ることを優先されてみてください。

 

人の話が理解できない原因 まとめ

原因に関わる認識力と理解力。

話の理解には傾聴力と共感力も関わりますが、ここでお伝えしたい主旨は、「話の理解は自分一人のことではない」というものです。

お互いに理解し合うのがベストですが、少しでも寄り添うために自分だけの認識から、他者を含めた認識にする大切さがあります。

どちらか一方でも社会通念を見ていると、そこに合わせるしかありません。

社会通念に則る人は絶対的な正がバックアップにあるので、自分が間違っており、自らを変えなければならないとは思っていません。そしてビジネスではとても重要なものです。

もし社会通念に合わせながら自らの理解スタイルも保持している場合、理解する内容が多くなり、脳も心も余裕がなくなり、許容オーバーになりやすいのでお気を付けください。

関わる人や場所によってきっぱりと自分を変えることは、この国では欠かせない生き方です。

職場では全く話さないけれど、プライベートでは別人のように明るい人などが、典型的な綺麗に使い分けている人の例です。

自覚して切り替えることで、自分を見失わずに使い分ける工夫ができます。

他者と何か違うと、何かしら分類分けをして、自分はこういう存在だと決めてしまいたくなるかもしれません。

中には脳機能や障害の方もいると思いますが、責任があるからこそ、自分があるからこそ彷徨いやすくなる前提環境で生きていると知っていただければ、何かしら役に立つこともあると思います。

どうして理解できないかを自己理解することが非常に重要ですので、もし思い当たる場合には、奇妙な考え方ですがご参考にされてください。

それでは、人の話が理解できない原因のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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