『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
人生は真面目に生きるか、不真面目に生きるかを選択できます。
私は海外にて旅を約5年間続け、旅の結末は人生をふざけることになり、不真面目に生きることが決定しました。
旅を始める前は都内で会社員でしたので、人生を真面目に生きているつもりでした。
旅を始める前の“真面目に生きる人生”と、旅を終えた後の“不真面目に生きる人生”の、相反する人生を過ごすことで、自分自身で生き方を体験する人体実験をしました。
二つの生き方には大きな違いがありました。
違いと理由、それぞれの良さを人体実験結果としてお伝えし、不真面目に生きる際の参考になれば幸いです。
この内容はいたって真面目です。
Contents
真面目に生きる
真面目に生きるとは
“真面目に生きる”の定義があります。
:ルールに則り、熱心でひたむきな考え方を基に日々を過ごす
私の場合を例にしますと、会社員として過ごし、給料を上げて生活に経済的な安定をもたらす目的を基に生活していましたが、それによって見失う自分の存在に気づき、「何のために生きているのか」「自分とは何者か」「生きるとは何か」という探究への道を進み、答えを知るためにさまざまな経験をすることに努め生きていました。
なんというか、こんなことを言っている人がいたら単刀直入に思う。
「真面目かっ!」
真面目に生きることは、忍耐が伴う頑張って生きる道かもしれません。
基準や枠組みを持ち、従えるものに順じてひたむきな姿勢を持てるので、ルールに沿って一生懸命頑張ります。
真面目に生きる姿勢から、自己評価を高め、自己存在価値を見出すために、善として目指す目標は、「完璧主義」という栄光。
ルールとなる目指す見本があり、そこに忠実に従い、目指すべきものに到達するべく一生懸命に努め生きる人生です。
完璧主義とはあくまで自分が自分に設定している支配にて、他者に干渉して押し付けるこれまた支配であると、気づく時が来る…かもしれません。
真面目に生きる人の特徴
真面目に生きる場合、全てを理論立てます。
ルールに則っている前提があるので、計算式に行動や動作、さらには思考や感情までも全てを当てはめて物事を考えるので、主に脳を使用する頻度が高いです。
物事を考える癖があり、考えに対して答えが出る出ないは関係なく、思考を巡らせます。
真面目に生きる人は一つに熱心になる特徴があり、勤勉にひたむきに答えを求めます。
熱心であればあるほど何でもしますし、命をもいとわない強い意志を持ち、覚悟を決める人さえ。
とても熱心に答えを探究する気持ちや、意志が強い特徴が真面目に生きる人にはあります。
そして、真面目に生きる人には他にも特徴があります。
- ルールに忠実
- 周囲と比較し、劣等感と優越感を多用
- 自分ではなく、他の影響で成り立つ集団意識が主体
- 常識やルールを無意識に押し付ける
- 自分の意志が強い
順番に見ていきましょう。
1、ルールに忠実
社会性の中でさまざまなルールや枠組みを設けて、守ります(または守っているからこそ生まれる反発を抱く)。
会社のルール、人と関わるルール、飲み会のルール、ルールを壊したいルールなど、さまざなことにルール設定をする忠実な姿があります。
2、周囲と比較し、劣等感と優越感を多用
物事の判断基準は周囲との差によって見出し、常に他人と自分を同じ土台で比べることで意見を持ちます。
他人と比べて意見や考えを持つので、劣等感と優越感を主に感じている特徴があります。
3、自分ではなく、他の影響で成り立つ集団意識が主体
ルールに忠実で、人と比較して物事を考えるので、自分主体の“個”ではなく、周囲との関わりや集団意識の中で生きようとします。
「みんながこうだからこうする」「みんながこうだから違うようにする」と、集団意識に同意か反発を持ち、集団意識を基準に設けることで自分の在り方や価値観が作られます。
4、常識やルールを無意識に押し付ける
正しい間違っている、良い悪い、善悪、価値や評価などの自分以外の他(他人や社会性)によって作られたルールを使用し、それを正として他者に押し付けます。
ルール従順性が恒常化し、疑問を抱かなくなることで、無意識に押し付けが起きます。
5、自分の意志が強い
ルールに準じた考えが確立されており、絶対的な正当化を得ることで意志を強く持ち、貫く自尊を持ちます。
しかし、ルール従順による集団主義に飲まれると、意志は消えてなくなりながら、なくなっていると気づきにくくなります。
すると、「自分の意見はみんなも守っている意見だから正しい」という他を主体にした考えになり、意見を曲げずに頑固や固執する人もいます。
強い設定ルールの基盤が社会性なので、絶対的な安心と間違いがない確信の基に自分を置く、動じないバックアップからの強さがあります。
※真面目と言われる人の特徴は、真面目と言われる女性の特徴16選【自分があるからこそ言われる】をご覧ください。
真面目に生きる方法
真面目に生きることをまとめると、そのまま真面目に生きる方法になります。
【ルール命】
考え方や生き方を作る上で、社会の常識やルールが根強く基盤にあり、それを基に良し悪しを決め、正しい間違っているの判断をして意見を作ります。
全てがルールの中での意見となり、ルールの連鎖が生まれます。
例えば、
- 「安定してお金を貰う安泰が幸せ」というルールを基に一生懸命に働く
- 常識やルールを基に自分の中の“正義”と“悪”を作り、どちらかのためにひたむきに賛同したり、否定したりする
- 「こうあるべきだ」「これが良い世界だ」という思念を設定して、それに対して、「この世はおかしい」と批判する在り方をとる
真面目に生きる方法は、常識やルールを基に社会で人と共存するために物事を学んだり、論理的に物事を考えたりして、自分と他人に優劣を付けて自分を見出すことです。
社会に協調して生きやすくなります。
ルールが基準で物事を考えるので、「どうでもいい、何でもいい」と解釈することが難しく、枠の中で喜びや苦しみを味わう人生です。
さらに、真面目に生きるルールに反した存在を“悪”、“ダメ”と決め付けて自分ルールに抑えようとし、自分を正当化する傾向があれば、他者を排他して否定・批判をします。
自分を卑下する傾向があれば、「真面目はつまらない」「みんなと同じで普通な私…」と否定的になり悲観的になる憐憫材料とします。
ルールに準ずることで否定的で攻撃的なエゴを生み出すので、真面目に生きたくないという気持ちや、真面目に生きるのをやめる選択が出てきます。
それが不真面目に生きる状態です。
※真面目に生きると損をする詳細は、【日本的真面目さの落とし穴】真面目な人ほど損をして報われない仕組み をどうぞ。
不真面目に生きる
不真面目に生きるとは
“不真面目に生きる”定義があります。
:常識やルールに縛られず遊び楽しむ
※あるがままの自分として、制限なく生きる
※てきとー、無責任とは違う
ここでお伝えしたい不真面目に生きるとは、ルールに縛られずにあるがままの自分として生きることです。
考え方や生き方の基準は『自分』であり、ありたいように生きるので共通ルールは適応されません。
不真面目に生きる人生では、自分という『個』の存在を尊重し、集団や多数のルールに縛られず、人それぞれのあるがままの自分として、好きなことや楽しいことを中心に生きていきます。
不真面目に生きることは個人を尊重し、ルールが基準にないので物事を受け入れやすくなります。
物事の正否判断がないので、人それぞれの考え方や生き方も敬います。または気になりません。
不真面目に生きるとは、無責任な生き方ではない
言葉の意味としては、不真面目は真面目さが欠け、誠実ではない、嘘偽りがあることですが、ここでお伝えしたい不真面目に生きる意味は、糞真面目にならずルールに縛られない意味です。
ルールに則らないのではなく縛られない。
無責任やいい加減とは違い、自らの在り方や価値観を持って適当に生きることです。
何か物事に取り掛かるとすれば、過程のやり方や見え方など、見栄や体裁、建前や取り繕いなどをすることに心地悪さや違和感があればしません。
ルールに縛られていないので、ルールに則るか、自分で作るかを自らの認識で判断します。
『個』の存在を尊重し、物事の結果や成果を上げることに集中し、如何に心地良くあるがままの自分として能力を発揮するかを考え、自分なりのやり方を工夫したり勉強したり周囲に聞きながら構築していきます。
忍耐や苦痛はなく、楽しくやりたいように成果を上げるために一生懸命に取り掛かります。
そのため、嫌なことがあれば絶対にしません。
※頑張らないメソッドは、【要アップデート】頑張らない方がうまくいく理論&スピリチュアルな仕組み をご覧ください。
不真面目に生きる人の特徴
不真面目に生きる人には特徴があります。
- 物事や人を否定しない、社会的に判断しない
- 自分自身が確立した『個』を持つ
- あるがままの自分に従い、行動する
- 自分を喜ばして生きるメインテーマ
- 自分のことを大切にする
- 矛盾がない
詳細を順番に見ていきましょう。
1、物事や人を否定しない、社会的に判断しない
良し悪しや正しい間違っているの意見を相手に押し付けることをせず、人を個として捉え、社会的・統一的に否定も判断もしません。
「私は私の考えがある」「あなたはどんな考えがあるの?」と相手の意見を聞くような具合です。
2、自分自身が確立した『個』を持つ
ルール設定が少なく、押し付けない自分の意見を持っているので、個が確立されており、唯一無二の存在として生きます。
統一意識としての固定観念がないので、自分の頭で考えて、他の意見も取り入れ、考えが柔軟でルールに縛られない特徴です。
3、あるがままの自分に従い、行動する
物事を重く捉えず、自分のありたいように行動します。
いかに自分の好きなように、楽しめるようにするかが思考の中心で、思いついたらすぐに行動する特徴があります。
基本的に考えることが少なく、楽しいことをしている時間が好きなので、感覚的に生きて直観に従い、感性優位です。
4、自分を喜ばして生きるメインテーマ
自分を喜ばせたい意志があり、喜ぶ・楽しく・心地良いことをします。
物事の判断基準は自分が喜ぶかどうか、嬉しいかどうか、楽しいかどうか、おもしろいかどうかという具合です。
5、自分のことを大切にする
自分の嫌がることをするのは自分を大切にした行為ではないので、「楽しい、心地良い」と想える自分の好きなことにフォーカスします。
我慢や忍耐に喜びがなければすることはまずありません。
自分に正直で素直な特徴であり、他を含めて物事を考えることが少なく、唯一が楽しいことに対してです。
そのため、他人や他の物事には一切興味なしという人もあります。
6、矛盾がない
思ったことを隠したり、体裁のために嘘をつくようなルール設定が少なく、自分に正直であるので矛盾のある考えや行動をとりません。
「言いたいことは言う」「嫌なものは嫌」「好きなものは好き」であり、単純な思考を持って人と関わるので、自分自身に矛盾が生まれません。
やりたくないことを我慢してやるなどの、自分の本心と建前による矛盾は作らず、自分の保身や行動には責任を持ちます。
※不真面目の代表みたいな人達の詳細は、不真面目に生きることを教える国がある。ふざけた人生は最高だった をご覧ください。
不真面目に生きる方法
不真面目に生きることをまとめると、そのまま不真面目に生きる方法になります。
【子供】
常識やルールに縛られていない子供のように、自由に好きなことや楽しいことに没頭する人生になりやすいです。
自分の意見を基に生きているので、直観に従いながら感覚をフォローして一瞬一瞬を認識しながら生きる方法です。
そのため、「自分が好きだから、楽しいから」と、思考が単純です。
不真面目に生きる方法は、子供のように自由に楽しいことをして、自分の存在を主体にすることです。
真面目に生きるのも不真面目に生きるのも、そこに愛があるかないかは人それぞれです。
個々に人間性があり、愛のある人は真面目でも不真面目でも周囲を敬い自分を敬い生きていきますので、良い悪いの印象は人それぞれの性格や愛による敬いで変わります。
しかし、不真面目な人はそういった他の評価や判断を一切気にしないところに、自由で子供のような様が見られます。
※適当に生きる話は、適当に生きる人生はいいもんで│できるか否かの生き方はお気楽と責任 をご覧ください。
真面目と不真面目に生きる方法 まとめ
真面目と不真面目に生きるそれぞれの利点
真面目に生きることと、不真面目に生きることを比較してみると、共に利点があります。
- 何も考えなくて生きられる
- 社会の基盤として常識やルールの考え方をたくさん持って生きているので、自分で何かを考える必要がない
- ルールに従うと生き方も考え方も自然と決まっていく
- 与えられることがあり、仕事がある
- 体裁も良く、結婚をして子供を育てる経済的余裕もあり、社会的保障も貰えて、老後も安泰で、休日や仕事後は自分の好きなことができて、経済的な安心感がある
- 趣味も作る幅が広まり、仕事後は居酒屋で楽しんだり愚痴を言いながら、社会的なルールとしての楽しい人生が日本にはある
- ただ単に幸せ
- 自分自身のあるがままの姿で生きるので、自由で気楽
- 社会的な保障が欲しければ自分で起業したり、楽しいと想える仕事を選んで働くなど、自由度が高い
- ルール設定がないので、選択の幅が完全無限
- 生きている目的が自分を大切に喜ばすことであり、シンプルに楽しく幸せ
- 自分の頭で考えた意見を持っているので、自分がある人が周囲には引き寄せられ、全ての時間が有意義で大切な時間となる
- エゴを重要視せず、人との関わり合いでは純粋に目の前の人の知恵を貰い、自分の知恵を共有して、良い影響を与え合える
真面目に生きるのも不真面目に生きるのも共に良いところがあり、自分がどちらの環境が心地良いかが重要だと思います。
まとめ
共に経験した結果から、真面目と不真面目に生きることは、自分の個として生きるか、集団として生きるかの違いがあります。
自分があるかないかの違いでもありますが、自分がない人はいませんので、自分を出すか出さないかの違いとなります。
私が会社員として働いていた際は、「会社員として生きている」という枠を自然と設けて自分を作っていました。
ルールに則る自分がおり、ルールで固める環境があったので、「私として生きている」と考えも感じもしませんでした。
宗教などと同様で、自分の意見が作られない環境にいるのであれば、集団意識を活用すると真面目に生きることとなります。
考え方や生き方を自分で決めたい個の意志があれば、自分で責任を持つ不真面目に生きる方法があり、あるがままの自分を活用して子供のように生きることとなります。
結果として、真面目と不真面目に生きる違いとして最もわかりやすく表れたのは、幸福度の違いです。
真面目に生きる人生は良いことがあるのですが、不真面目に生きる人生を経験すると、「真面目に怒ったり、話したり、説教垂れたり、聞いている振りをしたり、納得している素振りをしたり、周囲の眼を気にして高額なスーツを着たり、靴は光沢があるものを履いたり、歩き方を変えたり、頭が良い振りをしたり、理論立てて話し方を作ったり、他人の意見を言い方だけ変えて自分の意見として伝えたり」していると気づきます。
「たくさん自分に嘘をついているんだ」と思いました。
ネガティブな言い方をすると、真面目に生きることは、自分の外枠や他の評価に対しては真面目でも、自分の内側や真意には真面目ではありません。
不真面目に生きることは受け入れも受け流しも自由に、「これは楽しいかな?」「この状態はどうしたらおもしろくなるかな」と、自分を喜ばすことを優先するので、人の意見などどうでもよかったりします。
ですが、「その考え良いな!」と思えばすんなり受け入れるので、全てが何でもよくて自由度が高く、幸せになりやすい違いが生まれます。
真面目も不真面目もそれぞれに違いがあり、意味があります。
経験してみることで初めて自分の意見となり、知恵となります。
今、真面目な人は不真面目に生きるのも良いかもしれません。今、不真面目な人は真面目に生きるのも良いかもしれません。
そんな理解がお役立ちできれば幸いです。
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。