対処・解消法

【日本的真面目さの落とし穴】真面目な人ほど損をして報われない仕組み

かくれんぼの隠れる側だから、見つかるまで隠れ続けた。

もうみんな帰ってるじゃん…おいっ。

「みんな真面目にかくれんぼしてくれよ、なんで真面目なこっちが報われないんだよ?!」

日本人は我慢力がありすぎるため、真面目であればあるほど大きな落とし穴を作ります。

真面目さは使い方次第で良くも悪くも変換できますが、使い方を知らないと損をしてしまう可能性があります。

ここでは、真面目な人ほど損をする仕組みと対処法を見ていかれてください。

  • 損をする真面目な人とは?
  • 日本的真面目さが報われないのはなぜ?
  • 真面目に生きても損しない方法とは?

これらを紐解き、「真面目は日本との見えない契約なんだ」と知っていただく内容となっております。

私は典型的な日本的真面目な人間でしたので、体験談と共に真面目さを活かす一つの考え方となれば幸いです。

真面目な人ほど損をする仕組み

損をする真面目とは完璧主義の花道

「真面目」であることには外面と内面の両方があります。

  1. 外側に真面目な人
    …社会性、ルール、他者の意見、情報などの他に真面目
  2. 内面に真面目な人
    …自分との向き合いに真面目

他に対して誠意を持って真剣で誠実なのか、自らに対してなのか。

真面目なことを無駄、報われない、損、バカバカしいと思う場合、自らの在り方を認められない拒否があるため、自らへの誠実さは皆無と考えられます。

損をする真面目さは、他である外面に対する真面目さを意味します。

 

外面に真面目な人は他に従う生き方を作る

自分以外の他である人や物、社会性やルール、常識や情報と向き合う真面目さは、社会従順に欠かせない集団主義の礎です。

「言うことを聞く子は良い子」
「教えられたとおりにできるのが正解」
「正義心を持って悪を鉄槌するのが善」
「目上やルールには従うもの」

先生や親、先輩や年配、上司や肩書のある人の言う通り、真剣に従い、誠実に向き合います。

疑問を抱かないためにも善悪ルールをはめ込み、正義を糧に自らの行動は善行であると思い込むこともあります。

徹底的に真面目になるための手法は人それぞれにあり、共通するのはルール従順です。

ルールに従い前習い、一番前の人は腰に手をやるの。

「右手だけ腰にやって、左手は頭上に伸ばしてね」と言われても、過去の私ならやるでしょう。

他に言われたルールを徹底して善悪評価を組み込めると、進む花道が完璧主義になっていきます。

完璧主義は自らの呼吸範囲を狭めるピンポイントの正解狙い。

アーチェリーでど真ん中赤丸射貫き以外は認めない。厳しい強制的在り方を作り、深呼吸できなくなる苦しい制約の中で生きるようになります。

自らが先輩や年配、上司や肩書を得た人間にならない限り、他に従い続ける在り方が定着するため、利用されて損をしながら、ストレスを溜めて疲れてしまいます。

 

外面に真面目な人は他に反発する生き方を作る

反対に、従わずに反発する人もいるのが外面への真面目さです。

ルールに従う絶対的縛りが既に脳内を鉄格子でガシガシにしていると、個性を潰すことに抵抗や憤りが強まります。

限界を超えると自分そのものが消えてなくなる可能性があり、自己防衛は怒りを使用して反発し、「私はここにいる!」と自らを主張して護ろうとします。

ルールに従っているからこそ、ルールに反発します。
教えられたとおりにするルールがインプットされているからこそ、反発します。

反発は社会への反旗になり、集団やルール概念を毛嫌いし、社会順応を歯止めする抵抗を作ります。

社会環境を使用しながら社会に反発すると矛盾が起き、やりたいことがわからない、何をすればいいかわからない、自分がわからないという心理的彷徨いが起き、運ではなく損を作りやすくなります。

※不真面目な国の人々については、【不真面目に生きる大切さを教える国】ふざけた人生は最高だった をどうぞ。

 

日本人的真面目さが報われない理由

日本人的真面目さの利点と落とし穴

ここでお伝えしている真面目さとは、「ルール従順を疑問視しない他に対する真面目さ」です。

この真面目さは現状維持を図り、ルールに従う人に仲間意識を持ち、疑問視をなくして集団主義を広げるルール。

[ルールに基づくルール従順する在り方]

真面目であることが既に社会的なルールという考え方です。

「個をなくし、開拓をせず、現状の中でみんなで幸せを得よう」という思想になりやすく、とても大切な日本の在り方だと考えられます。

しかし、目的が違う人は、個を尊重したい人は、変化したい人は、創造したい人は、知りたい人は、開拓したい人は、違和感を感じます。

「なんだこれは?」と。

良い悪いはなく、あるのは利点と落とし穴です。

 

真面目なルール従順は社会との見えない契約

真面目とはとても大切な在り方ですが、「大切なのは社会的貢献度として」だったりします。

いわゆる、「日本人として社会で生きていくなら真面目になって」と言われて、その通り頑張る。

集団主義の縛りや制約が生まれ、対価がある分、見返りがある契約、バンッ。

[社会性というバックアップ(安泰、不安回避)を得られる対価:個をなくしてルール従順(現状維持)する見返り]

真面目になることは社会性維持の一端を担っており、個人主義による現状維持の弊害が起きれば、それが他者の行いでも働いて補正する任務が課せられている。そんな考え方です。

「知らぬ間の契約」という気づきにくいけど確実にある現象にて、損失や報われない現実を気づかぬ内に作ってしまう落とし穴があると、私の経験では理解しています。

※真面目に生きると疲れる詳細は、【真面目に生きるのは至難の業】壊れる前に疲れをリリース をどうぞ。

 

損をして報われない落とし穴の詳細

落とし穴を作る理由がこちらです。

真面目さの落とし穴
  1. 利用価値が高い
  2. 集団主義による個の喪失
  3. 存在価値を見出しにくくなる
  4. ルール善による思い込み強化
  5. ルール重ねによる矛盾過多

一つずつ見ていきましょう。

 

①利用価値が高い

ルール従順性や我慢力の賜物は、社会的、またはルール内での利用価値を高め、「利用できる人」になります。

真面目にすればするほど利用されてしまい、「今日は飲みに行こうよ」と先輩に言われ、誘ってもらえて有難いと思ったら、ただ愚痴を聞かされるしんめんぼく。

 

②集団主義による個の喪失

個がなくなると自分の考えがなくなりますが、集団の中では自覚しにくくなります。

自らの意志と意思で人生を作る経験を育めず、集団を離れると力の発揮ができなくなります。

「定年退職したら何をすればいいかわからない」

個がないと特出する点が見出せないため、どれだけ頑張って人と関わっても働いても貢献しても、自分だけでなく全体を底上げしないと価値や評価だとみなされず、対価と見返りが釣り合いません。

頑張ってストレスや疲労を蓄積しながら、対価がない。

実際には社会性のバックアップという対価を得ていますが、自ら選択して契約していないため自覚がなく、不平等で報われないと思えます。

※報われない人生は、【報われない人生に疲れたからこそわかる】頑張っても報われない人と報われる人の決定的違い をどうぞ。

 

③存在価値を見出しにくくなる

集団の中で自分を特出させるためにも、「何が私の価値なのか?」を考えると、存在意義や価値は真面目さに集約されます。

真面目であることを善として、真面目でなければならなくなり、お願いされれば断れず、好き勝手できず、人によっては柔軟性のなさに付け込まれます。

 

④ルール善による思い込み強化

[ルール従順+真面目=善]の方程式を作ることで、周りが見えなくなります。

真面目なことへの正当化意識が強くなり、フォーカスがルールに従っている、正しいことをしている自分になり、周りが見えなくなります。

他者を認識する際、自らにインプットしたルールと照合して他者を捉えるようになり、一人一人を捉える認識が希薄化します。

常に関わっている夫婦であっても、「そんな突然、なんでなの?!」という不具合が起きます。

実際には随分前から問題が起きていても、相手に何が起きているか気づけず、時すでに遅しの可能性が高まります。

 

⑤ルール重ねによる矛盾過多

この世は無数のルールで出来ているため、一つのルールに従えば他のルールを破ることが多々起きます。

社会も人も未熟であるため、常にアップデートして作る必要がありますが、従うだけになるとルール重ねによる矛盾が起き、知らぬ間にルールを破ることが起きます。

「空港で知らない人に言われた荷物を運んだら、そのまま一生海外の刑務所にいる」というイメージです。

時と場合によって大きな損失になり、知らぬ間に報われないことを引き起こす可能性があります。

※真面目とふざける大切さは、魂の成長とは遊びへの気づき|成長すると真面目になるかふざけるか をどうぞ。

 

真面目な人が損をしない方法

真面目な人が損しない方法:外の世界を知る

ルール従順だと思いもしない集団主義的教育が、無自覚無償貢献国家公務員を作り、損をする仕組み。

これを不真面目にして個人主義になると、社会的バックアップも集団恩恵もないので、嫌われて排他され、居場所もなくなって大変です。

ここでお伝えしたいのは、真面目という重要な能力を使いながら損をなくす、そんな方法論です。

着眼したいのは、[知らぬ間+ルール従順=自分の認識がないながら自覚が難しい]です。

外の世界を知るか、誰かにぶるんぶるんシェイクしてもらわない限り、気づくきっかけがありません。

ルールという疑いようのない、疑いたくない正当に順じ、真面目さゆえ、我慢強さゆえに、「他に従う自分を作っている」とは気づきにくい状態です。

真面目ゆえの誠実さ、真っ直ぐ見つめる在り方は、現状の世界が限られたほんの一部でしかないことを忘れさせてしまいます。

自分の頭で考えなくなる状態です。

意思がなくなると自らの存在意義や価値の見出しができなくなり、唯一真面目であることが取り柄になる人もいます。

ルールに極端に従うか、反発するかのどちらかになり、ルール従順を基盤にした在り方しか見出せなくなります。

断れば真面目ではなくなってしまう、完璧にしないと真面目ではなくなってしまう、言われた通りにできないと真面目ではなくなってしまう。

疲れてしまうので、やめましょう。

損する縛りを解く必要があり、自分の認識を作るために外の世界を知る大切さがあります。

方法は今と違う環境を知る、関わったことがない人と関わる、海外へ行くなど、一人で今の環境から抜け出た外側を知り、現状の自分を俯瞰することです。

※真面目じゃないとできない適当は、適当に生きる人生はいいもんで│できるか否かの生き方はお気楽と責任 をどうぞ。

 

損する真面目さに気づく体験談

私自身、外の世界を知る体験にて大切なことに気づきました。

真面目にルールに従っていた時、自分の認識がなくても、限りなく小さな世界にいると気づけなくなっていました。

学生の頃、私は小中高と全ての入学式後、必ず教育指導の先生に呼ばれていました。

「おい、お前は髪を染めているだろ!」

生まれつき髪が細く、特に子供の時は地毛が茶色でした。

小さな世界にいる真面目な先生は、ルールに則って茶色はダメだと捉え、その世界から出て来ません。

高校は髪色に異常に厳しい校則があり、私はルールへの反発を強く抱き、金髪で学校へ行っていました。これもルール従順の真面目さそのものです。

ルールである他の世界から抜け出せず、反発することで自分の存在を見出そうとあらがいていました。

そんな私でしたが、ふとしたきっかけで外界目線を知る体験がありました。

小中学校の全校集会の時。

全員が軍隊のようにビシッと並び、立ち続けながら真面目に、校長先生の話を長々と聞かさせられていました。

私は病弱体質で貧血が酷かったのですが我慢して立ち続け、最後はバタンッと失神して倒れてしまいました。

この経験によって、立ち続ける場合には外へ行って休憩するようになりました。

全員が真面目に聞いている中、ソソソと外に出て行き、ボケーと空を眺める。

外にいても誰一人同じように出てくる人はおらず、全員真面目に聞き続けていました。

そんな時、「なんで倒れるまであんな話を聞こうとしてたんだろう?」と考えました。

自分の認識をやっと出せた瞬間。

何も考えずに言われたことに従っていた、なにしてんだ、自分のことは自分で護れ」と思いました。

その後の私は、立ち時間が少しでも続けば直ぐに、「あ、貧血なんで」と外に行って休憩するようになり、二度と真面目に立って聞き続けることはしなくなりました。

 

自分の認識がないと気づいた時、真面目の意味がわかった

真面目さには矛先があります

外側の他に対して向かえば向かうほど、自分に対する真面目さがなくなり、バランスを崩します。

内側の自分に向かえば向かうほど、他に対する真面目さがなくなり、同様にバランスを崩します。

前者が集団主義、後者が個人主義。

どちらも主義であり、自らを見出そうとした時に主張になり、集団主義は個人を排他し、個人主義は集団を無視する可能性があります。

バランスを図れるのは自分のみです

現状の環境から抜け出して、少しでも自分を俯瞰して捉えられると、自分の認識がないことに気づけます。

気づいてしまえば変えるべき行動に真面目の矛先を向け、自らの思考も行動も自らが考え、自らがルールや在り方を決め、自らのことは自らが護るようにします。

個人主義に偏るのではなく、他が主体の現状に気づき、自らを主体にするようにシフトしていくと、真面目さはバランスを保って損がなくなります。

 

ポイント:損をしない真面目さを自分に向ける

外の世界を知るポイントは、「自分の認識がなかったんだ」と気づくことです。

しかし、自分の認識がないとは思いもしないトリック、「真面目」という言葉を日本は特別な価値だと思おうとし、社会全体で活かそうとします。

理由は利用価値が高いからです。

現状維持のため、集団主義のため、安泰のため。

真面目な人を作るための教育であり国家思想では、「真面目は宝」です。

しかし、本人達一人一人を尊重できているのか?

おそらくできていません。投げっぱなしで自己責任になっています。

海外に行くと直ぐにわかります。真面目さとはそんなに価値にならず、柔軟性がなく、無駄が多いため、国として認めてくれないと使い道が困難な在り方だったりします。

損をしないためにも自らのことは自らが護る必要があり、ポイントとなるのが自分に真面目になることです。

自らに誠実、真剣、本気で向き合って初めて、他に対して真面目になってもバランスを失いません。

「損する、報われない」などの違和感と向き合うことが真面目さであり、着眼は他ではなく自分。

少しでも現状から抜け出て自らを知ろうとする。そんな意識を持って過ごしてみると、物事は動き始めます。

※真面目に生きるのをやめた結果は、不真面目に生きるとどうなるか?!真面目をやめる人体実験結果 をご覧ください。

 

真面目な人は損をする まとめ

真面目な人が損をする日本ならではの仕組み。

真面目な人が得をするのも日本ならではの仕組みだったりします。

個人主義に比べると集団主義は利益に富んでおり、大きなバックアップがある安泰は不安や恐怖回避に持って来いです。

個人主義は直ぐに排他され、嫌われ、自ら不安と恐怖に向き合う他ありませんので、辛いものがあったりします。

「真面目な人がいるから大丈夫」と個人主義でもなく、怠惰欲と欲求満たしに明け暮れた無責任な人は、不真面目でもテキトーでもなく、空虚なエゴです。

自分を普通だと思っている普通じゃない人であり、個の尊重でも集団維持でもないため、真面目かどうか関係なく関われば損をする、関わってはならない人です。

真面目な人は中身があるからこそ、中を主張せずに外側をペタペタ貼り付ける我慢ができます。

我慢し続けることに美徳のルールがある人もいますが、我慢の過剰は傲慢とうぬぼれになりながら気づけないトリック、ハマってやめられない行為ですので注意が必要です。

真面目さは能力です。

良いも悪いも全て自分次第、矛先を変えて使い方を見出すことができます。

せっかくの能力ですので、プラスの利益をもたらすために使う一助となれば幸いです。

それでは、真面目な人は損をするお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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