心理

「嫌われてもいい」と思うために。心理は気楽かモテるかのどちらか

「もう嫌われてもいいや、はは」
解放的に言う人はとても気楽です。

「別に嫌われてもいいじゃんね」
気楽なノリで言う人は好かれてモテます。

嫌われてもいいと思えれば人間関係はとんでもなく楽になり、肩の荷が降りてストレスも苦しみもない関わりになります。

嫌われてもいいと思えることには人に対する特徴的な捉え方があり、気楽な人間関係を作る秘密が潜みます。

ここでは、嫌われてもいい心理を知っていかれてください。

  • 嫌われてもいいと思えるのはなぜ?
  • 嫌われてもいい人の二タイプとは?
  • 嫌われてもいいと思える方法は?

これらの紐解きにて、嫌われてもいい心理と同時に、気楽な人間関係を作る考え方をお伝えする内容となっております。

嫌われてもいいと思えれば人間関係の捉え方は一変しますので、気楽な関わりを作るための一助となれば幸いです。

嫌われてもいい心理

嫌われてもいいのはなぜ?

私達は人に好かれたいと思い、嫌われたくないと思います。

好かれると嬉しいです。
嫌われると辛いです。

シンプルに良いこと悪いことが分かれるため、できれば良いことを味わっていたいものですね。

わかりやすくするために、良いことを利益、悪いことを不利益と呼びたいと思います。

利益はあればあるほど嬉しい。嬉しいはあればあるほど納得できる。納得はあればあるほど満たされる。

満たされている状態が好ましいので、好かれたいと思いますが、どうしてか嫌われてもいい人がいます。

嫌われてもいいと思う理由はとてもシンプル。

人が決める好き嫌いに干渉しないためです。

 

他者の認識に干渉しない人は好かれても嫌われてもいい

その人がその人の価値観、観念、人間性、性格、歴史、認知、評価、判断にて、好きも嫌いも決めると知っている人は、他者の認識に干渉しなくなります。

好きも嫌いも決めるのは張本人ですので、「あなたにしかわからないんだから、好きにやってよ」というイメージです。

これは言わずもがなの個々の認識ですが、私達は好かれたいと思い、満たされる状態を欲するので、好いてもらいたいし嫌われたくないと思います。

欲すれば欲するほど他者の認識に干渉し、あらゆる行動をして評価や判断を変えようと働きます。

「高評価を貰えるように媚びよう」
「優しくして好いてもらおう」
「利益をたくさん与えて嫌われないようにしよう」
「相手を持ち上げて嫌な印象をなくそう」

オス鳥が綺麗な羽を広げて抑揚ダンス、パッパッパ。

これがメス鳥を虜にしたり、自らの利益を得るために踊るのではなく、踊りたいから踊っているのが嫌われてもいい人です。

好かれても嫌われても決めるのは相手であり、相手の認識を変える影響を与えようとしません。

この干渉しないさまには二つの意味があり、嫌われてもいいと思う人は二つのタイプに分かれます。

 

嫌われてもいい人の二タイプ

他者の認識に干渉しない人には、相手に興味がない人か、相手を尊重する人かに分かれます。

嫌われてもいい人のタイプ
  1. 相手に興味がなくて干渉しない
  2. 相手を尊重して干渉しない

両者の心理は全く異なり、実際に嫌われるか、結果的に周囲から好かれてモテるかが変わります。

それぞれの心理を順番に見ていきましょう。

 

①相手に興味がなくて干渉しない心理

誰しもに好かれることはないと知っている特徴があります。

人間関係でのネガティブな経験値や学びが深く、どれだけ何を与えて、喜ばせて、満足させて、相手から評価を得るために働いても、「結局はその人の主観で決めるんだ」ということを知っています。

人をコントロールできない理解があり、そこに不毛さと無駄を感じ、「相手が好きだろうと嫌いだろうと、その人が決めるんだからどっちでもいいよね、まぁ好かれればラッキーだけどね」と気楽に俯瞰します。

「相手は相手、私は私、どっちもそれぞれ本人が決める」と干渉せず、支配せず、強引に相手を変えようとしません。

 

誰しもが同じ人を好きだったり嫌いだったりすると不思議

物事の捉え方が平等で矛盾がない特徴です。

もし誰しもが同じ人を好きになったり嫌いになると、「あなたには自分がないのか?何か薬でも飲まされてコントロールされているの?」と不思議になります。

人そのものではなくとも個を尊重する見方があり、「どうして自分の意見がないの?本当にそれが真意?」という本音を重んじ、上っ面の戯言に興味がありません。

自分との向き合いがあり、嘘をつかずに正直に、偽らずに真摯に、物事の事実であるリアルを見ようとします。

主体性(どちらかというと自主性寄り)があり自分軸がありながら、認識力がそこまで広くはないために、他者の認識を許容するのではなく不思議に思ったり、「真意は別にあるでしょ」と思うところがあります。

しかし、他者を変えたり支配はせず、「まぁ、本人がそれなら別に何でもいいけどね」と相手に干渉して自らの認識を縛ることは善とせず、自らを尊重して大切にします。

 

どうでもいい諦めにて嫌われてもいいと思う

他者に興味がない人は、人そのものに興味がないわけではなく、人に興味を持っている自分に執着しない意味です。

好かれたい嫌われたくないという欲求は、他者からの評価判断によって利益を貰い、不利益をなくそうとするさまですので、利益を得られる(または不利益をなくせる)身近な人であればあるほどに嫌われたくないと思うようになります。

人への興味とは人と関わる際の自分の利益への興味だと理解しており、人に執着して利益を得ようとしている自分を把握しています。

そんな自分と向き合っているために客観的に捉え、他者にどう思われようが、嫌われようが気にしない覚悟ができており、嫌われても執着しないので気になる理由がない状態です。

人との関わりは心から深い関わりを持ち、深く狭くの人間関係を大切にする傾向があります。

この嫌われてもいいタイプは、マネージャー(マネジメント)向きと考えられます。

※自分を作ると嫌われる詳細は、素の自分が嫌われる時に知りたい人間味【自分を作ると性格が悪くなる】 をどうぞ。

 

②相手を尊重して干渉しない心理

もう一つのタイプは、一人一人が個々に生きており、それぞれに歴史があり、人間性がありと、その人をその人として捉えて敬い、尊重を示す態度があり、相手の認識を変えようと行動しなくなります。

相手への介入意識はなく、相手の意思や感受や認知をそのままにして、好かれようとも嫌われようとも気にしません。

自分が何をしようと相手に押し付けたり決め付けたり思い込んだりはせず、相手が自由に解釈して評価して判断することを許容します。

「私は今踊っているけど、お金なんか要らないから見たければ見てってねぇ」と気楽なノリです。

「はい、じゃあ2,000円になります」
「この前、あなたのために頑張って踊ったよね?」
なんてこじ付けや見返りを求めず、対価や働きの損得、恩徳勘定をしません。

自分を押し付けないので、その人をその人としてしっかり捉える認識になり、好かれる嫌われるの自分にとっての利益・不利益を他者に求めない心理。人に執着しない状態です。

 

自分の利益は自分で作る主体性

[主体性があり、自分軸を持ち、人に執着しない]
自分の利益は自分で作るさまがあります。

一生懸命に踊っても、「はい給料なし」と言われればしたくなくなるものですが、嫌われてもいいと言う人は、給料ないなら初めから踊りませんというスタンスです。

かといって、給料が良いから踊りましょうにもなりません。

「私が踊りたい時に踊りますので、好きなだけ給料ください、まぁなければないでいいです」というタイプです。

「どうしてこんなことを言えるのか?」に主体性や自分軸の確立があり、利益は自分で作れるために他に頼る必要性がありません。

 

結局嫌われず、好かれてモテる

嫌われてもいい人を例えると、自分で料理を作る人と言えるかもしれません。

誰しも初めは自分でご飯を用意できなかったために、周囲の人々に助けられ、ご飯を作ってもらって喜びながら生き続けました。

利益を貰う状態です。

ご飯の炊き方がわからなければ、白くて固い穀物をガリガリするしかなく、お米すらなければ何もできず、なんの喜びもなくあるのは苦しみと辛さ、起きるのは他者に頼ることです。

そこで、自分で料理を作るのが嫌われてもいいと思う人です。

人に執着する動機や意味がなく、自ら利益を作れればそれでいい、不利益を解消できればそれでいいと能動的に自己実現に進み、他に寄りかかる状態がなくなっていきます。

自分で生きられるようになると、好かれる嫌われるにて利益と不利益が左右される呪縛がなくなり、世間や他者の評価が気にならなくなります。

一人一人をそのままに捉えて認識する見方や俯瞰性が養われ、主体的に軸を持って相手を尊重する余裕が表れます。

好かれようと利益を求める執着がなくなり、個としての強さや独自性、意志のある芯によって、人間性や在り方そのものが高評価を与えるようになり、好かれたりモテる結果が伴います。

嫌われてもいいのに結局嫌われず、唯一は嫉妬という類に限定されます。

この嫌われてもいいタイプは、リーダータイプと考えられます。

※好かれようとしない人がモテる詳細は、モテる人のスピリチュアルな秘密|鍵は男性も女性もこだわりなし をどうぞ。

 

嫌われてもいいと思う方法

嫌われてもいいと思うためのポイント

「嫌われてもいい」という言葉をボロボロ紐解くとこうなります。

自分で利益を作れるから好かれても嫌われても気にする理由がない

人に執着して干渉して利益を得る必要がない意味であり、嫌われてもいいと思うには、喜びや楽しみを自ら作り、悲しみや苦しみの辛さを自ら解消する状態を要します。

他に介入せず、干渉せず、執着せずができるさまは、自主性や主体性の賜物であり、他によって自らの利益を得る理由がなくなります。

言葉としてはとても簡単に聞こえるかもしれませんが、「他によって自らの利益を得る理由がない」という心理の核には大きなポイントが潜み、嫌われてもいいと思える土台になります。

ポイントは、孤独との向き合いに準備ができていることです。

 

孤独と向き合える人は嫌われてもいいと思える

孤独とは独り。一人という他も含めた上での単体ではなく、周囲に人がいない上での単体です。

ここに大きく立ちはだかるのが恐怖との向き合いです。

誰しも嫌なもので、怖い、拒否したい、認めたくない、知りたくない、危険や苦痛があります。

「嫌われたくない」という気持ちがまさに恐怖との向き合い。嫌われてもいいと思うためには、嫌われたくないという自分と対面して、克服して認めることが大切です。

 

嫌われたくない自分とは、孤独が無理な自分

誰しも孤独など嫌なものです。恐怖そのものですので、克服するには大きな覚悟や勇気を要します。

嫌われてもいいと思える人は誰しも克服しているのかというと、そういう訳ではなかったりします。

タイプ①相手に興味がなくて干渉しない人は、孤独と向き合う準備はできていますが、実際に向き合う際には正式に恐怖の克服を要します。

このご時世、孤独と向き合わないための社会作りが盛ん、本当に孤独との向き合いが必要かどうかは考えものです。

必要有無は人それぞれで、社会性も含めるとより恐怖との対面機会も少なく、無理矢理に克服することは困難ですので、徐々に進んでいく大切さがあると思います。

そこで初めに重要なのは、恐怖心を克服するのではなく、「嫌われたくないのはなぜか?」の自覚と考えます。

 

嫌われたくない理由を自覚する

「嫌われたくないと思うのはどうしてでしょうか?」

私を例にすると、「否定されているようで嫌だ」かなと思います。

この場合には、否定される恐れへの反発という、恐怖心との向き合いができていないさまが一つ。

他者の評価にて自らを認識しようとしている主体性のなさが一つ。

他に干渉して高評価だけを得たい願望がある支配欲と執着が一つです。

要約すると、「他者と、利益を他から得ようとする自分への二つの執着にて、恐怖を受け入れようとする主体性がない」という状態です。

じゃあ克服しましょう、とはなりません。

必要なのは事実の自覚。
「執着しているのか、それを認めよう」「主体性への意識がないな、確かに」という具合です。

私達は状態や環境次第で常に認識や意識の持ち方は変わります。
「しばらくこもっていたら社会性ゼロの虫みたいになっちゃった」と頻繁になる私のように、コロコロと認識が変わり、思い出す必要があったり、あえて意識する大切さがあったり、経験して新たに学び育む重要性があったりします。

それら全ての基盤になるのが自覚です。

 

自覚すると主体性が養われる

自覚によって意識をピンポイントで向けることができます。

意識の矛先は主体性がベストです。

自覚の利点は物事の認識に迷いをなくせることです。

「迷い」はあらゆる認識の判断をバグらせ、自分との向き合いにズレを作り、自主性も主体性もなくす力があります。

迷いをなくすには現状の自分の把握が最重要であり、自覚にて現状を認められれば認められるほど迷いはなくなり、自分軸を持った主体的な自分が表れます。

もちろん、その自分が初めからいなければ育む必要があります。

自分の意見や意思を作ることから始まり、自らの感覚を感じ、思考を把握し、想いを捉え、感性の育みが大切です。

主体性は自らが基盤になる思考であり行動ですので、自ら喜びを作り、自ら苦痛と向き合います。

これを努力や苦労と言います。

好かれるため、嫌われないための努力以上に、主体性を持つための努力と苦労は何ものにも替えられない自己の育みとなります。

※人の評価や反応を気にしない方法は、人にどう思われるか気になるのは解放待ちサイン。気にしない方法は「知る」をご覧ください。

人にどう思われるか気になるのは解放待ちサイン。気にしない方法は「知る」「人にどう思われるか気になる」の翻訳となる、「自分に嫌なことを味わわせたくない」 誰しも嫌なことは「嫌だ」と認識しますので嫌なもの...

 

嫌われてもいい心理 まとめ

「嫌われてもいい」と「嫌われたくない」には、他に対する欲がないかあるかの違いがあり、自分がそこにいるかどうかがはっきり表れる言葉だと思います。

自己評価や他からの見られ方を気にする概念があると、嫌われることは悪になります。

他者の認識がどれほど自分に影響を与えるかは人それぞれですが、あまり翻弄されると自分がどこかへ行ってしまいかねません。

「あなたのことが嫌い」
「そっか、それじゃあお互いのために関わらないようにしよう」

お互いの利益になるので、嫌いと言ってもらう大切さもあると思います。

その人の認識はその人にしかわかりません。そこに少しでも近づく努力ができるのが、敬いであり尊重です。

綺麗な羽を広げて自分のために踊りましょう。パッパッパの音頭は自分で決めていいんです、ビュッビュッビュ、チョンチョンチョンと。

喜んでもらえれば儲けもの、自他両方の利益になり、喜びも倍増。

喜んでもらえなければそれまで、自分は楽しめたのでばんばんざい。

そんな在り方はどこまでも気楽なもので、そんなことを理解した同士の関わりはとても楽しいものです。

楽しみや喜びを作る気楽な人間関係にするためにも、嫌われてもいい心理がお役立ちできれば幸いです。

気楽に適当にいきましょう。

それでは、嫌われてもいい心理を終了します。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

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