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【自分の在り方編】無自覚に波動を低くしている要因8選+下げない方法

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帰宅するや否や文句を言ってしまった。

「あっ」と気づくがもう遅し。

気づけば下がっているエネルギー。

ストレス社会、情勢のわからない世の中、なんだか最近いいニュースを聞いた記憶がないぞ。

何もせずとも生きているだけで、この社会にいるだけで下がっていく波動。

だからこそ、それを踏まえて自らを見つめ、在り方を見直す定期的なお掃除が大切です。

ここでは、周囲ではなく自分の在り方に着目して、“知らぬ間にやっている波動を低くする要因”をピックアップしていきます。

  • 知らぬ間にやっていることを知りたい
  • 下げない方法を知りたい

「気づけばやっちゃってる」に気づくための内容です。

自己内部をキュッキュと輝かせるために、エネルギーを下げない理解がご参考になればと思います。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

無自覚に波動を低くしている要因8選

なんでも
なんでも
それでは特に大きな要因となるものを一つずつ見ていきましょう。

➀:プラス事だけ味わおうとする

良いことだけで、嫌なことの味わいを避ける在り方。

「心地いい気持ちだけ欲しくて、心地悪い気持ちは一切嫌だ」となり、この「嫌だ」を正当化すると波動が低くなります。

誰だって良いことだけ、利益だけ、満足だけしたいものですので、これは何も考えなくなっていることや自制が気づけばなくなる原因になります。

例えば、勉強しなくなる、挑戦しなくなる、文句が増える、不味けりゃ捨てる、事なかれ主義、見たくないものには蓋をするなどが該当します。

それが当たり前の風潮や誰も咎めない逃げ道がたくさんあり、社会の免罪符があるので気づきにくいトラップです。

「居酒屋やゲームやコミュニティ派閥など刺激的嗜好がなければ無理」という強い執着を生む可能性があり、ある種の仕組まれた罠かもしれません。

 

②:挨拶しない

他者との繋がりを疎かにする意味です。

家族に対する挨拶をはじめ、職場や客として行くお店での挨拶も含まります。

例えば、客としてカフェに行った際。

「こんちはー」「どうも」「ありがとう」「ごちそうさまでした」「お邪魔しました」などがない。

無言、目を見ない、ただ受け取る、ただ出ていく。

関わりや繋がりが目の前にあるのに排他するような言動は波動を低くし、人によっては相手を下に見ていたり、「客だからいいんだ」などのルール縛り、自己都合の認識の狭さ、尊重のなさなどエゴの強さも見えます。

挨拶などの繋がりは言葉だけではないので、目を見合えばお互いに何も言わずともわかり合っているなどは波動を低くしていません。

ちなみに、感謝しないからダメということではありません。

「ありがとう」や「ごめんなさい」は本質的に相手との繋がりに尊意があるから波動を高めるため、相互の繋がりへの興味のなさや排他的在り方が着目です。

 

③:やりたいのにやらない

「今日はこれやろう!」と思ったのに結局やらない、なんて状態です。

「やりたい」と思ったのに自分の中のもう一人の声に従う、「また明日でいいよ」

これは波動を上げる動機や走り出しがあったにもかかわらずやめるという、筋トレ始めたのに、ダイエット始めたのに、趣味ができたのに続かないのも該当します。

上がったエネルギーを下げてしまうと急速にガクンと低くなるため、沼にハマる懸念もあって要注意。

やるからにはやり続けると波動は高まっていきますが、「やれるのにやらない」という状態が肝。

「え、もういいや」とするめを食べ始めたら完全に波動が低くなった証です。

 

④:フリ

嫉妬しているのにしていないフリ、不安で焦っているのに焦っていないフリ、恐くてなにもできないのに恐くないフリ。

何もわかっていないのにわかっているフリ、我慢しているのに我慢していないフリなど、

あらゆる誤魔化しは波動を低くします。

その誤魔化しに対して肯定的であれば波動は低くなりにくいですが、誤魔化しとは他人に対する嘘であり、自分に対する嘘でもあるため肯定できるのは悪人くらいの険しい道行き。

誤魔化しは潜在的に自分を否定し、不納得や不浄のエネルギーを増やす犠牲行為であるため、邪を溜め、エゴを強め、自分を見失う要因にもなります。

鬱屈した歪みが病気や疾患として表出する危険性もあります。

素直さは波動の高さそのもの、誤魔化しは波動の低さそのものです。

 

⑤:コンプレックスを見ない

ただ劣等感があるのではなく、それに対して卑屈になると波動が低くなります。

コンプレックスに触発すると周りを気にし、自信がなくなり、行動できず、周りと比較し、優劣強弱上下で差別、識別する世界観が増えます。

「あの人より見た目よく」と思ったがために物欲強く、ブランド物が手放せないなど自己顕示欲や見栄が強まるといった他人によって自分を見出すことも増えます。

コンプレックスの解消や克服をしていないがための衝動、無意識の行動として表れる心の在り方だとユング心理学では言われています。

自分にとって認め難い、苦痛で見たくない、向き合いたくない出来事を野放しにしておくほど、日々の触発する出来事がある都度波動が低くなり、運気もメンタルも弱くなります。

 

⑥:裁く

これは親や上司など型枠にて自分を「上」だと思い込む状況ほど該当しやすいです。

例えば、親が子供に怒ってばかり。

「これはダメ、あれをやりなさい、どうしてできないの、一体何なの、ご飯あげないよ!」

ビシバシと、自分が偉いような、裁判官のごとく正しいものとし、かつ自らを見つめず、さらに人によっては裁くことで自己価値を得るという他人利用の可能性もあります。

さらに、裁きを自らにするのも見逃せない点でして、自己否定や自己卑下もまた大きく波動を低くしてしまいます。

「こんなんじゃダメだ、私は良くない、できない人なんだ、レベルが低いんだ」

他人でも自分でも裁くことで一時凌ぎにはなるけれども、問題を先延ばしにするとより恐怖心と向き合えなくなります。

これは波動を高める基盤を脆くしてしまうため、気を付けたい知らぬ間の行為です。

 

⑦:心配

心配はとっても波動の低い行為です。

でありながら、人のためになると思い込める視点があるため、良かれと思ってしていたら波動がどんどん下がってしまいます。

「鍵閉めたっけ?もう一回見ておこう」
「ちょっと後ろの人ヤバくない、なんか怖いな」
「あの子、ちゃんと荷物持ってったかな?確認しとこう」

特に他人のための心配は自分のためでありながら他人のための善意だと思い込む誤魔化しも追加され、好ましくない邪を生みます。

心配ではなく信じて見守ると波動は高くなりますが、「あの子はまだ一人ではできないから」「付いて行こうかな」「ちゃんとできたかな」と対象を信じていないさまが顕著なほど波動の低迷が露わになります。

 

⑧:自分に飲まれる

他人ではなく自分に飲まれると気づくのが難しくなります。

するとエゴであることを肯定した在り方、我の強さが顕著に。

この場合、見栄が強い、他人を見下す、気が強く芯が弱い、一人でいられない、周りが気になってしかたない、感情の起伏が激しい、悪口と文句が止まらない、自制がない、すぐ怒る、間違いを認めない、人のせいにするなど、強がっているが実際はか弱いさまが表れます。

トラブルや問題や事故が発生するようになり、自分でも訳のわからないことをし始めるので、波動が低くなっているのがわかりやすい状態です。

飲まれている時は自分の言動を自覚できず、それを正しいと思い込んで突っ走る、聞く耳を持たない、頑固になる特徴があります。

一方この状態は見方を変えると後悔や深い反省をもたらします。

ステップアップするための必要機会になり、自己奴隷から解放されると一気に波動を高めることができます。

以上が、特にお伝えしたい知らぬ間の要因でした。

 

波動を下げない方法

波動を下げる共通点

なんでも
なんでも
上述でお伝えした在り方には共通点があります。

嫌なものを見ずに済ませている

私たち今の人間は、個人主義的で自分が見たいものを見て生きられる、嫌なものは見ずに済ませられる環境があります。

自分の居たい場所に居て、関わりたい人とだけ関わり、認めたいと思うものだけを認めていく。

これだけ物も情報も人も多ければ、如何に利益性があるかにフォーカスし、それ以外には興味をなくして取捨選択して生きていくのは当然かもしれません。

私自身も知らぬ間にこの在り方になっており、気づけばエゴに飲まれて自分を見失っていた、なんて経験があります。

その時に痛感したのは、エゴと乖離する作業や理解を疎かにしてきたということでした。

以前からエゴを客観的に見ながら生きてきたため、エゴに飲まれるなんて思ってもいなかった。

なんでも
なんでも
いわゆる、自分ができないことをしっかり見ず、できることばかり見ていたんです。

できないことを見るには努力が要ります。

できないので疲れるし、面倒だし、結果が伴わない。

学生時代の部活動みたいに、「これやって、あれやりなさい」と言ってくれればどれだけ楽か、従っていれば自動的に鍛錬になり、徐々にできないこともできるようになる。

しかし、大人になったら誰も「やれ」なんて言ってくれない。

ましてや自分のことなので誰も干渉してくれない、指図をくれない、考えてくれない。

嫌なものを見ずに済ませているというのは、見方を変えると自力の努力がない意味です。

自力の行動と努力がないと波動は知らぬ間に低くなっていく。

この社会は自力なくして努力なくして生きられるほど膨大な積み重ねと複雑な構造で織り成すファンタジー。

生きているだけで偉いと思う人もおり、考えなくても頭を使っているかのように思わせてくれる。

従っていればそれなりの豊かさ、またの名は幸せそうな風景ができる仕組みの中にいる。

社会の構造や仕組みに従い、そこに安息を感じると、知らぬ間に自力がなくなっていたりします。

安息を感じるのが問題ではなく、自ら立ち、考え、動き、作ることをしなくなるとエネルギーを生み出せなくなるために他力となり、執着とエゴが増え、波動は低くなるという状態です。

 

波動を下げない方法

なんでも
なんでも
ここでお伝えしたいのは、下げない保持をして、上げる改善へ向かう、そんな流れです。

そのための方法は、自力の努力です。

自力の努力?

少しわかりにくいかと思うので、私を例にします。

私はこのブログは作品創作なので自力です。

Youtubeの動画作成は少し慣れてきて自力感はありません。

AIの勉強をして、イラストを作ってみたりしているのは自力です。

他のイラストレーターが作ったものをダウンロードしているのは自力ではない。

あとは軽い運動とストレッチは毎日やると決めており、継続できているのは自力かなと。

ヒンディー語を勉強しているのも自力で、その勉強法も自力で、教材を見つけたのも自力。

最近力を入れているのは、私に現物として出会った人々と関わる際、楽しい調和を作る意識を持つ、これはかなり自力です。

と、このように自力の努力かどうかは他者にはわかりにくいですが、本人にははっきり認識できます。

そこには鍛錬や無知の中、時に苦痛といった負荷がありながら、自分のためになっている行動があります。

いわゆる、自力の努力とは自分が自分を喜ばせるためにする苦労(働き)。

嫌々の苦労ではなく、喜ぶからやっている苦労。

人によっては“働き”かもしれません。

自分を喜ばせるために自分で動いて得るという構図。

この行動を増やします。

わかりやすいのは、目的や意図ある勉強、挑戦、修行、遊びなどです。

自分のできないことをできることに変えていく働きは、できる領域を広げていく自己開拓、または自己実現と言えるものです。

このために具体的にしたいことがあります。

 

波動を下げない具体的方法

なんでも
なんでも
ここからが本題です。

『できる領域を広げていく自己開拓』のために実際に行いたいのがこちらです。

波動を下げない方法:苦痛の先に行く

できる領域を広げる前には、『できない』というステージがあります。

できないステージでは無力、無知。

人によっては虚無、困惑、劣等感、コンプレックスが出てきます。

これら苦痛の先に行くためには、苦痛を味わうプロセスがあります。

上達するには失敗が大切なように、筋肉を増やすには痛みが必要なように、本当に優しい人は過酷な乗り越えているように。

苦痛を味わうステージがあります。

しかし問題があります。

これを味わいたくないエゴの存在です。

エゴがあるほど苦痛を避け、逃げ、誤魔化し、波動は低く、かつ低いまま留まろうとするので邪魔です。

苦痛に対する防衛や誤魔化しの一時凌ぎには長けており、社会性も見に付くアイテムですが、いかんせん波動の低い状態を維持します。

波動を下げないためにはエゴに飲まれないのが大大大前提になります。

無自覚に波動を低くしている要因の最後、8つ目でお伝えした『自分に飲まれない』がこれです。

『下げない』場合、エゴに飲まれず苦痛を味わい、その先に行くのが方法です。

『上げる』場合、苦痛の先に行った後に、できる範囲を広げていく自己開拓によって成します。

 

自分に飲まれない

なんでも
なんでも
エゴは社会で活用的なものですが、「波動を低くするもの」として明確なので覚えちゃいましょう。

エゴはとにかく苦痛と損害と無駄を嫌がります。

そこにある不安と恐怖を誤魔化します。

例えば、前方から道をどかずに向かってくる三人組が来ます。

ここでエゴが出て来ると、恐れを拒んだり、怒ったり、見下したり蔑んだり、こちらもどかずにあえてぶつかる人もいるかもしれません。

全て不安と恐怖に向き合わないための誤魔化しでして、その場を勝負や優劣、社会的な正否に収めようとする、または感情的になって事実をうやむやに認識します。

本当は怖い。

相手が怖い場合もあればそうでない場合もあり、自分の中で拒否心という心の反発を生み出すことを認めたくない状態。

これによって自己内部の事実から目を背ける、怒りで恐れていないフリをする、負けだと思わないための対処をするなどが起きます。

全てエゴに飲まれているさま、事実を拒否している状態です。

苦痛を、恐怖をまざまざと味わいたくない、その味わっている自分の本性を知りたくない。

でも本当は「怖い」。

これだけ。

感じているものをしっかり味わえば、「拒否」を認めていない以外に何もない。

「怖いものは怖い」でしかない。

「拒否する自分を作っているのは自分」でしかない。

ただ認めるだけ、味わうだけ、それはそうだと感じるだけだったりします。

すると夜のお墓に行けるようになります。

「認めたから負け、こんな自分は嫌だ、なんて弱いんだ私は」というのは実際に苦痛を味わっておらず、味わっているのは恐怖を拒否している時の空想作りに費やす脳内電流。

なんでも
なんでも
飲まれないためには事実を認める必要があります。

辛ければ辛い、怖ければ怖い、わからなければわからない。

辛いけど辛いと思わないように我慢しよう、という事実。

怖いけど向き合えないから拒否して誤魔化そう、という事実。

わからないけどわからないのがバレたら恥ずかしいから黙っていよう、という事実。

こういった事実を見ることは苦痛ですが、しっかり味わおうとするスタンスになった時、飲まれていません。

これでもう波動は下がりません。

あとは上げていくのみ。

それはとってもとっても楽しいアゲアゲタイムの始まりです。

 

最後に:いつの間にか波動を低くしている要因

楽しいことの前に辛いものがあるのはこの世の常だと思います。

ボクサーは何度も殴られ、痛みを真正面から受け止め、上達していきます。

上達してしまえば気楽にUFOキャッチャーでお菓子を取りまくれるけど、その前はいくら費やし、いくら失敗してきたことか。

そこにはただ単にテクニックを高めた鍛錬があったのではなく、波動を下げない実践が潜みながら明確にあります。

そこで波動を下げていく人は苦痛を味わっていないため、失敗の経験を育みの糧にするのではなくエゴを増やします。

波動を下げなければエゴに飲まれません。

その後に波動を上げていくかどうかは自力の行動と努力をいかに増やすか次第ですが、上げずとも下げなければ、いつでも上げられる状態キープができます。

下げないことがまず先決です。

雑多な世の中、エネルギーは衰退しやすく、それに気づきにくい構図ができています。

知らぬ間に自力を削り、奪い取る環境もたくさんあり、大きな邪魔者は家族など身近にいたりもします。

そして最も身近にいる邪魔者であり解明対象が『自分自身』という奇妙なお話。

現実とはそんなもの。

ということで一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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