心理と特徴

【一旦人生ストップ】謝らない人の末路は待機条件

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ドンッ。
「チェッ、イテェな」

「あ、すいませ…」

言い切る前に立ち去るあの人は、今日も明日も謝らない人。

仕事のミス、他者への迷惑、同じ失敗の繰り返し、自分勝手に傷つけても、謝らない。

神経が図太い所業、一体どんな人間なのか気になるところです。

ここでは、謝らない人の特徴と末路を見ていかれてください。

  • 謝らない人がどんな人か知りたい
  • 末路を把握して関わり方を明確化したい

末路を理解することで、現在の関わりを継続させるかどうか、必要性がはっきりします。

関わり続けるとどうなるかの理解も含めて、人間関係を気楽にする一つの考え方となれば幸いです。

謝らない人の特徴

初めに、特徴を順番にご覧ください。

謝らない人の特徴11選

1,偉そう

自分が上だと思っている特徴です。

自意識過剰、自信を見失ったけれども誤魔化す表れ。

自らの意識や信仰を見失っているからこそ、「これが私だ、私が正しい、あなたは間違っている」と上から目線になり、いつの間にか人に顎を向けて話し始めます。

 

2,謝ると負けだと思っている

奇妙な自己世界に埋もれており、謝るとプライドが傷つく恐怖を抱く特徴です。

恐怖心と向き合えず、劣等感とコンプレックスが強い意味でもあります。

相手が勝つのではなく、自分が負けることに敏感であり、自分だけにフォーカスする世界を生きています。

 

3,自分を特別な人間だと思っている

「私は他とは違い、優れて、価値があり、才能があり、特別なんだ」と思っている特徴です。

もはやニューデリー辺りで日本人を騙して何も思わないインド人です。

自己愛の過剰化、コントロールの逸脱を意味します。

特別感や万能感を持った中二病の進化形態であり、中二病を傍目に嘲笑うことで自分は本当に特別なんだと思い込みます

 

4,対等な人間関係を作れない

人との関わりは上か下、フラットな立ち位置になることはなく、差別認識が当たり前になっている特徴です。

勝負、正否、善悪、優劣、高低で分けるのは癖であり、それが正義。

インド人がゴミを公共場にぶん投げるのと似た心理です。

 

5,人の意見を聞かない

現実ではなく空想を優先するさまであり、自分が見えるもの、信じているものの声しか聞き入れません。

ほとんどの人の声は聞き入れませんが、僅かに信用している人が身近におり、その人が言えば聞き入れる差別化がここでも表れます。

信用できるのは自分を傷つけないと確信している誰かであり、家族など近親者にいることが多いです。

さらに絶対的に「上」だと従順を決めたボスや強者には、インドの野良犬のようにへこへこし、微妙な愛想笑いを見せます。

 

6,相互交流できない

常に一方通行、自己利益をゲットすることが目的である、極端でわかりやすい人間関係になる特徴です。

一方的に甘え、執着や依存する

一方的に与え、我が物のように使う

一方的に厳しくし、搾り取れるだけ利用する

関りに相互がなく、常に自分自分。

「私はこうしたい、あなたはこう思うだろう、与えれば喜ぶはずだ、これだけやったんだから何か貰っていいはずだ」と自己ルールを押し付け、さらに自覚がありません。

どんな信用している人に対しても同様で、一方的に甘えて利用する場合もあれば、一方的に利用されて言うことを聞く場合もあります。

 

7,自分の意見があると思っている

「あなたは自分の意見がないですね」と言うと、この世の終わりかのごとく驚きます。

まるで思ったことなどない、自分の意見の塊だと思っている人もいます。

社会的な良心、倫理、道徳、価値観、常識、親からの教育など、あらゆる社会性というバックアップを糧に正当化して口から発する他律ですが、特別な自分であるために己の意見だと思い込みます。

自分の意見がないと認識しないためにも、小難しい言葉やカタカナ語をインストールしてエクスプレスし、他者とのディフェレンシエイトを図ります。

自惚れたインド人と全く同じです。

 

8,自己肯定欲求が強い

自分という存在を肯定したい否定されたくない欲がとにかく強い特徴です。

肯定認知を強めるために、他者承認欲求にて他者から肯定を求め、マウントを取って否定されにくい立場を作ります。

欲求の過剰化によって自ら肯定するのではなく、他者によって肯定される状態を欲します。

他者利用が恒常化し、利己的でエゴが爆発的に増大します。

 

9,人のせいにする、自分が悪いと信じられない

親からの縛りが強く、自分を上にして、他を下に蹴落とす観念が強固に刷り込まれた人の特徴です。
※誰しもではなく、の観念縛りが発動条件

謝らないことに罪悪や恥を感じず、自らを内観内省した反省がなく、あらゆる認めたくない現実は人のせいにします。

自分が悪いなんて信じられず、信じる由もなく、信じる気もなく、「自分は上の存在なんだ」という縛りが自らの意志を壊滅させ、生かされていることに気づかなくなります。

 

10,罪や恥をとにかく嫌う

上記9ほどの親の縛りがあると罪や恥を感じませんが、縛りが少し緩いと罪や恥を感じ、その気持ちを徹底的に嫌います

プライドや見栄による反発感であり、[罪や恥=自己否定]になるため断固拒否します。

この場合、自分が悪いと思わないために誤魔化して逃避する傾向があり、自覚がないとは違い、自覚しないように自らを騙します。

現実から逃げるために人のせいにしたり、なかったことにしたり、忘れたり、話題を変えて誤魔化したり、人それぞれの逃避策が表れます。

 

11,自我が強い

自意識が強く、エネルギーが強い特徴です。

自分のことを自分だと思う意識であり、他と区分けする意識が強く、自己愛が強いさま。

周囲との関わり次第で、自我はエゴを強め、自己愛は異形を極め、差別化が強固になります。

特に恐怖を与えてくる怖い存在から徹底的に縛られやすく、洗脳やカルト教のような、自ら洗脳を欲する状態にもなりえます。

エネルギーが強いからこそ使い方次第で在り方が極端になり、自意識を抑圧されて上下観念で縛られて育つと、徹底的に謝らないことにエネルギーを使います。

以上が、謝らない人の特徴でした。

 

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謝らない人の末路

謝らない人の末路①:変化しなくなる

謝らない人は、ルールへの徹底的な固執が目立ちます

『上下・差別の観念体系』

謝ってはならない人もいれば、謝ることでの罪悪を嫌がる(不利益と向き合えない)人もいます。

人それぞれに無知で現実を見れない、自己都合の世界しか認められない、恐怖心と向き合えないさまがあります。

上下従属ルールの世界にハマると、自らが一番上の存在にならない限り毎日上か下か捉え続け、人と関われば関わるほど終わりません。

「あの人より私は上だ、あの人は下だ、失敗したけどこの人には謝らない、みんな私より下だから謝りたくない」

ルールに乗っかる徹底的な特徴がある以上、責任を持てない、従っているだけだから持ちたくても持てない。

さらにそれの自覚がないので気づく由がなく、気づきたくもない徹底的な拒否がある。

反省しない、罪と恥を感じない、罪と向き合わない、恥から逃げる、成長しない、変わらない。

上下・差別の観念に縛られている以上、自分を変えられなくなります

謝らない人の末路は、成長しない、学ばない、変化できないことです。

 

謝らない人の末路②:孤立と戦い続ける

カプセルに入り続けるとは違い、他者との共存社会を上下・差別観念を基に生き続ける現実が私達にはあります。

何も変わらない状態で自分の在り方を貫く場合、もう一つの末路として起こるのがこちらです。

『孤立しないために戦う』

よくわからない自己ルールを押し付けられると、関わる周囲は困ってしまいますので自然と孤立します。

しかし、一人で生きられないため、さらに自己ルールを押し付けます。

人のせいにして、声を荒げ、威勢よく、調子に乗り、他者を縛り、怖れさせ、否定し、責め立て、利用する。

関わる際にこんなことをされては黙っていませんので、戦いが起こり、人々はどんどん離れていきます。

関係性の持続がないため、職場でも家族でも友人間でも、人は自然と離れていきます。

この時に着目したいのは、謝らない人は自分に責任を見ないため、離れていく場合には離れていく相手に非を認めようとします

「あいつが悪い、あの人に問題がある、あの職場はダメだ」

孤立になりながら他者を責め立て、それを聞く人はいなくなる

こうなった時、人それぞれに選択が分かれます。

  1. 次から次へと新しい人と関わり続け、険悪に別れ続ける
  2. 人と関わらず妄想・疑似現実に入り、現実から逃げ続ける
  3. 同じ類で集まり、他者を責め立て続けて安心を得る
  4. 攻撃的に他者を怯えさせ、離れないように縛り付ける

③は集団で敵を統一して責め立てるため、自分が悪いと反省することなく正当性を得られ、孤立にもならないので危険思想を持つ集団が結成される可能性があります。

④はDVやハラスメントになり、他者の涙と傷の上であぐらをかいて生きる異常なさまです。

全て徹底的に自分の在り方、縛りの観念を貫き続ける戦いです。

謝らない人の末路は、孤立を拒むための戦いであり、自らを貫き正当化させ続ける自分との戦いでもあります。

※怒鳴る人の最後は、【怒鳴る人の末路は強制逃避】行き着く先は意外に『光』をご覧ください。

 

特例:末路が少し変わる人もいる

変わらない人生、成長しない在り方、孤立、戦い続けなければならない、そんな末路を知っていただきました。

さらに全員ではありませんが、一部環境によって末路が変わる特例として、弱体化と戦いの組み合わせもあります。

二つが組み合わさるのは、上述の末路になっても開き直る人

開き直り人は年齢の経過と共に弱体化しながらも、諦めずに自らを貫き、孤立を拒み、強引に他者との関わりを求めます。

こうなると、周囲が謝らない人を排他せず、ないがしろにしない条件に限って堂々とした異常性を心置きなく発揮することになります。

例えば、老人ホームなどの施設で好き勝手やり、介護士に大きな迷惑をかける人々が該当します。

好き勝手やっても責められず、咎められず、孤立による恐怖の懸念もない環境、丁重にもてなされる立場になった時、欲が爆発します。

「ここだ、このチャンスを逃さない」と言わんばかりにエネルギーを使い、期待し、上を目指します。

ただ黙って待っていた訳ではありません。

一部条件をクリアする環境がある場合、謝らない人の末路はただただ忌み嫌われる象徴になります。

もはやシンボルであり、周囲が諦めて受け入れる可能性もあります。

「最も嫌いな人はだ~れ?」と質問すれば、「せ~の、あの人(謝らない人)」と誰しもが言う。

そんな末路は良いのか悪いのか、本人のみが最後に知るのかもしれません。

末路を知っていただくとわかるのは、徹底したルールであり、自己に関する欲求とエネルギーの強さ。

謝らない人に対して、「こうしなさい、これは良くない」は争いの基になりかねません。

変わらない心理状態の把握が、今後の関わりの工夫になることを祈ります。

 

まとめ:謝らない人の末路

謝らない人と関わる際、内情がわからないと困惑してしまうかもしれませんが、内情が把握されると関りがとても気楽になると思います。

自他を線引きし、「関るのはこの時だけにしよう、こういう関わり方にしよう」と工夫できますので、ぜひご参考になれば幸いです。

それでは最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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