育ち

【笑わない人の過去と家庭】みんなが笑っているのに笑えない理由がある

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家族の団らん、各々無言で時計の音を聞く。

はにかみ、集合写真はそっぽを向いているか睨み顔。

人前では笑わず、みんなが笑っていればなおさら、「何にどう笑えばいいんだ?」と考えてしまう。

そんな笑えない人。

一体どうして笑わないのか?

動物と違って笑うことができるのは人間機能の一つ、機能を使わない理由があるのでしょうか?

ここでは、笑わない人の過去にフォーカスし、笑わない仕組みを紐解きます。

  • 笑わない人の過去や家庭環境の特性を知りたい
  • みんなが笑ってるのに笑えない理由を知りたい

私自身、幼い頃から笑う機能を使わずに生きてきました。

そんな人間の経験と洞察から、どうすれば笑えるかの構造に迫ります。

笑うさまを気楽に活用するために、一つの考え方となれば幸いです。

笑わない人の過去と家庭環境

笑わないのはなぜ?

みんなが笑っていても笑わず、一人でいる時にフフフと時折笑う。

今のは笑っていない、いや笑った、そもそもどこからが笑ったなの?笑う意味とは?

うーむ。

笑わないのは、笑えない訳ではなく、笑う意味がわからない(またはない)可能性があります。

私がそうでしたが、笑わない人は笑うことの解釈が一辺倒

「面白い(楽しい)から笑う」と思っています

この理解、笑うことのほんの一部でしかありませんが、笑わない人にとってはほとんどの割合を占めます。

するとこうなります。

面白くないと笑えない。

楽しくないと笑えない。

自分にとっての利益がないと笑えない状態

これは他の事柄にも置き換えられます。

例えば、眠ることの意味が肉体休息、記憶定着や整理だと解釈すると、疲れていなければ、憶えるものがなければ眠りたくない。

なんせ眠る意味がない、なんて具合です。

このことから、笑わない理由として考えられるのが、笑うための動機(意味付けや納得できる解釈)が少なく、笑わないための動機が多いこと。

動機が少なければ笑わないのは当然です。

笑う気がないので、笑えるのは相当奇妙で珍しいことや、あまりに突拍子もなく、一切予測できない大どんでん返しくらい。

ゲラゲラゲラと腹を抱えながら足をバタバタする人の様子が、「カブトムシが裏返った時と同じだ!」と思えるくらいでやっとフフフ。

そんな動機の少なさに、理由の根底である原因を作った過去があります。

笑わないのは…

  1. 笑う動機が少ない
  2. 笑いたくない理由が無意識にある

 

笑わない人の過去

「そもそもどうして笑うの?」と思えるかもしれませんが、平気で笑える人はこのような疑問を抱くことの方が疑問です。

なぜならば、生まれた時から自然と笑っており、意図の介入しない潜在領域や本能、人間のデフォルト機能として笑ってきたからです。

「マンモスがいた、お腹減った、殺した、食べた、ウホウホ」と同じです。

現在笑わない場合、自然と笑ってきた過去を忘れているかもしれません。

すると、自然発生的に笑うのではなく意図的に笑う行為になります

脇の下をコチョコチョして笑うように、意図的な働きが外部(または内部)から影響することで笑うか笑わせられる、笑ってしまうという状態です。

働きに対する意図的な行為になると、笑うとは利益であり、面白みであり、興味であり、喜び、いわゆる「価値があるから笑うのだ」と思えます。

私はこのことを旅するまで知りませんでしたが、笑うとは価値云々も含みますが、自然発生的に溢れるもの、気づいたらベローンとヨダレを垂らしているのと同じです。

着目は、「どうして自然と笑いが出てこない?(どうして自然とヨダレ垂らさないの?)」

力んでいるからだと考えられます。

拒否、抵抗、抑圧、嫌悪、苦しみ、我慢、疲れ、許せない念があると笑いの自然発生を抑えます。

力むのは力を抜いてはいけないと思うからでして、この観念を作った過去があります。

人それぞれにこのような過去が考えられます。

笑わない要因
  1. 誰も助けてくれなかった
  2. 周りに頼れる人がいなかった
  3. 危害や恐怖を与えてくる人が多かった
  4. なんでも自力でやらなければならなかった
  5. 何も考えずに生きられる環境ではなかった

あまり深く眠ったことがない、物音すれば瞬時に右手に木刀、走り出しは一歩進むのではなく一歩抜いてシュッと行く。

そんな忍者育ち。

これらの過去は、家庭環境が大きく関係します。

 

笑わない人の家庭環境

上述の過去は、このような育ち環境を意味します。

笑わない人の家庭環境
  1. 家族の心配や世話をしなければならない
  2. 自分の心配や世話をする暇がない
  3. 嫌なこと、我慢、強制が多い
  4. 責任感がなければならない
  5. 人を信用できない
  6. 他力になれない
  7. 依存できない

全てに共通していることがあります。

安心できない生育+不安の多い家庭環境です。

例えば私の場合、赤ん坊なのに泣けば怒鳴られる、そんな黒い鬼がいる中をもがく水色芋虫として生きた家庭環境、別名修行場。

ただ生きるというのは許されず、自ら食料を調達し、物事を決め、お金のことを考え、家族の世話もしなければならない。

人それぞれの家庭があると思いますが、安心できないのは心を開けないからであり、頼れない、信用できない状況を味わう長さが影響します。

不安が多いのは環境によって自尊が育まれにくいからであり、傷つきやすくなり、損害が多く、彷徨い、困惑、心配、無知によるものです。

総じて、「自分を出してはならない環境で自力しか頼れるものがない環境」

矛盾です。

おそらくなのですが、本当に忍者と同じだと思います。

自分というアイデンティティをなくし、指示に従わなければならず、「忍法オレ流手裏剣」なんてやれば終了、長老による絶対恐怖タイム。

強制的に自我を抑えて隠し、やりたくないことでもしなければならない家庭環境は、縛りの中でもがきながらも我慢して生き抜く自力の道。

これによって笑わなくなるのではなく、常に周りを気にして、損害回避するようになります。

 

周りを気にしなければならない環境は、『力み』を恒常化させる

損害となる失敗や醜態や間違い、心配や後悔や残念、不安や恐怖の気持ちを回避することで、常に周りを気にするようになります。
※信用できない環境では、誰かに心を開くことも損害懸念

他者の行為が気になり、見られ方や体裁が気になり、事前に損害回避するために思考を膨らませ、空想や妄想も増え、考えることがとにかく増えます。

すると、脳も肉体も心も全てガッチガチ。

力みは恒常化し、当たり前になり、自然とヨダレを垂らさなくなります。

人前では自然とこわばり、先読み、先回り、詮索、俯瞰、防衛対処、メンタリストのような運びになります。

さらに損害回避する場合には自己世界にこもり、極端に他者への興味をなくして無関心、「他人にどう思われようがどうでもいい」なんて具合です。

以上から、代謝されない流れが見られます。

[安心感小+不安感大=力み]

力み⇒自然な笑いを無意識に抑圧
⇒笑う意味を自己ルールで制限する
⇒笑う動機がなくなる
⇒笑わない理由が見つかりやすい
⇒笑えない

自我を抑えつけながら切磋琢磨して生きる過去や家庭環境によって、笑う意味が制限されます。

価値があるから笑う、笑ってしまう状態となり、「周りを気にした状態で自分がどうあるか?」という目線で笑うかどうかも決めるようになります。

 

笑わない根本原因

これまでの内容で最も着目したい点がこちら。

【安心感のなさ】です。

『安心感』とは、自尊心を育むための材料でもあり、心理学では、『基本的信頼感』と言われ、幼児期からの親(特に母親)との関係性の大切さを物語ります。

※基本的信頼感については、素直な人の育ちは自己コントロールの学び場【愛と機会に溢れた環境】をご参照ください。

他との関りでもたらされ、育むもの。

他者への信用なく、心を開ける環境なくして、安心感を得るのは困難。無理して得ようとすれば、偽りの皮を被った執着や共依存になる可能性もあります。

それではとお金や物に向かいますが、本質的な感情に結ばないためその内に虚しくなってしまいます。

他との関りによってもたらされる安心感がないと、利用価値で判断しなければ関わる理由を見出しにくくなり、関わらない理由が容易に見出されるため、いい人であるほど一人で過ごすことが増えます

すると価値観は、笑うかどうかは笑いたいかどうかではなく、面白い(=自分を喜ばせる価値や意味がある)かどうか。

人を評価判断するだけでなく、自分を喜ばせるに値するかどうかも判断し、随分と狭き門になり、自然と笑う状態を想像できなくなっていきます。

 

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みんなが笑っているのに笑えない

みんなが笑うと笑えなくなる理由がある

安心感が少ない過去や家庭環境を経験すると、いざ安心感を感じた時に戸惑います

戸惑いの最たるシーンが、みんなが笑う状況です。

集団が、一つの事柄に対して、ドッと笑った時、はっきりと調和や団結、ユニットが生まれます。

集団の結束は、絶大な安心感を覚えます

大人数でコーラスを唱えると一体感を抱くように、集団で初めてのお店に行っても緊張しないように、力みが自然と手放される調和と解放。

安心感を感じ慣れておらず、自力で生き抜いてきた責任感がある人にとって、この感情はすごく気持ち悪くなると思います。

一緒に笑うどころか違和感にフォーカスしたり、笑わない理由を見つけようと「何が面白いんだ?」と意味を問いたくなります。

私がそうでしたが、同じタイミングで笑ったり、笑いの空間を共有する場になると、バッと逃げたくなっていました。

「なんだこれ、どうすればいいんだ?!」と対処できないので、損害回避に走る内情です。

 

みんなが笑っている空間で目を閉じてみる

慣れていないと安心感とは奇妙な感覚でして、さらに集団によるものはなんとも違和感。

しかし、そんな空間は力みの要らない安全地帯ですので、いっそのこと身を投じると癒されゾーン、解放、心地良さ、ハァ~。

さらに、『みんなの中』を味わってみるとあることがわかります。

「みんな面白いから笑っている訳ではない」ということです。

安心感を味わいたい人、空間を楽しみたい人、幸せを感じたい人、調和したい人、本当に面白いと思っている人、いろいろいます。

例えば、人気者の先生がいます。

学校の授業で急に面白ろトークを始めました。

笑わない人は知っています、「あ、この話、お笑い芸人〇〇のパクリだ」と。

みんな一斉にゲラゲラ笑い、先生はご満悦、笑わない人は冷たい目線でキーンと音がしています。

隣の席の笑い垂れ造くんが大笑いしているので告げ口、「知ってる?あれって〇〇の話だよ」

「うん知ってるよ、ヒャーッヒャヒャ、先生もうやめて、バンバンバン、ウヒャヒャヒャー!」

「…え?」

笑い垂れ造くんは面白いから笑っている訳ではなく、先生が真似しているのを知りながら本物とのギャップを見出し、さらに先生の悦に浸るさまが父親のそれと似ていることで笑っていました。

最後に一言笑わない人に伝えてきました。

「うちのじいちゃんの遺影、あの先生の喜ぶ顔そっくりなんだよ、ギャーッハッハ!じいちゃんも一緒って、そのうちおいらもだ、ギャー!」

安心感の味わいを知っていると活用法を見出すことができ、みんなが笑っている空間は調和や一体感の促進、力みをなくすリラクゼーション、パーソナルスペースの修繕補強タイム、共感性や傾聴力を高める機会、アイデンティティの確立にまで及び、何より幸福を味わいます。

全てはプラス事でして、シンプルに笑いたいから笑うことで幸せになり、幸せになりたいから笑うことで幸せになる。

みんなが笑っているのに笑えないのは、安心感に対する抵抗や無知があり、笑うことの意味を制限しているふしが目立ちます。

このことから、気楽に笑う構造が見出されます。

 

気楽に笑うために:みんなが笑っている空間を活用する

笑う意味がある状態は、「面白いから笑う、楽しいから笑う、くすぐったいから笑う」などと理由を求めます。

本当は笑うことの意味に制限はなかったりします

ただ自然に溢れる、我慢できない、どうしても笑ってしまう、幸せの表れ状態。

完全に力が抜けている、またはストッパーがバコンと壊れ、ゆるふわっとなった時、自然と笑います。

・くすぐりが面白いのではなく、力が抜けるから自然と笑う

・一発ギャグが面白いのではなく、変な動きに思考が抜けて頭の力みが抜けて笑う

・建前と本音、緊張と緩和のユーモア、緩急によって力が抜けて笑う

力みのなさは防衛の不要状態。

上手く活用するためにも、笑うことの意味(制限)を手放したいところ。

何も考えず、感覚に身をまかし、なすがままに頭を緩め、心を安らかにすることが笑う方法になりますが、笑わない人にとって至難の業だと思います。

おすすめしたいのは、みんなが笑っている時は面白いかどうかではなく、その場の安心感の体感。

初めは違和感があると思いますが、自尊心にも心を開く助力にもなり、他との調和や共感を学ぶ体験にもなります。

笑うとは面白いからだけでなく、力みが抜けると自然と溢れる人間機能、安心感のバロメーターであり、幸せの状態表現。

これまでにはなかった自分を知り、育む機会になりますので、「みんなが笑っている時は面白いかどうかを探すのではなく、安心感を味わうチャンス!」と捉えてみてください。

 

まとめ:笑わない人の過去と家庭環境

  • 「面白い(楽しい)から笑う」と解釈する場合、笑いが狭き門になる
  • 心身に力みがあるほど笑う動機が見つけにくく、笑わない理由が見つけやすい
  • 助けてもらえず頼れる人がいないなど、自力で生きなければならなかった過去
  • [安心できない生育+不安の多い家庭環境]
  • 安心感を与えられる経験が少ないと、みんなが笑っている空間が違和感
  • 自己保持が難しくなるために損害回避活動、笑う意味や納得できる状態を欲する
  • みんな面白いから笑っている訳ではないことを知ると、みんなが笑っている空間は安心感を味わう体験場にできる
  • 笑うとは面白みだけでなく、力みを抜くと自然と溢れる人間機能、安心感のバロメーター、他者との調和や協調を学ぶこともできる、幸せ作り

笑う意味は笑いを作るエンターテインメント、他者のための価値与えとして強力。

しかし、笑う側になった際は笑わないストッパーになってしまうので、笑う意味を拡大することに進化があります。

自ら見出すのも大切、自然と溢れるのも大切ですので、より気楽な気持ちで笑ったり笑わなかったりができればと思います。

考え方の力みをなくす一助となれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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