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世の中にはモテたい人がいれば、モテたくない人がおり、モテたいと思わない人もいます。
モテたいと他者に求める欲があり、モテたくないと他者からの不利益を解消したい欲があります。
これらから一線を画すのが、モテたいと思わない人。
モテたいのが普通だと思うと、「モテたいと思わないなんてどうしちゃったんだ?」と不思議になるかもしれません。
真実を知ると、実に自然なことだと気づかれると思います。
ここでは、モテたいと思わない心理をお伝えします。
- どうしてモテたいと思わないの?
- モテたいと思うのはなぜ?
- モテたいと思わない人の恋愛とは?
これらの疑問を知っていただくと、モテたい真意と見合った恋愛の形がわかります。
一人一人の精神にある欲を分解してみると、「モテたい」と思うか思わないかはどれほど自己理解が深いかを表す意味があります。
モテたいと思わない方はモテたい欲の全貌を知り、ご自身を理解するための一つの考え方となれば幸いです。
Contents
モテたいと思わない人の心理
モテたいと思わないのはなぜ?
「モテたい」というのは先天的な欲求に基づいているようにも思えますが、モテたいと思わない人もいます。
男性の場合、[モテたい=肉体関係を欲する]に繋がる人もいますが、女性も含めた人間のモテたい概念は、モテる状態を求める欲と考えられます。
モテることで起きる利益や人間模様の恩恵を求めるので、思考的で後天的な欲求だと考えられます。
モテたいと思わないのは、「モテたくない」とは全く別です。
モテたくないのは、「モテる」状態に対する拒否であり反発の欲求。モテることで起きる煩わしさや人間関係の不毛なめんどくささがあり、本当はモテたいけど欲を隠し誤魔化す心理の人もいると思います。
モテる結果やモテたい欲を剥き出すことでの他の反応や見栄えなど、利益以上に不利益が多いとモテるのは不満足の原因となり、モテる状態を拒否したくなります。
モテたいと思わないのは、モテたくないと欲する状態ではなく、モテる状態を求める欲がありません。
他から喜びを得る欲がない
「モテ」に関連する欲がないのは、他者や世間的ルール、社会的反応や見栄えなどの「他」によって喜びを得る目的も動機もない心理が考えられます。
モテるとは好かれたり人気があるさまを言い、必ず他の人や常識やルールなどを要します。
自分一人ではモテるもモテないもなく、誰かがいたり、こういう基準で生きていきましょうとルールがあることで、モテる概念が誕生します。
他があることでモテたい目的や動機を自らの中に見出すことができ、欲を持ちます。
「他」にフォーカスが少ない人は、モテることに意味がありません。
典型例となるのは、他人に興味がない人です。
私達人間は他人に興味があるようにしていても、実際には自分の興味が常に主体であり、自分の満足があり不満足がないことを目的にした欲に忠実に生きます。
他人に興味がないと言っても他者を排他したり攻撃するわけではないので、自分へのフォーカスを明確に自覚する自然なさまであり、自らの事実に向き合う人は他人に興味がないと隠さずに公言します。
他者に干渉したり干渉されて喜ばせてもらう以上に、自らが自らを喜ばす心理です。
他に求める欲がないのはエゴがない意味
他者との共存社会では、人と人は常に見えないところで繋がり合っていますので、自らの欲を満たしたり解消するために他を使用することはおそらく一般的です。
Give&Take、WinWin、こういった相互交流を損得勘定にて計算する方法は主流であり、他に求める欲はどんどんと作られていきます。
全部ポイポイッと捨てちゃう人が、モテたいと思わない人です。
モテたい欲がないことは他に求める欲がなく、駆け引きや損得計算、恩徳概念、上下区分けの人間関係やルールに基づく関わりを必要とせず、自ら作れる表れです。
ネガティブに言うと、個人主義で他に関心がない。
ポジティブに言うと、自律、自責、自力があり、自立している。
自らが人生の主体であり、自らが人生を創る意志があると、他に求めずに自らが喜びを作り、自らを満たし、「モテるモテない」の他に干渉した概念から離れます。
他に求める欲とは、自分の喜びを求める欲ですのでとても大切、欲があればあるほどに動力にも躍動にも自信にも満足にもなります。
しかし、自らが欲を認識し、目的を自覚して行動しない場合には、「モテたい、モテたくない」という他がフォーカスの主観になり、自分がいなくなります。
これをエゴと言い、自覚がなく認識と行動が一致しないままにモテたい、モテたくないと欲することを我欲と言います。
モテたいと思わない人は自分に興味関心があり、エゴと我欲がありません(または少ない)。
モテたいと思わない人はモテる
モテたいと思わない人の、欲が他に向いていない状態は自然とモテます。
モテたいと思わないのは、モテることにもモテないことにも拒否がありません。
エゴがなく、我欲がなく、自らを主体に、意志を持って自らを喜ばす状態は、自尊そのものです。
自尊心が高いことは自らの愛を認知し、心が満たされる状態です。
心とは自分でしか満たすことができません。モテたいと思わない人が、モテたくない人と決定的に違うのは、人間の煩わしさやめんどくささへの拒否があったり、本当はモテたい心理をひた隠すためにモテたくないと思い込むなど、自らの認識に反発がある訳ではないことです。
自分のことは自分で満たせるために、他へ執着したり、我欲にて他を主観にして喜びを求める必要がないので興味がない。しかし、無関心とは違うのでモテたり、アプローチをされれば喜び、排他する拒否はしません。
エゴがない自尊心の表れは、人間の自然なさまとして自らが自らの心を満たす人間性です。
自尊心がある人は人を愛する人
自尊心があってもエゴが強ければ強いほどに、自惚れやプライドに変形します。
これらのさまがないのが、モテたいと思わない人です。
自らを敬う心として自尊心を持つ人は、自分を愛します。
自分を愛する人は、他者を愛することができます。
もちろん愛したければですが、愛のある人は認識に余裕があり、自分の世界を持ち、主観を明確に己にして、主体性と軸を持ちます。
自らの意思を持って意見を言い、自らを見て相手も見ます。他者を見る認識と自覚できる自責のさまがあり、必要であれば他者を敬った言動や他者のためを思った行動ができます。
モテたいもモテたくないも他に求める欲ではなく、自らの欲で自らを満たせる人は、自らの力で他者を満たすことができ、影響と価値のある人間になります。
人を愛せる人はモテます。モテたいと思わない人はモテます。
※モテる人の詳細は、モテる人のスピリチュアルな秘密|鍵は男性も女性もこだわりなし をご覧ください。
モテたいと思う心理「モテたい欲」
モテたいと思うのはなぜ?
モテたいと思わない人の心理によって、モテたいと思う心理がわかりやすくなります。
欲とは自らを奮い立たせ、努力や行動へ向かわせる動力、欠かせない力です。
男性特有の「モテたい=肉体関係を欲する」の場合、モテる状態以上に本能的な欲求の満たしを求める動力となります。
女性(男性も然り)の場合には肉体関係以上に、モテる状態を求める動力となります。
他と比較した上で喜びたい思いがあります。
モテる状態を求める欲には、モテるモテないは、一人ではなく他がいることで作り出せる概念であり、他との比較が大きく関わります。
周囲にモテる人がいたり、周囲と比べて自分がモテないと判断したり、社会的な常識や大衆意見に基づいて自らを評価・判断して、モテたいという欲を見出します。
欲には自分を満足・納得させたい、または不満足・不納得を解消したい目的があり、常に自分が主体であり、自分の利益のためです。
この自分が他との比較によって見出された自分であることで作られるのが、「モテたい」という概念です。
モテたい男性の心理はエゴの満たし
モテたいと思う理由の紐解きは、男性心理がわかりやすいために男性のモテたい心理を見ていきたいと思います。
男性は「認められたい」という欲と価値観に基づいて生きる傾向があり、「モテたい」という異性に好かれて人気なさまは他者から認められるかっこうのネタです。
男性はたいへん大きな満足と納得を感じ、自信満々の記憶が脳内に成功体験として刻まれます。
もはや一生忘れられないほどの玉手箱になり、モテるというのは人生の重要ステータスです。
モテることは他から刺激を貰う利益になり、女性に好かれるかどうか以上に認められる状態が利益そのものである、まるでパチンコの確変大当たりが出た時のような快感と刺激の喜びとなり、ハマり、強い記憶になります。
モテたい心理には、「他と比較した上で喜びたい」という欲があり、自らを自らが満たすのではなく、自らを他によって満たしてもらう概念である、エゴを満たす我欲を意味します。
エゴは他を主観にし、自らを他によって満たそうとする我欲を動力とするため、他との比較は必須です。
他が主観で、我欲が主体という精神状態となり、エゴを満たしたい気持ちが強ければ強いほどに「モテたい」欲が強まります。
男性女性共に、エゴを満たす目的があるとモテたいと思う
上述はわかりやすくするために男性心理をお伝えしましたが、「認められたい」と願望するのは女性にもあります。
認められていなければいないほどに求める動機になり、心が満たされなければ満たされないほどに求めます。
エゴによって他を主観にすると、他によって自分を喜ばすので自らしか満たせない心は満たされなくなります。
エゴは満たされない気持ちを我欲にて満たそうとし、モテたいモテたいと強く抱くようになり、強くなると承認欲求を他に求めるさまが表れ始めます。
心が満たされないとエゴを満たそうとするのが私達人間の自然なさまです。
※モテない人の心理は、可愛いのにモテない心理。可愛いと言われるからモテなくなる真相 をどうぞ。
モテたい欲の正体とは
モテたいと思わない人は、モテたいもモテたくないもないので、わざわざ他者に「私はモテたいと思わないんだよね」と主張しません。
聞かれれば答える程度であり、他に求める欲がない人間性は、モテたい欲の正体をはっきり表します。
モテたい欲とは、自分を好きになりたい心理願望。
モテたいと欲すれば欲するほどに、自分を好きになりたい、自分を認めたい気持ちの表れと考えられます。
モテる状態は自分の喜びを認知できる
モテるとは、好意を持たれて人気になる状態。これを認められていると思うかは人それぞれの自由ですが、実際には好意を持った人が喜べる状態を意味します。
モテる…好きになる人自身が喜べるから好感を持つ
モテるかどうかは、如何に好いてくれる人に利益を与えるかであり、影響と価値をどれほど与えられるかに左右されます。
好きになる側はモテる人の影響と価値を認めるのではなく、影響と価値に利益があるから喜び、自分に喜びがあるから好感を持ちます。
喜ぶ利益を与えるからモテる
モテる人自身が喜び、好きになる人自身が喜び、「お互いが各々自分のために喜んでいるね」というモテる状態は、自分の喜びを認知できる状態を意味します。
自分を喜ばせたいとは自分を好きになりたい
喜びを認知できることに喜びがあるのは、喜びたい意味であり、喜びを自分に与えたい表れです。
自分を好きになりたい(認めてあげたい)心理と考えられ、モテるとは自分を好きになるための材料となり、好きになりたければなりたいほどモテたい動機となります。
自らを自らによって好きになるのが、モテたいと思わない人です。
他によって自らを好きになろうとするのが、モテたいと思う人です。
モテたいと思わない人の恋愛は愛がお似合い
モテるかどうかは他との関わりで如何に自分が喜ぶかの思考ゲームであり、想像力による自分を好きになる遊びかもしれません。
モテたいと思わない人は、モテるモテないにある好き嫌い、自分の喜びを各々認知して満足する状態に興味がないと考えられます。
自ら喜びを作り満たせるのに、好き嫌いにて喜びをもらい、認められたと思う思考ゲームに興味が生まれる可能性は限りなく低いです。
遊びは大切です。喜びがあり、楽しみがあり、刺激があり、利益があります。
遊びに飽きたら自分で遊びを作り始めます。
その先には、自分で遊びを作る人同士の関わりが待っています。
自らを愛する人は他者を愛することができます。自尊心がある人同士の関わりでは、自らの敬いに他者への敬いが追加され、自他共に敬うさまとなります。
これを愛と言います。
モテるモテないではなく、愛に向かうのがモテたいと思わない人です。
※モテたいと思わない人の恋愛詳細は、恋愛に興味がなくなった時に切り替わる世界│人生が始まるスピリチュアルな話 をご覧ください。
モテたいと思わない まとめ
モテたいと思わない心理にてわかるのは、エゴによるモテるモテないの人間模様と欲です。
エゴと言うと響きが悪いのでネガティブな印象があるかもしれませんが、エゴは誰しもがもつ自分であり絶対的に大切なものです。
エゴや認められたい欲は自然なものです。
自然であるのは私達は他者との共存社会にいて、あらゆる他の情報に翻弄されるほどに情報量が多いためです。
周囲に人がいなければ他者と比較しないのは当然であるように、他があればあるほどに比較します。
あらゆる経験を増やし、知恵を増やし、自立を育みながら成長し続けるのが人間ですので、モテたいと思う時があるのは自然で、他者より優位でありたい、優越したい、上でありたい、負けたくない、と欲する動機はこの世に溢れます。
学校では競争や優劣を付けるだけではなく、優を評価して劣を蔑むルールも一緒に植え付けるので、負けたくないと思うものです。
資本主義社会で生きていれば、常にお金に繫げた考え方をしてしまうことのように、イタリアに生まれれば恋愛が挨拶代わりになることのように、従順な素直さがあればあるほどに既存の概念に基づいて生きていきます。
モテたいと思わない人は、こういった概念を自ら理解して対応する認識があり、自己理解が深ければ深いほどにモテたいと欲せず、モテるもモテないも拒否しないさまとなります。
私達人間の価値観は常に変化していきます。モテたいと思うことが一般的ではなくなることは、心理と自己理解が深まっているのかもしれません。
エゴがあることで成長できます。モテたいと思うことで動力を生み、喜びのために行動する力を得ます。
エゴもモテたい欲も共に大切であり、自己認識が深まった時に両方の自覚となり、モテたいと思わない心理へ向かいます。
その際は、愛へ向かうサインではないかと思います。
不明確なことが少しでも明確になる一助として、お役立ちできる考え方であれば幸いです。
それでは、モテたいと思わない心理と、モテたい心理のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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