期待とは、正義の娯楽か、堕落の願望待ちか。
期待という心構えは、時に利益を、時に不利益を作ります。
他人に期待する人もいれば、期待しない人もおり、期待を他に向けることは、どれだけ自分の興味(喜び)を他に求めているかがわかります。
すると、他人に期待しない人は、自分の興味を他人に求めていないことになります。
これを紐解くと、「他人に期待しない人は本当の意味で優しい」とわかります。
一体どういうことなのでしょうか?
ここでは、他人に期待しないからこその、本物の優しさを見ていかれてください。
- 他人の期待しない人の心理とは?
- 他人に期待しない人のどこが優しいの?
- 他人に興味がない人と違う優しさとは?
これらを紐解くと、「期待しないとは現実的で強いことなんだ」と知っていただく内容となっております。
固定観念をピョンと放り投げる内容となっておりますので、一つの考え方となれば幸いです。
それでは若干辛辣な、期待しない現実世界へ向かいましょう。
Contents
他人に期待しない人は優しい

他人に期待しない人の心理
「あぁ、空からこんぺいとう降ってこないかな?」
「これだけ頑張ったから、部長から桜餅貰えるだろう」
「あのお店のプリン、きっとまだ残ってるはず、ルンルン」
期待することは、事前に脳内の空想を広げて、喜びや楽しみを拡大する知的方法の一つです。
全てに共通するのは甘党、いえ、自分自身の興味を引き出すための他への着眼です。
「他」とは自分以外。
満足、納得、利益、不利益の解消、不安回避、恐怖の緩和など、自己内部に喜びを認めるために、自分以外にフォーカスする状態です。
期待は素晴らしい思考遊びですが、予測や予想や現実認知とは違い、自分の利益を他から得るための心構え。
起きていない現実を自己世界の枠に収めて、起きることを願望欲求するルール設定。
空想の現実化、の願望、と言えるかもしれません。
これによって、現実が起きていないにもかかわらずワクワクニコニコと楽しめます。
一方で、現実が望んだ形でない場合に失望や落胆、悲しみや怒りも拡大します。
ギャンブルみたいなものだと思うと、わかりやすいかもしれません。
これを他人にしないことは、はっきりした心の在り方が表れます。
『自分の喜び(利益)を他に求めていない』
期待しない人のタイプ
心の在り方には、二つの心理があると考えられます。
- 自らの喜びを他が作れると思っていない
…他への諦め、見下し - 自らの喜びは自ら作る
…自立・自責者
①は他人に執着する意味がない人、②は他人に執着しない人。
冷たさと優しさが分かれます。
他人に期待しないと冷たく思われる
「期待しない」と同じ言葉でも、人によって期待しない目的と心理、中身が違います。
冷たく思われるのは、上述の①他への諦めや見下しがあり、他人に執着する意味がない人と考えられます。
共同体意識から離れ、調和や協調を好まず、自他を上下・高低・勝負のシーソー両端に乗せて認識し、自分より下だと思う対象には期待せず、興味を示さず、冷たくプイッ。
反対に、自分より上だと思う場合には過剰に期待することもあり、利益を引き出してくれるとわかれば強い興味を示し、執着や依存しやすいタイプです。
優しい所以
この内容の主旨です。
対象は②自らの喜びは自ら作る、他人に執着しない人です。
執着しない理由は喜びを作る自立と自責にあり、他に求めるのではなく自分で作ることは、自らを信じて尊重している表れです。
自立や自責による自意識が強く、自他の区分けや境界線をはっきり認識し、「私は私、あなたはあなた」となります。
他に執着することは人それぞれに良い悪いが違うので、共通概念はありません。
不安や恐怖を一人で対処できないから、みんなで協力して対処するために家族になる人達がいれば。
一人で対処して、お互いに個々を認識し合いながら一緒に暮らし、喜びを作り合うために家族になる人達もいます。
後者のように、自立して個々に他を捉えている場合、「期待しない=干渉しない」になります。
執着しないことでの干渉のなさであるために、助けず手出しせず傍観するのではなく、自分と他人のそれぞれの個を尊重した上で見守るスタンス。必要とあらば助太刀。
不干渉の見守る関わり方が、優しさになります。
「よし、まずはジャングルジムで好きなように遊んでみな、失敗も成功も自分で何かを起こし、現実を捉えることが大切だから」と言う親は、子から離れながらもしっかり見守っている、そんなイメージです。
不干渉というだけで冷たい印象を持たれることもある、気づき難い優しさ。外面ではなく内面に響く優しさです。
※他人に期待しない心理の詳細は、【インドで気づく】他人はもちろん自分に期待しない生き方と心理 をどうぞ。
「期待しない=期待しないことができる」
「期待しない」と言葉では簡単ですが、実際にはするかしないかではなく、できるかできないかの行為です。
私達人間は一人で生きられないからこそ他に執着し、自力で喜びを作れないからこそ他に作ってもらい、執着せずに自立した時に、個々が寄り添って調和や共同体を共作します。
「野菜を作る庭がないからスーパーで購買する、庭があればスーパーに執着する必要がない」という全て他に起因したものではなく、自分が自分をどう理解して、使い、在り方を生み出し、他との関わりを作るかが、期待しないポイント。
知能や情報量を増やすのではなく、成長や経験によって精神性を高めた結果、できるのが期待しないことです。
私達人間のデフォルト(初期設定)は、精神をとにかく満足させることだと考えます。
人間は自分の興味(利益)を主体に生きる生態ですので、生まれたばかりであればあるほど、とにかく自分を喜ばせるためにバブバブー、できる限りのことをなんでもします。
次第に知能が付いてくると、他にしがみついてでも何でもするようになり、喜びを他から得ることを覚えます。
ここで期待は膨らみます。
期待によって他人と関わる機会を増やす動機になり、まるで共存をはかる調和にも思えますが、実際は違うかもしれません。
自分の精神を満たすために、他人と関わることが望ましいので一緒に過ごします。
こんな現実は悲しいですが、期待しないとは難しいです。
他人を期待しないことができる人は強い
「強さ」が大きな特徴となり、優しさの原材料にもなります。
他人を期待しない人の強さとは、メンタルや強靭な思考、健康的な体のことではなく、精神基盤の揺るぎない固さ、気や軸や念の強さです。
メンタルとは心の在り方。思考的にルールで模ったものですので、誰でもメンタルは強くも弱くも常に変動し、他からの影響を大きく受けます。
しかし、精神は全く別。
自らが自らをどれだけ直視して、向き合っているか。
他人に期待しないことができる人は、自らと向き合う鍛錬や経験があり、酸いも甘いも味わい、特に嫌で怖いことの経験測が高いです。
強さによって精神が安泰し、余裕が見出され、客観的に人を捉えるようになります。
すると、「期待とは何なのか?」を経験からしっかり理解します。
期待せずに喜びは自分で作ります。
期待せずに現実をしっかり直視します。
期待せずに個を尊重します。
期待せずに人間関係を育みます。
期待せずに他人を捉えます。
強さは、自分の喜びを得るために他にフォーカスする以上に、他を他のまま捉える現実認知を高め、自己都合の認識や主張をしなくなります。
他人に干渉しなくなり、個々人を敬って見守る目線になります。
他を下に見たり、諦めて無関心になるとは違う、期待しないことができるさま。
この精神が、優しさを醸し出します。
※優しい人の強さは、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をどうぞ。
他人に期待しない人と、他人に興味がない人の優しさ

他人に興味がない人も優しい
期待と興味の違いはありながら、興味がない人も優しいです。
しかし、優しさに違いがあります。
他人に興味がない人の優しさは知的で、一方通行。
興味がないことで干渉せず、ノータッチ。
興味がないので失敗してもOK、相手を咎める意味を持たない。
興味がないので相手に謝られてもOK、許すも許さないもどっちでもいい。
一定の距離感を保ち、当たり障りなく、問題を大きくせず、余計を省くことに優先度を高めます。
暗黙の了解や常識やルールに則り、責任を曖昧にして追及しないことに、「優しさ」が見出されます。
本人は優しくしているつもりはないのですが、相手が不利益を被らず利益を得た時に、「利益を貰った、あの人のおかげだ、優しいな」と思い、優しい印象が完成します。
他人に興味がないことで無作為に生まれる利益を周囲が見出す、本人の意思が関与しない優しさです。
※この優しさの詳細は、【日本の優しさ】他人に興味がない人が優しいと思われる仕組み をどうぞ。
他人に期待しない人と興味がない人の決定的違い
期待と興味。
期待なし:
「この桃、一個1,000円もするんだぁ、で、もう食べていいの、パクパク」
興味なし:
「この白トリュフは今年一の品、ふ~ん、ペヤングある?」
期待しない人は興味がなさそうに思えますが、実際には興味があるもないもありません。
自分の興味が沸き立つかどうかで人と関わっておらず、他人に興味がない人との決定的な違いがあります。
- 他人に期待しない人は興味ないのが当たり前
- 他人に興味がない人は興味ないのは当たり前ではない
「興味ない」が当たり前か当たり前ではないかの違い。
人との関わりに負の点数が入るか否かが顕著になります。
期待しない人は初めから興味なしが通常であり、「この人とは関われないかも」と思っても、それによって人を枠から外したり、「関われない人」とフィルタリングして除外しません。
いわゆる、人を上下左右で区分ける概念がありません。
一方、興味がない人は誰しもに興味がない訳ではなく、同じように個を尊重する人には興味があるので、人間に対して若干の期待値があります。
興味がない対象に負の印象が認識され、自己内部で関わることが一生なくなるくらいの除外設定が起き得ます。
反対に、関われる人には興味があり、本来の人懐っこさや、本質的な温かさが表れ、極端に違う関わり方になります。
※本当に優しいがゆえの人間嫌いは、【楽園者の愛と意識】優しい心があるからこその人間嫌い・人間不信 をご覧ください。
深掘り:優しさの違い
不干渉によって周囲が利益を見出し、「これは優しさだ、実はあの人は優しいんだ」と思われるのが、他人に興味がない人の優しさです。
期待しない人の優しさは、相手のために不干渉になります。
相手が見出す以上に、期待しない人自身の与える利益が明白になります。
この利益が、「見守り」です。
- 他人に期待しない人の優しさは、他人を見守る不干渉
- 他人に興味がない人の優しさは、他人をそーっとする不干渉
お昼寝している親しい人を見て、静かに微笑んでいるのか、起こさないように静かに離れてあげるか、というイメージ。
見守る不干渉は、相手のためを想った敬いの形。
直接与える温かい気持ちや、心の開きがあり、心の繋がりを見つけてくれながら、本人が自分の力で歩いて喜びを作れるように、距離を置いてくれます。
成功だけでなく、痛みや失敗も本人にとって大切な経験だと俯瞰して、本当に困った時にはしっかり手を差し伸べてくれる優しさ。
他人に興味がない人も個々を尊重しているからこその不干渉であり、寝ているのであれば、「本人が寝たいから寝ているんだろう」とその人の認識に自己都合を押し付けないように離れます。
どちらも優しさであることに変わりませんが、違いによって期待しないことの意味がわかりやすくなると思います。
※他人に興味がないメリット&デメリットは、他人に興味がないのは良い?悪い?│どっちでもいい大切な話 をどうぞ。
優しい人かどうかがわかるポイント
期待しないも、興味がないも、どちらも不干渉による優しさです。
不干渉とは相手そのもの、個々人を尊重するからこその在り方、「私は私、あなたはあなたの人生があり、あなたに起きる出来事はあなたのためのものだよね」のさまです。
時に冷たさにも受け取られながら。
期待しない人の優しさは、執着しないで生きるための、自立を促す成長の見守りがあり、厳しさもあります。
期待するからこそ厳しくもなりますが、厳しくする目的は、自分の満たされない気持ちを満たすためなのか、相手の成長を真にもたらすためなのかの違いがあり、見たいのは中身、本質です。
不干渉の優しさは、本当の意味での他を想う心配りであり、とても難しい優しさだと思います。
冷酷な目も必要で、手を差し伸べたくても差し伸べない強い気持ちも必要です。
本当に優しい人なのかどうかがわかるポイントがあります。
※どうすれば期待しない優しさを育めるかの方法にもなります
ポイントは、自分の方法を押し付けないことです。
自分のやり方、考え方、ルールを押し付けず、見守ります。
「期待してないから勝手にやれ」ではなく、本人が考える機会を与えたり、聞かれるまで言わないで見守ったり、提案して本人に合うかどうかを決めてもらいます。
その人にはその人の価値観、観念、歴史、生き方、考え方があることをしっかり尊重し、自他の境界線を持ち、その人の在り方を消しません。
期待しないからこそ自己都合、自己ルール、自己認識、自己世界を押し付けません。
親と子の関係など、押し付けないといけないこともありますので、自覚が難しい立場の人もいますが、押し付けだと気づいた時に、認めてやめられるのが期待しない優しい人です。
精神を育む重要な行為となる優しさ、期待しないで他を他のまま捉える不干渉は、「いつでもどこでも喜びや幸せを自分自身で作る力」を高める恩恵となります。
※本当に優しい人の詳細は、本物は『知る』│本当に優しい人は傷つけ方を知っている をご覧ください。
他人に期待しない人は優しい まとめ
「押し付けずに見守ることは、本物の優しさになる」というお話でした。
この内容は、私の母親を題材にしています。
小さい頃は全く理解できず、「誰も私を助けてくれない」と悩み続けるほど、厳しい不干渉でした。
なかなか優しさだと気づき難く、過去の記憶を思い返すと、「あ、遠いけど見守ってくれているじゃないか!」なんて、やっと気づけたりします。
他人に期待しない人は時に、何でも一人で頑張り、自分に厳しすぎる人になり、他人に厳しくもなります。
すると、「見守り方が望遠鏡レベルに遠くて、到底優しさに思えない」なんてことも。実際にそう捉える方は多いと思います。
しかし、本質的な優しさがあり、遠くてもしっかり見てくれているのが、他人に期待しない人です。
期待されないからこそ自堕落に陥ることもありますが、真に優しさがあれば無意識に伝わっており、いつの日か人それぞれに気づいて明るみになるのかもしれません。
難しい優しさですね。
中身以上に外面を見るのは私達人間のさがですので、表面的な優しさを求めたくなります。
そんな中でも、結果的に人間性や精神を育み高めさせてくれる恩恵は、不干渉にあると考えます。
厳しさを味わわせながらも自分で気づかせることは、人間とは継承しながら個を持つ生き物であり、どれだけ過去と今が重要かを物語るようです。
過去と今によって自分がはっきりした時、私達は初めて期待することの意味を見出し、使い始められるのかもしれません。
そこには、未来をどう見据えるかの自己プログラミング習得があり、期待の大切さが潜みます。
とても高度な行為が期待すること。心待ちにするのは執着ではなく、本当に現実化を実施する方法だったりなんなり。
期待の奥深さ、期待しない大切さを知る一つの考え方となれば幸いです。
それでは、他人に期待しない人の優しさ話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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