「恋愛に興味がなくなった」と周囲に言うとどうでしょう。
「ちょっとあんた、女捨てたの?」
「おいおい、男としての本能どうした?」
恋愛への興味は人への興味であり、自分自身への興味。
共通するのは他から喜びをもらうこと。
「ちょっと脳の見せる世界も飽きてきたな」とそんな一言は、「自分で喜びは作っていこうかな」なんて意味だったりします。
ありのままの自分の目覚めであり、本来の居る場所へ戻す気付きであり、これまでの世界を別物に変えるタイミングを教える恋愛への興味喪失、卒業の仰げば尊し。
なんら不思議なことではありません。意識としての在り方、それは認識の中核が変わると、見える世界は自然と変わるものです。
そこにあるスピリチュアルな理解と仕組み、どうして恋愛に興味がなくなったのかの紐解きをして、自己理解を深めていきましょう。
おかしな話ですので、抗体のある方のみご覧ください。
Contents
恋愛に興味がなくなった人

恋愛に興味がなくなった人のタイプ
恋愛というと、恋も愛も文字に含まれるので、意味がちょっとわかりにくい。
恋愛の捉え方はさまざまにあると思いますが、一つは執着合戦、一つは人間理解(自己認識+他者認識)、一つはエゴの増殖行為、一つは愛の育み。
恋愛によって、恋が愛に発展し、お互いの成長や学び、敬いの理解にもなります。
かたや、恋によって利用し合いが起き、我欲による蜜の吸い合いや執着、自己の見失いやエゴにもなります。
恋を中点として、右に行けばエゴ、執着、恐怖。左に行けば愛、敬い、育み。
右でも左でもなく、全体を俯瞰するように浮くイメージが、恋愛に興味がない状態です。
いわば、人間関係のエゴと愛、「好きよ嫌いよ、愛する愛せず」の人間模様に興味なし。
そんな恋愛に興味がなくなった状態、二つに分かれます。
- 恋に興味がない
- 人間関係での陰陽育みに興味がない
それぞれを見ていきいましょう。
1、恋に興味がないパターン
これは愛には興味がある意味です。
恋とは自分の喜びのみをフォーカスにして、人を好きになったり嫌いになったりする人間関係の営みです。
エゴにも愛にもどちらにも変化するものですが、恋のポイントは、「自分の喜びのために人と関わること」です。
自分が喜ぶから他者を喜ばせる、自分が喜ぶから他者と一緒の時間を過ごす…といった主観が明確で、二の次に他が来る状態。
これに興味がない人は愛に興味がありまして、愛とは両者の敬い合いによって育まれる人間同士の営みです。
愛には尊重があり、自他共に敬い想う両者フラットな見方があり、自分が第一とか第二というフィルターがありません。
そのため、性の快楽主義、裸同士だと繋がれる、人間限定、男だけ、女だけといったあらゆるルールは邪魔になり、人でも動物でも花でも地球でも、性行為がなくても言葉がなくても、愛は愛です。
恋愛に興味がなくとも愛に興味がある場合には、自分を受け入れて確立し、自らを敬い愛する意志があります。
自らを愛していないと他者を愛することはできないため、嘘偽りなく自らを愛し凛している人は恋愛に興味がなくなります。
同時に、これまでの恋愛が他者への執着だった場合には、自己理解を深めて自ら喜びを作る意志が増えることで、自己の育みにフォーカスが向かい、恋愛に興味がなくなります。
2、人間関係の育みに興味がない
もう一つのパターンです。
愛に興味がないわけではなく、人間関係の育みに興味がない状態です。
愛とは男女、人間かどうか関係なく抱く想いでして、自らへの愛が根底にあるので興味が尽きることはないと思います。
興味がなくなるのは他者との関わりによる恋と愛、ピンク色じみた人間模様と育み。
自分一人で自らを育むことに興味があり、自らが物事を作り、喜びを作り、人生を創ることができる意識状態にある人は、恋愛に興味がなくなります。
いわば、孤独を愛して生きられる意識を持つ人。
恋愛に興味がなくなった人の特徴
どうして興味がなくなったのかがわかりやすくなりますので、恋愛に興味がなくなった人の特徴を見ていきましょう。
特徴として目立つものは、愛があることです。
恋する際には愛など必要有りませんので、如何に自分が喜ぶかが重要です。
喜びを求める欲があればあるほどに執着を生みますが、同時に相手との楽しみを求める行動にもなり、陰と陽が共にあります。
さらに自分が嬉しくなることで、他者への優しさや気遣いや配慮の動機にもなり、恋事での他者との関わりは楽しく、相手のことを考える時間も増えます。
ここで自分の喜びを求めない場合には人を好きになることも、恋に興味を抱くこともないと思います。
そして、愛を持って他者と関わる人も同時に、恋には興味がなくなります。
恋と愛で得られる経験や学びの違いは比べ物にならないため、愛がある人にとっては恋など遊び以外の何物でもなかったりします。
愛があると自覚せずとも、他への執着によって喜びを見出そうとする自分に不納得や違和感を感じる人もおり、自己理解を深めようとする意志は自らに秘められる未だ無自覚の愛が眠っていることの表しとして、恋事に興味がなくなります。
そんな自覚有無にかかわらず愛のある人間性には、他への執着がありません(または執着したくない)。
すると、喜びは他から貰う、見出す、かき集めるのではなく、自ら作ります。
ここにあるのは自らを愛する姿であり、自らが自らを喜ばそうとする様です。
そこで上述の二つのタイプに分かれ、他者と愛にて関わり、お互いに敬い合うことで喜びを共有し増大させ、さらに育み作りと強大なパワーになります。
かたや、自分一人で愛を育むことができる人は、一人のパワーが強いために愛する人と関わる以上に、より自らを高めるように日々を生きます。
これらに表れる特徴には、常に喜びや向上、学びや成長を求める姿が共にあります。
いろいろ出て来ましたので、特徴を一覧にまとめます。
- 自分が確立されて主体性と自立がある
- 自律と自責を持ち合わせ、自らの行動に責任を持つ
- 愛に興味があり、愛のない人にすすんで関わらない
- 孤独を愛する
- 敬いの気持ちを持ち、自らと、そして他者と関わる
- 恋愛せずとも人を愛せるので形式にとらわれない
- 喜びや向上、学びや成長を求める
- 喜びを尊重する創造性がある
- 物事の見方がフラットで、思い込みや決め付けが少ない(またはそうなりたい成長意志を持つ)
- 孤独も共有も大切にする(人それぞれに割合は変わる)
- 自然や動物を人のように愛する
恋愛に興味がない人は、恋愛に縛られないという意味でもあります。
人のように自然や動物も愛し、そこに線引きや固定観念のフィルターがないので、同じように大切な存在として関わります。
そのため、わざわざ人間と、さらに男だったら女と、女だったら男などの制限やルールにて自らを縛ることをせず、常識や契約や形式としての形にもとらわれません。
孤独も共有も大切にするため、孤独だけを愛するということはなく、森にこもって鳥や自然との調和や共存など、人それぞれの愛との関わりがあります。
恋愛という人間関係にて利益をもらったり、他の存在によって自らを確立させるなどの、我欲やエゴを主体にする状態ではないため、心に余裕と許容があり、焦りなく物事を見る認識を持ちます。
すると、恋愛せずとも自らや、恋愛感情を抱く相手以外の他とも、育みや共有ができるので喜び作りには何不自由ないという人です。
※恋愛したいと想える人の話は、【男女別】なぜか惹かれる・気になる理由│答えは常に意味深なスピリチュアル をご覧ください。
恋愛に興味がなくなったスピリチュアル
ここからはスピリチュアルな意識を含めて話を進めていきたいと思います。
恋愛に興味がなくなったスピリチュアルなサイン
恋愛に興味がなくなった時、これまでとは自分の中で何かの変化が起きました。
一体何が起きたのでしょうか?
考えられるのは意識変革です。
意識としての自分が変化することは、その時が来たことを意味します。
どんな時?という感じですが、人生の紛れもない主人公になった瞬間です。
恋愛に興味がなくなったのは、人生を自らが創造する意識状態になったことを教えます。
創造主になっちゃいました、あくまで自分の人生の。
この状態になると、恋愛や結婚に大きな意味はなくなります。
もちろん人によっては子供を授かることや、子育て、家庭を持つことでの学びや成長があり、それが使命や役割の人もいますので、大事な人にとっては大事です。
結婚も同様で、既に結婚している場合にはその経験が本人にとっては大事です。
結婚していない場合にはわざわざ社会性や他の意見に合わせて結婚する必要は皆無だと、明確にわかる意識状態。
これが恋愛に興味がなくなったスピリチュアルな意識です。
自ら創造して人生を彩る意識は、恋愛の重要性以上に、自らの意志と信念を持って自と他(人に限らず物や自然や動物や環境など)と関わることに重きが置かれます。
そこには明確な使命や役割、天職や生きがいがある人もいますが、何をするのが大事なのかは本人にしかわからず、何をしても意志と信念を持てる状態が、恋愛や他者への執着のない様を教えます。
この意識状態が最もわかりやすく表れるのが、「孤独の受け入れ」です。
孤独に対する寂しい悲しいという大衆観念や区分けの思考ルール、この意識状態では何の意味も持ちません。
と言うと極端ですが、如何に自らの意志にて孤独を捉えて認識するかは、一人一人に尊重される認識があり、何一つ同じものはないことを理解させてくれるため、統一ルールの見方はこれまでと一変します。
その見方が全く新しい世界を垣間見せ、明確な己の生きる道が照らされます。
※孤独を愛する道は、孤独と向き合うと見える道│ぼっちの先には恐怖と愛、そして孤高 をご覧ください。
恋愛の卒業は何が原因?
愛を持って分け隔てない物事の認識になることで、恋愛どころではなく、人に興味がなくなる人もいます。
これは自分のない人や、空虚な人と関わる動機がないことを意味し、自らや愛のある人、または愛のある子供や動物や自然と関わることに喜びがあり、他を評価・判断して区分けや差を見出す必要性のない様があります。
言い方を変えると、人に対して優劣のフィルターがなく、「男だから、女だから、セクシーだから、ハンサムだから、性格が良いから、悪いから」といったルールに翻弄されて制限される他律がありません。
例えば、男性がセクシーな女性を見た時、性に向かい欲求を求めて止まない場合、自らの肉体快楽と脳の思考ルールに牛耳られていることを意味します。
ちょっと女性の方はわかりにくいと思いますが、本能や性質からの自然な肉体反応があり、脳の快楽欲求を見出す過去の記憶がありますが、それらをどのように使用して自分の在り方を決めるかは、自分次第です。
そこに意志や認識理解があると人生を創造している意味となり、「本能だからそう思うもんだ」「快楽を求めるのは仕方ない」というのは自己コントロールの逸脱による解釈(自己支配)だったりします。
自らが創造する意識があることで、本能であったとしても女性を性の対象として見るかどうかは完全に自分次第、そんな話です。
創造性です。
このような認識になることで恋愛する意味も自ら見出せるため、自らの愛の認知や人間性と組み合わせて恋愛への興味有無を決め、そこにあるのが創造性とは陰も陽も超越した自己の在り方の拡大。何かを創る意味以上に、その状態になれる意識や自己認識の高さを物語る、とても重要な人間の力です。
恋愛における認識変化には、創造性となる自らの確立度や意志が大きく関わっていたりします。
このように、恋愛を卒業することは認識の制限を取り払い、認識幅を拡大する始まりとなります。
この状態をスピリチュアル的に表現すると、ワンネス認知に近付いていると言えます。
ワンネスに近いことを意味します。
恋愛の卒業は創造性によるもの、それは
恋愛に興味がなくなったスピリチュアルな気付き

最後に、恋愛に興味がなくなった理解として最も核となる気付きをお伝えして終了します。
恋愛への興味はなくなるべくしてなくなっているので、自然なことだったりします。
それは、魂レベルが高いためという考え方です。
魂レベルとはワンネス意識への距離感を表し、レベルが高ければ高いほど愛の認知が強く、創造性が高いことを意味します。
これらは恋愛に興味がない人の典型的な特徴。
特に喜びを尊重するための創造性を持つことが、魂レベルの高さを物語り、孤独の受け入れや自ら喜びを作れる自立を表します。
この自立を目指すために立ち上がった状態の恋愛卒業、そういった方もいると思いますが、そこにも魂レベルが高い本来の状態に戻していく意志があります。
幾分か他律で執着を強めた経験によって自己認識が薄れるため、そこに歯止めをかけて成長を求める意志が目覚め、そのきっかけになるのが執着ドロドロの恋愛だったり、「ちょっともう勘弁して」と思える経験など、ありのままの自分と極端に離れる恋愛だったりします。
恋愛とは良くも悪くもありますが、その恋愛に興味がなくなることには一側面から捉えた意識の話ではなく、陰も陽も越えて良い悪いの決め付けがない魂レベルの高さがあります。
神様がいれば鬼神様がいるように、陰も陽も共に神であり大切。
このような良い悪いを超えた意識にあるのが、恋愛に興味がない人のスピリチュアルな気付き。
魂レベルからの自然な様、気付き、目覚めといったものです。
※興味ないわけではなく好きな人ができない話は、好きな人ができないのは心に理由がある│恋ではなく愛に興味ありかも をどうぞ。

恋愛に興味がなくなったスピリチュアル まとめ
恋愛に興味がなくなるキーは、創造性です。
恐怖も愛も、それは陰も陽も味わい拒否して受け入れの過程があり、経験を積み重ねることで養われるのが、愛の認知であり創造性。
言うなれば自己認識の向上と育みを物語ります。
物事の認識を自らが作り創造している意識があると、見方に一切のフィルターがなくなります。
それは他への執着や依存、思い込みや決め付け、抑制に支配が解放された状態ですので、全くの別世界での人生が始まったように思うかもしれません。
その世界では会う人、関わる人が全く変わり、恋愛しないこと、結婚しないこと、孤独であること、あらゆる認識に大衆的な中身のない空虚は意味を持ちません。
「恋愛しないことにあなたはどう思うか?」
これが全てで答えです。
意識を高めることは終わりなく向上に邁進して自を敬うため、他を排他して調子に乗ることはありません。
そのため、自らの答えは一瞬で決まり、一瞬で変わる。同じものを見ても他者の答えは一瞬で決まり、全く違う。
「人生とは今存在する」「創造はこの瞬間に創られ終わる」「終われば始まる」の繰り返しを意味し、哲学の道に入るとか入らないとか。物好きは入るねー。
恋愛への興味。
個人的には、「興味は自分で作るから、あってもなくてもいいね」と思います。
もしかして、とんでもなく素敵な敬い君子がいたら、心臓バックバクで楽しいかもしれませんよ。
考えられないセクシー婆がいたら、「人生って深いー」と叫んでいるかもしれませんしね。
人に関わらず動物や自然など、私達が愛を持って関わる存在は多岐に渡るので、恋愛に興味がなくなるのはあなたらしい人生の始まりの合図。
自らの人生、一体どんな類の愛があるのか知りたくありませんか?
恋愛よりも愛の探求を深めて、より素敵な人生を楽しまれてください。孤独最高です。
愛の認知にて自己理解を深めれば、より他者に愛を持って恋愛相談にのれるかもしれません。
「あぁ恋?それ自分のことしか考えてないからやめな」
いや、言ったら嫌われるよー。
それでは、とんでもないセクシー婆を探さねば死ねないという話を終了します。
って違うかー。