意識、次元

【何もしない能力とプロへの道】一日ボケーッとする罪悪感とさようなら

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なんだか悪いことをしてしまったような気がする。

何もしないで一日を過ごした時、加害者意識を持つことがあります。

まるで時間を無駄にしたような、ルールに反したような、何かするべきことがあったような。

何もしないと罪悪感を感じてしまう時、「何もしない」ができていない可能性があります。

ここでは、何もしない罪悪感の紐解きをして、罪悪感とさようならをしましょう。

  • 何もしない能力とは?
  • 何もしないと起きるスピリチュアル認知とは?

これらを紐解き、何もしないという能力を知っていただく内容となっております。

何もしないための段階があり、人によってはスピリチュアルな認知が伴う状態でもありますので、何もしないことで起きる意識変容の内容をお楽しみください。

罪悪感の撤廃にて、何もしない大切さを知る一つの考え方になれば幸いです。

何もしない日

何もしないと罪悪感を感じる?

「今日はキノコでも食べてボケーッとしてようかなぁ」

私がメキシコのとある山奥のさらに山奥の村にいた時、約二か月間していたのはボケーッと自然を眺めるか、おいしいキノコや現地の村人が作った郷土料理を食べること。

「ちょっとぐらいは感じて」と思いますが、罪悪感なんてないない。

どうして罪悪感がないのかを考えてみると、答えは明確に、自分がしたくてしているからでした。

何もしないとは行動の一つです。

行動であるために、何もしない意志があり、行動動機があり、目的があり、選択があり、そして何より覚悟があります。

覚悟とはカッコイイ、「今日、私は、何もしない!ドドン」ではなく、

「今日は~朝から~何もせん~、ルンルルン」

これを、自分を大切にする覚悟、自分を喜ばす覚悟、自分を愛する覚悟と言ったりします。

 

「何もしない」という行動

日々の時間に追われ、仕事に縛られる社会です。

何もしないとは怠惰欲の塊、甘えであり何も考えないダラダラと思われるかもしれません。

「何もしない=行動しない、時間の無駄」と思いたい人もいることでしょう。

ここで今一度明確にしておきたいことがあります。

何もしないとは行動しないのではなく、行動そのものであることです。

行動には選択があり、動機があり、目的があり、責任があります

何もしないことには必ず選択があり、何かをする以上に明確な自分の意思と意志による選択を要します。

選択するからには動機となる欲があり、「何もしないことをしたい」と欲し、癒しや自己認知、または休息や情報処理など人それぞれに目的があります。

行為の始まりがあって終わりがあるので、選択して何もしないことを認めて自覚する責任があり、全てが揃います。

反対に、何かをする場合には何もしない以上に他の介入が激しいために、責任の重きが変わり、何かをするもしないもそれぞれに必要なものが変わります。

 

何もしない=自己集中、何かする=他の介入による共同

例えば、家でダラダラすると決めるか、友達とバーベキューに行くかの違いがあります。

何もしない選択は明確に「自己集中」であり、全ては自分で作り、その日を創造するために自らの選択・動機の見出し、目的の認識、責任があります。

バーベキューする選択は「自分+他の共同」であり、他の情報や影響の中で自分を見出したり控えたりと調整し、物事の選択も動機も目的も責任も他が介入します。

他が入ることで自分の重きが変わり、調和や協力や共有といった全く別の状態になります。

何もしないという行動は完全に自分にフォーカスする状態であり、「自分」という存在が中心です。

全てを自らが決めて、考えて、感じて、思って、判断して、作ります。

何もしないはずなのに、内部ではあらゆることが起きている。そんな自己内部のお話です。

 

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何もしない能力とスピリチュアル

何もしない能力

何もしないためには自分に集中する前提があると知っていただきました。

自己認知であり自己理解、自分は自分であるという意識があり、何もしないという行動を選択し、意志に基づいた自分の時間と空間にするとそこに罪悪感はなく、自己創造の世界が広がります。

実際に何もしない時、自分の時間と空間を作っておきながら、全てを手放します。

時間と空間の概念をなくすイメージでして、自然とできる人もいますが、なかなか難しいです。

私が東京に住んでいた時は何もしないと罪悪感を感じ、家にいるといたたまれず、用事がなくても外に出かけていました。

人混みが苦手なので、結局街中に行くと嫌になり、川沿いでボケーッとすることが多かったです。

そんな日々を重ね、少しずつ何もしない意味を理解していくと、何もしないことは能力だと思うようになりました。

何もしないまでの段階があり、能力を高める育みがあります。

 

何もしないための段階がある

何もしないまでの段階
  1. 他からの影響を減らして自分に集中(スマホやネットやSNSなどの他を介入しない)
  2. 自分を主体にした行動(本や音楽や掃除や植物鑑賞など、自己ルールに基づく)
  3. 創造するクリエイトな時間(絵を描く、写真を撮る、音楽を作るなど)
  4. 思考を手放して心の認知を楽しむ(時間と空間の概念がない自己集中・熱中状態)
  5. 何もしないでダラダラする(自己認知を高めて自分のみで癒しを作る)

他からの影響をなくして自分に集中することで、何もしないための行動を始め、育んでいく考え方で、何もしないプロへの道というイメージです。

本や音楽などの他の情報を初めの内は取り入れ、他からの情報や影響に飲み込まれずに自分を主体に物事を作る準備に入ります。

自分が主体になると記憶の整理や脳内情報処理をする時間が進み、クリエイティブな時間を楽しむことができます。

思考を手放すことで、一気に何もしない時間が加速されますが、ここが少し難しいポイントとなります。

思考はほとんどが生まれてから今日までのあらゆる他の情報や影響によって作られていますので、思考の手放しは過去の記憶の受け入れと、認められない記憶への許しを意味します。

記憶を許して思考が手放せると、心の認知が伴うために人によってはスピリチュアルな理解へと繋がります。
※必要なものではないので欲しい方の特典みたいなものです

ここまでの過程は一気に通り抜けることはできないため、一歩一歩自分主体、自己認知、自己理解を深め、自らを構成する材料(記憶)の整理と受け入れをし、自分に対する抵抗や反発をなくします。

最終的にはダラダラしたり、ボケーッとする時間になり、本当に何もしないことができます。

この状態は自ら癒しを作る創造となり、ただただ幸せになります。

※思考を手放すと起きる詳細は、【検証結果】何も考えないと起きるのは幸せ│あることと引き換えに… をどうぞ。

 

何もしない状態は自分を主体に受け入れる

何もしない最終形態は、あらゆる選択も目的も動機も責任も自分にあり、何もしないことそのものが自らに心地良さを与え、創造世界を広げ、幸福感を作ります。

この状態のイメージはお昼寝や瞑想です。

お昼寝や瞑想をすることで、「何もしない状態とはこういう感じかぁ」と実感できます。

しかし、実際にそれらをする時は何もしない状態とは違い、④思考を手放して心の認知を楽しむ状態です。

④から⑤へ向かうためにも瞑想はとても活用的で、イメージすることでゴールへ向かいやすくなります。

⑤の何もしないでダラダラ状態は、お昼寝や瞑想をしていなくてもその状態。日常生活がお昼寝中という奇妙なお話です。

 

何もしないと物事の受け入れが広がる

本当に何もしない領域では、ある特徴が人に起きます。

自分を主体にして、物事を受け入れるようになります。

何でも人の話や思考や行動を受け入れ、要望や願望すら受け入れながらも基盤は自分であり、主体も主観も自分。自らが創造して人生を作ります。

こうなると何もしないプロです。

 

何もしないと起きるスピリチュアル認知

何もしない育みをしていくと、人によってはスピリチュアル認知が伴います。

特に思考を手放す際に、多くのスピリチュアル理解がもたらされますので、一覧にまとめます。

何もしないスピリチュアル認知
  1. 直感やひらめきが増える
  2. 第六感が活性化され、第三の眼が開く
  3. 魂の記憶とのアクセス状態になり、過去生を思い出す
  4. ハイヤーセルフとのコンタクトが容易になる
  5. 引き寄せがしやすくなる

スピリチュアルかどうかは重要ではありません。意識状態が変わることで他を含めた思考概念から、感覚や心である自分のみが理解する認識が増えます。

顕在意識から潜在意識へのアクセスがしやすくなり、これまでは無自覚だった領域の理解が広がります。

意識理解は自分を知る意味となり、何もしないことでの自己集中は、より自己理解を深める効果をもたらします。

※何もしないダラダラにあるスピリチュアルは、ダラダラしてしまう時はスピリチュアルがおすすめ【沈没を癒しにする使い方】をご覧ください。

 

何もしない日の大切さ まとめ

罪悪感を感じる際は、初めに他からの情報や影響を減らしてみてください。

特にテレビやSNSは、思考を膨らませる材料でありながら、他の影響に飲み込まれて自分の意思が希薄になる典型的なもの。目的なく観続けると他の情報や影響に翻弄され、意思だけでなく意志そのものがなくなる可能性があります。

何もしないとは行動しないことではありませんので、実際にしてみると難しいものです。

段階を踏まずに一気に過程を通り過ぎると、何もしないことを肯定や正当化してしまう可能性があり、怠惰欲や自己防衛の主張が起き、罪悪感はなくなっても周囲に違和感を与えます。

何もしないことは自らを主体にした創造準備であり、受け入れ許容を広げる育みです。

思考の手放しは自らへの抵抗をなくす効果がありますので、全ては自らの思考も行動も認めて自覚する責任の基、段階が進みます。

責任感の強さを活用して、「自ら作る」という意識を持っていきましょう。

何もしないことの捉え方を広げ、より自らを自らが気楽に楽しくする一助となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. ちっち より:

    鼻歌でクリエイトも良いですね!
    自分クイズって面白そうです。

  2. ちっち より:

    確かに何もしないボケーっとする時間を作った後、
    頭の中にひらめきや直感がやってきますよね。
    その都度、その言葉(内容)をメモし、メモがメモで
    終わるときもあれば、メモにとった言葉が
    膨らむ場合もあります。
    思考ばかりの一日なら尚更、そんな時間を意識的に
    とった方がいいような気もします。
    今朝、ボケーっとしてた時湧いてきた言葉は
    ”律する””奏でる”でした。面白いですよね。

    • 北斗 より:

      メモ書きは良いですね。
      夢と同じでメモするとなぜか忘れない、メモした時は大切な意味が含まれる。
      律すると奏でる。
      鼻歌で何かクリエイトする?
      自分クイズみたいで面白いですね。

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