人生哲学

【検証結果】何も考えないと起きるのは幸せ│あることと引き換えに…

海外旅に出た時、「やろうと思ったことは何でもやる」と決めました。

その中の一つに、「幸せを知ろう」がありました。

私は考えすぎる癖があるため、思考を広げてグルグルしましたが何もわかりません。そんな時、「何も考えない人々」に出会いました。

共に生活をするとわかったのは、何も考えないと幸せになること。

そこで、一人で何も考えない生活を経験してみると、幸せになることの詳細がわかりました。

何も考えないと幸せになります。ですが、それだけでは終わらない幸せです。

ここでは、実体験の検証結果として、何も考えないと幸せになるのかどうかの詳細をお伝えします。

私は考え過ぎるほどの人間ですので、その上での結果報告になります。同じように考える方や、何も考えないことを望む方に何かご参考となれば幸いです。

何も考えないと幸せなのか?

何も考えない生活は幸せ

旅するためにはお金が必要ですので、資金繰りにはたいへん頭を使います。

お金を集める時には働きます。海外という頼れる状況がないなど、自分で仕事を作って働く場合にはさまざまに考え、常に試行錯誤します。

「何も考えないで生きてみたい」と思った私は、少し資金に余裕を作ってから、メキシコのある山奥の村にこもることにしました。

実際に生活を始めると暇な時間がとても多く、「何しようかな?」と早速考えてしまいます。

何も考えないとは難しいことで、考える癖ができていればいるほどに困難。瞑想を続けて何も考えない状態を恒常化していきます。

今に集中し、徐々に始まりました、何も考えない生活。

 

何も考えないと幸せになる

太陽を浴びられると嬉しく感じ、温かい感覚と心地良い気持ち、解放的に味わえるリアルな認識を最大限体感していきます。

空気の細部まで感じるようになり、大気の温度は部分部分で違い、風の強さや当たり具合や流れる方向の違いから、風の種類や形の体感など、これまで知らなかった認識が増えていきます。

一輪の花を観ると、美術館の全ての作品を観る以上に時間を掛けるほどの価値を感じます。

何も考えない生活は極上と言えるほどの嬉しい認識、クリアな見方、今を謳歌する時間がありました。

まるで、高級料亭では一つ一つを噛みしめて味わう時のように、本来見過ごしている抵抗が一切なくなった集中状態では自分が解放されていきます。

抵抗のない自分の在り方となり、一つの花から関わる人から、何から何まで敬いを持って接します。他を尊重し、自らも尊重する人間性が出て来ます。

何とも心地良い状態。明確に思いました、「幸せだ」と。

 

何も考えないことができないと辛い

幸せを味わい続けましたが、そうなる前は少し辛い時間でした。

何も考えないと、することはほとんど何もありません。

本をただ読めばいいのですが、元々考える癖があると、「これはこういう意味かな?」「著者の表現したい真意はこうかもしれない」「この表現面白い」「どう思ってこの話を書いたんだろう?」といろいろ考えてしまいます。

試しに何も考えずに読んでみても、字体の奇妙さに魅了され、「“福”という字は余裕があり…」と思考が出て来ます。

それでも何も考えずに読んでみると、読んだ達成感や満足感はあるのですが、一体どんな話だったのか、とんでもなくおおまかにしか説明できず、頭に残っていません。
「もはや読んでいないのでは?」と自問するほどです。

何も考えない場合、意味を求めてはなりませんでした。

すると、やることはほとんどなくなり、散歩して、ご飯作って、ボーッとして、花や虫や景色に見入って、寝る。

「なんだこの日々は?」と思ってはなりませんでした。

何も考えないとは難しく、意味を求め、過去を思い出し、未来を予測しと、記憶を巡り始める思考は、なかなか止まりません。

考えを止められないと止めようとします。まるで無理矢理に自分を抑え付けるような行為を続けると、幸せとは真逆、辛く苦しい時間になります。

 

何も考えないと幸せになる理由

何も考えない生活を経験するとわかったのは、考える行為とは喜びを作る以上に、苦しみを解消する効果があることです。

ポジティブになるのではなく、ネガティブにならないようにできる意味です。

不安や恐怖を多く内包すればするほどに考える行為は利益になり、目的や動機ができるために考えるのをやめるのが困難になります。

もう一つわかったのは、考える行為にて不安や恐怖を作っていることです。

何も考えないと、不安や恐怖が出てくる隙間がありません。

不安や恐怖は、考えるという記憶を巡る行為によって認識する脳の産物。頭(記憶)の中に入ろうとしなければ、過去の出来事や感情を巡ろうとしなければ、幸せを邪魔するものがなくなります。

これを基盤に今を認識し、思ったことはそのまま吐き出し、感情はそのまま表現し、起きたことをそのまま感じると、自分の中での抑制や我慢や誤魔化しによる企みなど、自らに反発を作る様が皆無になります。

在りたいように、したいように、なりたいように。今目の前にある物事を認識し、自分という存在が作られ、何かを感じ、幸せを追加していきます。

 

何も考えないで幸せになるためには肉体が重要

何も考えないと、「幸せになる準備完了」という状態になります。まだ幸せではありません。

ここに、「私は喜ぶよ」という決意が必要です。

何も考えずに生活していると、認識する情報のほぼ全てが体感です。

不安や恐怖など幸せの障害や抵抗がなくても、「あー寒い」となれば、ただ苦しみました。

感度が高まり、肉体がどう反応するかによって良い悪いが極端に変わり、単純に温かい陽気だと心地良くて最高に幸せ。寒いと辛くて最低ラインまで落ちます。

本当に極端です。

喜ぶ気があるのは自らを敬う状態。何も考えないと不安や恐怖のなさから安心感を抱き、余裕が生まれて自他を敬う様に自然となります。寒ければ温まろうと火を焚いて過ごし、「はぁ~ナニコレ~」と溶けるほど幸せ。

この気持ちに対する抵抗がないので、自分次第でもっと喜ぼう、もっと幸せになろうと思えばさらに幸せになっていきます。

より幸せになろうとする際には、肉体が喜ぶことが重要になります。

寒くない、暑くない、暖かい、過ごしやすい、おいしい、快楽、気持ちいい、満たされる、ご褒美、納得、幸福ホルモン…。

寒いより暖かい場所、まずいよりおいしい物がある地域、作るより既にある風土、ルールより自由がある環境。

できるだけ何も手を加えず、考える必要なく肉体が喜ぶ環境があると、何も考えないからこそ幸せになります。

※何も考えないとうまくいく詳細は、【考えないに潜む適当さ】何も考えない方がうまくいく仕組みと秘密 をどうぞ。

 

何も考えない人々

「何も考えない」には別の捉え方があります。

「今に集中する」

今この瞬間にフォーカスすると、感覚や感情や想いの体感感受に意識が向くため、思考できません。

思考とは頭の中に潜るように入り、過去の記憶を材料として、今この瞬間の時間を使用する記憶巡りや組み合わせ行為です。

何も考えない人は、今を使用して過去に向かう時間が少ない人と言えるかもしれません。

私が海外を旅していた際、何も考えない人々はたくさんいましたが、「これ以上はない」と思ったのはバヌアツ共和国の人々でした。

南米やアフリカの人々も考えない傾向がありましたが、考える時と考えない時を明確に分けており、バヌアツの人々は考えない時間がほとんどでした。

仕事をしていても目の前の会話に集中し、常に笑います。感情を抑えず、喜び、楽しみ、今どんな感情で、どんな感覚なのかが傍目からわかるほどに今を生きます。

仕事の失敗をしても気にしません。みんなで笑い合って終わり。

「今日のご飯は何にしようかな?」なんて考えません。家にある物を食べ、今食べたければ今目の前にある物を食べます。

会話に難しい内容はなく、今感じること、目の前で起きたことを表現し、ふざけ合い、誰かと楽しもうとします。蝶が飛んでいるとそれに集中し、考えずに感じます。

自分の見方を押し付けずに認識する様があり、他をそのままに見て、「この人はこうだろう」「あなたはこうするべきだ」「きっとこう思っているだろう」という決め付けや押し付けを全くしません。

不安や恐怖にあらがう自分自身への抵抗がなく、自分への固執や執着のない様がありました。

このことから、何も考えない人の人間性には特徴的な様が表れます。

「自分のみにフォーカスしない」
「他も含めた上で自分を成り立たせている」

何も考えない人は[自分+他=自分]という認識。今に集中すればするほどに、[自分]という認識に固執がなく、我がありません。

他への敬いや調和を当たり前として、「みんなで一つ」という概念が自然とあり、共有して一緒に楽しもうとします。

「これが私」「自分自分」という自分の存在認知への手放しがあり、物事に執着せず不安や恐怖がない、生きている時間がマインドフルネス状態になっています。

何も考えない人とは不安や恐怖を抱く要因がない人です。

※幸せそうな人の話は、人生楽しそうな人と出会ってわかること│特徴に表れる楽しむ生き方 をご覧ください。

 

何も考えないと幸せになるのか 結論

何も考えないと幸せになるけど…

考えすぎる人間が何も考えない生活をした結果、幸せになりました。

何も考えない幸せは感覚的な幸福であり、肉体と心による賜物。とてつもない幸せの感受があり、ポカポカと心地良くて一生包まれていたい気持ちになります。

何も考える必要がないほどに解放的で安心感があり、不安と恐怖のない様は一切抵抗なく身を委ねられ、成すがまま成されるがままに幸せになる体感すらあります。

どこまでも幸福感があり、さらに他者との調和や共有にて喜びが広がっていきます。

ですが、幸せを得ると同時にあることが引き換えの等価交換。条件がありました。

「辛くなれない」

不安や恐怖が一切ないため、困ることも苦しむこともなくなります。

これはもう最高かもしれませんが、成長が止まる可能性があります。

何も考えないと、成長と引き換えに幸せを得る。

退化か成長ストップか成長減速かは人それぞれに変わります。共通して起きるのは、成長に対する向上心や努力が緩まることです。

失敗があるから、苦しみがあるから、辛いからこそ、自らを高め、学び、勉強し、経験し、努力し、成長する力になります。

成長しようと思う動機やきっかけ作りにもなり、躍進的に自分次第で飛び立つ材料が、不安や恐怖だと思います。

幸せであることはとても素敵だと思います。それが良いのか悪いのかは人それぞれにあると気づけたのが、何も考えない生活です。

物事を考える人は不安や恐怖が好きなのかもしれません。それは思考的な好きではなく、自分にとって大切なものという真意。

何も考えない人は幸せの幅広さを教えてくれる存在です。

※何も考えない方法の話は、考え事が止まらない時におすすめ│何も考えない方法はフォーカスのめり込み をご覧ください。

考え事が止まらない時におすすめ│何も考えない方法はフォーカスのめり込み頭の中の自分は今日も何かを考え続ける。 考えが止まらず疲れてしまい、ブドウ糖を一舐めするように休息。 「そういえば将棋棋士は...

 

考えるからこその幸せもある

何も考えない生活での検証結果として最も大きな気づきは、「幸せ」とは幅広いものだと知れたことです。

幸せとはポジティブや喜びにフォーカスしたものだけではないと思います。

肉体と心の「感じ」による幸せに、思考を追加したいと思えたのが、何も考えない経験からの気づきです。

肉体と心があり、さらに脳の思考もあるのが私達人間。不安や恐怖によって得られるのは成長であり、弱さを知ることでの強さ、より自己理解を幅広く深める育みです。

心地良い環境も素敵であり、心地悪い環境も大切な人間の育みとなり、どちらでもない環境にも重要な気づきがあり、何もかもに意味があります。

何も考えないことでの幸せは本当に幸福感に満たされます。そこに思考を追加すると、どんなことでも自分にとって必要でかけがえのない記憶(経験)だと認識できます。

私はこの幸せを求めます。

肉体と心と脳の三位一体、感覚と感情と思考が組み合わさった幸せは、あらゆることを本気で経験し続け、最後死ぬ時に味わうのではないかと思います。

死ぬ間際か死んだ後かはわかりませんが、これまでの人生を振り返る時に全身で味わう幸せ。

私達は体感でも思考でも、全ては記憶となって意識に内在されます。

自分とは、記憶と今この瞬間の認識にて作られ、「今」と共に、「人生」という見方も大事な存在です。

考えることも考えないことも、共に必要な人間味。

考える人は考えることに目的があり、欲があるため、「考えることも追加する幸せを知れた」という検証結果でした。

※何も考えない人の詳細は、何も考えない人の全く異なるタイプと特徴│一変する考えない末路 をご覧ください。

何も考えない人の全く異なるタイプと特徴│一変する考えない末路何も考えない人を羨ましく思ったり、思わなかったり。 何も考えないことへの印象が変わる要因の一つに、タイプがあります。 タイプ...

 

何も考えないと幸せ まとめ

確実に約束された幸せがある、何も考えない様。

何も考えないことができるかできないかは大きな壁になり、日常マインドフルネスのバヌアツ最強説をここに提唱します。

「するとブータン王国は?」と気になる内情。生きている間は瞑想中という、今の認識から自分の内側の意識へ向かう日常があるのかもしれません。気になるところです。

私は走馬灯を三回体験したことがあるのですが、過去の記憶を網羅するように巡り行く状態に時間の概念はないと理解しています。

死ぬ間際に何がどうなるのかはわかりませんが、脳科学の研究でも知られる、脳の中心(松果体)から大量の幸福ホルモンが放出される状態は、考える行為と同じように一度脳内記憶に入り、時間の概念がない状態がもたらされるのかもしれません。

「人生」というスパンで認識した時に、できることをとにかく行動し続け、経験できるだけ経験し、考えられるだけ考え、考えないだけ考えない記憶があればいいなと。

この状態がさらに幸せを作り、この記憶も追加されて脳内も心身も「幸福幸福」で満たされると良い塩梅ですね。

何も考えない経験の検証結果が、考えるか考えないかの自分らしさとして、プラスの意味付けが成されることを願います。

それでは、固定観念を解き、幸せを教えてくれるバヌアツは良い国という話でした。

ぜひ何も考えない時間を取り入れていきましょう。

まずはお昼寝からですね。

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POSTED COMMENT

  1. Pikopiko より:

    いやいや…また読んでたらお昼寝しちゃいました。「私はこの幸せを求めます。」というフレーズを見た瞬間、そうなんだ、という深いシンクロ?から涙が溢れました。常に考えすぎる癖があり苦しみを作り出している認識を持っていましたが、最近はこれも自分が好きでやっているのだと思えていました。人生や、真理を知りたいという様な興味から来ているのかな、と思っていました。 因みに、2回ほどこれは死ぬかもな、と思った瞬間が有りましたが、走馬灯は見たことが無く興味があります。限界具合が足りなかったのでしょうか笑 

    ありがとうございます(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”⭐︎

    • 北斗 より:

      Pikoさん、さすが。あの部分は書いていて気持ちが入った部分。波動というやつです。
      走馬灯の発動条件は謎ですね。脳にピュンって入るんでしょう、きっと。

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