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【検証結果】何も考えないと幸せになる理由4選「引き換えに…」

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海外を旅している際、「何も考えない人々」に出会いました。

共に生活をするとわかったのは、何も考えないと幸せになること。

そこで、一人で何も考えない生活を経験してみると、幸せになる理由がわかりました。

何も考えないと幸せになります。ですが、それだけでは終わりません。

ここでは、実体験の検証結果として、何も考えないと幸せになるのかどうかの詳細をお伝えします。

  • 何も考えないと幸せになる理由を知りたい
  • 何も考えないことの本質を考えたい

私は考え過ぎるほどの人間なので、同じように考える方や何も考えないことを望む方へご参考になれば幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

何も考えないと幸せなのか?

体験談:何も考えない生活を実施

旅するためにはお金が必要ですので、資金繰りにはたいへん頭を使います。

お金を集める時には働きます。海外という頼れる状況がないなど、自分で仕事を作って働く場合にはさまざまに考え、常に試行錯誤します。

なんでも
なんでも
「何も考えないで生きてみたい」と思った私は、少し資金に余裕を作ってから、メキシコのある山奥の村にこもることにしました。

実際に生活を始めると暇な時間がとても多く、「何しようかな?」と早速考えてしまいます。

何も考えないとは難しいことで、考える癖ができていればいるほどに困難。

瞑想を続けて何も考えない状態を恒常化していきます。

今に集中。

徐々に始まりました、何も考えない生活。

 

早速感じる、「何も考えないと幸せだなぁ」

なんでも
なんでも
太陽を浴びられると嬉しく感じ、温かい感覚と心地良い気持ち、解放的に味わえるリアルな認識を最大限体感していきます。

空気の細部まで感じるようになり、大気の温度は部分部分で違い、風の強さや当たり具合や流れる方向の違いから、風の種類や形の体感など、これまで知らなかった認識が増えていきます。

一輪の花を観ると、美術館の全ての作品を観る以上に時間を掛けるほどの価値を感じます。

何も考えない生活は極上と言えるほどの嬉しい認識、クリアな見方、今を謳歌する時間がありました。

まるで、高級料亭で一つ一つを噛みしめて味わう時のように、本来見過ごしている抵抗が一切なくなった集中状態

抵抗のない自分の在り方となり、一つの花から関わる人から、何から何まで敬いを持って接します。

他を尊重し、自らも尊重する人間性が出て来ます。

何とも心地良い状態。

明確に思いました、「幸せだ」

 

何も考えないと幸せになる理由①:今を生きられる

幸せになる理由の一つ目は、「今ここ」へのフォーカスが強まるため。

思考とは今を使って過去or未来へ行く行為、これがないとシンプルに「今」しかありません。

今を生きることができます。

なんでも
なんでも
今を生きると大きく三つの道があります。
  1. 感受機能が高まる
  2. 無感情になる
  3. 無の境地に入る

思考なく②無感情になる動機はありませんし、③無の境地は難しいので、何も考えないと自然に①感じまくることになります。

例えば、ご飯を食べている時には自分と食べ物のタイマン、一口一口しっかり味わいます。

もっと味わいたい気持ちが出てくるのでしっかり噛み、しっかり食事と向き合うようになります。

一つ一つの感覚(そこにあるリアリティ)を見逃さない、見逃したくないので、丁寧な生活ができていきます。

今を生きることは目の前の関わりをしっかり味わうことであり、噛み締めることであり、無駄や疎かな言動がなくなり、真っ向から向き合う真摯なスタンスができていきます。

今を生きられる何も考えない生活は、とても幸せな気持ちを感じられます。

 

何も考えないと幸せになる理由②:不安と恐怖が作られない

なんでも
なんでも
何も考えない生活をしてわかったのは、喜びや嬉しさといったポジティブな感受を邪魔するものがないこと。

何も考えないと幸せになる理由の二つ目は、喜びを邪魔する思考がなくなるため。

何も考えないと、不安や恐怖を作り出すことができません。

外的に危険分子が襲ってくる(例えばサソリが山小屋の中にいっぱいいる)懸念があると、「刺されるんじゃないか?」なんて考えてしまうので不安を作ってしまいます。

しかし何も考えないとは、「あーサソリだー、かっけー」「もう眠いから眠ろう、グースカピー」

全く怖くも何にもありません。

喜びに対する邪魔や排他要素を生み出す隙間がない、という感じです。

この状態が基盤で、さらに今を認識し、思ったことはそのまま吐き出し、感情はそのまま表現し、起きたことをそのまま感じると、自分の中での抑制や我慢や誤魔化しによる企みなど、自らに反発を作る様が皆無になります。

在りたいように、したいように、なりたいように。

今目の前にある物事をそのまま捉え、自分という存在が作られ、何かを感じ、幸せはどんどん追加されていきます。

 

何も考えないと幸せになる理由③:切り替えが最速

なんでも
なんでも
何も考えないで生活した後に思い返すと明確なのは、嫌なことがあっても嫌なこととして留めていない在り方です。

気にしない

何も考えないと幸せになる理由三つ目は、切り替えの早さにて一つに留まらないため。

正確には、嫌なことがあっても嫌なこととして留められないのが何も考えない状態です

例えば、山道を歩いている時にピッと足を切ります。

何も考えていないのでサンダルで険しい山を進み、切り傷だらけ。

「痛っ、ありゃ、血じゃ、くーっ!」

痛みの感受も強い、ドクドク感じる、けれども次の瞬間には、「あー、鳥だ!綺麗だなぁ」

足を切ったことを本当に忘れたかのように目の前のことに集中しています

「留める」ことが難しく、次から次へとサーッと流れる川水のように出来事も気持ちも過ぎ去っていきます。

何も考えていない状態は忘れやすくなりますが、後から考えて思い出せば記憶は鮮明に残っており、経験した記憶を新鮮なまま冷凍保存しているような気分です。

切り替えの早さにて嫌なことやネガティブに留まらなくなり、すぐに喜びや目の前の出来事、そして自分の求める状態に切り替えられるので幸せになりやすいです。

 

何も考えないと幸せになる理由④:幸福の基準が撤廃

なんでも
なんでも
特に幸せになる理由としてお伝えしたいのは、自分の中の幸福度を決める基準が撤廃されることです。

何も考えないと幸福の基準がそもそも撤廃され、「今、目の前のこと、自分、気持ち」をどれだけ受け入れるかがリアリティを作ります。

何も考えないと妄想や空想、予測や予想といった疑似現実がないので、あるのはシンプルにリアルな感受だけ。

天気が晴れていたら幸せ、雨で寒かったら不幸せにはならず、ただ晴れでも雨でも空気を吸って感覚や気持ちを感じ、自分と環境(自分以外の他)との繋がりを作るか否かの意志と選択だけです。

在り方も生活も向き合いも何もかもがシンプルになり、人間の基本的欲求に基づいた生活が自然と進みます。

お腹が空いたらご飯を食べ、寒ければ服を着て、暗くなれば眠る。

生きていること、健康的に気持ちを感じられることを認知し、心が清々しくなります。

そこには幸せかどうかの物差しすらなく、ただ目の前と自分のリアルを感じて終わり。

リアリティに対する評価も判断も、周囲の目を気にする概念もなく、残った気持ちだけを感じます。

ハァー、ご飯美味しい。

ハァー、空気が綺麗。

ハァー、人が優しい。

ハァー、陽が温かい。

ハァー、星が美しい。

幸せです。

 

別体験:何も考えないバヌアツの人々

「何も考えない」には別の捉え方があります。

「今に集中する」

今この瞬間にフォーカスすると、感覚や感情や想いの体感感受に意識が向くため、思考できません。

思考とは頭の中に潜るように入り、過去の記憶を材料として、今この瞬間の時間を使用する記憶巡りや組み合わせ行為です。

何も考えない人は、今を使用して過去に向かう時間が少ない人と言えるかもしれません。

なんでも
なんでも
私が海外を旅していた際、何も考えない人々はたくさんいましたが、「これ以上はない」と思ったのはバヌアツ共和国の人々でした。

南米やアフリカの人々も考えない傾向がありましたが、考える時と考えない時を明確に分けており、バヌアツの人々は考えない時間がほとんどでした。

仕事をしていても目の前の会話に集中し、常に笑います。感情を抑えず、喜び、楽しみ、今どんな感情で、どんな感覚なのかが傍目からわかるほどに今を生きます。

仕事の失敗をしても気にしない、みんなで笑い合って終わり。

「今日のご飯は何にしようかな?」なんて考えません。家にある物を食べ、今食べたければ今目の前にある物を食べます。

会話に難しい内容はなく、今感じること、目の前で起きたことを表現し、ふざけ合い、誰かと楽しもうとします。

蝶が飛んでいるとそれに集中し、考えずに感じます。

自分の見方を押し付けずに認識する様があり、他をそのままに見て、「この人はこうだろう」「あなたはこうするべきだ」「きっとこう思っているだろう」を全くしません。

不安や恐怖にあらがう自分自身への抵抗がなく、自分への固執や執着のない様がありました。

このことから、何も考えない人の人間性には特徴的な様が表れます。

「自分のみにフォーカスしない」
「他も含めた上で自分を成り立たせている」

何も考えない人は[自分+他=自分]という認識。今に集中すればするほどに、[自分]という認識に固執がなく、我がありません。

他への敬いや調和を当たり前として、「みんなで一つ」という概念が自然とあり、共有して一緒に楽しもうとします。

「これが私」「自分自分」という自分の存在認知への手放しがあり、物事に執着せず不安や恐怖がない、生きている時間がマインドフルネス状態になっています。

何も考えない人とは不安や恐怖を抱く要因がない人です。

 

結論:何も考えないと幸せになる(条件付きで)

条件①:何も考えないと幸せになるけど…

考えすぎる人間が何も考えない生活をした結果、幸せになりました。

なんでも
なんでも

ですが、幸せを得ると同時にあることが引き換えの等価交換、条件がありました。

成長できなくなります。

要因は、「辛くなれない」

不安や恐怖が一切ないため、困ることも苦しむこともなくなります。

これはもう最高かもしれませんが、成長が止まる可能性があります。

何も考えないと、成長と引き換えに幸せを得る条件がある、という考えです。

退化か成長ストップか成長減速かは人それぞれに変わります。共通して起きるのは、成長に対する向上心や努力が緩まることです。

失敗があるから、苦しみがあるから、辛いからこそ、自らを高め、学び、勉強し、経験し、努力し、成長する力になります。

成長しようと思う動機やきっかけ作りにもなり、躍進的に自分次第で飛び立つ材料が、不安や恐怖だと思います。

幸せであることはとても素敵だと思います。

それが良いのか悪いのかは人それぞれだと気づけたのが、何も考えない生活です。

 

条件②:同じような人々限定or孤独

なんでも
なんでも
もう一つ重要な条件は環境です。

同じように何も考えない人同士の集まり、または孤独になる必要があります。

似たタイプ同士の集まりor一人での生活。
※動物や虫や植物との共存などはOK、考えることが少ない状況を意味します

この環境になった時、何も考えないことは究極的に気楽、完全なるノーストレスになり、毎日を遊んで生きることができます。

しかし、そういった環境がない、孤独の抗体がないと、幸せは遠のきます。

何も考えないと他者への配慮と考慮ができなくなる可能性が高まります。

シンプルに自分に従い、感情と欲望のままに生きる幸せがありながら、他者と関わる際に迷惑やトラブルが起こりやすくなります。

共存生活を選ぶ場合、考えることは必須です。

さもなくば支配的・排他的になり、我を貫くために主義主張、押し付け、頑固一徹、自己への執着が強くなり、幸せとは程遠くなってしまいます。

共存環境ではルールや規律があるので、何も考えないことは「当たり前」という無自覚を増やす思考停止他に従って何も疑問を抱かなくなる可能性もあり、気づいたら老人になっている浦島太郎状態になりかねません。

そのため、何も考えない(=気にしない)人同士の集まりに限定するか、一人を謳歌する条件を要します。

ただ、浦島太郎でも孤独を謳歌できれば全く話は変わります。

最高です。

 

考えるからこその幸せもある

なんでも
なんでも
何も考えない生活での検証結果として最も大きな気づきは、「幸せ」とは幅広いものだと知れたことです。

幸せとはポジティブや喜びにフォーカスしたものだけではないと思います。

肉体と心の「感じ」による幸せに、思考を追加したいと思えたのが、何も考えない経験からの気づきです。

肉体と心があり、さらに脳の思考もあるのが私達人間。不安や恐怖によって得られるのは成長であり、弱さを知ることでの強さ、より自己理解を幅広く深める育みです。

心地良い環境も素敵であり、心地悪い環境も大切な人間の育みとなり、どちらでもない環境にも重要な気づきがあり、何もかもに意味があります。

何も考えないことでの幸せは本当に幸福感に満たされながら、限定的であり条件を要するので自由度が低い一面もあります。

そこに思考を追加すると、どんなことでも自分にとって必要でかけがえのない記憶(経験)だと認識でき、「辛いことを乗り越えた先に待っているものがある」と捉えられます。

私はこの幸せを求めます。

肉体と心と脳の三位一体、感覚と感情と思考が組み合わさった幸せは、あらゆることを本気で経験し続け、最後死ぬ時に味わうのではないかと思います。

死ぬ間際か死んだ後かはわかりませんが、これまでの人生を振り返る時に全身で味わう幸せ。

私達は体感でも思考でも、全ては記憶となって意識に内在されます。

自分とは、記憶と今この瞬間の認識にて作られ、「今」と共に、「人生」という見方も大事な存在です。

考えることも考えないことも、共に必要な人間味。

考える人は考えることに目的があり、欲があるため、「考えることも追加する幸せを知れた」という検証結果でした。

 

何も考えないと幸せ まとめ

確実に約束された幸せがある、何も考えない様。

何も考えないことができるかできないかは大きな壁になり、日常マインドフルネスのバヌアツ最強説をここに提唱します。

「するとブータン王国は?」と気になる内情。生きている間は瞑想中という、今の認識から自分の内側の意識へ向かう日常があるのかもしれません。気になるところです。

私は走馬灯を三回体験したことがあるのですが、過去の記憶を網羅するように巡り行く状態に時間の概念はないと理解しています。

死ぬ間際に何がどうなるのかはわかりませんが、脳科学の研究でも知られる、脳の中心(松果体)から大量の幸福ホルモンが放出される状態は、考える行為と同じように一度脳内記憶に入り、時間の概念がない状態がもたらされるのかもしれません。

「人生」というスパンで認識した時に、できることをとにかく行動し続け、経験できるだけ経験し、考えられるだけ考え、考えないだけ考えない記憶があればいいなと。

この状態がさらに幸せを作り、この記憶も追加されて脳内も心身も「幸福幸福」で満たされると良い塩梅ですね。

何も考えない経験の検証結果が、考えるか考えないかの自分らしさとして、プラスの意味付けが成されることを願います。

幸せを教えてくれるバヌアツは良い国というお話でした。

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誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. Pikopiko より:

    いやいや…また読んでたらお昼寝しちゃいました。「私はこの幸せを求めます。」というフレーズを見た瞬間、そうなんだ、という深いシンクロ?から涙が溢れました。常に考えすぎる癖があり苦しみを作り出している認識を持っていましたが、最近はこれも自分が好きでやっているのだと思えていました。人生や、真理を知りたいという様な興味から来ているのかな、と思っていました。 因みに、2回ほどこれは死ぬかもな、と思った瞬間が有りましたが、走馬灯は見たことが無く興味があります。限界具合が足りなかったのでしょうか笑 

    ありがとうございます(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”⭐︎

    • 北斗 より:

      Pikoさん、さすが。あの部分は書いていて気持ちが入った部分。波動というやつです。
      走馬灯の発動条件は謎ですね。脳にピュンって入るんでしょう、きっと。

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