方法

楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分

楽しいことだけ考えて生きられれば、どれほど気楽で素敵なものか。

「それができたらねぇ」と過去の私は常々言っていました。

ましてや、“楽しいことだけ考える”…だけ?!

「いやぁ、これは不可能では」と思いそうです。

ですが、楽しみたい時だけ楽しむことができることを知った時、“楽しい”の意味がわかりました。

何が楽しいのかわからずに、なすがまま、なされるがままに楽しいことを見つけていましたが、気付いたことは楽しさを知るには楽しいの意味と見つける場所を明確にする必要があることでした。

楽しいことを見つけるトラップや楽しいの種類があることから、楽しいことがわからないのは当たり前かもしれません。

ここで楽しいことの意味を知り、楽しいことを見つける方法にて楽しみの循環を作りましょう。

楽しいことがわからない

楽しいことがわからないとは

「クラブでダンス、フォーフォー、イエー!!」

最高ですね。ん?そうでもない?

えぇ、こんなもん何も楽しくないですよ。

これを楽しめる人はダンスが得意か好きかだと思います。

「はい、このクラブお酒ありません。あと、おじさんしかいません」と入口で言われればどうするか。

おじさん好きとダンス好きに絞られ、それ以外の人は楽しめないから来ない。

ダンスが得意な人は見せびらかしたい目的もあるでしょうから、他に人がいなければ来ないかも。さらに、お酒がなければ踊っててもつまらない人も多くいると思います。

クラブはあくまで一つの例ですが、同じ環境でも楽しみが急変するのはなぜでしょうか?

自分に喜びがないからです。

 

楽しむ人は自分の目的が明確

お酒があるから、解放できるから、人と出会えるから、承認欲求を満たせるから、時間を潰せるから、楽しくないと思う時間をなくせるからなど、人それぞれの自分の目的が果たせる環境や状況があるから、楽しみを求めて行動や思考をします。

その目的が“自分の喜び”です。

楽しむのは自分の喜びのため
※自分の喜びが明確でないと、楽しみがわからない

目的が明確であれば楽しむことができます。しかし、その目的がなければ初めから楽しみがないことを知っているから入店すらしません。

言い方を変えると、人や場所や設備など、自分の外側にある周囲の環境次第で楽しくなったり楽しくなくなったりが決まるということです。

自分と外部環境とのマッチングを理解して、どれが自分に合って、どれが自分に合わないかの区分けがはっきりしています。

 

楽しいことがわからないのは自分の喜びが明確ではないから

何が自分の喜びかがわからないと、楽しいことがわからないのは当然になります。

それは、自分のしたいことや好きなことがわからないのと同じです。

自分の喜びとは人それぞれに千差万別です。

楽しいことや嬉しいこと以外にも、悲しくならないことや恐怖を味わわないことも喜びで、人によっては悲しくて憐れなことを求めて自己憐憫となり、承認欲求を満たす喜びなどさまざまです。

楽しいことがわからない人には特徴があります。

自分の外側の環境を見て、喜びを探していることです。

上記のクラブの例ですと、クラブで踊りたいから来て楽しんでいる人と、「おじさんしか居ないよ」と言われて帰る人とでは、楽しいの意味も、楽しむための自分の喜びも全く違うものです。

そこに、楽しいことがわからないのは当たり前である理解があります。

 

楽しいの意味

楽しいの意味を紐解くと、楽しみを探す矛先や自分の喜びを知る手がかりになります。

意味を調べるとこのようになっています。

楽しいとは

満ち足りていて、愉快な気持ちである。「毎日を―・く過ごす」「テンポのよい―・い曲」「―・いピクニック」

引用 コトバンク

満足して、愉快な気持ちがある状態を楽しいと言います。

楽しいには“愉しい”という言葉もあり、仏教から来ている言葉でもあるそうです。

仏教にて表す言葉であることと、字を見ることで、意味が紐解けます。

あくまで私の意見ですが、愉快という表現は心が躍るような、「ほっほ、愉快じゃ愉快じゃ」という白髭が楽しそうなイメージがあります。

白髭かどうかは完全にどうでもいいのですが、【愉快】には、「心が軽やか」という意味があり、字にはりっしんべん(心)が共にあります。

仏教にあるブッダの考えは、人間真理となる心や魂としてのものであることを考えると、「心が軽く、愉快で楽しい」という意味にポイントがありそうです。

 

楽しいと愉しいの違い

字の中に“心”が入っているかいないかの違いがあることから、楽しいと愉しいの違いは、自分の意志があるか否かと考えられます。

意志とは心であり魂のことです。それは自分らしさを表現する源として、自分そのものです。

スピリチュアルに考えると、意志は魂の記憶をそのまま反映させた自分そのもののことで、そこには潜在意識と超意識というワンネス認知の基となる記憶情報があります。

意志は心にあることから、楽しいと思うことはできず、感じることができます。

心と言うとわかりにくいかもしれませんが、意志とは赤ん坊の姿そのものです。自我意識のない状態でも、感じるまま想うままに行動している根底に心があります。

意志でなければ楽しいと思うことができます。それは脳の思考による認識という意味です。

すると、楽しいと愉しいの違いは、脳か心と考えられます。

  • 楽しいと思う・・・脳が認識して楽しいと判断した結果
  • 愉しいと感じる・・・心にて楽しいと認識した結果

どちらも楽しいことには変わりないが、自分の意志として楽しいのかどうかの違いがある

楽しいと愉しいの違いからわかるのは、外部の環境や他者によって楽しさをもらっているのか、自分自身によって愉しい気持ちを生み出しているのかの違いがあります。

  • 周囲の環境にて楽しくなれる材料をもらって楽しいと思う
  • 自分自身にて楽しくなる状態を生み出して愉しいと感じる

楽しいに種類があることで、楽しいことがわからない理由が判明します。

 

楽しいことがわからない理由

楽しいことがわからないのは、自分の意志を持って周囲の環境を見ているからです。

これは、矛盾になります。

周囲に目を向けて楽しくなろうとする場合、思考的に楽しいと思う必要があるので、意志は必要ありません。というか邪魔です。

意志に見合わないことで、「これのどこが楽しいの?」と感じてしまい、一度感じたらもう無理です。我慢してやることになるので、嫌いになっちゃいます。

意志ではなく、思考的に楽しいと思う場合にはインプットが情報が必要です。

「クラブで踊り、お酒も少し飲んで、ほろ酔い気分で踊ってストレス発散。人との出会いもあって一石二鳥」

これを、“良いこと”と認識するプログラミングが必要です。何度も言いますが、意志があったらダメです。

「そういうものなんだ、これは最高じゃないか、ねぇ私よ」と入れ込みます。

もう承知のことかもしれませんが、楽しいことがわからない人は、思考的に楽しいと思う意味がわからないんです。楽しくないんです、心は。

無理矢理思い込もうとしたって、それは自分がなくなっちゃいますから、自分を消すようなことをする謎行為はしません。

楽しいことがわからない人は自分の意志が強いんです。

楽しいことがわからない理由 :

意志が強いために、思考的にみんなが楽しいことを“喜び”と思い込めない

意志があると、“喜び”は“自分の喜び”にて認識します。すると、「これは楽しいものだ」「当然、これは喜びでしょ」という共通認識や常識やルールは自分の喜びにはなりません。

※やりたいことがわからない話は、やりたいことがない、けどやりたくないことはある場合に知っておきたいこと をご覧ください。

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楽しいことがわからない人の特徴

自分の意志が強いことで、外部環境にて楽しみを見出そうとする場合には、楽しいとルール設定して思い込むことはできません。

そんな人は、“自分がない”、“心がない”、“人間じゃない”までは言わないですね。ですが、いろいろ言われることがあります。

楽しいことがわからない人の特徴は、否定的に言われることの全て正反対です。

楽しいことがわからない人の特徴
  1. 自分の意志が強い
  2. 自分を明確に認識している
  3. 個性が強い
  4. 自分への探求心がある
  5. 感覚と感性が鋭い
  6. 個の存在を尊重する
  7. クリエイティブ
  8. 押し付けへの嫌悪感強め

楽しいことがわからない人は、外部環境によって楽しみをもらうのではなく、自ら作り出す人です。

そのため、楽しいことを探す矛先は外側ではなく、自分の内側です。

個を尊重する認識があるために、喜びはもちろん自分にとっての喜びです。クラブに踊るために行っている人は、楽しいことがわからない人が楽しいことを見つけたパターンでして、実は同じにおいを醸し出しています。

心から楽しいことのみを楽しいと認識するので、楽しいことが見つかった暁には熱中します。

※心の声は楽しいことを知っているので、心の声に従うことの真意│実はどうでもいいそんな声の秘密。をご覧ください。

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楽しいことを見つける

ここからは私の例も含めて、楽しいことを見つける方法を見ていきましょう。

楽しいことを見つける際のトラップ

自分の意志が強いことを明確にすると、楽しいことを見つけることが容易になります。

楽しいことがないと、周囲からの目や反応が気になり、恐怖への対処として自分を誤魔化していくことがあるかもしれません。

すると、自分の意志が強いにも拘わらず自分を抑えつけて我慢や思い込みや決め付けをして、何とか楽しもうとしたりします。

それ、全部ポイポイポイッとゴミ箱にダンクシュートです。ドゴンッと入れてやりましょう。

楽しいことを見つけようとした過去を思い出してみてほしいのですが、楽しみの材料が周囲の環境によるものかどうかを確認してみてください。

  • 居酒屋にて友人とガヤガヤ
  • 旅行をして豪華な船みたいな魚のやつを旅館で食べる
  • 観光地に行って写真をパシャパシャ、後でなんたらブックにピッ
  • 著名人と出会って握手、その興奮を分かち合うためにカフェでペチャクチャ

外部環境にて楽しみがある場合、自分以外の人や場所や環境を主観にして、自分に喜びがあるかどうかの状態です。

外側か内側かを明確にするのは、自分が主観か他の出来事や環境や設備や人が主観かです。

この内側と外側を明確にする際には自分の意志を明確にする必要があります。

 

楽しいことの探し方が違うと矛盾が起きる

自分の意志が強い人は外側の他を主観にしません。

もし、遠慮とか謙遜とか、他の反応や評価を気にして自分の意志を引っ込めると違和感を感じてしまいます。
「えっ、私の人生でしょ?楽しいかどうかは私が決めるよ」と。

楽しみを外側に探す場合、“楽しみを作るのではなく、楽しみをもらう”という認識が必要です。

環境などの他に楽しみがあるかどうかなので、既に楽しいかどうかは決まっているようなものなんです。そこで自分の意志がありながら貫かず、謙遜や恐怖への対処で控え目になったり、それでいて意志をどこかで持っていると、矛盾にて違和感が起きます。

“自分を主観にするならする、しないならしない”と明確にしないと、「この豪華客船で何すればいいの?」と環境に身を置いて、与えられる喜びが自分に合っていないことで、「どこが楽しいねん」となります。

自分を理解することが大切で、意志があるならある、ないならないと自覚することで楽しみ方も楽しいと思うか感じるかも変わっていきます。

そこがトラップになり、楽しいことがみつかりにくい要因を作ります。

※好きなことがわからない話は、好きなことがわからない時│見つけようとしている自分を一旦ブン投げる をご覧ください。

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楽しいことの見つけ方 解説

楽しいことを見つけるのには二つの方法があり、字にて楽しいと愉しいが違うように、顕在意識と潜在意識を使用する違いがあります。

外側の楽しみは顕在意識を使用する

一つ目の見つけ方は顕在意識による方法です。

自分以外を主観にする場合、自分は二の次になります。環境を第一にして、その次に自分の喜びが来ます。

その環境と自分の喜びの間に、「休日、友人と旅行、うん良い感じ」とルール設定があります。

その認識は顕在意識を使用しています。

外側から楽しみをもらう探し方
  • 環境の認識 → 顕在意識 → 自分の喜び

「クラブ行こう」と言われて、「クラブならお酒も出会いも踊りもあり、ストレス発散できる」とルールの認識をして、いざ、「ヒャアッ!ホー!!」というイメージです。

顕在意識とは自覚して行動と思考をする意識のことで、自分が今認識できる記憶を使用して、自分の喜びを求めることができます。

 

内側の愉しみは潜在意識を使用する

二つ目の見つけ方は潜在意識を使用する方法です。

自分が主観になり、自分の世界にて物事を認識して楽しみを見出します。

そのため、常に自分の喜びを第一にして、外側の環境があっても無くてもどちらでも構いません。

自分がどう思い、どう感じ、どう想うかが全てで、その際には心の意志を中心点として楽しいかどうかがわかります。

潜在意識とは無意識で自覚のない行動や思考の意識なので、意識的に思考を働かせない状態が主体になります。

そのため、ルール設定や他の意見、社会性や常識などは一切必要ありません。

必要なのは、自分がどう感じるか、そして自分で作り出すということです。

カフェに行ってコーヒーを飲むことと、自分でコーヒー豆を買ってミルで削って、フィルターしてコーヒーを淹れて飲むことの違いのように、自分で作ります。

クラブに行って楽しくなければ、森の中に行って一人で踊ると愉しいかもしれません。

豪華客船に乗ってもスケジュールに合わせる必要はないので、途中の港で降りて、別の港に先回りのレースを始めたり、そのまま一生乗らずに思い出にしたりと、別の楽しみがあるかもしれません。

旅行に行った夕食の豪華な船魚に楽しみがなければ、近所の大衆食堂に行って地元食を食べると愉しいかもしれません。

ぬか漬けを作って、一人で日本酒と一緒に飲んで、夏の風を感じるのが愉しいかもしれません。

潜在意識を使用する場合には何も思考をしません。ただ、感じるままに心が想うままになるので、「~しなければ」というルールはなくなります。

フラフラ~と行動するイメージです。流れるように、自分の感じるままに行動や思考をすることで、自分の意志に沿った環境や出来事があり、あとは自分で楽しみを作るために、自分を完全に主観にします。

潜在意識は自分の意志が主観になることで、物事を感じる際に容易に楽しいか楽しくないかが区分けされます。

  • 自分の意志に沿ったものは心地良く感じる
  • 意志に沿っていないものは心地悪く感じる

※自分が受け入れられることか受け入れられないことかと同じ意味。

その感覚を基準にすることで、楽しいか楽しくないかがわかります。すると、日々の生活で、自分が何に対して楽しいと感じているかが少しずつわかってきます。

※楽しみの基は自己表現ですので、自己表現を絵でする、その心は?|娯楽か遊びである。をご覧ください。

自己表現の方法は絵がいいかな?|何でもいいけど表現する意味が大切「言葉で自分を表現できないので絵を描く」 私が絵描きとして個展や共展をする際に、良く聞く言葉です。 私はあまり絵の説明や意味...

 

楽しいことがわからない人の楽しみ方

最後に、楽しいことがわからない人にピッタリの楽しみ方をお伝えして終了します。

それは、自分で作る“創造性”を使用することです。

これまでもお伝えしましたが、自分で作ることが楽しいことを見つける方法です。何かを作り出すことで、全ては自分が主観になり意志を基に判断されます。

実際に作ってみるとわかるのですが、【何をするか、何が必要か】は楽しむ概念には存在しません。

そのため、物や環境が全くなくても楽しめ、必要なのは自分がいることだけです。

 

楽しむのが自分であるならば楽しみは自分で創る

楽しみを作る場合、それは“創る”という表現にもなります。

材料も物質も必要なく、自分の認識を変えることで創り出す創造世界です。

例えば、踊りが楽しくないと思う時に自分で創り出すのであれば、心が感じるままにします。

すると、クネクネダンスをした時に身体の味わったことのない感覚があり、「私ってこんな動きできるんだ?!」という驚きと共に楽しみが生まれます。

また、指をクネクネするだけでも、それを見ている視界が交錯してきて、「頭がクラクラするけど指は止めない、何だかクラゲのような、何だこれ?」と。

指のスピードを速めて動きを観察をしたり、指で自分の気持ちを表現したり、「これは何を表すか?」と形や結果を見出す楽しみも出てきます。

私はこのブログを書いていて、キーボードを叩く指を観察すると、頭の中をピアノで弾いて表現しているようになり、指の奇怪な動きと俊敏な軽やかさと、キーボードとのタッチ感を感じながら、「楽しいー、フォーフォー!」となったりします。

誰かに見られるのが嫌であれば、そこで環境を使用して、夜の田んぼの中で踊りまくるとか、誰もいない森の中で熱唱するとか、虫の動きを観察してまったり楽しんだり、お花さんの匂いを嗅ぎながら独り言のように話しかけたり、育てている野菜のトマトが日に日に大きくなっていく様を見て楽しんだり、いろいろと楽しい世界が広がります。

とにかく自分を主観にして、「自分の喜びは何か、何に対して心地良いと感じるか」を理解することが、楽しみがわからない特徴を持つ人の楽しみ方です。

“楽しみは自ら作る、創る”がキーワード
※作るとは手を加えて元々と違うものを生み出す
※創るとは何もないところに新しいものを生み出す

外部環境にて楽しみをもらうのではなく、自分で見出し生み出します。それは自分の意志を持っている人の生き方であり、他がどうとかではなく、自分を明確に持っているが故の楽しみ方です。

※自分の意志を明確にする話は、自分を取り戻す方法はあるのか?|ない、から作る。自分はここにいる をご覧ください。

 

ヒントは子供と老人

もし、楽しいことが見つからない場合、子供とジジババを見てください。

あの人達は楽しむことのプロです。自ら作り出すことのプロです。

とくに子供は自分という存在のみで楽しむ創造性を持ちます。ジジババは、そこに環境を活用して、「盆栽、パチ、うむ、楽しい」と自分の喜びを作ります。

そこには、自分の世界を使用して、意志を基に楽しいか楽しくないかを綺麗に区分けする在り方があり、楽しみを作り続けます。

赤ん坊は創造性による楽しみのプロ。子供やジジババは環境を含めて楽しみを作るプロという具合です。

自分がいればいくらでも楽しいことが見つかる基盤を私達は持ち、そこに環境を加えていくことでさらに楽しみの幅は広がります。

楽しみは心軽やかに踊るようなことなので、自分が心から愉快でなければ楽しいとは思いません。

妥協する必要はありません。それは環境を使用するか、自ら作り出すかの違いですので、クラブに行かずに、夜の浜辺で一人で完全な解放状態の中、目を瞑って一心不乱に舞ってみてください。

気付いた時には、「最高かよ!」となっていますよ。

※楽しいことだけを考える話は、楽しいことだけを考える気楽な自分のために│心の声を知り、自分を知る をご覧ください。

楽しいことだけを考える気楽な自分のために│心の声を知り、自分を知る何もない真っ新な状態が今あります。そこに自分を愛する自分がいたら、もうそれで幸せなのではないかと思います。 この世の仕組みを考える...

 

楽しいことがわからない まとめ

楽しいことがわからないことを気にすることはありません。

レストランに行って食事をすることの喜びがどこにあるかは人それぞれです。自分の意志があるならば、「皿洗いしなくて済む」「自分の料理よりおいしいから」「お金を使用することが楽しいから」とさまざまです。

同時に自分の意志があれば、「家で好きな時間に、好きな料理で好きな味付けで、お金がかからなくてよりおいしくて」と明確に自分の喜びがわかります。

その上で、創造性を付け加えることで、一口一口の口の中の世界を五感で認識して、いくらでも楽しみが増え、自ら楽しみを作れます。

料理をしている時にフライパンと鍋と茶碗があれば、ドラム演奏によるコンサートが始まります。

さぁ、目を閉じてあるがままに演奏しましょう。

「ねぇ、ご飯まだ?」

「うるさい!」と言ってやりましょう。集中です、心が愉快に楽しくなれば、人との共有も生まれて、より楽しい時間を創造することもできます。

チンチンカンカン、トンテンカン、ピンッ

これがミュージックなんです。誰が何と言うかはどうでもいいんです。
「This is my music!」と、自分の心の叫びが聞こえてくるようです。

気付けばキッチンは荒れまくってますよ。楽しんで片付けちゃいましょう。

何言っているかわかりませんが、楽しいことがわからない場合、楽しいの意味と楽しみを探す場所と方法を今一度確かめてみてください。

もっと楽しく、もっと愉快で、もっと心躍るような喜びは自分の中にあります。

毎回、部屋の敷居をクルクルと前転で越えるのはなぜ?
自分が楽しいからです。点数なんか付けちゃうと激しくなります。

ゴロゴロの後にジャンプして、キッチンの床で着地のドンッ。バキバキっと床が落ちて、点数は9.8!
「残りの0.2はバキバキの音が足らないのかぁ」と、こんなことで楽しんでいる人も世の中にはいます。

他人が喜ぶことが自分の喜びかもしれません、唇を弾いてパパパと音を出すことが極上の喜びかもしれません。いろいろです。

楽しい時間を循環させていきましょう。より自分を知る一助となれば幸いです。

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サラリーマンだった人間がおかしくなる、とある森での変人化計画とその全貌。

一人での森生活、襲ってきた熊は忘れていた大事なことを思い出させ、そこで見つけたものはムニュムニュしていました。

一風変わった哲学書であり、森を舞台にした一人の元サラリーマンが自分を探し出す物語。

自分を見失い、人生に疑問を抱き、違和感を感じる時こそ、本当の自分という名のふざけた自分を見つけ出す変貌ストーリーが始まります。

忘れている大事なことを思い出し、自分らしく人生を生きるための経験と知恵を詰めた内容です。何か興味を感じた方は、ぜひ始まりの合図を受け取ってください。

 

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