人それぞれ

ドロップアウトの人生は遊びのゲーム。実は何でもいい生き方と考え方

人生では、さまざまな選択と覚悟をしながら生きています。
何かに執着したり、手放したり、疑ったり、信じたり、拒否したり、受け入れたり。
自分の人生は自分のものですので、全ての物事は自分自身の意志によって導かれます。

そこにあるのは人生のドロップアウトです。

ドロップアウトの意味とは、執着を手放すことです。
ドロップアウトすることで人生を変えて、自分らしく生きていく時間が始まりますので、ドロップアウトに関する考え方を、私のドロップアウト体験から共有します。

ドロップアウトとは、ボーンとちゃぶ台をひっくり返す行為であり、その後のお掃除は自分で率先して行う、清々しさと敬いの始まりの合図です。

真面目とは何でしょうか?
人生はゲームである気楽さをもとに、ドロップアウトの大切な意味と、知っておきたいドロップアウトのその後の末路についてお伝えしていきますので、人生のおふざけスタートにお役立てください。

ドロップアウトの人生

ドロップアウトをする目的は幸せのため

ドロップアウトをすることで、現状の自分の状態を変えるきっかけになります。

何かにしがみつき、その状態から変化することに恐怖を感じることを執着と言います。

執着することで人生を苦しいものに変えることができますが、苦しいのを嫌がる場合には、執着を手放すことで全く違う人生を歩むきっかけになり、それを“ドロップアウト”と言います。

前提として人生の良い悪いは自分にしかわかりません。自分には自分の人生があるので、他人の人生をとやかく言うのは暇つぶし以外の何ものでもありません。

私は自分自身のエゴに執着をしていました。
会社員として、「安定」という社会のルールを自分に適応させようと執着し続け、「評価と昇給のため」に働きました。

安定のための評価と昇給を手に入れた時に、「なんと、要らなかったのか!?」と気付き、定規を使いながらきっちりと綺麗にしてきた食卓という人生設計を、一斉にちゃぶ台ボンッのドンッのガラガラチャンチャンをしました。

言語で解説しますと、人生のドロップアウトを決めて退職し、その後は海外を旅し続けました。
その後5年経ち、現在は絵描きとして生きています。

ドロップアウトによって関わる人が完全に変わり、新しく出会った人と関わりながらの人生が今の状態です。

そんなドロップアウトをする目的は、幸せのためだと考えます。

幸せの価値観が人それぞれにあるので、幸せとはポジティブな喜びや豊かさのためだけではありません。

ドロップアウトをする目的 : 自分の幸せのため

※人それぞれの幸せのためであり、ドロップアウトをする目的は人によって違う

私は先ほどちゃぶ台をひっくり返しましたが、ドロップアウトの大切なところは、そのちゃぶ台は自分で綺麗に戻すことです。

私はドロップアウトをして海外の旅を初め、自分を探し、人生を変えるために突然の奇怪行動にてアラスカの森にて生活をしました。
そこには、自然と野生動物のみが存在し、人間や社会性や文明は何もありませんでした。

その森生活で気付いたことが、人生を生きる目的であり、自分の喜びのために生きている自分の姿でした。

今の時代の日本では、生存維持のために生きている人はいないと思います。
その為、ご飯を食べる理由も「生き延びるため」ではなく、「自分が満足するため」です。

それは、人間が脳を持ち、自我を持って思考をすることができるからであり、自分が喜ぶためにご飯を食べ、空気を吸い、睡眠をとり、人と関わり、お金を生み出し、人を愛します。

そこには、気楽でシンプルな人間を表す人生哲学があり、人生をドロップアウトする際には理解しておきたいドロップアウトの意味があります。

 

ドロップアウトの意味には欲が重要

ドロップアウトをする必要があるかどうかは人それぞれですが、ドロップアウトをすることで大切なことは、「何の目的を持ってドロップアウトするか」です。

目的なくドロップアウトをすることは、逃避して現実を受け入れないことを意味するので、苦しくなってしまいます。

今の苦しみを逃れるために、より真っ暗な中を目をつぶって走り、仕舞には場所も自分もわからなくなり、うずくまってしまいます。

しかし、ドロップアウトをする際に、「幸せになりたい」「もう少し良い人生が欲しい」「自分を変えたい」「この苦しみを何とか対処したい」など、何でもいいのですが現状からドロップアウトをする目的があることで、ドロップアウトをする意味があります。

そこに必要なものは『欲』です。欲は自分を成長させ、向上させます。
現状に不満も不安もなければ、ドロップアウトをすることはありませんし、その概念も必要ありません。

生まれた時から生き方が決まっていたとしても、そこに満足感があり、喜びがあり、幸せがあれば、ドロップアウトをすることはありません。

その為、ドロップアウトをすることは現状を変えたい動機があり、そこにドロップアウトをする目的である『欲』があることで、ドロップアウトの意味が生まれます。

ドロップアウトの意味 : 依存と執着を手放して、自分の考え方と生き方を変える

※ドロップアウトは身の回りの環境や現状を変えるのではなく、自分を変える行為

ドロップアウトの意味は自分への変化です。

あくまで依存と執着を手放すことで、人それぞれの幸せを求める目的を目指すのがドロップアウトです。

 

人生はゲーム

ドロップアウトをすることは自分を変える意味があるので、かき集めた不安感を感じないための環境を手放すことが方法になります。まさにちゃぶ台ボーンです。

ドロップアウトをする際には全部を投げちゃう爽快感がありますが、それ以上に不安感が付き添います。

これまでの自分を維持するための環境だったり、安泰を手放すことでこれまでには知らない自分を知る時間の始まりとなります。

そこには、現状維持を貫こうとする脳の仕組みがあり、それを爬虫類脳と言います。
不安感や恐怖心などの心地悪い感覚を味合わないために、現状の苦しさよりも当たり障りのない安泰を優先します。

ドロップアウトをする際には意志と覚悟が必要になります。

意志と覚悟は常に持っている想いです。
しかし、物事に優先順位や価値の順序を付けることで、覚悟にも度合を付けます。

そこにあるのは、物事の比較による【差】です。

差を見出すことで、物事を評価、判断します。
覚悟に度合が付くことで、ラーメン屋に行って味噌ラーメンを注文することと、20年間働き続けた会社を退職することに、覚悟の差が生まれます。

ドロップアウトには覚悟が必要だが、覚悟の度合に差を付けることで、覚悟をすることが大変になる。
→ 人生はゲームである考え方で緩和。

ここで、「人生はゲーム」だと認識することで、その覚悟の差を緩和することができます。

「人生はゲーム」であるとは、「人生を自分のためだけに生きる」という考え方です。

目的を持つことで、ゲーム内の宝物を設定します。そもそも目的を持たずに生きていたら、何のために生きているのかわかりませんので、決められたことをしていきます。

自分で決めることもできなければ、誰かが言っていることを真似したり、ヘラヘラペコペコすることになりますので、宝の設定が重要です。

人生をドロップアウトする際には、大きなことをする必要はありません。

例えば退職を決めることと、今日はサバの塩焼きを食べようとしていた夕食を、急遽ほっけに変えることの決定は同じです。

ただ、そこに依存と執着があることで、「退職することなんかより、ほっけを食べることの方が重要に決まっているでしょ!」となります。

しかし、人生を自分のために生きるゲームであることから、退職することも自分のためとなり、ほっけに変えることも自分のためになる意味を自ら認識します。

それは、紛れもない自分の意見であり、幸せのためです。

人生はゲームであることは、自分の人生を自分の喜びのために生きる考え方となり、自分の優先順位を見えやすくする。
自分の意志によって優先順位を持って、自分の喜びよりも社会的な体裁や評価を気にしている自分を見ることになり、自分の意見を持って自分のために生きたいと思っている自分を見ることになる。

ゲームとは遊びであり、人生は遊びです。
生きている意味を考えると、そこに明確に答えがあります。

人生は自分のものであり、自分が満足するために生きています。

自分を犠牲にして、他のために生きている概念は今の時代にはありません。

自分の人生の主人公は自分のみであり、自分の世界を持って自分のために生きています。
そこで、ドロップアウトで人生を覚悟することが、自分を満足させるきっかけとなり、清々しくちゃぶ台をドーンとひっくり返す行為となります。

人生はゲームであることから、全てのことに意味があります。
誰と関わっているかに意味があり、仕事を辞めたいと思っても辞めない行動に意味があり、その際の気持ちにも意味があります。

考えてみてください。毎日、一瞬一瞬、良いも悪いも含めて全ては自分が“納得と満足”するために行動しています。

体裁を気にした自分が満足するのか、ドロップアウトした自分が満足するのか、苦しみが嬉しいのか、喜びが嬉しいのか。

 

ドロップアウト その後の末路

ドロップアウトとは大それたものでも何でもありません。一日一回してもいいかもしれません。

そんなドロップアウトの末路として、その後の人生があります。

「ドロップアウトをして良かった♪」と思うか、「なんだよ、ドロップアウトって、人生台無しだよ!」と思うかは、ドロップアウトの意味と目的を理解しているかどうかによって明確に分かれます。

人生を台無しにしても今から始められる機会になるので良いことだと思いますが、人によっては不貞腐れたり不満を語ることで満足する人生もあるので、グスグスしたがることもあります。

ドロップアウトをすることを現実逃避や目的を持たずにすることで、「アフリカに一人で来れることが格好いい、修行になる」という人のようになり、肩書きくれくれおくれさんになりますのでご注意ください。

ドロップアウトをする際には目的が必要です。
何のために仕事を辞めるのか、学生を辞めるのか、家出するのか、海外へ行くのか、木に登るのか、9年前の灯油を20年前の灯油ストーブに入れて使うのか、10年前に放置された梅干しが反密封状態になっていて食べるか捨てるか。

全ては自分を満足させて幸せになる目的が必要です。

現状の苦しみから逃避したいのはなぜかを考えると、ドロップアウトのその後の末路は変わります。

「ウワーんウワーン助けてよーおぎゃおぎゃぎゃ」なのか、「今が苦しい、苦しみを何とか解消したい」の意志の違いで、その後の末路は変わります

どうして、そんなに自分の人生の安泰に依存しているのか?
人生を終えるのは怖いのか?80歳になればいいのか?
ご飯一日一善では何で満足しないのか?
うどん一杯食べられたら満足ではないのはどうしてか?
お金がそんなに欲しいのはどうしてか?
五体満足では不十分か?

何が自分にとっての満足かを理解して、自分の幸せの価値観を知ることはすごく大切です。自分として生きることでドロップアウトの行為を自分のために活用するか、他社に責任を擦り付けてウエウエ言い続けるかは本人が決めます。

※人生はゲームの考え方は、人生はゲームであるネタばらし。攻略マニュアルにエンディング記載 をご覧ください。

人生はゲームであるネタばらし。攻略マニュアルにエンディング記載人生という生まれた瞬間から始まり、終わりへ向かい続けている時間を、自分の世界という舞台を基に自由意志を持って生きていきます。 人生...

 

ドロップアウトの人生は何でもいい考え方

人生で大切な責任

ドロップアウトをすることで、人生をより良いものとするきっかけとなり、そこに必要なものは、ドロップアウトをする目的であり、覚悟です。

ドロップアウトをすることで、依存と執着を手放した自分の人生を始めることになりますが、そこには責任が必ずあります。

自分の人生には自分の責任があり、それは命に対する責任ではなく、『自分が生きる環境を選択したことに対する責任』です。

社会性と共に人と共存し、インフラを全て整えてもらっている環境で暮すのか、民族や部族などのように自分達で自然と共存して、生活基盤を文化や伝統にて整える環境で暮すのか、はたまた森の中や無人島などの完全に自分の力と自然との調和によって生活させてもらう環境で暮すのか、生きることは全て自分自身の選択です。

選んだ環境と共存することとなり、自分だけの概念では物事はまかり通らないことを知ります。

そこで大切なことは自分の命への保障ではありません。共存する相手を敬うことに責任があります。

・人と共存する際には、人を敬うことで共存の意味をなし、物事を循環させる。
・文化や伝統と共存する際には、考え方やその場所の生き方を尊重し、人と自然と共存を図る。
・自然と共存する際には、自然の法則や命を敬い、自然との調和を生み出す。

環境にある存在を敬う気持ちがあり、その気持ちは自分の喜びに繋がります。

ドロップアウトの人生を覚悟する際には、自分の執着を手放します。そこに覚悟の度合がある場合は、自分の命にも執着していることになります。

それが悪いことではありません。しかし、執着とはエゴであり、エゴとは自我から生まれたネガティブな思いなので心地悪いものでしかなく、自分を喜ばせ幸せになることを邪魔します。

自分の命も敬いますが、自分の選択をしたことに責任を持つことで、その環境にある人や自然などの存在を敬うこととなり、それは執着をより手放し、エゴとの分離による喜びを促します。

人生で大切な責任とは : 自分の選択に覚悟を持ち、共存する環境を敬う気持ち

※責任となる本気で生きる話は、本気で生きる人生を覚悟。恥も体裁もない子供と動物が教える生き方 をご覧ください。

本気で生きる人生を覚悟│恥も体裁もない子供と動物が教える生き方日々の生活の繰り返しがあると惰性で流れていく時間があり、本気で生きることを忘れる可能性があります。 本気で生きることを忘れることは...

 

人生は何でもいいドロップアウト理論

ドロップアウトをすることで執着を手放し、覚悟をすることで、自分の命への執着も手放し、環境を敬う責任感を持ちます。

ドロップアウトは全てのきっかけであり、自分が満足する人生を歩むための始まりの行為です。

執着を手放すドロップアウトによって、人生はゲームであることに気付きます。
それは、人生は何でもいいという考え方です。

ドロップアウトをする前の人生は、仕事や他人や思いやエゴなどに執着しており、自分にとって大切なものだと思っているので手放したくありません。

しかし、それらの思いによって苦しくなる現実が目の前にあり、ドロップアウトをするかどうかの選択に迷いや躊躇が表れます。

ドロップアウトをする前は、先行きや執着の手放しに対する恐怖や不安があります。

そこには、自分の命としての生活を気に掛け、周囲の眼を気に掛ける自分がいます。
しかし、実際に目的を持ってドロップアウトをすると、考え方は確実にこれまでとは変わります。

考え方が変わることで生き方が変わるのですが、考え方を変えるために執着を手放すのがドロップアウトです。

確実に考え方が変わるので、関わる人も生き方も変わり、これまでの自分のルール設定や基準は崩れていきます。
それは、新しいルール設定や基準が作られていることを意味します。

ドロップアウト後の流れ

ドロップアウトをする

執着を手放す

自分に設定していたルールが解きほぐされる

自分自身の考えに気付く

これまでの自分は自分ではないことに気付く

自分を知る

他人を知る

人々の生き方や考え方を敬う

人生はゲームで何でもいいと思う

私はドロップアウトをした瞬間から関わる人が変わりました。
関わるのは連絡先を知っている人との、たまにある「元気?」などの連絡のみです。

関わる人が変わるのは、自分が変わる意志を持っていることで、そのような現実を引き寄せています。

ドロップアウトによって考え方が変わっていくのですが、それは執着を手放すことで自分に設定していた固定観念や思い込みのルールがなくなり、縛りから解きほぐされる解放によるもので、考え方が自分のものに戻っていく感覚です。

そして気付きます、「今までの自分は自分ではなかった」と。

これまで思っていた固定観念がないので、実際に自分で経験したことによって物事の本当の意味を知り、人それぞれに環境を選んでいる人の喜びがあり、幸せがあることを知ります。

私が会社員だった頃、「芸術家や音楽家などのアーティストは、安定していないために常に動き続けなければならないから大変だろうな」と思っていましたが、実際に自分が絵描きになった今、「安定がないことの楽しさ」「安定がないからこそ常に動く活力があり、人と出会い、人生を楽しむ意志が生まれる」など、全く違う考え方を持っており、そこにあるのは満足を自ら増やす人生です。

ドロップアウトする際に気に掛けていた、「みんなにいつか顔向けできるかな?」という体裁や見栄は消え去り、関わる人が変わったのでエゴを気に掛ける必要がありません。

考え方の縛りが解きほぐされることで、人それぞれの生き方や人生を尊重する。
そこにはルールがないことを知り、人それぞれに喜びがあり、幸せの価値観があることを知る。
ドロップアウトの執着の手放しは、固執していたものがどれだけ自分に影響を与えるものかを実感し、「あれ、どうでもよかったわぁ~」と気付く。

※縛りを解く人生は、一人で生きるのは覚悟ではなく選択│自分がいるから一人が良いの をご覧ください。

一人で生きるのは覚悟ではなく選択│自分がいるから一人が良いの一人で生きることは、「一人で生きていけますか?」という質問に対して、一人で生きたいか生きたくないかの答えが意味する生き方です。 そ...

 

人生をドロップアウト まとめ

ドロップアウトをする人生が良いかどうかは人それぞれです。

ドロップアウトをする意味は、自分の満足であり、幸せのためのきっかけです。

その為、自分の喜びを求める欲が必要であり、目的がなくドロップアウトをすることは、全てを投げ捨ててうずくまる状態となり、苦しさのみです。

現状が幸せな人はドロップアウトをする必要はありません。
現状の自分に苦しさがあり、その苦しさが常識やルールなどに縛られ、何かに執着をするエゴからであれば、執着を手放すドロップアウトによって、清々しくちゃぶ台をひっくり返すことで、人生はより良いものに変わります。

ドロップアウトをした後は、これまでの自分とは変わっていき、考え方も生き方も変わります。

その為に、これまで思っていたことでの心配事や不安感を感じることはなく、関わる人も変わるので話す内容や、人と関わる意味も変わってきます。

そこにあるのは自分の喜びであり、自分を大切にして、自分の選択に責任を持つことで生まれる人や自然を敬い想う気持ちです。

「ただいまー」と、いつかひっくり返したちゃぶ台を戻しに来る日がやってきます。
綺麗に戻し、床を快く率先して掃除している自分がいることでドロップアウトの意味が完結します。

やりっぱなしは完結しません。自分の出した気持ちは自分で治めることで、自分の知恵となり理解となり責任を知っていきます。それは重苦しいものではなく、人生はゲームである上で完全に遊び楽しむための意志となります。

ドロップアウトをすることで自分の考えが見え、それは自分を知ることとなります。

自分を知ることで、人それぞれの考え方や生き方を尊重する考えとなり、人生は何でも良くなるゲーム化します。

人生はゲームだと考えることで、覚悟も気楽なものになります。
実際に今生きている人は生きていたい人であり、それは幸せを望み、より自分を満足させることを忘れていない証拠です。

覚悟とは気楽なものであり、生きている以上は常に覚悟と選択をして生きています。
今日の朝ごはんに、ご飯と漬物だけではなく味噌汁を付け足したのは、紛れもなく満足するためです。
そこに納豆や卵焼きを付け足したのは何ででしょうか?
それはもう、自分が幸せになるためです。

物事はシンプルで気楽なものかもしれません。
ドロップアウトは幸せになるためのきっかけアイテムです。
宝探しが始まるのに早いも遅いもありません。90歳からの人生遊びも楽しいと思います。

それでは、ドロップアウトの人生についての共有を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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