意味

人の不幸を喜ぶ心理にてわかる精神性「本当は誰しも喜んでる?」

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「人の不幸は蜜の味」「めしうま」

自分自身に照らして考えてみると、人の不幸をハチミツのように味わい喜ぶことはありますか?

私はメープルシロップくらい甘めで喜んでいた時があります。

度合は人それぞれにあると思いますが、ほとんどの人はどこかで喜んでいるのかもしれません。

しかし、世間的には人の不幸を喜ぶことは悪、卑劣で嫉妬の塊のように思われます。

真相を知るために、ここでは心理にて捉える精神性というスピリチュアルな理解をお伝えします。

  • 人の不幸を喜ぶのはなぜ?
  • 喜ぶ人は悪なの?
  • 人の不幸を喜ぶ精神性とは?

上記の紐解きを知っていただき、「本当に人の不幸を喜ばないの?」という懐疑的でひねくれた目線でお伝えする内容となっております。

自らの真相を知りたいと思う方へ向けて、考え方としてご参考になれば幸いです。

人の不幸を喜ぶ人の特徴

人の不幸を喜ぶとは?

言葉だけを聞くと、とんでもない野蛮人のように思えるかもしれません。

人の不幸を喜ぶといっても捉え方がさまざまにあり、楽しくなっちゃう人もいれば、笑う人もおり、好きでハマる人もおり、願い求める人もいます。

お笑い番組の罰ゲームにて、「ははは、この人買いたくもないのに高級腕時計買わされてショック受けてる」と楽しむ人がいれば、「もっとくれよ、人の不幸を見たいんだ」と願い求める違いのように、喜ぶ度合が人によって大きく変わります。

どちらも喜んでいることには変わりありませんが、度合によって人の不幸を喜んでいないと思い込むことも起きます。

世間的には明確に悪であることに対して、自分をどう捉えて、思い込ませて、把握しているかがはっきりわかるのが、「人の不幸を喜ぶか否かの認識」です。

 

人の不幸を喜ぶ人の特徴9選

心理が表れる特徴がありますので、順番にご覧ください。

1,他者との比較意識が強い

上下、勝負、優劣を分け、良い悪い、正否、善悪を認識します。

 

2,自己愛を求める欲が強い

自己愛が強いのではなく、自己愛を認められないために自分を愛していると主張するように言動する特徴です。

物事の認識が自己中心性になり、他者を含めた中で自らを中心にした見方をします。

他者と比較して他が上だと自分が下になり、他が下だと自分が上だと思う認識になります。

 

3,他によって自分が成り立つ

比較を始め、他者が喜べば自らが怒り、他者が悲しめば自らが喜び。

他者が何か言えば賛同反論し、他者が何かすれば良い悪いを評価し、社会がこう言えば従い、ああ言えば反論し。

他によって自分の在り方が作られ、他によって自らを認め、他によって自らを幸せにし、他によって自らが不幸せになったと認識します。

 

4,他の影響受けが強い

人だけでなく、他の情報、意見、常識、反応など、自分以外の他からの影響が強く、自らを律し、責任を持ち、自立するのではなく、他の影響にて成り立ち、在り方が定まり、感情が起き、思考を作り、意見を持ち、責任を持ってもらいます。

 

5,社会性への反発が強い

社会という他によって自らが成り立つため、幸せではない場合には社会に反発を抱き、責任が社会にあると思う特徴です。

常識やルールに従っているために、ある人は幸せになっておきながら、自分が幸せにならない場合に不平等を感じます。

自らが嫌な思いをしたら、他者にしてもいいと思い込む要因になります。

 

6,復讐心が強い

自らが味わった苦痛に対する責任は、社会や他者にあると認識する特徴です。

無意識に復讐や許せない気持ちを内包し、人の不幸を見ると復讐したい内なる自分が踊るように喜びます。

人の悪口を言う時にウキウキと輝く人もいます。

 

7,正当化意識が強い

「正しい、間違い」の社会的常識に重きを置きます。

正しい=認められる
間違い=否定される

このルールの上で自らの肯定・否定が決まるため、他に従い、反応を気にし、評価を気にかけ、体裁や見栄が強まります。

嫉妬や反発を強める要因となり、自らが苦しい経験をしていれば苦しんでいない人に反発を持ち、お金を持っていなければお金持ちに反発を持ち、顔の造形が整っていなければ綺麗な人に反発を持つようになります。

 

8,優越感に幸せを感じる

自分が上、他が下であることに幸福を認識します。

他の上で存在する前提があるために、他者との比較での優越が絶対的な喜びとなり、安心感にもなり、さらに恐怖心を解消する利益にもなります。

 

9,自分がない

自らの存在認知には必ずと言っても過言ではないほどに他を含めます。

自分で自分を認識しない特徴です。

自信がなく、自信を育む基盤がなくなり、自己肯定感や自己評価が低くなります。

以上が、人の不幸を喜ぶ人の心理的特徴でした。

 

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人の不幸を喜ぶ心理

人の不幸を喜ぶ心理は「他が主体」

上述の特徴には、全てに共通した心理が見られます。

他の存在によって自らの存在が成り立ちます。

他という人・ルール・情報が主体になり、自分の価値が見出され、存在意義が作られ、肯定理由が表れ、他によって自らを認めることができます。

反対に他がいなければ自らを認めることが困難になります。

私達は社会という他と他の組み合わせによって構築される環境で生きているので、他を含めて自分を存在させるのは自然だと思います。

誰しもが他を含めて存在する前提がありますが、人の不幸を喜ぶ人が特徴的なのは、その認識が強いために自分が主体ではなく他が主体になることです。

他を完全なる主体にすると、社会基盤に従って生きているために、ある人は幸せになっているにもかかわらず自分は不幸せだと反発を抱きます。

不平等と復讐心を抱く原因です。

「不平等だ」と社会への反発を抱く人ほど他が主体になり、人の不幸が蜜の味になります。

常識やルールに従順になり、「人の不幸を喜ぶのは良くない」「けしからん」と自らの正当化も起きます。
※従順だからこそ、ルールを前提にした反発を抱く人もいる

これらの心理を一括りにすると、「他への興味が強い」と考えられ、内情が潜みます。

 

他への興味=自分の利益になる

人の幸せも不幸せもどちらも他人事です。

他人事に興味がなければ、喜びにも怒りにも哀しみにも楽しみにもなりません。

人の不幸を喜ぶ人は他に興味があるために、他人事によって自らの喜怒哀楽である感情を抱き、喜んだり怒ったりと反応します。

しかし、実際に他に興味があるかどうかは明確にしたいところです。

喜びは満足や納得があるために自分にとっての利益になり、他への興味を抱くことが自らを喜ばす行為になるため、実際には他には興味はなく、矛先は自らの利益と考えられます。

他である人やルールや情報には実質的な喜びはなく、誰を蔑むかは大きなことではなく、他の存在によって自らを上にする、または他者を下にするのが目的になります。

これは人の不幸を喜ぶ光景だけでなく、「人の不幸を喜ぶのはダメだ」という自らを社会性の中で正、良、善にして正当化しながら、人の不幸を喜んでいる人を下にしていることと同じです。

意識的にしているか無意識にしているかは関係なく、他を主体にして自らの利益を得ている場合には同じ心理があると考えられます。

正当化、肯定、安心感、恐怖なし、優越感、自己評価を下げない、存在価値の発見とさまざまな利益に繋がるのが、他者を下にして自らを上にする捉え方であり、平等性である社会への反発と復讐心を基盤に置いた認識です。

※人の不幸を笑う心理は、人の不幸を笑う人の心理と特徴は芸人?!アハハとニヤニヤの大きな違い をどうぞ。

 

人の不幸は距離感によって喜びが変わる

人の不幸からどれほど喜びを引き出せるかによって、[蜜という利益]が増えます。

喜びの度合を変えるのが、距離感です。

「誰の不幸なのか?」によって喜びの有無が分かれ、この人の不幸には喜べる、この人のは怒れる、あの人のは哀しめる、あの人だったら楽しめると、喜びだけでなく喜怒哀楽の感情そのものも変わります。

不幸になっている対象に対する距離感があり、自分の状態や状況や心境に近過ぎず遠過ぎずで喜びが増えます。

例えば、自らが苦労ばかりの人生だとしたら、全く苦労せずに人気者になり、それが自分の目の前ではないところで不幸に陥ると喜び増し。

自らにお金がないとして、お金持ちが詐欺にあって多額の損失をしたニュースを見て喜ぶイメージです。

 

自ら手を下さない距離感

距離感は近いと喜びにはなりずらく、近過ぎず遠過ぎず。そこに必ず欠かせないのは自分との繋がりです。

同じ特徴、年代、性別、性格、地元、または反発や嫌悪など、一方的にでも何かしら関連性を見出せると、うまい距離感ができます。

繋がりがある上で距離感を持つとリアリティのある疑似現実となり、相手の痛みを感じずに済み、自らの利益にフォーカスできます。

アメリカの大金持ちが損害を被るより、同じ年代の経営者が損害を被る方が喜びになり、さらにそれが目の前で起きるのではなく、ひとづてやSNS、テレビや雑誌などだと快楽が増すイメージです。

「シャーデンフロイデ」という言葉があり、自らが手を下すことなく他者が不幸になると抱く喜びや快感を意味します。

まるで嫌な人のようですが、おそらくほとんどの人は経験があると思います。

しかし、中には人の不幸を求める人もいます。

最たる例が、誹謗中傷や粗探し、芸能人の浮気や離婚などのゴシップネタです。

ネットや手紙や陰口など、間接的に不幸そうな人に近づき、自ら関連性を一方的に作り、不幸を垣間見て快楽に浸ります。

自らが直接手を加えると社会性の上では悪になるため、なるべく自覚をなくして、「罪悪感なし、正当化できる、優越ゲット」を狙います。

 

人の不幸を喜ぶスピリチュアルな精神性

人の不幸を喜ぶことでわかる精神性

「人の不幸を喜ぶ」と聞くと、社会的に悪の認識が強くあるので、「そんなことは良くない」と思うかもしれません。

しかし、ここで明確にしておきたいことがあります。

喜ぶ度合や対象は違えど、ほとんどの人は特定の人に対しての不幸は喜ぶのではないでしょうか?

大なり小なり嫌いな人が失敗したら、ちょっとにっこりしていたりなんなり。
テレビで苦手な人が罰ゲームを受けていたら、楽しくなっちゃってたりなんなり。

ほとんどの人の不幸には喜ばずとも、特定の人の失敗や苦しみに喜んでいるかもしれません。

実際、冒頭の特徴は認め難いものですが、誰しもに該当しやすい特徴です。

不幸を喜ぶ原因となるのは比較であり、空虚な自分です。

東京などの都心部、他者と競争する環境などで切磋琢磨して生きていれば、比較するのは当然であり、自分がなくなるのもありがままの結果です。

情報や人が多い環境では恐怖心が増え、他者との関わりでは自己防衛を働かせ忙しなく、人の目も見ないでスススと通り過ぎて心を護り、他が主体になって周る仕組みでは、他によって利益を得るのが恒常化します。

風を感じたり、絵を描いたり、作り物をしたり、料理を開発したり、運動したりなど、自らを主体にした行為が自然と減ります。

自らを正当化しないと存在の価値や意義を見出しにくく、「私は私だ」と我を強めて主張する人も増え、環境に浸れば浸るほどに他が主体になります。

このブログも然りです。

他を主体に書いていれば、どうすれば検索上位に昇るかだけを考えるルールの申し子となり、当たり障りないことを言い始めるつまらないものになります。今、過去の全記事リライト中というあり様です。

比較する以上は切っても切り離せないものが人の不幸への着目であり、他者の言動によって自らの感情が左右される事実だと思います。

この理解には、「認め難い事実とどう向き合うか?」が顕著になる真相があります。

拒否したくなる事実に対する向き合い方がもろに表れるのが、人の不幸に喜ぶことをどう認識しているかであり、精神性の理解が垣間見えます。

 

人の不幸を喜ぶ自覚の大切さ

「私は人の不幸を喜びます」なんて認め難いですが、認めて自覚しているか否かにて精神性が大きく変わると考えられます。

自覚があると、人の不幸に悲しんだり共感するステップを歩むことができます。

喜怒哀楽、特に怒りと哀しみ、付随する不安や心配などは、他を介入させて生まれも死にもする感情です。

悲しみや敬いなど自らの内側にしか存在せず、自らが生み、克服したり変化させる主体的な感情があります。

哀しみと悲しみの違いのように、他を含められるか否かの全く異なる感情であるために、人の不幸に喜ばないことができる場合、他人に一切興味・関心がないか、人の痛みに自らの意思で悲しみ、共感して寄り添える人、または悟った人と考えられます。

人の不幸を心配したり不安になる場合には、人の不幸を喜ぶ心理と同じであり、対象が違うだけで別の人の不幸には喜んでいると考えられ、自覚したくない拒否があり、拒否している自分を誤魔化している可能性があります。

自覚有無は物事を先に進めるか否かを綺麗にニ分けするため、自覚がある場合には精神性をさらに高める基盤となるので、人の不幸を喜ぶ自分を拒否しないことが大切です。

 

認めて拒否しない精神

精神性には自分の主体性、自責、自立、認識力が大きく関わり、どれほど人を、人間を理解しているかがものを言います。

「物事を拒否しない」という核があり、認めたくない事実を真っ直ぐに見て、捉えて、認められるかどうかが試されます。

事実でなければ認めるも認めないもありません。事実かどうかは本人のみが知り、如何に自己理解を深めるように物事の事実をそのままにして拒否しないかが、人の不幸を喜ぶかどうかの自覚です。

認めている場合にはそのままでいきましょう。その先には、人の不幸を喜ぶ自分をどうするかの行動があり、喜ぶ自分の理解と改善へ向かえます。

ただ注意点があります。

平等性である社会への反発、復讐心があると人の不幸を喜ぶ自分を大いに認めます。認めることが利益であり、反発を抱いて他者を蔑み、馬鹿にし、人の失敗や悲しみや苦しみを喜びます。

これは認め難い事実でも何でもなく、利益を得るために他を基に自らの行為を正当化する状態ですので、全く別物です。

※人の不幸を喜ばせる心の詳細は、【自分の心が汚いのを直したい】心の汚さと綺麗さの意味を知る をご覧ください。

【自分の心が汚いのを直したい】心が汚い人の特徴&綺麗にする方法心が綺麗という表現には、あらゆる善要素がギュッと詰まっている印象があるかもしれません。 心に善悪はありません。極悪人でも心が綺麗だ...

 

人の不幸を喜ぶ心理とスピリチュアル まとめ

ほとんどの方は誰しも人の不幸を喜んでいると思います。その事実を認めるのが難しい事柄であるため、自覚有無で精神性がわかるというスピリチュアルな理解です。

「人の不幸を喜んでしまうのをどうにかしたい、直したい」という自覚がとても大切であり、精神性が高い基盤があることを表します。

あとは如何に比較せず、自らの中身を自らが認めて彩るか、自己理解を深める行動が先へ進めます。

誰しも人の不幸を喜ばず、人の幸せを喜びたいものですね。

しかし私達は人間です。理想で生きている生物ではないため、たまには現実的な直面があり、物事に人間味を付け加えてくれます。

他者との比較や自分がない状態は、他者との共存社会では日常的に起きます。

あらゆる他との組み合わせで生きる環境では、ルールや常識は自らの在り方を決める大きな材料となり、人の幸せを喜ぶ気持ちなどなくても、「わぁ、結婚おめでとう!」と言っていたりします。

ましてやご祝儀というとんでもないものがありますので、自らに問いただすと直ぐに真意が表れることと思います。

認め難い事実を拒否せずに認める自覚がどれほど大切かを物語るのが、人の不幸を喜ぶか否かの認識。

自らを変えて成長させるためにも、心理とスピリチュアルの理解がお役立ちできれば幸いです。

読み苦しい内容だったと思いますが、プラスの認識拡大になることをお祈りいたします。

それでは、人の不幸を喜ぶ心理とスピリチュアルのお話しを終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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