虫は真実の姿を引き出す。
虫や動物が嫌いな人はたくさんいます。特に虫に関しては、好きな人より嫌いな人の方が多いかもしれません。
人間以外の生物を対象にした時、嫌いになる理由には”恐怖”が強くあります。
その恐怖には、人それぞれの記憶と現状の人間性の関連から、さまざまに恐怖を抱く理由が作られ、嫌いになります。
そんな恐怖にて人間すら嫌いになりますが、特に虫には完全なる恐怖と嫌悪を感じることはしばしば。
どうして、虫が嫌いで怖いのかを知ると、恐怖への認識の仕方にて心理と人間性が明確に表れます。
虫嫌いとなる恐怖の理由には、心理と同時に過去世のスピリチュアルな理解も含まれるため、多角的に紐解きをして、虫が嫌いで怖いことへの改善方法を見ていきましょう。
Contents
虫が嫌いで怖い理由

虫嫌いになる虫への抵抗感
私は元々虫が嫌いでしたが、今では森の中に住んでいて、常に窓を開けているので異常な数の虫と共存する状態です。そして今は虫が好きです。
過去の自分と今の自分を比べると明確な違いがあります。
“虫への抵抗感”です。
虫に抵抗があるかないかは、そのまま虫が嫌いか好きかを表します。
その違いは何か?
“虫をどのように認識するか”です。
抵抗感を作る認識の仕方。これは、虫をどれだけ受け入れられるかの人間性を表し、それはそのまま、虫と対峙した自分自身をどれだけ受け入れられるかということになります。
虫の好き嫌いを表すのが虫への抵抗感
※抵抗感は虫を受け入れられるか否か、自分を受け入れられるか否かの人間性を表す
虫が嫌いなのは恐怖心
抵抗感の認識を作る理由には“恐怖心”があります。
虫が怖いことで虫を受け入れられず、虫と関わる自分を受け入れられないという二つの拒否があります。
そのため、恐怖とは虫の存在によって自らが作る抵抗感となり、虫も自分も拒否する人間性の在り方を作ります。
森に行くと何だかいろいろいます。ブンブン飛んでいますが、蚊に恐怖を感じることはあまりないかもしれません。ですが、ハエになるとちょっと怖いかも。
さらに、触角の長い堅そうなやつ、クワガタやカブトムシ、ゴキブリやカナブンやバッタ、蝶や蛾なんかになると結構怖い、そしてゴツくてグロい。
カマキリや毛虫、さらに、ムカデやミミズや蜘蛛。そして、爬虫類を含めるとイモリやヤモリ、トカゲにヘビ。とんでもない恐怖です。
何が怖いかは人それぞれですが、わかりやすく恐怖心を与えるのは“危害の危惧”です。
カマキリや蜘蛛やゴキブリ、そしてヘビは毒や菌を持っているかもしれないため、受け入れられない抵抗感は自然と強まります。
そのような危険性を初め、恐怖心の基となる理由がいくつかあるので見てみましょう。
- 危害の可能性からの恐怖
- 虫が何するかわからず予測できない不安
- 虫のことを知らない情報不足
- 虫への思い込みや決め付け
- 軸のない状態を表す合図
- 今世での過去の恐怖の記憶
- 過去世の恐怖の記憶
1、危害の危険性
虫が嫌いで怖い理由の一つ目は危険性です。
当たり前なのかもしれませんが、とにかく自分の身を守ろうと、逃げたり攻撃的になったりします。中には悲鳴を上げたり、泣き出したりもします。
防衛意識もありますが、一度危害を加えられた経験がなければ、本能として反射的な拒否をしませんので、経験がない場合には危害を想定する思考を働かせて拒否します。
“ムカデ、刺される、口の尖ったのでガブってしてくる、ヤバい、キモイ、危険”という情報とルール設定を脳にする前提があることで、危険信号を出して恐怖を作ります。
2、予測できないことへの不安
虫は何をしでかすかわかりません。
私はご飯を食べていると、どれだけ虫がお米の上やみそ汁にダイブし、おかずの上にパラシュート部隊的に降り立つことか、やれやれです。
疑心感には信用のなさがあります。
「急に手のひらを返して裏切るかもしれない」という不安には、コントロールしたいという意思が潜みます。
動物であれば多少容易ですが虫はコントロールできません。
疑いの中で観察してジロジロ。どのように動くか、自分に向かってくるかわからないと不安になり、それはそのまま恐怖に直結して怖くなります。
3、虫のことを知らない情報不足
虫のことを知らないと何するかわからないので、さまざまな憶測や空想が飛び交い、とんでもないバケモンみたいなイメージになっていき、ゴキブリという黒い物体は、ひどいハレンチ野郎で、菌菌のケダモノブリブリに成り代わります。
虫は人間のように言語がなく、あるのは波動です。実際に虫目線で何を思って、感じて、認識しているかは私達人間にわかりません。
これは人間同士でも同じことなのですが、人間界には共通の言語や常識やルールなどの統一性を作ることで、人に対する不安を緩和する対処を自然にしています。
単純にその不安の対処ができないのが虫です。
4、虫への思い込みや決め付け
虫のことがわからないために思い込みや決め付けが作られます。
虫への恐怖が強ければ強いほどに思い込みや決め付けは激化し、蜘蛛は全員毒を持ち、直ぐに攻撃してきて、少しでも蜘蛛から目を離せば糸でクルクルされて、気付けば真っ白な包帯巻きみたいになって天井からぶら下げられる。
そんなイメージが本気で作られることもあります。
思い込みや決め付けは恐怖への対処法でして、激しければ激しいほどに虫への抵抗感が強く、虫を受け入れられないと同時に、虫と関わる自分を受け入れられない様が表れます。
5、軸のない状態表す合図
軸がないとは、自分という存在として芯や核がないことで、浮きやすく土台が確立されず根が強くないことです。
そのため、昔は虫が嫌いなことはなく全然触っていたという場合でも、軸がなくなることで後天的に虫嫌いになります。
軸がなくなることで思い込みと決め付けは激化します。そして、自分の嫌だと思うことはとことん嫌悪を感じるように考え方と価値観を作るようになります。
すると、「土触るの無理」「農業やるの不可能」「泥遊びはきつい」「雨に濡れんの嫌だ」という具合に、地球に携わることを拒否します。
虫は植物との完全な共存生物で、地球を循環させるために働いている地球の一部です。
軸がない状態になることで、虫が嫌いで怖いと同時に自然への認識が制限されます。
6、過去の恐怖の記憶
トラウマとなる記憶によって虫が嫌いで怖くなります。
何か毒づかれたり、危害を実際に与えられたり、身近な人が傷つけられるような恐怖の記憶となる体験があります。
蜂にさされると蜂全般への恐怖や嫌悪を持ち、見るだけで怖く、防衛本能から攻撃的になり、それによってより蜂に攻撃されたりと悪循環の理由にもなり、ますます虫への抵抗感が強まります。
7、過去世の記憶
最後の虫が嫌いで怖い理由はスピリチュアルな理由となる過去世の因果です。
過去世にてトラウマや心の傷となる衝撃の記憶に、虫が携わっていることで”特定の虫”への抵抗感を持ちます。
その際には、”恐怖の記憶”という共通の過去世となり、自分の身への危険や生死をまたぐ理由となる虫との関わり、大切な人が虫に傷つけられたなどの経験をすることで、虫が嫌いで怖くなります。
過去世が理由となる場合には、「なんでこの虫が嫌いなの?」への答えが自分でもわからない状態です。にも拘らずとんでもない恐怖を感じ、分け目も触れずに自分の身を守ろうとします。
恐怖の記憶であるために、虫を見た瞬間の反応は怒りではなく恐れでして、逃避や居たたまれない不調和と心地悪さを感じます。
以上が、虫が嫌いで怖い理由でした。
※虫に好かれる人の奇怪な話は、虫に好かれる人に秘密あり。心の使い手は伝言板の役割から寄られる役 をご覧ください。
虫が嫌い、虫が怖い場合の改善方法
虫が気持ち悪い場合の改善
虫を見ると、「うえ、気持ち悪い」と思うことがあるかもしれません。
「このムカデのことを何で気持ち悪いと思うんだろう?」
「何度見てもキモイ。なんやこいつは、デカすぎる」と。
この感情は恐怖心に含まれ、何かしら自分の人間性や在り方と合わない不調和が起きています。
虫嫌いや怖さを改善する場合、相手を知ることが方法になります。
飼ってみると相手を良く理解できます。
相手がわかると恐怖はなくなっていき、気持ち悪いと思うこともなくなります。
嫌いであれば飼うなんて嫌だと思うかもしれませんが、気持ち悪いと感じないために戦って滅ぼすことは一人の力では不可能ですし、その内に当然ですが攻撃されます。
相手を知り、自分の認識を変えることで、虫を気持ち悪いと思う状態を改善する方法です。
虫が嫌いで怖くない場合の改善
虫を怖いとは思わず、ただ嫌い、触りたくない、「うーん、ちょっと怖い」という具合の場合、自分の軸がないことが虫嫌いの理由に考えられます。
そのため、改善する際には自分の軸を持つことが大切です。
軸がなければフラフラしているので揺さぶられます。それは自分の意見や意志が弱い状態を表すので、自分を明確に認識する状態が大切です。
軸を持つために自分を主体にする
思い込みや決め付けが激しいと、幼少期に親や周囲の影響力の強い人が言っていたことや行動を、そのまま自分のものとしてルールをインプットします。
親がゴキブリを見て、「ギャー!!」と叫びのたうち回る。これはただ事ではありません、異常ですし緊急事態だと子供は認識します。
「一体何が起きたんだ?!」と理由となる矛先を見ると、小さな黒い点。
「この黒い物体が親をここまで恐怖に震え上がらせる、とてつもない存在でやべぇやつなんだ!潰さないと!ヤバいヤバい!危険危険!」と親の激情した有り様を見ながら思います。
実際に自分で経験することで自分の意見ができるので、ゴキブリと関わってみると可愛かったりします。
そこまで思う必要はありませんが、「悪ではない」と自分なりの理解が深まります。
地球との関わりを増やし、地球目線の認識をする
軸を持つために最も効果的なことは、地球との関わりを増やすことです。
それは自然や植物や虫や動物との時間。
虫が嫌いであれば、虫以外の自然や植物や動物、それらは地球との距離が近い存在です。
関わりの時間を増やすことで、自分が地球の一部として生きる認識になり、物事を感じ・考え・想う時に、地球に寄り添う認識を持つことに繋がります。
すると、地球自体も、地球と距離の近い存在達も、全ては人間と同じ生命であると認識が変わり、虫の捉え方も見方も変わります。
グラウンディングやアーシングをする
虫への認識を変えるための地球と繋がる方法として、グラウンディング(Grounding)とアーシング(Earthing)があります。
どちらも地球との連結による身体的作用があり、エネルギーやチャクラを活用した今を生きる在り方となる効果があります。
共に体内に蓄積されている電磁波を地球に流すことで、体内の不純エネルギーや不要な電磁を取り除きます。
方法は“裸足で土の上に立つ”ことだけ、とても簡単です。
公園でもどこでも、土や草のある自然の上で裸足で立って終了です。
立っても座っても15分ほど公園や庭などでぼーっとしながら空気を吸って吐くことで、軸をもたらす効果があり、自分という存在への認識が強まり、それによって虫への認識が変わり、虫嫌いを変えていく方法となります。
過去世にて虫が怖い場合の改善
怖い場合には、過去の記憶や過去世の記憶があります。
毒などにて虫にとてつもない危害を与えられた記憶や、大切な人をなくしたことを受け入れられないほどのショックの時に印象強く虫が舞っていたなど、虫を見ることで記憶が蘇ることを恐れます。
それは、受け入れられない完全なる拒否を続けている記憶が潜在意識にあることを表し、記憶を思い出すこと自体を拒否して、あらゆる記憶への繋がりを遮断している真意があります。
何かしら思い出したくない記憶のトリガーに虫の記憶があることで、自分の受け入れられない恐怖との対峙が起きることを恐れるため、実際には虫が怖いわけではなく、記憶を真正面から見ることを恐れていることが考えられます。
一度記憶を思い出して受け入れることで、自分の中にある滞留の基が解放され、浄化と共にエネルギーが流れて快活でより自分らしくなります。
過去世の記憶の場合、訳も分からず虫が嫌いで怖いことと、虫への反応にて過去世に理由があるがどうかがわかります。
それは、理由もわからず考えられないほどの嫌悪感や反発を感じ、自分の中の恐怖心を思い出させる感覚として、その場に居られないような心地悪さ、とにかく嫌悪と不調和による自分を保てない状態になります。
恐怖の基となる過去世の記憶を思い出して自覚することで恐怖がなくなる。
あえて怖い虫と無理矢理関わって理由を探ることは危険ですし、良き結果をもたらしません。
過去世退行や睡眠療法やセラピーなどで思い出したりと、自分が恐怖の記憶を自覚する意志と覚悟があると判断できた時に必要であれば改善をされてください。
虫が怖い場合の改善
過去世とは別の理由で虫への恐怖心が強いことには、虫に対する拒否だけでなく、自分自身を受け入れていない心理があります。
フラットな認識があれば、思い込みや危害への恐怖を思考的にルール設定することはなく、自分を自分で認識することで怖がることはありません。
例えば赤ん坊は、虫への恐怖がないフラットな認識なので、ゴキブリを捕まえて食べようとしたりします。
思い込みなく、拒否なく、軸を持って自分が確立されていると恐怖がありません。
虫が怖い場合には、思い込みを外して虫を知り、虫側のことをより考える認識によって改善されます。
そのために、自分の認識を変えることが重要です。
自分の意見を持って虫を認識する
虫への思い込みをなくし、拒否の抵抗感を減らすためにも、自分の意見として虫を認識します。
虫が嫌いで怖い場合、何が嫌いで怖いのかを確認します。
そこに明確な答えがなければ、周囲の影響にて作られたルール設定にコントロールされていることを意味するので、自分で蜘蛛を見て、触って、知って、「こいつ、気持ち悪い」と。
そうなればそれが答えです。ですが、「気持ち悪いけど、実は噛んでこないんだ」とわかれば怖くなくなるかもしれません。
自分の意見を持つためには必ず自分の行動と経験が必要になるので、自発的に行動することで虫嫌いや虫が怖い認識を自ら作ることができ、思い込みから抜けます。
虫を観察して自分の恐怖を観察する
トラウマや過去世の記憶でなければ、恐怖は自分でしか作れません。
そのため、怖いと思う場合には必ず理由があります。
実際に虫を観察して、「うわぁ、怖い」と思う時の自分の恐怖を観察します。
「蜘蛛の足が怖いのかな?でもなんで足?尖っているから?でも痛みないし…刺された時のことを考えている?蜘蛛のことが怖いんじゃないのかも…自分が怪我することが怖いのかも…怪我して痛がる自分を味わいたくない…そんな自分は嫌だ…蜘蛛関係ない?」などと何に対して怖いと感じて思っているのかを理解すると、自分が作ったものか思い込みや植え付けかがわかります。
自分を認める機会となる虫の影響力を活用する
虫は思考なく本能と波動にて生きる生物であるために、地球への役割と食物連鎖など、本能として携わる認識機能にて、やるべきことをただ行動し続けます。
虫との関わりでは、人間性が自然と引っ張り出されます。
100%自分剥き出しで本気で関わる相手には、同じように関わらなければ対等になりません。自分を認めないと剥き出しになれず、その理由となる”恐怖”を露わにさせるのが虫の影響力です。
恐怖が邪魔することで、虫が怖いと同時に、自分の真意や本性を出せなくされた、または本性を自分で見たくないのに見させられたと思って嫌いになります。
さらにそこに、「男なのに虫が嫌いなんて」などの固定観念を入れ込めることで、知りたくない自分を知らされることへの嫌悪を抱く理由になります。
自分を認めて受け入れることで自分らしくありのままとなり、虫が怖いことの改善になります。
虫さんも何にも考えないで自由気ままに生きているわけではないんです。一瞬先は闇ですので、ブーンと飛んでいたらパクっと鳥に食べられ、ゲーとゲップされて一生が終わります。
そのため、とにかく本気で本能のままにあるがままに、一切の躊躇なくどでかい人間を見ても一心不乱に飛んだり歩いたり、熱々の味噌汁に渾身のはっちゃけをします。
そんな超純粋生物と関わる際には、こちらも本気でなければ関われません。
虫は自分が恐怖を抱えて生きていることを教える。そんな生物です。
ぜひ、自分を知る合図や機会にしてみてください。
※恐怖の正体については、恐怖との関わり方が重要|正体を知るとわかる恐怖必要説 をご覧ください。

虫が嫌いで怖い まとめ
虫との関わりでは本気でありのままの姿を現す影響力があります。
それが虫の力です。
地球の一部である虫との関わりでは、虫の影響を意識的にも無意識的にも受けています。
それが恐怖の有り様を潜める人間性です。
恐怖があると思い込みや決め付けをして、自分の意見を持たなくなると同時に拒否が多くなり、自分を隠してありのままの状態を逸脱する考え方や生き方の認識を作ります。
しかし、全力で気持ち悪い虫が出てくることで、それが隠せず露わになります。
それは嫌なことでも恥ずかしいことでもなく、自分を認めて受け入れ、自分自身を理解して知る機会となり有り難い恩恵です。
虫が嫌いなら嫌いで良いと思います。わざわざ好きになる必要はありません。
ですが、虫がいることに意味があり、虫と関わることに意味があり、自分が反応することに意味があります。
せっかく意味があるならば、自分のために活用することも手かもしれません。
それでは終わります。
「ナウシカって素敵な映画ですね」という話でした。