どうしてか、私達は優しさという何か良さそうなものを求めます。
「優しさとは自らの利益を得られた結果なのかどうか」
そんなことを教えてくれる存在として、優しい人がいます。
この優しい人、日本ならではの特殊な優しさであることをご存じでしょうか?
故に、シュッと黙って消える理由があります。
ここでは、優しい人が黙って去る仕組みを見ていかれてください。
- 優しい人が突然黙って去るのはなぜ?
- 優しい人の黙って消えたい心理とは?
- 優しい人が与える最後の利益とは?
これらを紐解き、「優しい人との関わりは傷つかない安泰ではなく、修行だったのか」と知っていただく内容となっております。
「優しさ」とは人に利益を与えながら人をダメにするものですが、どうしてか私達は優しさを求めて止みません。
そんな理解を深めながら、自らの向上に繫げる一つの考え方となれば幸いです。
Contents
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優しい人は突然黙って去る

優しい人が消える時に起きていること
「じゃあね、もう関われない」
一方的にガシャンと分厚い防壁、テリトリーに入れてくれない。明確なシャットアウトは悲しくて辛いものです。
そこは優しい人、最後の最後まで相手を否定せず、攻撃せず、傷つけないことに徹底し、シャットアウトではなく自らをフワッとフレームアウトさせて消えます。
優しい人に我慢の限界がやってきており、関わる意味が見出せなくなった状態と考えられます。
もう少し前に言ってくれれば、理由を聞ければ、見直して、反省して、改善して、継続して、より良い関係性になれたかもしれない。
しかし、優しい人はお互いの向上を求めている訳ではなく、自らの限界に向かっている自覚がなく、気づいた時には既に限界到達。
「このままではいけない」というアラームに気づけないため、突然に理由もわからずシュンと消える人もいます。
「一方的な利用」に疲れると、消える
優しい人は困らせず、攻撃せず、排他せず、嫌な思いをさせず、不安にさせず、不利益を与えないように関わってくれます。
空気を読み、配慮し、納得感を与え、満足感を与え、自らを抑制してまで相手に喜んでもらおうともして、利益を与えるように関わってくれます。
相手に不利益を与えず、さらに利益を与える働きを常にしています。
関わる人は困ることがなくなり、安心して関われる心地良さと気楽さを感じ、まるで微笑みながら膝枕をしてもらう世界に入ります。
[不利益なし+利益あり=安泰ゲット]
安泰とは恐怖がなく安心がある状態。私達人間は安泰を掴み取ると怠惰欲が急速に溢れ、「むにゃむにゃ、このままがいいなぁ」と心地良さに身を絡めて静止しようとします。
「パチンッ、早く起きなさいよ重いな、いつまで寝てんの」と大家族ママのように目を覚ましてもらわないと、知らぬ間に怠惰液に身を漬けていきます。
気づかぬ内に優しい人に頼り、甘え、執着し、一方的に安泰という利益だけをもらう関わりになることがあります。
中には共依存にて他者から利益を貰うのが当たり前の人もおり、優しい人に完全に寄りかかる重荷として、一方的に利用する人もいます。
優しい人はそれでも我慢して、利用させてあげます。
しかし、自らの労力とエネルギー消費によって耐えている状態ですので、疲れとストレスは蓄積していきます。
疲れが蓄積し続け、これ以上耐えられなくなった時にドンッと噴火。「もう無理だ」と消えます。
膝枕をしてあげたら相手が眠っちゃった。そのまま重みに耐え続けて、膝が壊れる限界になったら、急にストンと膝を抜いて出て行った。というイメージです。
※優しい人の詳細は、【優しい人は損をする仕組み】あることが欠けていると報われない をどうぞ。
優しい人の優しさとは一体?
上述の膝枕事変では、「重かったら言ってよ、起こしてよ、叩き起こしてくれてよかったのに…」と思いたくなるかもしれません。
ここに両者の認識が表れます。
お互いの合致がなく、一方通行。
優しい人も優しくされる人も、両方が相手をしっかり捉えて関わっていない可能性があります。
特に優しい人は、優しさをあげた段階で自らの価値観や認識にフォーカスし、膝枕でスヤスヤする側の目線に近づこうとしなくなります。
自らの提供している優しさに対して、「これで良いのかな?」「この人をダメにしていないかな?」とは考えません。
「長時間膝枕で相手の膝はギンギンに痛いってわかるよね」
「なんで人の膝の上なのに寝られるの」
「自分だったら五分くらいで膝から降りるよ」
「優しさの上にあぐらをかいているんだ」
疲れれば疲れるほど余裕がなくなり、相手の立場ではなく優しさを提供してあげている立場の目線になり、相互理解が限りなく皆無になります。
一方、優しくされる側は事前に相互概念があったとしても、優しさを貰って心地良くなった段階で欲の満たし体感に入ります。
欲を満たしている体感は誰しもハマりやすく、相手がどういう状況でどういう気持ちかを考える認識がなくなり、気づけばコクーンのように糸グルグル、安泰にフォーカスして相手を忘れてしまいます。
お互いに相手の立場になる認識や、相手のことを考える努力がなくなり、優しい人側が一方的に我慢し続け、限界到達になればサササと去っていきます。
優しい人は認識力、理解力、知性があるため、自らの立場での見方が定着しており、さらに優しさを提供している側なので相手の立場になる余裕はなく、「これ以上は関われない」と思うに値する多くの材料を明確にして、一切の躊躇なく離れるようになります。
ここで疑問に思うのが、「一体どんな種類の優しさなの?」ということかもしれません。
詳しく紐解いていきましょう。
※本物の優しさについては、本物は『知る』│本当に優しい人は傷つけ方を知っている をご参照ください。
安泰提供という優しさ
「優しさ」とはわかりにくく、人それぞれに利益を貰う側が、「この人は優しい」と評価・判断します。
本人が優しいかどうかではなく、周囲が優しいと判断できれば優しい人になるので、優しさとは如何に相手に評価されるかが大切と考えられます。
この評価価値になるのが、「利益取得」です。
少し人間くさいお話になりますが、私達は自分の喜びにとにかく興味があり、それ以外にはあんまり興味などなかったりします。
興味があるのは自らが喜べる、困らないなど、利益があるか不利益がないかのフォーカスであり、利益が得られるから他者と関わります。
この利益を与えてくれる人を私達は、「優しい人、いい人、都合がいい人」と言います。
与える利益が[安泰(恐怖なし+安心あり)]という最強アイテムなのが、ここでお伝えしている優しい人です。
優しさのポイントとなるのが、「安泰」です。
安泰をタダでくれる優しい人。おそらく多くの方は喜び、はしゃぎ、私なんかは火の前でダンスです。
しかし、この優しさは見方を変えると全く別物になります。
人をダメにする怠惰の元。自らの意思をなくし、意志を消し、自立意欲をなくし、創造性を抹消する魔法。
何もしていないのに大豪邸をもらい、毎月の資金供給。抜けられなくなります。
チェスのアプリでコンピューター相手に勝ちたいから、“一手教えてくれるヒント”ばかり使っていたら、自分一人では勝てず、むしろとんでもなく弱くなってしまったというイメージ(今の私)です。
この優しさ、「思いやり、心遣い、敬い、尊重、愛」など、他者をしっかり認識して与える優しさとは全く別物、どう受け止めるかが重要になります。
※誰にでも優しい人は誰にも優しくない件は、【いい人の生存戦略】誰にでも優しい人は誰にも優しくない をご覧ください。
優しい人の黙って消える心理

黙って消えたくなる心理
優しい人の安泰提供する心理に、黙って消えたくなる原因があり、日本の価値観が大きく影響していると考えられます。
不安国家と言われる日本のパーソナリティや環境では、自然と優しさにプラスの意味合いのみを認識し、「優しさはとにかくいいものだ」と信じて疑わなくなります。
優しさという安泰提供にネガティブな面が見出されず、「良かれと思って=善意」になり、行為に疑いがなくなります。
ジャパニーズメンタリストである私達にとって、安泰はほとんどの人が欲するもので、執着や依存心があればあるほど、自ら安泰を作るのではなく他から得ようとすることに違和感がありません。
安泰提供は執着や依存心の増長行為となり、執着や依存心が少なくても一度貰って味を覚えると、知らぬ間に泥沼にハマってしまう甘いチョコレート的な魅惑があります。
いつの間にやら泥沼にハマり、優しい人は依存されて疲れ、我慢にてエネルギー消費して、まるで被害者のようになり、黙って消えたい理由が明確になっていきます。
相手に利益を与えれば与えるほどに自らの身を粉にしてしまうため、身を護るために離れなければなりません。
※優しい人が切らなければならない縁は、【優しい人が縁を切る明確な理由】切らなければならない条件付き人間関係 をご覧ください。
お互いの認識を合わせようとすると、優しい人は消えたくなる
日本の価値観として、利益提供の善意活動が自然と承認されながら、ならではの価値観である、「迷惑をかけてはならない」「否定されたくない(恥ずかしい思いをしたくない)」などが追加され、ある観念(自己ルール)が作成されます。
「自分のことは我慢してでも自分でやる」
自責が強いとも、他を信用していないとも取れるものでして、集団ではなく個人意識が強まります。
社会的に正しいと思って疑わない強固な観念となり、「私は私、あなたはあなた」という区分けが強まり、「優しさを与えればみんな喜ぶだろう」と相手を捉えずに自己ルールにまっしぐらなことに違和感を感じなくなります。
もし関わる相手がお互いの認識を合わせたり、区分けせずに同情や調和を求めるなど、個人意識に共存を押し付けるようなことがあると、大きな反発が生まれます。
反発があっても相手を傷つけないので、「嫌だ!」とは言わずにふんわり包み、真意に気づかれないように嘘や誤魔化しを多用し、自らのルールや自責に重んじた個人意識を密かに主張します。
これをすると異様に疲れます。
例えば、カップルとして関わっていたのに、片方が結婚しようと思った時、優しい人は相手が嫌いではないけど窮屈になり、「結婚しよう」が押し付けに感じ始め、限界到達まで取り繕って我慢しますが、最終的にドロンと消えていなくなったりします。
※日本の優しさについては、【日本の優しさ】他人に興味がない人が優しいと思われる仕組み をご覧ください。
優しい人が離れたくなるポイント
上述の心理ポイントとなるのがこちらです。
- 優しさ(利益提供)への「善」決定観念
- 自責が強く、何でも一人でやろうとする
- 人を信用できない
- 個人意識の強さによる相互合致への反発
これらの心理によって、反発や憤りがあっても我慢して自分でなんとか対処しようとします。
自己ルールが強固であるために、自らの優しさを疑う余地がなく、相手の立場で物事を考えていると思い込みながら実際には考えず、変化や改善を作ったり促すのが苦手になります。
認めたくない反発や拒否が起きた時の対処法が我慢になりやすく、限界到達と共に自分以外が見えなくなり、離れたり消えたりと、突然去ります。
人によっては虚無感や喪失感を感じ、即時休息を欲して一人っきりになろうとします。
※怖いと思われる優しさは、【優しさの種類がある】優しい人が怖いのは不干渉か闇の配慮か。をどうぞ。
優しい人が与える最後の利益
優しい人の心理を把握すると、「相手のための優しさではない」とわかります。
これが何か悪い訳ではなく、優しい人には優しさを使用しながら生きる目的があり、どこまでも相手を傷つけず、自責によって困ったことをなくす自己対処の理念があります。
そんな優しい人は突然いなくなりますが、最後の最後まで利益提供してくれています。
優しい人は、「自分を見つめ、自らのことは自らが責任を持つ大切さ」を教えてくれる存在です。
安泰の誘惑に打ち勝つ心を鍛える時間
「優しくされた、はぁ良かった、チャンチャン」で終われないのがここでの優しさ。
目の前で札束をヒラヒラして、「あげるよ」と言う人がいます。
「ただより高い物はない」「これは罠だ」「この後に何かさせられるんだ」
いろいろ考えますが、いざ貰ったらもう一枚出してきました、「あげるよ」
「え、やった」
「あげるよ」
「やったやった」
「あげるよ」
「ストップです」
これがずっと続くと、安泰を他から貰うことになります。
「最高だね」と言いたいところですが、この先に待っているのが執着であり依存心の増長、怠惰欲に怠けた甘え、そして自らも相手も見れなくなる泥沼シロップの渦です。
さらに気づけば優しい人が離れていき、とてつもない虚無感や、これまでの夢物語の回想が流れ続け、集中力もモチベーションもそぎ落とされます。
「泥沼シロップと血液がいつの間にか変わっていた」という具合に、生気が抜けたようにカラカラしてしまう可能性があり、何もせずに利益を得る見返りは大きすぎます。
優しい人が悪いのではなく、自責を持って自らにフォーカスした関わりの結果、良かれと思って利益を与え続けていますので、貰う場合にも同じように自責を強く持つ大切さがあります。
目の前に利益があれば貰いたくなるのは私達人間の常かもしれませんが、自らを見つめ、相手も見つめる機会となるのが優しい人との関わりです。
※報われない優しさについては、【優しい人は損をする仕組み】あることが欠けていると報われない をご覧ください。
自責の大切さを教えてくれる
優しい人と関わる際には覚悟と大きな自責を要します。
いわば、関わりは修行です。
表面上は一切そんなさまはありませんが、実情は自責がある人同士でないと、どちらかが損をして、どちらかが得をするシーソーゲームになってしまい、最終的にどちらも自分を見失ってしまう可能性があります。
利益取得としての優しさを一方的に貰う場合、自らのことは自らが律し、正し、見つめる必要があり、さもなくば気づけばチョコレートまみれでトリップ気分です。
沼にハマり、執着が強まり、相手をしっかり認識せず、知らぬ間に自責がなくなってしまうトリックです。
利益となる甘い蜜は誰しも喜んで欲しいものですが、優しい人との関わりでは自制を要し、自らの思考と行動をしっかり認める責任を要し、自分を客観視するメタ認知も重要です。
気楽にいつでも喜びや満足を貰い、困らず不安にならないので、このように考えることは少ないと思いますが、自責がないと相手を一方的に疲れさせる負担にもなり、相手を捉えない一方通行の関わりでの損得発生は、犠牲者を出すと現実的に教えてくれます。
優しい人は自責にて自分へのフォーカスが強すぎると知る機会になり、優しくしてもらう人は自責を育む機会になる、という考え方です。
※相手をしっかり捉える優しい人は、辛い経験は優しさを育む機会を与える│人の悲しみを知る優しい人 をご覧ください。
優しい人は突然黙って去る まとめ
優しさには種類があり、相手を捉えずに提供する優しさには人それぞれの目的が含まれるため、悪意なく別物に成り変わる優しさ七変化があります。
優しさとは一体何なのか、奥深いものです。
相互理解による人間同士の関わりでは、思いやりや敬いの愛が優しさとなり、誰しもが明確に心地良さと尊重を感じます。
しかし、そうではない優しさは多種多様。良かれと思って優しさはバンバン提供されます。
そんな時、優しい人が去ったことは自らを見直し、自責を持ち、相手をよりしっかり捉える大切さに気づく機会になります。
利益提供側は、甘い香りに誰しもを誘いますので、一方的に執着や依存される可能性も高くなり、心を開きたくても人との関わりに害を感じ、怖くて開けない人もたくさんいます。
心を開かずとも相手をしっかり捉える認識があると、自然と相手への敬いが芽生え、自らと相手の心を同じタイミングで少しずつ開き合う関わりに繋がります。
そういった人間同士の見えない関わりを見つめ直し、自らの在り方を変化・改善・向上させる機会となるのが、優しい人が黙って去ることなのかもしれません。
起きたことには意味がありますので、今後のためにご参考になる内容となれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える躍動と愛があると信じています。自分を知った先の世界を見にいきましょう。

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※本気で自己理解を深める方は、こちらからお進みください。
先日、長年の親友と付き合いを辞めました。近年、彼女に違和感を感じ苦しかったのです。
北斗さんのブログを読み、なぜそうなった理由がとても上手く解析されていました。おかげさまで、ようやく全てが腑に落ちました。
一方的に離れた自分をずっと責めていましたが、もしかしたら彼女にも最後の利益があったのかもしれないと知り、とても救われました。
本当にありがとうございました。心から感謝しています。
一つ無意識な内の我慢がなくなると、次の関わりの工夫ができますね。
お役立ちできて良かったです。
早速ご返信ありがとうございました。
これからはあまり我慢せず、バランスの取れた関係を築けるよう努めます。
本当に助かりました。ありがとうございました。