本当の自分

【優しい人は損をする仕組み】あることが欠けていると報われない

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ある日、フランス人の友人が、「日本人って一体誰のために優しさを振り撒いているの?」と聞いてきました。

「自分のためだよ」

「自分のために優しくする」と聞いた時、私達ジャパニーズメンタリストの反応は大きく分かれます。

「そりゃあ自己満足だもん」
「自分のためではなく、相手のために優しくしているんだよ」

自己満足で優しくしていない人は損をする可能性がググンと高まります。

どうしてそんなことが起きるのか?

ここでは、優しい人は損をする仕組みをお伝えします。

  • 優しい人が損をするのはなぜ?
  • 欠けているあることとは?
  • 優しい人が損をする時に大切な考え方とは?

これらを紐解き、「優しさってあることが欠けていると歯車が合わないんだ」と知っていただく内容となっております。

いい人は報われるべく存在です。しかし、他者との共存環境では損をしやすい特徴がありますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

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優しい人は損をする

優しい人はなぜ損をするの?

「いい人」と言われる優しさ。

困っている人がいれば助け、気まずくなればその場を明るくし、周囲を配慮して見る、気づけば自己犠牲もいとわず、自分が一番労力を払っている。

「あ、ドリンク空いているな」と思えば、「何か注文する?」と訪ねて店員さんを呼んであげて、後で陰口を言われる。

「あ、おばあちゃんが重たい荷物を持って立っている」と思う電車時、「あのぉ、もし良ければ座ってください」と席を譲り、断られる。

後輩に仕事をこなす独自の方法を教えてあげたら、素知らぬふりして昇格、ポジションを奪われる。

「優しさって一体何なんだろう…?」と思いながら夕日を眺める経験、私は数えきれません。

特に男性なら顕著に表れる、モテないという断末魔。一体どうすればいいのかわからない。

損をする優しさには、大きな特徴があります。

相互合致した人間関係がない

 

相互合致がない一方的な優しさ

優しさとは自らが他者に対して働きかける行為ですので、必ず存在するのが他者との交流です。

人と人の関わりでは両者の合致や認識や契約があって、行為が成立します。

一方通行でWinWinがない、Give&Takeがない場合、「相互」がなくなります。

優しさは一方的に与えても喜ばれそうに思えますが、それは「愛」に限定された条件付きだったりします。

愛する人であれば愛を与えられるかもしれませんが、そうでない人に愛を与えられるのは聖人君主くらいなものです。

この特例を除き、優しさは相互がないと単独舞台になります。

どれだけ優しい気持ちを持って相手を配慮しても、相手が合致・承諾しなければ一方通行になり、「単独舞台(独りよがり、または押し付け)」にパッと切り替わります。

単独舞台には単独舞台が返ってくる因果応報、自業自得とも言います。

優しさだと思って荷物を運んであげても、相手の承諾がないのに行為に及べば押し付けとなり、「なんでそんなことするんだ!」と相手も押し付け返します。

もし押し付け返してこなければ相手の優しさがあったり、我慢や妥協、憤りやイライラ、疲れや違和感、損得勘定でお返しをしなければならない余計な思考を作るなどが起きています。

優しくする際に相互がないと、良かれと思ってしたことでもどちらかに不利益が起き、不利益を被りやすい(請負やすい)のがいい人です。

いい人は相手のためだと思って優しくするので、優しさが単独舞台だとは思いずらい心理があります。

※優しすぎる注意点は、優しすぎる人はストレス対処を忘れないで。八方美人ではないから気づきにくい をどうぞ。

 

「誰のためでもない優しさ」は付け込まれる

損をする優しさは、「誰のためでもない優しさ」と言えるかもしれません。

優しさとは自らが他に働きかける行為ですので、必ず目的があります

例えば、対向車に道を譲った時、「あの車を運転している人のために譲ろう」と思います。

プッとされれば優しくして良かったぁとホワン。プッもされずにサーっと行った時、イライラはしないけど、「あれっ?」と何かスムースにいかない引っ掛かりがあるかもしれません。

優しさは自らの行為ですので、「どうして相手のために道を譲るのか?」の答えが、「自分が喜ぶため、納得するため、イライラしないように、ルールに従って不安にならないように」など、自分のためになっている必要があります

自らの行為であることは、自らが行為の目的を持っているから成り立ちます。

目的は必ず自分のために繋がり、「相手のため」であれば、「相手が喜ぶことが自分の喜び」などとなります。

目的が自分のために繋がっていない場合、「相手のため」だと外枠を塗った優しさになり、実際には誰のためでもない優しさが生み出されます。

 

いい人の優しさは付け込まれる

誰のためでもない優しさは、二つの結果を作ります。

  1. 一方的な優しさの押し付け
  2. 相手に付け込まれて利用される

[自分のため+相手のため]によって成り立つ優しさ。

いい人の場合、自分のためがなくなりがちです。

相手のためだけに自分を使って、時間を消費し、労力を払うでもなんでも、「私は自分を犠牲にしたい」など自分のためがないと目的を持った行動になりません。

自分のために優しくしないと、目的がなくなってしまいます。

優しくする自分がフワフワするイメージで、なめられる可能性を高めます

まるで相手を上にして、自らを下にする優しさとなり、「私は下なんです」と言っているような印象を与え、さらに「あなたは上なんです」と思わせる印象にもなります。

例えば、歩道を歩いていて前から自転車がやってきます。

「相手のために避けてあげよう」と思うか、
「相手が無事に通れると自分が嬉しいから避けよう」と思うかで、自転車側の反応は極端に変わります。

「相手のため」だけで自分が抜けている場合、目的が曖昧なので避ける動作や避け方に芯がなくなり、「そっちがどくのが当たり前」という具合で通られたりします。

面白い結果がわかると思いますので、ぜひお試しあれ。

※誰にでも優しい人の生存戦略は、【いい人の生存戦略】誰にでも優しい人は誰にも優しくない をどうぞ。

 

自制心がない優しさは誰のためでもなくなる

優しくする際、「相手のため」と思っていても、潜在意識には明確に自分のための目的があります

  • 嫌われたくない
  • 好かれたい
  • 自分の存在価値を見出したい
  • 自分を必要な存在だと思いたい
  • 自分を必要とされている存在だと思いたい
  • ‥‥

自己肯定感の低さや自信のなさが関わり、嫌なことが起きないように、不安にならないようになど、「拒否したくなる受け止めたくないことを事前排除する目的(恐怖心からの逃避)」です。

目的が無意識なので気づきにくく、気づかないようにしている心理もあると考えられます。

この心理に該当するかどうかは、「優しくしないようにできるかどうか」の自制心度合に比例します。

自制心がないと、優しくしないのが困難になります。

困っている人がいるとザワザワし、悩み相談されて断れず、時間も労力も精神も削りながら聞いてしまい、相手に利用され、つけあがられ、依存もされます。

自制心がなくなると、目的である恐怖心からの逃避にまっしぐらになり、それを自覚することがまさに恐怖心との対面になってしまうので、目的をはっきりさせる誤魔化しが起きます。

「相手のために優しくする」と思おうとします。

相手のためだと思うことで、自分は優しさを与えていると思えます。しかし、相手にとっては相手自身が行為に承諾しなければ優しさだと思いもしません。

潜在意識の目的を得るためにも、「相手のためなんだ」と強く思うようになり、自らを犠牲にして優しくし、結果的に相手に利用される頻度が高まり、損をしてしまいます。

恐怖心の回避という潜在的な目的には、人に対する不信感が関わります。

「相手のためだ」と思いたい顕在的な目的によって、より目的が曖昧になって付け入る隙を与えます。

※人助けする優しい人の心理は、困っている人を助ける人の気持ち│人助けする理由と心理とスピリチュアル をどうぞ。

 

あることが欠けていると報われない

誰のためでもない優しさ、自制心のない優しさには、共通してあることが欠けている可能性があります。

あることとは、自分自身の客観視です。

優しい人は客観視に長けています。ポイントは他者の客観視ではなく、自分自身の客観視が欠けている点です。

 

自分の客観視が欠けている=誤魔化し

優しくできる人は認識力が高い特徴があり、周囲をよく見て把握しています。

恐怖経験の賜物です。

嫌なこと、拒否したいこと、危険や苦痛の経験が多いと、危険察知や自己防衛が高まり、周囲を把握する認識力を高める経験をしていきます。

恐怖回避や対処術がわかりやすくなり、立ち向かわないで逃げたり誤魔化すのが上手になります。

すると客観視できるようになります。

しかし、周囲の客観視に長けても自分自身を直視する認識が育まれにくくなり、自らを客観視していると思い込む癖ができます。

[認識力の高さ+恐怖回避能力=誤魔化しに長ける]

自らを客観的に捉えられているかわかる方法は、自分を疑っているかどうかです。

優しくて損をする人は自分を疑う頻度がとても少なく、疑う概念がない人もいます。

認識力が高い人は頭の中でさまざまなルールを作り、逃避と誤魔化しを複雑に多用します。

何も悪いことはなく、とても大切な能力なのですが、自覚がなくなると自分自身の客観視が育まれず、相手のためだと思えば思うほどに優しさは誰のためでもなくなっていく矛盾を作ります。

※日本ならではの優しい人は、【日本の優しさ】他人に興味がない人が優しいと思われる仕組み をどうぞ。

 

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優しい人が損をする時に大切なポイント

おさらい:優しい人は損をする仕組み

これまでの内容を一旦まとめます。

優しい人は損をする仕組み
  1. 優しさが相互に承諾し合った後の行為ではない
    …知らぬ間に押し付けの単独舞台になる
  2. 一方的な優しさ
    …因果応報(自業自得)、単独舞台が返ってくる
  3. 誰のためでもない優しさ
    …優しい行為の目的に「自分のため」がなくなり、付け込まれる
  4. 自制心のない優しさ
    …相手のための優しさだと思いたい心理、強い恐怖回避目的や誤魔化しがある
  5. 自分自身の客観視がなくなる
    …より強く単独舞台が発生、見返りも強くなり、損が大きくなる

損をする仕組みは、自分の客観視が欠けていることに基づく心理があり、目的が不明確になって知らぬ間に自制心なく、誰のためでもない優しさになり、一方的になったり相手に付け込まれる隙を与えて利用されるというものです。

 

優しくする時は「自分のためを忘れない」

私達人間は社会通念による共通性、人と関わるコミュニケーションルールを事前に作ることで、目の前の人をしっかり把握しなくてもなんとなく関われます。

しかし、実際の人間関係とはルールも共通もなく、「自分がいて相手がいて」という、砂漠の上に二人だけの真っ新な状態です。

自らと相手の生身の人間同士の関わりでは、お互いの合致が絶対的に必須となり、まずは自らを知り、その後に相手を知ろうとする努力が大切になります。

お互いが同じように知ろうとすることで合致が起き、初めて両者の納得や満足を作る人間関係になり、尊重し合う愛も生まれます。

損をする優しさの場合、「お互いの合致、自らの大切さ」を忘れているかもしれません。

「自分のため」に繫げた目的が曖昧になると、弱くなくても芯がないので自然とヘロヘロした印象を与えます。

いい人は認識力が高いので、人間の内部や深くを捉えようとしますが、多くの人は人間の表面で評価・判断しており、中身まで捉えようとする人は一部です。

「自分のため」が抜けた行為は、表面だけを捉える人間からすれば、「弱い、利用できる」と付け入る隙になりますので、自らを護るためにも優しくする目的を自分のために繫げることが大切です。

 

損をしない優しさが初めの一歩

「自分のためを忘れない」

これは他者を利用する意味ではなく、優しくする目的を明確にする意味です。

優しくする行為は自分から行うので、目的は動機である欲に基づき、自分のために繋がります。「相手の笑顔が私の喜び」という人もいると思います。

目的を明確にすると、自分自身を客観視できます。

客観能力は既に高い人ですので、後は自らを見ているようで見ていない逃避や誤魔化しをなくすと、自然に自らを客観視できます。

すると、「私はどうして目の前のおばあちゃんを助けたいんだ?」の答えがわかります。

「自己満足?他者利用?困っている人を助けたい正義心?社会の善悪ルールへの従順?」

なんでもいいんです。

自分の目的を明確にすれば、助けたければ助けます。助けたくなければ助けません。

客観視によって、「荷物持ちましょうか?」と聞き、「お願いします」と言われれば手助けして、思いやりによる調和が生まれます。

「あ、危ない!」と水風船がぶつかりそうな少女を運び、「ちょっとー、今遊んでんのにー」と言われれば、「ごめんねぇ」で終わり。それ以上も以下も何もありません。

優しさは自己満足から始まります。

「誰のための優しさか?」の答えは、「自分のため+相手のため」が常です。

自他両方のためになった時、それを愛と言います。

自分のためを忘れない行為の先にあるのが、相手のためも敬った愛ですので、損をしない優しさは初めの一歩となる大切なものです。

その後に、「優しさ」として、思いやりや心配りの愛へと進化していきます。

※利用されない策は、【利用されやすい人に大切な豆知識】優しい人の利用価値は中毒性?!をご覧ください。

 

優しくする際の注意点

愛に基づいて優しくできる人は極限られた人ですので、実際に優しくする際は、誰に優しくするかの見極めが大切になります。

誰に対しても優しくするのは、自らが損をするだけでなく、相手を怠惰にさせ、怠けさせ、甘えさせ、不変を作る堕落の増長にもなります。

人に執着や依存する人は付け込みます。

人間同士の相互交流は常にお互いの利益がある状態で良好ですが、相互認識の概念が皆無の人も世の中にはいます。

人は利用するもの、だから自分も利用させてあげる。

これが優しさになる人もおり、生み出すのはエゴと我欲、執着を強める自我の喪失です。

「相互」の概念がない人には注意が必要です。

やむを得ず関わらなければならないなどの場合には、相互を強引にでも作ります

相互を作る方法は「事前の見返り契約」です。

  • 同僚のやりたくない仕事を優しさで受け持つ場合、ご飯をおごってもらう約束をする
  • 悩み相談を受ける場合、お金を請求する
  • 本を貸してあげる代わりに、ゲームを借りる
  • 助言を与える代わりに、何か見返りを決める

相互認識がある人にこれらをする必要は一切ありませんが、相互認識がない人の場合はなにかしら見返りをお互いに決めます。

お金を借りて返せなければ、まるで自らが被害者だと思える人もいる世の中です。

良かれと思った優しさが、自らに損を作るだけでなく、相手をダメにしてしまいます。

特に一過性のものではなく、大きな悩みや人生の問題に関しては、見返りなしで優しさを与えるのは完全に厳禁です。相手の行動を止めてしまい、相手のためになりませんので見極めを重要視されてみてください。

 

優しい人は損をする まとめ

優しさの概念は多岐に渡ります。

一体何が優しさなのか、それがわかるのは自分ではなく相手です。

良かれと思った優しさが一方的な単独舞台になり、自らの心理を癒し、恐怖から逃れる誤魔化しの増長になっている可能性もあります。

しかし、「自分のため」を忘れなければ、損をしない優しさになります。

優しくできる人は内情がなんであれ、他者を認識する経験値と育みをし続けてきたこれまでがあります。

経験は認識力となり、状況把握、人の気持ちの察知など、理解力の向上にも繋がります。

そこに恐怖逃避の誤魔化しがある場合、チラッとでも自覚すると、自らを客観視する能力が高まり、損をしない優しさに変換できます。

優しくする際、自らの客観視がとても大切です。

「これは優しさかな?」
「この人に必要なことかな?」
「今の優しさは自分のためだったかな?」

損をする場合、自らとの向き合いと同時に関わる人の見極めも重要です。

人間同士の関わりは相互ですので、相互認識がない人には舐められて弱いと思われる可能性があります。

ぜひ、「自分のため」を忘れずにいきましょう。

自他のためである優しさになった時、優しくするかしないかの自制心がつき、より自らの目的と、相手への敬いを持って、優しくしたりしなかったりができます。

優しくしないことや不干渉そのものが敬いであり、執着心を強めさせない関わりでもあるので、自他共々の客観視ではさまざまな捉え方が追加され、より広い世界になっていきます。

そんな基盤が既に揃っている損をする優しい人。ご自身の理解を深めるためにもご参考になれば幸いです。

それでは、優しい人は損をするお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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