生き方

寂しさを感じないのは責任と自覚の表れ│特徴からわかる孤独ではない訳

「一人で寂しくないの?」

「へっ?どういうこと?」
「一人は寂しくなる可能性を秘めているってことなのかもしれない」

そう思った私は、自分なりに寂しさについて考え、「クリスマスは一人じゃ寂しい…グスン」という意見が多いことに辿り着きました。

私達人間は不思議です。

寂しさを感じる人が不思議なのか、寂しさを感じない人が不思議なのか。

どっちでもいいですが、「寂しい、一人は嫌だ、孤独に耐えられない、助けて、誰か、ねぇ誰か」と泣いている人に、こんなことを言うと世間の反応がわかります。

「うるせぇ」

はい、冷酷で非人道的なサイコパスに早変わりー。

「そこでこそ寂しいと思うのか?」
「…思わない、チェッ」

寂しさを感じないのはなぜか?

そんな紐解きをすると、寂しさを感じないことの理由と仕組みがわかります。

寂しさを感じる人の仕組みもわかりますので、見ていきましょう。

寂しさを感じない

寂しいとは

寂しさって何でしょうかね?

辞書から見ていきましょう。

寂しいとは、

[形][文]さび・し[シク]《「さぶし」の音変化で、動詞「寂(さ)びる」に対応する形容詞》
 心が満たされず、物足りない気持ちである。さみしい。「―・い顔つき」「懐が―・い(=所持金が少ない)」「口が―・い」
 仲間や相手になる人がいなくて心細い。「一人―・く暮らす」
人の気配がなくて、ひっそりとしている。さみしい。「―・い夜道」

※引用 コトバンク

満たされない、心細いなどを表す言葉で、特に一人であることや仲間がいない状況で抱く。

英語では、Lonely[寂しい]と、一人ぼっち感がにじみ出ます。

私自身、寂しいと感じることはありませんが、過去は寂しいと思っていた時もあるので、その時を思い出せば寂しい気持ちがわかります。

しかし思い出すとわかるのは、「寂しい」と抱く感情?気持ち?思い?をあえて作っている自分がいることです。

これは誰しもがそうなのかを考えると、「その傾向はあるんじゃないかな」という内容をここではお伝えします。

詳細を見ていきましょう。

 

寂しさは感じるのではなく思うこと

寂しいとは“心満たされない気持ち”という意味ですが、それに似たものとして“空しい(虚しい)”があります。

空しい(虚しい)とは、中身がない空っぽの空虚感です。

空しさが自分に対してか他者に対してかで意味が大きく異なりますが、自分に対するものである時、寂しいという心満たされない状態とかぶります。

共に、満たされていない空虚があることで抱く気持ちです。

そんな空しいも寂しいも満たされない時に発生するので、一人ぼっちで孤独だったり、友人やパートナーが周囲に居ても心開ける相手でなかったり、自分のしていることが何の価値があるのかわからない時などに、「はぁ、寂しい、ゆら」と風になびかれます。

それらの気持ちが起きる時を辿るとわかるのですが、“自分”という存在が明確ではない状態で寂しくなります。

言い方を変えると、自分を理解してもらえないと思った時に寂しく感じるということです。

自分を誰かに理解してもらえないと自覚した時、自分の存在が明確でない空虚を知り、寂しいと思う

※その事実を認めることで空しい(虚しい)と思う

ここで重要なことは、自分の状態を一度認識するステップがあるということです。

そのため、風が肌に当たってサラ~という感覚のように、「0から1、はい感じます!」とは違います。

さらに、サラ~が柔らかくて好みの風だった時は、「0から1、はい感じーの、心地良さ来るー」という自然な連動が生まれている、とは違います。

寂しいの場合にはこうです。

「はっ、誰も私をわかってくれない」と状況を認識しーの、「もしかして自分を理解してもらえないんじゃないの」と思いーの、「はい、寂しい、ポロ」と涙を一滴。

流れをまとめましょう。

寂しいと思う一連

状況確認(例:心開ける友人がいない) → 事実の認識(私を理解して私という存在を見出してくれない) → そんなの嫌だーと思う → 思考にて寂しいと思う

状況確認 → 事実の認識 → そうなのかー、わかったと認める → 事実の認識にて空しい(虚しい)と感じる

寂しさは思考、空しさは自覚からの気持ち

ぜひ思い当たる寂しさを当てはめて試してみてください。

寂しさと空しさは同じような空虚の認識ですが、それを認めないで拒否するか認めるかで、思考か自覚(状況認識)からの気持ちかが別れます。

 

寂しさとは孤独の拒否反応のこと

上述の寂しさを作る原材料をまとめるとこのようになります。

寂しさを作る原材料
  1. 自分を理解してもらえないことへの悲しさ
  2. 自分を理解できないことへの空しさ(虚しさ)
  3. 自分の存在=価値が明確に認識できないことの認知

これら全てに共通して後付けされるのが、そんな現状を“認めたくない拒否”です。

寂しさは自分の価値を自ら見出せないことによる孤独感に繋がり、心細さや助けてほしい思い(自分ではどうすることもできない感)を抱きます。

事実を認識しても拒否することで寂しさを作り、拒否せず認めることで空しさ(虚しさ)を感じます。

そこには、理解して、わかって、必要として、欲して、愛して、認めて、褒めて、助けて、誰か居て…という他力にて恩恵や利益を貰いたい人間性が起因します。

寂しいとは、自分のことを認めていない前提で、さらに認めたくないような現実を認識した時の拒否によって作られる思考。

※孤独感や自分では対処不能のお手上げ状態で他者にすがる執着心のことでもある

寂しさにはネガティブな思いが含まれていると思います。
「クリスマス、一人なんて寂しいな…つら」みたいな。

それは、クリスマスで誰かといないことに価値がなくなるような常識やルールがあり、他者という存在を利用して己の価値喪失をなくす利益を上げるために、誰かと居ようとします。

一緒に居たい大切な人がいれば、それがクリスマスだかパンプキン祭りだかアンパンマンだかは関係なく一緒に居ようとします。

寂しさの基を辿ると、自らのことを自分で認められない人間性となる過去の記憶や出来事や心の傷があり、他者に執着心を持って生きている現状が表れます。

 

寂しさを感じない理由

これまでの内容から、寂しさを感じない理由がわかります。

寂しさを感じない理由
  1. 他者に自分を認めさせようとしていない
  2. 他者を利用して自分の利益を上げようとしていない
  3. 他者に執着して依存する気がない
  4. 自分のことは自分で認識して認めている
  5. 自分の認識に拒否が少ない
  6. 自分に責任を持っている
  7. 社会の常識やルールに飲み込まれずに意見を持つ
  8. 主体性を持っている

「いや、普通に生きているだけかーい」と言った人は言ったのでは…言ってない?

寂しさを感じるか感じないかは、単純に自分として生きているか、他者の反応を優先して生きているかです。

自らが認めたり愛したり褒めたり助けたりする場合は、寂しいと感じないことがわかります。

 

寂しさでなくむなしさを感じる場合は一旦休息して

寂しさには、上述のように“空しさ(虚しさ)”もあります。

「あれ、空っぽじゃん」と気付いて拒否しないことで、「はっ、私って中身ないの…そんな…」とズーン。空虚感。

寂しさではなくむなしさを感じています。

このむなしさは寂しさのような拒否による思いではないので、事実を認めた上でのズーン、けっこう辛いです。

自覚があり現実から逃げていない状態であり、さらに、“自分では何ともできない”と思うことでの孤独があります。

さらに、自覚しているので他者に何とかしてもらうことができない自分自身の問題であることも認識しているので、対処の仕方がわからない状態のお手上げ。一旦深呼吸が必要です。

「突然死にたくなる」という人はこのような自覚有の対処不能による反応が考えられます。

休んでからゆっくり改善を志すのが本人のためになります。

※寂しさとむなしさの基については、恐怖との関わり方が重要|正体を知るとわかる恐怖必要説 をご覧ください。

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寂しさや孤独を感じない人

寂しさを感じない人の特徴

「これはもうサイコパスだ」というのは冗談ですが、感情がない訳でも冷酷なわけでもなく、己の意志と意見を持って、責任を持って自分のことは自分で認識して生きている人です。

しっかりものですね。

色々褒めてきましたが、寂しさを感じない人には“協調性が乏しい”傾向があります。

あくまで傾向ですが、他者と協調することが苦手だったり煩わしいと思い、人との関わりに距離を置く。

いやはや最高の生き方ですね。煩わしいものは煩わしいので関わる必要はありません。

結婚したければして、したくなければしない。とてもシンプルです。

このような方は、思考がとてもシンプルな特徴があります。それは、自分の喜びを何よりも大切にして我慢しないという。

しかし別に嫌われません。嫌われる場合は、他者を利用して利益を上げようとする輩からですので、初めから関わる必要性のない人という具合にきっぱりさっぱりします。

いくつかある特徴をまとめるとこのようになります。

寂しさを感じない人の特徴
  1. 思考がシンプルで主体性を持って物事を理解・判断・使い分ける
  2. 自分の喜びを何より大切にして我慢しない
  3. 線引きや思想が明確で好き嫌いがはっきり
  4. 他者の意見や大多数というアドバンテージ、だからどうしたと思う
  5. 一人が好きだけど人といるのも好きで思い込みや決め付けがない
  6. 干渉しないで個を尊重するので干渉されるのは苦手
  7. 普通にしているだけなのに自由に見られる
  8. 羨ましがられるけど嫌われることも多い
  9. 依存と執着してくる人に反吐が出て、しっかりしてと思う
  10. 末っ子
  11. 自分は世の中の一部という無意識の理解を持つ
  12. 一人でも孤独だと思っていない
  13. あまり物事を考え込まない
  14. 一つ一つの行為に集中しやすいので一人が楽しい

特に目立つ特徴の詳細をいくつか見ていきましょう。

 

思考がシンプルで、主体性を持つ

寂しさを感じない人の思考は良い悪い、善悪、好き嫌いがはっきりして、とてもシンプルです。

それは、「アイスクリームを食べたいから食べる、なんせ暑いから」という具合で自分の喜びを大切にします。

その理由は、「私がこの人生の主役だから」とそれだけです。

余計な戯言を作らず、「良いと感じるから良い」「私が好きだから好きなの」と明確な意見を持ち、行動動機と目的がはっきり見えています。

それは自分に嘘をつかないことを表し、誤魔化しや偽善、建前や体裁などの演技、偽りをしません。理由は面倒くさい、意味がわからない、利益がない、喜びがないという感じ。

 

他者や社会性に飲み込まれない

寂しさを感じない人は自分を明確に持っているので、他者の意見や社会性の常識やルールにて“みんながそうする”となっても行動を抑制しません。

洗脳が解けている状態で、他者の意見に順ずる時はそこに納得や理解がある場合です。

意味がわからないことや、大多数だから、権力や名誉、常識だからという“強い者にはまかれろ”的なことは通用しません。

なぜならば、そこに喜びも利益もないからです。

恐怖に苛まれて、他者から攻撃や排他されて嫌な思いをすることから逃げる以上に、自らが嬉しく満足することを求めて突き進みます。

 

一人も複数も好き

寂しさを感じない人は固執や思い込みや決め付けがありません。

そのため、「一人じゃなきゃダメ」なんてことはなく、複数でも楽しめます。

しかし、複数だと煩わしいことが多くなる場合には一人を優先します。

誰かに迷惑をかけるわけではなく、ただ色々あると面倒だと思えば集団に入らない。他者からどう思われるかなどの体裁を気にしないので、自分がどう感じ、どう思うかが主体です。

一人でも複数でもいいのですが“干渉はNG”です。

誰でもNGだと思いますが、押し付けにてズカズカ介入し、認識を変えさせるという他者の世界を踏みにじり崩壊させる行為ですので、これは断固キックオフ。

嫌なことしかない攻撃ですので、自己防衛として蹴り飛ばす。とそんなことはしませんが、爆弾を投げつけます。

 

依存と執着する人間はNG

「どうした、ちゃんとしろ」と思う対象です。

自分が明確なので、自分を持っていない人がダメ、受け付けられません。

「私は未熟で何もできないんです」と己を認めていればいいのですが、さも“大人は偉いんだ”という成長ぶりを誇示して、己を認めずに表面だけ強がる人間への嫌悪を感じる人もいます。

人が寂しがっている時も冷静なので観察力に長けており、人前では強いのに二人になったら弱くて甘えるみたいなタイプは反吐の反吐、ウウェエエエとなるかもしれません。

 

末っ子で孤独を感じない

あくまで傾向ですが、末っ子が多いです。

末っ子という生育環境で育つことに、寂しさを感じない人は孤独を感じないことの理由が潜みます。

末っ子は親や兄弟姉妹の長男長女に可愛がられます。次男や次女からの好き嫌いが分かれますが大概の人には可愛がられます。

そのため、寂しさや孤独の根本的な理解を経験していない人が多いです。

潜在的な記憶として寂しさが作られない認識が幼少期に完成しているため、寂しさや孤独を知らず今後も知ることはない環境の恩恵があります。

※詳細は後述しています。

 

一つ一つの行為に集中する

寂しさを感じない人の強みとなるのが“集中力”です。

この力によって物事を本気で楽しみ、最大限の喜びを一つ一つの行為や出来事から引き出します。

ご飯を食べている時も誰かと話しながら食べていては本当に食べ物の味などわかりませんし、心からの喜びは希薄になります。

私達人間は一つのコンマという区切り(時間)では一つの認識しか作れません。

ご飯を食べている時は視覚、味覚、嗅覚、聴覚、感触のあらゆる感覚感受があり、完全に食べることに集中することで全ての感覚を駆使してご飯の世界に入ります。

そして、過去の記憶も引出して良い悪い、おいしいまずいの評価をしたり、気持ちにて心地良さや悪さを感じ、そこには心や精神となる波動感受もあり、常にさまざまな認識が起きています。

それらを全て合わせてご飯を食べる時間を堪能するので、そこで誰かと話していたら、【ご飯の認識→会話→ご飯→人の声→鯖と醤油の混ざり具合→相槌→】と集中のフォーカスがコロコロ切り替わり続け、ご飯も少し、会話も少し、目の前の人の理解を少し、相手のことを考えることに少しと認識がばらけます。

寂しさを感じない人は一つの行為に集中して、ご飯ならご飯の時間に入り込み、その世界を心から堪能して最大限の喜びと楽しさを引出せることを知っています。

ご飯の時間一つとっても想像を遥かに超えた喜びとなるほどで、一つ一つに集中していない人は残念ですがこのことは理解できない話です。

一人の方が本当に楽しめることで溢れており、人と居る方が楽しいと思うにはその喜びを超えなければならないので、本当に面白い人や愛しい人でなければ難しいです。

 

孤独を感じない理由

寂しさを感じない人は“孤独”も感じません。
※むなしさを感じる人は孤独を感じます。

それは、孤独というものにネガティブな認識がないという意味です。

そこには、本質的に孤独だと思うことはない根源的な認識と理解があり、人によっては“末っ子”という理由が含まれます。

 

孤独を感じない理由は二つ

孤独を感じないのには二つの理由があります。

  1. 幼少期の環境にて一人ぼっちになることは有り得ない無意識の認識が作られている
  2. 人は一人では生きておらず、一人一人の存在が繋がって社会ができていることを理解している

※思い込みや見栄や強がりにて孤独を感じないようにしている場合があり、それに気付いていないほどに思い込んでいる自己防衛パターンもありますが、ここではそのような状態は除きます。

 

一人ぼっちは有り得ない無意識の認識にて孤独を感じない

一つ目は一人ぼっちになることは有り得ない認識が作られている場合です。

これは幼少期の環境で、自分を大切にされ、認められ、褒められた記憶が強いことによります。

そこに“末っ子”があります。

誰しもに大切にされるか、誰かしら一人に物凄く大切にされた経験があります。

価値や存在意義を自覚できる状態や関わりがあることで孤独になることなど考えられず、テレビや本の中のみの話のように信じ難いことだと思います。

認められない記憶があっても大切にされる記憶が明らかに強くある場合、そちらを適応して潜在意識に貯蔵されます。

後は思考過多にならず、悩み事を多くせずにシンプルに自分を主観に生きることで、“一人ぼっちになるかも”と危惧するようなことは起きず、起きたとしても心の根底に“自分は大切な存在だからこんなことは事実じゃない”と本気で思える認識があり、自らの力で対処できます。

大切にされた記憶によって意志の強さを育み、一人で生きられる強さを持ちます。

 

一人一人の繋がりにて作られる社会を理解していると孤独を感じない

二つ目の孤独を感じない理由です。

どれだけ一人で居ようと、人と人は繋がり合って共存していると理解することで孤独を感じることがなくなります。

あらゆる共存がある中で自分がおり、過去の歴史があり今がある。

一つ一つに無駄なことはなく、どんな些細なことでも誰かに影響や引継ぎがあり、見える見ないは関係なく何かしらの知恵・知識・情報・智慧・行動動機・認識がもたらされることで関わり生きています。

どんな辛いことでも出来事があったことで辛さを味わわないように、同じ思いをさせないようにと、さまざまな影響と行動と歴史を作り引き継ぎます。

“今”が存在するのはあらゆる“過去の集大成”による賜物であり、人と人の社会ではその基盤をさらに横に広げて、人と人が繋がります。

格子のように右左、前後、上下と過去と人同士が繋がり、“社会”、“環境”が作られている理解、さらに地球であり自然の一部として生きている認識によっても、自分はその一部だと感じることで孤独にネガティブなイメージは付きません。

それは木と木が表面では見えなくても、地中では根を張ってネットワークを作り、周囲の木々とコミュニケーションを取っていることのようです。

全ての中の一つとして自分を見ることで孤独に何も悪いイメージを付けず、事実をそのままにする自然の一部として一つ一つの認識や行為を大切にして生きることで、孤独も寂しさも感じることはありません。

※孤独を楽しむ方法は、孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと│一人であることを活用しない手はない をご覧ください。

孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと│一人であることを活用しない手はない孤独の歴史。 過去の先人達は今を築くための基盤と材料として、さまざまに辛い苦しみを経験されたと思います。 無理矢理に人と人を...

 

寂しさを感じない まとめ

以上が、寂しさを感じない理由と仕組みの紐解きでした。

寂しさには孤独感が含まれますが、それをネガティブに捉えるかどうかは人それぞれの認識次第です。

ネガティブにする場合には、自分という存在以上に他者の存在へのフォーカスが強く、依存と執着しやすい人間性が表れます。

寂しさを感じない人にはさまざまな特徴がありますが、見てみるとどれも嫌なものではなく、人間らしさそのものを象徴する特徴ばかりです。

その中心には“自分が主観で主体”という常識があり、人生を楽しむ方法を知っていることがわかります。

寂しさを感じない人は一人で居ることが多いかもしれませんが、世の中には他者にすがらず、依存も執着も手放して生きている人はたくさんいるので、そのような人と出会った時には心からの楽しさや喜びを共有して、敬いや愛を強く持つかもしれません。

人が嫌いとか、興味がない訳ではないと思うので、お互いに自分を持って個々を尊重し合える人と出会うことで、寂しさを感じない人ならではの人との関わり方が生まれ、より心地良さの多い時間が増えていきます。

一人でいることに何も寂しいことはなく、完全に集中して食べるご飯ほどおいしいものはありません。
一人旅行には一人の楽しさがあり、複数には複数の楽しさがあります。

何が良いか、どれが良いかは常に本人が決めますので、幸せと満たしを尊重した時間の使い方は自由を見せ、微笑ましく思えるものかと思います。

そんな素敵な時間をより存分に楽しまれる一助となることを願い、寂しさを感じない理解の提供となれば幸いです。

それでは、寂しさを感じない話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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