何が自分かを理解しているならば、わざわざこの地球で生きている意味はあるのかどうか。
自分らしく生きるとは、どんな意味なのでしょうか?
現状に不満や不納得があれば自分を自分として認めず、何か別の自分を求めようとするかもしれません。
その際の言葉が、「自分らしくない」「本当の自分ではない」
自分らしいとは、本当の自分であることや、理想の自分などの今とは違う別の何かなのかどうか。
“自分らしいとは”の意味を知ることで、何が“自分”で、何が“らしい”のかがわかります。
私自身が自分を完全に見失ったことで理解できた“自分らしさ”にある意味と、本当の自分との違いをお伝えします。
自分のことをより知る一助となることを願い、自分らしさの意味をご覧ください。
Contents
自分らしいとは

自分を認識するために
「自分らしく」「あなたらしく」「らしく生きる」
自分がわからなくなり、見失うことで、自分を探し求めることになるかもしれません。
その際に、見失っている状態を認めない場合、「らしい」という言葉を使用することで現実を見ないようにするかもしれません。
自分のことがわかっていれば、「この服装は私らしい」「この性格が自分らしいな」と自覚して意識することはありません。
どうして、自分らしいとわざわざ自覚するのでしょうか?
“何が自分なのか”が曖昧な定義となって認識されているからかもしれません。
曖昧な自分を認識する方法を見ていきましょう。
自分を認識する方法
生きている以上、自分がいないことはありません。
しかし、「私は私らしくない」「自分らしいとは何なのか?」と、自分が何なのかわかりにくくなることがあり、自分を認識する方法がハチャメチャになってしまいます。
錯綜して定義が曖昧になる理由には、自分を認識する際に二つの方法があるためです。
自分を認識する方法は二つ
- 自己肯定する
- 自己受容する
自己肯定にて自分を認識する
一つ目の自分を認識する方法は“自己肯定”です。
肯定することで自分だと認識できます。
そのために、過去の自分も含めた今生きているリアル以外の“他”と比較することが必要です。
過去の自分が“他”になるのは、現実として起きていることを対象に自分が存在するためです。
現実は“今この瞬間”にしかありませんので、過去のことは記憶としてのデータとなり、未来のことは空想としての予想・予測となり、脳内でのみ存在して現実ではありません。
その前提で、他と比較することで自分を認識できます。
自己受容にて自分を認識する
もう一つの自分を認識する方法が、“自己受容”です。
自己受容の際には“他”の存在は一切皆無。あるのは自分だけです。
そして、認識する対象は現実のみ。言い方を変えると、今この瞬間のみです。
自分自身で自分を受け入れて認識することで、自分らしいとは何かを教えてくれる方法になります。
自己肯定による自分らしいとは
自己肯定と自己受容のどちらの方法かによって自分の認識に違いが生まれ、“自分らしさ”自体が変わります。
自己肯定の場合、他との比較によって自分を認識するため、ほんの少しだけややこしくなります。
それは、比較対象が過去の自分か、他人かによって、認識する“主人公”が変わるためです。
- 過去の自分と比較して自分を認識する場合・・・自分が主観の主人公
- 他人と比較して自分を認識する場合・・・他人が主観で主人公が未定状態
比較する対象によって自分らしさの意味が変わる。
どちらも自分であることには変わりありませんが、自分を見出す動機が自分のためなのか、他人のためなのかが違います。
例えば、過去の自分と比較する場合には、自分らしくある目的も意味も自分のためです。
自分のために自分を見出し、自分らしくあるための材料にも理由にも動機にもなる認識作業です。
他人と比較する場合には、自分らしくある目的も意味も他人のためになります。
他人のために自分を見出し、自分らしくあるのは他人から見られ、反応され、評価され、認められ、褒められるためです。
他人がいなければ自分を見出せないので、他人が主観になり、自分を見出すために他人を求めます。
自分以外が人生の主人公にはなることができないので、『主人公がいない他人目線の自分』という不思議な状態になります。
過去の自分との比較は自分を認める材料となり、自分らしくあるための認識方法。
他人との比較は他人によって自分を認める材料となり、自分らしくあるための認識方法。
共に自分らしくあることに変わりありませんが、自分らしくありたいのが自分のためか、他人のためかの違いがあります。
自己受容による自分らしいとは
自己受容による自分らしさはとてもシンプルです。
初めから終わりまで主観も対象も登場人物は“自分だけ”です。
そして、今この瞬間が対象なので過去の記憶も含まれず、今この瞬間のみです。
今生きている自分がいて、考える自分がいて、感覚を感じる自分がいて、気持ちを感じる自分がいれば、それが自分らしいそのものとなります。
自分を見たり感じたりすることで認識して、自分を見出すのは自分のためで、自分らしくあるのも自分のためで、理由も意味も動機も全て自分のためです。
自分らしいとは
これまでの内容から、”自分らしい”とは他人を含めない認識行為かと思うかもしれませんが、他人と比較することも自分らしさを見出すことに変わりありません。
どんな方法で、何が目的で、他人のためでも、他人が主観でも、主人公が決まっていなくても、自分を認識しようとしなければ“自分”は存在できません。
そのため、
『この人が私だ!』と思うかどうか、それが自分らしいとはの意味になります。
少しわかりにくいかもしれませんが、
自分らしいとは、「自分が自分のことを認識するかどうか」に全てがかかっています。
言い方を変えると、
自分を認識しようとせず、「こんな私は自分らしくない」と思うことで、自分らしい状態が消えます。
自分らしいなんてない
自分らしいとは今の自分そのものです。
それが、過去の自分や他人との比較でも受け入れでも、自分で自分を認識できていれば自分らしさそのものです。
「今、ドーナツ食べている私」と思えば、それだけです。
「あいつ、ハンバーガー変な食べ方している」と発言している自分を知っていれば、自分らしいです。
ごみの空き缶を拾って捨てるのも、「なんでちゃんと捨てないんだよ」と思うのも、「地球のために綺麗にできて嬉しい」と思うのも、全部自分らしいそのものです。
自分の肉体があり、脳があり、心があり、五感を働かせ、思考を巡らせ、記憶を使用し、感情を感じ、気持ちを感じている以上、自分らしくないわけがありません。
自分らしいのが標準で当たり前の状態です。
自分らしいもらしくないも本当はありません。
無意識に空気を吸っているので、「今、私は空気を吸っている」と認識しないことと同じです。
しかし、自分を認識しようとしない場合、自分らしくない状態を作ります。
認識しないことで自分らしくなくなる
何を言っているか、感じているか、思っているか、想っているかわからず、自分を認識しなくなった時、自分らしくない状態が生まれます。
自分らしいも何もない状態に、自分を認識しない、または自分を認めないことで、“自分らしくない”が生まれて、初めて“自分らしい”が同時に生まれます。
私は自分らしくないと思わなければ、自分らしいと思うことができません。
自分らしいとは、自分らしくないと認識することです。
本当は自分らしいも何もありません。生きている以上は今の自分そのものが自分らしい以外にはありません。
拒否することで自分らしくなくなる
「受け入れない、認めない」と現実を拒否することで、自分らしくなくなります。
すると、「自分らしくありたい」「これは私らしい」と思うようになります。
自分らしくないと思わなければ自分らしいが生まれないので、「自分らしさ」を求める場合は自分らしくない状態です。
拒否とは目を瞑ること。事実を見ずに、曲げて、偽り、誤魔化すことです。
これができるのは“脳の思考”です。
脳の思考によって作られる“現実を認めない”ことによって自分らしくない状態を作るため、現実を認めないでいることが、自分らしいことの意味になります。
長くなりましたが、自分らしいとはの意味を総まとめするとこうなります。
自分らしいとは、現実を認めない自分が作る空想。
※自分らしさを表現する話は、自分を表現できない人の特徴と改善|苦手ならしなくていい本当の意味 をご覧ください。

自分らしい人の特徴

自分らしい人の特徴を見てもらうことで、自分らしいとはの意味がよりわかりやすくなると思うので、順番にご覧ください。
自分らしい人の特徴7選
1、自分らしいと言わない
「自分らしい、私らしい」と言うことはまずありません。
自分らしいことが前提としてあり、今、「よいっしょ」と言いながら腰を上げたことを認識して知っています。
どんな時でも自分であることが当たり前の認識があり、自分らしくないと思うこともありません。
2、他人と比べない
他人と自分を同じ比較対象として見ません。
“人類”みたいな括りでは同じに見ますが、一人一人違う人間性があり、性格や気質があり、生活環境も経験も体重も身長も、血液量もリンパ液量も血行も酸素吸入量も、家庭環境も仕事の内容も何もかもが違うので、同じ比較対象にすることができない理解があります。
そのため、一人一人を個々の存在として捉えて接します。
3、人に依存・執着しない
自立しています。
人と関わっても一人でも大きな違いはなく、人それぞれの性格や目的や生き方に沿わせて人と共存したり孤立したりと、さまざまなスタイルになります。
例えば、楽しいことをして生きたい場合、一人で生きる以上に他人と関わることで楽しみが増大するのであれば、共存環境を選びます。
自分が主観で主人公なので人に依存や執着して利用することはせず、調和や共存にて共有することを選びます。
自分勝手やわがままという、他人に依存や執着して自分だけ得をするような、他の存在が必要不可欠な生き方をしません。
4、過去の話をしない
他人だけでなく自分の過去に対する依存や執着もしません。
好んで自分から過去の栄光や甘い記憶を人に話すことはなく、思い返すこともしません。
しかし、聞かれたり望まれる場合には、人のためや娯楽や喜びのために一つの物語として思い出したり話したりをする、そんな具合です。
5、他人にそんなに興味がない
完全にない訳ではありません、そんなにない感じです。
他に干渉をせず、自分は自分、他人は他人。それは尊重としての不干渉です。
他への干渉や同情ではなく、共感や共有という形で他と関わりので、関わるスタイルが決まっていたりします。
6、「私は~だけどね」と言わない
自己主張に走り、自分の意見は言っておこうという概念がありません。
相手に自分のことを知ってもらおうとは思いません。
意見を聞かれれば自分の考えを答え、相手の主張があっても気にしません。
押し付けや決め付けを一切受け付けず、遠回しな否定や押し付けはテキトーにかわすので通用しません。
7、攻撃性がない
他を否定・批判・非難しません。
口が悪いかどうかは関係なく、真意として攻撃性がないので、口が悪くても攻撃ではなく、自己表現や娯楽としてです。
実際に相手からエネルギーを奪い取り、「嫌な思いをさせてやろう」という意志はなく、「ふざけんなよ」と笑いながら言うような具合です。
以上が、特に目立った自分らしい人の特徴です。
自分らしい生き方に大切なエゴ

自分らしさは本当の自分とは違う
自分を見出す際に、“本当の自分”や“ありのままの自分”などの言葉を聞くことがあるかもしれません。
自分らしくあることは、本当の自分とは全く異なる概念です。
本当の自分とはエゴのない状態
「ありのままに自分らしく」という具合に、好きなことや楽しいことを抑制も縛りもなく活き活きとする自分がいる場合、エゴがない状態です。
エゴとは、“他人と区別することで自分を見出す意識”のこと。
※自己肯定するために他人と比較する際の自分が該当します。
エゴのない状態とは幼少期のことでして、自分で自分を認識する自己受容をします。
他人の目や反応、評価や体裁を気に掛けることがなく、ありのままの自分で抑制も縛りもなく伸び伸び活き活きとしていますので、“本当の自分”と表現します。
スピリチュアルな本当の自分は自我がない状態
さらにスピリチュアルな理解になると、自分を認識すらしない状態が本当の自分になります。
ワンネスという宇宙全体や万物全ては一つの意識と繋がり、誰しもが繋がって一つの状態から派生して個々になっている現状の見方があります。
その個々の状態によって“自我意識”が芽生えていますが、その自我を認識することすらなくなることで、ワンネス意識として全てと一体になる状態です。
スピリチュアルでも何でも、本当の自分と自分らしいは別物です。
自我意識を認識しようがエゴがあろうが自分らしさとなります。
※本当の自分についての詳細は、本当の自分がわかるスピリチュアル|本物は自分だと認識してくれないんです をご覧ください。

自分らしくあるためにエゴが大切
本当の自分と全く違う理由は、自分らしくあるためにはエゴが重要だからです。
これまでお伝えしたとおり、自分らしいという概念は存在しないと考えます。
自分らしい状態が当たり前で、“本当の自分”も“ありのまま”も“あるがまま”もありません。
理由は、意識状態は一つで、今生きている自分のことしか私達は認識できないからです。
そんなことに気付いた時がありました。
少し小話を。
「小さな頃はもっと素直で、可愛くて…」「こんなのは私じゃない!」と、まるで化け物のヘドロ紫系の顔をしてギャーギャー言っていました。
えぇ、自分を見失う一方で、期待や予想の空想を広げ、現実を生きることから離れていきました。
仮面を被り演技をし、上司にこびへつらい続けます。
しかし、普段は良い顔しても裏では文句を言ってキャラが変わる私を、「おもしろい」と言ってくれる人達がいることに気付きます。
これまでは自分に嘘をつき、誤魔化している“ヘナポコ偽善者”だと思って卑下していたのですが、文句や悪口を言ったり、自分の言いたいことを意見としてぶちまけている時の方が気楽で、さらに周囲に喜んでくれる人がいるとわかった時、何かが変わりました。
それが、自己肯定でも自己受容でも何でも、今の自分を認め、自分らしくないと認識する状態が少し剥がれた瞬間でした。
自分を他者と比較して見出そうとするエゴがあることで、自分らしさが生まれます。
自分らしくない状態があることで、自分らしさを認識する概念が生まれます。
エゴがあることで自分を認識する意志が強まり、自分を他人と区別して比較することで、より自分らしさを認識しようとする糧にもなります。
そして、自分で自分を認識しようとすることで、自分らしい在り方や生き方がさらに生まれます。
※エゴの詳細は、エゴの意味とはスピリチュアルな契約|エゴがない人が教える活用方法 をご覧ください。

自分らしい生き方
“自分らしい”と理解する際には、自分を認識しようとする意識が必要です。
自己受容にて自分を認識する際には意識をすることがほとんどなく、意識できるのが自分を新しく知った時です。
それ以外は、自分であることが当たり前なので、「今蛇口をひねった私が私ね」と自覚することはありません。
ですが、エゴや他人と比較する自分は自覚する意識を持ちますので、自分らしくなるためのチャンスです。
そのため、自分らしい生き方には、エゴの自分を理解する方法があります。
エゴを理解することで自分を理解する
今の自分であることに正解も間違いもなく、“自分らしい”以外の何ものでもありません。
しかし、エゴがあることで、他人の顔と自分の顔を比べ、テレビの中の人の性格や生活と自分を比べ、友人や知人のオシャレさと自分のセンスを比べ、「あは、私の方がカワイイ」「ズーン、私って何…」「へへへ、あの服ダサい、私はどうよ」「こんな顔じゃ、明日会社に行きたくない」となります。
自分らしくない状態を作るので、エゴを理解するチャンスです。
顔を比較する自分、性格、洋服、お化粧、筋肉量、ニキビ、歯並び、ほくろの位置、数、配置など、さまざまな材料を基に気にする自分はエゴですので、その自分を自分として受け入れます。
その自分がまさに自分らしいそのままです。
それ以外に、自分らしさは現実としてどこにもありません。
自分を受け入れることで自分らしさを認める
エゴでも何でも、今の自分を受け入れることで自分らしさを認識します。
「これは自分じゃない」と現実を拒否して自分らしくない状態を作る自分を認めます。
拒否は目を瞑る行為ですので、自分らしいのに見えなくなります。
目を開くと自分らしくなります。ですが、他人と比較したりエゴが強いことで、そんな自分を見たくないと怖れ、自分らしくなることができません。
どんな自分でも自分であることには変わりありませんので、目を開けることで始まります。
口の悪い自分を受け入れることで、「口汚いのが私」と自分らしくなります。
食べるのが大好きな自分を受け入れると、“食べるの大好きキャラ”になります。
服のセンスが悪い自分を受け入れることで、“服が面白いキャラ”になります。
肌が荒れている自分を受け入れることで、自分を偽らなくなります。
すると、本気で自分なりに改善しようとします。
受け入れることで個性となり、キャラとなり、自分らしさとなります。全ては今のそのままの自分を受け入れることで始まります。
自分らしくあることで次のステップを歩もうとします。その時により自分らしさを見ることになります。
※自分を知ることの詳細は、自分を知ることは本当の自分ではない|スピリチュアルは活用するもの をご覧ください。
https://nandemoii.com/knowing-own-seif/
自分らしいとは まとめ

以上、自分らしいとはの意味についての話でした。
本当の自分にはエゴがないので、なんというかキラキラしています。羽が生えそうな気分になり、いっつも笑顔で愛に溢れます。
すると、愛とエゴの区分けが綺麗に見えるようになり、どちらも偏ることで自分を見失うことを知ります。
せっかく生きているのであれば、“地球に生きている今の自分”が唯一明確に認識できる現実です。
偏っても見失っても全てには人それぞれに意味があるので何でもいいと思いますが、あらゆる経験をする基盤であり、全てを認識する源は“今の自分”ですので、どれだけ現実をそのまま認識する意志があるかが大切になると思います。
今を認識することは、過去の自分の経験も学びも記憶も全てが積み重なって構成される自分に焦点を合わせるため、時間の概念を超越した、自分の全ての集結(歴史)を見ることになります。
どんな過去でも“今この瞬間”は、これまでの長い軌跡を歩んだ全ての集大成です。
今の自分がどんな状態でも、受け入れることで過去の全ての記憶から“自分らしさ”が顔を出し、そこからは急速に進んでいきます。
気楽に自分らしく行きましょう。
自分らしさを知る一助であることを願います。ありがとうございました。