スピリチュアル

エゴの意味とはスピリチュアルな契約|エゴがない人が教える活用方法

私達は常に二人の自分を持ち、使い分けたり、使われたりと共存や利用の関係性を持ちます。

そんな二人の内の一人をエゴと言います。

エゴは自我を認識するために生み出され、脳を使用しながら考え方と生き方を作り、自分を守りながら傷つけるという“矛盾”を作る役割を担います。

そのために、多少嫌われてしまう存在かもしれませんが、エゴはなくてはならない存在です。

エゴとは脳内で生きる存在ですが、脳科学や物理認識ではなくスピリチュアルな魂の認識にて自分を区分けすると、“エゴとは何か”がわかりやすくなります。

エゴとは何かを紐解くことで判明する“自分”と“自我”から、エゴとの関わり方を持ち寄ることができますので、より豊かな生き方が促されることを願います。

同時に、エゴを知ることで“エゴがない人”が判明し、エゴの活用方法を教えてくれますので見ていきましょう。

エゴとは スピリチュアル

エゴとは

エゴとは何かについて、初めに辞書の定義を見てみましょう。

エゴとは : ※コトバンク 引用

認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我。
自分本位の考え方や態度。また、そういう考え方の人。エゴイスト。エゴイズム。

エゴとは自我とも言います。

ラテン語が語源となる【ego】であり、ラテン語の意味が“自我”です。

しかし、英語では【egoist】【egoism】などの言葉として、辞書にあるようにエゴイスト、エゴイズム=利己的な人、利己主義という意味になり、解釈が大きく異なります。

ここでは、egoの語源であるラテン語の“自我”を基に、“エゴ”についてを紐解きたいと思います。

自我とは“私は私”と自分のことを自分だと認識することで、実際に今生きている私達一人一人のリアルは“意識”によって自我を認識するため、自我意識のことを示します。

そのため、言葉としての自我(エゴ)と、生きている私達の自我意識は捉え方が異なり、自我意識を基にすることでエゴとは何かの正体がわかります。

リアルなエゴと言うのはおかしいですが、生きている上でのエゴというものがここでお伝えしたい主旨です。

 

エゴとは自我をあえて見出す意識

辞書にある“認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分”とは、自覚して自分を他と区分けする意識のことです。

これは、“顕在意識”と考えられます。
※顕在意識とは、自覚して行動や思考をする自分の意識のことです。

そんな理解から、エゴとはこのように捉えることができます。

エゴとは、顕在意識にて自分を見出そうとする自我

 

エゴとは自我ではなく、脳内意識の我

これまでの内容を踏まえて、エゴを説明するとこうなります。

エゴとは、あえて自分という存在を認識するために、他者と区別して見出そうとする意識です。

“あえて”とあるのは、自我意識は自分のことを見出そうとしなくても認識しているためです。

自分が自分であることが当たり前であり、わざわざ「右手を動かそうとして動くこの人が私」と認識せずとも自分です。

生まれた時からそうなので、「この人が私」と思うことも感じることもないのが自我です。

そこで、思考的に他者や他の常識やルールや意見、あらゆる自分の外側と比較して照合して区別して、自分という存在を存在たらしめるように認識しようとするのがエゴです。

エゴとは自我から生まれ、脳内のみで生存可能な自分を認識しようとする意識です。

エゴとは、あえて自分を認識しようとする脳内で生きる意識。

とも言います。

自我と我は違います。

自我とは自分を自分で認識する意識。我(エゴ)とは自分を他と区別して見出そうとする意識です。

詳細を見ていきましょう。

 

エゴとは自我から派生したもう一人の自分

エゴは他によって自分を見出そうとします。

「どうして他で見出そうとするのでしょうか?」

自分で自分だと認識していれば、他と区別して自分を見出す必要はありません。

こんなことが過去にあったと思いますので、思い出してみてください。

赤ん坊から生育して自我が芽生え始めた時、ある日親に言われます。

「あなたはだーれ?」
「バブバブー(私は私)」「バブブ、バブー(今話している私が私だよ)」

「自分を指さしても他の人にはわからないでしょ」「あなたにはメテラキウスという名前があるんだよ」

この瞬間エゴが生まれます。それは、自分のことを自分だと認識しているのでは不十分だと否定された瞬間で、おしゃぶりが口からポトッと落ちた瞬間です。

「バブゥ?!(えっ?!他人がわからないと自分は自分じゃないの?)」

信じていることを否定されることで自分を見失うという、始まりがかんばしくないことでエゴはネガティブな思いと共に誕生しやすい傾向があります。

しかし、エゴ=ネガティブなわけではありません。

もちろん誰しもがそういう環境ではありませんが、自我が芽生えてから、他の人や情報などの自分の外部によって自分を見出そうとすることで脳内にエゴが作られます。

 

エゴの特徴

「これが私だ!」と堂々と胸を張り、自分を親指でさして自己紹介をします。

名前がなくても、「ねぇねぇ」と己を親指で示すことでみんなが理解してくれればエゴは生まれません。

ですが、他者の目を気にして、反応を気にかけ、評価を求め、他者の存在によって自分を見出すことは世の常かもしれません。

エゴなく育つ人は希少中の希少、アルプスに住む少女や隔離にて世間の情報を一切遮断された人、卑弥呼様や部族の選ばれた人や一部のシャーマンなどです。

そんなエゴには特徴がありますので、ご覧ください。

エゴの特徴
  1. 自分を見出そうとする
  2. 否定を恐れる意識
  3. 他者によって自分を認識しようとする意識
  4. 他者との比較や承認欲求の行動を作る意識
  5. 脳内で生存し、思考のみを持つ
  6. 過去と未来に生き、今この瞬間を認識できない

エゴは自分として生きている意識ですが脳を使用することしかできないために、過去を巡ったり、過去の記憶を使用して未来を空想することが主な考え方と生き方となり、今という瞬間に生きることができません。

そのために、“今現実として生きている自分”を認識することができず、他者との比較や過去との比較、その際の優越感や劣等感にて自分を見出すことをして、他者の存在なくして生きていくことができません。

そのため、エゴの考え方や生き方は自分の存在価値を見失わないためのものであり、承認欲求と自己肯定を基に、“自分の存在価値を見出すため”“存在意義を見失わないため”に顕在意識にて作られます。

他と比較・区別するためにも思考が必要となるのがエゴです。

 

エゴとは スピリチュアル

スピリチュアルにエゴを認識すると自我意識を紐解きやすいため、エゴがわかりやすくなります。

自我とは自分を認識する統括意識で、肉体の運動記憶と、脳の思考や感情の記憶と、心の気持ちの過去の記憶を持つデータバンクのようなもので、顕在意識と潜在意識とワンネス意識との繋がりがあります。

スピリチュアルな理解では、ワンネスという魂としての自分と宇宙全体、または一人一人が全員と繋がっている認知があります。

私達は生存する上で自我意識を主体にして、自分を認識したり見出したりして生きていきます。

そんな自我意識の構成は三つ、肉体と脳と心です。

心は魂と繋がるものでして、自我意識の中に含まれる心が魂と繋がり、脳の中で存在できるエゴは脳と繋がっています。

自我意識を紐解くとこのようになります。

自我意識とは、肉体 + 脳 + 心の一体意識

  • 脳に顕在意識と潜在意識がある
  • 心に潜在意識がある
  • 魂に超意識(ワンネス一体化意識)がある

さまざまに“意識”があることで、さまざまな“自分”が同じ身体の中に存在しますが、どれも“自分”であることには変わりません。

そんな意識の中で脳内に存在する顕在意識があり、その中にエゴがいます。

 

エゴは人それぞれに必要な自我意識の一部

エゴとは自分の意識であると同時に気持ちでもあります。

私達には肉体と脳と心があるために、脳を使用しないことや心を使用しないことは、自分として存在する上でのバランスを崩すことになります。

認識が偏った例として、脳だけになるとエゴの顕在意識にて他と比較する生き方となり、過去と未来を行き来する思考にて価値観が作られ、見えるものに限った認識をしたりします。

心だけになると脳によるこの世での現実を度外視して、見えない世界や羽をつける生き方にて、エゴや愛の反対をないがしろにする自分になります。

バランスを崩す状態にあるのがまさにエゴです。自分で自分を認識できなくなると、満たされない気持ちによって他に干渉をします。

※こちらのエゴの話と共に読むことで理解が深まりますので、エゴが強いとはどんな感じ?│状態と特徴からわかる邪魔で大切な自分 もご覧ください。

エゴが強いとはどんな感じ?│状態と特徴からわかる邪魔で大切な自分「エゴが強いな」と。 これがどういう意味かは言った本人にしかわかりません。 なぜならば、エゴの解釈はいくつもあり、良いように...

 

エゴの意味 スピリチュアル

エゴは自分を守る

エゴとはネガティブなわけではありませんが、ネガティブが好きです。

エゴが誕生し、エゴを増長することでネガティブな思いを膨らませていきます。

そこには、エゴを増長させる自分の意志があり、“自分を守る”という意味があります。

 

エゴが生まれる理由

エゴが一番初めに生まれるのはスピリチュアルな理由です。

生まれた時はスピリチュアルな認知として心を認識して自我がありません。

肉体感覚や脳機能が発達しておらず、元々自分として存在する魂である心を基に生存し、生育と共に自我が脳の記憶や思考と共に拡大していきます。

心を主体にすることでありのままの自分として開放的に自由に、好きなように好きなことをして生きていきますが、それも長くは続きません。

ある時、「もう、何で言われた通りにできないの!」「これはダメって言ったでしょ!メッ!」と言われ、「私はこうしたいのに何でダメなの…?」となる日がやってきます。

それは自我が芽生えて、自分ルールが知識や経験によって構築された状態に、自分のやり方を他者から否定され、押し付けや強制をされる瞬間です。

言い方を変えると存在否定であり、愛を度外視するシカトによって心に傷を負います。

心の傷を負うと、壮絶な心地悪さを心が感じます。
それは、魚をしとめるかの如くグサリと心を突き刺されるような苦しみがあり、生きている意味を見失います。

その際、身体の中では緊急警報にてアラームがファンファンなりだくり、自我が緊急措置を施して泣きながら家を出るか、二度と家に戻らないでホームレスと暮らすか、森にこもるか、またはエゴを盾にして生きる選択をします。

エゴを盾にして生きることでエゴを好んで生み出す。
それは、心を隠して傷を負わないように対処する、自分を守る意志によるもの。

 

自分を守ることと引き換えにエゴの自分として生きる

人それぞれの環境如何で生き方がエゴにて構築され、心を守るために攻撃的になったり排他的になったり、嘘をついたり無視をしたり、人を蔑んだり非難したり、人を否定したり自分を否定したり、脳を主体とした考え方にて他者と比較して自分を守ります。

エゴは真意と行動の矛盾を作り、自分を守るために自分に嘘をつき、見失い彷徨い、他者に依存執着をして、自分が認識できなくなって承認欲求を求め、自己顕示欲と支配欲を持ち、独自性欲求や自己憐憫にて悲劇のヒロインになったりと、存在価値を見失わないようにしていきます。

心を剥き出しにして生きなくなることで、ありのままに生きていた自分は心の奥にしまい込まれます。

しかし、エゴを主体にして生きることで心に傷を負うことがなくなります。

エゴは心の傷を守るために存在し、苦しみを自ら作る矛盾の意識。
心を守るために自我から生まれた盾として、傷つけられないように自分を守ることができる。
その引き換えに、ありのままの自分はいなくなる。

※エゴの大切さは、自分らしいの本当の意味とは│らしさなんて存在しないエゴの大切さ をご覧ください。

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エゴの意味にあるスピリチュアルは“成長促し”

スピリチュアルな認識ではエゴに対して重要な見方があります。

それは、エゴによって自己の成長がもたらされることです。

 

エゴの意味は自分を成長させる材料

成長とは、魂レベルを高めることや愛の認知を高めることです。

人として成長するためには、エゴの認識や在り方、苦しみやネガティブな状況が大切な機会作りになり、成長幅を広げる演出になります。

エゴは人それぞれに自分を見出すアイテムです。

どんな人生や自分として生きるかは自由ですので、エゴは人によっては最高の生きる動機にもなり、刺激を求める楽しい人生にもなります。

同時に、他の目や反応や評価が常に付いて回るので、苦しみや心地悪さや違和感や不調和の感覚を感じることにもなり、その苦しみがあればあるほどに、“恐怖”を抱きます。

「人に馬鹿にされたくない」「自分を否定されたくない」「自分を必要としてほしい」「愛してほしい」「認めてほしい」「褒めてほしい」という我欲を生み、恐怖を味わわない“逃避”“変化しないこと”を求めていきます。

恐怖を克服することで大きな成長が待っているために、恐怖を作る苦しみが成長の材料となることにエゴの意味があります。

エゴとは、自己の成長の材料。

エゴの認識には良いも悪いもなく、人それぞれに必要な成長機会があり、苦しみは材料となる理解があります。

「苦しみ、サイコー」と苦しんでいる最中はなりませんが、苦しいことに意味があり、自分の居る環境や、現状の考え方や生き方全てに意味があり、気付きのサインやありのままの自分からのメッセージを感じることがいつでもどこでも可能です。

特に心の傷を守るため、人それぞれの“怒りの表現”があり、憤怒や悲しみ、恐怖や不安、愁いや自己憐憫などを自制なく表しますので、その際は自己の成長へと繋がる明確なサインの意味があります。

※エゴと愛の関係性があるので、愛とエゴを知る│無償の愛以上に大切な人との関わり方にある敬い をご覧ください。

愛とエゴを知る│無償の愛以上に大切な人との関わりにある敬い愛とエゴは二つで一つです。 その一つが分かれることで、まるで正反対の関係性を持ちます。 そんな愛とエゴを知ると、世の中にはあ...

 

エゴがない人

エゴがない人

この世にはエゴがない人がいます。

それは、エゴとの分離を果たした人もそうですが、完全にエゴがない人もいます。

「どんなヤバいやつか?」と思うかもしれませんが、子供達です。

幼少期や赤ん坊など、幼ければ幼いほどにエゴがない人です。そのため、全員エゴがない人だった過去があり、履歴書に書けるかもしれません。

エゴがない人は完全に自分として生きているので、開放と自由の象徴です。

他者を自分の世界に介入させるのは、人との共存や共有の意志を持った時のみであり、楽しいことや喜びを生き方として、自分を知って理解することを嬉しく感じ続けます。

 

エゴがない人は心を主体にして生きる

エゴがない人に共通しているのは、自我が心である魂を主体に生きていることです。

心を紐解くと魂があります。魂には自我意識(潜在意識、顕在意識)と共にワンネスの認知となる超意識との繋がりがあり、愛を認知する源です。

そのため、心を主体にすることは“愛を認識して生きている”ことをスピリチュアルでは意味します。

エゴがない人は思考優位ではなく、感覚優位です。

言い方を変えると、潜在意識にて自我を認識しているため、顕在意識にてわざわざ自分を見出そうとすることはなく、超意識やワンネス認知を伴う人です。

肉体の感覚機能や心の気持ちの感受性が高く、脳の思考は記憶の出し入れや防衛本能や生存本能としての無意識の活動を主に使用する程度で、過去や未来に生きずに今を生きます。

 

知的障害やダウン症の人はエゴがない

あくまで私が関わる上での理解ですが、知的障害やダウン症、または自閉症の症状を持つ人は、自分が確立されていてエゴがありません。

それは、エゴを生み出すことができない愛の存在として、心を完全なる主観として生活します。

そのため、周囲に否定・批判・非難などで攻撃する人がいる場合には、エゴにて無視・自分に嘘をつく・他と比較して自己納得・優越感にて自己肯定・他を卑下して満足などの対処ができません。

すると、もろに心に傷を負い、トラウマや大きな傷として残り、精神疾患や神経症の要因になります。

これらの障害の症状を持つ人々は、エゴにて自分を守ることができません。

そのような状況をみると、よりエゴの必要性がわかり、今の時代にはなくてはならないアイテムとしての見方にもなります。

※障害のスピリチュアルな見方は、知的障害と自閉症は愛を教える|強さを求めるスピリチュアルな意志 をご覧ください。

知的障害と自閉症は愛を教える|強さを求めるスピリチュアルな意志人との関わりやエゴの手放しを教える存在に、知的障害と自閉症の方々がいます。 障害があることは、一定の意識レベルを持った状態をスピリ...

 

エゴとの分離にてエゴがない人

エゴがない人にはエゴとの分離を果たしたパターンがあります。

エゴがないわけではないのですが、エゴを出すかどうかは完全に本人が決められる状態で、エゴと共通理解の上で好き好んで共存している状態です。

エゴとの分離 : エゴによる苦しみを克服、改善した人
※エゴとの話し合いの末、エゴの意識との共存を決めた状態

エゴとの分離を果たした人は、エゴによる苦しみを克服した人で、エゴとの話し合いを済ませた状態です。

エゴとの共存には、協定のような契約のような話し合いがもうけられますので、自我のあるがままの自分とエゴの自分との二人で、関係性や位置関係、住まいの配分や舞台への露出度、部屋のデザインに装飾、家具の位置などさまざまに取り決めをします。

自分という認識の意識は一つしか自分の身体を使用して生きることができません。

意識は体内や脳内や心内にいくつでも持つことが可能ですが、スポットライトを当てて自分として存在できるのは一つの意識だけです。

そのため、自分として現実を生きる露出度は、話し合いにて取り決めをしないと規律がありません。

それは多重人格のように、寝ている最中に別の意識に体を使われて、「楽しみにしていた冷蔵庫のプリンを全部食べられた上に、今日の私はお腹が痛い」となった日には怒り心頭です。

エゴと分離した人は、自分として生きる主導権が完全に自我の自分にあります。

共存にある取り決めは思うままに決められますので、たまにエゴが出てくると、「お、久しぶりじゃん、元気?」という具合で生活が進んでいきます。

えぇ、気楽に読んでください。

エゴによってありのままの自分を認識し、自分を確立することでエゴと分離する。

 

エゴがない人は悟りの始まり

エゴと分離することで、その後エゴとはいつでもさようならできるようになっていきます。

そして、悟りの時間が始まります。

エゴがない人は幼少期にエゴを作っておきながら、エゴをなくすことになりました。

自作自演です。

自分によってエゴを作り、エゴによって苦しみ、苦しみを克服することで“悟り”という段階が始まります。

子供の時にはエゴがありませんでした。そこからエゴを作り、苦しみと共に自分次第で成長することができて、大きくなった自分を取り戻します。

それを“大人”というのかもしれません。

戻った時には、克服する過程での経験や学びによって大きく進化と進歩をしている自分となり、目の前の認識の仕方から考え方に生き方まで、全てがこれまでとは変わって見え、自ら幸せになる時間がはじまります。

※悟りと覚醒の際に必要なエゴとの分離については、スピリチュアルな目覚めの兆候にエゴとの対談|光と共に覚醒の始まり をご覧ください。

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エゴとは まとめ

エゴとは苦しみを作る矛盾の意識ですが、心を守るための盾ともなります。

仏教用語では煩悩という言葉があり、それがエゴのことです。
煩悩は苦しみを作り、同時に成長をもたらします。

スピリチュアルな認識ではエゴとは地球ならではの概念で、脳の思考、陰と陽、そこに脳のルール設定の上での感情を使用することで、矛盾を作りエゴを生み出すことができるので、地球にいるからこそ味わえる意識です。

そんなエゴは、スピリチュアルな魂レベル向上にはなくてはならない大切なものです。

エゴの克服や改善をしたあかつきにはエゴとの協定が結ばれ、自分の世界をより広げて世の中の認識を面白く楽しいものとします。

言い方を変えるとエゴがあることで、私達は一人一人がそれぞれの成長を得ながら気付きと学びによって幸せになる意味です。

それでは、エゴの意味にあるスピリチュアルな話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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