スピリチュアル

エゴの意味とはスピリチュアルな契約|エゴがない人が教える活用方法

私達は常に二人の自分を持ち、使い分けたり、使われたりと共存や利用の関係性を持ちます。

そんな二人の内の一人をエゴと言います。

エゴは自我のネガティブな思いから生み出され、脳を使用しながら考え方と生き方を作り、自分を守るため、そして自分を傷つけるという“矛盾”を作る役割を担います。

そのために、多少嫌われてしまう存在かもしれませんが、スピリチュアルな認識でのエゴはなくてはならない存在です。

エゴとは脳内で生きる存在ですが、脳科学や物理認識ではなく、スピリチュアルな魂の認識にて自分を区分けすると、“エゴの意味”と“エゴとは何か”がわかりやすくなります。

エゴとは何かを紐解くことで判明する“自分”と“自我”から、エゴとの関わり方を持ち寄ることができますので、より豊かな脳内環境と生き方が促されることを願います。

同時に、エゴを知ることで“エゴがない人”が判明し、エゴの活用方法を教えてくれますので、見ていきましょう。

エゴとは スピリチュアル

エゴとは自分

エゴとは何かについて、初めに辞書の定義を見てみましょう。

エゴとは : ※コトバンク 引用

認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我。
自分本位の考え方や態度。また、そういう考え方の人。エゴイスト。エゴイズム。

エゴとは自分のことで、自我とも言います。

意識があることで自分を自分だと認識しますので、自我意識のことです。

さらに、辞書の“認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分”とは、自覚して自分を他と区分けする意識ですので、“顕在意識”と考えられると思います。
※顕在意識とは、自覚して行動や思考をする自分の意識のことです。

辞書の内容から、エゴとはこのようになります。

エゴとは、顕在意識にて自分を見出す自我

 

エゴとは脳内意識のネガティブな自分

これまでの内容を踏まえて、私なりの言い方でエゴをお伝えしたいと思います。

エゴとは家庭環境の荒れた子供です。

親が一人で、ネガティブな動機にて生まれたために誰も喜びませんでした。
そして、家の中に隔離されて二度とそこから出られません。外界を知ることはなく、無知な中で家の中の状況や、窓から聞こえる周囲の人の話から自分が生きていることや、自分という存在を認識するために努力をして生きていきます。

それがエゴです。

少しわかりにくいかもしれませんが、エゴとは自我から生まれて脳内のみで生存可能な自分を認識する意識と考えられます。

そのため、自我であるのですが、自我の子供として存在する別の自分という見方があります。

エゴとは、自我である自分から生まれた脳内意識
※自我の脳の思いにて生まれた自我の子

「なんで荒れているのか?」というのが、エゴのなかった赤ん坊を基準にするとわかります。

赤ん坊にはエゴがなく、自我がありません。生育と共に自我が生まれていき、顕在意識にて自分を他と区別することで自分を見出していきます。

そこにあるのは、他と区別しないと自分を見出せなくなった自分です。それが、“ネガティブな思い”で、荒れる理由です。先をご覧ください。

 

エゴとは自我のネガティブな面から派生したもう一人の自分

エゴは他者によって自分を見出そうとします。

「どうして自分を見出そうとするのでしょうか?」

自分で自分だと認識していれば、他と区別して自分を見出す必要はありません。しかし、赤ん坊から生育して自我が芽生えると共に、ある日、親に言われます。

「あなたはだーれ?」
「バブバブー(私は私)」「バブブ、バブー(今話している私が私だよ)」

「自分を指さしても誰もわからないでしょ」「あなたにはメテラキウスという名前があるんだよ」

この瞬間、エゴが生まれます。それは、自分のことを自分だと認識しているのでは不十分だと否定された瞬間で、おしゃぶりが口からポトッと落ちた瞬間です。

「バブゥ?!(えっ?!他人がわからないと自分は自分じゃないの?)」

話が飛びますが、クレヨンしんちゃんのしんのすけはお尻を出してフリフリしていることで、自分のことを自分だと認識しようとしているのかもしれません。

しかしある日、誰もお尻に反応しなくなった時(無視や否定の反応)、しんちゃんはエゴを持ち始め、他と比較して自分を見出そうとすることになります。

しんちゃんは私の勝手な考えですが、エゴがネガティブな思いによって生まれるのは、自分の信じていることを否定されることで、自分を見失うためです。

 

エゴの特徴

「これが私だ!」と堂々と胸を張り、自分を親指でさして自己紹介をします。

みんなが理解して、名前がなくても、「ねぇねぇ」と親指を示すことで、トレンドマークとして自分を認識してくれる人しかいなければ、エゴは生まれません。

自分を見出そうとする思考がなければ、赤ん坊のように自我なく生きていきますが、そうは世間が許しません。

エゴが生まれる発端は、“否定”です。そこに周囲の悪意がなくても、「あなたの言っていることわからない」という反応によってネガティブな思いが生まれ、それがそのままエゴになります。

そのため、エゴなく育つ人はレア中のレア、隔離にて世間の情報を一切遮断された人くらいだと思います。

そんなエゴには特徴があります。

エゴの特徴
  1. 自我から生まれたネガティブな思い
  2. 否定を恐れる意識
  3. 他者によって自分を認識しようとする意識
  4. 他者との比較や承認欲求の行動を作る意識
  5. 脳内で生存し、思考のみを持つ
  6. 過去と未来に生き、今この瞬間を認識できない

エゴは自分として生きている意識ですが、脳を使用することしかできないために、過去を巡ったり、過去の記憶を使用して未来を空想することが主な考え方と生き方となり、今という瞬間に生きることができません。

そのために、“今現実として生きている自分”を認識することができず、他者との比較や過去との比較、その際の優越感や劣等感にて自分を見出すことをして、他者の存在なくして生きていくことができません。

自分を自分だと認識できなければ、生きている意味を見出すことができず、脳が生存維持の継続を止めようとします。

そのため、エゴの考え方や生き方は自分の存在価値を見失わないためのものであり、承認欲求と自己肯定を基に、“自分の存在価値を見出すため”“存在意義を見失わないため”に顕在意識にて作られます。

 

エゴとは スピリチュアル

スピリチュアルにエゴとは何かを認識すると、いくつもの意識の中で“一つの意識”が生きられる仕組みがあります。

初めに : 意識のスピリチュアルな仕組み

一つのスポットライトが身体の中にあり、そこに意識が照らされることで、肉体を使用して、自分を認識して現実を生きることができる。

※自分を認識する意識は、自我(肉体+脳+心の統括)、エゴ、魂(潜在意識、ワンネス)の三つある。
※多重人格者はさらに別の人の意識がそこに加わり、一つの意識が自分として生きる。
※同じタイミングで二つの意識がライトに照らされることはできず、代わりながら自分の体を共有することができる。

スピリチュアルにエゴを理解すると、意識として存在する捉え方があります。

脳を基にして、他の存在を自分の人生の主体にして生きる意識です。

 

エゴは四次元以下にて認識できるネガティブな意識

エゴとは何かを理解する際には、親である自我が基盤にあります。

自我とは自分を認識する統括意識で、肉体の運動記憶と、脳の思考や感情の記憶と、心の気持ちの過去の記憶を持つデータバンクのようなもので、顕在意識と潜在意識とワンネス意識との繋がりがあります。

スピリチュアルな理解では、ワンネス意識という魂としての自分と宇宙全体、または一人一人が全員と繋がっている認知があります。

ワンネス意識は愛の認知によって自分の存在を認識し、そこには自我がなく、宇宙の一部として存在する自分を認識しますので、この世での“個”としての認識とは全く変わります。

四次元以下の世界では思考や脳の感情があることで、ネガティブやポジティブに評価・判断して、それぞれを良い・悪いと決めることが可能です。

常識やルールの価値観や認識にて、ネガティブな思いに悪いルール設定が付き、そのように解釈することでエゴを生み出すことができます。

 

エゴは人それぞれに必要な自我意識の一部

エゴとは自分の意識であると同時に気持ちでもあります。

脳や感情があることで作られるネガティブな思いから生まれるので、脳がなければ作ることも存在することもできません。

私達には肉体と脳と心があるために、脳を使用しないことや心を使用しないことは、自分として存在する上でのバランスを崩すことになります。

しかし、どんな自分でも生きている間は“自分”ですので、脳の認識も心の認識も大切なものです。

認識が偏った例として、脳だけになるとエゴの顕在意識にて他と比較する生き方となり、過去と未来を行き来する思考にて価値観が作られ、見えるもののみで、感じるものや気持ちの認識がない自分になります。

心だけになると脳によるこの世での現実を度外視して、見えない世界や羽をつける生き方にて、エゴや愛の反対をないがしろにする自分になります。

それらバランスを崩す状態にあるのが、まさにエゴです。自分で自分を認識できなくなると、満たされない気持ちによって他に干渉をします。

 

エゴの意味 スピリチュアル

エゴは自分を守る

自我がネガティブな思いをルールとして認識することでエゴを生み出します。
それ以外にも、心が心地悪さを感じることで生み出されます。

エゴが誕生し、エゴを増長することでネガティブな思いを膨らませていきます。そこには、エゴを増長させる自分の意志があり、“自分を守る”というエゴの意味があります。

 

エゴが生まれる理由

エゴが一番初めに生まれるのは、スピリチュアルな理由です。

生まれた時はスピリチュアルな認知として心を認識して自我がありません。

肉体感覚や脳機能が発達しておらず、元々自分として存在する魂である心を基に生存し、生育と共に自我が脳の記憶や思考と共に拡大していきます。

心を主体にすることでありのままの自分として、開放的に自由に、好きなように好きなことをして生きていきますが、それも長くは続きません。

ある時、「もう、何で言われた通りにできないの!」「これはダメって言ったでしょ!メッ!」と言われて、「私はこうしたいのに、何でダメなの…?」となる日がやってきます。

それは自我が芽生えて、自分ルールが知識や経験によって構築された状態に、自分のやり方を他者から否定され、押し付けや強制をされる瞬間です。

言い方を変えると存在否定であり、愛を度外視するシカトによって心に傷を負います。

心の傷を負うと、壮絶な心地悪さを心が感じます。
それは、魚をしとめるかの如くグサリと心を突き刺されるような苦しみがあり、その否定をされることで、生きている意味を見失います。

その際、身体の中では緊急警報にてアラームがファンファンなりだくり、自我が緊急措置を施し、泣きながら家を出るか、二度と家に戻らないでホームレスと暮らすか、森にこもるか、またはエゴを盾にして生きる選択をします。

エゴを盾にして生きることでエゴが生まれる。
それは、心を隠して傷を負わないように対処する、自分を守る意志。

 

自分を守ることと引き換えにエゴの自分として生きる

人それぞれの環境如何で生き方がエゴにて構築され、心を守るために攻撃的になったり排他的になったり、嘘をついたり無視をしたり、人を蔑んだり非難したり、人を否定したり自分を否定したり、脳を主体とした考え方にて他者と比較して自分を守ります。

エゴは自分の真意と行動、または行動と真意の矛盾を作るので、自分を守るために自分に嘘をつき、見失い彷徨い、他者に依存執着をして、自分で自分が認識できなくなって承認欲求を求め、自分の存在価値を見失わないようにしていきます。

心を剥き出しにして生きなくなることで、ありのままに生きていた自分は心の奥にしまい込まれ、エゴを主体にして生きることで心に傷を負うことがなくなります。

エゴの意味とは、心の傷を守るために存在して、苦しみを自ら作る矛盾の意識。
心を守るために自我から生まれた盾として、傷つけられないように自分を守ることができる。
その引き換えに、ありのままの自分はいなくなる。

※エゴの大切さは、自分らしいの本当の意味とは│らしさなんて存在しないエゴの大切さ をご覧ください。

自分らしいの本当の意味とは│らしさなんて存在しないエゴの大切さ何が自分かを理解しているならば、わざわざこの地球で生きている意味はどこにあるのやら。 自分らしく生きるとは、どんな意味なのでしょう...

 

エゴの意味にあるスピリチュアルは“成長促し”

エゴによって自分を守ると同時に、自分への矛盾を作り、自分を見失う可能性や、ネガティブな思いを主体とした自分として生きることになりますが、スピリチュアルな認識では大切な恩恵がもたらされる材料としての見方があります。

それは、エゴによって自己の成長がもたらされるためです。

 

エゴの意味は自分を成長させる材料

成長させるとはスピリチュアルな認識として、魂レベルを高めることや愛の認知を高めることです。

人として成長するためには、苦しみやエゴのネガティブな状況が大切な機会作りになり、成長幅を広げる演出になります。

エゴは人それぞれに自分を見出すアイテムです。他と比較することで、他の反応や評価や存在にて自分を見出せると同時に、自分で自分を認識していた自分を見失っていきます。

どんな人生や自分として生きるかは自由ですので、エゴは人によっては最高の生きる動機にもなり、刺激を求める楽しい人生にもなります。

同時に、他の目や反応や評価が常に付いて回るので、苦しみや心地悪さや違和感や不調和の感覚を感じることにもなり、その苦しみがあればあるほどに、“恐怖”を抱きます。

「人に馬鹿にされたくない」「自分を否定されたくない」「自分を必要としてほしい」「愛してほしい」「認めてほしい」「褒めてほしい」という欲望を生み、恐怖を味わわない“逃避”や“変化しないこと”を求めていきます

恐怖を克服することで、大きな成長が待っているために、恐怖を作る苦しみが自己の成長の材料となることに、エゴの意味があります。

エゴの意味 : 自己の成長の材料
※自己の成長とは、魂の成熟を促す魂レベルの向上=愛の認知度向上

スピリチュアルなエゴの認識には良いも悪いもなく、人それぞれに必要な成長機会があり、苦しみは材料となる理解があります。

「苦しみ、サイコー!」と苦しんでいる最中はなりませんが、苦しいことに意味があり、自分の居る環境や、現状の考え方や生き方全てに意味があり、気付きのサインやありのままの自分からのメッセージを感じることがいつでもどこでも可能です。

特に心の傷を守るため、人それぞれの“怒りの表現”があり、憤怒や悲しみ、恐怖や不安、愁いや自己憐憫などを自制なく表しますので、その際は自己の成長へと繋がる明確なサインの意味があります。

※成長の意味となる魂レベルの話は、魂レベルの段階(人生のステージ)に8つのステップ|最後は宇宙行?! をご覧ください。

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エゴがない人

エゴがない人

この世にはエゴがない人がいます。

それは、エゴとの分離を果たした人もそうですが、完全にエゴがない人もいます。

「どんなヤバいやつか?」と思うかもしれませんが、子供達です。

幼少期や赤ん坊など、幼ければ幼いほどにエゴがない人です。そのため、全員エゴがない人だった過去があり、履歴書に書けるかもしれません。

エゴがない人は完全に自分として生きているので、開放と自由の象徴です。

他者を自分の世界に介入させるのは、人との共存や共有の意志を持った時のみであり、楽しいことや喜びを生き方として、自分を知って理解することを嬉しく感じ続けます。

 

エゴがない人は心を主体にして生きる

エゴがない人に共通しているのは、自我が心である魂を主体に生きていることです。

心を紐解くと魂があります。魂には自我意識(潜在意識、顕在意識)と共にワンネスの認知となる超意識との繋がりがあり、愛を認知する源です。

そのため、心を主体にすることは“愛を認識して生きている”ことをスピリチュアルでは意味します。

そんなエゴがない人は思考優位ではなく、感覚優位です。

肉体の感覚機能や心の気持ちの感受性が高く、脳の思考は記憶の出し入れや防衛本能や生存本能としての無意識の活動を主に使用する程度で、過去や未来に生きずに今を生きます。

 

知的障害やダウン症の人はエゴがない

あくまで私が関わる上での理解ですが、知的障害やダウン症、または自閉症の症状を持つ人は、自分が確立されていてエゴがありません。

それは、エゴを生み出すことができない愛の存在として、心を完全なる主観として生活します。

そのため、周囲に否定・批判・非難などで攻撃する人がいる場合には、エゴにて無視・自分に嘘をつく・他と比較して自己納得・優越感にて自己肯定・他を卑下して満足などの対処ができません。

すると、もろに心に傷を負い、トラウマや大きな傷として残り、精神疾患や神経症の要因になります。

スピリチュアルな認識ではこれらの障害の症状を持つ人々は、エゴにて自分を守ることができません。

そのような状況をみると、よりエゴの必要性がわかり、今の時代にはなくてはならないアイテムとしての見方にもなります。

※障害のスピリチュアルな見方は、知的障害と自閉症は愛を教える|強さを求めるスピリチュアルな意志 をご覧ください。

知的障害と自閉症は愛を教える|強さを求めるスピリチュアルな意志人との関わりやエゴの手放しを教える存在に、知的障害と自閉症の方々がいます。 障害があることは、一定の意識レベルを持った状態をスピリ...

 

エゴとの分離にてエゴがない人

エゴがない人にはエゴとの分離を果たしたパターンがあります。

エゴがないわけではないのですが、エゴを出すかどうかは完全に本人が決められる状態で、エゴと共通理解の上で、好き好んで共存している状態です。

エゴとの分離 : エゴによる苦しみを克服、改善した人
※エゴとの話し合いの末、エゴの意識との共存を決めた状態

エゴとの分離を果たした人は、エゴによる苦しみを克服した人で、エゴとの話し合いを済ませた状態です。

エゴとの共存には、協定のような契約のような話し合いがもうけられますので、自我のあるがままの自分とエゴの自分との二人で、関係性や位置関係、住まいの配分や舞台への露出度、部屋のデザインに装飾、家具の位置などさまざまに取り決めをします。

自分という認識の意識は一つしか自分の身体を使用して生きることができません。

意識は体内や脳内や心内にいくつでも持つことが可能ですが、スポットライトを当てて自分として存在できるのは一つの意識だけですので、自分として現実を生きる露出度は、話し合いにて取り決めをしないと規律がありません。

それは多重人格のように、寝ている最中に別の意識に体を使われて、「楽しみにしていた冷蔵庫のプリンを全部食べられた上に、今日の私はお腹が痛い」となった日には怒り心頭です。

エゴとの分離をした人は、自分として生きる主導権が完全に自我の自分にあります。そのために、エゴとの共存にある取り決めは思うままに決められますので、調和と協力のある共存が生まれ、たまにエゴが出てくると、「お、久しぶりじゃん、元気?」という具合で生活が進んでいきます。

エゴによってありのままの自分を認識し、自分を確立することでエゴと分離する。

 

エゴがない人は悟りの始まり

エゴと分離をすることで、その後エゴとはいつでもさようならできるようになっていきます。

そして、悟りの時間が始まります。

エゴがない人は、幼少期にエゴを作っておきながら、エゴをなくすことになりました。

自作自演です。自分によってエゴを作り、エゴによって苦しみ、苦しみを克服することで“悟り”という段階が始まります。

子供の時にはエゴがありませんでした。そこからエゴを作り、苦しみと共に自分次第で成長することができて、大きくなった自分を取り戻します。

それを“大人”というのかもしれません。

戻った時には、克服する過程での経験や学びによって大きく進化と進歩をしている自分となり、目の前の認識の仕方から考え方に生き方まで、全てがこれまでとは変わって見え、自ら幸せになる時間がはじまります。

※悟りと覚醒の際に必要なエゴとの分離については、スピリチュアルな目覚めの兆候にエゴとの対談|光と共に覚醒の始まり をご覧ください。

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エゴの意味とは まとめ

エゴとは苦しみを作る矛盾の意識ですが、心を守るための盾ともなります。

同じ身体の中にいるので、何があっても無意識の行動や思考では自分を守ることをします。

しかし、真っすぐに知っていることをがむしゃらにするので行き過ぎてしまい、自分を傷つける苦しみを作り出して、自らを辛くさせるお茶目なところがあり、言い方を変えると意味不明なことをします。

仏教用語では煩悩という言葉があり、それはエゴのことです。
煩悩は苦しみを作り、同時に成長をもたらします。

スピリチュアルな認識ではエゴとは地球ならではの概念で、脳の思考、陰と陽、そこに脳のルール設定の上での感情を使用することで、矛盾を作りエゴを生み出すことができるので、地球にいるからこそ味わえる意識であり、気持ちです。

そんなエゴは、地球に来たからには味わっておきたい観光名物でもあり、スピリチュアルな魂レベル向上にはなくてはならない大切な意味があります。

エゴの克服や改善をしたあかつきにはエゴとの協定が結ばれ、自分の世界をより広げて世の中の認識を面白く楽しいものとします。

言い方を変えるとエゴがあることで、私達は一人一人がそれぞれの成長を得ながら気付きと学びによって幸せになる意味です。

その際には多重人格者としての人生が始まりますが、その後は共存も落ち着き、一緒にお酒を飲んだりして、いつか来るエゴとのお別れの道を歩み続けます。

それは悲しいことではなく、お互いのためとなる喜びの涙が流れ、感謝と共に愛の認知を上げる成長になります。

エゴとの共存がスムースにいかない場合には、一度自分が誰なのかを認識してみてください。

自分はエゴなのか、心なのか、それとも自我によってバランスをとった自分なのか。

自分を認識することでエゴとの関わり方が定まり、エゴの自分も本当の自分も心落ち着かせてソファで一緒にくつろぐことができます。

「えっ、誰か知らない人が勝手に部屋にいて、ソファでプリンを食べている!?」となっては、自分もあちらさんもビックリします。

エゴとの話し合い、ぜひ進めてみてください。

それでは、エゴの意味にあるスピリチュアルな理解と、エゴがない人からわかるエゴの意味についての共有を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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