スピリチュアル

【消えた執着】物欲がなくなった理由とスピリチュアル

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元々物欲がないわけではなく、あったにも拘わらずなくなることがあります。

消失感か、満足感か。

道は二つ示され、心理とスピリチュアルな理解が存在します。

ここでは、物欲がなくなった、急になくなったと思う方を対象に、理由と真意をお伝えします。

  • どうして物欲がなくなるの?
  • 物欲がなくなると起きることとは?
  • 物欲がなくなることの意味とは?

物欲がなくなったことから、ご自身を知るための一助となれば幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

物欲がなくなった理由

物欲がある状態

物欲とは、物を欲する欲望の一つです。

物によって喜びや満足を得て、動力となる物欲。

自分を喜ばす動力源となり、生きる源となります。

使い方を変えることで、自分を満たさない限り欲し続け、辛い苦しみを自ら作る足かせにもなります。

欲は自分次第で喜びになり、苦しみになり、変わります。

 

欲は動力であり、執着の原材料

欲の中でも物欲を持つことには、人間性として大きな特徴が表れます。

物欲がある状態は、自分以外の”他”から喜びを得ようとする人間性。

“他”とは自分ではない何か、物。人もお金も入ります。

何が物なのかは人それぞれの認識次第です。お金は物質として捉えれば物になりますし、思考のおやつにもなります。

思考のおやつであれば、物ではなく”安泰”という不安や恐怖を一時的になくす”社会に約束されたおまじない”としてのルール、自身に対する支配欲や権威欲に繋がります。

自分以外の他から喜びを得る=自分で喜びを作らないことが物欲のポイントです。

※欲に良い悪いはありません。全て使い方と認識次第で人それぞれです。

 

物欲がない状態

世の中には物欲がない人もいます。

森の中で布切れ一枚で暮らす人、という極端な例を発端に、生きていることに満足し、充足感と幸福感を持ち、心満たされているイメージです。

物欲がないと生きる動力が平常化し、浮き沈みがないので刺激を求めなくなります。

生きている感が少ないです。

生きている感がないと生きている意味や目的を見出せないために、必死になって求めようとするものですが、生きている感を欲しいと思わず、あえて求めないさまがあり、動じない意志の強さがあります。

しかし、物欲がない人でも笑顔ではない人もいます。

目が( ゚ ρ ゚ )ボーっと消失、燃え切ったボクサーのような、諦めてあらがわないような。

実際に物が欲しいかどうかの意志がない状態です。

同じ物欲がない状態でも両者は全く違い、タイプが分かれます。

物欲がない人のタイプ
  1. 現状に満たされているために物欲がない(要らない)
  2. 欲への意志を隠すことで物欲がない(認めない)

物欲がなくなる際には二つの道が示されます。

その詳細を見ていきましょう。

 

物欲がなくなった理由

突然シュウーっとしおれるように、物欲風船が小さくなっていく理由があります。

物欲がなくなった理由
  1. 他に執着しなくなった
  2. 自分で喜びを作るようになった
  3. 心が満たされている
  4. 集中して取り組めることがある
  5. 誤魔化して拒否・否定することが減った
  6. 身の回りの所持品を把握している

刺激以上に癒しを求める特徴があります。

別の理由もあります。

物欲がなくなった別の理由
  1. 物欲が強すぎてパンクする消失
  2. 自分を見失った
  3. 欲しいものが手に入ることを諦めた
  4. 人への差別化と線引きを強くした
  5. 不安や恐怖から逃避することを求めた

他から刺激を求めて依存しやすく、執着心の強い特徴があります。

二つの理由表は、物欲がない人のタイプのように物欲がなくなった理由が分かれます。

それぞれの理由に心理とスピリチュアルからの理解と意味がありますので、詳細を紐解いていきたいと思います。

 

物欲がなくなった心理とスピリチュアル

物欲がなくなった心理

物欲がなくなった理由は二つに分かれます。

①他に執着しないことで物欲がなくなった
or
②他への執着が絞られて物欲がなくなった

言い方を変えると、

①自分で満たすようになった
or
②嫌なことをなくす方法を手に入れた

です。

 

自分で満たすことで物欲がなくなった

自分以外の他によって喜びや満たしを得ようと”物”を欲することで、自ら作る・造る・創る行為がなくなります。

動画を観て笑わせてもらうか、自ら創造して笑うかのように。
色鉛筆を買って絵を描くか、虫の死骸を削って具材にするかのように。

物欲にて物を得られることが当たり前になると他への執着が無意識に強まり、自分を見失い依存症となり、買い物が止められない、膝がガタガタする禁煙状態になります。

物欲がなくなった時に心地良い、または心地悪くない感覚がある場合、執着心が減っている心理を表します。

同時に、創造する意識の強まりを表します。

この状態、自ら喜びを作る人間性です。

他から喜びを貰うのではなく、自ら作ることで物欲がなくなります。

 

物事の拒否と否定が減ることで物欲がなくなる

自ら喜びを作る際には、何が自分にとって大切か、何が好きで、何を心から欲しているかを知る必要があります。

高級車何台、海の前にプール付きの豪邸、要ります?

「欲しい欲しい!」という方もいると思います。

「それは何のために?」という真意が見えているか否かにて、物欲への理解が進み、現状と比較した思考や他の常識やルール、世間体や体裁や見栄、優越感に自己顕示欲に承認欲求と次々に真相が表れます。

物欲にはあらゆる”他”を主観にした価値観や観念があり、”他”を”自”にシフトすることで、高級車がどうして欲しいかの真意がわかります。

自分を主観にした見方になると、物事の拒否や否定となる嘘や誤魔化しの自己否定や現実拒否がなくなり、自ら喜びを作る土台が構築され、物事への集中力も高まります。

物事の拒否と否定がなくなれば物欲がなくなっていきます。

この仕組みから、物事に集中して取り組める自分が主観で主体の時間として、暇な時間がなく、熱中できることがあればあるほど、物欲はなくなります。

 

物欲がなくなると身の回りの認識が深くなる

断捨離や掃除することでも物欲はなくなります。

身の回りが見えやすくなり、自分が見える状態になるためです。

掃除が行き届いていても何を所持しているかわからない状態は、自らが購入したものを理解していない=自分の過去を認識していないことになり、自分が見えていない状態を意味します。

断捨離や掃除にて汚れや不要物をなくすことには、”整理整頓”の大きな意味があり、身の回りの所持品を把握することで自分自身の認識が広がり深くなります。

他→自への意識を持つことで物欲がなくなるため、断捨離や掃除にて物事の認識が変わり、物欲がなくなる効果が見られます。

物を大事にする意識が芽生え、所持品となる一つ一つの価値をより理解して使用する在り方=自らが喜びを作るための価値観になり、自然と物を欲するさまが減る心理です。

 

物欲がなくなった心理②

もう一つの物欲がなくなった理由の、”嫌なことをなくす方法を手に入れた”心理です。

物欲が強すぎてパンクすると物欲がなくなる

物欲が凄まじく、あれもこれもと物を欲し続けて手に入れないと、溜まったものはドガーンと大爆発します。

手に入れてしまえばいいのですが、手に入れないことで欲という満たしへの執着が強まり、自分が見えなくなります。

現実を認めずに求めて止まないためにパンクし、エネルギーだけ排出して気がなくなります

消失感を味わい、「もう、なんでもいいよ…」という無気力状態に陥ります。

自分がわからなくなった見失いです。

物事の認識が浅くなり、物を大事にしなくなります。
※”大事にする”とは物の価値を見ない意味

価値の見方がわからないと、「高ければ何でもいい」「流行であれば」「有名であれば」という他の認識が主観になり、物との関わりが希薄になり、自分も他も物もわからなくなります。

パンクした時に瞬時に物事を受け入れることで、物欲はもう止まらないというとんでもない方向へ向かったりもします。ご注意ください。

 

諦めることで物欲がなくなる

上述のパンクの対処となるのが”諦め”です。

「自分には無理」と思いながら豪遊している人を見て納得します。満足ではなく納得という思考的に丸め込めるものです。

諦めは現実を悲観的に認めた状態であり、パンク防止の自己防衛として大切な方法です。

自己肯定感が低く、誤魔化しの自己否定や自己憐憫にて存在価値を見出し、劣等感や卑下にて対処することで欲する気持ちも薄れていきます。

人への差別化や線引きを明確にして、「この人だから買えるんだ」「自分には買えないんだ、そうなんだ」と納得する思考材料を増やし、自分と他の区分けや区別や比較が強まります。

見たくないことや認めたくない事実を誤魔化す自分の正当化、逃げ道のない正当な自己否定をしないため、物欲への意志を隠し、物欲がなくなったと思い込むことで対処する心理です。

 

不安や恐怖への回避欲が強くなることで物欲がなくなる

不安や恐怖への逃避・回避とは=嫌なことを味わわない意味です。

辛く苦しく痛く、見たくないこと、認めたくないこと、信じたくないことがない状態にする納得が本人にとっての喜びに変換され、物欲がなくなります。

嫌なことを味わわない=自分で喜びを得たとなり、物に頼らない状態があれば、「物欲がなくなった」と認識するに足りる材料になります。

嫌なことをなくす方法を手に入れると、物欲がなくなります。

この最たる方法が、お金です。

嫌なことをなくす方法とは、お金など保障された確約付きの、他から安泰を得ることです。

お金以外にも、安定した生活の約束、保障された社会制度の中での生存、困らない環境、困ったことがあってもいつでも対処できる状況、お金をいつでも得られるルートの確保、一生困らないであろう仕事、財人からのサポートなどなど。

安泰を他の物やルールや環境や人や利害関係から得ると、自ら喜びを作っているかのように認識できるために、嫌な気持ちのない物欲のなさがあります。

この安泰を全部プイプイっと放り投げると、物欲にまみれることに気づくかもしれません。

 

物欲がなくなるスピリチュアル

精神面での物欲がなくなる理解をお伝えしたいと思います。

物欲とは生存維持に関わる先天的な欲求ではなく、後天的に欲しければ見出す欲であるため、満たされないと物欲が強くなり、心が満たされると物欲がなくなります。

精神的自立の有無を意味します。

精神的自立は自己認識と自己理解することで育まれる自立を意味し、執着や依存しないのが大切でありながら、執着や依存とは何かを理解することが本質になります。

執着をどのように利用するかの認識を持ち、自分として生きる意志の上での自立が育まれます。

何か難しいことがあるわけではなく、自分を知り、心を満たすためには”物事をそのまま認識する”というシンプルなものです。

スピリチュアルに捉えると、物事をそのまま認識しないと物欲が増え、物事をそのまま認識すると物欲がなくなっていきます。

 

物事をそのまま認識することで物欲がなくなる

「あるものをあるままに」

目の前にプロポーズ中の男女がいたらそのまま近くでジー、興味深々といきたいところですが、そういった干渉ではなく、ただ起きている現実として認識して終わり。

それ以上もそれ以下もなく、認識して終了。

自分を認めることを意味します。見るもの、感じるもの、考えるもの、想うもの…あらゆる認識をそのままにすることは拒否や否定をせず、あるがままです。

何を見て、どう感じ、どう思い、どう想ったかを理解して把握します。

整理整頓と同じで所持品を知る状態です。自分の中に蓄積される記憶を知る。自分を知るというものです。

自分を知ることで、「知らないから知りたい」=「満たされないから満たしたい」という欲望がなくなります。

残るのは、自ら喜びを作りたい欲。今を自分としてどう生きるかへの欲です。

現状の環境に満たされていれば、欲はあまりないと思います。

しかし、より自ら喜ぼうとすることで欲は出てきます。全て自分次第です。

その際には物欲への見方が変わり、物欲を知った上で物欲を作ったりなくしたりが可能になります。

 

物欲がなくなった まとめ

物欲とは他への執着を表しながら、自らの自立を促す動力となり、生きる源にもなる欲を知る一冊の教科書です。

物欲がなくなった真意はこうなります。

「自分を知った」
「自分を見失った」
「自分を知ったと思い込んだ」

自分を知ったことで物欲がなくなります。

自分を見失ったことで物欲を持つ気力がなくなり、物欲を抑え込もうとします。

自分を知ったと思い込んだことで物欲が安泰を求める欲に集約されます。

欲を持つことは欲を知り、自分を知ることに繋がりますので、心理と内情理解が役立つものであれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

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