スピリチュアル

家族とは何か?問題やトラブルの原因にエネルギーとカルマの大切な意味

家族を特別視して、さまざまなルール設定をすることで、家族の存在は大きなものになっていきます。

常識やルールの観念を取り払い、真っ新で思い込みも決め付けもない状態から、「家族とは何か?」を考えると、そこにはエネルギーとカルマに概念が含まれ、家族の存在意義が明確に見出されます。

「家族であることが生存を容易にして、集団意識を持ってこの世を生きることができますが、はてさて、家族として生きる必要はあるのでしょうか?」

家族とは何かをスピリチュアルに紐解くと、「自分のために存在する」という事実が判明し、そこから家族の大切な意味が生まれます。

ここでは、フラットな見解として、家族とは何なのかの理解をご覧ください。
フラット過ぎるので、冷酷で無感情に思えるかもしれませんが、家族との関係に疑問があり、“家族と合わない”、”家族問題やトラブルが多い”場合に、現状打破や改善のために役立てられる一助となれば幸いです。

それでは、家族とは何か?必要な存在?捨てていい?などなど、見ていきましょう。

家族とは何か スピリチュアルな理解

家族の存在意義

初めに家族の存在意義についてお伝えしたいのですが、「ありません」というのが前提にあります。

「家族の存在意義などありゃあせん」というのは、常識や法律上の“戸籍としての家族、続柄”に対してです。

もちろん、保証や責任としてのルール設定があるので、家族であることは個人識別や国の仕組みとして役立ちますが、一人一人の個人に対してルール設定としての家族はいりません。

それは、この母親から生まれて、血が繋がっているから家族で、この父親のDNAを引き継いで、同じような顔をした兄弟がいて、同じような性格をした姉妹がいてなどの、あれこれの決まり事です。

全部ポイッとできます。そのために、戸籍を私達は抜くことができます。

 

家族は小さなコミュニティ

家族とは小規模な共同体です。
一緒に共存をすることでどんな意味があるのでしょうか?

それは、生存維持を容易にします。

家族とは共存し合う関係を持ち、お互いに生存維持するために協力し合うコミュニティ団体として見ることができます。

赤ん坊の時から一人立ちムムムとは、なかなかいきませんので、周囲に助けてくれる人がいれば、ご飯の食糧調達をしなくても、自分で作らなくても、食べられなくても、ご飯が口に運ばれてモグモグしていれば生きられます。

生存維持のためのコミュニティという見方をすると、家族とは“血が繋がっている”、“DNAの合致”、“顔が似ていないとダメ”ということはなく、誰でも家族になれることがわかります。

 

家族とはお互いの共通認識にて共存する関係

誰でも家族になれるのですが、その際に必要なものは唯一、“お互いの共通認識”です。

「私はこの人を家族だと思う」「私もこの人を家族だと認める」という具合に、家族間で同一の認識をすることで、その場で家族になります。

それは、【生存維持するために協力し合いながら共存する関係】という意味です。

その関係性が作られると、新たに家族とは何かの意味が生まれます。

 

家族とは結束力を持ち合った関係

お互いの共通認識で家族になることは、自分の意志で家族を作ることです。

すると、「生きたいから生きる」「この人と一緒に生きたい」「この人達と助け合って生きたい」という意志があることで、家族となります。

それは、「お互いに良いコミュニティを作ろう」という意志と同じで、生存維持以外にも、“喜び”や“幸せになるため”という家族の存在意義になります。

それは、「一人ではできないことを一緒にすることで、生存を容易にして、自分達を喜ばせよう、オー」という具合で、結束力を培う環境です。

初めから結束力が完成されていることはないので、実際に共存生活をすることで、日々の学びや経験から、結束力を強められるように切磋琢磨して生きる動機になります。

そのため、家族とは、結束力を互いに補い養うためのコミュニティになります。

そこには、スピリチュアルな家族とは何かの意味が見出されます。

 

家族とは スピリチュアルな理解

自分達の喜びのために結束力を高める家族の在り方には、「自分の喜び」を求める姿があり、人によっては、「家族の喜びが自分の喜び」にもなります。

 

自分が喜ぶために家族がある

どんな喜びでも“自分が喜ぶ”という目的が必ずあり、そこに、“犠牲精神”や“我慢や忍耐”は結束力を強めるのではなく、崩壊させる行為になります。

「家族のために私が辛い思いをする」「私が我慢すればみんな幸せだ」という考えや思い込みがあると、結束力をお互いに高め合おうとする意志がなくなり、一方通行で、自分の喜びではなく、「自分が納得するため」という状態になります。

そのため、結束力を培う家族の存在意義は、“自らを成長させる環境”となり、「自分が喜び、さらに家族も喜ぶためにはどうすればいいか?」という視点で共存を図ることで、人それぞれの成長がもたらされます。

 

対人関係にて自己を成長させるのが家族の存在意義

家族として人と共存することは、あらゆる対人関係を起こす環境にもなります。

そこで、結束力を高めるために、対人関係での出来事や経験を活用して、自分を成長させることが、家族とは何かのスピリチュアルな理解です。

“自分の成長”とは、起きる出来事や体感から、自分を理解して、自分の認識を成熟させることで、それは自分の恐怖を乗り越えることや、愛を知ることなど、魂レベルを向上させることです。

※魂レベルについての詳細は、魂レベルの高い人と低い人の特徴|愛の距離感は口が悪くても意識が高い をご覧ください。

魂レベルの高い人と低い人の特徴|愛の距離感は口が悪くても意識が高い魂レベルが一人一人にあることで人としての人格や人間性に表れ、それは個性になります。 レベルということは上、下と位がありそうですが、...

 

夫婦と家族の違い

家族とは、魂レベルを向上させるための小さなコミュニティと捉えることができ、結束力を強めるための集団となりますが、夫婦の場合には“魂レベルうんぬん”の認識はなくなります。

夫婦はお互いが愛し合うことで、結束力を高めて自分の喜び、相手の喜びのために家族として生存していきます。

愛し合うことはお互いを敬う喜びをもたらし合う共有や協調となります。

 

夫婦は自己の成長以上に、結束力を高める喜び増幅作戦

夫婦としての生活では自己を成長させる機会はあまりなく、お互いを補いながら結束力を高めることで、「幸せをもっと作ろう、イエーイ」という具合になります。

しかしそこに、子供や新しい家族が加わることで、魂レベルを向上させるコミュニティへと変動していきます。

それは、新しい家族が加わる時、夫婦同士がお互いに共通認識していた“結束力への意識”が一旦崩壊するためです。

 

新メンバーは家族の関係をぶち壊す

みんなが共通認識して、「よし、じゃあ今日からみんなは家族ね」と決めれば、これまで通り喜びを増やすためのコミュニティですが、何も知らない人を受け入れることで、そのコミュニティは一旦なくなります。

オギャーオギャー、ドンッ、ガシャン、ガラガラ、ドガンッという具合に、崩壊の波に飲まれます。ゴジラです。

するとそこに、“魂レベルを向上させる意味”が作られ、家族としてのコミュニティになっていきます。

さらに、赤ん坊が新メンバーとなることで、家族の存在意義には新たな理由が加わります。

 

家族とは愛を知るためのコミュニティ

家族とは何かの最も大きな意味となるのが、“愛を知るため”です。

家族であることは、愛を与え、貰いのサイクルを作る場所となり、与えて貰うことで愛とは何かを学びます。

家族があることで、人を愛することも、自分を愛することも、そして自分を喜ばそうとする気持ちを持つことも、自分を成長させようとする気持ち持つこともでき、愛を育むことからの行動や動機や気持ちが生まれます。

それは、結束力を強める意志の源でして、愛があることで、「みんなで喜び幸せになろう」という気持ちも動機も作ります。

家族に新メンバーが加わり、結束力への意識を一旦崩壊されても、愛を育むことでさらに大きな結束力への意識を持って、喜びを幸せをドバンッと作る共存が始まり、家族の意味が強調される。

 

愛がなければ生きられない私達

愛がなくても家族として成り立ちそうなものですが、愛がないと私達は生きられないという、少し怖い実験結果があります。

精神分析家のルネ・スピッツ(1887~1974年)という方は、赤ん坊を対象に実験をしたそうです。

第二次世界大戦後のスイスにて、戦争で孤児になった乳児55人を、設備の整った施設に入れて、人工乳の保育と皮膚接触をせずに、保母や看護婦が面倒をみる実験をしました。

その結果、27人が2年以内に亡くなり、残った子供も17人が成人前に亡くなり、11人は成人後も生き続けたが、その多くには知的障害や情調障害が見られたそうです。

800年程前にも同じような実験が行われており、神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン朝の皇帝フリードリヒ2世は、国中から50人の赤ん坊を集めて部屋に隔離して、乳母達には食事やお風呂や排泄処理をさせますが、条件を付けました。

  • 目を見ない
  • 笑いかない
  • 抱かない
  • 語りかけない

50人全員が1歳に届かず亡くなったそうです。

この実験から、スキンシップがなければ赤ん坊は生きるのが困難であることがわかり、それは、「触って、見て、感じて」という対象を認識しなければという意味になります。

スピリチュアルな認識では、触って、見て、感じることは人間として生きるための認識であると同時に、“自分”として存在する意味です。

自分として存在しなければ人間として関わることができず、それは愛がないことになり、赤ん坊はスキンシップや愛がなければ生存が難しいことから、生きている私達は愛を何かしら必ず貰って育ったことがわかります。

非常に理解が難しい実験ですが、実験結果によって、スキンシップがどれほど大切かが今世にまで影響する結果にもなっています。

 

生きている以上は愛を持っている

スピリチュアルな認識では、愛とは自分自身のことで、心を紐解くと表れる認知が愛の感覚である、心地良さです。

家族がいることで愛を貰い、今生きている現実が作られます。
家族とは愛を知り、愛を育むための環境であり、コミュニティという意味が見出されます。

小さな頃に大小構わずに愛を貰った経験があり、それによって愛を育み、愛を自分に与えて、他者に与えることができます。

愛を強く持つことで、より自分を喜ばせ、他者を喜ばせる結束力を持つ意志となり、お互いに切磋琢磨してより良い環境を作って共存していこうとします。

※家族のあり方を考える話は、家族のあり方を見直す。家族に対する特別視のルールに気付く をご覧ください。

家族のあり方を見直す。家族に対する特別視のルールに気付く家族とはとても身近な存在で、とても大切な存在です。 その理由はなんでしょうか? 「家族だから」でしょうか? 家族とは一緒に過ご...

 

家族の問題とトラブルにあるスピリチュアル

家族として共存をすると、さまざまな問題やトラブルが起きます。そこにはスピリチュアルな意味があり、さらに家族のカルマが存在することで、家族とは何かの存在意義がさらに拡大されていきます。

家族の問題とトラブルの意味

家族であるからこそ、問題やトラブルが起きます。

結束力を強めるためという共通認識があれば、問題やトラブルが起きることは少なくなると思いますが、そのような認識を持っている家族は多くはありません。

それは子供が新たに家族として追加された時に、共通認識をしないためです。
と同時に、そもそも「結束力を持っていきようぜ、みんな」みたいな認識がないためです。

それは家族でも企業でも同じです。

自分だけを考えて、他者を利用する場合には結束力も愛も成長も、家族や共同体としての存在意義もありません。

それこそ、家族として居る意味も、会社として所属する必要性もないと思いますが、依存することで問題とトラブルを作ります。

 

問題とトラブルがあることが自分を成長させる機会になる

依存をする人が家族にいることこそ、自己の成長を求める基盤作りになるのがスピリチュアルな理解です。

それが、“エゴ”です。煩悩とも言います。

依存や、自分のことのみを考えたり、自分のために他者を利用したり蹴落としたり、愛とは正反対の気持ちからの行為がエゴです。

苦しみの基となり、自分を見失う材料です。エゴがあることで、エゴの反対となる愛を得るための行動が作られ、動機が作られ、成長をして魂レベルを上げることになります。

 

問題のない家族は幸せを貰うことができるが作ることができなくなる

辛くない人生がないように、問題のない家族があれば、かなりレアファミリーだと思います。

アルプスの少女のように生きることは幸せそうでとても良いことですが、その反対の見方もあり、自己の成長を求めずらくなります。

スタンなスタックでショックでアンラックみたいなエミネムのノリですと、大変そうですが、自己の成長を求めやすくなります。

人それぞれに生きる意味や目的があるので、何が良いか悪いかはないのですが、全ては良いようにしか捉えられない見方が自己の成長にはありまして、両者の違いは、自分で幸せを作るか貰うかです。

アルプスルンルンは自己の成長がなくても、その姿が他者に影響を与えて、愛を育む成長になります。
エミネムオウイェは幸せを貰うことがなくても、自らの意志や強さを求める成長があります。

人それぞれにいろいろな成長があり、問題やトラブルは貴重で大切な成長材料になり、「家族とは問題を起こす場所」とはならないけど、問題を作りやすい距離感があるからこその、家族の意味がある。

 

家族の問題やトラブルにあるエネルギー

自己の成長となる家族の問題やトラブルの見方がありますが、同時に、エネルギーによる問題とトラブルが起きる原因があります。

 

エネルギー共有による家族問題とトラブル

家族という小さな空間を作って共存することで、エネルギーを共有する環境になります。

私達は常に波動というエネルギーを発し続けます。波動とは自分が生きている以上、思考、感情、想念、気持ちなど、あらゆる自分の状態を表すエネルギーです。

それは高波動、低波動という表現となり、大きく分けるとポジティブで心地良いものか、ネガティブで心地悪いものとなります。

家の中で低波動を発する人がいる場合、その波動を家族間で共有することとなり、それは、自分のエネルギーを提供したり奪われる理由になります。

家という空間にいるだけでも、低波動が蓄積することでエネルギーを奪われる状態となり、「なんかこの家に帰ってくると肩がズーンと重い」とか、「腰がギシギシ曲がってくる」とか、「疲れやすくなる」というような心地悪さや違和感を感じます。

 

うつなどの神経症やひきこもりはエネルギーを取られている

これはあくまで可能性の一つですが、原因が不明で、うつや統合失調症、元気がなく、ひきこもりになる場合は、家のエネルギーに原因があります。

それは、家という場所も空間もですが、家に居る人に原因があります。

家族問題やトラブルによって、家にいる人が低い波動を発し続け、エネルギーを衰退させて、人からエネルギーを吸い取ります。

家に居る時間が長い場合、家に心地悪い感覚があれば、家を離れなければエネルギーを奪われ続け、症状が良くなることが難しくなります。

 

子供は親の不調和を吸収している

子供に問題やトラブルが発生する際には、親の問題やトラブルを子供がエネルギーとして吸収している可能性があります。

子供は感覚と感性が鋭く、波動受信にも敏感です。親にエゴや邪念が多く、低い波動を発していたり、親同士で問題を抱えている場合や喧嘩や言い争いなどをする際には、その際の負のエネルギーを子供が吸収することがあります。

すると、子供がひきこもりになったり、病気や体調不良になったりと、負のエネルギーを吸い取ったことでの見返りがあります。

※エネルギーを奪われることの理解は、エネルギーを奪う人の特徴と真意。奪われる人にも目的がある密な関係 をご覧ください。

エネルギーを奪う人の特徴と真意│人の幸せを奪うこと理由がわからないけど、「何となく心地悪い」「あの人と居ると疲れる」「あそこに行くと気分が悪くなる」などの違和感を感じることがあるかもしれ...

 

家族と合わない

「この家族、合わないな」と思うことがあるかもしれません。
そもそも合うような家族とはテレビや幸せ物語的な作りものですので、アルプスの少女はアニメの世界です。

合うか合わないかは、他者やテレビの世界と比較しなければ思うことができません。

そして、人それぞれの家族というコミュニティは、生きている目的や意味、喜びの求め度合いや、結束への意識や集合意識の度合いが全く違います。

そのため、比較することでの合う・合わないはありません。

しかし、人間性が違うので、「合わない」と思うのは当然なことでもあります。

 

家族とは他人のこと

家族とは“同じコミュニティの人”ですので、母でも父でもポチでもイグアナでも名前は何でもいいのですが、漏れなく“他人”です。

他人ではない人は自分だけですので、全員他人で、家族とは合わないものです。

ですが、合わせようとするのが子供です。合わせるのは愛があり、合わせてあげたいと思う気持ちを持つことで合わせます。

そして、合わせることで幸せ家族であれば幸せを貰い、冷淡家族であれば我慢や忍耐をして苦しみを貰います。

 

家族とは合わないもの

「家族と合うんだよね」と言う人は、家族が好きな人ですので、お互いの共通認識にて家族として成り立っています。

他人という家族の集まりで共通認識がなければ、それは“自己の成長のため”という明確な家族の存在意義になり、喜びを求めるコミュニティではありません。

家族と合わないことは、結束力への意識をおそらく誰も持っていない家族ですので、自分だけ持つ必要はなく、我慢や忍耐をしないことがなによりも大切になります。

合わない家族は成長の機会にもなり、自分のために家族という存在を活用することが大切で、他の家族と比較することは苦しみを増大させ、強く魂レベルを向上させる意志が必要になりますので、比較も我慢もしないで自分を大切にしましょう。

合わなければ出ていくこともできますし、縁を切ることもできます。縁というのは戸籍が同じというものですので、役所へ行けばいつでもできるものです。

※家族は他人という認識については、自分以外は他人、家族は他人。主人公は一人だけだからこそ全員家族 をご覧ください。

自分以外は他人、家族は他人。主人公は一人だけだからこそ全員家族他人ではない考えがあることで、家族や友人やパートナーとして枠を設けることになります。 それは人と関わる際のルールとなり、関わり方が...

 

家族と合わないのはカルマの影響がある

「みんな家族とは合わないもんよ」という現実的な話をしましたが、家族と合わない場合には、カルマが影響しているスピリチュアルな認識もあります。

その際には、家族といることに違和感を感じ、「なんでこの家族と一緒にいるんだろう?」という、アウトオブファミリー的な疎外感がサインとなります。

さらに、家族内の問題やトラブルが多く、「また巻き込まれたよ」という感覚と申しますか、「いえ、私は他人です」みたいなノリをお持ちです。

その際には、カルマを解消するために生まれてきたスピリチュアルがあり、家系のカルマという、代々引き継いでいる家系のトラブルの元を解消する役割を持ちます。

 

家族内の家系カルマ

家族にはカルマがあり、問題やトラブルを代々引き継ぐことがあります。

同じ血筋であることはカルマの血縁関係を作り、代々引き継ぎ、誰かしらがカルマを止める必要があります。

その際に、自らのカルマや成長を求める意志から、家系カルマ解消を役割の一つとして生まれてくることがあり、その際には、「この家族と合わないな」という感覚を感じます。

 

家系カルマは自ら選んでくる

カルマとは自分の発したことに対して、自分で責任を取ることです。

しかし、家系カルマは自分の親、そのまた親、またまた親、「あなた誰ですか?」というような人のカルマを解消することです。

カルマ解消の役割を持つ場合は、自ら家系カルマを生まれてくる前に選びます。
その時には家族や親を選び、その家族の家系カルマに、自らのカルマ解消と求める成長が合致することで、「この家に決めた!」という具合に生まれてきます。

例えば、代々アル中を引き継ぐ家系がある場合は、それがカルマとして続きます。それは、自分の親やそのまた親や親や親…と続いており、「全然知らない人のカルマを私が解消するの?!」となりそうですが、自分が解消するべく原因が過去世の行いにあるので、ここでカルマを止めてやることで、その後の家系にアル中が出ません。

またいつの日か、しょうもないやつがやらかすかもしれませんが、一旦はOKです。

 

縛りや思い込みをぶち壊すカルマ

家系のカルマにはアル中のようにわかりやすい問題やトラブルがありますが、わかりにくい感情やエネルギーとしてのカルマがあります。

そこには、低い波動を生み出し続けるエネルギーのカルマとして、“縛り”“思い込み”“決め付け”があります。

自分の世界に入れ込むかの如く、他者を抑制する行為でして、家系カルマの一つです。

誰かがぶち壊すことで、その後、自分を押さえつけられて困るような子供がいなくなるので安心です。

代々強制や抑え付けをして、自分の意見なく生きる場合はカルマの可能性があります。

不要な縛りを解く人は、強く成長を求める意志と役割を持ち、自分のカルマの解消と共に家系カルマをシュシュと切り刻みます。

その際には、「なんやねん、この家族」のような違和感、アウトオブファミリー感があり、時に冷酷に、時に冷淡に、そして時に冷え性のように冷たい視線を送ります。

そんな時には、「これはカルマ解消を担っている」と思ってもいいかもしれません。

 

家族とは何か まとめ

以上が、家族とは何かにある家族の存在意義と、問題やトラブルにあるエネルギーとカルマからの理解でした。

家族の意味をまとめると、このようになります。

家族とは何か スピリチュアルな理解
  1. 結束力を培うための環境
  2. 自己の成長を求めて魂レベルを向上させる環境
  3. 愛を知り、愛を育むための環境
  4. カルマの解消をするため

自己の成長としての家族の存在意義が強く、結婚して夫婦になることにも、家族のスピリチュアルな意味があります。

そもそも一人で生きることができれば家族を持つ必要はありません。それは、自ら喜びを作り幸せを生み出せる人であればという意味です。

家族がなくてもあっても、人として成長をすることで、愛を知り、他者と愛を育むことができます。

愛を拒否して逃避することで、成長を求めず喜びをも求めない状態になりますので、家族とはとても大切なコミュニティです。

誰でもお互いの共通認識があれば家族になれることから、いつでもどこでも自分が愛を与え、貰うことで、自分と相手のために切磋琢磨して結束力を生む愛となります。

家族についての理解が深まることで、家族との関わりや見方を変えることができ、より自分を大切にすることに繋がります。

より幅広い視野となり、何か良き影響があることを願います。

それでは、家族とは何かを理解するスピリチュアルな話を終了します。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

【忘れていた人生の合図を電子書籍にて販売中!】

ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ

サラリーマンだった人間がおかしくなる、とある森での変人化計画とその全貌。

一人での森生活、襲ってきた熊は忘れていた大事なことを思い出させ、そこで見つけたものはムニュムニュしていました。

一風変わった哲学書であり、森を舞台にした一人の元サラリーマンが自分を探し出す物語。

自分を見失い、人生に疑問を抱き、違和感を感じる時こそ、本当の自分という名のふざけた自分を見つけ出す変貌ストーリーが始まります。

忘れている大事なことを思い出し、自分らしく人生を生きるための経験と知恵を詰めた内容です。何か興味を感じた方は、ぜひ始まりの合図を受け取ってください。

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です