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【実験結果】誰とも話さないとどうなる?「苦しいけど嬉しい深み」

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喋る、これは言語表現による音?

誰とも話さないと、「誰かに話すことの意味」がわかります。

話すとは音を出すだけでなく、表現であり情報発信であり共有意識であり、必ず目的がある行為。

誰とも話さないとどうなるのでしょうか?

「人間を知る」

そんな奇妙であやしいお話がここにあります。

一人暮らしやネットでの情報社会、テレワークが増えてきた在宅状態などなど、誰とも話さないことが日常的な人もいると思います。

突然誰とも話さなくなるとどうなるのか。心配になることもあると思うので、ここでは私の人体実験から理解した、苦しく、嬉しい検証結果をお伝えします。

苦しいも嬉しいも人によって良し悪しが違いますので、「自分にとってはどうかな?」という目線でご参考になれば幸いです。

誰とも話さないとどうなる?

誰とも話さないとは

まず、「誰とも話さない」とはどういうことかを明確にしたいと思います。

他者と話さなくても自分がおり、独り言で声を発したり、自らの内側で静かに対話もできます。

声という音で話さなくとも、私達はいくらでも人と関わりあっているのが現実です。

誰とも目を合わせない、誰とも会わないとわかるのですが、人が目の前にいるだけで、音で話さなくともあらゆる情報受信・発信をしています。

情報受発信が最もわかりやすく表れるのが、アイコンタクトです。

人の目を見ると多くの情報の行き来があり、意図や気持ちや状態表現があり、目的があります。

目だけでなくとも目の前に人がいれば、自分の認知範囲に人が入っていれば、人はそれぞれに情報を発し、受けていたりします。

「話す」というのはとても幅広いものでして、「誰かが居る」と認知できるのか否かはとんでもない違いがあります。

音である言語は話すツールの一つでしかないので、ジェスチャーや手話、アイコンタクトや波動認知、行動認識やエネルギー感受など、本当にさまざまに話せるのが私達人間です。

「話す」というのはただ口から音を出すだけではなく、話す意図、企み、意思、意志、想い、感情、状態、意識などを含めた「動機」があります。

動機となるのが目的、ドンッ。

ドンッと出て来ちゃうほどメイン、これが話す核だと考えられます。

話す目的とは、自分にとっての話す意味。

「話す必要?ないよそんなもん」という人は目的がないので、誰とも話さなければ声帯や肺活が弱まり、呼吸器系等の筋肉や細胞活動が弱まり声が出しにくい、言語表現や理解力が弱まるなどの、「しばらく歩いていなかったら走れない!」的な状態になるかと思います。

話す目的がある人は全く別です。

目的として考えられるのは、「自分にとっての欲」です。

「話したい」
「表現したい」
「伝えたい」
「共有したい」
「情報収集したい」
「相手を知りたい」
「相手の行動や思考を把握したい」
などと、「~したい」と自らが欲する目的があります。

誰とも話さないとは、「自らの目的(欲)を達成できない」という意味になります。

目的は、話すことで達成し得る何かですので、自らの意思や感情や気持ちによる表現を相手にして達成するもの。

まとめるとこうなります。

誰とも話さないとは、自己表現にて達成し得る「~したい」欲を満足させられないことです。

この理解が誰とも話さない結果をわかりやすくするので、この前提で実験検証へ向かいましょう。

 

誰とも話さないとどうなる?

誰とも話さないとは、自己表現にて得られる満足や納得、不満足や不納得の解消がなくなることです。

これら欲を満たしたり解消したりをわかりやすく“利益”とします。

誰とも話さないと利益を得る機会が減ります。

ここで明確にわかるのは、人によっては何も変わらない人によってはとんでもなく困ることです。

  • 誰とも話さなくても困らない
    ・・・自己表現にて利益を得ようとしていない
  • 誰とも話さないと困る
    ・・・自己表現による利益がなくなると嫌、苦しい
  • 誰とも話さないと助かる
    ・・・他者から一方的に話されて利用される状態がなくなり嬉しい

人それぞれに、
「ふ~ん」
「こりゃ利益がないから困る」
「やったー、解放だー」と。

心理的に表現すると、外向的か内向的かによって良し悪しが変わり、外向的な人は他者との関わりや自分を外側に表して喜びを見出すので、それがなくなれば苦しく、喜びがなくなり、辛さの解消もできず、困る可能性があります。

内向的な人は、自分の内側を外側に表さずとも、自らが内観や内省にて利益を生み出そうとするので、自己表現に利益を求めておらず、特に困ることはないかもしれません。

誰とも話さないと、他者に利益を求めている人は困る。自らが利益を生み出す人は困らないという結果になります。

と、ここで終わっては何も面白くありません。

正直、話さないからどうなのか以上に、大切なことがわかるのが誰とも話さない状態です。

それが人間を知る話。

さぁ、おかしな内容に入りましょう。

※自分のことを話さない心理は、自分のことを話さない人の特徴と心理│そもそも何で話すの?をご覧ください。

 

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実験結果:誰とも話さないと起きること

誰とも話さないと起きること:実験①森生活

私が海外を一人旅していた時のひととき、アラスカの森奥地でテントと寝袋で60日間暮らしていた時です。

人はいませんが野生動物、特に熊の巣窟でしたので、動物とは話せる環境です。

人里から離れ、さらに森の奥地へ14日間歩き続けたので、人の痕跡すらありませんでした。

誰とも話さないというよりは、「話せない」状態でして、誰とも会わない状態でもあります。

誰とも話さないと起きるのは、自分と話すことでした。

と言っても無言、頭の中でもう一人の自分と対話する状態。声を発するのは恐怖の叫びや、動物との遭遇による驚き、大自然に感極まった雄叫び、ビーバーや鳥との一方的な会話程度。

詳細は、人生を変えた経験を本に|ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュをどうぞ。

誰とも話さないと起きるのは、上述でお伝えしたように欲の持ち方に満たし方、自己表現にて他者がいることで利益を得ているのか、他者から利用されて利益を吸い取られているのかなど、人間性や価値観や状態で変わります。

私は内向型ですので特に何も変わらず、「話さない、ふ~ん」と寂しいですがこれが事実です。

自分との対話が増えたために自己理解が深まり、利益を自らで生み出す意識が強まり、もはや良い事でした。

しかし、重要なことはその後に気づきました。

60日間の生活が終わり、街へ戻るためにヒッチハイクをしようと森から道路に出てきた時。60日ぶりに人を見ました、おじいちゃんとお孫さんの二人組。

すれ違い様に軽く挨拶、「Hi」「Hi」
そして私も、「ハァ~ぃぃ」

私は声が出なくなっていたので、ほんの微かで力なく。

いたってシンプルな日常挨拶、のはずですが…。

私は歩きながら号泣していました。

これは久しぶりに人と会えて感動ということではなく、明確な気持ちを感じたからでした。

人を想う気持ち。

二人が挨拶をしてくれた際の情報発信、アイコンタクトに潜む挨拶をする目的を感じ、さらに私自身の想いを知り、人は言語的に話さなくても、「しっかり話しているんだ」と知ります。

目を見れば、相手が何かを伝えている。

人を認知すれば、存在が何かを伝えている。

少し離れて歩いていた二人が私に気づき、少し寄って歩くように位置を変えている、挨拶するためにこっちに寄っている、どこで挨拶しようか考えている、笑顔にしようか決めている、自分のために挨拶するのか、相手のためにするのか、無視するのか、通り過ぎるのか。

誰とも話さない経験で知ったのは、「声を出して話す」という明確な行為をせずとも、目の前に人がいるだけでお互いに関わる何か、ほんの些細でも繋がりがあれば既に話していることでした。

誰とも話さないと、「話すことの意味」がわかります。

話すとは何とも幅広いと思います。目の前に人がいるだけで、スーパーで買い物するだけで、人との関わりがあり、見えないながらも話していたりします。

相手の情報受信、こちらの情報発信、その際の相手の、自らの意図、感情、気持ち、そして目的の行き来。

相互交流が起きればコミュニケーション。それがなくても一方的な話しが起き、利益を得たり、見出したり、与えることもできます。

ただ、話すことで相手から利益を得ようとする場合、言葉として明確に自己表現した方が相手の反応を得たり促したりがよりできるので、話しているのに利益が得られなければ話していないと思うかもしれません。

「話すことの意味」は人間を教えてくれます。

 

誰とも話さないと起きること:実験②瞑想

二つ目は完全に誰とも、自分とも話さない体験です。

ある瞑想施設に滞在していた時です。

10日間施設に閉じこもり出られない。誰と話すことも触ることも目を見ることも、電子機器や本を読むことも禁じ、とにかく瞑想に集中する環境。

私はこの施設を何度か使用させてもらっていまして、短い期間ですが条件付けで話さない状態になり、周囲に人はいるので人を認知できます。

が、目を見るのも話すのもできない状態で、会えるけど話せないという環境です。

ここでは自分に話すこともできないので、まさに誰とも話さない状態になります。

頭の中での対話はできます。瞑想に集中すると自己対話もなくなります。

声を発しないのはもちろん、音にて表現もしない、知識を伝えて情報提供もしない、行動にて状態表現もしない、そして相手の目から情報受信もしない、共有もしない。

そんな体験です。

この結果からわかったのは、「話すことの意味」のさらに詳細。

話して自己表現する際に求めている目的(利益、欲)についてです。

話す行為に利益を求めていなければ、誰と話さなくても本当に特に変わりません。むしろ自己理解が深まるので、自ら利益を生み出し、作り出し、自責を育むためには重要な行為だと理解しています。

しかし、価値観や観念など、自らに設定しているルールで話す行為に利益を求めていれば、誰とも話さないことは辛く、苦しく、悲しく、困る要因に。

誰とも話さないと、これまで起きていたことはなし、シーンです。

これで苦しくなる場合、これまで起きていたことで満足し、納得し、不満足や不納得を解消していたとわかります。

シーンとなれば、それらの利益は自分で作るしかなくなります。

「話すのは話したいから話している」=「自らの欲のために行動している」と考えられます。

「話したい」と思う際には、「誰かに伝えたい」という他者の存在が含まっているので、誰かに伝えることで欲を満たす目的があります。

誰とも話さないと、これがはっきりわかります。

 

誰とも話さないと人と関わる大切な気づきがある

「話したいから話し、欲を持って利益を得ようとする」

この行為がなくなる時のフォーカスが利益を得られない自分か、利益をこれまで与えてくれていた他者か、人によって分かれます。

この認識をはっきり分けるのが、「感謝するか否か」です。

人に感謝する人は、自らが話して自らが欲を満たせているのは他者のおかげだと知っています。

誰とも話さないと本当に明確にわかってしまいます、「利益は自分で生み出すしかない」と。

誰とも話さないと、話す時に起きている利益の生み出し詳細がわかるため、人に感謝する気づきになります。

瞑想検証から気づいたのは、話さずとも誰かが周囲にいると認知できれば、常に話していること。

目を見れれば、声を出せれば、より話す行為が加速され、利益を生み出します。

ですが、どれだけ少なくても人が存在すると知っているだけで、私達は自ら利益を生み出し、苦しみや悲しみを作り出さず、喜びや楽しみを生み出せます。

人の存在とはとてつもなく大きい。

「瞑想は大切」というよりも、「人は素晴らしい」という気づきを貰えるのが、完全に誰とも話さない結果です。

※職場で誰とも話さないと起きる話は、職場で必要以上に話さないと起きる不思議│静かなのに目立つってどういうことー をどうぞ。

 

誰とも話さない まとめ

以上が実験検証でした。

話さないのか、会わないのか、両方なのか。話さない期間、価値観、観念、認識、人間性、状況、状態、意識。

人それぞれに何もかもが違うので、起きることは変わるとは思いますが、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

誰とも話さないことにはネガティブとポジティブ、どちらの印象が強いのかは私にはわかりませんが、この経験は大きな気づきと理解を与える機会だと思います。

欲にフォーカスするのではなく自らの利益有無にフォーカスすると、辛く苦しい状態になりかねませんので、どこをしっかり認識するかを明確にすると、自分に合った理解や気づきとなる行為です。

「話さない」は「話す」を教える。

話すも話さないもどちらも大切な行為です。

話し続けていると話さないことの利益となる気づきや理解がわかりずらくなり、話さないのを続けていると話すことの利益や意味がわかりずらくなるかもしれません。

自己の内側を認識し理解していくと、誰かと話す必要性がなくなっていくこともあります。

自ら利益を作り出すと話す目的がなくなり、他者との交流や自らの欲を満たす動力が減っていきます。

人と人が共存している社会基盤で生きているので、自ら利益を生み出すのも大切、他者から利益を得るのも大切、そして他者と共に利益を生み出すのも大切。

全部意味があって全部良い、そんな具合ではないかと思います。

話し続けるのも、話さないのを続けるのも、それぞれが自分に見合っていればそれも良いですね。

苦しくもあり、嬉しくもあり、人それぞれに何かしら得るものがある。そんな誰とも話さない行為です。

たまには一週間、山小屋にこもって鳥達の話しを聞き続けるのもいい感じ。

「人の有難みがわかる」
そんな検証結果になりますように。

よく話す人は毎日満たされている。それは周囲のおかげという話し、終了です。

最後までありがとうございました。

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