好かれる人

【適当にできれば】適当な人は面白い上に好かれる。

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物事を理詰めで追い込んだ。

追い込む先にあるのは答えがなかったという事実か、思い込みで誤魔化す思考か、自己満足。

そんな時に海外に行って気づいたのは、適当な人の姿。

適当な人は面白く、好かれ、求めていた答えを百も承知でした。

ここでは、適当に生きるための一つの気づきとして、適当な人から見出される人間味を下記の疑問の紐解きと共にお伝えします。

  • どうして適当な人は面白いの?
  • どうして適当なのに好かれるの?
  • 適当な人とは一体何者?

適当な人の人間味には、「面白い、好き」に関わる心理的な理由があり、適当であることの大切な人間理解が潜みます。

適当なご自身を見つめ直したい、適当になりたいと思う方が、適当の良さを知る一助となれば幸いです。

適当な人は面白い

適当な人を面白いと思うのはなぜ?

適当な人には二つのタイプがあります。

適当な人のタイプ
  1. 主体性のある適当な人(自責がある)
  2. 主体性を放棄した適当な人(自責を持ちたくない)

適当という言葉には、「ちょうどいい、相応しい」「いいかげん、無責任なさま」と異なる捉え方があります。

適当なのかテキトーなのか、言葉の捉え方と同様に、適当な人にもそれぞれの捉え方があり、自責の有無で中身が変わります。

一つのタイプは良い塩梅で良い加減を作る基盤の人間性があり、必ず自責がある特徴です。
※自責とは自分の思考や行動を自覚して認める意

他者との関わりで成り立つ社会環境では、他の人や情報やルールの影響が多くあるために、主体性はいくらでも抑圧され、潰されもしますので放棄したくなる人もいます。

それがもう一つのタイプ、他の影響にて主体性を放棄する選択をした適当な人は、主体性を放棄する自分という主体性を持ちます。

「主体性がどの道あるなら、わざわざ放棄しなくてもいいのでは?」と思えるかもしれません。

主体性を放棄したと思うことで、「責任を持たなければならない」というルールをぶん投げられます。

責任を持ちたくないために放棄し、自分の好き勝手に生きられるように縛りをなくすと、いいかげんで無責任になり、他者への配慮・考慮をしなくても気にならず、楽になります。

どちらも主体性がある適当な人。タイプにて自責があるかないかが分かれ、周囲からの評価も変わります。

これらの特徴によって起きるのは、どちらも面白いことです。

 

主体性によって面白さは拡大する

適当な人は縛りや抑制を自らに課さず、他ではなく自分を主にした解放的な認識をします。

サッカーにルールがあるように、制約や条件があることで遊び楽しめるのが私達人間。ルールは縛りにもなりますが、数学者のように迷路を辿って答えを導き出す面白味になり、決められた範囲内で楽しめます。

一方、一切のルールをなくした状態が適当です。数学者が既にある迷路を越えて何もない真っ新な空間に出た時、何もかもを自分で創っていい遊び場になります。

想像と創造の世界です。

適当な人は想像と創造する上での一切の縛りがなく、関わる際には自分の知らない概念や感性が口から垂れ流されるように出て来ます。

全てに新鮮味があり、相手の発言を理解する楽しみがあり、一緒にいる時間はとても面白くなります。

己の世界に縛りを作らない解放状態はそのまま表現され、社会性や常識で模った模範とは全く別の世界を表す面白さがあります。

「新しいことを知りたい」「人の世界を知りたい」「知らないことを知りたい」「真実を知りたい」と思う人ほど、適当な人を面白いと思います。

 

適当な人はルールを撤廃した「笑いたければ笑っていい空間」を作る

面白い理由には適当な人の空間作りが大きく関わります。

一緒にいる際に、ルールを持たずに解放したさまを表現するため、適当な人はルール概念を持っておらず、相手を咎めたり否定する意味を持ちません。

ルールがあり、正解があり、間違いがあり。

このように条件付けることで相手を否定したり批判したり、自らを正当化したり肯定したりという行為が生まれます。

主体性による自責があるタイプは、「私は主体的だ」などと思うことはないほどに主体が当たり前。他者に押し付けたり思い込んで決め付ける干渉をせず、その場を自分の空間にしたり、肯定を求めたりといった他者利用をしません。

主体性による自責がないタイプは、好き勝手自分のしたいことを言って行ってが当たり前。他者に介入して干渉したり、他者から言われたことを気にする概念がなく、嫌なことは記憶から消すか、初めから入れないで終わりという、一切の不干渉です。

両者の在り方は共に空間を作るだけ作って、「入りたい人は入れば、あなたが入りたいならね」という拒否のない自然そのままです。

マックにあったカラーボールだらけの遊び場のように、完全にルールも縛りも評価も判断もない空間。唯一あるのが想像と創造にある己の世界を持ち寄った共有と遊びです。

適当な人とはあのマックのやつだと思ってください。

自分の世界を持って共有したい人にとっては最高の遊び場です。

面白さの度合いはタイプによって違いますが、それぞれに面白さがあります。しかし、好かれるかどうかになると、タイプで極端に変わります。

お次は好かれる理由を見ていきましょう。

 

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適当な人は好かれる

どうして適当な人は好かれるのか?

適当な人の二つのタイプは、好かれるか嫌われるかが極端に分かれます。

適当な人同士は共有が頻繁に起きるので、好き嫌いの概念すらなく仲良くなります。

問題は適当ではない人にどう思われるかです。

ここで、自責の有無が周囲から受ける高評価・低評価の差を作ります。

  • 自責がある適当な人は好かれる
  • 自責がない適当な人は嫌われる

 

自責がある適当な人が好かれる理由

安心空間の提供にて好かれる

適当な人の主体性と自責はとても強く、自らの思考と行動を明確に認めます。

このさまは自らの認識に余裕が生まれ、他者がどう思い、どう感じ、どう評価するかといった他者の認識を捉える力となり、全体を自らの空間に包んで見る俯瞰性になります。

拒否や否定をせず、思い込みも決め付けもせず、人は人、自分は自分として区分けし、その人はその人として捉えようとします。
(※捉えていても干渉しないので、周囲が気づくことはほとんどありません)

自責がある人は全体を認識した上で適当にするので、全体を適当な雰囲気に変え、重苦しさや緊張感のある世界はどこかへ消えてなくなります。

周囲にいる人は適当というルールのない、不安も恐怖もない空間に入ることで気楽な気持ちになり、適当な人に合わせて自らもルールを解放でき、拒否されない危険性のなさと安心感に包まれ、笑います。

これは好かれます。

 

自責がある適当な人は影響を受けないので嫌われる

嫌われることもあります。

主体性は自覚することもないほどに絶対的であるため、他者からの影響を受けません。

「自らの影響を受けさせ、干渉し、強要したい、自分の目的を得たい」と、他者を利用したい目的を持つ人にとっては面白くない適当な人。

例えば、上下関係を求めて自らを「上」だと思いたい人がいます。

「おまえさ、データ入力ちゃんとやってんの?」
「ああ、あんたがやらないからやっといたよ、と妄想して満足しちゃった」

ムキー!

例えば、自分の目的を得るためだけにコミュニケーションしている人がいます。

「このコーヒー豆ってどこ産かな?」
「ああ、それモグラの糞の燻製だよ、東北で有名なんだって」

ムキー!

目的を求めたい利益追求が強く、自らの求めたことや予測した通りにならないと認められない人は、適当な人との時間ではおそらく一つも目的を得られません。

さらに、目的を得ようとしていることを自責がある適当な人は気づきますので、余計に面白がろうとしてふざけたことを言うので嫌われます。

 

自責がない適当な人が好かれる理由

自責がない人は自分の思考と行動に責任を持たない目的を主体的に持ちます。

このさまは嘘をつかない人間性を意味します。正確には嘘をつく自分に嘘をつかないため、嘘をついたかどうかは周囲から一目瞭然になるのがこのタイプです。

「責任なんて誰も持たないでいいよー」という無責任でいいかげんなさまは、「この人みたいになりたい」と思われることは皆無。

しかし、責任を持たなくていい空間を作るために、堅苦しいルールで縛りくさった世の中に疲れた人にとっては休息場になります。

緊張も硬直もなくなり、不安も恐怖もない一緒の空間は、気楽さをもたらす時間となり、世の中のルールでストレスを溜め、疲労困ぱいの人には嬉しいものです。

誰にも責任のない場は、タコスを食べながらフットサルをするように、生クリームが乗ったプリンをスプーンで食べながら華麗にパスする人や、マンゴーにかぶりつきながら思いっ切りシュートする人もいる自由な遊び場、気楽な時間を求める人に好かれます。

好きになる人には傾向があり、同じように無責任になる人か、ルール縛りに対する反発の強い疲労者や被害者、責任のない休息や癒しを求める人に偏ります。

それ以外の人にはほぼ嫌われると思ってください。

 

面白くて好かれる適当な人とは

冒頭でお伝えした適当な人の二つのタイプ。どちらも面白さがありながら、好かれるかどうかは綺麗に変わります。

自責がない適当な人は好かれはしますが、ほとんどの人には嫌われます。

それは、適当の意味が責任をなくしたことでの適当だからです。

責任をポイッと放り投げれば、誰でも適当な人になります。必要なのは、責任がないことで起きる周囲からの否定や批判に対応できるかどうかです。

自責のない人は対応できません。

自責のない適当な人は、無責任なさまに対する他からの影響(批判や否定や叱咤)に対応できないので、逃げるか複数になるかのどちらかです。

ご飯を食べながらフットサルしてもいいんです。ただ、タコスをこぼしたら掃除するのが責任ですが、しないのが自責のない適当な人。

掃除をしたくないから責任を放棄し、フットサルの管理人に怒られるのが嫌なので逃げるか、仲間を連れていき怒られてもニヤニヤして誤魔化します。

面白くて好かれる自責のある適当な人は、こことは明確に一線を画します。

一人で行動する人が多く、「写真撮ってください」とカップルにお願いされた時に、後ろのおじさんの頭頂部アップを撮っても、「はい、これでいいかな?」とちゃんと見せます。

「ちょっとちょっと~」と言われるか、「もういいです」と言われるか、どっちでも対応できるので、見せずにさようならをして陰でクスクス笑ったりはしません。

タイプによって大きな違いがあることからわかるのは、適当とはなるかではなく、なれるかということです。

 

適当になれる自責と主体性のある人は見ている世界が広い

適当になれる人は孤独でも生きられる人であり、ルールに則った行為が苦手で、自ら創造する行為に長けています。

主体性はあらゆる認識がリアルになり、自分が笑いたいから、楽しみたいから好きなことをします。

怒るのも悲しむのも自分が怒りたいからであり悲しみたいからだと知っています。責任は他にはなく全ては自分であり、自らが自覚して認めます。

面白いと思われるのも好かれるのも、その人がそう思いそう抱いたと認識し、「自分が面白いんだ」「私が凄いんだ」と思う不毛さに意味を持ちません。

自分が面白いと思うから、楽しみたいから、笑いたいから行為し、主体性のある言動は結果的に「適当」として表れます。

適当とは本人にとってのいい加減、他の介入はありません。

他の介入があるのは適当な人の自責によるものに限られ、集団でいる空間があれば、他者も含めた全体を俯瞰した自分をそこに存在させ、その上で自分にとってのいい加減を作ります。

そんなさまは自由であり、他者を引き込む魅力的な空間にも、安心感に包まれる空間にもなり、面白くて好かれる人という結果をもたらします。

※適当な人になるための詳細は、適当に生きる人生はいいもんで│できるか否かの生き方はお気楽と責任 をご覧ください。

適当に生きる人生はいいもんで│できるか否かの生き方はお気楽と責任真面目なのか生真面目なのか糞真面目なのか。 真面目に不真面目なのかふざけているのか。 「そんなことはどうでもいい」と思いたい...

 

適当な人は面白くて好かれる まとめ

自責がある人と比べてしまうと、自責がない適当な人は低評価になりますが、主体性があることには変わりなく、どちらのタイプも面白いのは共通です。

自責がない適当な人が、責任を持つ育みや環境で生きると、瞬く間に面白くて好かれる適当な人になれるという、適当界ならではの進化もあります。

どちらも主体性がある時点で価値になります。

人々は価値を評価し、自らが貰えた利益を認識し、面白いと思ったり好いたりします。

自責がある人は価値を作って与えた上に、価値をなくさないので好かれます。

自責がない人は価値を作って与えた上に、無責任なさまによって価値をなくし、良い悪いの評価にて無責任なさまが価値の量を上回ると嫌われます。

このことからわかるのは、適当な人とは価値を作る側であり発信側ということです。

適当は創造にて作る価値だと考えられます。

まるでアーティストであり芸術家。

「創作者は適当者」

こういった適当界の常識は、自らの人生は自らが創っていることにフォーカスを向けます。

全員が創作者である人間の基本原理に振り返ると、世の中は適度に適当でもいいのかもしれませんね。

適当な人を知り、適当味を追加する内容となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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