人生哲学

価値がないと言われた機会を逃さない【価値ある人間になるには】

価値があるのかないのか、自分自身ではわかりにくいものです。

価値がないと言われると悲しくてショック。

実際に起きているのは価値がないと認める以上に、自らを否定されることへの拒みが維持できない衝動感受かもしれません。

価値がないと言われることにはたくさんの意味と気づきがあり、価値ある人間になる貴重な機会が潜みます。

ここでは、価値がないと言われたことを活用する考え方を見ていかれてください。

  • 価値がない人間だと言われるのはなぜ?
  • 価値を知る体験談での気づきとは?
  • 価値ある人間になるにはどうすれば?

これらの紐解きにて、価値がないと言われることをプラスに変換して、価値ある人間になるための内容となっております。

価値を模索して気づいた私の体験と理解が、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

価値がないと言われた時にわかること

価値がないと言われるのはなぜ?

生きている確証になる大切なもので、自分の評価や判断をする材料になる価値。

わかりにくいもので自分以外の他が見出します。自分が見出すものを自己満足と言ったりします。

「ちょっとこの長いくねくね耳、ぷにぷに~」となれば、イヤーオブブッダと言われて馬鹿にされていたものが、突然ある人にとっては高級枕以上の価値になります。

価値の見出しは自らが価値の基盤を持っていながら、他者が必要としたり喜んだりと、何かしら利益を認識することで判明します。

「見よこの耳、触ってもいいぞ」といつの間にか言うようになり、誰も見向きもしない。あの人のフェチでしたか。

価値とはわかりにくいものです。

価値がないと言われる場合、「周囲の人が価値を見出すための材料が自分にない」と考えられます。

この意味は二つに分かれます。

  1. 周囲の人が価値を見出そうとする認識がない
  2. 価値を見出してもらう材料が自分にない

二つの意味にて、言われる理由がわかります。

 

価値がないと言われる理由①:周囲が価値を見出せない

一つ目の理由は周囲の人の認識の狭さです。

価値を見出す認識力がなく、人を見て・感じて・考えて・知り・判断し・評価することができません。

精神や心理に余裕がない。または、感性と知性がない可能性です。

どれほど目の前の人を認識できるかによって、価値を見出せるか否かが変わります。

認識できないと価値を見出せませんが、「あなたに価値がない」とわざわざ相手を否定して傷つける動機はありません。

動機がある人は価値を見出せないだけでなく、他人によって自らを喜ばせて貰おうとするエゴ意識があり、我が強く、他によって利益を得ようとする我欲があります。

自分が得られる価値を中心にした物事の見方。その人をその人として認識できないので、人の価値を見出せません。

他への執着や依存が強く、責任を持つ概念がないと、「私に喜びをもたらさないなら使えない、価値がない」と思います。

[利用価値がない=価値がない]
[不利益を与えてくる=価値がない]

他によって得られる利益をとにかく欲している人は、利益を与えてくれない人を批判する正当化を持ち、「あなたは価値がない」と言います。

相手を否定にて下にして、自らを上にするマウントにて自己価値を高めようと企む人もいます。

 

自分のことしか考えられないと、「価値がない」と言いたくなる

認識力の低さは他人目線がわからないだけではなく、自分のことしか眼中にない状態になっていきます。

感じたり、考えたり、評価したりの認識が一辺倒になり、他との共存社会の中で自分のことしか考えないと、他人を自分のために利用する在り方が作られます。

心理では自己中心性や自己愛性やナルシストと言われるもので、自分の価値にならない人には一切の興味がなくなり、「自分のものなのに喜びをもたらさないなんて価値がない」という危険思想に発展していきます。

 

価値がないと言われる理由②:価値を見出してもらう材料が自分にない

二つ目の理由は自分自身です。

私達は人と関わる際に理由や動機がなければ関わる意思はありません。

「この人と関わると楽しい、嬉しい、深い、知れる、経験になる」など、何かしら関わる意味があるからこそ関わります。

例えば、長年お付き合いしているカップル。彼氏は彼女と一緒にいることで、周囲からの見栄えを構築できて安心。彼女がいると友人達に言えて自己評価を下げずに済むと安堵し、関わる意味があります。

一方で彼女の方はどうでしょうか。見栄えや他者との比較を気にかけるエゴがなく、彼氏がいるという体裁に何の喜びも感じず、一緒にいても楽しくない。

彼女からすると彼氏に価値がありません。

彼氏と関わり続ける場合、自らを縛り付ける強制や無理矢理の制約になり、関わりがストレスになり、相手に気を使ったり自らを犠牲にして我慢を要します。

関わるだけで不利益になってしまうので、我慢の限界が来た時には、「あなたには価値がない(これ以上は我慢できないから何とか変わってくれ)」と言う意味で口から出てしまうことがあります。

相手を否定するためではなく、自らを護るための発言です。

 

価値は与えないと見出してもらえない

価値を周囲が見出せない最たる理由が、自ら価値を与えないことです。

価値は他人によって評価・判断されて、「私は価値がある、ない」と理解できます。

例えば、自信のある踊りスキルを持って、火山の上で一人でパッパッパと踊っても何にも価値はわかりません。自己満足できるので良い時間にはなります。

町に下りて来て、人前で踊って初めて価値の有無がわかり、別の踊り人と比べることで価値のレベルもわかります。

私達人間は基本的に他人に興味はなく、自分に喜びがあるから興味を持ちますので、自ら価値を与えないと見出してもらうのは困難です。

しかし、見出してもらえないからといって、「価値がない」と言われることはありません。

言われる場合には自ら価値を与えない心理として、「価値を与える気がない」「自分には価値がないから与える必要がない」と思い込んでいる可能性があります。

 

価値を与えないことが当たり前になると不利益を与えてしまう

価値を与えなくても何も悪いことはありません。

しかし、正当化して当たり前にすると状況が一変します。

人と関わる意味を考えなくなり、「母親と関わるのはなぜ?」「友人と一緒にいようとするのはなぜ?」「どうして彼女と一緒に過ごしたい?」を自覚しなくなります。

自覚しないと起きるのが、利益を貰おうとすることです。

当たり前という感謝の真逆状態になり、関わる人に感謝するのを忘れ、気づくと相手の発信待ち、行動待ち、発言待ちになり、全ては相手次第の依存が起きます。

「待ち」の状態は無意識に消費形態を作り、責任を相手に負わせようとする可能性があります。

典型的な例が、優柔不断、支配されたいと思う状態です

責任を負わせられる側は関わると違和感や不調和を感じ、自らが何かをしなければならないプレッシャーやストレスを常に感じ、不利益を被り攻撃されているようになり、反撃として、「価値がない」と言いたくなります。

価値がないと間接的に言わせる影響を与えていると考えられます。

 

価値がないと言われた時にわかること

言われる理由は相手か自分か両方の可能性がありますが、共通の状態があります。

自ら相手を喜ばそうとしていないことです

価値がないと言われるとショックですが、過程にはさまざまな人間模様が自覚していない領域で起きています。

関わる上で忘れてしまった大事なことがあり、考えなくなっていることがあり、関わる意味を度外視している可能性があります。

一方的に否定し、マウントをとり、承認欲求を満たし、自らのエゴに優越というエサをやるために言う人もいると思いますが、どんな人でも言われると気づく機会になります。

人間関係では常に価値の与え貰いが起きて、相互交流ができる気づきです。

自ら価値を与えないと、それだけで一方通行を作ります。

価値を与えない場合、または与える概念がない場合、もう一つ大事なことに気づけます。

自分に価値がないと思い込んでいるかもしれません。

 

思い込んで決め付けないと自分の価値がないと思えない

自らの価値は他が決めるので、自分に価値があるのかないのかは本人ではわかりません。

しかし、わからないのは初めだけで、周囲に評価されることで自らが、「ふむふむ私はピザ生地を作るのが上手らしい」と価値を認められます。

同様に周囲に評価されて、「どうもみんな指が6本あるのに、私だけ5本だから役に立たないようだ」と価値がないことを認められます。

この5本指の無価値人は、自分に価値がないと思うことは困難です。

5本指スキルが自分の全てではないのは明白ですので、一部の無価値によって自分全体の価値を下げるかどうかは、そう思いたいかどうかになります。

思いたい場合には思い込んで決め付けます。

しかし、なかなか思いたい人はいません。実際に思い込む場合には、自分で考えなくなっている状態があるかもしれません。

言われたように従う癖、他次第で自分を存在させる在り方です。

 

自らが価値ある人間だと認めたいか否かがわかる

価値がないと言われてわかる最も大切な理解がこちらです。

自らが自らをどうしたいと思っているかがわかります。

  • 価値がないと思い込む場合、自らを認めたくない心理
  • 価値があると思いたい場合、自らを認めたい心理

価値がないと言われた時、自分との向き合いがはっきりします。

どっちが良いも悪いもありません。自分を認めたくないのか認めたいのかを自覚できると、次の行動や変化へ繫げやすくなるため、知ることが大切になります。

この気づきによって、価値ある人間になることができます。

価値とは自らを認めた上で、周囲に価値を与えて利益を認識されることで見出されます。

※人間性を疑うと言われた時の理解は、人間性を疑うと言われた?人間性が高い人の特徴からわかる本質 をどうぞ。

 

価値ある人間になるには

価値ある人間とは

価値があるのは、火山の上で一人で踊っている人ではなく、町中で踊る人です。

「一人で踊ってもいいよね」というものですので、わざわざ価値がある人間になりたいかどうかは人それぞれです。

価値ある人間とは、「町中で踊る人になりたい」と意志を持ち、自らを認めて価値を与える行動をする人です。

人に喜びや利益を与える人は価値になります。

ぷにぷに耳が特定の人には価値になったのに対して、ほとんどの人には無価値であるように、価値となる利益を認識するのは本人ではなく他人です。

どれほど価値を与えられるかによって価値ある人かどうかが変わり、目の前の関わる人を認識できればできるほどに、目の前の人にとっては価値ある人間になります。

価値ある人間とは、「私のことを知って私にとっての価値を与えてくれる」と思える人だと考えられます。

このことを私自身の体験にて理解を深めた時、注意点が必要だと思ったことがあります。

 

価値ある人間だとはき違える体験談

私がメキシコにいた時です。

荷物を全て盗られてしまい、もぬけの殻は全く知らない街で、干からびたサボテンのように突っ立っていました。

ここから生きるための生存リアリティが進み、文無しの私は如何に価値ある人間になれるかを経験しました。

価値は貨幣経済の中ではお金としても表れるので、お金を一から生み出すために、自分のできることを路上でしました。

ここで自分の価値とは他人によって見出されると実感しました。

路上で現地のメキシコ人を相手に物を売ったり、交渉したり、サービス提供をしたりと、さまざまに試していた時、落書きのつもりで描いた模様が通行人の目に入り、「これを売ってくれ」と言われました。

「こんなもの欲しいの?」と驚いたのですが、とても気に入ってくれました。

このことで私は絵を描いて販売するようになり、人の腕に絵を描いたりもしていました。

路上での活動は数ヵ月続き、毎日価値を高めるために試行錯誤し、看板を作り椅子を用意しお菓子を準備し、最終的にはたくさんのお客さんに囲まれるほどになりました。

この時、私は目の前のお客さんにとにかく喜んでもらうことがメインでした。

すると近くで現地の人々が同じように絵を描いたり、腕に描いたりし始め、客取りが始まりました。客取りは激しくなり、強引に自分のゾーンに連れ込む人が出始めます。

初めは、「負けるか!」と思ったのですが、お客さんの顔を見て気づきました。以前ほど喜んでもらっていないと。

たくさんのお客さんに価値を認めてもらったことで、価値をまるで自らが与えているように思い込み、「私は価値がある」と無自覚でしたが思いたい心理がありました。

価値はお金としてわかりやすく表れ、利益があれば価値がある、利益がなければ価値がないとなりますが、それ以上に重要なのが人間の価値である前提で人と人が関わっていることでした。

人間の価値は如何に相手に喜んでもらうかであり、相手に価値を認めていただき、その後に自らが認めることでより価値を与えられるという、順序と循環があると知れました。

私は路上のその場を離れ、出会った人に絵を販売するようになり、余裕を持って生き残る結果となりました。

 

価値ある人間になるには

体験から学んだのは、価値ある人間になるには利用価値を高めるのではなく、愛される人になることでした。

相手を知ろうとせずに価値だけ与えると、利用されることも知りました。

心から相手を想い、相手を知ろうとします。

[人を知る+価値を与える]は人に不安を与えず、安心感を与えます。

知ろうとしないのに価値だけ与えられると不安に感じさせてしまい、心を閉ざされたり、アドバンテージを取って利用される可能性があります。

自分から心を開いて近づき、安心感を与えるさまが敬いです。

人を心から想う敬いは、感謝を忘れず当たり前にならず、相手をしっかり捉える認識力の活用。

この最たる認識が、人は一人では生きておらず、他と繋がり合っていると知ることだと思います。

この記事の内容も当時の関わった人々がいないと書けないので、自然と感謝を抱きます。

「価値とは何なのか?」の理解には、必ず人間関係によって見出される人間の価値があり、人を知ろうとする気持ちと敬いが、愛されるという価値を見出してくれると考えます。

※物の価値については、物を大切にしない人とする人の人間味│「物」の価値を変える自の範囲 をどうぞ。

 

価値がないと言われた まとめ

言われてわかるのは、価値とは自分で決めるものではなく、認めて与えるものです。

一人に価値がないと言われても、その人と自分の関係性の価値であるため、他の人との間には全く別の結果が表れます。

この一連の人間関係を経験すると、自ら価値を与えることの大切さがわかります。

価値を与えないと起きるのは、「待ち」です。

待っていると全ては他人次第になり、自らを認めることを忘れやすくなります。

価値がないと言われた時の気づきはたくさんあり、どれほど自らと向き合う機会にするかが試されるように思います。

言われると悲しいですが、せっかく言われたのであれば経験として理解を深め、自らを律し、変化を促す材料にすると自分自身のためになります。

価値を与えると利用されることもあると思います。一つ一つの過程と気づきが大切ですので、価値の見出しと提供の育みは、とにかく自己理解を深めさせてくれます。

意味深く人間の価値となる仕組みには、人と人の営みに潜む意味として、価値を与えるだけではなく貰うことで敬いが行き来します。

そこには一方通行にならない関係性があり、相互交流を作るコミュニケーションができる人は価値ある人間です。

そんな考え方が、価値の気づきとなれば幸いです。

それでは、価値がないと言われた意味と、価値ある人間になるお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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