隙があるからなめられる。
隙を作るからなめられる。
物事は見方を変えると実相は瞬く間に変色し、同じ言葉とは思えないほど別物になります。
なめられるのは弱いからか、優しすぎるからか?
つけ込まれるのは弱さになり得ますが、もしそれがつけ込ませていたら…。
相手の弱さを引き出しているからです。
ここでは、なめられる人の賢さ、なめられるのは力である事実を紐解いていきます。
- どうしてなめられるのか知りたい
- なめられる人は賢いのか考えたい
“なめられる”ことをどれほど幅広く見るかによって、意味も内情も変わります。
才能・能力になるため、自己理解を深めて活かすためにも一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
Contents
なめられる人の賢さ

なめられる理由
自惚れつつも逃げ彷徨うメンタルが怠惰を求める挙句、他人を[下・弱い・低い・ダメ]と勝手極まりなく判断し、「利用しても大丈夫だ、やった!」と己を見つめず知性を没落せしめし顔なし行為。
通称:無知性の露出行為。

他との比較シーソーにて自己価値や存在意義の見出しを狙う行為です。
無意識にしてしまう幼稚性の表れでもあり、他人をなめることで己の恐れや不安を解消し、納得と満足を得ます。
なめるとは自己安息というメンタル利益を得るための他人利用。
なめる人間に返報性などありません、お返しはありません、一方的に利用し続けます。
一方的になめた態度を取り続け、一方的になめた働きをし続け、一方的に利益を貰い続けます。
そんな利益を見出してくれる存在が、なめられる人。
➀癒し(怠惰)にて安息を与える

メンタル利益として特に目玉となるのが、『癒し(怠惰)』
癒しは自堕落への誘いでもあり、人によっては怠惰になります。
癒しと怠惰は共通して、『安息』を意味します。
癒しと怠惰にて安息を与えられる人ほどなめられる訳ではありませんが、なめてくる人がクンクン寄ってきます。
②近付きやすい(恐れがない)

『近付きやすい』ことが組み合わさって完成。
恐れがない恐れを与えない、危惧や懸念を感じさせない人です。
[安息を与える + 近付きやすい = なめられる]
メンタル利益をくれる、かつ、それを貰うにあたって歯止めするものがない。
『隙がある』『軽く見られる』要因にもなり、人の隙を見ている、軽く見ている(尊重を知らない)人が寄り付きやすくなります。
※なめられる人の特徴は、【弱さでも優しすぎでもない】なめられる人の目立つ特徴&なめてくる人の理解 をご覧ください。
なめられるのは弱さではなく力

[なめられる or なめさせている]
・下に見られ、弱いと思われ、隙があるからなめられる
・癒しを与え、近付きやすくしているからなめさせている
なめられる側が受動的に利用されているのか、能動的に利益を与えているのか。
どっちやろ。
人それぞれにどちらなのか変わると思いますが、それ以上に重要なのが、どちらもなめられる側が相手のメンタルの主導を握れることです。

癒しは力、怠惰に誘うのも力、近付きやすいのも価値そのものです。
相手を喜ばせ、癒して平和を与え、調和を図り、気づきにくいですが人間関係の要にもなります。
特に怠惰を誘発する力はその人を手玉にする操り力になり、マインドコントロール、魔性の力にもなり、暗躍が容易にできます。求めればですが。
喜ばせるのも怖がらせるのもできる、それほど大きな力が安息を与えることです。
例えば、何を言ってもいいと思われて辛辣に傷つけてきた、それでも聞き続けていたら信用され、誰にも言わない本音や本性をもポロっとこぼしだした。
「ご飯はあれがいい、明日はこれ、味付けは私好みね」と自分勝手な注文が続く、けれども少しずつ味の好みを変えていったら、いつの日か結局こちらの好みでも美味しいと言い始めて気づいていない。
偉そうな旦那さんにあーだこーだ指図されてきたが、気づけば立場が逆転している夫婦のように、気づけば家系の経済を握っている、核が入れ替わっている。
相手の心臓を知られぬ内に鷲掴み、明るみになった時には既に檻の中で保管済み、もう遅い。
メンタルを主導できる力は俯瞰的、長期的目線を養い、水面下での周到な準備、熟考による戦略を練る十分すぎる余白があります。
これをいくらでも有効活用できるのが、なめられる側です。
※物事を見れる人の賢さについては、【悪口を言わない人は賢い】そして〇〇な人である詳細 をご覧ください。
なめられる人は賢い立場にいる

安息は私たち人間が自由以上に遥かに欲する現実的有用益です。
「あぁ、私より下がいる、安心する~」
「はは、メッチャ待遇いいじゃん、これも使わせて」
「まぁなんて話しやすいんだろう、もっと聞いてもらおう」
「お、いじってもなんも言ってこない、こりゃ笑える、もっとだもっと」

さらに、近付きやすい関わりやすい。
懐に入りやすい、気が緩みやすい、楽に感じる無緊張、防衛も緩み、線引きも曖昧になります。
気兼ねがなくなりすぎて余計なことを言う、発言の配慮がない、遠慮がない、礼儀がなくなることも起きます。
この状態で明確にわかるのは、相手が隙だらけであること。
『隙、だらけ』

隙があるからなめられるでもあれば、なめさせたから隙だらけの状態を作ったにもなります。
とても怖いお話です。
ここで関係性を切ればどうなるか。
ここで不安や恐怖を与えればどうなるか。
ここで魔性性を使ったら相手はどうなるか。
恐れがないからと懐にまで入ってきて、気楽にぐーすか眠っている。
頭上でその人を見つめるあなたは何を思うか、どうするか…。
自由です。
安息を与えた人は相手のメンタルを如何様にもする立場を得ます。

とっても怖い捉え方もできますが、相手により癒しや喜びを与えることもでき、執着や依存を増長することもでき、とにもかくにもなめられる側がいつでもメンタル主導を握れることを意味します。
もちろん求めればですが。
なめられる人が賢いかどうか、これは人それぞれですが、賢い立場にいられるという理解です。
※本当は強い人の中身は、『強さの証』弱そうに見えても実は強い【損が多くなめられやすいけど…】をご覧ください。
なめさせて、さようなら

なめられる人は『なめさせる』ことができます。
『油断させる』と同義。
気づいた時には関わらなくなり、自然なさようならが起きます。
例えば、秀才とうたわれた少年は、何もできないと言われた少年をなめていた。
十年後、何もできないと言われた少年は努力の継続にて秀才を超える、なんてイメージです。
メンタルを自己保持できない人は、他との競争や比較優劣なくして自分を見出すことができません。
向上心も野心も情熱も、突き進む動機も存在する意味も他なくしてありません。
なめている人に変化はなく、気づけば浦島太郎、自分を見つめることなく経年劣化を味わう可能性があり、気づいた時には遅い、何もできなくなりえます。

なめさせておいて自らを磨き続ければ、相手は自然と去っていきます。
付き合っている暇はありません。
なめてくる友達は友達ではありません、気づけば関わることもないほど接点がなくなります。
なめてくる上司は深く関われる人間ではありません、求めればですが、気づけば立場が逆転します。
なめてくる妻(夫)はまともなパートナーではありません、気づかない方が置いてけぼりを食らいます。
何も見ていない、何も知らない人ほどもぬけの殻、気づいた時には何もない、そんな日本昔話風です。
気づくチャンスに溢れているのは嫌な思いをする、ネガティブを味わう側。
この構図を把握しておけばどんな状態でも常に優位に事を運ぶ、賢い立場にいます。
※去っていく仕組みは、【4つの方法】嫌いな人が自然と去っていくスピリチュアルな仕組み をご覧ください。
「なめられる」をどう見るか

「なめられたら嫌」ではなく、「なめるのは恥ずかしい」
なめるとは無知性の露出であるため、冷ややかな目で見られれば恥ずかしくなります。
「どうだ、なめてんだぞ、素晴らしいだろ」はギャグに他ならない。
過去の私のような人間が業を増やすためにする行為。
なめられて利用されて損して嫌になるのは当然ですが、それ以上に見つめたいのはなめることの恥ずかしさです。
人を軽んじる、軽く見る行為ですので、そこには尊重のかけらもない一方的偏見。
偏見である以上、自分の感性、知性、経験で見ていないとわかります。

誰か他の、社会の、大衆の情報や観念をインプットし、それに自らを当てはめて己を“正”とし、比較と差別認識にて見出す何か。
いわゆる、他の情報に基づく、他が決めた良悪による、己を他によって正とするための、他による何か。
無です。
無は大衆がこうと言えばこうなり、偉いと称される人がみゅと言えばみゅとなり、強いと認められた人がめと言えばめとなる、常に無です。
裸の王様であり、自己を見ずしていきがることは愚かさと恥ずかしさの象徴にもなる像。
この見方を持っておくと、なめられる以上になめることへの懐疑と反面教師になるかと思います。
懐疑的に対象を見つめると、受動的なめられが減ります。
なめさせているという能動的責任を持ちやすくなり、力として自らを活かすことができるのでおすすめです。
※人としてできている人については、【優秀な人はすぐわかる】本当にすごい人は謙虚で目立たない をご覧ください。
なめられる人となめられない人の違い

受動的になめられているのか、能動的になめさせているのか。
これは自らを自らで護れるか否かの違いを作ります。
なめる側とはメンタル保持できない比較シーソーに縛られた社会従順の思考停止、不安と恐怖が生まれた時に自己対処できないことを意味します。
何よりも嫌がるのは不安と恐怖、だからこそ安息を欲します。
簡素にお伝えすると、不安と恐怖を与えればなめてくることができません。
しかし、メンタル保持できないというのは他責問題でもあり、恐怖を与えられたら怒り出して人のせいにする可能性があります。
自分がなめたのが発端であることや、幼稚であることへの恥ではなく、「嫌なことをされた」と駄々をこねるのもいます。
そのため、本質は格闘技を習って顔面タトゥーならなめられない、とは違います。
自分を自分で護れるかどうか。
自力で他人を頼れるかどうかと同義です。

自分で自分を護らない、または護れないと(受動的に)なめられる。

自分で自分を護る人はなめられない(または能動的になめさせる)人です。
受動的な場合、そもそも護る意識が生まれにくく、「調子に乗られて嫌なことをされた」と着目が相手になりやすいです。
能動的だと相手を冷静に見れます。
さらに、「私が利益を与え、近付きやすくしているのが理由だ」と客観的に自己を見つめられるので、変化するかどうかは自分次第の領域にいます。
具体的に:自分を護るために

「なめさせている」と能動的に見ることで、「自らに起きる現象は自らがもたらしている」と責任を持てるフェーズに入ります。
そしてここからが本題、自分で自分を護るとは具体的に何をすればいいのか?
私自身、見かけも言動もふわふわしているので基本的になめられることが多いと思います。
焦り慌てる素振りを見せればもうそれで、不安そうな状態でインドの観光地にいれば即座に利用しようと人間が集ります。
しかし、一言伝えればもう終わり、なめてきません。
それでもなめてくる人は一喝したら終わります。
今ではそうなりましたが、初めてインドに行った際にはそうはいきませんでした。
どれだけ言おうが、「どっか行け!」と叫ぼうがいつまでも利用しようとへばりついてくる。
仕舞いには喧嘩になり、喧嘩できなければどこまでもしつこくて仕方ありませんでした。
そんなことからシンプルに自分を護れていない状態はこうなります。

何も言わない、伝えない。
伝える意思がない状態。
以前の私は強い口調、暴言を叫び吐いていましたが、それでは何も伝わっていませんでした。

外面として伝える言動はあっても、その相手に“伝える意思”がない。
そこにあったのは、自分だけの世界で自分だけの解釈をして、他人に興味のない私。
伝えているつもりなだけで、実際は伝わっていませんでした。
相手からしたら、「もう嫌だよ、助けてー、不安だよー」と一人で天を仰ぎながら鼻水を垂らしているように見えていたのかもしれません。
“伝える意思”
これは自分で自分を護ることに直結します。
伝える外面はあっても意思がないと、意図していない、目的がない、興味がない、行為が定まっていない状態を表します。
不安と恐怖を味わいたくない、嫌なこと、面倒が起こって欲しくないメンタルと同義。
自分を護ることは損害回避や不安と恐怖を味わわない防衛対処ではなく、自己を持ち、表し、相手を認識して、自らの気持ちと意見を伝える行為です。
ちなみに、拒否しているのに意思が伝わらないのはなぜ?
拒否や反発とは意思以上に感情(または理論)になりやすいためです。
自分の経験・感性・心が意思に乗っていないと伝わりにくくなります。
例えば、「それはやらない!私はこうする!」だと伝わります。
※なめられて絡まれる対処法は、変な人に絡まれる理由がある【対処法は意識の向け方】をご覧ください。
最後に:なめられる人は賢い立場にいる
なめてくる人と深く関わる必要はないと思います。
関わりたくなければ、自らを見つめて能動的に「なめさせている」に変える。
ステージもフェーズも変わるため、関わり方も見方も一変して楽になります。
もし自らを磨いて向上するならば、自然と関わりはなくなっていき、困っていた過去の記憶が懐かしい思い出になる日が来ます。
なめる人とは無、何もない無です。
そこで留まるかどうかは本人の選択。
なめられる側はこれら実情を総括し、客観的に把握できる立場にいます。
それが価値を持ち、利益を与える側が持つ自然な特典。
賢い立場にいます。
なめるとは恥ずかしい行為です。
未熟な幼稚性であり、誰しもが通る痛い経験。
恥であるからこそ強く自戒し、反省でき、卒業するためのステップを歩む原動になります。
利益を得ているようで沼にハマっている、気づけば右も左もわからない、または時既に遅しとなるほど虚しいものはありません。
物事を幅広く鮮明に見れるのは痛い思いをした人であり、利益を作り、与えられる人。
そんな経験を力にシフトするためにも、見方を変えて躍進されてください。
そのための一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。


















ほんとその通りですね。視線だけで奴らはフラついてました。
ありゃそよ風だけで吹き飛ばされる可哀想な存在ですね