『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
「追い込む」とは、苦しむためか、喜ぶためか。
追い込む方法は人それぞれに、制約を加え、縛りを作り、一つに集中させ、思考の拡散を防ぎ、甘えをなくし、自分を裏切り、失望させ…さまざまです。
筋トレでやっと終わったダンベル上げ、これで終わりだと決めておきながら終わらない、はい次ー、ひぇー。
自分を追い込む癖。
ここでは、私の追い込み癖の体験談と共に、追い込む心理、追い込みの使い方、アイテム化方法お伝えします。
追い込む癖は大切なアイテムになります。
気づきと共に解放へ向かう内容となることを願います。
Contents
自分を追い込む癖
自分を追い込むタイプ
「追い込む」と一言で言っても、全く異なる概念が相まみえます。
- 自己理解
- 制約
- 自覚制限(自己抑制や自己支配)
- 自傷
大きく四つに分けます。
目的も変わります。
- 自分を知るため
- 行動動機を作るため
- 自分を納得させるため
- 存在意義を見出すため
初めにタイプごとの詳細をご覧ください。
1,自分を知るために追い込むタイプ
限界突破にて自己理解を深めるために追い込みます。
まるでスポーツトレーニング。コーチをつけずに一人二役。
限界をいとも簡単に作って制限するのが私達人間ですので、より自分を知るために頑張り過ぎることも起きます。
目的を明確に、「自分を知るため(自己理解を深める)」と理解し、ゴールを目指して自らに自らの意志で課題を課し、レベルアップ、能力向上、才能開花に邁進します。
2,行動動機を作るために追い込むタイプ
制約タイプ。
自らの認識を縛り、条件付けて絞ることで、「しなければならない状態」を作ります。
逃げてしまうからこその逃げない強制であり、一点集中の力を発揮する方法となり、行動動機を作ることで一過性の推進力を持ちます。
自分の意志や意思がないため、目的に向かう自らの向上とは違い、その場その場を切り抜ける端的な手法であり、ストレスを蓄積し自らの首を絞めてしまうかもしれません。
嫌な状態を駆け抜けるために、自らを過酷な状態にしないために追い詰めるという、矛盾行為になり得ます。
3,自分を納得させるために追い込むタイプ
上述の制約もここに含まれる自覚制限タイプ。
自己抑制や自己支配、我慢癖や自分の見失いなどの場合に顕著に表れ、自分を納得させようとします。
自らを苦しませ、痛めつけ、頑張っていると思うための追い込みをします。
「私は苦しい」
「私は辛い」
「私は頑張っている」
と認識できることに納得があり、人それぞれの自己ルールに準じて追い込みます。
大きな特徴となるのが、「納得させたい」という欲求を満たす状態。現状に不納得があり、あらがう行為として追い込みます。
「不納得をなくす」という目的ではなく、「この不納得をどうにかしたい」と欲求が暴れているイメージ。状態表現として追い込む姿が出てきます。
4,存在意義を見出すために追い込むタイプ
自傷タイプ。
かまってもらうことや他者の反応、他者にメッセージを投げかける状況を作るために、自らを破滅の方向へ持っていく追い込みをし、追い詰め、責めます。
良いことが起きたら全てを投げ捨てたり、ぶち壊す習性のような衝動的で自制の効かない動きとなり、苦しみがあればより苦しみを、辛ければより辛さを求めます。
行為や結果に追い込まれた(苦しんだ)と思える自分の作成が重要ポイントとなり、刺激や強い存在確証(常識とは違う行為をする)にて存在意義を見出します。
特徴的なのは、他者の反応によって存在意義を見出すことだけが目的ではなく、自らに対して自らの存在意義を見せるように自傷結果を示します。
他者への執着ではなく利用概念を持ち、自分のことは自分で認識したい意志があり、自意識の高さや覚悟の有無、強い自分への愛を持ちます。
※頑張っても報われない原因は、【報われない人生に疲れたからこそわかる】頑張っても報われない人と報われる人の決定的違い をどうぞ。
自分を追い込む癖とは?
自分を追い込むのは、目的を持った自分のための行為です。
どれだけ苦しくても辛くても、自分のために追い込みます。
自分のための意味が人それぞれに違い、喜び、嫌なことの回避、不納得のまぎらわし、自分の確証による恐怖認知や回避と分かれます。
癖になる場合、自分にとって気楽で安心を抱ける行為と認識している可能性があり、はっきりした全員共通の様が表れます。
欲求まっしぐらです。
欲求を抱くことは単純に喜びや満足や納得を求め、不満足の解消、不納得の改善など、なにかしら自らの中での満たされない状態や状況や在り方があると思います。
わかりやすいのが、お腹が減った時には肉体が満たされていないので食欲が湧きます。
たらふく食べたにもかかわらず良い匂いがしたらまた欲が出て、と何かしら人それぞれの認識や価値観にて満たされない様が見出されると欲求を抱きます。
自分を追い込む際には、追い込む動機となる「自分のため」という欲求があり、満たされない様があると考えられます。
自分の中での反発であり不調和でして、これがあればあるほどに欲求に対してまっしぐらな在り方となり、自らを追い込むのが癖になります。
このことから、自分を追い込む癖とはこのようにも考えられます。
自分の中での反発が多い人が、反発に対処するための方法。
欲が多ければ多いほど、満たされていなければいないほど反発が起きるため、反発が多いことは自分を満足・納得させたい気持ちの表れでもあります。
自分を追い込みたいのか?
「自分のため」なので、追い込めば追い込むほどに何かしら本人にとっての利益になります。
ですが、苦しいし辛い、痛いし疲れる。
苦痛なのに追い込みたいものか?少し疑問も出て来ます。
自傷タイプは別概念ですが、それ以外のタイプは『我慢できちゃう』ことが考えられ、過去の記憶や環境によって培ってきた我慢癖や、我慢してしまう抗体が関わります。
我慢癖があると、[追い込み=自分を痛めつけて苦しめる]とは別の認識があります。
幼少期の生活環境や人それぞれの傷やトラウマなどによって、自らを追い込む人もいると思いますが、追い込む行為は我慢行為の後に来るため、[我慢=自分を痛めつけて苦しめる]にはなり得ます。
我慢→追い込みという流れによって、自分を追い込みたいのかどうかの真意は、我慢をどのように認識しているかによって変わります。
- 嫌々我慢している場合、自分の追い込みは現状のあらがい表現
- 嫌々我慢していない場合、自分の追い込みは自分を喜ばせる欲求を叶える行為
「嫌々我慢していない」とは、「我慢ではなく忍耐」を意味します。
忍耐とは、「自分のために我慢している」と自覚し、自らの認識を持って自らの意志で耐える状態です。
忍耐力がある人は、自分を追い込むのが楽しかったり好きだったり、自己理解として限界突破を試みたり、自分をより知るために行為します。
嫌々我慢する場合には、「何かに我慢させられている状態」となり、制約や自覚制限タイプに見られる認識で、自らの意に反してあらがう状態として追い込み、「追い込まないといけない」「つい追い込んでしまう」となります。
自分を追い込むことはとてもポジティブな行為でもあり、ネガティブな行為でもあり、追い込みの使い方が重要です。
自分を追い込む癖の使い方
※自傷タイプは自ら追い込んで自らを苦しめることに意味や目的があるので、ここからの話には含めません。
自らに追い込まれる心理
自分を追い込む行為が心地良い苦しみか、心地悪い苦しみか。
二つを分けるのは、自ら追い込んでいるか、追い込まれているかです。
ここで明確にしたいのは、自分によって追い込まれていることです。
「自ら追い込んでいる」
「自らに追い込まれている」
後者の場合、自覚がなくなる特徴が出て来ます。
「自分で自分を追い込んでいるとは認識したくないんだよー」という微かな声が消えるような。
自分を大切にする意識があればあるほど、自らを苦しませているとは思いたくないもの。気づけばなんでも仕事を引き受け、あえてするべきことを増やし、めんどくさいことを進んで取り組み、拒否せずになんでも受け取り‥‥。
納得していると思い込むために、「これが自分に合っている」「こっちの方が気合入る」と自覚しないための工夫を凝らします。
我慢癖は精神を強くするわけではなく、自覚に制限をかける自己支配を強める経験。自らに追い込まれる心理に大きく表れるのが、自分との直面を恐れる様。
このことから、いくつかの特徴が表れるので一覧でどうぞ。
- 自分を真っ直ぐ見つめる(自分に正直になる)のが苦手
- 誤魔化しを多用した自覚の工夫過多
- 自分を許していない
- 「逃げなかった」と思える記憶が少ない
- 「認めたくない」と思える記憶が多い
- 褒められる記憶が少ない
- 認められる記憶が少ない
- 完璧主義
- 願望に沿った自分として仮面を多く作る
- 自己愛
- 素直で正直
「逃げなかった」と思える記憶が少ないと、「逃げていない」と思うようにします。
「認めたくない」と思える記憶が多いと、「認めている」と思うようにします。
褒められる記憶が少ないと、自分を褒めようとします。
認められる記憶が少ないと、自分を認めようとします。
自らの在り方を裏返すように仮面を被り、「こういう自分でありたい」という姿で生きることを望む傾向があります。
本当は自覚があるけども、自覚をしないように頑張る姿があり、我慢癖の使い方を「頑張る」に変える工夫が見られます。
この人間性には自己愛があり、自らを大切に敬いたい真意があり、素直で正直だからこそ自分の真意を自覚しないようにする癖になり得ます。
「頑張る」という方向へ向かうのはとても大事なのですが、我慢を注ぎ込むことで頑張り過ぎになり、自覚しないようにしているために許容を越えてまで突っ走る可能性があります。
自分を追い込む癖の理解ポイントは、「我慢癖」の方向です。
自分を追い込む使い方ポイント
自分を追い込む際にはいくつかのポイントがあります。
- 追い込んでいる自覚
- 追い込む際の選択
- ゴール設定(欲求の明確化)
- 我慢→忍耐への変換
一つずつ使い方をマスターしていきましょう。
1,追い込んでいる自覚
一つ目は、「私は自分を追い込んでいる」と自覚します。
まず自分を二人に分けます。
自らが仮面を被っていることをまず自覚。
私達は常にさまざまな仮面を被ります。仮面の数が多いのが我慢癖や頑張り過ぎの人です。
自分を追い込んでいる際には追い込む仮面を被った自分がいます。
この認識にて自分を分け、追い込んでいる際には、自分を自分で客観視できるようにすることが重要です。
2,追い込む際の選択は「好き」
追い込む自覚ができると、追い込む仮面を被る自分がはっきりとわかるようになっていきます。
慣れてくると、自分を追い込む際には常に、追い込む仮面の自分がある掲示板を掲げていることに気づきます。
キラキラとまばゆい電球装飾で、七色に光る掲示板。表示されているのは、「自分のこと好きor嫌い、どっち?」です。
初めはビックリしますが、実は毎回自分から自分に対する選択掲示板が出されています。
「好き」を選ぶと、完全に追い込みのアイテム化として、自らを喜ばすためのアイテム活用ができます。
ちょっと大げさなので気にしないでください。実際はクラブにある天上のどデカい丸いキラキラボールみたいなのが垂れてきます。
3,ゴール設定(欲求の明確化)
仮面の自覚や、好き選択をすると、「私は何のために追い込んでいるんだ?」と認識できるので、意味を自分なりに見出します。
「自分のため」である前提から、「自分の何のために追い込むの?」と自問して自答。という流れです。
喜びのあるゴール設定となり、目的を明確にして突き進む自分の追い込み状態を作ります。
ゴール設定は捉え方を変えると欲求の明確化でして、「自分のため」という満たされない状態からの、「何を欲し?何を望み?何になりたい?どうしたい?」と自らの活力であり動力となる欲を把握します。
真意を把握することでもありまして、自分に対して正直で素直になる意味です。
4,我慢→忍耐への変換
最後は、我慢の変換術。
我慢を嫌々することは自傷になり、自傷に意味を持てない場合にはこれを好みません。
ほとんどの場合、「嫌々我慢させられている」と思う人が多いと思います。
自ら我慢している意識がなくなり、我慢している自分がいるにもかかわらず認識しないと、その自分はプイッとすねます。満たされない元凶です。
「我慢してやるー!」と思えるようにすることが大切です。
我慢している自分を認め、自らのために意味を持って我慢すると、忍耐になります。
忍耐は自分のために我慢する状態なので、耐えることに意味があり、目的があり、利益が見出され、ポジティブな認識として耐えて忍ぶ様が起きます。
我慢を自らのものにし、誰かにさせられるのではなく耐える自分を作る状態となり、明確な意志が表れます。
如何に自分を主観にするかがポイントになります。
嫌々させられるのではなく、「我慢したいんだよ」くらいの勢い、もはや開き直り、どや顔、なんぼのもんじゃいという話。
「自分のために、自分の人生を、自分の世界を持って、自分で創っている」と思う主観を定め、自らの行為を自らが認める意味です。
※自分を抑え込むと大変なことが起きるので、感情を抑え込む癖に潜む「自分」│抑え続けると起きる爆発防止策 をどうぞ。
自分を追い込むアイテム化体験談
最後に小話として話がわかりやすくなればと思うので、自分を追い込む癖のアイテム化に気づいた体験談をご覧ください。
メキシコを一人旅していた時でした。
ある田舎街へ向かっていた私は道中で荷物を失います。
なんとか街へ到着したものの、持っていたのは来ていた服、サンダル、携帯、小銭数枚。
ポーン…という焦燥からの一斉脱毛感。身体中の毛がバサーンと落ちた音がしたものです。
私は昔から自分を追い込む癖があり、我慢癖は頑張り癖でした。
旅を通して自己理解が深まり、我慢は忍耐へと変換されていき、その街での出来事にてはっきり気づいたのは、その後の私の行動による追い込みのアイテム化。
誰も知らない、お金もない、パスポートもない、身体は身軽なのに心が沈んでドッシリ重い私は、自分を追い込む癖を出します。
ですが、それは忍耐によるゴール設定付き。
「ゼロから始めて生き抜いてやる!」という追い込み開始。
止まっている暇はないのでまずはお金稼ぎを始めます。
元手すらない私は人にも恵まれ、涙を流しながらもお菓子をゲットし、歩いて売り周り、至るところを歩き続けてとにかく人と会いまくりました。
スペイン語もままならなかったので、売りながら勉強です。
いろいろな幸運も出会いもありながら、宿にも泊まり、資金稼ぎは日に日に形を変えていき、最終的には絵を売っていました。
本当にいろいろなことがありましたが、どこまでも追い込み、お金はどんどん溜まっていきました。
気づいたのは、「あれっ、辛くない?」「毎日活き活きして楽しいじゃないか?!」というシンプルなもの。
「今日はあれやる、これやる、あれも増やす、さらにあれも」とどんどん積み重ねていきながらも、楽しい。
足なんかガタガタ言って、たまにパクパクしていたのに。
この日々に「我慢」という言葉は一切存在しませんでした。
全ては忍耐であり、自らの力とする時間。新しい自分を知る機会となり、最終的には絵描きになる大どんでん返しゴロゴロ。
明確に、「お金を稼いで生き抜く」というゴールを設定していたので、追い込みはゴールへ近付く方法としてアイテム化され、追い込む意味も目的もはっきり、「私が喜ぶため」でした。
そんな時間が安泰に入った時、私はこう思いました。
「自分を追い込む癖があって、本当に助かった」
昔はとにかく自分を苦しめていた追い込み癖。実は常に自分の記憶の中に「経験」を増やし続け、いつか来るパワーの使い道のためにチャージしてくれていました。
我慢癖や頑張り過ぎにて自分を追い込む場合、使い方を変えるだけ、力の注ぎ方を変えるだけで、全く違う世界が広がります。
あらゆる経験は無駄にならず、力として保管されている自分の内側があり、いつでも我慢は認識次第で忍耐になり、ゴールや目的の設定次第で自分の喜びになります。
無駄なことはないのだと思います。
そんな内容が、自分を追い込む癖から見出される理解であり、最高の癖であるお話です。
たくさんの経験を蓄積した癖は、形を変えることで強さになり、能力向上となり、成長の架け橋となり、才能開花となり、自己理解の深みになります。
せっかくの在り方、仮面の使い方を自覚し、解放されるように追い込み癖を活用されることを願います。
それでは、自分を追い込む癖のお話を終了します。
最後までありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。