愛にはさまざまなルール設定をすることで、人それぞれに差や価値を付けることができます。
「あぁ、愛しの Mi Amor」とは、親愛なる夫に対してか妻に対してか、はたまた隣人が飼っているクワガタか。
本当の愛というものがあります。言い方は、無償の愛、無条件の愛、博愛、慈愛などたくさんありますが、本当の愛には一切のルール設定がありません。
それは、真実の愛として、愛を与える側と愛をもらう側、または両者の認識による共有にて、愛の意味が生まれます。
それができるのが私達人間で、クワガタへの愛は一方通行にしか成り得ず、両者の認識があることで、『本当の』という言葉となり、人にのみ存在する『本当の愛』があります。
愛の正反対となる“無関心”と紙一重となる、本当の愛の姿にはスピリチュアルな理解があります。
本当の愛にあるスピリチュアルな認識を知ることで、人として愛を持ち、与え、育み、共有することの真意がわかりやすくなりますので、愛の世界をご覧ください。
Contents
本当の愛とは

愛とは
初めに、『本当の』が付かない愛についてをご覧ください。
本当ではないわけではないので、愛であることに変わりはありません。
我欲の解消や人を利用する愛とは違い、無償の愛と言うことできます。
それは、『自他を敬う気持ち』のことです。
愛の定義付をする上で、「自分のために人を愛する」という思考概念は皆無です。それは、脳は一切関与できないということです。
脳の思考がないことで、「常識や世間体、体裁や偽善、自分のため、相手のため」という認識はありません。
敬う愛とは心の認知
愛とは何かを認識する際、脳の思考はないので、認識は心の気持ちになります。
何の考えもなく、目の前の人を好きになった時、人から好かれた時に感じる気持ちがあると思います。
それは何とも、ホワホワ、ポカポカ、ズキュズキュ、プニュプニュしていると思います。
心は気持ちを感受するもので、感覚を気持ちにします。そして、心が認知した“愛”は必ず、「心地良い」ものです。
心で感じる愛以外は愛ではない

哲学では、愛にはさまざまな種類があり、人を好きになるものは我欲の解消でも思考でも、好きになっていなくても、物事を認識して区分けするために全てに愛の定義があります。
しかしここでは、「心で感じるもの以外は愛ではない」としたいと思います。
思考による愛は種類が多くなり、本当の愛とはかけ離れて違うものですので、わかりやすくするためにも、それらは除外します。
ですが、参考例として哲学にある愛の一覧をご覧ください。
愛の種類一覧
古代ギリシャ哲学にて区分けされていた愛には種類があります。
- エロス(eros): 本能的、肉体的、性的な感情による愛
- ルドゥス(ludus): インスタントラブ、その場限りでの遊びの愛
- プラグマ(pragma): 実利的な愛、理由や義務的に繋がる愛
- フィリア(philia): 友情や友愛にある愛(愛情、忠誠心、信頼、結束)
- ストルゲ(storge): 親子や兄弟姉妹の家族愛
- フィローシャ(philautia): 自己愛、自分自身への愛
- アガペ(agape): 慈愛、仁愛、博愛、無条件や無償の愛
フィローシャとアガぺ以外は全て脳の思考によるルール設定をした愛であり、エロスの性的な感情による愛も、脳の思考による感情を組み込めたものとなっています。
愛とは受け入れる気持ち
心の認知にて目の前の人を愛することと同時に、自分を愛することには、“受け入れる気持ち”があり、そこに“敬い”や、“許し”の意味があります。
自分をあるがまま、そのまま受け入れることは、自分を敬うことでもあり、自分を許して解放と自由を与えることです。
それを他者に対してすることで、愛する人の全てを受け入れて、あるがままを敬い尊重して、何をしても許しを抱く気持ちとなります。
自分も他者も敬う気持ちが愛であり、敬いと許しの許容を意味します。
無償の愛にあるスピリチュアル
無償の愛(哲学ではアガペと言う)によって、愛とは何かがよりわかりやすくなります。
愛とは敬いの気持ちですが、無償の愛では自己犠牲をもいとわずに、人を助けるイメージがあると思います。
しかし実際には、無償の愛とは自分の喜びのための行為でして、そこには心の認知による、“自己の成長”を求める意志と、成長に対する喜びの結果があります。
ワンネス認知による自己の成長の意味
スピリチュアルな認識では、生きている意味の一つに“自己の成長”があり、それは、魂を成熟させることで、言い方を変えると“愛の認知度を高める”意味があります。
「愛をより強く認識する・・・なんで?」って感じですけど、そこには“ワンネス”という認知があります。
ワンネスとは“全ては一つに繋がっている”という万物全ては一体の意識です。
一つの意識が派生して“自我意識”を持ち、“個”として存在しますが、私達の魂の元を辿ると一つの意識と繋がっていて、その意識が“愛”というスピリチュアルな認識があります。
愛そのものから一時的に離れて、さまざまなことを経験して、愛をより強く大きくして元の意識に戻るという愛の増長をしている認識があることで、無償の愛の自己犠牲には我慢や忍耐ではなく、成長と喜びを求める姿があります。
無償の愛の自己犠牲とは聞こえは悪いですが、ネガティブもポジティブも超越することで、「悪いことは良くない」「良いことだけが良い」という脳のルール設定を持たずに、ネガティブもエゴも全ては喜びのために必要なものだと認識します。
そして、自分が人として成長して、成熟して、愛の認知を高めることが強さと愛をより拡大する力となり、人に影響を与えて喜びをより生み出すことができます。
愛とは自分の喜びを忘れずに敬いの許容を広げる魂の成長
受け入れることの敬いには、必ず“自分の喜び”が含まれることに特徴があります。
どんな自己犠牲でも自分がやりたい意志があり、自分のやりたくないことをすることで愛ではなくなります。
どれほど目の前の人を愛していたとしても、「この人を大切にしたい」「この人と一緒にいたい」「この人の全てを許すことができる」の真意を紐解いて、「どうしてそう思うのか?」と自問することで、「自分が喜ぶため」という答えが出てくることが愛です。
さらに、自分だけではなく、他者を受け入れる敬いと許しが必ずあるので、『自他を敬う気持ち』が愛となります。
※ワンネスを知るとわかる本当の愛の話は、ワンネスにある本当の愛│全ては一つだからこそ生まれる真実と愛の意味 をご覧ください。

本当の愛とは スピリチュアル

愛とは何かをご覧いただきましたが、ここから本題に入ります。
人だからこそ認識できて、人だからこそ理解できる、『本当の愛』があります。
本当の愛とは無抵抗のこと
本当の愛とは真正であり、人としての愛の形として存在するのですが、全員に理解されるものではないことをご承知ください。
それは、“無抵抗の愛”です。
自他を敬う気持ちであることに変わりないのですが、完全に自も他も敬う行為が加わります。
自分も他者も敬うことは、“個”としての存在を敬います。
受け入れる敬いや許しには“干渉”がありません。
- 干渉とは他者の世界や認識を自分のものとすることや、そこに介入すること
干渉は言い方を変えると冒涜にもなり、人の世界を邪魔する行為です。
完全なる敬いの場合には、一切の関与をしません。
そのため、本当の愛とは、人の世界に一切関与せずにありのままを受け入れることです。
本当の愛は優しさの行為を放棄する
愛とは敬う気持ちですので、優しさも感謝もさまざまな行為に含まれる気持ちです。
愛のある優しさは、人の成長を促し、自らが幸せを作り出せるようになるサポートとガイドをします。
自分で喜びも幸せも作り出せるようになることで、いつでもどこでも幸せになることができるので、その人を敬った行為となり、愛を与える気持ちです。
人の成長を促す協力や助力を捧げることは紛れもない大きな愛となるのですが、本当の愛は、この優しさの行為を一切放棄します。
他者のために放棄をするのが本当の愛。
※一切の協力も助力もせず、自らの力で成長してもらうために、過程も材料も全て自分で気付き、理解させるための無抵抗の愛。
促しも誘導も、声をかけることも、何もせずに人の成長を見守ることに本当の愛がある。
無関心と無抵抗の愛
本当の愛は他者に何もしないのですが、“無関心”ではなく、“無抵抗”であることに特徴があります。
「貧しいことは、美しいことです」
「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」
by マザー・テレサ
マザー・テレサさんは、愛の反対は無関心だと言っていたそうです。
無関心の反対は、関心です。そこに人としての成長を促し、自らに気付きを与える行為となるのが、『無抵抗』です。
マハトマ・ガンディーの無服従運動にある愛
インド独立の父であるマハトマ・ガンディーさんは、無服従・無暴力運動にて、暴力に反撃せずに、逃げもしない姿勢を見せました。
私の勝手な解釈ですが、自分を敬うがために逃げることをせずに自分の信念を貫き、国民のために抗議をすると同時に、暴力にて太刀打ちする兵士や警察官の行為を全て受け入れることで、一切の個への干渉をしませんでした。
暴力をふるっている人に、「違う、間違っている」と押し付け、決め付けるのではなく、その人の人格や、これまで生きてきた環境も気質も性格も考慮して、彼らの行為を受け入れることで、自らが自分の行為に気付き、考え、認識する成長の機会を与える本当の愛となります。
一人一人に過去の軌跡や知識や経験があるので、自分の世界を持ち、物事の認識が違います。
そのため、押し付けや決め付けを強要することは他の世界を自分色に変える干渉行為となります。
自分の意見は自分の認識で、他者には他者の意見と認識があり、意見がない人には自ら気付くことができる機会を与えることで、完全な個人の尊重として成長に助力する本当の愛となります。
その成長は上述のスピリチュアルな認識による自己の成長があり、魂の成熟と愛の認知を高める意味があります。
存在することで影響を与える本当の愛
本当の愛には最上級に個人を敬う無抵抗があり、関心を示しても手出しや口出しはせず、ただ見守ります。
それは、一切の拒否(抵抗)をしないことで、自分が存在するさま、在り方から、成長をする人自身が気付くことに成長の糧を見出します。
例えると、料理の職人のように、親方の料理する姿を真似て、自らの力にて成長を促します。
そこで親方は本当は声をかけたいかもしれませんが、ダメです、ストップ。
本当の愛は干渉をしないことに意味があり、助力として声をかけて、「ダシの作り方はね」と言った時点で干渉になります。
「どうして何も教えてくれないんですか!」と聞かれても、答えは言えません。
別に言ってもいいのですが、答えを教えることで、一つの過程を自ら超える機会を消してしまい、「それが良い悪い」の概念を持つことが既に干渉の行為となり、個を敬うのではなくなります。
一から百まで全て自分の意志で成長をすることに、大きな成熟と愛を強く持つ糧があり、大切な喜びの材料となる、長い視野で俯瞰して成長を促す“本当の愛”があります。
※料理人の例ですと、お店で働いてお金稼ぎをしたいのか、お店を人気店にしたいのか、独立して“自分”として料理の腕を磨きたいのかの目的によって、本当の愛の形は変わります。
あくまで全ての答えを本人が見出すことに成長と敬いがある、本当の愛の無抵抗です。
ネガティブもポジティブも超越した認識があり、「辛いから良い」「甘やかすのが良い」という考えはない。
個として自分の世界を持って自分の認識で生きている前提から、本人のことは本人にしかわからないので、本人の意志を敬い、それは自分の世界も同じように敬う。
※人を愛することの意味については、人を愛するとは自分のみが対象│自分を敬うことが唯一でたった一つの愛 をご覧ください。

本当の愛は成長を求める人にのみ適応する
「いやいや、普通に声かけてあげてよ」という気持ちがあります。もう、その通りなのですが、本当の愛は全員が理解するものではなく、成長を求める意志を固く持ち、“強さ”を求める意志のある人にのみ適応される愛の形です。
辛さなど必要ない人には一生関わらなくていいものです。辛さを克服することは、自分の中にある恐怖や不安を受け入れることですので、一筋縄ではいきません。
自分が幸せに過ごせればそれでいいのですが、強さを求める人は他者に喜びを与え、影響を与える人となり、リーダーや先駆者となる人ですので一部です。
本当の愛を持つ人は、目の前の人を理解します。
強さを得る人格があり、成熟があるかどうかを確実に把握することで、無抵抗として影響を与えます。
無関心ではなく、あえて辛さを与える意志も何もないのが本当の愛です。
それは完全に全てを受け入れている意味があり、「受け入れるも受け入れないもなく、全てを受け入れることが当たり前」という認識があります。
完全なる受け入れは地球と宇宙と同じ
本当の愛とは地球の姿であり、宇宙のことでもあります。
地球は全てをありのままに、受け入れる受け流るの概念なく、受け入れる前提のみです。
そのため、私達人間が地球に好き勝手しようが何も言わず、ただ受け入れます。
それは、雷が人に落ちることと、蚊に落ちることが同じであるように、物事に線引きも差別もせず、何をされても何も言わず、何をしても何も言いません。
ただ、起きることをそのまま受け入れて、環境提供として場所を与え、体を与え、空気を与え、エネルギーを与え、命を与えます。
そして、朽ちる時には肉体を地球に戻し、「はい、終わりね」とも、「おかえり」とも言いません。
土に住む分解者が分解して、シュ、か、ジュです。
宇宙も同じです。
完全なる受け入れがあることで、無抵抗の愛として本当の愛とは何かの意味が生まれ、ネガティブもポジティブも良いも悪いもない、そのまま起きることを捉える認識があります。
※受け入れることに魂レベルが高いことの意味と仕組みがありますので、魂レベルの高い人と低い人の特徴|愛の距離感は口が悪くても意識が高い をご覧ください。

本当の愛を持つ人の特徴

本当の愛を持つ人の特徴9選
本当の愛を持つ人には特徴がありますので、順番にご覧ください。
1、愛の線引きがなく、誰しもを愛する
本当の愛を持つ人は、差別も線引きも区分けもありません。そのため、愛する対象は全てで、男性も女性も、老人も子供も、動物も虫も、植物も自然も、石も雲もです。
全てを敬う気持ちを持ちます。
2、他者への干渉をしない無抵抗の愛を持つ
一切干渉をしません。それは関わらないことではなく、愛を持って敬っているので関心だらけです。
干渉をしないのは、押し付けも決め付けもせず、目の前の人を唯一無二の“個”として接し、敬います。
無抵抗の愛を持つので、成長の助力として一切の関与をしない行為をして、成長を求める人自身の意志と気付きによって育まれる環境として、影響を無言で与え続ける存在となります。
3、人を観察して理解する
本当の愛を持つ人は、人と接する際に目の前の人を理解しようとします。
そのために、質問をしたり真意を探ることをします。
観察力があるので嘘が一切通用しません。嘘をついていることを理解しますが、それを指摘することはしません。
その際には、嘘をつく人としての個を尊重して関わります。
4、受け入れる許容が広い
完全なる受け入れがあり、受け入れるも受け入れないも概念がありません。
起きることを拒否する理解がないので、ただ起きることを起きたこととしてそのままに見ます。
認めるも何もなく、「はい、家が燃えました」という事実確認です。
5、人の成長と幸せをサポートする優しさを持つ
あるがままに生きることで影響を与え、自分も他者も完全に敬うので、個を尊重します。
すると、無抵抗の愛として、自分が存在すること自体が影響を与え、本当の愛を持つ人と一緒にいること自体が学びや気付きを与えます。
中国に無為自然という哲学があり、思想家の老子の考えの一つです。
あるがままに自然であることを意味して、自然体で抵抗のない様は見るものに影響を与えると考えました。
それは、一緒に散歩に行き、一切の会話をせずとも人それぞれに気付きがあり、歩いているさまの自然さから、「何かを話さないと気まずい」と思っている自分を教え、「何か得られることを得なければ」と思い込んで決め付けている自分を教えます。
そんな自然な敬いに優しさの愛があり、自然と成長をサポートする影響者です。
※本当の優しさについては、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をご覧ください。

6、本当の強さを持つ
本当の愛と同様に、人同士でしか認識できない“本当の強さ”を持ちます。
それは、恐怖に負けない意志で、恐怖を受け入れることで、恐怖に打ち勝つ必要がなくなる強さです。
「恐怖があればある、なければない」となり、あったところで恐怖ではなくなります。
それは真っ暗闇が怖いと思っていても、寝ている時は怖いと感じていないように、自分を理解することで克服する強さです。
※本当に強い人の特徴は、本当に強い人の特徴はシンプル。肉体もメンタルも超越した地球の姿 をご覧ください。

7、自分を喜ばすための成長を忘れない
無償の愛と同様に、自己犠牲をもいとわない成長を求める意志があり、それは何よりも自分の成長による喜びを忘れない姿です。
人それぞれに成長を促す喜びを理解して、ネガティブに悪いという思い込みなく、ポジティブが良いという決め付けもなく、共に自分のために必要で大切な材料や機会となります。
8、地球を大切にする
本当の愛とは地球の持つ愛と同じで、物事を俯瞰して観ることで、地球や星目線、または宇宙目線での認識をします。
それは自我意識が“自分という個”から、“地球”となり、視野が大きくなり、地球にいられることを感謝して、地球の環境提供に対して感謝して、自然と地球を大切に敬います。
それは地球がしていることと同じように、地球に同じことをしてお返しをする愛です。
9、欲望がない
本当の愛を持つ人は欲望の矛先が“自己の成長”に集約されていて、それ以外の我欲や満たされない状態がありません。
自己の成長のために生存して、そのためにご飯を食べるので、必要以上に食べることも欲せず、体の意見や自分の状況を理解して無駄がありません。
「認めてほしい」「褒めてほしい」などの他者の反応や干渉や介入を必要とせず、体裁を気にすることも、周囲に合わせることもなく、自分に必要なものを常に把握して、それ以外に欲するものがありません。
※エゴの関係性にてわかる愛は、愛とエゴを知る│無償の愛以上に大切な人との関わり方にある敬い をご覧ください。

本当の愛とは まとめ

受け入れるには愛があります。
物事は全て自分の認識と自己満足です。自分が人生を終えることに受け入れはありません。起きる事実はただそのまま流れていきます。
受け入れるも受け入れないも、人それぞれに意味を作るので、どちらが良い悪いということは本人にしかわかりません。
愛がなければ受け入れることはできず、脳の思考にて納得をする道に入ります。
脳の解釈にて愛はさまざまに形も意味も変えていき、そこに人としての創造性と思考力があり、心の喜びに脳の満足と納得を組み込めて遊びます。
しかし、遊んでも何でも、愛する最愛の人を特定して、ルール設定することで大きな愛の形を作り、幸せを育む力となります。
一切の無抵抗は、全てを受け入れてあるがままの自然を作る地球であり宇宙の愛です。
愛の先にはワンネスの一体化への認識があり、愛をより強く大きく持つことにはスピリチュアルな魂としての在り方があり、自己の成長であり喜びに繋がる生き方です。
成長を求めると、他者へ愛を与える行為が生まれ、他者が喜ぶことが自分の喜びになる理解があります。
さらに、他者の成長を求めて促す理解によって、スピリチュアルな本当の愛として、無関心と紙一重の無抵抗があり、人を見守り、自分自身で成長する基盤を影ながらサポートします。
無関心と外見は似ていますが、中身は全くの真逆、本当は関心しかありません。
自分の個も他者の個も尊重することで起きるのは干渉ではなく、敬いです。
受け入れることで尊重し、そのままの姿、形、在り方をただ受け入れ、愛します。
ネガティブもポジティブも超越しているために、サイコパスに見られるかもしれません。しかし、無抵抗であることを理解する人は本当の愛を手に入れる人であり、人を愛する本当の意味を知ります。
それは既に理解が始まっている人との共存に答えがあり、人を愛する真実の姿として愛はどこまでも広く大きくなる力を秘めます。
それでは、本当の愛にあるスピリチュアルな認識についての話を終了します。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
ガンディーさんをみて、泣けてくるわけがあったとは。
それにしても とても深い考察ですね。
あとなんか夢でうんうんって納得して、そのあとすっかり忘れたことが
少し脳裏をかすめて
思い出せそうです。ありがとうございます。
これからも拝見させていただきます。