対処・解消法

なんでも聞いてくる人がうざい│自分で調べない大人子供さんの対処

終わることのない質問の波、いや、ヘドロ。

調べればわかることも、さっき伝えたことも、なんでもかんでも聞いてくる猿、あ、失礼しました、人がいます。

どんなに優しい人でも我慢の限界があり、煩わしくうざったく思ってしまうものです。

そこには、「実はうざいと思わせることが作戦なんす」てな具合の無意識な企みがあったりします。

ここでは、頭を使わず、自力で対処する気のない人、
通称:なんでも聞いてくる人の詳細を露にし、対処法をお伝えします。

なんでも聞くのは他力ではなく自力でもない、調べる労力がめんどうでもない、調べたくないわけでもない。
え、何者?

こんなやつ叩き切ってやりましょう!

とは冗談ですが、うざいと思わせられる実状に終止符を打つべく、心理を露にして心臓を突き刺す成敗を、いえ、対処を。

なんでも聞いてくる人はうざいと思わせる

なんでも聞いてくる人とは

ここでお伝えする“なんでも聞いてくる人”とは、自分で調べない人、何度も同じことを聞く人、わからないことがあれば反射的に癖のように聞いてしまう人のこと。

この人間、自己解決意志がなく、自己責任の念がなく、自力の概念がなく、頭があることを知らない。

なんでも聞いてくる人とは、自ら考えることを止めている人です。

ここには、「なんでも聞く」という行動を作る心理があります。

 

なんでも聞く人は聞く意味を持たない

聞くことはとても良いことだと思います。

コミュニケーションになり、自己表現になり、成長するためのツールとなり、情報収集方法となり、相手や物事を知ることでの理解・育みになります。

自らの肉体を使用して、「これってどういうこと?」「今何時?」と発言する労力と時間消費があるので、聞く際には動機として理由や目的があって行為に及びます。

言い方を変えると、聞くことに意味があるから聞きます。

しかし、なんでもかんでも聞いてくる人は、聞くことに意味を持ちません。

ただ、聞きます。

まるで原始人がバナナの皮が剥けることを理解した時に、木に登って全てのバナナの皮を剥いて、「ウホウホ~♪」
胸をぼぼんと太鼓打つ、ポポン?

なんでも聞く人とは、わからないから聞けばいいと認識する。それ以上、以下、何もありません。

「わ・か・ら・な・い・か・ら・聞・け・ば・い・い」ピピピと脳内セットアップ、完。

わかりたいわけではない、学びたいわけではない、知りたいわけではない。

「あなた、どうして一回一回聞いてくるの?」
「え、わからないからです」

「どうしてわからないと他者に聞くの?」
「え、わからないからです」

「自分が困らないために自分でわかろうとはするの?」
「え、わからないんでわからないです」

ビックリ、話ができないよ。
やってらんない、うざい、煩わしい、馬鹿なんだよ、どうすりゃいいのかこっちがわかんない。

聞く意味を持たない人は自らを認識していない状態があります。なので何度も同じことを聞いてしまいます。

 

なんでも聞く人は自分の行動認識が薄い

「なんで聞くの?」
「なんで知りたいの?」
「なんでわかりたいの?」

別に知りたくもわかりたくもありません。わからなかったら困るから、色々言われるから、嫌な思いをするから。

自分の行動を理解して把握していない人は、「どうして自分がそうするのか?」に対する認識が薄い、またはありません。

あるのは、欲という満たし願望と本能です。

利益を得て喜びや満足のために他者の時間を使い、他者の頭を使いますが、行動認識がないので悪気はない。同じく感謝もない、相手のことを考えるなんてこたぁない。

苦痛や辛さのなさと納得を求める防衛本能から、わからないことで何もできない状態や、嫌なことを自覚する恐怖をなくすために聞くことで紛らわします。

この状態の心理には、自らを自らが認識する意識のなさに見える“絶対的な自信のなさ”があります。

自信がないことも認識していませんが、自分を信じるという概念が完全にないということも考えられます。

言い方を変えるとこうなります。

なんでも聞いてくる人とは、自分を信じられず、自分のことがわからないと自覚したくない人。

自覚しないために、己を目の当たりにする状況を回避します。すると人が変わることもあります。

明るくなって天真爛漫、何も考えていないキャラを作ったり、頭が良いと思い込もうとしたり、何も考えないように行動したり、自由と自分勝手を勘違いしてチャラくテキトーになったり。

人が変わらない場合もあります。
聞きまくる自分を正当化して無意識の癖にして、聞いた相手に責任転嫁して、自分がわからない自覚が起きる機会をなくす努力に勤しみます。

防衛本能、我欲には忠実です。

 

何でも聞いてくる人はうざいと思わせる

別名、うざがられ屋。

賭け場などでは重宝されたとかなんとか。

「へへ、実はうざいと思われたいんだ、えへへ」なんてことはありませんが、頭の片隅に他者との関わりを欲する姿があり、我欲の解消で他者を利用するために行動は全てうざさに。

典型例はこれ。

「ねぇ、今何時?」
「え、今さっき聞いてきたよね」

誰でも調べればわかることを何度も聞いちゃう。

やめられない。だって頭の中で、「今何時だろう?」って思ったから。

己を信じない、行動認識が薄いことで自分がわからないことを知りたくない。
それじゃあ誰かに聞いて解決しないと。

浮かび上がった問いを自己解決する意志がないので他者を利用。利用できないと起きることは孤独。

自己解決か孤独。

自分を信じていないので自己解決は初めから選択にない。それじゃあ孤独?

誰かに聞けば孤独はなくなり、自己解決せずに解決する、いっちょ上がり。

完膚なき我、我、我。

自分の内側の葛藤から逃げるために他者の存在を利用する。

言い方を変えると、誰も得しない糞みたいなヘドロ行為のために利用される。

うざがられ屋はやっぱプロ。

うざいと思わせる巧みは常々こう語る。
「自分で調べる? はんっ、嫌だね。調べたら聞く意味ないじゃん」

なんでも聞く人は聞く意味を持たないはずでは?!

持っていました。“聞く”という行為の概念が初めから違う。
聞く意味は、自分を信じず、わからないことを自覚しないための我欲の解消に他を利用すること。

そりゃ、うざい。

※うざいことに気付かない人の話は、素の自分が嫌われる時に知りたい人間味│自分を作ると性格が悪くなる をご覧ください。

素の自分が嫌われる時に知りたい人間味|自分を作ると性格が悪くなる素の自分を出すと嫌われる。 嫌われないことを優先して人と関わることには、嫌われるか嫌われないかの現実を創る在り方があります。 ...

 

なんでも聞いてくる人の考える力

頭の使い方は少し常識外、頭を使っていないと思わないために頭を使います。

なんでも聞いてくる人は、自らを誤魔化すことに特化した頭の使い方をします。

そのため、嘘は天才的。
馬鹿なの?天才なの?

考える力はあるのですが使い方と目的が違い、自分のために使用しません。ヘドロ処理のため、逃避、誤魔化し、まるで自分を信じないためかのように使います。

嫌われます、自分に。
そして他者にも。

時間の問題、末路はみんな同じかも。

考える力がなくなり、物忘れが激しくなる。攻撃性を持つ場合には、責任転嫁と擦り付けが酷くなり、自己責任を持たなくなる。

自分のために生きなくなり、他者への執着と依存が激しくなり、常に内なる問題から逃げるために生きるように。

考える力の使い方は人それぞれに自由ですが、現実の誤魔化しに特化させることを認めた上で使わないと、違和感と不調和による内側のジェンガが崩れます。

 

なんでも聞いてくる人の対処法

なんでも聞いてくる人の対処法ポイント

成敗の時間がやってきました。

しかし、懲らしめることが目的ではありません。

対処は相手を理解することから始まります。

そのために、これまでの内容が大事です。

なんでも聞いてくる人の心理や在り方を知ることが対処のポイント、最も知りたいことです。

泥に泥を被せず、攻撃に攻撃は塗り重ねません。

なんでも聞いてくる人の対処法は、相手を知り、関わり方にちょっとしたバランスを持たせます。

いくつかの詳細を見ていきましょう。

 

なんでも聞いてくる人との仕事

わからないことがあれば直ぐに聞いてくる。何度も同じことを聞いてくる。

「どうしようこの人」と、ちょっと困っちゃいますね。

聞く意味が人と人の関わりではなく我欲の解消で他者利用、己のみを対象にした聞く意味なので、質問攻めが続くと誰でもイライラ、煩わしくなります。

この時起きていることは、相手に飲み込まれる。

実は見えていません。聞く人はわからないので教えてもらう側、若干なりとも下手に出ていますが、へこへこしたその場は既に聞いてくる人のテリトリー。

飲み込まれたら、うざいと思うのは必然です。既に相手に乗っ取られ、自分らしさを変えられています。

対処法は飲み込まれないこと。それは、うざいと思わない状態に自分を上げること。

言い方を変えると、相手と同じフィールドに立たない。

相手を理解できれば俯瞰して、客観視できます。そのために、これまでの内容が参考になることを願います。

相手を知ることで別フィールドに立て、余裕を持って聞かれることに向き合えます。

 

なんでも聞いてくる友達

本当に友達?というのは置いておいて、友達であれば自信をつけてあげる関わりをします。

うざいと思っていればそんな協力体制は難しいので、相手に聞くことの真意を教えてあげます。

「そういえばアメリカの大統領の名前って何だっけ?」
「アーノルド・プリプリプリンちゃんだよ、ちょっと忘れたのー」「ロシアのは熊坊、たしか漢字だよ」

聞くことは人と人の関係を紡ぐ繋がりであり、我欲の解消ではないことを間接的に教えてあげます。

そのためにユーモア。面白くなくても問題なし、テキトーさが肝。

大切なことは、全てテキトーに答えてあげる優しさです。

「ねぇ、なんで聞いてんのにふざけてんの?!」
「聞いてくるからでしょ?自分が必要な答えだけ欲しいの?私を使いたいだけ?」

と少しずつ真意を伝えてあげてもいいと思います。

あくまで鉄槌を食らわすのではなく、相手が自分の行為に気付くための手助け。

ですが、手助けがめんどくさければ、ふざける時間にしちゃう。自己犠牲はなしにしましょう。

友達か関係なく、仕事などのしっかりした答えを提供する必要がない状況であれば、常におふざけ。ユーモアセンスを磨く時間、または遊ぶ時間にすることで対処します。

※対処法が詳しくなる話は、人間関係はわからないから適当がいい│大切なことを取り戻すいい加減 をご覧ください。

人間関係はわからないから適当がいい│大切なことを取り戻すいい加減人と人の関わりほどめんどくさいものはありません。 実際に何がめんどくさいのか? わからないことが多過ぎる、考えることが多過ぎ...

 

対処法:考える力を見直す先生になる

なんでも聞く人の在り方をおさらいすると、あることがわかります。

  • わからないから聞くという思考の単調理解
  • 自力の概念がない
  • 自己解決意識がない
  • 自己責任の念がない
  • 苦痛のない結果を得る欲にフォーカスがある

なんでも聞く人の意識の向け方は、自でも他でもない特徴的な在り方です。

自分を信じていない、他者も信じていない状態ですので、考える力の使い方を知りません。

そのため、考える力を自分のために使えるように見直してあげることが大切です。

対処法は考える力の見直しをしてあげること。

先生のつもりになっちゃう。

聞く意味がわからないことは、人間関係を知らず、人と人が関わる意味が一方的にしかわからない状態です。

相互交流を知らず、コミュニケーションは尊重や共有、敬いや楽しみ合うとは違う概念として、自分の満足や納得、ストレス解消、我欲の発散、苦痛のない対処という、他者利用が当たり前のように恒常化しています。

まず、対処しやすいように相手を子供だと認識します。外観はどうであれ、なんでも聞く人は子供です。

本当に中身は子供ですし、精神が伴っていない。

生育前の子供は自分を信じきっているために、知りたい、わかりたいと思ってなんでも聞きます。しかし、生育後の子供は自分を信じないきっているために、考える力の使い方がわからなくなってしまいます。

聞くことの意味、質問すること、人間関係、自信、自己解決、考えることを、成長させるように教えてあげます。

考えることの意味や真意を理解し、考える力を自分のために使用できるようにする見直しの機会提供が大切です。

そのためには見捨てない、切り捨てない。

一緒に居る時間があるのであれば、何か知り学ぶことがお互いにたくさんあります。
関わることに意味があり、一緒に学ぶことや教えてあげることで、相手のためにも自らのスキルアップ(教える力、物事の理解力、認識力)にも対処にも繋がります。

※なんでも聞いてくる知りたがり屋の話は、知りたがり屋の対処│根掘り葉掘りなんでも知りたがる人の実体と企み をご覧ください。

知りたがり屋の対処│根掘り葉掘りなんでも知りたがる人の実体と企み世の中には知りたがり屋がいるそうで、よもや職業になっているとかいないとか。 知りたがり屋の実体資料をこの世に残しておきます。 ...

 

なんでも聞いてくる人 まとめ

私が会社員だった時、なんでもかんでも聞いてくる人がいました。その人は席が私の隣だったので、何度も同じことを聞いてきます。

部署のリーダーが教えていたので、リーダーではなく私に聞くことが逆鱗に触れ、なんでも聞いてくる人はいじめられるようになりました。

恐怖教育というのか、聞きたくても恐れがあれば聞きません。なぜならば、苦痛をなくす我欲の解消が本人にとっての聞く意味だからです。

恐怖を与えることも、なくす術を取り上げることも本人のためにはなりません。矛先を変えて利用価値を探し、私のようなエサを貪ります。

私はその人と関わることでなんでもかんでも聞く人の心理を知り、考える力を見直す協力をしました。

すると、少しずつですが“聞く”、“質問する”といった行為から他者利用の意味を認識し始め、自らの意志を持つようになりました。

わからないから聞くが、わかりたいから聞くに変わり、そこには明らかな自信、自分を信じる姿が見えました。

なんでも聞いてくる人は自分を信じる概念がなく、それを知る機会がなかったり、忘れるような強い経験があったりと、何かしら過去に心の引っ掛かりがあります。

せっかく一緒の時間があるならば関わっていることに何か意味があるので、相手を見て、自分を見て、共に成長して学ぶ機会になれば良きかなと。

猿は人になるのか?
元々猿ではなく人だったのか?

人間の成長幅は無限で際限なし、人は人として成長し続けることができると信じます。

人の内側を知ることで、対処が見える内容であれば幸いです。

成敗は人のためであり己のため、相互に利益があるといいですね。

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