人生哲学

【日本人は考える力がない?!】自分の頭で考えない環境に宝の持ち腐れ懸念

海外でさまざまな国の人々と関わると、日本人に対する明確な意見が浮き彫りになります。

「日本人って自分で考えないよね」

日本人は考える力がないのか?

自問自答した私は、その後海外を旅し続けて、さらに日本に戻って生活をして、あることに気づきました。

日本国は、自分の頭で考える必要性がないのかもしれない。

ここでは、日本人は考える力がないかどうかの考察内容を、海外からの目線と、日本人としての目線を合わせてお伝えします。

  • 日本人は考える力がないの?
  • 自分の頭で考えない理由とは?
  • 考える力って具体的に何?

これらを紐解き、「考える力はあるけど発揮する動機も意味もないんだ」と知っていただく内容となっております。

宝の持ち腐れの可能性についての考察となりますので、考える力を自己発見するための一つの考え方となれば幸いです。

それでは、ジャパニーズブレインレスの紐解きをお楽しみください。

日本人は考える力がないの?

日本人は考える力がないのではなく「自分がない」

ここでお伝えしたい主旨は、考える力のなさではなく、自分がない、という考え方です。

日本人は自分がない。

自分がないとは自己理解がない、自分との向き合いがないことを意味します。

日本自身との向き合いがなく、過去を見ず、今を見ず、アイデンティティ、自然、エネルギー、能力、才能、宝を見ない。

自分がないとこういった具合になります。

  • 他に従う
  • 欲求や感情に従う
  • 納得や満足を得るために他に執着する
  • 執着している自分を評価・自覚しない
  • 疑うのではなく文句を言う
  • 自ら何かを創らない
  • 洞察や分析をしない
  • 過去を振り返り学ばない
  • 今この瞬間の現実を認識しない

これらのさまには考える力の使用も育みもありません。

自分で考える力をそもそも発揮していない、使い方がわからない、あるのかわからない状態は、考える力がないのではなく自分がないのだと考えられます。

 

海外を旅して痛感した考える力の無理解

私が初めて渡航した海外はインドでした。

この時、初日から痛感させられたのは、平和ボケの極みでした。

狙われ、騙され、誘導され、思うがまま。

変なツアーを組まされ、リキシャー代をぼったくられ、宿代をかさましされ、騙されていると初めは気づきもしません。

笑顔で近づいて来る、「ハロー、ニホンジン、スッキネ~」というカレー野郎を、もはやいい人だと思った体験は、いろいろなことを学ばせてくれました。

生きることに対する目的がなく、フワフワと存在だけして、生きる行為をしていない自分。まるでカレーという刺激を背骨に流して、生きている感を得るための執着行動、別名ナマステマジック。

自分がわからなくなっていた時でしたが、「存在だけして生きようとしていない」とは思ってもおらず、考えることの意味を大きくはき違えていたのかもしれないと実感しました。

これを皮切りに、その後は約五年間の旅を始め、さまざまな人々と出会って痛感したのは、自分の頭で考えないことでした。

「あなたはどう思うの?どうしてそう思うの?どうしてその価値観なの?」と尋ねられて答えられない。

「考えるって一体なんなんだ?」と困惑で頭ピヨピヨでした。

 

日本人は考える力を知らないだけかもしれない

旅を続けると、悲しいことも知りました。

日本人を下に見る、興味がない、馬鹿にする外国人の多いこと。

「なんで英語を話せないの?」
「なんで自分で考えないの?」
「どうして考えようとしないの?」
「どうしてみんな同じ歩き方なの?」
「もういいや」

英語を多少話せるようになり、経験値の増えた私はやっと伝えられました。

「今あなたが言っていることを、自分の考えだと思っているのはどうして?」

まるで自分の頭で考えて物を言っているかのような人の多いこと。

あらゆる他の価値観や本の情報、著名人の意見や国の社会倫理をコネコネした、自分の考え(仮)の無自覚。

「どうしてご飯を口から食べようとするの?」
「どうして人と関わらないといけないと思うの?」
「どうして自分のことをドイツ人だと言えるの?」
「どうしてビールを飲んで騒いで楽しいと思うの?」
「どうしてお金を稼ぐ資本主義のルールに則っているの?」

「どうして自分の頭で考えていると思えるの?」

既に私達はさまざまな教育や躾、他者の干渉や影響を受け、多くの他のルールや情報によって価値観や観念(思考や行動の基)を作っています。

まるで自分の頭で考えているようで、ほとんど全ては他の頭にあったものを自分の頭に刷り込んでいますが、自覚している人はあまりいなかったりします。

おそらくですが、日本人の方が自覚している人は多いように感じます。

しかし、自覚が多いことはすなわち自分以上に他が主体になっている意味ですので、自分がないと思えてしまい、考える力が何なのかを知る手がかりが遠のきます。

一体どっちがいいのやら、国でも社会でも仕組みでもなく、本人のみぞ知る所です。

日本人は考える力がないのではなく、自分がないと思うことで考える力を知れなくなると考えられます。

※自分の意見がない詳細は、自分の意見がない人とある人の特徴|意見を持つ方法は遊びの創造 をどうぞ。

 

自分の頭で考えない環境国家

自分の頭で考える必要性がない日本

海外を旅してから日本に戻った時、はっきりと感じたことがあります。

考える機会も動機も意味もない

  • 何もかもが時間通りに進む
  • 日常会話で困ることがない
  • 個人の価値観を聞く人が少ない
  • どう伝えれば良いか模索することもない
  • 歩いていて荷物を盗もうとする人はいない
  • 生活に困ってもとりあえず役所へ行けばいい
  • 便利なもので溢れているから頭を使う必要がない
  • 娯楽はどこにでもある、パソコンを開けば何かしら楽しませてくれる
  • ルールに従っていれば大概は困らないか、困った顔をすると誰か助けてくれる
  • ‥‥

「あれ、自分の頭で考える時がない」

極端な例ですが、インドに行ったことがある人はこう思うかもしれません。

  • 騙されないようにオートリキシャーの相場をここらで聞いておかないと
  • 宿の場所はとりあえず5人には聞かないとわからないな
  • 完全に何もないから、何をして過ごすか考えないと
  • 財布はどこにあるか常に確認しておかないと
  • あの人と関わってみよう、楽しそうだ
  • この人の道案内は疑った方がいいな
  • チャイのおごりか、どうしよう
  • この顔、明らかだな
  • ‥‥

例は無限にありますが、考える機会しかないと言っていいかもしれません。

ここでお伝えしたいのはインドだからということではなく、自国であれば、困らなければ、便利であれば、危惧や懸念がなければ、作る必要がなければ、できなくても誰かやってくれれば、考える必要性が低いことです。

日本の場合、他国に比べて困りにくい社会であり、執着や依存などをもてはやす集団環境の促進があります。

危険や苦痛や拒否(恐怖心)と向き合わなくていい擁護意識があるなど、自分の頭で考える必要性が限りなく低い環境だと考えられます。

※日本の違和感の正体は、【自国愛を考察】なぜ日本は生きづらい?│海外に行くとわかる違和感の正体 をどうぞ。

 

考える力とは一体何?

考える力の真意はこちらです。

[自分の頭で考える力=自分がないと自覚することで見出す生きる力]

壮大な内容になってきました。

自分の考えがないと痛感した海外の旅経験で理解したのは、考える力とは脳を如何にグルグルパァさせるかではなく、実体験による経験測の中で如何に自己能力を導き出すかです。

「自分には何ができて、何を求めて、何を目指しているか?」を理解して生きるための、行動規範の作成が考える力、という考え方です。

自己能力を導き出す動機と同時に、自分がないと自覚する認識状態が、考える力をグングン引き出し、一体何なのかを体感として教えてくれます。

少しわかりにくいかもしれませんが、方程式はこんな具合です。

[自己能力を導き出す動機+自分がない自覚]

これすなわち=死です

 

考える力とは死との繋がりによって作る生きる力

「死」に直面、または多少にかかわらず死への繋がりを認識すればするほど、私達人間は考える力、自分の頭で考える行為を理解し、育むと考えます。

例えば、余命宣告された場合です。

命が残りこれくらいとわかった時、急速に考える力が表れ、育まれ、高まります。

そこには、死ぬとわかることではっきりする、「生きたい!」という動機(意志)があり、今の自分にできること(能力や本気)を最大限発揮する生きる力があります。

そこには、自分は消えてなくなる、何者でもない(自分がない)認識の受け入れがあります。

この時の残りの人生の使い方が、自分の頭で考えるさまであり考える力です。

死との距離感が近くなくても、繋がりが多少なりとも認識される場合には考える力が育まれます。

例えばインド。でました。

インドではいつどこで騙され、何が起き、何をされるかわかりません。他の国も例外ではありません。

不安や恐怖が常にどこかにあり、「財布を盗まれないように」と思う先には、「財布がなくなれば生活できず、途方もなくなって死ぬかもしれない」という認識があったりします。

人それぞれに距離感は違いながらも死への繋がりがあると、自分の頭で考える力が育まれます

私がインドにいた際、翌日の早朝6:00にある寺院を見に行こうとしていた時がありました。

しかし、その前日の早朝6:00に爆発テロが発生して怪我人も発生しました。

色々なことを考えました。

今後の計画の決め方、現地での行動の仕方、インドでの過ごし方、その場の習慣や義務の理解など、考える力は死と繋がる経験によって高まると強く実感する出来事でした。

※考える力がない改善策は、【自分で考えられない人の改善策】思考を深くするための考えない理論 をどうぞ。

 

日本人は考える力を知る機会がない

本気で人生を生きようとしている人ほど考える力があり、死に近い経験や認識がある人ほど自分の頭で考える機会が多いのだと思います。

しかし、日本では平和な環境を与えられながら、平和の意味を実際に知っていた人がほとんどいなくなった今、平和を知らない私達のような人によって構成される、与えられて終わり状態が起きます。

日本人はもともと海外へ行く人が少ないと言われていますので、そういった行動の在り方、島国の価値観、自然崇拝や災害などの自然影響の多さ、困らない便利推奨の社会的仕組み、安泰による行動動機が起きない環境、死など恐怖心と距離を取る逃避・誤魔化し癖などが相まって、なかなか考える力を知り、育み、高める機会がないと考えられます。

考える力がない訳ではなく、知る機会がないために発揮できません。

私も海外へ行かなければ、「あなたは自分の頭で考えない」と言われなければ、アラスカの森でヘロヘロの鳥ガラ経験をしなければ、考える力について考えることすらなかったと思います。

考える機会も動機もなければ、他に従うのが自然です

言われたことをして物事が流れ、困らない安泰を貰えるのであれば、考える以上に発達するのが従うです。

以上から、日本人は考える力がないのではなく、自分がないと考察します。

実際には自分があるもないもありませんが、環境やこれまでの記憶、生き方や信念体系から、自分がないと潜在的に思い込みやすく(または思い込むに値する材料が多く)、考える力を見出し・発揮し・育み・高めるサイクルに入りにくい環境だと思います。

※自分がないとわかる心理は、影響されやすい人は自分がない?│実は自分だらけの心理と特徴 をどうぞ。

 

考える力を自己発見するために

何もわかっていなかった時の私はよくドイツ人やフランス人に、「自分の頭で考えないね」と言われ、「ななな、なんやて、こここ、このぉ」とブルブル震えた頭で思っていました。

しかし、彼ら彼女らがいることで考えるとは何かを考える一助になるので、非常に大切な存在です。

考える力はいくらでも引き出せます

潜在能力は今か今かとクラウチングポーズ中です。

スタートを切るために生きる力を使うと、考える力を自己発見しやすくなります。

生きる力には生きたい欲求や意志があり、自分が何者でもない自覚があると考えます。

自分とはあるないの存在ではなく、如何に自らと向き合って認識の理解度を深めるか浅いかの違いです

自己理解が深まれば深まるほど、自分とは何者でもなく唯一無二、または他者との共同体として自他を含めた感覚認知が伴います。

このために、死に対する拒否や抵抗、思い込みや固定観念を手放し、より身近にする大切さがあります。

実際に距離感を詰めるのではなく、死生観の理解や、生きる目的の作成などは考える力を導く一歩になります。

ぜひご自身のために考えてみてください。

一瞬一瞬の生きている瞬間としっかり向き合うかどうかは選択であり、今この瞬間の呼吸に感謝するかどうかは生きる力の旋律です。

死生観も生きる目的も本人にとってですので、何でもいいんです。

「ふざけて生きる!」
「楽しんで生きる!」
「不幸になるだけなるぞ!」
「幸せになりきってやる!」

どんな自己発見をするのか、楽しみですね。

※考えないのも悪くないお話は、何も考えない人の全く異なるタイプと特徴│一変する考えない末路 をご覧ください。

 

日本人は考える力がないのではなく自分がない まとめ

自分の頭で考えるとはわかりにくいものですが、[頭=脳]に限定したものではありません。

自分という存在は頭もあれば、肉体もあり、心もあります。

心技体と柔術で言われるように、[心(意識)+脳(思考・感情)+体(感覚)]が組み合わさって一体となります。

それぞれの経験は記憶となり認識となり自分の源となります。

自分の頭とは心技体あらゆる記憶をコネコネしてパンを作る場所ですので、日々の生きること、人生、生死、人間関係の結晶作りを司ります。

他の意見や情報は重要ですが、それだけでは自分の頭で考えることは成り立ちません。

如何に経験を増やし、考えを増やすかの過程には、感覚も心の意識も大切になります。

過去の人々を敬う気持ち、引き継ぐ尊敬、遺伝子への感謝、肉体の生存認知となる一瞬一瞬の重んじ、そして自らの経験に、生きる力があり考える力の高まりがあります。

自分を知り、考える機会を増やし、自分の頭で考えるとは何なのかを理解する。

ここに人生の醍醐味があるのかもしれません。

日本には考える機会の少なさがありますが、人との関わり、学ぶ環境への参加、過去の思い出しなど、考える力の育みはできます。

個人的に、最近は小学校と中学校の記憶を鮮明に思い出す、奇妙な趣味に没頭しています。

特に友達の家に毎日のように泊まっていたので、雰囲気やにおいや食べた料理や遊んでいたことを思い出して、アへアへとうすら笑顔になりながら死生観を熟考しています。

そういう過去の敬い方もあるのかもしれません。

考えるって何なのかを今一度考える一助となれば幸いです。

それでは、日本人は考える力がないのかどうかの考察を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生とのカウンセリング機会。
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