悩み

素の自分が嫌われる時に知りたい人間味│自分を作ると性格が悪くなる

素の自分を出すと嫌われる。

嫌われないことを優先して人と関わることには、嫌われるか嫌われないかの現実を創る在り方があります。

すると、素の自分が出せる人と出せない人が分かれ、区分けが起きます。

嫌われる経験があることで、人との関わりや自分を露にすることに苦痛の記憶が定着し、嫌われることを恐れてしまうかもしれません。

恐れた認識での人間関係の構築には、ある大切なものの欠如が起き、素の自分に対する認識が少しずつ曲がっていくことがあります。

好かれること以上に嫌われないことを気に掛ける場合、どうして嫌われるかの理由をここで知っていかれてください。

素の自分を出すと嫌われる理由、その際の対処法と考え方を、素の自分とは何かの理解と共にご覧ください。

人との関わりに大切な人間味を知る一助となることを願います。

素の自分を出すと嫌われる

素の自分は嫌われる?

素の自分が嫌われるか否かを大きく分ける人間性があります。

それは、素の自分が独りの時の自分か、人と一緒の時の自分かです。

素の自分のタイプ
  1. 独りで居る前提の素の自分
  2. 複数で居る前提の素の自分

独りが前提の素の自分であれば何も我慢する理由がありません。そのため好き勝手、他のことを考える認識なく“自分の在り方”をします。

言わば、無人島で独りで暮らしている時の素の自分です。

ここで他者が居たら邪魔です。せっかく我慢も嫌なこともしない素の自分、普段とは違う解放的なありのままの自分ですから、人が居たら素の自分に変化が起こされ、解放的で自由な時間が終わってしまいます。

そのため、独りが前提の素の自分であれば、人との関わりがある際には我を押し付けるように我慢せず、他者に我慢させるような、干渉して好き勝手するような“わがまま”になるのは必然。

押し付けなければ素の自分ではなくなるので、素の自分であろうとすればするほど嫌われます。

しかし、複数が前提の素の自分であれば、他との関わりがある上での在り方を持つ自分なので、押し付けることをしなくても素の自分のまま。

嫌われにくくなります。

ここでわかるのは、素の自分が嫌われるのではなく、素の自分を貫き通して押し付けようとすることが嫌われる理由になることです。

“存在すること”は自分のみで自分ですが、“生きること”になると自分のみではなく他が加わって自分になることを意味します。

どのように“素の自分”を認識しているかが、嫌われるかどうかの理解に大切です。

 

素の自分が嫌われるのは素ではないから

素の自分の定義付けはさまざまですが、そのまま、ありのまま、自然な様として考えると、素の自分になれる人は嫌われることがほとんどありません。

私自身、素の人と関わると心地良くなり、一緒に居たくなります。それは素直な子供のようです。

一緒に関わると楽しく、素直に在り方を変えて遊びます。

しかし、子供でも大人でも、素の自分を少し思い違えて人と接する人は嫌われます。

いくつかのパターンがありますが、特に多いのは、我慢や忍耐にてストレスを溜めている状態を基準にして、そこから解放させる。

我慢せず、自分の好きなようにして、好きなことを発言して、抑制しないで解放し続ける。

素の自分という心晴れ晴れな様を作ります。

素の自分が嫌われる場合には、いくつかの“自分像”を持つ傾向が見られます。

素の自分像達

  • 今の自分や他からの縛りに対する反発からの、解放を目指す自分
  • 過去の執着による栄光を蘇らせるように、心地良さを求める自分
  • 過去の認められない記憶によって作る、願望を込めた自分
  • 自らの見失いによる、在りたい自分
  • 普段の苦労と引き換えるように、自己を主張する自分
  • 愛を欲するかのように、求めることに躊躇しない自分

全てに共通しているのは、この世に独りしかいないかのように、他を含めずに自分を作ることです。

「そりゃ自分は自分でしょ、他を含める必要なんてなくない?」という感じですが、無人島などで生活している場合にはその通りです。

独りであれば、わがままにも性格が悪い人にもなりません。解放的で我慢やストレスのない様になり、とても良い状態の自分になると思います。

しかし、人との関わりが前提の環境に居ながら、作った素の自分で居続けることは、他者と接する際に自分を変えるか他者を変えるかの選択が起きます。

自分を変えてしまえば素の自分ではなくなるため、他者を変えようと押し付けて干渉し、わがままや性格が悪い人になります。

そのため、素の自分でありたい願望や欲が強ければ強いほどに、極端な例ですが無人島に行く必要があります。

他者との関わりでは、変化に対応できない素の自分は嫌われます。それは既に素ではありません。

 

素の自分が嫌われる理由

素の自分を作ることで、他者との関わりにて我を主張し、自らは変えない頑固さを表し、それがそのまま相手を変えさせる押し付けになってしまいます。

素の自分が嫌われるのは、人との共存環境に居るにもかかわらず、独りが前提の素の自分を作るからです。

言い方を変えると、環境も人も認識せず、自分のことしか考えていないからです。

これは、社会環境に居る前提理解をどこかに放って見ない、場所や人を敬わない状態になってしまいます。

ですが、素の自分を出すことで嫌われる理由の核は別にあります。

核となる理由がここでお伝えしたい主旨です。

素の自分を出して嫌われる理由は、素の自分がいると思っているから。

ヒーローが存在するかのように、在りたい自分を作る要因の価値観になります。すると、現状に不満や不納得が多いと、在りたくない自分=素じゃないと認識し、現状への反発が強ければ強いほどに在りたい自分を作ろうとします。

 

素の自分がいると思うことで嫌われる理由を作ることになる

ありのままの自分、本当の自分がいると思うことに良いも悪いもありませんが、起きることは素の自分を作ることです。

無意識で作ることが多いと思います。

現状の反発、過去の執着、記憶のひっかかり、願望、欲求、満たされない気持ちからの偶像。

辛く苦しい世の中で、自分を抑制して押し殺し、干渉されて抑圧される、支配による私物化に、恐怖による自制は苦痛を嫌がる逃避癖となり、否定を恐れて自分を偽り、嘘か演技かの境がわからず、自分を見失うが認めたくないと拒否をする。

泣くことを認めず、怒りを鎮めたのか消したのか、それは現実を偽る誤魔化しか。

起きたことはなくならず、認めない気持ちは蓄積し、願望や欲求や不満として溜まり続け、現状にあらがう反発を持ち、過去のぶり返しで怒りをぶちまける時を今か今かと待ち往来。

通りすがりの純朴さん、あなたに心が開けても、近しい家族に開けない、近しい友には開けても、開くかどうかは選別し、鋭い目つきに気付かれるが、気付かれていない態度にまた傷つき、信用や信頼という言葉を糧に、人を見定め恐怖回避を常に見る。

素の自分を作っているか否かは、他者との関わりにて自分を変えられるか貫こうとするかでわかります。

他者との関わりにて自分を貫く場合、それは素の自分ではありません。在りたい自分です。

※嫌われる理由の多角的な見方は、嫌われる理由がわからない時に知ってほしい│何故か嫌われるスピリチュアルと心理 をご覧ください。

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素の自分が嫌い、性格が悪い

素の自分が自分から嫌われることもあります。

素の自分が嫌い、自分で性格が悪いと思う場合です。

この状態で考えられることは、偽りや取り繕いの誤魔化しをする自分が作っている、“素の自分”に対する認識です。

少しわかりにくいかもしれませんが、「素の自分が嫌い、性格が悪い」と思っている自分が本来の素の自分の可能性が高いです。

私達人間は何人もの自分を内包して生きています。思考によって“意識”を見出せることで、多重人格とは別の認識として複数の自分が表れます。

どの自分がどう認識しているかが自分の見極めに大切です。

素の自分を見極める方法の一つになるのが、本気で思っている認識の基を探すことです。

この場合では、「素の自分が嫌い、性格が悪い」と本気で思っていれば、「独りが前提の世の中を貫こうとする自由な自分」という具合の作り物に違和感を感じている認識の基がいます。

その人が素の自分です。

現状を誤魔化す自分が作る素の自分、どちらも素ではなく、現状の反発によって素の自分が嫌う作り物の“素の自分”は、より本来の姿から遠ざかります。

良い人のお面を被る自分が作る自分、それは現状の反発と願望と欲をいっぱいいっぱい詰め込んだぬいぐるみチャック付き、仮面を通りこしてディズニーシーで働く勢いです。

そりゃ嫌いと。

このことから、素の自分が嫌いで、自分のことを性格が悪いと認めている人は、素の自分に近い状態と考えられます。

少し俯瞰的に見る認識があり、どれが偽物かどうかの見極めが上手だと思います。

後は、素の自分とは何かを知ることが大切になりますので、先の内容が参考になれば幸いです。

※本当の自分がわからない話は、本当の自分がわからない時のより大切な話│一つの彷徨いは無限への始まり をご覧ください。

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素の自分が嫌われる時に知りたいこと

素の自分とは何者かを知る

素の自分、ありのまま、本当の自分…呼び方はさまざまにありますが、素の自分とはそのまま、ありのまま、飾り気のない自然な様というニュアンスが強いと思います。

素の自分とは作るものではなく、作らないことで表れる自分です。

他者との関わりにて自らの在り方を貫くことは、目の前に居る人を否定し、拒否し、変えさせること。または存在を無視し、認めず、敬わないことです。

「これが私の素」と言いながら人との関わりで貫くことは、意識がなくとも、“素の自分”というものを作っています。

素の自分とは作らないことで表れるそのままの自分ですので、環境や状況によって自然と変わります。変わらないのは認識する大元の意識のみです。

人が居なければ自分だけの素になり、人が居れば人前での素となり、それが友人であれば別の素、恋人であれば別の素、家族であれば別の素と変わり続けます。

力の抜けたユラ風のように、人や場所、環境や状況によって変わる、作らない自分が素です。

もちろん、自分独りのみの環境であれば変わることはなく、無人島であれば無人島の素があり、ジャングルであればジャングルでの素、都心であれば都心での素の自分があります。

 

素の自分は嫌われない

素の自分は、冒頭のタイプ『②複数で居る前提の素の自分』に該当します。

理由はとても簡単に、私達は無人島やジャングルで暮らしておらず、人と人が関わり合う社会を選んで生きているからです。

自動販売機でジュースを買うことですら、ジュースをわざわざ運んで補充する人がいて、ジュースを作る人がいて、みかんを採り、絞り、機会にぶち込み、化学薬品を調合し、研究する人がいて、たくさんの人が常に関わることで成り立つ社会環境があります。

社会制度を利用し、社会基盤を使用し、環境があり、設備があり、ルールがあり、法律がありと、人との関わりが前提の環境を選んでいる上では、複数で居ることを踏まえた認識が自然です。

素の自分であれば嫌われることはほとんどなく、妬みや嫉みなどの嫌う側の問題に限られます。

素の自分で居られればですが…。

 

素の自分は人によって変化できる柔軟性と許容がある

素の自分で居ることはとても難しいです。そのために人は演技して自らを偽り、演じ、護ります。

我慢絶対主義を押し付けられれば、まるで我慢が悪のように思い込んでしまうのも無理はありません。反発は物事の理解を逸脱させます。

人との関わりにて自らの在り方を貫かないことは、頑固さ、執着、正当化意識、支配欲、承認欲求、エゴなどなど、自らを主張し、肯定を求める状態を終えています。

柔軟で素直、許容と俯瞰性によって変化を受け入れられる人です。

これは八方美人とは天と地の差がある変化でして、人が変われば叱ったり怒ったり、悲しんだり泣いたりと自己表現に抑制をしない自然な変化が素です。

体裁や見栄、他者の評価や価値概念に執着し、良い顔を使い分ける演技とは真逆の様です。

人や場所や状況などに対して、柔軟に自らが変わることを受け入れられることで素の自分となり、素であることから我慢やストレスや偽りはありません。

自らの居る場所・環境・人・自分自身をしっかり認識し、そのままを許容する人間としての認識力と俯瞰性があります。

それを敬い、または愛とも言います。

環境を敬い、人を敬い、自分を敬うことで素の自分を作らずに表し、ありのままに過ごします。

敬いがあることで起きるのは、自分だけでなく他(場所や人)のことを考える在り方です。

嫌われません、好かれます。

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素の自分が嫌われる時に知りたいこと

最後に、対処法として役立つ(ことを願う)内容をお伝えして終了します。

素の自分とは、そのまま、ありのまま、本当の自分、自然体と、何だか良さげな匂いを香らせてくるような気がします。

ですが、素の自分には良いも悪いもありません。

嫌な奴が目の前に居たら、「コノヤロー、ドゴーン」と大砲一発ブチかますくらいの勢いです。

そんな人もいますよねーと、レアケースもありますが、人によって在り方を変えられる人間性には固着や執着がありません。

素の自分とはなろうとするものではなく、経験と知恵によって育む人間性であり人格です。

素の自分は作るものでも探すものでもなく、経験によって自然と見出される人間味という具合です。

そのため、嫌われる時に大切なことは素の自分を作らないこと、作っている自分を自覚すること。

そして、素の自分を表すための人間味を知ることです。

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人間味を知ることで素の自分が育まれる

変化に柔軟に対応できることは、人間としての認識や理解を物語ります。

極端ですが、虫のように環境が変わっても自分の在り方を変えなければ、絶滅ドーン。または、長い年月をかけて尻尾をピロッと生やす的な変化がやっとです。

動物になれば少し柔軟性が増し、集団性や権威性、感情を使用した逃避策など、生きる術や変化対応が出て来ます。

虫のように本能に近付けば近付くほどに生き方が決まったものに形作られ、生存本能と防衛本能に基づいて生きていきます。

そこに人間味を付け加えることは、環境を認識し、情報を入手して取捨選択するだけでなく、環境を踏まえた上での自分の在り方を見出します。

それが、環境や他者との関わりの理解であり俯瞰性、変化を受け入れる許容です。

思考のみならず、心や気持ちの感受も含め、感謝や敬いの気持ちを使用することが人間にはできます。

感謝する気持ちがあることで、社会環境に居る前提を当たり前とないがしろにせず、自分を存在させてくれる事実を忘れずに理解し、裸の王様にならずに物事を見る目を持ちます。

敬いがあることで人との関わりにて素直さや許容力を育み、主張して我を通すことの意味がわかります。

我を通すことが悪いのではなく、意味を理解することで選択肢が増え、認識の幅が広がり、俯瞰して物事を見る許容力となります。

このように人間として育める認識を増やすためには、経験と知恵が必要となり、結果として場所や人のことを考える素の自分が表れます。

もし、場所や人のことは考えられなくても、自分を敬うことで固執や過去の記憶に留まらない素の自分が表れます。

自分を敬う認識があれば、人から嫌われる際の対処が見えてきます。嫌われても我を貫くのであれば、それが自分のためか確認すればわかります。

それで良ければそれが自分にとってです。何も悪いことはありません。
それで良くなければ敬いの意味を知る行動に向かったり、より認識を広げて許容や俯瞰を育む経験が自分のためになります。

素の自分で嫌われる場合には、経験を増やすことや、より柔軟で物事に固執しないことが大切となり、より大きな世界を知るように認識を広げることで、全く違う世界を見るように新しい自分が表れることと思います。

※どこでも嫌われる話は、どこに行っても嫌われることが辛い時│人相とエネルギーに改善の道 をご覧ください。

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素の自分を出すと嫌われる まとめ

素の自分を出す恐れがある場合に、何か役立つ知識となることを願います。

ここでの内容にてわかる最も大切な理解は、「素の自分とはこういうものだ」というルール化の概念がないことです。

素の自分とは自分そのものです。そのため、常に移り行くように変わり続けます。

過去の記憶の集大成として、私達は一人一人歴史を持ち、記憶の構築から価値観や観念や認識を作り、存在します。

人によっては真面目な人になろうとしますが、人によってはふざけた人になろうとします。みんなバラバラです。

過去のさまざまな記憶によって表れる“全結果”が今の自分です。

そのため、常に出来事があり、人と関わり、新しい知識を得て、経験をし、理解を育む以上は変わり続けます。

成長する意志を持ち、変化を拒まずにありのままに物事を見て、感じて、考えて、想う。

そんな様が素の自分であり、拒否をなくした自然な状態の時に、素の自分は常に目の前に居ることに気付かれるかもしれません。

素の自分を認識する日のために、良いも悪いも経験と記憶になると理解される内容であれば幸いです。

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