『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※本気で人生を変える方専用。
見下しは生存維持方法、手放せない。
プライドを強め、自分を正当化し、防衛を図りながら脳を接待する意識、「エゴ」
エゴは安息という空想を得るために、キラキラのグミを脳にばら撒き、上下に差を作った自己世界に甘んじます。
さぁ、思う存分人を見下し、優越を感じ、承認欲求を満たすぞ。
一体どんな育ちをするとこうなるのか、気になるところです。
ここでは、人を見下す人の育ち、そこに潜む「育っていない」という事実に迫ります。
- 人を見下すの人の特徴的な育ちを知りたい
- 人を見下すメンタル構造を理解したい
見下すに至った背景にはどういったプロセスがあるのか。
エゴを知る材料そのものとなりますので、人間構造を知る一つの考え方となれば幸いです。
Contents
人を見下す人の育ち
人を見下す人のタイプ
人を見下す人には目的の違いがありますので、二つのタイプに分けたいと思います。
- 無礼な見下し
…人を劣等させて自らを優越させる蔑み、礼儀がない、マウント、意図的な罵り、軽蔑、偉そう - 無礼のない見下し
…自らを劣等させないための比較探し、マウントなし、軽蔑なし、やめたい意識あり
タイプの違いは、下に見るだけでなく蔑む気持ちがあるかないかです。
②無礼のない見下しとは、蔑みや軽蔑はない状態で、比較して“下”を見出す在り方です。
①は人への尊重や礼儀がない見下し、下に対する横柄で軽蔑した態度が表れます。
ここでメインにお伝えする対象は、①無礼な見下しタイプです。
「あの人の仕事に比べれば私は良い」「この人には負けてない(勝ってる)」と蔑みや軽蔑のない比較にて、自分の現状を否定しないように保持するのは多かれ少なかれ誰しもにある認識です。
この内容に上記の見下しは含めていません。
育ちの着目ポイント:「自分のことを自分で認められない」
見下す人のメンタルで顕著な点は、自己肯定を自分でできないことだと考えられます。
「自分のことを自分で認められない」
人を見下す人は認められない範囲が広大です。
誰しも認められない部分を持っていますが、自己肯定感が低く、自信がなく、自己受容できず、他者のことも肯定できず、正しく評価や判断できず、なにより自分を愛せない。
誰かが自分の在り方を認めてくれなければ心がガタガタし、周りが気になり、心配性、大衆従順、不安が多く、危惧を抱きます。
怖れをなくすために他者と比較して、上下・優劣・勝負と差を見出すことで自らの存在証明を成そうとします。
排他的に相手を蔑み馬鹿にすることが重要であり、下手に出ながら内心見下すなどの小賢しい手も含めて、相手を劣等させて自分が上になった錯覚ができ、自分の存在や価値を認めたように思い込めます。
人を見下すのは生存戦略であり、「自分を認められない」が育ちの着目点になります。
それでは具体的に見ていきましょう。
人を見下す人の特徴的な育ち5選
1,周囲が本人の代わりに何もかも認める
「おのれら愚民どもより優れているのだ、あっはっは」
過大評価した自己像がないと生きている意味を見失う人には、周囲が本人の責任を代わりに持ちすぎる育ちが考えられます。
「あなたは可愛いから他より優れているよ」
「こんなに勉強できて、みんなより凄いのは明確ね」
「あなたは生まれた時から勝ち組だから、将来はお医者様」
子供同士の喧嘩に親が出てきて、解決だかなんだか知らない結果を勝手に作るなんてのが典型例です。
親に人生のレールを敷かれ、思うままに支配される私物化の策略でもあります。
甘やかしとは違い、本人の意思の無尊重、自分の意見を持つのが難しくなります。
一方、嫌なことと向き合わずに済む楽で怠惰な道になり、言われたようにしていれば何も困らず、何をするべきか従うだけの生かされる道。
本人は認めることを知らずに育つため責任を持てず、失敗は誰かのせいにするか、親によしよししてもらいます。
この育ちは自己肯定感を他者に見出してもらう、そんなトンチンカンが起こります。
ご飯を代わりに食べてもらって、「あぁお腹いっぱい」と同じ。
現実を見れないだけでなく、「私は喜んでいる」という思い込みが必要になります。
年齢を重ねるごとに見栄が強まり、ネガティブプライドを高めて自信満々という脳の誤魔化しが露呈し、空虚を隠すための自意識過剰によって自分を上だと思ってやみません。
自らの存在を自らで認めることを知らずに育つと、他者を見下して馬鹿にしてマウントを取ることで認めようとします。
2,誰にも認めてもらえない
上記の育ちとは一変して、誰にも認めてもらえない環境で育つ人もいます。
「私は認められた」と本人が自覚できなければ認められていないと同じですので、認めてもらえたと思えない育ち、自らを認めるチャンスを壊される育ちとも言えます。
日本は表現を隠す傾向があるので、親など周囲は認めているつもりでも、そう本人に認識されていなかったりします。
例えば、親が愛していると伝えないので、愛されていると思ったことがない、なんて具合です。
誰からも肯定されず、評価されず、テストで高得点とっても、「そんなんで喜ぶな」と悲観的に一蹴。
これによってメンタル影響が起こります。
自らを認めるチャンスが壊される環境で育つと…
- 他者承認欲求が強まる
- 周囲への不信感が強まる
- 劣等感コンプレックスが強まる
- 自らを保つために他者に執着したくなる
- 干渉が増え、余計なお節介や一言を自制できない
- 権利や支配を欲し、自分の地位や立場向上を欲する
- 社会性をバックアップに、「私は正しい、間違っていない」と思ってやまない
「めんどくさい、うざい、迷惑」と周囲に思われることが増え、それではなおのこと存在が希薄になり、無価値感を味わう。
それは嫌だ、しかし自分ではなにもできない。
結果、こびへつらって人の下手に出ながら密かに見下したり、拒否されないように強気で傲慢なマウントを取るような両極端なアプローチになります。
※人のせいにする人の育ちについては、【選択権のはく奪】人のせいにする人の育ちは完全に矛盾 をどうぞ。
3,信用できない人ばかり
周囲を信じられない環境で育つと、自分を信じられなくなります。
人を信じるとは、その信じる気持ちを持つ自分に責任を持って受け入れる行為であるため、信じられる人が周囲にいないと自分を大切だと思えなくなる可能性があります。
例えば、仮面親子、誤魔化しや嘘の多い環境、上っ面で取り繕う家族間で育つ。
疑心を生みやすく、人の目を気にして、自分がどう思われているか詮索するようになり、常にキョロキョロ。
気付かれないように周囲を詮索するようになり、姑息で臆病なメンタルを構築。
疑心によってずる賢くなり、嫉妬しやすくなり、目の下にクマができ、怖がりで、不安になりやすい。
どうにか恐れをなくしたい折、人を見下したら安息感があると経験し、宝物を見つけたように嬉しくなります。
子供のような状態であるほど自分のことだけを考え、自己利益にフォーカスし、安息を得るために無意識に人を好んで見下し、自覚すらなくなります。
※人を見下す人の末路は、【やめられない幻想】人を小馬鹿にする人の末路&危険性 をご覧ください。
4,生活に困らない
実生活における苦労知らずな育ちです。
人を見下す人は、他を下にして自らが上になる縮図で安息という蜜を得ます。
例えば、大学に行ったから大学に行っていない人を馬鹿にする、お金持ち家庭に生まれたから貧乏家庭を見下す。
生活に困らないで育った人は、自力で物事を考えたり生活の工夫をする必要が少なく、おおよそ親がやってくれたで終わり。
待っていればレストランのように食事が出てきて、学校に行きたければ学費だけでなく遊ぶお金すら払ってもらう。
経験値が少ない以上に着目したいのが、忍耐力のなさ、弱さです。
※嫌々の我慢ではなく、認めた上での我慢が忍耐力になります。
忍耐力がないと意思も意志もなく、物事の道理や意味を自分なりに考える機会も少なく、誰かに従うベースで自分を認める力を育てにくくなります。
何不自由なく生活できることは大切ですが、日常生活での免疫や困難を乗り越える経験が少ないと、嫌なことや不都合な現実と向き合う力が育ちません。
この結果、平和ボケで危機感がなくなり、調子に乗りやすくなります。
何かあった時に一歩も二歩も出遅れ、不安や恐怖心と対峙する抗体がなく、なんでもかんでも薬に頼り、医者に質問や異議すら唱えない不思議なことが起こります。
「他は他、知ったことではない」と物事を投影して見れなくなり、人の気持ちがわからず思い込みや決め付けが増え、無思考に陥りながら気づかなくなります。
生活面での無思考は一方でメンタルに平和がなくなり、心の平穏を自らで作れなくなり、モノや人やルールなどの“他”に執着するか依存するかになります。
人に執着する結果、人を見下すさまが激化します。
5,気を使う家庭
人を見下す理由の一つと考えられるのが、暇の扱い知らずです。
無知、認識力のなさ、経験値と記憶の少なさ、クリエイティビティの乏しさ、物事を理解して変化する気がないことを意味します。
「暇だから刺激が欲しい(嫌な感情に耐える力がなく、刺激を自ら作ることもできない、だから誰かに執着してこの空虚を何とかして欲しい)」
『本気』を知らないことがこの原因と考えられます。
親など周囲に気を使い、顔色を伺う頻度が高いと本気がわからなくなります。
気を使い、他人として仮面を被り、時に接待やご機嫌取りすらする、まるで心を露にできない。
無邪気になれない、自由にできない環境は、親への恐れを始め、不信感、猜疑心、心の開き方がわからない、交流の仕方がわからない。
自信がない、何をやっても満足感がない、自分が抑えつけられながら嫌々我慢できなくもない、仮面を被って取り繕って対処完了。
責任が育まれていないことで他への執着へ向かい、刺激を欲するために干渉し、気を使って人の言動を気にし続けた結果、人の欠点や汚点を握る着眼ができ、人を見下しやすくなります。
以上が、人を見下す人の育ちでした。
※見下す人をこらしめる方法は、嫌いな人をこらしめる方法パート①【対象:動物的人間】をご覧ください。
【育ちの要約】人を見下す人は「精神が成長せず、エゴが成長した」
育ちの着目点:「精神が成長していない」
人を見下す人の育ちから、これまでの人生形成を一文にまとめます。
自分のことを自分で認められない育ちによって、見栄・防衛・自意識が過剰化し、正当化と他者承認欲求が強まり、忍耐力がないのでコンプレックスなど嫌なことと向き合えず、嘘と誤魔化しによる逃避と刺激欲求にて人の欠点を見る癖が増え、不安と恐怖の対処のために徹底的に他者に執着する。
嫌なものと向き合えない、自力でなんとかできない、認めてほしい、私はすごいの、偉いの、正しいの。
起こった出来事が嬉しくても嫌でも現実は現実ですが、自己都合によって現実を変えるとまるで自分を中心にこの世が回っている子供ワンダーランドに留まります。
「あ、あの子、まだあそこで遊んでる」
物事をそのまま見れないことは、現実に対する理解が乏しく、調整や改善ができず、自分を変えられないだけでなく、自分を変えるという考えになりません。
自己コントロールが全くない状態でして、子供と同じ精神未熟と言えるかもしれません。
精神未熟のまま育つと、自己中心でありながら自覚がなく、感情と欲求を自制できず、納得いかないと言動を抑えられなくなり、自分の機嫌を取れなくなります。
認識が自己都合であるために嫌なことと向き合えず、本当は駄々をこねてスーパーの床で暴れたい。
しかし、社会性が既に入っているので、嘘や誤魔化しを多用して自分を偽り、周囲を気にして外側をとにかく取り繕います。
自己コントロールできないので結局人を見下したり、排他して不平不満を解消しようとします。
自分が悪いのに怒られたことに納得いかない子供がお皿をわざと割る、の肉体サイズ拡大パターン+社会性が人の見下し、マウントなんて具合です。
※成長しない人の詳細は、精神的に成長しない人の特徴は一つ。精神的に成長する方法も一つ をどうぞ。
メンタルの着目点:「エゴが成長した」
精神は成長していなくても、大きく成長しているのがエゴです。
エゴは他によって自らを認めようとする意識。
※執着の原型
困らない生活、帰る家があり、家には食べるものがあり、なおかつレストランのように食事が出てくる。
さらに信用できず、気を使う人々との生活によって、感謝や思いやり、調和や尊重の気持ちにはならず、心を開かず疑いながら得られる利益だけ得る環境。
昔の人は「働かざるもの食うべからず」と言っていましたが、ただ座っていれば食事が出て、呼吸していれば何不自由なく生存できる環境は、自分のしていることを自分で見つめ、考え、理解する工程がゴッソリ抜けます。
一方、疑心を膨らませることで嘘の付き方、人の裏の顔の見方、姑息な手の使い方、臆病を隠しながら偉そうにするなど、誤魔化し方を学びます。
全てエゴ。
エゴは自己防衛のためにも重要な意識として知られており、代表的なのは他との比較、見栄や正当化、他者承認欲求や支配欲、嘘や誤魔化しなど、他によって自らを認める在り方。
人を見下す人の育ちはエゴを大きく成長させ、自己防衛を激化させて不安と恐怖を徹底的に誤魔化し、現実と向き合わないように対処します。
エゴの成長は、自分(正確には脳への植え付け)にとって多大な防衛という現実逃避を成し遂げ、一方で自分を空っぽのすっからかんにします(それも気づかないようにする)。
「あなた」である必要も材料もなく、名前がなくなれば誰だかわからない状態になりかねません。
周囲が認めないと誰だかわかりません。
なので今日も見下す、それが生存維持方法なのだから、という考え方でした。
※誰しもが行っている見下しについては、【人を見下してしまうのをやめたい】無意識に潜む解決策。をご覧ください。
まとめ:人を見下す人の育ち
虚しき生存維持方法となる見下し。
過去の私はよく見下していましたが、明確に大切なものではありません。
精神未熟なままエゴが育つと心に穏やかさがなくなり、不安と恐怖に怯えて自力でなにもできなくなってしまいます。
私がアラスカの森で住んでいた際に熊に襲われ、地震かのごとくガタガタ震えることしかできなかったのと似ています。
これが日常で起こっているような状態ですので、恐ろしくて人と関わるのも話すのも、外を出歩くのも嫌になります。
それを回避するためにも強引にもがくさまは本来の力の抑圧を表し、真に能力発揮されていない(経験値が自分のためになっていない)状態です。
何が何でも不利益回避するその力、真に自分のために使えればどれほどの能力になることでしょう。
エゴが強い人は内部構造が一貫していると考えられ、とにかく勇気がなくてプライドが高い、表面の取り繕いは一人前で誤魔化しと正当化意識が強いです。
自己演舞を繰り広げていると思えばそれまでですので、不安と恐怖に弱い内部構造を知っていただいて、ソーっと離れるきっかけの一つになればと思います。
そんな考え方がご参考になれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。