対処・解消法

【人を見下してしまうのをやめたい】無意識に潜む解決策。

悪い印象のある見下す行為ですが、実際に偉そうにしたり、馬鹿にしたり、人を蔑み非難したり、攻撃的に利益を得るとは違う見下しがあります。

自らを持ち上げ、安心する。

自分より下がいると確認し、不安を対処する。

そんな見下しは、「どこかで人を見下してしまう」と無意識。

ここでは、無意識に人を見下す癖があり、やめたいと思う時に知っておきたいことをお伝えします。

  • 人を見下す心理とは?
  • 人を見下すのはなぜ?
  • 人を見下す意味を知る体験談とは?
  • 人を見下すのをやめる方法は?

これらを紐解き、人を見下すのをやめたい時の解決策を知っていただく内容となっております。

私自身、人を見下す無意識の認識があり、「見下す行為の意味」を知る体験によって、見下すことは悪いのではなく、ある状態だと理解しました。

人を見下す認識に潜む自己理解がありますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

人を見下すのをやめたい

人を見下すのをやめたいと思う心理

私達はふとした時に人を見下します。見下さないのは他人に興味が一切ない人か、神様のような人だと思います。

気づくか気づかないかの違いがありますが、上下に区分けして良悪・優劣・正否で評価判断する観念があれば、意識していなくてもいつの間にか見下してしたりします。

スーパーに入った時、社会の常識や価値観が頭の中をグルグル巡り、「アルバイトより社員の自分の方が評価が高い」などと考え、見た瞬間に見下している人もいます。

人によっては、「自分が上なのは当たり前」と思う人もおり、見下すことに違和感がない人もいます。

人によっては、「自分が下なのは当たり前」と思う人もおり、人を過剰評価してヘコヘコする人は見下しもします。

人によっては、見下している自覚がない人もおり、「結婚しないの?!結婚できそうなのにねぇ」と言った時、社会的な価値観によって人を上下区分けして、上から物を言っていると気づかない人もいます。

[人を見下す=自分を認められない、相手を認められない]状態です。

 

見下すのをやめたい人は自分を知らないことに違和感がある

自分自身を認めるためにも、他との比較、社会的価値観が重要ツールとなり、「私はこの人より優れている、劣っている」「成績が良い、悪い」「仕事ができる、できない」「顔が良い、悪い」「世間的に善、悪」

他と比較して、情報と照合して、自分を見出します。

自分で自分を認められない現状がありながら、認めたい欲を持つことで、人を見下して自分を認められる材料を探します。

ここに違和感がなければやめたいとは思いません。

やめたいと思う人には違和感があり、自らを自らで認めたい、自分を知りたいという真意があると考えられます。

 

人を見下してしまう心理

人を見下す行為には二つの種類があり、見下す目的が人によって変わります。

人を見下す人のタイプ
  1. 他を蔑むための見下し
  2. 自らを護るための見下し

見下す行為は、「なんのために比較するのか?」の答えによって中身が変わります。

 

①他を蔑むための見下し

他を下げ、自を上げるための優劣比較。

他を下げるために比較する目的があり、下げれば下げるほどに目的が達成できるので、他を蔑み、馬鹿にし、否定し、非難し、攻撃します。

大きな特徴は、他を下げるのが目的の主体であり、後付けとして結果的に自分の利益になります。

他を蔑むと自分の価値や存在意義が上がり、自己評価が高まると思っています。

「ダメだ、仕事ができない、下だ」などと非難する目的が主体。悪意を持って明確に相手を見下します。

「見下してしまう」「やめたい」と思うことはなく、見下す行為をする自分を認めている特徴があります。

やめる理由がどこにもない状態。

他を下げるのがとにかく目的であるため、自分へのフォーカスが弱く、自らには既に偉大な価値や存在意義があり、自己評価は高いと思い込みたい心理があります。

幼少期から苦労がなかったり、努力しなくても他から肯定される能力や容姿があったり、周囲から異様に肯定されたり、自己評価を自ら高めるのではなく、高いものだと刷り込まれた経験があると考えられます。

自分がないにもかかわらず、ないとは気づきにくくなる心理です。

敵を作り続けておきながら変化できないので、厳しい末路を作るタイプです。

 

②自らを護るために見下す

「見下してしまう」と思う場合はこのタイプと考えられます。

自分が下ではないと思うために比較する見下しです。

他と比較する目的は、他を下げる以上に自分を護るため

上記の心理とは真逆、自分へのフォーカスが強い特徴があります。

自分がありながら抑圧・支配し、本来の自分がギュウギュウと抑えつけられると、自己評価が低くなり自信がなくなり、人によっては自己否定します。

他と比較すると、「自分は優れてはいないけどこの人より劣っていないんだ」と認識できるので、安心感を得る、または不安をなくす対処となります。

明確に認めている自分がどこかにいながら、現状は認めない別の自分が自己支配しているイメージです。

この別の自分を私はエゴと言っています。

エゴは自らを護るために働いてくれます。

人を見下す行為には他への着眼はあまりなく、自らの不安や恐怖を拭うためのフォーカスがほとんどです。

自分があるのに認められないと不安や恐怖を作ってしまうため、人を見下すことで対処し、自己評価がそれ以上下がるのをストップ。自分を護る行為です。

 

人を見下してしまう原因は「欲」

「~してしまう」と思う場合、自らの行為を認めていない表れとなり、自らを護るために人を見下すタイプは、自分を認められない時に見下すと考えられます。

これは一時的にも発生し、周囲の関わる人によっても変わります。

例えば、周囲が尊重してくれる人ばかりであれば、自らを認めやすい環境となり、心に余裕ができて人を見下さなくなります。

しかし、「今日は素敵な友達と遊んで楽しかったのに、家に帰ったら旦那に嫌なことを言われた」となった時に、自分を認めていない状態になり、ふとテレビを観た時に見下していたりします。

田舎にいて普段は人を見下さないのに、都会に遊びに行って自分より綺麗で優れた人ばかり目の当たりにすると、急に人を見下したくなったりします。

自らを護るための見下しは、相手への着眼がほとんどないので、見下す時のフォーカスは自分自身です。

人を見下す原因と考えられるのは、「自分を認めたい欲」です。

 

自分を認めたいのは自己愛が強いため

自分を認められなくなると自己否定、自己評価を下げ、自信がなくなり、罪悪感を感じ、不安や恐怖を認識しようとします。

自己愛が強ければ強いほどに自分へのフォーカスが強くなり、認めたい欲が強まります

自己愛が強いと自己中心性が表れ、自分を中心にして周囲の人々が存在する認識になります。

「嫌なことは早く解消したい、喜びが欲しい」と認められない状態があると欲に集中し、周囲に自分より下だと思える何かがあると見下します。

自分のための行為なので見下しても他へのフォーカスはなく、悪意もありません。

しかし、他を利用していると捉えることもできるため、罪悪感を感じる人もいます。

※人と比べる心理は、【人と比べてしまう原因と心理はシンプル】比較は常識。癖は選択 をどうぞ。

 

人を見下すのをやめる方法

人を見下すのをやめるポイント

自己愛とは自らを大切にするために必要なもので、強まれば強まるほど欲を見出して喜ぼうとし、嫌なことに対して心地悪さを感じて拒否感が強まります。

「どうして自己愛があるだけでなく強いのか?」への答えが重要となり、人を見下すのをやめるポイントになります。

満たされていないためと考えられます。

  • 常に満たされていない場合には、常に人を見下す
  • 時と場合によって一時的に満たされなくなれば、一時的に人を見下す

人それぞれに満たされない状況があり、満たされない原因は心理である自分を認められない何かです。

何かとは、コンプレックス、悪いと思う性格、否定したくなる現状、肯定できない能力に才能、受け入れていない価値観、観念、人間性、記憶…。

自分を認められない点が多い場合、自己受容のなさが関係します。

過去の記憶も含めて、自らを受け入れていない点があればあるほど、自己受容がありません。

自己受容がないと自己愛は抑圧されますが、気質であり人間性であるために抑えることはできず、自己抑制や自己支配に対する反発として、自己愛は強まり欲へのフォーカスを強めます。

自己受容のなさには、自らを解放できない縛りがあると考えられます。

 

縛りを解くと人を見下さなくなっていく

縛りは価値観や観念であることが多く、行動や思考を作る基となっているルールがあります。

明確な縛りとなっているのは、「人を見下してはいけない」というルールです。

自らを護るタイプは、縛りをなくすと見下さなくなっていきます。

縛りの主体となっているが無知です。

自分を知る大切さがあり、自己理解は自ら深めようとする動機と意志によって深まります。

例えば、世間的なおすすめ本を読む以上に、身近な人からすすめられた本を読む。さらに自らが読みたいと思った本を読むと、比べものにならないくらい理解が深まり、自分のためになります。

意志の有無は自分の有無です。

 

人を見下す意味を知る体験談

これまでの話をわかりやすくするためにも、自らの縛りと人を見下す意味を知った体験をご覧ください。

私が都内で会社員だった時です。

当時海外に行ったことがなく、旅行の何が楽しいのかわからなかったので、いろいろな人に海外や旅行の楽しさを意見として聞いていました。

会社で関わる全員に聞いており、どの答えも、「ふーん、わからないけどこの人にとっては楽しいんだろうなぁ」というフワフワしたものでした。

そんな中、同僚の一人に海外旅行が好きなおばちゃんがおり、返ってきた答えがとてもしっくりしました。

「どうしてわざわざ海外に旅行するんですか?」

「私は海外って言っても東南アジアしか行かない、タイとかは毎月行くよ」

「なぜ東南アジア?好きなものがあるんですか?」

「東南アジアの街とか歩いてるじゃん、日本人ってだけで鼻高々なんよ。ヨーロッパ歩いてもあんな気分にはならないね」

はっ!とした瞬間でした。

「この人は国の区分けによって東南アジアを見下しているんだ」と。

「どこかで見下してしまってるんだろうね、あまり大きな声では言えないけどね」と自覚がある人でした。

初めて理解できる答えを聞いた瞬間でした。

その後、私が海外旅をした時にこの真意がわかりました。

 

心のどこかで人を見下している自分は国によって違った

旅では、国によって無意識に人を見下している自分を幾度と見ました。

東南アジア、おばちゃんが言っていたように、私はどこか安心して鼻高々に歩いていました。

「タイは微笑みの国、みんな素敵な人達だから、歩いていて気楽で心地良いなぁ」

違う。

「国として日本より下だと思う価値観があるから、不安がなくなって安心している」

これが答えでした。

 

自分がないと人を見下す

東南アジアでは、自分の持っている価値観が空虚であるとはっきり痛感しました。

自分の持っている価値観や常識やルールをしっかり自己理解していないと、自らを認められず、無意識に人を見下し始めます。

例えば、タイで安心して鼻高々だったのは、タイが日本より下だという価値観がありながら、そのルールを自己理解していない空虚なものだったからです。

実際にタイに行って、人々と関わり、暮らし、タイという国を知る経験をするまでは自己理解はなく、価値観は外側を土で固めたはりぼて、空虚そのものでした。

そんな価値観に従っている行為そのものが自己抑制となり、空虚な自分を認めたいとは思わず、自己防衛が働き自分を護るために人を見下します。

無知は人を見下し、自らを護ろうとします。

 

意志がなくなると人を見下す

国によって変わりました。西ヨーロッパ、アフリカ、特にドイツに言った際は顕著でした。

無意識に見下している自分がおり、どうしてか考えます。

比較するのは無知だから。その場の環境を知らないのが一つの理由ですが、それ以上に自らを認められない影響が強いからでした。

「心地悪い、ここにいたくない、不安」

これらは全て意志がなくなっている状態です。
※意志とは自らを喜ばす気持ちであり覚悟

いたくないと思えば、不安が表れれば、意志がないのでその場にいる自分を認められなくなります。

ドイツにいる意味すらなくなるとますます認められなくなり、認めるための行動は価値観を変えるかその場を離れるかでした。

人を見下す行為には、自己理解を深める大切さを教えてくれる意味があるのだと思います。

※自分を認めるための詳細は、【自分を認められない苦しさは心のサイン】認めるのが難しい時の自己理解 をどうぞ。

 

人を見下すのをやめる方法

人を見下さないためには、自らを認める(認められない原因を解消する)のが最も重要と考えます。

「人を見下してしまう」と思うのをやめるのが、人を見下さなくするための一歩目です。

私達は全知全能の神ではありません。なにかしら認め難い点はあり、普段の環境では認められても、時と場合や環境が変われば認めにくくなります。

認められるようになるために、欲を知り、執着を知り、無知をなくしていきます。

自分を知る過程では、あらゆる自己評価のスタックが表れ、自己否定、自信のなさ、自己受容のなさ、または思い込みによるこれらの過剰状態、周りが見えていない、自分を知らない無知があります。

誰しも無知だからこそ日々経験し、物事を理解していき、自分を知るために努力するのだと思います。

認められる自分になるためにも自己愛を認め、自己中心性有無を知ると、ご自身のためとなりやめる方法になります。

 

自分へのフォーカスを緩めて他者を知ると見下す頻度が減る

少しずつ自らを認めていくと、自己愛の強さは緩和され、心に余裕ができます。

自己中心性が弱まり、自分への強いフォーカス状態から俯瞰していきます。

自分から離れる、または自分を広げる状態になり、他者をしっかり認識することで人を見下す頻度が減ります。

反対に、他者を認識すると自分を認めやすくもなり、人を見下す頻度を減らす方法になります。

  1. 自分を認めて、他者を認識する方法
  2. 他者を認識して、自分を認める方法

例えば、自己中心性があると他者に興味があると思っていても、実際には興味はなかったりします。

興味があるのは他者と関わることでの自分の納得や満足、不納得や不満足の解消。

「安心したい、心地悪くなりたくない、不安は嫌だ、罪悪感は嫌だ」と欲へのフォーカスが強くなると、他者を認識できなくなります。

自ら他者を知り、相手の気持ち、性格、考え方、相手目線で考え、配慮すると、他者を認識できます。

相手の利点や褒めポイントを見つけたり、相手側の目線で相手を知る行為が、人を見下す頻度を減らす方法です。

※人と比べるのをやめる方法は、【人と比べてしまうのをやめる】ポイントは1つ。方法は4つ。をご覧ください。

 

人を見下すのをやめたい まとめ

「認める」がキーワードとなる、人を見下すのをやめる方法。

[相手を認める=自分を認められる]
[自分を認める=相手を認められる]

入口はどちらでも、同じ効果があります。

認めるとは難しい行為です。道中には自己否定、自己評価の低さ、自信のなさがあり、自己抑圧に自己支配が潜みます。

誰しも完璧な人など存在しませんので、少しずつ認められるように行動し、経験を増やす成長を日々していきます。

これをできるのが人間の能力だと思います。

私自身、旅にて経験が増えたことで人を見下す頻度は減りましたが、状況や環境が変わればコロッと人を見下し始めます。

そんな自分を観察すると、人を見下すことを一つのサインにもできます。

「あ、あのおばあちゃん、腰が160度くらい曲がってる」

「今のって見下しかな?」と考えてみると、見下しているつもりはなくても、「真っ直ぐに健康的に歩いた方が良い」という空虚な自己理解のない価値観があるとわかり、無意識に良否判断で下にしているとわかります。

見下すとは無知。

物事は知ると進みます。空虚な価値観を知れば、自分でわかっていない見下しは一生しなくなります。

自己理解を深め、他者の認識を深めた時、本当の意味で相手を尊重する見方ができます。

「どうしてそうなったのか?」

人それぞれの努力の結晶があり、素敵な生き方があります。

人を知り、自分を知ることは楽しい時間です。ぜひ自己理解を深め、自らを認め、他者を認める育みをされてみてください。

そんな一助となれば幸いです。

それでは、人を見下すのをやめたい時のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

自己理解を深めて悩みを解決する個別相談。心理セラピストとのセッション。心理セラピストになる養成。
やる気を見出し、悩みを解決し、使命を得る機会があります。
現状打破と今後の飛躍。人生を変える選択の一つにされてください。

※あらゆる知恵の詳細。無料プレゼントのお受け取りはこちらからどうぞ。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です