スピリチュアル

『罪と恥と地獄』人を傷つけた人、苦しめた人の因果応報&末路

人を傷つけ、苦しめ、辛い想いをさせた時、喜びを感じ、罪を感じ、相手に怒りを生み出させ、恨みを買う。

買ったからには商品をピラッと開いてドンッ、はい爆弾。

責任を生み、波動を作り、意識を変え、等価性を働かせ、この世の原理を発動させる。

人を痛めた人はあらゆる物事を作り出しており、因果がまといます。

因果によってまるで人生が決まっていくように、行く末が一つに執着される門、その名を地獄。

この地獄、この世で人間としてではなく別物として生きることを意味します。

ここでは、人を傷つけ苦しめた人の因果の報いと末路をお伝えします。

  • 人を傷つけた(苦しめた)人の因果応報を知りたい
  • 人を傷つけた(苦しめた)人の末路を知りたい

因果はこの世の等価性を表す原理。

わかりにくいものですが確実に存在しますので、言語化にて理解を深めるご参考になれば幸いです。

※一部辛辣な表現が含まれておりますので、R20指定くらいで見極めをお願いいたします。

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人を傷つけた人、苦しめた人の因果応報

人を傷つけた人、苦しめた人の因果(カルマ)

いじめ、無視、攻撃、排他、悪口、悪意、利用、横取り、奪い取り、搾取、窃盗、騙し、嘘、誤魔化し…。

これらをコネコネして、オリャッと人に投げつけてやった。

嫌なことをされて傷つけられると、肉体が苦しみ、頭が辛く、心が痛み、精神が蝕まれます。

ネガティブな感情である悲しみ、苦しみ、辛さ、怖れ、憎しみ、恨みが生まれます

相手を許せない気持ちが湧き出ます。

自分の精神が穢されるほど強い反発や恐怖を覚えます。

そんな気持ちを味わわせ、辛い状況にさせてきた張本人がのうのうと生きているのは納得いかない。

「天の裁きを、鉄槌を脳天に食らわせ、脳内にネオニコを散布し、けつの穴からガンジス川の細菌を循環せしめし」と思うかもしれません。

そんな時に知りたいのは、人を傷つけた人に起きる因果応報です。

自ら蒔いた種は、自ら刈り取る時がくる。

悪行には悪行が、善行には善行の報いがあり、自らのしたことは自らに返って来る。

※詳しくは、因果応報とは何なのか?スピリチュアルには現実的な真理が潜む をご参照ください。

因果応報は仏教で説法され、インドには古くから輪廻転生と共に存在する考え方。

そんな因果応報は、等価性(質量・エネルギー)を表す自然の原理と言えます。

『自らの与えたものは、自らに等価の質量(またはエネルギー)として等しく与えられる』

「タダより高いものはない」と聞くように、等価性は自らの行為における意図・感情・思考・想いを、質量やエネルギーにて嘘偽りなく貰えば与え、与えれば貰います。

人を傷つけた人が与えた質量やエネルギーは、そのまま本人にも与えられます。

これによって因果応報物語が始まります。

 

因果応報の報いが始まる

与えたものの等価が返ってくる。

人を傷つけた時、怒りや悲しみや恨みのネガティブな気持ちを相手に作らせます。

作らせる材料を与えた意味となります。

いじめたり、エネルギーを奪ったり、手柄を横取りしたり、時間を奪ったり、騙したり、殴ったり、心を傷つけたり。

「嫌だ、認めたくない、拒否したい」と恐怖を抱える状態や状況や自分自身を作らされれば、全部本人に等価が返ります。

一体何がどうやって返るのか?

波動です。

※波動とは人の健康・心理・精神の状態や状況など、嘘偽りなく本人のさまを表すエネルギー

ネガティブで認めたくない自分を作らされた時の波動は、著しく低いエネルギーとなります

同じ質量の重み、汚れ、エネルギー振動数、幅、リズム、荒れ模様が、与えてきた本人にも与えられます。

波動の低下によって起きるのは、自分自身の拒否、心の閉じ。全て無自覚に起きます。

自分を認められなくなり、低くなればなるほど受け入れるとは真逆の拒絶へ向かい、自分を嫌い忌み憎しみもします。

自らを不幸にする道へ邁進します。

この波動を相手に作らせた時の自分自身が生み出す低い波動もあるため、人を傷つけると重く低い波動をダブルで背負い込むことになります

※悪口の因果応報は、【悪口を言うと鬼が来る】因果応報がもたらす末路は悪の沼 をご覧ください。

 

人を傷つけたのに因果応報がない?

この人、昔いじめっ子の悪いやつだった。

のに、なんだか幸せそう、ルンルン

一体どうなっているのか、因果応報も疑わしいものですね。

因果応報や等価性はこの世の原理であるため、外見ではわかりくいものもありますが確実に起きています。

等価性の仕組み上は低い波動を背負うことになりますが、波動が低かろうが自分を認められなかろうが、私達の住む外面社会ではいくらでも誤魔化しが効きます。

外側を装飾し、SNSでは幸せそうな顔をポストし、不安を対処できない共依存同士で契約という名の結託住まいを完了させ、孤独にならないように一時をしのぎ、現実から逃げ続けるアイテム、娯楽、他力環境に溢れます。

例えば、いじめた後すぐに別の人からいじめ返されるという因果応報があります。

素直な人であり、「大変なことをしてしまった、私は悪い人間なんだ、報いを受けなければ、謝らなければ」と思っている。

やってしまったことを認めていれば背負う低波動を認知できるため、そのまま等価性の返りを味わい、いじめたこと(因果)が、いじめられること(応報)で終了します。

問題は、罪悪も低波動も何もかもの自業を認めず、誤魔化す場合。

いじめたこと(因果)を認めず、現実を誤魔化したり他者のせいにしたり、見て見ぬふりをすることで、低波動は返る場所を失い彷徨いブクブク大きくなっていきます。

化け物の誕生ストーリーの始まりであり、映画が作れます。

現実や自分を拒否し続けることでさらに低波動を作ると、因果の応報はいじめられる同程度では済まなくなっていきます

低波動を溜め続け、一つの因果によって人生が壊れる可能性すらあり、悲惨な末路へ邁進します。

詳しく見ていきましょう。

 

人を傷つけた人、苦しめた人の末路

人を傷つけた人、苦しめた人の三つの末路

末路には分かれ道があります。

上述のいじめっ子が直ぐにいじめ返されて因果応報が完結する場合、辛い末路にはならないと考えられます。

人間は誰しも未熟で無知な存在ですので、失敗を繰り返しながら成長できます

因果の報いは大切な反省機会になり、二度と同じ過ちを犯さないためのお灸にも、進歩する材料にもなります。

辛い末路へ向かうのは、因果が直ぐに応報しない場合。

これを、「カルマが重い」と言います。

カルマが重い人には三つの道があります。

末路の三択
  1. 罪の意識
  2. 恥に苛まれる
  3. 人間無効化の地獄

一つずついきます。

 

末路①:罪の意識

一つ目は、罪の意識を背負い続ける末路です。

素直に、「やってしまった、傷つけた、許してもらえるかな、謝ろう」と現実を認め、「あなたのことを考えていなかった、自分のことしか見ていなかった」と自分を認めれば、因果は直ぐに応報して反省できます。

しかし、相手にしたことであるにもかかわらず、自分の利益だけを目的に認めようとする人がいます

「やってしまった、取り返しがつかない、許してもらえるはずがない、あぁもうどうしようもない、なんか許してくれてたりしないかなぁ」

自分がした行為、相手への影響などの現実を度外視して、嫌な気持ちを味わいたくないという不利益換算、不満解消したい我欲に着目し続けるさま。

どこまでも相手のことを考えず、自分しか見ない考えない人は、相手に謝らないだけでなく、許してもらうために物や金を与えたり、ごまを擦って機嫌を取ろうとします。

傷つけたという因果を見つめずに逃げる手法であり、「相手が忘れてくれればなんとかなるだろう」と自分の心地悪さをなくすためにケアします。

罪の意識が消えることはなく、相手次第で罪が消えると思い込み、何かの加護を求めて他を利用し続け、カルトや神秘信仰、他頼みの他力で助けを乞います。

罪悪感を自己内部で作り続けながら、向き合わないことで常に追われる人生になります

不安に追いかけられ続けます。

社会的な司法によって罰を受け、決めてもらったルールに乗っ取って許しを得ることで、誤魔化しながらも幾分か楽になりますが、本質的に問題と向き合わなければ一生追われます。

司法の目がなければ自分ではどうすることもできず、罪の意識を背負い続け、心を誰にも開けなくなります。

常に不安を感じる後ろめたさがへばりつき、解放による能力や才能発揮が起きる可能性がなくなり、如何に嫌なことを起こさず、不安を解消できるかが生きる意味になりかねません。

人を傷つけ苦しめた人の末路は、罪の意識を背負いながらも、罪を解消できない重しの人生。

楽しみを自分で見出せなくなるため、できるのは外面や装飾を固めた装い、偽装の道です。

※自分しか考えない人の末路は、【末路は進歩or仮面】自分のことしか考えない人の素顔と裏顔と当たり前 をご覧ください。

 

末路②:恥に苛まれる

二つ目は、恥から逃れられない末路です。

人を傷つけた現実と向き合わないのは末路①と同じ。

違うのは、徹底的に自分のせいにしないことです。

そのため、このタイプは罪の意識を自覚しません

しかし、自らが他者に与えた大きな影響は無視できませんので、責任を持たないために誤魔化さなければならず、自らに嘘をつき続ける労働が強いられます

嫌で、認めたくない、怖くて、拒否したいことから徹底的に逃げ、誤魔化すためにも幸せであろう自分を疑似化し、思い込みと妄想を激化させます。

「認めてほしい、必要として!」と他者承認欲求が強くなり、幸せなさまを見せつけて自慢し、疑似現実での自分を純忠満帆に仕立て上げます。

典型例がSNSと現実の著しいギャップ。

画面の中ではなんとも幸せそうですが、現実はとても虚しい目。

一人で生きることができず、本性を見られたくないメンタルで人と関わり、真に深い関係にならない結果、人間関係は表面的な利用し合いになりやすいです。

年齢を重ねる毎に自己内部の空虚が顕著になり、見栄やネガティブなプライドを増やして隠す作業が激化します。

人を傷つけた現実から逃げて誤魔化し続ける他責によって、周りが気になるメンタルを作りますが、その自覚はありません。

周りが気になって仕方なく、恥ずかしいことをしたくない意識が強まり、恥へのとてつもない執着が作られます。

「恥をかくぐらいなら死んだほうがまし」と本気で思うほどに恥への嫌悪と拒絶を覚え、常に恥に苛まれて周りを気にかける縛りが強固になります。

怖いほど周りからの見られ方を気にして、化粧を塗り重ねたり、整形したり、矯正したり、自分を誤魔化すための人生が続きます。

周りからの見られ方が主体となるため、外装を強固にしながら中身がなくなり、成長や育みがなくなり、年を取る毎に“恥”に囚われる重みに耐えられなくなる末路です。

※プライドが高い人の末路は、【鉈をかかげた挙句】プライドが高すぎる人の末路を知る体験談 をご覧ください。

 

末路③:人間無効化の地獄

※三つ目の末路は辛辣ですので、必要に応じて流し読みされてください。

この末路に該当するのは、因果応報がいつまでも表沙汰しない(因果が応報していないように思える)人です。

因果応報とは人に罪を与える仕組みではありません。

等価性によって責任を持たせるためのものであり、「あなたが始めた行為の責任を持って、自分で終わらせましょう」という自然の原理です。

変化や成長機会そのものとなり、失敗を糧に進化する礎になりますが、この自然の原理に真っ向から反発すると、人生が地獄にコロッと変わります。

反発は因果応報のぶち壊し行為、責任を持つ気なしです。

これまでの末路は、周りが見えず自分しか見えない、未熟すぎて責任を持てない、責任を感じながらも逃げたり誤魔化す人々でした。

最後の末路を辿る人は、明確に責任を持つ気がない人。

誤魔化す気も逃げる気もなく、「この人を傷つけたからなんなのか、私に何をしろと言うのか、知ったことではない」

責任を持つ気がないことは共存の冒涜と言えるかもしれません。

他者への一切の無配慮、何が現実かを勝手に決め込み、自己都合の世界しか見ない、もはや人を傷つけたことを喜んでいる人すらいる、まるで一人で生きている思い込み。

未熟で何もわからないとは違い、勘違いと無知により自分の思う世界を貫く執着者であり馬鹿者、「自分がよければそれでいい」という共同体意識の真反対を生きる生態。

この場合、人によってタイプが分かれます。

地獄行きのタイプ
  1. 動物化
  2. ロボット化

※因果が重い人については、【因果放置は意味深い】カルマが重い人の特徴&軽い人との違い をご覧ください。

 

タイプ①:動物化の末路

感情と欲望に基づき、自分の感覚と経験しか認識しない自己中心的(セルフィッシュ)な人

他者を配慮、尊重する概念がなく、上下階級の弱肉強食を生きるサル。

「強いものが優れている、勝てばいいんだ、ウキウッキ!」

人間ならではの共存、同等意識、物事に対する[=(イコール)、フラット]の認識がなく、とにもかくにも自分がよければそれで納得。

上下従属に囚われた階級と支配構造以外の概念がわからず、認めることもできない柔軟と俯瞰のない固執世界。

人を傷つけたとしても勝者として支配すれば私利私欲を満たすことができ、如何に他者を蹴落として生き残るかを考える、厳しいサルの縮図人生が決定しています。

生きれば生きるほど人から恨まれる頻度が高まり、少しでも敗者になれば奈落、UFOキャッチャーの商品化。

負ければ周囲からこれまでのうっぷんを食らい、食べているものがプラスチックのうどんだと知らない。

中身のない肉まんのような本質のない支配構造の中で、利用して罵り合う以外の関係性を知りません。

金や名誉や容姿などの利用価値がなければ即座に捨てられ、死ぬ時にこう思うかもしれません。

「あれ、何のために生きてたんだ?」

因果応報は死ぬまで波動を低めることによる、絶対的不変をもたらします。

人間として人を愛することを知らずに終える末路は、人間を無効化する地獄であり、隣人と奪い戦い続けるむごたらしい道かもしれません。

 

タイプ②:ロボット化の末路

人間味をなくし、ルールに基づいて決められたように生きる末路は、他責と他力の人間喪失

他者への尊重がないだけでなく、調和や協力ができず、「既に過去のことを言われても何もできない、私が傷つけたら傷つけた、だから何?」と開き直ります。

実際には開き直っている訳ではなく、「与えたら返す、嫌なことをしたら報いる、貰ったら感謝する、大切だったら愛する」などの人間同士の相互交流がありません。

人を愛することができず、感謝も謝罪もできず、できるのは物事をピピピとインプットして、AIやロボットのように言葉を音として発する行為。

完全なる孤立へ向かいます

誰も関わる人がいなくなり、自らも関わる理由を見出せなくなり、悲しみも喜びもないと行うのは強い刺激を得るための娯楽と快楽と嗜好品頼み。

酒、薬、男、女、ギャンブル、戦い、自虐、物欲、食欲、我欲の沼ハマり。

ロボットなのか動物なのかもわからなくなり、誰も手を付けられなくなった末路に、影だけが残ります。

 

人を傷つける人、苦しめる人の因果応報と末路 まとめ

因果応報で注目したいのは、等価性の仕組みによって蓄積する低波動の作用です。

自らが相手を傷つけたことで低波動を作り、さらに相手にも作らせ、それをわざわざ返してくれる仕組みによって因果が応報してほっと終了できます。

辛いことをさせた以上は辛いことを味わいますが、等価性の働きで反省して成長し、進化できます。

しかし、自らのしたこと、相手に与えた影響を認めず、のらりくらりと現実を見ず、誤魔化しながら人を傷つけたことと向き合わない場合、低波動は驚くほどに溜まります。

コンビニの廃棄弁当が腐ったまま山積みされていくイメージ。

ゴミを一層するにはそれだけ大きな力を必要としますので、蓄積すればするほど自分では何もできなくなります。

因果が応報されれば救いですが、何もできなくなっていくと執着と固執による頑固、いわゆる不変が恒常化していき、因果に反発する在り方によって動物やロボットになりかねません。

人間になれずにこの世を生きることは、自己都合の狭い世界のルールに執着しながら、自らをグルグルと縛って強制する無限迷路。

現世を生きながらの地獄化と考えます。

地獄には同じ地獄化の人々しかいません。

自由も解放もなく、何も変わらず辛い縛りと執着の中を巡り続け、隣人の足をひっぱり、あげ足を取り合います。

現実を見つめずに生きることは不変を貫く執着を意味しますが、自らが他者に与えた大きな影響すら鑑みないことは原理の逆行、自らを自らで不幸にします。

「なんのために生きているのでしょうか?」と周囲に違和感を振り撒くさまとなります。

人から傷つけられた時は、「許せない」と執着しないようにお気をつけください。

その行為もまた因果応報の始まりを意味してしまいます。

報いは原理に任せ、見るのは自分にとっての現実の肯定にしていきましょう。

最終的に許せるようになるとご自身の波動は一気に高まり、与えれば返って来る善行の報いが始まります。

人間世界は与え合うことで巡り、等価性は循環を作り、小さな一つが大きな多数に進化し続けます。

傷つけられると辛いですが、末路を把握することでご自身を見つめる一助となれば幸いです。

それでは最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. A より:

    初めまして。
    ずっと、仕返ししてやりたいくらい辛い思いをさせられたことに心の中で決着がつけられず、悩んでいました。
    「因果応報で出したものが返ってくる」という言葉と、どんな状態に陥るのかという話に少し救われました。

    唐突で失礼いたしますが、3つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?

    1.相手に返る出したものとの等価のエネルギーは、どの時点のものが等価として判断されるのか
    2.罪を行いながら、自分の罪を認めている場合の因果応報は軽いものになるのか
    3.普段から神様を信仰している人への因果応報の有無と程度

    私は過去、抵抗も空しく「嫌がることがおかしい」「これは清いことだ」「僕と繋がることで内側から綺麗になれる」「君が僕を好きなんだ」「君の理解者は僕しかいないから君は離れられないよ」とずっと言われ(半ば洗脳され)ながら継続的な性被害に遭いました。
    嫌だと抵抗しても力により押さえつけられ、次第にこの時間さえ我慢すれば…とか、本当は嫌がる私が悪いのだ…と、心を壊して我慢するようになり、やっと抜け出せた時はショックからなのか記憶を閉じていました。

    そして何年も後になってから毎日、逃げられないようにされ、あたかも受け入れているかのような状況にされ、いいようにされたことが本当はとても苦しかったと頭の中で何度も、その時の光景と感触が蘇るような状態になりました。

    最初の被害の時よりも、今の方がずっと心が傷ついています。

    出したエネルギーが返ってくるという話について、相手に等価として返るエネルギーは、実際に被害を受けた(心を押し殺して傷が浅かった)時に私が出したエネルギーなのでしょうか?それとも、今でも苦しんでいるエネルギーも加味されたものなのでしょうか?

    また加害者からは「将来、○○ちゃんは後悔するんだろうな。本当は僕から離れた方が良いと思うけど、今は離さないよ」と言われたことがあります。
    自分の罪を認めていながら人を傷つけている場合は、因果応報が軽くなってしまうのでしょうか

    また加害者は「僕は神様に守られている」と日々言っており、伊勢神宮への定期的なお参りや、力のある人に作ってもらったらしいパワーストーンを身につけていました。
    こうした、スピリチュアル的な守りを受けている人にも、因果応報はあるのでしょうか?

    唐突な質問で、気分を害されたら申し訳ありません。
    ただ、どうしてもご質問させていただきたくコメントさせていただきました。
    お答えいただけますと幸いです。

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