『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※本気で人生を変える方専用。
「おい、亭主が仕事して帰ってきたっていうのに、ご飯も作ってないなんて頭大丈夫か?」
認識力のなさ、創造性のなさ、多様性の欠如、「アマゾンの部族に放り込んでやろうか」なんて思っちゃいますね。
実は、そんなことをする必要はありません。
人を小馬鹿にする人の末路には、強制的に自らで過酷な思いをする苦行が待っています。
ここでは、人を小馬鹿にする人の行く末に迫ります。
- 人を小馬鹿にする人の末路を知りたい
- 人を小馬鹿にする人の危険性を知りたい
大きな矛盾を作りながら気づけず、年齢経過と共に自業自得の波が押し寄せる人生。
完全なる自己演舞となる内情物語り、人間理解を深める一つの考え方となれば幸いです。
Contents
人を小馬鹿にする人の末路
心理:人を小馬鹿にする行為とは、『簡易ドラッグ』
小馬鹿にするとは、
人を侮辱し、蔑み、軽蔑して扱い、不快な気分にして喜ぶ行為。
「なにあれダセェ、きしょー」
「ナイフとフォーク使えないの、あり得ねー」なんて形があれば、
「お宅の子、試験に落ちたんですってね、可哀想に(プププ)」
「え、こんなことわからないの?!まぁ仕方ないよね、家庭が家庭だもの」と一見わかりにくい蔑みもあります。
心理にはこのような特徴が考えられます。
- 自己中心的
- ナルシシスト
- 正当化を欲する
- 優越性を欲する
- 他者承認欲求が強い
- 劣等感コンプレックス
- 自己肯定感が低くてプライドが高い
- 支配欲、自己顕示欲、自己過大評価
- メンタルが弱く、臆病、無価値感
- 一人で何もできない
- 人を疑いやすい
- そして、これらが不都合であれば全て認めない
※人によっては人格障害の可能性もあります
人を小馬鹿にする人は自らを正しいと思い込むために主張・強調していると考えられます。
他との差別化を強めて、正否・勝負・上下・優劣を見出し、他者を下に見て扱い、「私が正しくて優れている」と思おうとします。
ここで、「よし、正しい人間になれるように努力して成長しよう!」になりません。
「他を見下して劣等させた世界を見たい!」と怠惰の道を迷うことなく選び、人を小馬鹿にするモラハラ道を歩みます。
着目したいのは、軽蔑して扱える人を定めて、自分の問題から目を背けること。
対象を蔑むことで焦点を相手にして、見下した暁に得られる安堵と快感に脳みそを漬け込み、嫌なことから一時的解放を得られます。
何かニオイますね、クンクン。
そうです、ドラッグと似ています。
脳内の自己都合世界に陶酔し、幻覚、もとい幻想に浸かり込みます。
そこには不安と恐怖がありません。
自分より劣等者を作り、優越を感じることで焦りや迷いが緩和し、自己否定せずに済み、無価値感をなくし、嫌な現実を認めずに済みます。
「あいつはしょうもない、ってことはあいつより優れている私は価値がある、何も間違ってない、この優劣が証拠じゃないか、そうに決まってる」
現実と向き合えない人の逃避策でありながら、自分そのものとも向き合わずに済む幻想、快感な夢を見られる一時的なまやかし、使いたい人にとってこんな便利なものはありません。
「これを多用するとどうなる?」
「いつでもどこでも無償かつ簡単に手に入る」
これらが本質的な問題になります。
考えられる末路は三つ、本題に入りましょう。
人を小馬鹿にする人の末路①:無価値感から逃げられない
チュパチュパと飴を舐めて眠るように、不安と恐怖と向き合わずに済むのが人を小馬鹿にする作用です。
悪口とは違い、悪意なく行為できる特徴があり、「これだけ差があってレベルが違うんだから見下すのは当然でしょ」と当たり前のように蔑み、下等に扱います。
小馬鹿や見下しやモラハラ行為は依存性をより強めます。
悪意なく使えると罪悪を感じず、悪いことをしている自覚を誤魔化せるため、小馬鹿にするとは一人脳内遊びが基本ベースと考えられます。
ひねくれや反発心、承認欲求やナルシシズムなど自分への過集中状態があり、基本的に自分のみに興味を持ち、失態や状況を嘲り、軽蔑という形を取ることで優越を自己の中で確立します。
自分だけ納得するため利用行為は、見返りを払わずに得られるものだけ得るずるさ、まわりくどさがあり、覚悟や決意が要らないので軽薄で粗末なさま、創造性皆無。
自分のことにしか興味がない上にさらに人を蔑むため、嫌われやすく、信用されません。
つまらないだけでなく姑息な手であり工夫もないため、シンプルに関わる意味がありません。
誰も関わってくれない、または親子だから夫婦だから仕方ないといった具合に嫌々関わられることになり、本人が味わいたくない無価値感や劣等感が自然と増えます。
周囲に人がいればいるほど、無人島やジャングルにこもらない限り、自分が無価値であることから逃げられない末路です。
無価値感は小馬鹿にする人の育ちや家庭環境から、最も味わいたくないと言えるかもしれません。
無価値感の味わいは精神や人格崩壊によるパニック、形骸化、または何をするかわからない危険人物になる可能性を含んだ末路を意味し、この気持ちから逃げられないのが本質です。
※悪意を持った場合の末路は、【悪口を言うと鬼が来る】因果応報がもたらす末路は悪の沼 をどうぞ。
人を小馬鹿にする人の末路②:変わらない、成長しない
問題点を改善や解決する以前に、見たくないので他者を利用して目を背ける状態。
小馬鹿が恒常化すると、自力で現実を認める力が衰退していきます。
便利なものが目の前にある以上、わざわざ辛い思いをしてメンタルを鍛え、精神性を高め、不安や恐怖を克服する気にはなれず、とにかく楽な道を選びたくなります。
「自分が変わる」という考えがなくなり、「私は正しいんだ、あいつが、世の中が変わらないといけない」を当然とします。
物事への否定や批判や文句、無責任な言動が増え、自分のことは棚に上げ、口だけで行動しなくなります。
周囲は離れ本人は孤立し、思い通りにならないと不安と恐怖が襲うためにさらに小馬鹿にする行為が激化し、小馬鹿にするのをやめられなくなります。
人を小馬鹿にする人の末路は、変わらない、成長しないこと。
人を傷つけても変わらない意味であり、改善や見直しへ向かえなくなります。
基本的に本人にしかわからない脳内遊びですので、周囲は放っておくこととなり、誰も干渉してくれなければ変わる可能性はゼロへ向かっていくと考えられます。
※威張る人の末路は、【偉そうな人の末路は二つ】特徴と心理にある末路の分かれ道 をどうぞ。
人を小馬鹿にする人の末路③:苦行が始まる
変わらず、成長しない日々を放っておくと、末路は佳境を迎え始めます。
変わらないとはメンタルや精神、人間性が成長しないさまですが、肉や脳が物質であるため年齢の経過と共に変化(衰退)します。
顔に皺が増えていくように、お腹がタプンと垂れてくるように、口が上手く動かなくなるように、逃げて誤魔化そうとしても何にもならない現実があります。
欲が思うように見出されず、活力が減るなど、あらゆる事象が発生すると同時に抗えないことを認識します。
認識を誤魔化すこれまでの方法は、人を小馬鹿にすることで不安と恐怖を逃れ、問題点と向き合わずに済みましたが、抗えない現実との直面が増えると認識は自然と正直になります。
肉体老朽によって認めざるを得ないことが増えます。
始まります。
見たくないと誤魔化し続けていたベールが剥がれ、キングダムが決壊。
見えるのは実質上の自分、リアルという名の恐怖と恐怖、現実を恐怖にしたのは自業自得。
子供の頃から成長していない自分、何かを成し遂げたと思っても実際には何もしておらず、他力で他責で他人軸で他者を利用した執着と依存と頑固、嘘と誤魔化しを続けた思い込みの貫き、さらにそれらを認めず拒み続けた自己像は張りぼて、いわゆる逃げ続けた本人そのものが元々いないという現実。
年々あらゆるものが露呈するため、向き合えない大きな恐怖が襲い、まるで苦行のように自分のしてきたことを見つめます。
しかし、精神を鍛えてこなければ見つめられないため、これまで以上に他を蔑み排他し、馬鹿にせざるを得なくなります。
過剰なまでに馬鹿にし続けなければならない戦いが始まり、勝てばおぞましく性格の悪い人になり、負ければ自身が壊れてしまう。
小馬鹿にしたくないのに小馬鹿にしなければならない末路です。
小馬鹿はより現実を誤魔化すために悪意を含めた蔑み、悪口や悪態をプラスしたものに進化します。
スーパーにクレームを言うためだけに毎日通う、誰も悪くないのに怒鳴り散らし、文句を独り言のようにブツブツ言い続ける、そんな行く末になると考えられます。
※マウント中毒者の末路は、「何がしたいの?」マウントを取る人の末路は悲しき人生ストーリー をどうぞ。
人を小馬鹿にする人の危険性と距離感の大切さ
危険性:取り返しのつかないミスをする懸念
人を小馬鹿にする人の心理や精神を知るほどに、ある大きな欠陥が目立ちます。
現実を見ずに自己都合ばかり見ているために、本当のリアリティをいとも簡単にすり替える懸念があることです。
事実である[有→無][無→有]になってしまう危険性。
極端な例ですが、やってもいない犯行を「やりました」と言ってしまう。
反対に、全く違う事実をでっち上げ、「あの人がやりました」と本気で証言する、そんなイメージです。
あり得ないミスをやらかす、遅かれ早かれ取り返しのつかない大失敗をする可能性があります。
この洞察は、私がインドで小馬鹿にされた体験に基づきますので、詳細をご覧に入れます。
体験談:危険視するべき人
インドで人を小馬鹿にした詐欺師(以下:当人)に騙しのターゲットにされた時の話です。
簡単に状況説明すると、騙そうとしたがあっけなく見抜かれて未遂となり、私の友人とその場にいた男性(両方現地人)二人が当人を責め立て、逃げられないほどの怒涛の説教をした結果、犯行を認めて、廃人のようにもぬけの殻になりました。
この過程で、当人に注目したいことがありました。
詰め寄られた当人は当初言い訳したり、声を荒げて反発していたのですが、ある時にポキッと折れた瞬間がありました。
もともと自分軸がなく、嘘と誤魔化しで塗り重ねた張りぼてを糧に虚勢を上げていただけでしたが、あまりに責められるとある段階で、「はいはい、へーへー」といった脱力、無責任が故の放任が起こりました。
学校の先生に怒られている時の、やる気のない生徒と言ったところです。
問題はこの後です。
この態度によって二人の説教が強まり、徹底的に責められた結果、「もうなんでもするよ、言う通りにするから許してください」とポキッポキッ。
自らの行為や失敗を認めるのではなく、まるで自分が被害者であり、この状況から抜けるために一切の不都合をなかったものとして、空虚な自分をぬいぐるみのように好きにさせようとしました。
自己放棄です。
驚きは、責められて不安と恐怖に向き合わなければならなくなった時、あることないことベラベラ喋り、とにかくその場の状況を逃れるために自己放棄したことです。
自主的人間パペット化、意志をゴミ箱に捨てるさまとでも言いましょう。
「この人、責められたら簡単に自分を捨てて何でもするな」と思えるさま。
認めたくない現実から逃げられるなら自分をも安易に捨て去るさまは、信頼の対象にすらならない在り方、人間そのものの冒涜に思えます。
ここまで周りも己も見えず、自分のことを大事にしているようで全く考えられていないさまを見れるのは貴重でした。
自己都合の世界を生きていると自分が何をしたかわかっておらず、場合によって周囲に迷惑がかかるとわかっていても迷わず自己利益を選ぶだろう情景でした。
※体験談の詳細と因果応報は、【爆弾の巨大化】人を小馬鹿にする人の因果応報「小さなカルマほど恐ろしい」をご覧ください。
悪口を言う人以上に気をつけたいのが、人を小馬鹿にする人
小馬鹿にする人は頭の悪い人ではないと思います。
嘘や誤魔化しを多用できるのは、一般常識を始めとした社会の情報やルールインプットが多く、「正しい」に近づくための言動や態度を演技したり、言い訳や取り繕いを常識的に並べ立てられるからです。
何が正しいかのルール、その場に合わせた常識や空気、文化や習わしも統括して述べ垂れます。
小馬鹿にするのはずる賢さがあり、陰湿な性格や認識を持ち、自分に非を持たれない(または責められても言い逃れや誤魔化しができる)余白を用意しています。
一方、悪口の場合、自分と当事者のみに絞られやすく、余計なことを考えずにただ悪意を持てればでき、心を悪に染めて毒を喰らいながら自滅のエネルギーを発する、自他両方に牙を向けて完成します。
小馬鹿は悪意を持たずに言えます。自らは痛い思いをせず、人を利用して望む現実逃避を成し遂げられます。
このずるさはパッと瞬間的に自分を投げ捨てられる内情を含むため、いつどこで裏切るかわからず、ある瞬間にパッと切り捨てる可能性があります。
特に危険性となるのは、人をモノか何かとして扱うさまと同時に、自分のことも粗末に扱っていること(本人は気づいていない)。
関わってはいけません。
お金など信用問題が関わるほど、リスクを負うのはこちらです。
関わる際はとにかく自他の線引きと距離感が重要です。
※信用ならない人の見極め方は、信用できない人を見極める直感&口癖【インドで鍛えらえる能力紹介】をご参照ください。
最後に:人を小馬鹿にする人の末路
小馬鹿にされた際、怒りも困る必要もありません。
反応は優しさであり、怒るのは怒ってあげてる状態です。
小馬鹿にするという自己演舞は、現実を誤魔化すための夢入り文句。本人にとっては誤魔化しという無、他者にとっては無の中の無ですので、意味を見出すのは困難、議論は時間の無駄です。
ただ離れましょう。
悪意を含めない言動にはリスクが少なく、いくらでも誤魔化しが効く自己世界に入れるため、後ろめたい気持ちや罪悪を抱かずに小馬鹿にできます。
こんな卑怯な手はなかなかありません。
悪意とは毒ですので、自らを傷つけたくない人は毒をもらわずに事を成そうと考えます。
まるで貴婦人が汚れずにゴルフをするために、泥の上に寝かせた人の上でカコンと打つような。
コントロールしている訳ではなく誤魔化しているだけですので、張りぼてを前に立てたところで、「なにこれ、トン、バタンッ、キャー」と事実を見せてあげれば何もかもが露呈します。
しかし、そうなれば何もかもの責任も意識も感情も投げ捨てる最終防衛システム、もとい「この人は本気で何をしでかすかわからん状態」が発動します。
そこには変わらないための構築があると考えられ、長い年月をかけて作り続けるのが人生の目的なのかもしれません。
関わる際には理解があるとお役立ちできると思いますので、一つの考え方となれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ご苦労様でした。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
習い事の先生が小馬鹿にしてきているように感じるんですよね、、、
でもその習いごとは続けたくて、、、
どう関わっていけば良いと思いますか?
ごめんなさい勘違いでした💦