悩み

なぜ気が利かないの?改善には気が利きすぎる人が大切な話

気が利くとは気の使い方の最終地点。

気を利かせるためにエッジを利かせ、しびれさせるように気を最大限引き出し、体感させる。

気とは使うものか利かせるものか、はたまた回す?配る?落とす?もう飛ばしちゃう、ハッ。

気を利かせることは気を使うとは全く別の意味であるため、この話は少しトリッキーな内容かと思います。

ここでは言葉を明確にすることでわかる、「気が利かないのはなぜか?」の紐解きをしたいと思います。

気を利かせたいけど気が利かない場合の改善方法。大切なことは“気が利きすぎる人”の存在になると私は理解しています。

存在から言葉の意味がわかりやすくなりますので、気が利く人になることを求める際に役立つと願います。

気が利かないのはなぜか

気が利かないとは

気には、気を使う、気が利く、気が回る、気配り、気がつくなど、さまざまな言葉があります。

一つ一つに言葉の意味があるため、気が利かないの意味を初めに明確にしたいと思います。

このために大切なことが、「気を使う」との線引き。

気が利くと気を使うは全く別の意味です。

シンプルにお伝えすると、こんな感じ。

  • 気が利くとは・・・状態や状況や様に気がついたことに対して、効果や作用をもたらすこと
  • 気を使うとは・・・状態や状況や様に気がついたことに対して、見合う行為をすること

相手に対して配慮や心配りの優しさにて効果や作用(喜び)をもたらすのか、その場その場に見合わせた配慮や心配りをするのかにて、優しさの有無が変わります。

優しさのある気が利く人はフォーカスの対象が他、自分ではなく他。

そして、気を使う人はフォーカスの対象が自分。その場に見合わせた行為をして自分が困らず、喜べるかに着目し、優しさ以上に常識やルールの規範が大切。

そんな内容から、気が利かない人の特徴はこちらです。

気が利かない人とはフォーカスを他にできず、優しさを与えず、他者のために利益をもたらさない人のこと。

ここでわかるのは、「だからどうした?」です。

自らが行為して、己ではなく他に対して利益を与えるため、気が利くか否かは他者がどうこう言うことではありません。

ですが、気を使えない場合は話が変わります。困ることが多くなり、迷惑をかけ、嫌われる要因になります。

 

気が利かないと言われる場合

「気が利かないねぇ、ほんと」と落胆の吐息を浴びせかける。

極端になりますが、わかりやすくお伝えすると、「あなたは私に利益を与えたいと思わないのかい?もっと喜ばせて欲しいもんだねぇもう」という翻訳。

「はっ、うるせぇよ、てめぇなんかに優しくするかよ」と思えばそれまで、気を利かせたいとも思いません。

気を利かせることは、気が利く人側の優しさも大切ですが、気を利かせてもらう側の存在も同じように大切です。

いわば、気を利かせたいと思える人がいるかどうかという話。

「この人には気を利かせたいな(心を配って相手のためになりたいな)」と思えれば、優しさは自然と出てきたりします。

そのため、気が利かないからと言って、一概に自分に至らない所があるとは限らないのが気が利くか否かの行為です。

もちろん、配慮や心配りを優しさとして提供したい意志や心持ちがなければ、または優しさを持っていない、優しさを知らない場合はそれ以前の話になります。

気が利かないと言われる場合に考えられることは、気を利かせたい人が周囲にいない。そして、気を利かせるではなく気を使えていないことです。

これまでの内容から共通していることは、気が利かないことで困るのは気を使えていない状態です。

※気が利く人と気を使う人の詳細は、気を使う人は嫌われて疲れること必須?│改善は気の使い方説明書で をご覧ください。

 

なぜ気が利かないのか?

「気が利くとか気を使うとか、どっちでもいいじゃん」という感じは若干あるのですが、言葉の意味が違うことと、気が利かない理由や改善を見出すために線引きすることが大切なので、少し煩わしいかもしれませんがお付き合いください。

なぜ気が利かないのかですが、気が使えない前提の気が利かないということで話を進めていきたいと思います。

気が使えない前提での気が利かない。

この中身を紐解くと、[気の使い方がわからない+優しさの配慮がない]の二段あり。

優しさは気を使えた後に、自らの精神や心理や健康状態に“余裕”があることで醸し出されるものでして、気が利く人は気を使えます。

気が利かない場合には、気の使い方を知らないことが初めに考えられます。

気を使うためには、気がつく(気付き)が前提にあり、気がつかなければ気を使うことは当然できない状態です。

気の使い方を知らない場合には、気がつかないことが考えられます。

気がつくために必要なことは認識力である、見て、感じて、考えて、思って、想って、知って、理解して、評価しての行為ですので、物事を認識する目や感覚や思考、体感感受に感性・理性・知性(観察や洞察や分析)などが必要です。

以上から、気が利く人になるためには、流れや順序が見られます。

気が利くまでの順序

認識力による材料集め(観察・洞察・分析)

気がつく

気を使う(または自分に気が利く)

気が利く(他者に気が利く)

人それぞれにどの段階からなのかが分かれますが、気が利かないと言われたり、自らを否定する状態の場合には、材料集めが少し物足りない可能性があります。

そこで出て来るのが認識の力です。

 

気が利かない理由は認識力

認識力とは、単純に物事を自らの頭・心・肉体で認識する情報収集もさることながら、自己認識力と言われる、自らの理解も関わります。

あくまで私の理解になってしまいますが、自己認識力とは自らの内観能力として、感情や意志、思考や記憶など、意識の内側に貯蔵される情報把握による自己理解があり。

同時に、他者との区分けによる自己認識=パーソナリティの理解があり。

さらに、自分を客観的に外から観察や洞察や分析する理解があり。

さらに、その観察や分析と、他者からの見られ方との合致率の高さや、相違のなさがあります。

ややこしいのですが、多角的に自分を内側から、そして外側から、そして他者目線から認識できているかの力にて、気が利く人へと育まれます。

気が利く人になるにはとてもたくさんの理解があり、さらに他者の目線や認識を持つために目線を自分から俯瞰して外していく許容も大切となり、経験値や理解度の高さから真のリーダーになる素質でもあります。

一筋縄ではいかない育みがあり、気が利く人になった暁には、モテるは、好かれるは、人は寄ってくるは、頼られるは、活躍するは、大切にされるはで、嬉しくもあり大変でもあります。

そして、実際に気が利く人は少数です。

気が使える人はたくさんいますが、気が使えると気が利く、さらに気が利くの度合いには常に認識の力が関係します。

気が利くとは誰にでもできることではなく、これまでの人生における認識力の育みや、自分をどれほど知り、どれほど他者目線で物事を理解できるかが大切なポイントになり、今直ぐどうこうする話ではなかったりします。

そのために言葉を区分けし、段階を知り、一つずつ物事に取り掛かることが、気が利かない人の改善方法になるという話がここの主旨。

そんな改善をわかりやすくするためにも、気が利きすぎる人の存在が必要不可欠ですので、詳細を見ていきましょう。

 

気が利きすぎる人

気が利きすぎる人とは

これは気を使いすぎる人だと考えられます。

気が利く人はフォーカスの対象が自分ではなく他なので、他者や物や事に対する優しさの心配りとして行為します。

そのため、「いやこの人、気が利きすぎー」と嫌がられることはありません。

嫌がられている時点で他者のことを考えてはいませんので、気の使い方の逸脱による気を使いすぎた状態が考えられます。

言い方を変えると、自分のことにフォーカスを当てすぎて他者が一切見れなくなってしまった状態。

相手に効果や作用を与える気が利く行為は、相手に利益や喜びを与えることであるため、起きる明白なことがあります。

感謝される。

気が利きすぎる人は感謝されていないかもしれません。そこには自分に対して利益を与えようと模索・奮闘する姿が見られ、他者を自分のために利用する行為があったりします。

自分のためとは、常識やルールに準じることでの恐怖や苦痛回避、否定や批判されないこと、社会性に準じて排他されないこと、そして自己満足や肯定材料集め、承認欲求にて自らの価値や存在意義を見出すことなどなどたくさん。

「あれ、なんか顔色悪いよ、薬貰っといたからこれ飲んで」
「あとでメールで体にいい薬膳スープの作り方送っておくからね」
「あ、でも直接届けた方がいいよね?私が作って持っていく」
「そしたらご飯も作ってあげた方がいいね、食材も買ってくね、会社にも電話しておく」
「他の人の影響があるから私が守ってあげる」
「護衛用のナイフでも買っておこうかな」
「ちょっとあんた何見てんのよ、病人なのよ、シュッシュッ」

「いやもう、気が利きすぎー。もはや怖いよあんた」なんてなりかねません。

気が利きすぎる人を知ることで、気を利かせるために大切な改善ポイントを教えてくれます。

 

気が利きすぎる人が表す気を利かすポイント

如何に認識を“自”から“他”に近付けるかです。

いくら周囲の状況や状態に気がついていても、自分の認識しかわからなければ気が利く人になることは困難です。

例えば自己認識力の内観や内省を頻繁にする人で、内向に対する理解が高い人がいるとします。

すると、自責の念や自負や自信が高く確立され、それは固執や考えすぎの自己否定、過信や主張、他の聞き入れがなくなり素直さがなくなる、なんて可能性があります。

認識力は自らを確立させることで高まるので、物事の情報収集量が増えて気がつく人にはなるのですが、気を使ったり気が利く人にはなりにくくもなります。

片や常識やルールの規範などを重視して、自分以外の他の認識を強めることで認識力が低くなり、自己認識力は他との区分けのみにフォーカスされて己のない他への着眼となり、優しさは希薄で上っ面のルール従順という別物になります。

この場合には、常識の範囲内で気を使うことに長け、気が利く人にはなりにくくもなります。

どのように認識する力を育むかによって、何に特化させた気の使い方になるかが変わります。

気が利きすぎる人を知ることで、この内容の核となる最も大切なことが見出されます。

「なんのために気が利く人になりたいのか?」への意志と目的を明確にすることです。

※気を利かせるための気がつく話は、【決定的に違う】気がつく人と気がつかない人の特徴と能力│認識力が起こすこと をご覧ください。

 

気が利かない人の改善方法

何のために気が利く人になりたいのかを明確にする

最も重要なことです。

そして気が利く人になりたい場合にはおそらく答えは決まっています。

「他者のために役立ちたい、喜んでもらいたい」だと思います。

この場合、如何に他者目線で物事の状況や状態を把握するかによって、気が利くか否かを作ります。

そのため、感謝してもらえるように行動することが改善になります。

如何に感謝してもらえるかの認識を持ち、目標を持ちます。
「今日は会社の上司に感謝されるようなことをしてみよう」
「恋人から嬉しいと言われるように何かしよう」と行動します。

ですがここではっきり確認したいことが、気が使えない前提で気が利かない場合の改善であること。

「本当に他者のために役立ちたい?」

 

自分のために気が利く人になりたい場合

「他者のためになれる人間になりたい」とはなんとも素敵なことですので、感謝されるように日々を過ごす努力によって、気の使い方は気が利くようになっていきます。

ですが、これは義務でも何でもありませんので、どうでもよかったりします(あくまで私の意見です)。

「気が利くー?はぁん、ペッ」とね。

気が利かないことを改善したいのは、自分のためであることが多いと思います。

ペッとする必要はありませんが、あくまで自分が困らず喜ぶために気が利く人になりたい。

この場合は、上述の“気が利くまでの順序”にある認識材料を集めることと、気がつくことが最重要項目です。

あまり好まれる方法ではありませんが一歩一歩。容易いショートカットはなしという現実トーキング。

着眼は己に全集中。

極端に己にしちゃいます。
※あくまで自分にフォーカスするだけですので、他者を排他するなんてことではありません

そして、どうして気が利く人になりたいのか?の目的を明確にして、そのために行動します。

とてもシンプルに、気が利く人になりたい理由に着眼して、そのために行動するという話。

全然わかりにくいので詳細を見ていきましょう。

 

気が利く人になりたい理由を確実に把握する

「気が利く人になりたい」
「気が利かない自分を変えたい」

このように思う場合には何かしら理由が、それは目的が、言い方を変えると欲があります。

なんで気が利く人になりたいのでしょうか?

  • 気が利かないと言われて嫌な気分になったから
  • 気が利かない不甲斐なさが受け入れ難いから
  • 気が利くと他者が喜んで心がほわっとするから
  • 気が利くと誰からも干渉されず楽だから
  • 気が利くとモテそうだから

何かしら現状に利益を得る、または不利益を解消するという”利益追求”の欲があると思います。

欲は行動動機となるためとても大切な意志の源です。

欲の矛先を明確にすることで、意志を持って気が利く人になろうと努力できるようになります。

例えば、他者から否定されたくないのであれば、嫌なことを味わわないために気が利く人になる、と理由が考えられます。

すると行動は、「自分が嫌なことを味わわないためにはどうするか?」という着眼に基づいて明確に利益へ突き進めます。

行動は人によって変わりますが、常識やルールの規範に則れば否定や排他はされにくくなるので単純に規範を覚えることで改善になります。

どの状況でどのように対処すればいいかをパターン化して勉強し、メモなどを見返して行動パターンを覚えます。

「この前のプロジェクトの資料持ってきて」
「はい、これですね」
「あれ、サブのやつはなかったっけ?」

と言われたことをそのままするだけでは不十分であることなど、事あるごとに学ぶことが増えていき、関連するものも持っていった方がいいかもしれないと認識が経験毎に広がります。一歩一歩ってやつです。

そこで、「はい資料です。念のためサブも持ってきました」とどや顔では、本来の目的から逸脱して承認欲求を満たすなど、利益を増やそうとする余計な欲が出て来てしまうので、サブの資料は手に持っておいて言われればサッと出す、言われなければ後で戻すだけです。

大切なことは自らの目的(欲)にフォーカスして行動することです。
付随して経験することが出てきた時には、学ぶことで気が利く人に近付くステップを確実に歩んでいきます。

 

どんな目的でも本人にとってはGood

何かしら現状に変化をもたらすためには意志と行動動機=欲が大切になります。

目的がある以上は何かしら欲がありますが、それを自覚しないと自らの行動の意味や動機が曖昧になり、利益追求が困難になり、他者のための振りや、自らのためではないと思い込む気の使い方が起きます。

すると、他者を疲れさせたり、自らも不要に疲れることが起き、嫌われたりします。

どんな目的でも本人にとっては大切な行動動機であり、それを見失わずに明確化させることが改善のポイントです。

上述の“嫌なことを味わいたくない欲”だけでなく、見たくない自分にならないために、他者の笑顔で自らが心地良くなれるように、他者の干渉をなくして当たり障りなく存在するために、他者から認められるために、「よくできた」と褒められるためにと、人それぞれさまざまに理由があるので、目的を明確にできます。

「自分のため」という自覚は気の使い方を定め、自らの利益性が上がり、さらに付随するように他者への利益性も上がります。

そして、気がつく認識が増えて余裕ができた時、自らのフォーカスを他者に変える思いやりや優しさの敬いを抱くことで、気が利くという相手が喜ぶ行為に集中する段階に入れます。

如何に気が利く、気を使う行為の目的を明確にするかが大切となり、そのためにはどんな欲も自らの行動推進となることを知ると改善に繋がる。

そんな話です。

※気が利く人がわかりやすくなると思うので、思いやりがないと言われた時に直したいこと│優しさとの違いは改善を導く もご覧あれ。

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気が利かない理由と改善 まとめ

気が利かない人の改善は、気がつく人になることから始まり、認識力が物を言います。

しかし、認識力には自己の理解や他者の目線理解など、日々の蓄積や物事の認識を作る価値観、観念が大きく関わります。

人それぞれに情報収集量に取捨選択、感性に理性に知性の働きが違い、それらを作る経験や記憶の数も違うため、これまでの人生にて培った在り方であり生き方の賜物として、今直ぐにどうこう変えるものではありません。

そのため、改善に大切なことは如何に自分の行動動機を明確にして、欲の矛先である自らの利益を自覚するかです。

言い方を変えると、ゴールをはっきり見ることで、求める姿になるための学び、努力を見出し、認識の幅を広げる経験や記憶を増やすことができます。

目的を見失うことで、気が利きすぎる人=気を使いすぎる人のようになりかねません。

物事には順序や段階があり、タンタンッと抜かすように越えていければいいのですが、人と人の関わりでは自分の認識だけでなく“自他”の理解になるため、早い遅いはあれど段差抜きはなく、一つ一つ進んでいきます。

一気に気が利く人になるものではないことから、一つずつ確実に認識を学び、他者の認識を勉強するように着眼することで、気がつき、気を使い、そして気が利く人になっていく。

そんな改善の紐解きでした。

ここいらでチャンチャンです。役立つ内容が少しでもあることを願います。

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