世の中には感謝できる人もいれば、できない人もいます。
したい人もいれば、したくない人もおり、する人もいれば、しない人もいます。
感謝とはするかしないか?
それとも、できるかできないか?
「あ・り・が・と・う」と音を発することが感謝という訳ではないため、感謝するためには経験や理解が大切になります。
そのため、感謝できないということは何かおかしい訳ではなく、できない理由や原因があります。
ここでは私の経験から理解した感謝できない人の心理と原因、これらから表れる真意をお伝えします。
心理と原因を知ることで、感謝することの意味や方法が判明しますので、感謝できないことにお困りの方に役立つことを願います。
Contents
感謝できない人の心理

感謝できない人とは
感謝できない人を一言で表すと、感謝の必要性を知らないと言えるかもしれません。
感謝したいけどできない人もいれば、感謝する意味がわからないのでできない人もいます。
そもそも、感謝が必要か否かは完全に人それぞれです。ある人には大切、ある人には不要。
不要であれば必要性を知る動機がないので、感謝する意味がわからなかったり、感謝を知らないことが起きます。
ですが、感謝しているように外観は見えても、「本当に感謝してるの?」と結構あやしい人は多いと思います。
私は全く感謝を知りませんでした。知っていると思い込み、「ありがとう、感謝してるよ」と口から音だけ発している状態。
外枠があって中身がない空っぽ砲を口からポポポと出す。今思うとあれは趣味かな?と。
感謝の必要性は人それぞれであり、感謝できるから良い、できないから悪いかどうかは本人のみが知る範疇です。
感謝できない人とは、感謝の必要性を知らない人。
そんな話の紐解きをしていく内容を進めてまいります。
感謝できない人の心理
感謝に必要性があるか否かは本人にしかわかりません。
必要性がない、または必要性を考えない場合には感謝できない人の心理として、ある人間性が表現されます。
とっても目立つ心理の表れとなるのが、自己表現がモノクロであることです。
単調で、色がないと言いますか、とてもシンプル。
自らの内にあるものを外に出すことが自己表現ですが、外に向けた意識が少なく、創作や創意工夫があまりありません。
少しわかりにくいので言い方を変えると、思考だったら思考、感覚だったら感覚、感情だったら感情と一つ特化したものに限って自らの世界にこもるイメージです。
また別の言い方にすると、知性だったら知性、理性だったら理性、感性だったら感性と一つ。
私達人間は脳があって肉体があって心があるので、さまざまな情報を持ち、さらに組み合わせて自分らしさや自己認識をしますが、感謝できない人は混ぜ込めないでどれか一つの単調、それを内側で保持。
モノクロであると同時にもう一つ。
他者側の目線に立った物事の理解や解釈の認識力がない、または偏っていることが考えられ、自己表現が上手ではない人間性もあります。
感謝できない人は、自己表現がモノクロで上手ではない。
上記の心理を表すキーワードは“自己認識力”です。
ここに心理をより表す詳細があります。
感謝できない人は自己認識力に偏りがある
自己認識力とは自らの理解を促す認識のことで、内側の感情や思考、感覚や記憶や意識の内観や内省能力です。
内側があれば外側もあり、自らを客観的に捉える認識や、他者と区分けすることでの認識能力でもあります。
さらに、他者の目線に立って自らを認識することも含まれ、その認識と己のみの認識との合致にて自己認識力の高まりが表れ、内外のバランスにてタイプや傾向も表れます。
感謝できない人は、己のみを対象にした内側の認識力はあるのですが、他を含めた認識が乏しい傾向があり、自己認識力に偏りがあります。
内側の認識が強ければ強いほどに、自尊や自負が強すぎたり、または自己否定や自己憐憫性が高まったりと極端に心理傾向が表れ、他者の意見を聞かずに頑固・固着したり、謙遜という名の自己防衛や罪悪感意識が強くなる可能性があります。
極端な心理傾向はあれど共通して、他者の目線に立って物事を考えられないことが起き得ます。
するとわかる心理がこちら。
感謝できない人は内側の自己認識が強く、外側の自己認識が弱いため、殻にこもる(自分の世界に入り込む)。
感謝できない人としない人、そして知らない人
自己認識の内外バランスにて感謝の解釈の違いが表れます。
すると、感謝ができないのか、しないのか、そして知らないのかが分かれます。
人間性を大別すると、思考優位か、感覚優位かによって、感謝できないのかしないのかが分かれますので、パターン別に特徴をご覧ください。
内側の自己認識があり、外側がないパターン
- 思考優位の人・・・感謝できない人(感謝とは何かをしっかり理解しないとできない)
- 感覚優位の人・・・感謝しない人(感謝について考えることもない)
別のパターンもあります。
内側の自己認識がなく、外側があるパターン(他者や常識やルールの規範と区分けすることで自分を認識する人)
- 思考優位の人・・・感謝を知らない人(規範順守にてありがとうと言葉は発するが中身がない)
- 感覚優位の人・・・感謝を知らない人(幼少期の教育等にて言うように促されたからただ言う)
内側の認識が強い場合には、感謝とは何かを自ら理解しないと納得いかなくなる人もおり、しっかり自らの意志や認知を持って解釈する経験がないことで、感謝したくてもできないことが起きます。
この場合には、誠実さや真面目さが表れ、感謝の意味を知れば大いに感謝できる人でもあります。
反対に、外側の認識が強い場合には、「ありがとう」や「感謝」という言葉を使用しますが、社会順守として音を発する状態であるため、感謝の意味を知らずに使用する傾向があります。
みんなと同じであることに安泰の利益があり、私のように感謝していると思い込み、実際には感謝できていないことが起きていたりします。
※親に感謝できない人の話は、親に感謝できない方が自分のためになる│原因と改善は自意識と自己愛 をご覧ください。
感謝できない原因
感謝とは何か?
上述の心理はほんの一部ですので、ここからは理由や原因の紐解きと同時に心理をさらに含め、より詳細にお伝えしていきます。
そのためにも、この章では「感謝とは何か?」を初めに明確にしたいと思います。
感謝すると言っても、実は二つの意味があります。
- 自らの喜びや嬉しさを得たことの状態表現
- 他者から与えられた恩恵に対してお返しする気持ち
日本語の感謝の意味は、自らの喜びや現状の心地良さを表すものでして、語源からは緊張がほぐれて抵抗のない様を表します。
いわば、緊張とは恐怖やこわばりによる抵抗の表れでして、抵抗がなくなることは=受け入れられる状態を意味し、“自分らしく受け入れる様、その気持ち”が感謝や謝りと考えられます。
また、「ありがとう」という言葉は仏教に由来し、「とんでもない、有り得ないことが起きた」という貴重な様=「有り難い」を表すものとも言われています。
ですが、英語やドイツ語やフランス語など、言葉が変わると意味は一変します。
日本語の感謝は着眼が完全に己です。しかし、英語などは己ではなく他になります。
他者から恩恵や利益を貰い、喜びを貰ったことなどに対する合図やお返しの気持ちとして、他者に対して伝える言葉です。
二つの感謝の意味は、自らの状態表現か、他者に伝える気持ちかが分かれます。
そのため、感謝する場合にはどちらの意味を込めているかの自己理解が、大前提として必須です。
そして両者の違いをシンプルにするとこんな感じです。
- 感動の認知(自らの喜び表現)
- 愛を与えたい気持ち(他者への労いや敬い)
感謝の意味から、感謝できない原因が判明しますので、先を見ていきましょう。
※感謝の詳細は、言霊のスピリチュアルに神々が宿る|感謝のありがとうは波動の引き寄せ をご覧ください。
感謝できない原因
これまでのメイン内容となる自己認識、尺度は人それぞれなので良い悪いはないのですが、自らの殻にこもることで他の存在への敬いがなくなります。
言い方を変えると、自分に集中しすぎて回りが見えなくなる。余裕がないとも言えます。
感謝するためには、自らの喜び認知の自己表現をするのか、他者に対しての労いや敬いとして愛を与えるかが分かれますが、自己認識に余裕がなければ感謝できる状態ではなく、自らの喜びの認知も、他者への愛も自己表現しなくなります。
ですが、あくまで自己表現が上手ではないので、表現していないだけで感謝しているかもしれません。
そこには、感謝できない原因がいくつか見られます。
- 自己認識を育む経験がない
- 自己表現せずに自らを抑え込む
- 他が主観
- 他者を含めた認識がない
- 認識力が低い
[認識]、[表現]がキーワードです。
一つずついきます。
1、自己認識を育む経験がない
感謝できない原因の一つ目です。
認識を育むためには経験が必要です。
「これは嬉しいことだ」と自らの感情を知り、情動を感じ、認知を理解する意識がなければ感謝できないのは自然になります。
極端な例として、感情を感じない人であれば感謝は困難ということです。
同時に、実際に他者から恩恵や利益を与えれれるような嬉しいことを経験しなければ、それは肯定にて認められたり褒められたりする経験が乏しければという意味で、自己認識は内側の殻にこもるような育みとなり、感謝から遠ざかります。
2、自己表現せずに自らを抑え込む
肯定されない経験や、他者への興味や関心など他に目を向ける動機がないと、自己表現する意味を見出せなくなる可能性があります。
他者から否定された経験の記憶が強ければ強いほど、他に興味関心がなければないほど、自らの世界のみで生きる常識が本人の中で作られ、感謝の表現をする意味はなく、内側で一人ガッツポーズという具合で片付けます。
それが恒常化すると、ガッツポーズの自己満足にも意味を見出せなくなり、感謝を感じることも薄れ、あることが起きます。
それは、受け入れず、拒否が多くなること。言い方を変えると、自らへの敬いがなくなる。
物事の受け入れがなくなると思考優位で拒否前提の評価・判断区分け意識が強まり、損得勘定、恩徳、貸し借り計算をし、さらに未来も含めた計算をして感謝に価値という負荷をかけ、拒否して感謝しないで済むように距離を取りたがります。
3、他が主観
他との区分けにて自らを認識することが極端に多くなることで、自分がなくなります。
常識やルールの規範に則り、他が決めた世界の中で生きることが常識となり、自らを主観にした認知がなくなります。
他が主観となることで、感謝は「ありがとう」と言うこととルールのイン・アウト、この動作の繰り返しになります。
感謝の意味を考えることも求めることもなく、物事の中身や本質以上に外枠、「他者からどう見られるか」が重要な着眼になり、本当に感謝することが訪れない日々を過ごします。
4、他者を含めた認識がない
認識が自分の内側にのめり込むことと同時に、他者が主観となって自らの認識がなくなる両方、いわば極端に己のみ、他のみを見るようになると、認識のバランスを崩して感謝できなくなります。
己か他かの両極端な認識によって、他者を認識する大前提の基盤である“自分”がどこにもいなくなり、何かプレゼントを貰っても他者の労力や時間消費や努力などを理解する概念がなく、逆に自分の欲しいものでなければ文句すら言う人もいます。
敬いや優しさや思いやりと離れていく、感謝できない原因です。
5、認識力が低い
単純に物事を見て、感じて、知って、想って、という認識力が乏しい状態です。
感謝する原材料や、感謝する矛先がわからず、感謝するとかしないとか、できるとかできないとかを考えることもありません。
物事の本質を見る概念が育まれていないため、人に気を使うことも気を利かせることもなく、敬いや愛がなく、自らに起きていることや受けている利益を見ることもなく、物事は「当たり前」になります。
便利な世の中であれば便利であることが当たり前という認識で、物事を一辺倒にしか見れないことで「有り難い」と思わず、自らの喜びもなく、他者への敬いもなくなってしまいます。
※思いやりがない人の心理話は、思いやりがない人の心理と改善│本当に気にしたいのは思いやり偽善 をご覧ください。

感謝できない人に大切なこと
私の経験も踏まえて、これまでの心理と原因も踏まえて、「感謝できない人は感謝の必要性を知らない」とお伝えしました。
その真意は、感謝の必要性=自他への敬い=自分らしさと愛の認知の有無。
感謝するか否かを分けるのは、自分らしさを持って愛の認知があるかどうかです。
- 自分らしさがあれば、自らの喜びの表現として感謝できます
- 愛の認知があれば、他者への敬いの気持ちとして感謝できます
- 両方あれば、物事の意味を一つ一つ理解して有り難いことが常に起きていると感謝できます
自己認識が内側へ向かおうが、感謝できなかろうが、大切なことは自分を見失わないことです。
「ありがとう」と言葉だけで上っ面の感謝という何かをしている場合、本当に感謝できない人になります。
なぜならば、それが感謝だと思い込んでいるので、自ら変える意志がなく、気づきを得にくいためです。
感謝の必要性は人それぞれです。それは、自分らしさが欲しいか否か、愛の認知が必要か否か、みんなみんな違うからです。
感謝の必要性があると思った場合には、大切なことは一つだけだったりします。
そんな方へ向けて、最後にその一つをお伝えして終了します。
感謝するには自分を、物事を、一回一回、いちいち受け入れる
もういちいちやります。
自分を受け入れれば、自分らしさが表れて感謝できます。
他者を受け入れれば、敬いの愛が表れて感謝できます。
物事を受け入れれば、「有り難い」と認識して感謝できます。
私達人間は脳を主体にすることで、怠け癖があり、飽き性で、変化を拒みます。自然とそうなります。
すると、認識が希薄になり、「今日はご飯食べられる」とは思わず、「今日もカレーかよ」と思ったりします。
「炊飯器があって良かった」ではなく、「この炊飯器使えねぇ」とかなります。
ですが、起きている現実を自分ルールで塗り固めずにそのまま認識するだけで、「今日もカレーを食べられるんだ」と感謝が湧き出ます。
「今日も朝早く起きて、仕事して、お金稼いでいるんだ、私は」と自分を受け入れると、どれほど自ら喜びを作っているかわかります。
「今日も奥さんは目の前に居て、私を安心させてくれる」と他者の存在を受け入れると、どれほど自らが利益を得ているかがわかります。
受け入れるためには認識する必要があります。
一回一回、いちいち認識して、見て、聞いて、感じて、触って、理解して、考えて、そして受け入れる。
認識に拒否を作らないことで日々の生活は自然な経験の蓄積となり、毎日毎日自己認識を高めて、他者認識を育み、物事の認識力を養うことに繋がります。
それは、気を使ったり、気が利く人にもなる道を開く。そんな恩恵モリモリの話です。
※感謝の気持ちを持つ方法については、感謝の気持ちを持つために知りたいこと│感情ではなく想いという話 をご覧ください。

感謝できない人の心理と原因 まとめ
感謝できない人は相手を見ていない、それは行為を見ていない、それは起きることを見ていない、それは他者も含めた上でこの世界が成り立っている認識がないことを意味します。
ですが、私達は一人一人個々に生きているために、この世には自分しかいないと認識することは何もおかしなことではありません。
自己認識が内側に偏ることにはその原因があり、幼少期の環境や周囲との関わり、肯定や愛のなさ、自らでしか愛を与えられず、抑制したり自己表現が上手くならない結果があります。
人それぞれに人生があり、生きてきた経過があるため、感謝の必要性はバラバラ。
わざわざ感謝する必要はありませんし、したければするものです。
必要性は分かれますが、感謝とは何かを知ることで自らを知ることに繋がり、感謝したいと思える動機があったりもします。
そこには人と人の関わりを重要視する価値観が見え、個々に存在する私達に生きる環境を与える社会性というあらゆる人と人の繋がりにて構成された恩恵があります。
認識幅を広げることで、どれほど感謝する材料があり、機会がありと、世の中の見え方が変わるかもしれません。
すると、感謝することがまるで当たり前かのようにも感じ、これまた感謝をより認識するために感謝しないことが重要にもなります。
そんなもんです、人間って。
感謝とは自らの喜び認識であり表現、さらに他者への敬いであり愛の気持ち、そして有り難いと物事を受け入れることの大切さを教えます。
そこにあるのは、自分を中心にして他に目を向ける姿勢です。
欠けたピースだらけの人間だからこそ、自分を忘れたら崩れちゃう、他に頼ったら崩れちゃう。
だからこそ自分を忘れずに内側を明確にし、そこから確実に外を向く。そこには感謝によって紡ぐ他との関わり、物事の大切さがあります。
感謝とは自分を知る材料であり、他との繋がりを作る気付き。
大切な人にとっては大切ですね。
感謝できない人の心理からわかる理解が、何か役立てば幸いです。