思いやりとは優しさと違う独特なものです。
そのため、思いやりがないからと言って=冷たいには直結しません。
では、思いやりがないとはどういうことなのか?
人を見る力、影響を作る話。
ここでは、思いやりがないことを直したいと思う方に、思いやりを持つ方法をお伝えします。
思いやりを直したい場合、知ることが最も大切です。その上で、自分なりに思いやりを持つ方法を見出すことが、直したい時の理解になります。
思いやりがないと言われることを自覚の機会とし、言われたことを活用して直す一助となることを願います。
Contents
思いやりがないと言われた

思いやりがない自覚
「あー、重たい。あー重たいなー」
二つもスーパーのバッグを担ぐ奥さんは何かを訴えかけています、間接的に。
「はは、重そうだね、ケラケラケラ」
おそらく一発叩かれる、または金蹴りか。
「あんたって思いやりがないよね!見てわかんないの!」
思いやりがないことに気付くのは結構難い。
思いやりとは、優しさと共に、相手に利益をもたらすための行動や気持ちです。
相手が嬉しいことに対して、本人が嬉しくなります。
そのため、優しさがあっても、冷たくなくても、自分勝手でなくても、わがままでなくても思いやりがないということが起きます。
思いやりは優しさとは違うために、自覚が難しいものです。
そんなことに気付いた過去があります。
私が保育園の時、運動会などのイベントのお弁当タイム、他の人は外で家族と食べているが、親の来ない私はいつも独りで園内で食べていました。
ある日保育士の先生に独りで食べていることが見つかります。すると、イベントの時に独りかどうかをチェックされるようになり、気付かれると先生達とお弁当を食べなければならない謎ルールが私のみに設定されました。
謎の強制ですので、当時の私には意味がわかりませんでしたが、先生達からすれば優しさかなと。
私は独りで食べることに慣れているし、それが好きでしたが、先生達のおかずをもらえるのでラッキー。
しかし、園内のある先生は私に言いました。
「先生達と食べたくなかったら独りで食べてもいいんだからね」
その先生は、他の先生とは全く違う見方をする人でした。
優しさと思いやりの違いでした。
それをきっかけに、迷うことなく私はその先生と二人で食べることを決め、その後はいっつもその先生と一緒の楽しいお弁当タイムでした。
優しさと違うために、思いやりがあるかないかは、他者から言われなければわかりにくいものです。
優しさと思いやりの違い
優しさと思いやりの違いは見えにくいですが確実にあります。
同じように相手を気づかって親切や配慮をする中で、自分と相手の状況をどこまで含めるか、それを認識するか、相手のためか利益を与えるかの違いがあります。
- 優しさとは …相手の状況を主体に、相手のためを思う気持ちや行動
- 思いやりとは…自分と相手の状況を主体に、相手に利益をもたらす気持ちや行動
優しさは相手のためを思っているので、相手の状態や状況が主体。わかりやすくするために極端に言うと、相手が言ったことが全てという具合で、「助けてー」と言われれば助けるのが優しさです。
そのため、優しさとは自分のためでもあります。ルールに沿ったことでの自己正当化、周囲からの評価を得る承認欲求、相手からの肯定、自己満足。
もちろん、自分のことを考えずに優しく相手を気づかう親切もあり、いろいろです。
思いやりは、「助けてー」と言われた時に助けるかどうか、まずは自分で判断します。
相手の状況も主体にしますが自分の状況も含めます。そして、相手の利益(喜びや苦痛のなさなど人それぞれの納得や満足)をもたらす行為であるために特徴的なことが起きます。
相手の利益を生み出すために使用するので、自分の状況を含めた主体性を相手のために使います。
自分の能力をそのため、「助けてー」と崖に片手でぶら下がっている人が叫んでいたら、直ぐに状況判断、「遊びたいのかな」と思ったら手を差し伸べない。そんなヤベーやつに。
話が反れましたが、思いやりとは自分と相手を共に主体にして、相手に利益をもたらすことです。
思いやりには相手を見る力が必要になります。
- 優しさは、「相手のため」という曖昧なニュアンスに、自分のためや自己満足も含まれる
- 思いやりは、相手を見るための自分の認識を忘れず、相手の利益という明確な目的を持つ
思いやりは相手の利益を生み出す優しさです。
定義付けは曖昧なものですし、人それぞれの認識があるので、何が思いやりで何が優しさでもいいと思いますが、思いやりは少し難しいということがわかってもらえれば幸いです。
思いやりがないと言われることの有り難さ
優しさは世間的なルールに則れば自分を主体にせずとも優しくなれます。
もちろん、気持ちや行動にて“相手のため”となることですので、人への愛や敬いにて優しさを持ちます。
心洗われるような清さがありますが、思いやりと比べると、相手の立場になる理解が乏しくなります。
言い方を変えると、何も考えていなくても優しい心があればなれます。
思いやりには相手を見る力が必要になり、[優しい心+相手の目]が求められます。
相手の目になれているかの答えは相手本人にしかわかりません。
思いやりとは自己満足ではないので、実際に相手を見れているのか、ただの思い込みかを反応や結果で知る必要があります。
何もかも相手が知り得る回答を模索する状態なので、思いやりがあるのかないのか自覚が困難です。
そこで、「あんたって本当に思いやりがないね!」
ズズーンのガーンだけど、そうなんだね、良かったよ知れて、ぽろぽろ。
思いやりぽろぽろという映画あったっけ?
「思い出じゃ!」と言われながら嬉し泣き。
思いやりの有無を自覚することで、思いやりを見直すことができます。
そのため、思いやりがないことを直したい人にとって、「思いやりがないね」と言われることは有り難いことでもあります。
特に日本ではズバッとは言わない思いやりがあります。このように思いやりを思い込むことで、相手を理解せずに直すことが遠のき、優しさでもなくなります。
思いやりは思い込みや自己満足ではないために、本当に思いやれているかは相手に言ってもらうか、反応を見て判断できる力を付けるしかない。
「思いやりがないと言われたから直したい」と思う場合には、その言った人は思いやりがあるのかもしれません。
「そんなこと言わなくたっていいじゃないか、ちくしょー」と思う場合には、ただの否定、悪口でしょうが…。
※思いやりがない人の心理は、思いやりがない人の心理と改善│本当に気にしたいのは思いやり偽善 をご覧ください。

思いやりがない、直したい

思いやりがない時に知りたいこと
思いやりがないと自覚することで、思いやりを育むことができます。
自覚がなければ思い込みを激化させ、優しさと思いやりの区別は困難に、もはや分けて見なくなるかもしれません。
自覚はそれほどまでに大事なことでして、自覚することで思いやりを直す方向へ向かえます。
直すために初めにすることは、思いやりを知ることです。
これまでの内容をまとめるような感じで、思いやりとは何かを見ていきましょう。
思いやりとは何かを知る
思いやりとは優しさを持った上での行為、相手の利益をもたらす気持ちや行動です。
相手の利益をもたらすためには、相手のことを知り、相手の立場になり、状況や状態、意見や価値観、欲や願望を知る、“相手の目”になります。
何を欲し、何を求め、何に喜び、何に満足し、何に納得するか。
「そこまで知るかいっ」という感じですが、少しでも相手のみが知る正解に近付くことが求められます。
思いやりとは、優しさを使用して利益を与えます。
利益をあげられなければ思いやりにはなりません、優しさにはなります。
思いやりかどうかがはっきりわかるのは、相手が心から感謝するかどうかです。
優しさでも感謝はありますが、利益を得られたかどうかにて感謝の度合は大きく変わります。
思いやりを知るためには知識だけでなく必ず体験が伴います。そのため、心から感謝される体験が思いやりを最もわかりやすく知る方法です。
自分に思いやりがあるかを知る
思いやりがない時にもう一つ知りたいことがあります。
自分への思いやりがあるか否かです。
思いやりを持つためには相手を思う理解が必要ですが、その基盤は自分ですので、自分の認識を理解していなければ相手を思う余裕はありません。
相手の目になるために必要なことがありますが、その前段階に人を知るための認識として、自分の意見が曖昧、感情表現・自己表現が上手くなされていないことをなくします。
認識の基盤をしっかり持ち、その上で相手を理解するという具合ですので、まずは自分らしく在ることが大切になります。
自分に思いやりを持つことで自立にも繋がり、より相手に思いやりを持つ余裕ができます。
自立には、社会的自立、生活的自立、経済的自立、精神的自立などさまざまにありますが、どれか一つでも複数でも、自分たらしめる余裕となり自己への思いやりが加速しますので、自立しているか否かも注目したい点です。
※思いやりの心についての詳細は、思いやりの心とは他と自の同一化│持つためには敬いを育む覚悟 をご覧ください。

思いやりがない時に直したいポイント
思いやりとは経験しながら育み学ぶもの。そのため、思いやりがないことを直したいと思う場合には見直しが大切です。
自分の見直し。
見直すことは、「どうして思いやりを持ちたいか?」の答えです。
思いやりと優しさを区分けすることで、思いやりとは自己満足でも思い込みでもないことがわかります。
そのため、誰か人を思いやりたいという気持ちは、優しさを超えた他者の敬いです。
- 人から言われたから思いやりを持ちたい場合には、優しさを持つことが先決
- 自己肯定や承認欲求、自己満足や優しい気持ちを味わいたい場合には、優しさの方
- 自分に思いやりがない場合には、優しさから
優しさがあらゆる自分や他者との関わりを良きものにする基盤です。
他者の利益が自分にとっての喜びになる。または、他者や自分という個々の区分けをなくして分け隔てなく関わる認識があることで、思いやりを持つ理解へ向かいます。
「神かよ」という感じですが、思いやりを持つには“余裕がない状態がない”ことが前提です。
思いやりを持つために、他の干渉は全部ゴミ
突然口が悪くなりましたが、思いやりを持つためには他の干渉は一切不要、とんでもなく邪魔です。
人間関係では優しさはある意味常識の範疇というルール設定をしている人もいますし、優しさ以上に思いやりを求められます。
思いやりは実用的ですし効果的、利益を実際にもたらす行為ですので、「ありがとう」と言われるより金が欲しいという現実的な話。
「優しさなんか要らない、思いやりを持ってよ」
人間関係ではそんなことを言われるかもしれません。直接利益がもらえるのであれば、優しさなんかより思いやりが欲しいものです。
「同情するなら金をくれ」
これは、「利益にならない自己満足より、利益になる思いやりをあるだけ出せ」という翻訳でしょうか。
思いやりを持つ動機は本人自ら見出すしかありません。
他の干渉や押し付け、否定されることを恐れたり、嫌々頑張るなんてことは、思いやりには直結しませんので、万が一このような認識があれば優しさにシフトしましょう。
思いやりを持っていないにもかかわらず人を思いやろうと頑張る。これは自らを苦しめるのでやめましょう。
あくまで、自らが他者を敬い、利益を与える動機を持ち、人の喜びに喜ぶ余裕や気持ちがあることで思いやりを持つ一歩目に入ります。
この上で、思いやりを実際に持つ二歩目の話は先を読み進めてみてください。
※優しくなる場合は、人に優しくするには自分の喜び第一│方法は優しさを知る経験 をご覧ください。

思いやりを持つ方法①:相手の目になる
思いやりを持つ方法の一つ目です。
相手の立場になって、同じ認識として、思いやりたい人の目になります。
人を模索するのではなく、「自分がこの人だったらどうするか?」というシンプルな理解です。
他者のことはわかりませんが、私達には脳があって心があるので、思考や気持ちにてそれらしいものに近付く努力ができます。
相手の目になることは、あくまで自分の目を相手の目に近付けることを意味します。
それが、共感。
同情ではなく共感で、相手と同じ立場になる努力をする。
同情は相手の感情に入り込むため、自分の主体がなくなります。思いやりは自分も相手も共に主体ですので、相手に飲み込まれず同じ目線が大事。
寄り添うことです。
悩んでいる人がいれば隣に座ってみます。同じ体感に近付けるように同じ状態を、そして話されれば話を聞いて、同じ状況をイメージして体感します。
相手の目になることは、自分の目で相手と同じ目線と視野と認識を理解しようとする気持ち。そのためにはイメージして想像する力が重要です。
思いやりを持つ方法②:そのままを敬う不干渉
二つ目の方法は、「そのままで良い」と人を受け入れる許容です。
相手を変えようとしたり、押し付けて干渉して、決め付けて私物化。良かれと思って口出ししてしまうことを自覚します。
自覚した上で相手のことを思いやっているのであればいいのですが、自分が納得や満足、嫌な気持ちにならないためであれば、敬いとは遠く離れています。
そのままを尊重し干渉しないことは、相手を放っておくのではなく自分を理解する方法になります。
なぜならば、放っておくことで自分自身の価値観や欲が見えるからです。
不干渉にて自分を理解し、人を敬う余裕があるかどうかを知る。余裕がなければ優しさにてより人を敬い、自分も敬えるようになることが大切です。
自分を敬って余裕が出た時に、思いやりたい気持ちがあれば、寄り添い相手の目になる力が育まれていくことと思います。
思いやりを持つ方法③:相手の立場になるゲームをする
他者の利益が自分の喜びというのは、相当余裕がなければ難しいと思います。
ですが、「思いやりたい」という気持ちがあれば、それで全然OK。
相手も喜び自分も喜べればそれが何よりですが、自分が喜ぶために相手を喜ばすという考えを応用すると、相手を知ることを遊びのように楽しめれば、自分のためになり、結果的に思いやる能力にもなります。
これまでの内容と違うのは、思いやる気持ちや行為ではなく、思いやる能力にすることです。
能力向上のために人を知り、理解するための行動をゲーム感覚で行います。
スーパーの帰りに商品を詰めた袋が三つ、奥さんはどういう目でこの状況を認識して、何を求めているのか?
当てましょう。
……
正解は袋一つ、卵や瓶の入った袋を持って欲しい~。
理由は、奥さんは最近目が疲れていて、距離感覚が鈍くて物によく当たるから。
なんて具合に、能力向上を図る遊びを自ら行うことで、思いやる能力を上げていきます。
より多角的に広範囲、さまざまな人間関係を対象に遊ぶことで、相手の利益が喜びなんていう奉仕精神はなくとも、自分のためが相手のためになり、そのための行動や努力を育む時間になります。
※思いやりがないことで起きる気が利かない話は、なぜ気が利かないの?改善には気が利きすぎる人が大切な話 をご覧ください。

思いやりを持つ方法 まとめ
思いやりを持つ方法にてお伝えしたい主旨があります。
それは、思いやりには優しさがあり、相手の目になる気持ちがあり行動があり、そのために自分を思いやる気持ちがあり行動があり、そこには能力もあること。
全てを要約すると、思いやりとは、自分を敬った前提で他者を敬うことで生まれる人間関係の光です。
感謝する側は自らの喜びを称え、相手を敬い尊重する意志を作ります。
感謝されることで体感が伴い、より人間関係を良きものとする動機が生まれ、循環を作る流れになります。
そのため、思いやりとは人間関係の循環となる始まりであり、加速材。
何が言いたいか。
人間関係に影響を与える者が思いやりを持つということです。
思いやりがないと言われることは全ての始まりです。現状影響をもたらす状態ではないことは、何かを創り出して発信する関わりではなく、受動的に受け手に回っている人間関係を意味します。
いろいろ言ってきましたが、大切なことはここに集約されます。
自ら影響を作り、人間関係の彩りをもたらす姿が、結果的に心から感謝される経験によって光を作る動機を生み出し、思いやりという力を育ませます。
物事は意外に自然と起き、流れていくものです。
これが独りで生きているのではなく、人と人の関わりの中で作られる“思いやり”というものです。
※思いやりを知るための優しさの詳細は、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をご覧ください。

思いやりがないから直したい まとめ
何度も言ってしまいますが、「思いやりがない」と言ってもらえることはとても有り難いことです。
自覚は改善と対処と成長に必須です。
自覚が難しい思いやりの有無は、誰かに言われることで変わる機会となり、物事は本人の意志によって進んだり、なくなったり。
せっかく言われたのであれば進みましょう、発信しましょう、影響を作りましょう。
そのためには、まずは優しさ、その後に思いやり。
自らの気持ちが主体、認識が主体、行動が主体です。
全ての主に+して相手を入れていき、思いやりがスススと表れ、自分という人格を良きものに変えていきます。
優しさも思いやりもどちらも大切なもので、人との関わりに欠かせない潤滑・循環・円満アイテム。
アイテムの有効化、自らを思いやってから他者のために使用してみてください。
そんな話が役立つことを願います。