【カタカムナ診断で自分を知る】
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※一人一人にある『氏名』の個別診断、“名”と“音”の世界の具象化
※カタカムナ診断、名前に潜む本質をお楽しみください
帰宅と同時に持って帰ってきたものは、お土産の寿司ではなかった。
「ぶちまけるなら美味しいものがいいな」と思えますが、実際は臭い暴言。
やってらんない、見てらんない。
子供時代だけ許された不機嫌のおにわ~そと、生育した人間が行うとハラスメントにすらなる危害。
大きな身体で表に出されると、勢いも相まって振り回されてしまうかもしれません。
ここでは、不機嫌を表に出さざるを得ない理由、潜むシンプルな内情を言語化していきます。
- どうして不機嫌を表に出すのか知りたい
- 振り回されないための考えを知りたい
マイナスだけでなくプラスも潜む不機嫌の表し、人間関係の大事な核が潜みます。
より人間との関わりを視える化するためにも、一つのご参考になれば幸いです。
Contents
不機嫌をあえて表に出す人の幼稚性

不機嫌をあえて表に出す心理
ムスッとした顔で、ファーファーと溜め息、チッチと舌打ち。
ギャーギャー言っている、「もう夕方の鳥が鳴く頃合いか」と思ったら鳥ではなくそれ人間。
仕事帰りに、「お菓子買ってよー、ワーワー」とわめいている子供をスーパーで見かけたと思ったら、
帰宅すると家には、「ご飯が遅い!」と文句を言ってくる旦那、イライラが止まらないようで激辛するめを食べまくっている。
感情コントロールする気がない。

なぜする気がないのか?
ただただできない人もいれば、制御を我慢だと思っているので、「ストレスになる」とやりたくない人もいれば、しなくてもいい相手だと思っている人もいます。
無力、思い込みによる自己防衛過敏、尊重のなさ。
そこには甘え、支配、怠惰、依存、執着、見下し、疲れ、余裕のなさが見られます。
総じて未熟性。
未熟性は幼稚さ。

幼稚な人ほど不機嫌を表に出すことに歯止めがなく、平気であり、違和感なく、罪悪もありません。
なにより表に出すことが自分のためになる認識があり、あえて表出させます。
方程式はこうなります。
[自分のことだけを考える自己中心性 + 他への無尊重 = 不機嫌をあえて表出させる]
この内情で着目したいのは、ただ自分勝手で自分のことしか見ていないから不機嫌を露わにするのではないこと。
自分側の見方しかない状態です。

子供とかくれんぼして、押し入れに頭だけ入れてお尻を隠さない、どうやら隠れているつもりらしい。
幼稚性は自己中心的である場合もありますが、それ以上に着目したいのは自分側の見方だけが強まり、自分以外の見方が弱い状態であることです。
自己認識の過剰、または他者認識の欠落です。
作用はこうなります。
・自己認識の過剰…感情や欲望など情動刺激の感受が強まる、周りが見えていないのに見えていると思い込む
・他者認識の欠落…俯瞰性、客観視がなくなり、自制困難
これらのメンタルをシンプルにこうなります。
『精神的に余裕がない』
手が回らない状態、「感情コントロール、え?ムリムリ、見てよこの状況、今まさに情にフォーカスして感じまくってる最中ですけどー」
不機嫌の表しは意外に普通?

するとこの世は成り立たない、という訳でもなさそうです。
余裕や思いやりがなくても常識やルール、文化や規範が義務教育を受けた私たちにはインプットされています。
すると心配りはできなくても、配慮や考慮できます。
その引替えが、『我慢、頑張り』

我慢によって配慮や考慮、足跡を消すように他者に迷惑をかけまいとしたり、損害回避、防衛を図るために自己抑圧、他への順応、そのために頑張りを要し、成果を得ます。
常識的な振る舞い、防衛特化にて不利益を削減しながら、抑圧とエネルギー消費がマストとなり、頭を使う計算・損得・先読み・予測を多用します。
不利益や嫌なことを避ける技量が高まるため、身を護れます。
一方、さらに精神的余裕がなくなっていく可能性があります。
配慮や考慮は計算に基づく行動学、教科書に書いてある正論というものに限定されていき、形だけで思いやりがなくなっていきます。
より自己認識が過剰化し、より他者認識が欠落し、不機嫌になりやすい。
「露わにしなければストレスが溜まる、これも我慢、また頑張らなくちゃいけない、家に帰ってまでこんなことしたくない」

露わにしたくなる、少しでも気の休まる時が欲しい、我慢したくない。
時間も空間も、体力も脳みそも、腸も金も、人間関係も、余裕がなければないほど心がひっ迫し、精神の余裕がなくなります。
不機嫌を表したいのは当然になります。
国や環境によって当然のように余裕がなくなる場合もあるため、意外に普通のことかもしれません。
嫌なことばかり溜め続けていれば、爆発するのは誰しも当然です。
※不機嫌を出す人の心理詳細は、【心理&対処法】不機嫌を表に出す人の企み をご覧ください。
不機嫌は心の反発、大切な表し

幼稚な時はたくさん幼稚を表すからこそ、他者との関係性にてたくさん痛い思いをして成長できます。
誰かれ構わず無差別に駄々をこねくりまわしていた頃から、「あれ、誰もかまってくれないじゃん」と学習していき、起き上がってスタスタ歩き始めます。
反応してくれる人に限定されていき、成長と共に自制や許容を高め、冷静になっていきます。
誰も反応してくれなければ、表す意味がないために表せなくなる可能性もあります。
表す意味があるのに表さない人もおり、機嫌をコントロールしているつもりで実際には我慢で本心を抑圧、または常識に反することや周囲の目が怖くて縛られるのを優先する人もいます。
さまざまに向き合いはありますが、そんな不機嫌は心の不納得。
思い通りにならなかった、期待していたのに、傷ついたなど、心が反発している表れです。
心を開いているからこそ心は不納得になれます。
何に対して怒るかによって自分に大切なものがわかるように、どうして不機嫌になったかによって心が重んじていることがわかります。
だからこそ子供の時は包み隠さず不機嫌を露わにする大切さがあり、自己理解が潜在的に促進されていきます。

自分を知るためにも、または自分を知ってもらうためにも大切な表しが心の反発、もとい不機嫌です。
ただ、これが他者に迷惑になる場合、何かしら問題点が見えてきます。
不機嫌をあえて表す人は『無〇〇』
余裕がなくなりやすいシステムにいるのが私たちの多くだと思います。
冷静にならず、間髪入れず不機嫌になるのは、なにか抜けている感じが否めません。

縛りが多い、強迫観念で固まっている、頑固、自分を変える気がないなど、過剰な自己執着の可能性があります。
そしてなにより、思考停止が考えられます。
思考停止している人とは自分の意見がない以上に、自分の感情・思考・行動に責任を持っていない人です。
これに該当する人には明確な表れとして、無責任な特徴があります。

例えば、「嫌だ、今日のご飯はかつ丼がいい!ハンバーガーなんて嫌だ!ギャーギャー!」とおばあちゃんに駄々をこねるおじいちゃんがいます。
この時、無責任かどうかは直ぐわかります。
「だから何?」の答えを自分で出すかどうかです。
「おじいちゃん、ハンバーガーは嫌なんだね…、だから何なの?ぬぅっ」
相手を突き離して傷つけたいのではなく、シンプルに、「それでどうしたの?」
この答えを出す気のない人が無責任であり、思考停止であり、不機嫌をあえて表に出す人。
「食べたくない…だから何?」の答えがない、出す気がない人は余裕を自分で作る気がないため、ただムスッとする、ただ従う、ただ文句を言い続ける、かまってもらおうとする、支配的になる。
無責任な人は他人に答えを出させようとします。

答えがないから先に進まず、いつまでも不機嫌を貫く自己はまりが起きます。
「夜にトイレに行けない、怖い!」
「怖い…だから何?」
その先がありません。
「一緒に行って、お願い」ができません。
お願いして、「嫌だ」と言われたら終わりだから言いもしない。
だからこそ高圧的に命令して、終わりにならないように他人を利用する人も出てきます。
「怖い」で終わり、何もできない、余裕がない、余裕を作る工夫も対処も、その気がそもそもない。
他人にすがる、委ねる、依存する、執着する、利用する、黙ってるしかありません。
※黙っても答えを探している人は別
責任を持つ人は、「怖い」と伝えて相手が何もしてくれなければ、黙って一人でトイレに行きます。
余裕の有無は責任の有無。
責任を持つ人は自分の思考と行動を自らで認められる人。
拒否しても、嫌なことがあっても、思い通りにいかなくても、期待どおりに支配できなくても、「だから何?」の解を見つけようとする人です。
不機嫌をあえて表に出す人とは、自分の不機嫌に対する答えを自らではなく他に求めている人。
ちなみに、自分の機嫌を自分で取るかどうかではありません。
自分の機嫌にある答えや意味(または意味はないという意味)など、何かしらの解を自らで見出す気があるかどうかの責任有無です。
※機嫌を取る本質は、「自分の機嫌は自分で取る」の勘違いに要注意【ニコニコしなくていい】をご覧ください。
他人の不機嫌に振り回されない

注意人物:めんどくさい不機嫌
「この牛丼、肉の量が少ない、プンプンプン!」
「チッ、なんかご飯が不味くなった、あーあ」
このままイライラを継続、いつまでもプンスカやってるので一緒にいると大変。
「だから何?」の答えを出す気がないと、機嫌が悪くなるとずーっと不機嫌。
朝からムスッ、昼もモスッ、夜はプスッ。
職場ではドアをドーン!と壊す勢いで閉じ、自動販売機のボタンが壊れるほど押し込み、ロールパンをこれでもかと言わんばかりにストレートにしながらこっちを見ている。

なんか、見ている。
後ろ姿なのに、背中に目が付いている、こっちを見ている。
しびれを切らした周囲がかまったりなんなり、「な、なんか…あのパン屋ダメだね」と接待。
「そうだよねぇ」と不機嫌はまりから抜けるチャンスを得た本人は、次のコマを差し出してもらえて内心安堵。
自分でコマを進めない、作らない、ただ受動的に、でも強要はしていない、それで何とかしてくれる人がいたらかっこうの餌食。

かまって甘えさせることは本人の成長機会の抹消にもなるため、無責任は本人の問題だけでなく周囲との関わり、親との関わり、育ちも影響します。
無責任が過剰化すると、おやつがないから駄々をこねるだけでなく、お母さんをバシバシ叩く子供になります。
「この前は駄々こねたらわた飴買ってくれたんだから、今回も買えよ~、駄々こねてんだろ~」
思考停止はこういう頭です。
これが支配、強要、押し付けなど、相手を変えて自己利益を得ようとする姿になります。
論破や他人批判、文句に愚痴に悪口、相手のせいにする、立場や優位性を利用します。
典型例はクレーマー。
中には自分がクレーマーだと思いたくないので、丁寧さや言葉遣いにて謙虚さを装いながら完全に他人を見下して自分を正当化するタイプもいます。
例えば、「不機嫌な人が嫌いだ」と言いながら、その不機嫌な人によって自分も不機嫌になっており、その自分を見ていない。
お母さんが不機嫌、それによってお父さんも不機嫌になり、子供が最も損害を被っているなんてパターンです。
このことからお伝えしたいのはこちら。
めんどくさい不機嫌人とは、自分を変える気がなく、常に相手のせい(または自分は正しい)にして相手を変える認識しかない人。
※怒ってばかりの人の育ちは、【すぐ怒る人の育ちに秘密あり】関わるのがめんどくさい時の対処法 をご覧ください。
振り回されないために➀:飲まれない

相手の不機嫌によってこちらも不機嫌になったら本末転倒、対処するターゲットは“己”になってしまいます。
相手の嫌な雰囲気やエネルギー伝播は心地悪いものですが、これに飲まれると空間を支配されます。
[支配される=責任を持たされる+その同意をした意]
気まずい雰囲気に耐えられず喋り出すように、相手のためではなく自分のための行為であれば、同意したのは自分なので責任を持つ必要があります。
[相手の無責任に飲まれる=相手の責任を持ってあげる必要]
「途中で出だしするなら最後までやってください」という状態です。
相手の感情は相手のものでしかなく、相手そのものにしか生み出すことができないため、責任をそもそも持つことができるのは自分以外に誰一人いません。
そのため、手出しすることは相手の責任を奪い取るのと同義になってしまいます。
何より重要なのが、手出ししない、干渉しないこと。
耐えられず手出しする、をなくすためにも、これまでの内情がお役立ちになると思います。
「この人はこういう人なんだ、不機嫌の答えを見出せない、次のコマに進めないんだ、あぁこれもまた人間か」と。
如何に放置できるか。
不機嫌にて実損が出れば話は別ですが、放置が相手の尊重になり、飲まれないための線引きにもなります。
不機嫌に飲まれないための放置、これは相手の尊重です。
迷惑な人や無責任な人の場合は放置が方法ですが、こちらの言動によって相手を不機嫌にした場合は話しが変わります。
放置ではなく共感、相手側の立場になる理解、自分の所業を見つめて相手を思いやるなど、不機嫌は心の表れであるため、お互いの関係性を深める機会になります。
振り回されないために➁:協力

「不機嫌は余裕のなさ、思いやりのなさで露わになる」という考え方では、いる環境によって自然発生的に起き得ます。
しかし、余裕を生み出す、またはストレスの排出口を探す工夫や努力が私たちにはできます。
この余裕の生み出しをしないさま、捉え方を変えるとこうなります。
他者と一緒に答えを出す気がない。
一人で我慢する、頑張る、他に頼れないなど、自己に固執するほど自己認識に特化し、一人でモンモンとすれば余計にイライラが止まらなくなります。
コミュニケーション不足、またはコミュニケーション能力の低さがあるほど、他者への尊重が難しくなります。
協調や協力、調和や共有意識のなさを意味します。
助けを求めていると思われたくないけれども、どうしようもできない状況。
どっちつかずの行き詰まり。
なので放置。
ですが、もし身近な人、大切な人であれば迷わず協力したいものです。
※もちろん身近でなくても協力すると全体の雰囲気が変わる、リーダー能力の一つ
一緒に不機嫌の答えを出す共同作業。
「一緒に遊園地行けると思っていたのに、ムスッ」
「遊園地に行きたかったのに結局行けなかったね、だから何?」の答えは何か。
「寂しい、悲しい、辛い、心が傷ついた、もう我慢したくない、もう痛い思いをしたくない…」
何かしらあります、一緒に見出せる答えが。
「頑張った」
「辛かったね」
「悲しかったね」
「もう我慢しなくていいよ」
「いつもみんなのためにありがとう」
不機嫌には怒りという感情があります。

怒りは自己愛であり、自分にとって大切なことが表れます。
『心』
不機嫌の怒りには心の叫びがあり、何かしら本人の沼はまり、手詰まり、行き止まり、叫び、彷徨いがあります。
本人の問題だからこそまずは放置。
その上で協力し、一緒に解を出せることを知る経験が本人のためになります。
解決策を知る経験が光となり、飲み込もうとする言動は減り、支配する以上の有効策への開口があります。
調和の高まりにも、希望の見出しにもなり、自律と自責が加速して学びや気づきへ繋がっていきます。
振り回されず、相手のためにもなる、不機嫌は機嫌よく生きるために欠かせない材料です。
※機嫌よくする方法は、自分の機嫌を取るのが上手い人の特徴11選&方法【機嫌と仲良し3ステップ】をご覧ください。
最後に:話し合う大切さ
一昔前であればパチンコ台をよく叩いている人がいましたが、最近は見かけません。
自制できるようになっていれば本人のためになりますが、ただ我慢して抑圧しているだけであれば状況はより悪化しているかもしれません。
一昔前、周囲はよく放置していたと思います。
放置には許しがあり、見守る許容があり、干渉しない尊重があります。
しかし、今の時代の“放置”とは関わらないための排他であり、そこには見下しがあり、何より心がありません。
放置を排他だと思えば、「そんなことしたくない」とかまう干渉に向かう人もいます。
「自分が嫌な気持ちになる」と相手ではなく投影した己にしか興味がなく、己が気楽になるために干渉する、そんな共依存もあります。
人によっては子を所有化する親のように他人の責任まで持とうとして、他者を尊重しない言動が増え、独りよがりになります。
「話し合えば解決するのにしない」
例えば、牛丼の肉が少ないと不機嫌になった時。
お肉が欲しければ、「これ少なくないですか?」と店員さんの意見を尋ねて、一緒に判断することができます。
わざわざイライラを伝えるのはなんでなのか?
思い通りになるかどうかに固執せず、意見を伝え、冷静に答えを一緒に見出すこともできます。
理不尽な言いがかりは別、支配や他人利用であれば既に不機嫌ではなく、不機嫌を使った我欲なので放置一択ですが、
一緒に解決するための話し合いは、人間だからこそできることの一つです。
中には、「ルールなので何もできません」で対応してくれない、まさに無責任で思考が止まっている店員もいます。
「意見を伝えても意味ないだろう」と希望を持ちにくい環境もあります。
しかし、相手に合わせて思考停止するかどうかは選択、もちろん止める選択なんてしません。
不機嫌は心の反発であるため、相手は心を表してくれている意味があります。
心の表れであるかを見極めて共同意識を持つことは、人間でよかったと想える一つだと思います。
大切な感情の表しである考え方、一つのご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。


















