『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
優しくない人ほど自分のことを優しいと思っていたりします。
優しい人ほど自分のことを優しいと思わず、「私は冷たい」と言ったりします。
両者の違いで明確なのは、辿り着いたのか否か。
優しいと思う人は“優しさ”という何かに辿り着いたのかもしれません。
ここで疑問になるのは、優しさとは定義される(できうる)ものなのかどうか。
ここでは、優しそうに見えて実は冷たい、または優しくない人を紐解き、優しさの片鱗に近付きたい、的な内容をお伝えします。
- 優しそうに見えて冷たい、優しくない人の内情を知りたい
- 優しそうに見えて冷たい人の見分け方を考えたい
優しかろうが優しくなかろうが人それぞれ何が重要か違うので、関わる時にちゃんと見極めることが大切です。
そのための考え方としてご参考になれば幸いです。
Youtubeもありますのでぜひご覧ください。
Contents
優しそうに見えて冷たい人・優しくない人
優しそうに見えて冷たい人の特徴
関わってみたら、「実は冷たかった」という人は多いと思います。
- 心を開けないジレンマにて冷たい態度をする
- 心を開く気がなく、意地悪、人を利用する
①は心を開きたい気持ちがあるからこその冷たさでして、自分との戦いをしながらも他者のことを考えるが故。
コンプレックスや心の傷、トラウマがあり、他者に優しくする余裕はないけれども優しくしようと頑張る結果、冷たくなったり、突き放つことをします。
ツンデレや、ぶっきらぼうになる不器用な人。
実際に優しい人であり、“優しいからこその冷たさ”と言えそうです。
なので、「優しそうに見えて」というこの内容には含めません。
着目は②の心を開く気がない人です。
主だった特徴はこのようなものがあります。
- 優しくする自分が好き
- ルールに従順(本人無自覚)
- 他人に無関心になれる
- なんでもかんでも褒める
- 縁を切っても罪悪を感じない
- 平気で嘘をつき、平気で誤魔化す
- 自分によって相手が変わることを楽しむ
- 「信頼してる、あなたのため」と重い言葉を気楽に使う
- 責任感がなく、搾取癖があり、器用貧乏
- 自分に非を認めず、肯定感を強く欲する
- 優越感と劣等感への強い執着
- 子供のように甘える時がある
- 自分を正当化する
子供っぽい自由奔放さと知的なさまがあり、シーンによって大人ぶることもできる演技上手でもあります。
無責任であり、「私の手によって相手を変えている」などの自己効力を相手の反応にて見出す欲が強くあります。
ルールに従って生きていながらも気付いておらず、「私は自由で、普通とは違う」と内心思っていたりします。
いわゆる、自分そのものがまるでない、にもかかわらず優しい振りをすることで自分が何者かになれてさらに肯定できるので、優しくする状態を好みます。
このメンタルがあると皆一様に、自分が自分自身への興味を駆り立てるために人を利用します。
※自己愛を満たしたいナルシシズムの一種であり、生きている意味を承認にて渇望するさま
人によっては、人を利用していると思うことに嫌な気持ち(不安や恐怖)を感じるので、自分を誤魔化して不安や恐怖を感じないようにします。
「私が人を利用しているなんて、そんな訳はない、だって優しくしているじゃないか」と。
優しそうに見えて優しくない人の特徴
同じ“優しい振りをする人”でも、内情が違うので分けておく必要があります。
冷たい人と優しくない人の違いは、責任に対する認識で明確にわかると考えます。
他責か無責任かです。
- 優しそうに見えて冷たい人
・・・無責任 - 優しそうに見えて優しくない人
・・・他責
無責任な人はなんの悪びれも、罪も、恥も感じません。
優しい振りをして近付き、人の所有物や権利を奪ってバイバイ、なんてことも起きます。
他責な人は誰かのせいにして事実から目を背けます。
「これは私のせいではない、相手がいけないんだ、相手のせいで縁を切るんだ」
責任感や罪悪をどこかに感じているが、それを受け止めたり向き合えないために、他者に責任を置いて逃避・誤魔化す運び。
このような特徴があります。
- 優しくする自分が好き
- 急に縁を切ったり、いなくなる
- 一方的な思い込みや決め付けが多い
- 心の傷を守りたい願望が強く、触発すると荒れる
- 悲しくてセンチメンタルな気持ちを好む
- 被害者意識、自己憐憫性が強い
- 我が強く、頑固で曲げない
- ふてくされたり、幻滅する
- 相手の気持ちを考えない
- 愛されたい気持ちが強い
- 許せない気持ちが強い
- 自分への嘘が多い
- 否定的で批判的
他責の人はとっても否定的で批判的です。
否定することで自分の責をどこかに放り投げられるので、排他的行為を多用します。
嫌になったら直ぐ放り投げ、不安と恐怖の向き合いを断固拒み、自己世界に浸る傾向があります。
この優しそうに見えて優しくない人に該当する場合、自分を優しいと思っている節が強くなります。
優しくないと自覚した上で優しさを演じている訳ではなく、本当に優しいと思っている。
※優しさと思いやりの違いは、【日本の特性】優しいけど思いやりがない人の特徴と心理 をご覧ください。
自分のことを優しいと思う人:何者かになりたい
「優しさ」というと、他者への寄り添い、共感、思いやり、尊重や慈悲が思い浮かびます。
他には、他者に楽しみや笑いの喜びを与え、危害や損害を与えない不利益の回避を提供する働きなんかもあります。
人によっては自己愛を相手に投影し、「可哀想だ」と思うことで自分を撫で可愛がる策に入る人もいます。
優しい人は心配せずに見守り、相手を理解しながら怠惰に向かわせず、自立や責任を学んでもらいながら本人の在り方を尊重し、サポートします。
自分側の認識一辺倒では行為が優しさなのかどうかわからず、さらにこの瞬間だけでなく長期的に捉えて今は厳しくすることも優しさになります。
優しさとはその時その時の自他の繋がりにて作り合い、さらに未来も含めた俯瞰的行為によって形作られます。
国や場所によって、時代や背景によって、常に変化し続けるものです。
自分のことを優しいと思う場合、この特定困難な優しさを“何か”として特定していることを意味します。
特定できたからこそ優しさを与えていると自認でき、優しさを受け入れたと信じられます。
とっても高尚なことで、類稀な人生経験や精神性によってもたらされると考えます。
そんな人は優しくする相手との繋がりをも特定できるため、自然と謙虚になります。
他者を敬い、相手を深く理解し、そのための努力を惜しまず、謙虚に他者を受け入れ、自他に適応した在り方を見出し、行為します。
私の理解上、インドで出会ったチベットの法王ダライ・ラマ14世が該当すると思います。
優しさを自らに認めるのは本当に難しいことですので、基本的には自分を優しいと思う場合には、「そう思いたい」が真相かもしれません。
例えば、「心配することが優しさだ」と決めれば、それは自分にとって優しい行為をしている世界に入ります。
この時点で自他の繋がりはなくなってしまいますが、自分を肯定しやすくなります。
優しくすればするほど肯定できるので、信じてやまなくもなります。
実際には自己肯定感を高め、自らを何者かにしたいが故の努力と頑張り、そんな行為なのかもしれません。
優しさではありませんが、大切な生存戦略の一つです。
自分に嘘をつかない人は優しい
自分に嘘をつかないことは自分の認識(気持ち・思考・行動)を誤魔化さない意味。
“自責”の表れです。
自責とは、自らの思考や行動を認めて自覚すること。
一度思ったならば、感じたならば、それが事実ならば、偽らずに受け止めます。
受け止め難い物事とも向き合うので辛さが増え、自己否定したり自己肯定感が低くなってしまう苦しいものです。
心が折れようが精神を病みようが、認めたくない現実であっても自分に嘘をつかない自責のある人は、紛れもなく強い人です。
自責がある人は自分のしていること、したこと、そして他者に与える影響も与えた結果もしっかり認めようとします。
認められなくても目を背けずに向き合う気持ちがあります。
失敗や罪悪を認め、後悔反省し、今後の糧にすることができるため、人それぞれにペースは違いますが優しい人たらしめる在り方が出てきます。
突然いなくなったり縁を切ったり、理由もわからず我慢の限界で人間関係をリセットする人には優しい振りをする人もいますが、これに該当する人は強い人であり優しい人です。
他者に嘘をついても自分に嘘をつかないのは、自らの心に誠実であろうとする人間性そのものです。
自分のことを優しいと思っていてもなんでも、自責がある人は自らを見つめながら精査・修正し、本当に優しい人としての在り方を磨いていく素敵な人です。
※優しいからこその冷たさは、「優しい人は冷酷なの?」冷たく見える理由12選&意識の特異性 をご覧ください。
優しそうに見えて冷たい人の見分け方
この内容は、優しい心を持つ方(それが大なり小なり関係なく)にとって優しさを見失わないため、または搾取や勘違いされて自分をないがしろにしてしまうのを防ぐため、これが隠れた目的です。
優しそうに見えて冷たい人の見分け方
気を付けたいものです。
関わる際は見分ける大切さがあります。
そこでお伝えしたいのがこちら。
優しそうに見えて冷たい人は、無責任で無関心。
パタッと興味を持ち、バスッと関心をなくせる切り替えの早さがあります。
話すと軽い、とても話しやすい印象を受けます。
「なんでも言いやすい」なんてイメージです。
「大丈夫?すっごい心配したよ」と言われて感じるものが、「あれ、ナニコレ、この人から何も感じない」という具合。
どこか信用ならない軽さとニコニコがあり、極端に人やモノやコトに関心がなくなる有り様なので見分けるのは容易だと思います。
問題はそれを人前で表すかどうか、あまり出しませんね。
そしたら内面にアプローチ、ということで無責任さです。
他責ではないので人のせいにするのではなく、「誰かのせい」という概念がありません。
「へぇ(どうでもいいけどね)」
「それね(どうでもいいけどね)」
「たしかに(どうでもいいけどね)」
「なるほど(どうでもいいけどね)」
語尾にこれらを見つけられると見分けられます。
発言の背景にある気持ちやエネルギーを感受して見分ける方法でして、スカスカの感覚があります。
※離れた方がいい人の見分け方は、【精神的な人はご注意】関わらない方がいい人の特徴と見分け方 をご覧ください。
見分ける感覚
感覚的には、「この人の何もわからない」という感覚があります。
外枠、外面、そこに肉体があるので存在はあるのですが、「この人を知ろう」と相手に認識を向けると、「あれ?」
何もわからない感覚。
そして、虚無感を感じます。
見分ける大きな感覚は虚しさです。
虚しさや寂しさ、相手を知りたい気持ちが強いほど悲しさも感じます。
「わからない」だけでなく、知ろうとすればするほどに虚しくなってくるのが見分け方です。
これはとても不思議な感覚なので、体感するとすぐにわかるかもしれません。
ポイントは、「この人を知ろう」と目的を持って相手を捉えること。
※相手を知ろうとしなければ、「わからない」感覚だけで終わってしまうので見分けるのは困難
無責任とは自分の思考や行動を認めるも認めないもないさまでして、野放し、フリー。
言うことはコロコロ変わり、以前に言ったことは憶えておらず、急にチャラくなり、饒舌。
そして何も残らない。
感受にフォーカスすると見分けやすくなりますので、ご参考になればと思います。
相手を見分けている態度や有り様が出ると、相手は直ぐに気付きます。
気付けば対応を変える器用な人ですので、判断するために探るのではなく、相手を知ろうとする気持ちが大切です。
「虚しさを感じるのは自分が心を開いていないから」という可能性もあるので、自他両方を見極める認識が大切です。
※優しい人だからこその強さは、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をご覧ください。
優しさはルールではなく気持ち
ただ、明確なこともあります。
優しさはルール従順ではなく気持ちです。
※気持ちはエネルギー感受
道路に入る際に車に譲ってもらった際、嬉しくなる時もあれば何も感じない時もあると思います。
スーパーで店員さんが袋詰めしてくれた時、「ありがとう」と思う時もあれば、何も感じない時もあると思います。
ルールに従った行為には気持ちが入っておらず、相手への着目がありません。
いわゆる、優しくする対象は誰でもいい状態。
「前が詰まっているから譲らなきゃいけない」のかも。
「譲ってもらって申し訳ない」と自分にフォーカスが強ければ相手の好意を無視しているかもしれない。
優しくする時には相手への気持ちがあります。
敬いや尊重、学んでほしい託しや希望、喜んでもらいたい思いやりや愛。
「ここは譲らなければいけない」という不安や義務感と、心からの「どうぞ」は別格です。
ルールは脳にインプット、あくまで機能使用。
後は自分の気持ち、与え、受け入れる、心の使用。
優しいのか優しくないのかは気持ちを感じることでわかる、そんな自他の繋がり行為だったりします。
感じるためにも自分を知り、相手を知る努力が欠かせない、そんな自らを相手のために寄せる努力の蓄積と伝播作用を優しさと言うのかもしれません。
※本当に優しい人については、本物は『知る』│本当に優しい人は傷つけ方を知っている をご覧ください。
最後に:優しそうに見えて冷たい人
「本当は冷たかった」ということは実際にはありません。
私たちは関わるその時その時にお互いが反応し合い、化学反応のように状態や状況が作られます。
冷たくなったのは元々冷たかったからですので、人を見極めるのは会った初めの瞬間だったりします。
冷たい人は自分にも冷たい人。
厳しい人は自分にも厳しい人です。
虚しい人は自分にも虚しい人、だからこそ刺激を欲し、反応を欲し、次から次へと人を利用しなければならない制約の中で生きています。
優しくない人は自分にも優しくありません。
それは自分を大切にしていないことであり、その結果、「これが幸福だよ」というルールを基準にしなければ物事を認められず、自分そのものも認められなくなってしまいます。
優しさはあらゆる受容の上に、肯定を加え、さらに繋がりを作る循環とクリエイティブな共作です。
優しくない人と関わる機会があれば確認してみてください。
一方通行であり、相互がなく、循環がなく、創造性がなく、お互いに見合っていないこと。
優しくない人と関わるからこそ、こういった本質の逸脱に気付くことができ、優しさの片鱗に近付けるのだと思います。
関わって感じる痛い思いも大切な経験ですが、一度味わったならば活かし、見分けていきましょう。
そのためのご参考になることを祈ります。
最後までありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
社会的に「優しい」と言われる行為をしている人を相手にした時、本当に空っぽでした。この経験を初めてした時、軽くパニックでした。なんだこれ?優しく…されてるんだよなー。うん、でもなんだか嬉しくない…自分はすごくイヤなやつになったのか?
相手からの気持ちが全く感じられない。
何度もやられると、重い石を持たされてるような感覚にさえなり、逃げました。利用されてたからでしょう。
逃げようとすると、空っぽな優しい人は怒りましたね。これが全てだなと目が覚めました。