対処・解消法

「自分の機嫌は自分で取る」の勘違いに要注意【ニコニコしなくていい】

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「自分の機嫌は自分で取る」と聞くと、「我慢して、笑顔でいなければ」と捉えてしまうかもしれません。

人にうっぷんを投げつけず、不機嫌をばらまかず、人のせいにしないために、じゃあどうする、ジャングルにでも行って「あー!」って叫べばいいのかな、あぁ。

そんなの嫌、する必要もありません。

「自分の機嫌は自分で取る」の本質は全く別にあります。

本来の意味を勘違いしやすい言葉だと思いますので、ここでは言葉の真意と重要ポイントを見ていかれてください。

  • 「自分の機嫌は自分で取る」に違和感や嫌悪がある
  • 自分の機嫌を取ることの正しい解釈をしたい

不機嫌をなくせばAIと同じ、人間味がなくなってしまいます。

重要なのは物事の解釈と考え方ですので、一つの理解としてご参考になれば幸いです。

それでは始めましょう。

【違和感と嫌悪】自分の機嫌は自分で取る

自分の機嫌は自分で取ることへの違和感

「自分の機嫌くらい自分で取りなさい、大人なんだから」

どうして自分で取らなければならないのか、どうして不機嫌でいてはいけないのかよくわかりません。

自分で機嫌を取るのが当たり前であるかの風潮は、本来の解釈を歪める可能性があります。

大前提、不機嫌であることは悪ではありません。

嫌いな人を目の前にして、100歳くらい老けた顔になるのは当然であり、5万年漬けたピクルスを食べた口になってしまうものです。

「その不機嫌を取れ」なんて言われれば、「我慢しろ」「今は誤魔化しなさい」と同義。

いわゆる、自分に嘘をつけなんて解釈にすらなります。

誰だってストレスは溜まり、疲弊して余裕がない時、イライラして機嫌は悪くなるものです。

 

『嘘、偽り、誤魔化し、我慢、過剰な自立』の催促

不機嫌を表現するかどうかは人それぞれの選択ですが、表現する場合は他者に周知させる狙い(心理)があります。

自分の機嫌は自分で取ると聞くと、不機嫌を周知してはいけない、「自分のことはなんでもかんでも自分でやりなさい」とも捉えられます。

周りに頼らず、人のせいにせず、愚痴を漏らさず、ニコニコと笑顔でいなさい

自立して、感情コントロールして、迷惑をかけず、ストレス発散は山奥の廃屋へ行きなさい。

それができないなら都内の地下闘技場へ行って暴れるか、ギャンブルや居酒屋、スポーツジムや夜の店に行きなさい。

「誰も助けてくれないと思え」「人様に迷惑をかけるな」「自分を抑圧せよ」「そもそも不機嫌になるんじゃない」と言わんばかりの言葉に変わってしまいます。

こうなると解釈が変わります。

  1. 嫌なことがあっても表現はNG、迷惑をかけなければOK
  2. 機嫌を取るとは人に頼らず自分一人で強くあること
  3. 自分を抑え付けるのが当たり前、我慢万歳
  4. なかったかのように装う嘘や偽りが必須
  5. それが大人の、そして日本のルール

『嘘』『偽り』『誤魔化し』『我慢』『過剰な自立』の催促が違和感になると考えられます。

 

注意点:我慢やニコニコすることではない

自分の機嫌を自分で取るとは、ポジティブシンキングではありません。

我慢やニコニコの強制ではありません。

一人で何もかもを完結させる自意識縛りでもありません。

現実は自らが作っていると認め、自らの選択によって今があると認める、『責任』『自己コントロール』だと考えられます。

自らがその状態や状況になる一連を選んでおり、作っており、賛同しており、「うんと言ったんだ、自分がしたいからこうなったんだ」と認めて自覚することに、機嫌を自分で取るピュアな解釈があります。

 

自分で機嫌を取らないと不良が育つ

「自分の機嫌は自分で取る」で着目したいのは、『責任』『自己コントロール』の二つです。

※責任とは、自分の思考と行動を認めて自覚すること

「私がピンポンダッシュをしました」と認められるのは本人以外にいません。

「いいえ、親である私がやれって言ったんです」「いやいや、友達である私が本当はやったんです」なんてことになれば、本人の責任がなくなるだけでは済みません

アイデンティティが破壊(幼児期であれば未形成)

自分の機嫌を誰かに取ってもらう、または誤魔化して他者に投げつけたり、嘘をついて押し入れに隠すと、生まれた機嫌はグレます

自ら生んだ機嫌がグレルことで責任を持ってもらうのが当然になり、人のせいにしたり、周囲に当たり散らすようになり、ストレスが溜まりやすくなります。

一方、真逆のタイプもおり、心を開かず人を信用しなくなり、本音や真意をひた隠し、自分の世界にこもって出てこなくなります。

自分の機嫌を自分で取らない、または上述の違和感や勘違いしたまま自分の機嫌を取っている風にした見繕いによって、自己内部にアイデンティティの曲がった不良が誕生します。

グレた機嫌の典型的な表出例がこちらです

  1. 虚言壁
  2. 我慢癖
  3. すぐ怒る
  4. すぐ泣く
  5. かまってちゃん
  6. マウント、見下し
  7. ハラスメント

 

「自分の機嫌は自分で取る」は勘違いしやすい

自分の機嫌を自分で取るとは、ご機嫌不機嫌も両方含まれます。

機嫌が良い時は我慢しないで、機嫌が悪い時は我慢して抑えるなんて…。

まるでプラス事だけを見ていきたい現実逃避の一つ、不安メンタルを認めず誤魔化す手法であり、過剰なポジティブ作りという仮面の取り繕いとなり、まるで自立とは逆に向かう現実の破壊行為になります。

一時凌ぎにはなりますが、代償は中身をなくすAI化、心を蝕み精神を形骸化してしまいます。

思い込みにて自分は機嫌が取れていると他と比較して納得する手法でしかなく、空想で満足しながら現実で自分を消す危険行為。

意味の解釈に正しいも間違いもありませんが、勘違いは危険行為になりかねません。

自分の機嫌を取っているようで実際には心を灰色に蝕み、頑張って自らを穢し、傷つけ、苦しめてしまいます。

これをなくすためにも明確にお伝えしたいのが、自分の機嫌を自分で取るのは、成長や物事の理解や気づきなくして不可能であることです。

 

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機嫌を自分で取るのは嫌なことではなく、楽しい

自分の機嫌を自分で取るとは?

それではどういう解釈が望ましいのか、自らの考えを深めるために理解を進めていきましょう。

本質的に、自分の機嫌は自分で取るしかありません

そもそも自分で取る以外ない、という考え方です。

他者に取ってもらう、嘘をついて隠す、我慢する、誤魔化すなどの選択はありますが、これらは全て勘違いですのであらぬ方向へ行ってしまいます。

どうして自分で取るしかないの

自分の機嫌を自分で取るとは、責任を意味しており、自己コントロールをうたっているためです

感情も同じ。

急にインしてきた車とぶつかりそうになった時、「あぶねぇ、なんだこいつ、ムキムキー!」と怒るのは、相手から怒らさせられているのか、自分が怒りたいのか。

ここでお伝えしているのは、怒りたいから怒っている

例えば、仕事が上手くいかない、取引先に騙されたから業績が大変、不納得、機嫌が悪くてイライラしっぱなし、奥さんにも当たっちゃう。

自分の機嫌を自分で取る人は、「この失敗は今後の糧にできる、同じ過ちは二度と起こさないぞ、よし今日から切り替えだ、エイエイオー!あと奥さんにちゃんと謝ろう」

「今の状況や状態は自らに起因する」と、認めて自覚することが自分の機嫌を取る意味です。

 

※人を利用してもいい

『責任』を持つさまは人それぞれ変わります。

自らの行動と思考を認めて自覚することですので、「私は不機嫌を直すためにキャバクラに行くぞ、金と酒と女で解決だー、ガッハッハ」なんて人もいれば、

「山に登って自然の空気を吸い込む、スーハー、はぁ嫌なことなんかどうでもよくなる~」なんて人もいます。

両者は同じです。

人に頼っても自然に頼っても、そんな自分を認めていれば嫌な気持ちにならず、清々しく率先する状態が作られます。

一人で嫌々頑張ったとしても、「いいの、だって私は不幸になりたいんだから」というのが責任を持つ人、自分の機嫌を自分で取る人です。

物事を正否、善悪二元論に狭めると良い悪いで比べてしまいますが、自分の機嫌を自分で取る姿形は人それぞれでして、本質的には何が良いも悪いも本人が決めること、プリンに頼ってもOK、パートナーに助けてもらってもOK。

ただ、そんな自分を認めないと悪人、搾取人、無知で、未熟で、無責任で、自分のことしか考えられない迷惑人になってしまいます。

人を利用して自分の機嫌を取るならば、人を利用する自分の行動と思考を明確に認める必要があり、認めると利用ではなく調和、自分だけでなく利他的な創作にもできます。

人を利用してもOK。

認める以上は何のために何をして、何をもたらしたのかしっかり見つめることになりますので、自らと向き合っているさまが自分の機嫌を自分で取る人の在り方です。

 

違和感と勘違いをなくす方法:目的論

意味の解釈に正否はありませんが、自分にとって正しいと思える解釈をする大切さがあります。

私たちは常に成長も退化も変化を続ける生態ですので、常に変わりゆく正しさを模索し続けると、正当化や主張というこれまた勘違いにならずに進めます。

その上で、大切な捉え方が目的論です。

心理学には原因論と目的論という言葉があります。

原因論とは、
:過去があって、今の状況がある、という捉え方。

目的論とは、
:個人の悩みは、過去に起因するのではなく、未来をどうしたいという目的に起因して行動を選択している、という捉え方。
※Wikipedia 引用

原因論の場合、過去という外側を見ますので、不機嫌は相手や社会に原因があるか、自分を育てた親や生育環境やトラウマに着眼しがちです。

他によって不機嫌にされたものを自分で責任を取る、こんなことはできませんので違和感や勘違いになってしまいます。

一方、目的論は解釈が綺麗に整います

『不機嫌になったのは自分が不機嫌になりたいからであり、不機嫌になろうとする目的や意図がある、またはそれらに対して無知な自分がいる』

自らを認める在り方であり、責任を持つ考え方となるのが目的論です。

こうなると、「機嫌よくなるために不機嫌になろうっかな」なんてこともでき、自由度が桁違いに変わります。

私の経験上、過去は今(未来)から変えられると明確に実感しているため、原因論ではなく目的論が正しい仕組み立てだとおすすめします。

 

機嫌を自分で取るのは楽しい

目的論は世間ウケしません。

なぜならば、事実であっても不都合で嫌なことと向き合わなければならないからです。

しかし、現実を現実とする見方ですので、嘘や誤魔化しや逃避がなくなり、自らを純度の高い存在に進ませてくれます。

目的論では、自分の機嫌を取るのも人の機嫌を取るのも全ては自分がしたいからですので、したくなければしないだけでして、しないことの責任も明確になり、人のせいにできません。

これを前提にすると、自分の機嫌は自分で取った方が楽しくなります

自らをどんな姿形でも、どんな行為結果でも認めると、主体とアイデンティティの確立が促され、自分らしさや意志が確立します。

こうなると失敗や間違い、不機嫌や不納得は自分次第でいくらでも変化させられます

「やってやったぜ、大失敗だ、ハハー」と不機嫌の原因を肯定しやすい。

「ちょっと嫌なことがあったから甘えてもいい?」と他者に助けや協力を求めて機嫌を直しやすい。

周囲に迷惑をかけたい意思があれば、「どうだ私は超不機嫌だぜ、みんな嫌な雰囲気を味わえ、ヘヘ」と自覚して大いに攻撃しやすい。

「次回に繋げる糧になった、よかった」「いっそ大笑いしてネタにしてしまおう」と綺麗に一新する切り替えにもなり、自由な創造を発揮でき、どういう選択をするかが明確にわかります。

生かされているのではなく、生きている考え方と言えるかもしれません。

・機嫌を自分で取るとは、「人のせいにする、自分のせいにする」ではなく、「私が選択してこの今を作っているんだ」という創作主体の理解

・「自分によって生きているんだ」と現実を認める方法であり、考え方

・変化も改善も自分次第となり、楽しみたいか悲しみたいかを自由に選ぶ在り方

 

最後に:自分の機嫌は自分で取る違和感と勘違い

自分のことは自分で認める大切さを物語る言葉が、『自分の機嫌は自分で取る』です。

主体的に自分軸と責任を持って生きることは、辛くて認めがたい出来事もありますが、乗り越えた先に『自己コントロール』という最終目標が待っています。

本質は、自己コントロールです。

私たちは誰しも自己コントロールできないからこそ、不機嫌を解消できず、感情に飲まれ、欲に支配され、ストレスに揉まれ、我にもてあそばれます。

目的論を糧に物事を認め、責任を持つことで、自らの機嫌を自らで取る楽しさを味わいながら、難しい成長を少しずつ取得できます。

目的論があると、「不機嫌はダメ」にはなりません。

不機嫌になるのはなりたいから、自己コントロールできないから。

不機嫌をまき散らすのは周知したいから、かまってほしいから、とさまざまに事実が露呈します。

根底にある考え方はとても重要だと思います。

原因論にも時と場合に応じたポイントがあります。しかし、違和感と勘違いに繋がる可能性があるので見極める必要があります。

自らの考えを深め、明確にするために、ここでの内容がお役立ちとなれば幸いです。

最後までありがとうございました。

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