『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※本気で人生を変える方専用。
あっという間に年月が経つ限られた人生。
小さく制限し、我慢してまで人と関わる必要はあるのか?
ふとこんなことを考える時があるかもしれません。
意味のない物事がないように、意味のない人間関係はなく、縁を切りたい人がいることにも意味があります。
しかし、実際に縁を切って後悔する可能性は否めず、本当に縁を切った方がいいかどうか、悩ましいところです。
そこで、縁を切るべき人と切ってはいけない人を、スピリチュアルな視点でお伝えします。
- どんな人が縁を切るべき対象か知りたい
- 縁を切る人と切ってはいけない人の見極めを知りたい
- 縁を切る際の注意点を把握しておきたい
縁を切るべき人の理解は、自らのある在り方を表す自己理解そのもの。
縁を切るか否かを考慮する際に、一つのご参考になれば幸いです。
Contents
縁を切るべき人の特徴
縁を切るべき人の特徴9選
初めに、どんな人が縁を切るべき対象なのか、明確にしていきましょう。
1,変わる気がない
自らの正当化欲求が過剰であり、自然の原理に反して頑固を貫く人。
「昔から変わらないね」とは違い、認めたくない現実を認めずに自らを善として周りを見ない特徴です。
変わる気がない人は自分にとって認めたくない嫌なことがあればプイッと見ないだけでなく、他者のせいにして責任を負わせます。
「もう、嫌な気持ちになったじゃないかっ、あんたがちゃんと私を守っていないせいだ!」
チョキンといきましょう。
2,責任逃れのために何でもする
責められる、怒られる、否定される、追及される、何かしら責任を求められる(嫌なことも認めなければならない)のであれば、平気で他者に嘘をつき、騙し、傷つけます。
不利益を得る可能性があれば、他者を巻き込んでも何してでも逃れようとします。
徹底的に他者を悪に仕立て上げ、自らの責任をできる限りなくそうと努力する特徴であり、自分のためなら何をするかわからない人。
力の入れどころが危険です。
3,人を引きずり落とす
人の幸せが許せない人。
憎悪や怨念を抱くも自己解決できないため、他者を自らと同じステージ、またはそれ以下に落として安息します。
責任のない非力、何も育んでこなかったために他者に寄りかかります。
「私の人生ごと寄りかからせて、ゴソッ」
ある人は他者を私物化して支配、使い勝手のいい駒にします。
ある人はお金をせびる寄生虫となり、自らの非力に巻き込みます。
生きた呪縛霊みたいなものです。
4,攻撃的、豹変
気に食わないことがあるとパリパリどころではなく、ベローンと化けの皮が剝がれます。
他者のせいにして攻撃的、怒りを表し、我慢できません。
普段は社会的で常識的な顔であっても、突如の豹変は人を傷つけ、騙し、裏切り、攻撃するために全力パワー。
「この不納得をどうにか鎮めろ!お前のせいだムニャムニャ!」と責め立てるために肉体的、または精神的な攻撃に入り、正当化を糧とするために社会的常識や大衆ルールに基づいて食ってかかるのが特徴です。
社会的常識やルールを自己都合で捉えているために理論はことごとく崩壊していますが、ギャグでやってる訳ではありません。
5,人の蜜を奪う目がキラキラ
一方的に喜ばせてもらう気満々であり、悪口や否定や愚痴を納得できるだけ言い、人からエネルギーを奪えるだけ奪います。
自らの不幸自慢を延々として、他者の幸せを愚痴り妬み、ストレス発散して帰っていきます。
人から一方的に価値をもらい、利益を得て、不利益を解消し、一切対価を払わない特徴であり、そこに罪悪も恥も感じない人です。
私は殿である。
6,他者認識力が皆無
自分の外側や他者側で物事を認識できない特徴です。
思い込みと決めつけの自己世界を純粋に積み重ね、周りの意見を聞かないのに聞いている、反省していなくても反省していると思い込み、悪意がなければ何をしてもいいと思っています。
人に執着や依存していることに気づいておらず、むしろ相手のためだと思っている人すらいます。
自分のために人を利用することが自己愛を感じる高貴な刺激や喜びとなります。
自分がよければ全て善し。
7,人の成長を止める
ドリームキラーと言われる人です。
自分が嫌だから何もさせない、自分が心配だから、怖いから、不安だから、何もしないで欲しい。
これを思うのではなく実際に他者に押し付けて強制する特徴です。
人が成長する機会を潰し、自分と差ができることを恐れて抑制し、自己都合で他者の動機・意志・勇気を抹消するために努力し、否定を頑張ります。
噂では、せっせと人の背中に小石を積み上げる妖怪が憑いているとかいないとか。
8,人を変えようとする
自らは変わらないだけでなく、他者を自分色に変える干渉が激しい特徴です。
人の性格やアイデンティティや人生そのものを尊重せず、空虚な己を他者に押し付けます。
押し付けられなければキレるか、他者のせいにするか、社会的に否定して支配する努力に入ります。
自らのような他責で他力で非力にさせる悪影響をばら撒く、悪行作りのプロフェッショナルな流儀です。
9,自覚がない
最後は決定的な特徴です。
変わる気がない、人を利用している、間違っている、自己世界に浸っている、人からエネルギーを奪っている…あらゆる行為に自覚がありません。
自覚を拒むことで罪悪や恥など自らと向き合う可能性をなくしており、自己都合の認識だけを貫く脳内システム(別名:社会性にハマった挙句のバグ)に執着します。
以上が、縁を切るべき人の特徴でした。
縁を切るべき人とは、お互いを崩壊へ導く人
上述の特徴を要約するとこうなります。
他者の自分軸や主体性をもぎ取り、精神を骨抜きにさせ、成長させず、変化させない呪縛を作り、私物化や支配を目論んで利用し、こねくり回してキープ。
関わる他者の執着心を強め、自らのいる地獄に引きずり落とす。
この足首を掴む手を剥がすために強く反発する必要があり、お互いにもがき、忌み嫌い合うことでこちらの人間性までそぎ落ちます。
総じて、縁を切るべき人とは変わる気がなく、人の成長を奪い、退化をもたらす人。
人間が自然と変化していく生態である前提の考え方では、退行を自ら促す在り方は、関わる他者をも崩壊させる影響力を持ちます。
そんな人との縁、チョキンとするために理解を深掘りしていきましょう。
※縁を切るべき人の詳細は、【危険人物には直感を活かす】離れた方がいい人と関わってはいけない人の特徴 をご覧ください。
縁を切るスピリチュアルな理解
スピリチュアルな縁切りとは、執着の絶ち切り
私達人間は縁によって紡がれ、関わり、繋がり合っています。
人間は意識(エネルギー、波動)の存在ですので、繋がりとは意識同士の結束や集結。
繋がりが強ければ強いほど、顕在意識や潜在意識の向き合いがあればあるほど、魂(集合的無意識)の関係性があればあるほど縁は深まり、切れません。
そんな縁、切った方がいい人とはどんな人なのか?
スピリチュアルに基づくと、執着を切るべき人(または自分)です。
私達は誰しもが未熟ですので執着しますが、強くなりすぎると成長ストップだけでなく他を巻き込んで引きずり落とす人となり、地獄絵図の実写版を現実で作ろうとします。
この可能性がある相手とは縁を切る必要があります。
執着を切るか切らないかは自責の問題
縁を切るべき人と関わると、「この人はダメだ、二度と見たくない」と抱かざるを得ないと思います。
関わりたくないと拒否すればするほど相手への意識が強まるため、知らぬ間に執着は強まり、頭から離れず忘れられなくなることも。
まるで執着増強を役割とした生態であり、社会が生んだバグですので、関わってはいけない人物です。
実際に縁を切るとは執着を切ることですので、問題は自らの執着(相手の影響によって増長されたもの)を切れるかどうか。
執着とは他からの影響で強まっても自己にしか存在しません。
関係性を終わらせるのではなく、自らの執着を切れるかどうかであるため、意識の繋がりに責任を持てるかどうかを問われます。
小難しく思えるかもしれませんが、ご安心ください。
責任を持つとは自らが何をして何のためにしているかはっきり自覚して行為することですので、縁を切ることを納得して喜べればバッチリです。
「私はあの人と縁を切ったらとても嬉しいんだ、チョキンッ!」
このチョキンッはもう満面の笑顔、嬉しくてしようがない。
縁切りとは自らの執着切りであり、納得して喜んで縁を切る気があるかどうかの意志や覚悟(そこに自然と表れる自責)を意味します。
※執着されてお困りの際は、【執着される時の対処法】怖い、気持ち悪い関わりの一番重要なこと をご参照ください。
縁を切る方法は無関心
縁とは意識同士の繋がりであり、意識の繋がりがなくなった時に自然消滅的にプツンと切れてなくなります。
繋がりは自分と相手の両方の意識で構成されます。
スピリチュアルな認識では生前に家族や兄弟姉妹を決めてくるなど、意識の繋がりのオプションがあると知られていますが、これらがあるからといって縁が切れない訳ではありません。
シンプルにこちらから相手への意識、そして相手からこちらの意識がなくなれば、縁はプツン。
意識の繋がりをなくすために執着をなくします。
意識や執着をなくすのは自分自身しかできませんので、縁を切るためには相手への意識、執着を自力で皆無にする必要があります。
これを無関心と言います。
縁を切る方法は相手に無関心になり、感情も気持ちも何も抱かなくする。
「ちょっとお金貸してよ」と言われた時、
「あのぉ、どちらさまですか?」
ベストです。
縁を切るステップ①:無関心になれるかどうか
執着をなくすとは、記憶や思い出を忘れる意味ではありません。
※忘れるとは執着できなくなる状態
責任をもって興味・関心をなくすことです。
シンプルですが難しいかもしれません。
難しい理由の一つが、無関心とは相手と自分を共に認めなければできないためです。
相手を認めなければ無関心にはまずなれません。
「この人はこういう人なんだ、すがり、利用し続けるんだ、それもいいじゃない、あなたの人生だから、それじゃあね、さようなら」
無関心とは非情で冷酷なソシオパスとは別に、相手を認め、独立した存在として放つ意味でもあり、ママライオンが子供を独り立ちさせて二度と会わないみたいなもの。
ママペンギンが子供をシャチだらけの大海原にドーンと突き落とすみたいなもの。
完全に執着を手放した状態です。
「私のことは私が、あなたのことはあなたが、アディオスアミーゴ」
※自然と縁を切る無関心の使い方は、【4つの方法】嫌いな人が自然と去っていくスピリチュアルな仕組み をご参照ください。
縁を切るステップ②:相手からの執着にも無関心
自らの執着がなくなっても、相手からの執着があれば意識の繋がりはなくなりません。
こちらが意識をなくしても、相手が電柱に隠れてジーっと見てる、なんて可能性があります。
例えば、夫婦。
どれだけ連絡を絶っても、「お金ちょうだいよ、家族なんだから、助け合おうよ」と連絡してくるかもしれません。
この「家族なんだから」はとても執着が強いです。
問題は相手の執着の強さではなく、相手によってこちらの執着心が引き出されて強まり、自らの執着心を断ち切れなくなる(無関心をやめてしまう)ことです。
縁を切るとは自らの執着の絶ち切りと同時に、責任を持つことですので、「しつこくてたまらん、やっぱ夫婦だから可哀そうだ、まるで良くないことをしているみたいだ」となる場合、そこに執着があるとわかります。
どんなアプローチがあっても無関心になれれば、相手は意識の一方通行を認識せざるを得なくなり、遅かれ早かれ自己の執着心をまざまざと直視します。
すると執着の継続そのものが自らを苦しめる行為になるので継続できません。
一方通行の意識は時間の経過と共に薄れ消えていくため、相手からの影響があっても徹底的に自分の意識を向けなければ、縁は自然と切れます。
最重要:縁を切ってはいけない人
本当に縁を切っていい対象かどうかの見極めは最重要点です。
ご参考に縁を切ってはいけない人を一覧にしました。
- 恩がある人
…恩をまだ返せていない - 世話になった人
…お返しできていない - 助けてくれた人
…感謝しきれていない - 変わる気がないのではなく、変われない人
- 血の繋がった家族
①②③恩や世話や助けをもらっている場合、「これで恩は返せた、お返しできたかな、十分感謝した」と残念にならないことが線引きになります。
念残しの状態で縁切りすると、無関心になることに罪悪や羞恥が生まれ、縁を切ろうとする自分自身を悪にみなす心理が発生します。
典型例が、血の繋がった家族。
家族であっても執着を断ち切れれば縁は切れますが、自らを苦しめる可能性が高いです。
また、こちらの執着がなくなっても相手の執着は怨念や執念に激化しやすく、本当の意味で心を鬼にしなければならず、失うものの方が多くなるのでおすすめできません。
執着を手放す段階で後ろめたくなり、「やっぱ縁は切らない」と相手を受け入れて怠惰を増長させる、そんな可能性も出てきます。
また、④変わる気がないのではなく変われない人(原因がある、障害や疾患など)の場合、過酷だからこそ学べることがあり、克服して大きな成長がもたらされる、そんな大切な経験を与えてくれる人の可能性もあります。
※縁がない人のサインは、【縁がない人を見極めるサイン】ご縁のある・なしは自分次第 をご覧ください。
ポイント:縁を切る対象の見極め
重荷を取り外し、不利益や損害を解消させ、喜びや解放の軽やかさのための縁切り。
目的は明確に「自分の喜びのため」にする大切さがあります。
縁を切ることは自らを苦しめるためではありません。
笑って行うお葬式のように、笑顔で縁を切る、「やったぁ、縁、きーれた、ヒャッホー!」
縁を切る対象は、残念も後悔も残らない、二度と関わらないことが自分の喜びになると大いに認められる人。
感覚的には、「呆れてものも言えねぇ、もはやどうでもいいからご飯が美味しいってもんだ」くらいの感じ。
または、自他の線引きをして、執着しないことがお互いのためになると思える対象です。
気持ちはママライオン。
「ガルッ(ほら、もういけ、独り立ちしろ、自分なりに人生を頑張れよ)」
縁切りする自分を大いに認め、喜びのために縁を切れる対象かどうかの見極めが重要です。
※優しい人が切らなければならない縁は、【優しい人が縁を切る明確な理由】切らなければならない条件付き人間関係 をご覧ください。
縁を切る際の注意点
縁切りは一歩間違えると真逆の行為になるので、十分な注意と準備が欠かせません。
執着をなくすのではなく嫌なことから逃げる責任放棄(執着増長)になると、自責行為の真逆になってしまうのでご注意ください。
悪行のカルマにもなり、因果応報も起こります。
例えば、縁を切りたい理由が、「自分の損害や不利益をなくしたい、不満を解消したい」などの執着である場合。
無関心の貫きが、「相手が諦める=縁が切れる」という解釈である場合。
これらは戦いを作りますので、どちらかに被害が発生してしまいます。
縁切りとは執着に基づく関係性抹消ではなく、自らの執着の抹消です。
「相手によって影響される自分の執着」が着目であり、切るべき縁の箇所。
縁を切るべき人とは自らの執着を明確にしてくれる補佐であり、自分の断ち切る点を表面化させてくれるサブキャラ。
無関心になるための準備と、「何を切るか?」の明確化が重要となるのが縁切りです。
縁とは意識の繋がり、いわゆる一瞬一瞬のエネルギー同士の結束であり、切れても再度両者が意識を繋げ合うと縁は紡がれます。
執着があるから縁を切る必要があるので、お互いに成長して執着を手放す、または緩和できると、お互いの気持ち次第で前回とは比べ物にならないほど良い関係性を築き合うこともできる、そんな大切な行為です。
※魂の縁があると切れなくなる件は、魂レベルで縁がある人とは切れない【縁の深みは愛以上にカルマ】をご覧ください。
まとめ:縁を切るべき人のスピリチュアル
- 縁を切るべき人とは変わる気がなく、人の成長を奪い、退化を促し、地獄へ引きずり落とす執着増強マシーン
- 別名:社会のバグ
- お互いの執着を強め、崩壊に導くため、関わってはいけない人
- 縁とは意識同士の繋がりであり、意識の繋がりがなくなると自然消滅する
- スピリチュアルな縁切りとは執着を断ち切ること
- 執着とは自分にしかなく、自分にしか対処・変化できないため、縁切りとは自責の問題
- 縁を切る方法は無関心
- 無関心によって自らの執着をなくし、さらに相手からの影響があっても執着をなくせると、完全に縁が切れる
- 恩を返せていない、お返しできていない、感謝しきれていないなど、不納得や残念になる相手は縁を切ってはいけない
- 納得して喜んで切りたいと思える対象が縁を切るべき人であり、縁を切る自分を大いに認めることが大切
- 嫌なことから逃げる、執着を増長するなど、現実逃避を目的に縁を切ることは、縁切りとは真逆になるため注意が必要
- 縁切りの着目は自分であり、自らの執着心の断ち切り
実際には自分そのもののお話。
自己理解と同時に執着の手放しによる成長を意味するため、対象が明確である場合は大いに縁を切る大切さがあります。
そんな縁を切るべき人との関わりは、反面教師にして自らの執着をなくす育み機会にもなり、執着がなくなれば自然と問題はなくなります。
自分に着目するスピリチュアルな理解、ご参考になれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
北斗さん
ありがとうございます。
心が救われます。
強さ、勝つため とは本当に私の性格を表す言葉のようです。
弱さを見せるのが恥ずかしいと思っていましたが弱さダメージとやめてほしい理由を伝えていくように致します。
本当は偽造の数字ばかり報告されて悔しいのですが最高権力を持ったお局に誰も太刀打ちできないのでそこは清濁併せ呑むように意識を弱める努力をしようと思います。
北斗さんに何度か相談させていただき
対策を練っているうちに環境はとても上向いてきました。
最初はものすごい恫喝やトイレのストーキングなど嫌がらせがひどかったので辟易していたのですがいい経験になりました笑
本当にありがとうございます。m(__)m
北斗さん
いつも素晴らしい記事をありがとうございます!
いただいたお言葉で今も強くいられてそして気付きを得て自分の未熟さにお恥ずかしい気持ちです。
危険人物に危害を加えられそうなため距離をとっておりますが、まだまだ権力をつかって嫌がらせをしてきます。
経理のお局ですがトイレのストーキング行為や、経費の水増しで利益が出ているのに赤字報告されたりと迷惑をかけられております。
今回も架空の売上を低く見積もって社長に報告したりと
他の部署はやらないのにわざわざ時間と手間をかけて、私の給料が下がる工作を虚偽の報告をして引き摺り下ろそうとしてくるのですが
どこからその情熱が出るのか謎でしかありません。
基本的に挨拶や関わりがあるときはお礼などしておりますが、嫉妬からきてるとは思うのですが異常です。
はやく飽きて関わってきてほしくないです。
どこまでいけば嫌がらせ行為をやめてもらえるのでしょうか。。お局が定年を迎えるまでこの状況は変わらないですかね。
こちらこそ、読んでもらえて何よりです。
文面から感じるのは戦いになっている可能性と、8PYさんの相手に対する意識強。
「ギャフンと言わせたい相手vsギャフンと言わないだけでなく我慢であしらう」
平気な装いをしているのであれば、相手はなにくそとなる。
負けたくない気持ちがあれば、自然と意識は相手に強まる。
お局側は、舐めている+受け答えに納得いかない(自分のしていることの反応が薄い)
=自分でもやめる理由がわからない
重要なのは自他の境界線を引いて無関心になることですので、
はっきり自分の弱さを伝える(強さではなく)、どれだけダメージを追っているか教える、どうしてもやめて欲しい理由を伝える(勝つためではなく)
この辺りが良い気がします。
あくまで文面からの勝手な状況想像ですが、ご参考になればと思います。