心理

困っている人を助ける人の気持ち│人助けする理由と心理とスピリチュアル

人を助ける人は何を考えているのか。

困っている人を助ける理由には、人それぞれにさまざまな思考、利益追求、損得勘定、自己満足があります。

そして、それらの根底には無邪気な優しさがあります。

困っている人を見かけて助けようとする理由と心理を紐解くことで、本当の意味での人助けが判明します。

ここでは、困っている人を助ける理由と心理、そして詳細を深掘りするスピリチュアルな理解も含めて多角的にお伝えします。

それでは、人を助ける際の認識や意識を明確にする一助となることを願い、人助けに潜む人間模様をご覧ください。

困っている人を助ける理由

困っている人を助ける理由

人を助ける際、助ける人と同時に助けられる人がいます。

助けると助けられるの関係性があり、“助ける”ためには助けてほしい人の存在が必要不可欠です。

助けてほしい人が居る中でさまざまに助けてほしい様があり、そのために人を助ける理由は一つだけではなくなります。

そんな理由を生み出す、助けてほしい様がこちらです。

助けてほしい様
  1. 助けてほしいと求める人
  2. 助けてほしいと待つ人
  3. 助けてほしいけど求めない人
  4. 助けてほしいけど隠す人
  5. 助けてほしいけど嫌がる人

助けてほしい状況に真意の見え隠れがあることで、助けるという行為は価値利益の概念を作ります。

すると、助けられる人と助ける人の思考も気持ちも含めた人間ドラマ、キラキラでドロドロの人間模様を作る演出となります。

助けるという行為に価値と利益を作る思考概念によって、困っている人を助ける理由がさまざまに作られます。

そんな理由を順番に見ていきましょう。

 

恩を売る、徳を積む損得勘定による人助け

助けるという行為には、人を救い喜びを与える目的があります。

そこに、「私はあなたに喜びを与えましたよ、わかっていますか?」と救いに価値を見出して対価や利益を求める人もいます。

日本では“恩”、“徳”という文化が古くからあるため、“タダより高いものはない”と汗を垂らして救済を断ることまであります。

“与えられたものは返す”

そういった縛りにて思考を固める場合、助けることは恩を売る行為となり、助けられることは恩を買って返さなければという、恐怖心理によるビジネス手法になります。

さらに、徳を積むことで自分に良きことが返ってくるという因果応報、善行による善行の見返りを見据えた人助けにも発展。

その際は、目の前の人ではなく自らの利益のために助ける行為を利用することになります。

 

自分の価値を高めるために人を助ける

助ける行為に如何に価値を見出せるか。

そこに着眼して人助けをする場合、助ける行為を利用した価値見出しによる自らの肯定目的があります。

会社の後輩がいて、仕事を教えて何から何までしてあげる。
「これくらいできないとダメだぞ」と優しい顔して、後輩に仕事をさせない覚えさせない失敗させない。

本人は良い先輩だと自負。“仕事のできる私”と認められ褒められ、自らの存在価値を見出します。

助けるという行為にて自らの価値を高めるように利用し、周囲からの評価と判断を向上させるプライドや自尊を確証させる利益を求める人もいます。

 

自分が嫌な気分にならないために人を助ける

人助けの幅はまだまだ広がります。

困っている人を見ると、「可哀そう、なんとかしたい」と心を掴まれます。

それを執着というのですが、執着を持って人助けをする人の中には、“自分が嫌な気分になりたくない”という思いから、「そんな辛い状況を見ていられない、自分のために」という目的を持ちます。

上記の仕事の例で言うと、後輩に失敗させないのは仕事を教えている自分のミスだと思われたくないからです。

さらに別の例、おばあちゃんが横断歩道を渡りたいけど、車が全く停まりません。

「その内に停まるでしょ」とわざわざ助けることはせずに見過ごしますが、10分後に同じ道を戻ると、まだおばあちゃんが渡らずに困っている。

「このクソ車どもがー」と、車を停めさせておばあちゃんを渡らせる、といったような社会性への反発や反骨心なども含まれることがあり、人を助ける目的以上に自分が嫌な気分にならないことが人を助ける理由になります。

 

自己満足の正義感で人を助ける

人それぞれに正義への価値観を持ち、そこに反した場合に“困っている”と判断して人助けに及びます。

困っているかどうかの判断を担っているのが、“己の正義感”というものです。

それは社会性の常識やルールなどの刷り込みや思い込みや洗脳もあり、「これはこういうものだろう」と認識している本人にとっては自然な価値観です。

骨を何本折っていても、「私は歩くんだあ!」と意気込む人もおり、電車で誰もが席を譲ってほしいとは思っていませんので、あくまで本人にとっての正義感を基準に人を助け、満足します。

そこには、人が喜ぶことが自分の喜びという満足や納得もあり、自らの認識が他者にも通用したという自己肯定としての満足もあり、自らを貫くことを主体にした人助けの理由があります。

 

愛に溢れた敬いの人助け

困っている人を助ける人の自己満足には愛を与えることも含まれます。

愛とは敬いの気持ちのことで、人を尊重し尊敬する気持ちを持つことで、その人をそのまま受け入れて敬う愛を与えます。

私の経験なのですが、インドの田舎村で瞑想の修行をしていた際、寝床としてテントを張る場所を探していた時がありました。

その際ヒンデゥー教の僧侶に出会い、「家に宿泊していい」と助けていただきました。

しかし、私の身なりは修行僧のように薄汚かったので、家の隣の牛舎に泊まらせてほしいとお願いしたところ、「家の方が綺麗だよ」と言ってくれたのですが、私が牛舎の方が落ち着くと伝えると、「それなら牛舎を自由に使ってください」と許容していただきました。

私の意志や意向を尊重してもらい、その後も共にさまざまな場所へ連れて行っていただき、たくさんの経験をし、牛のお世話やお祈りなどをお手伝いさせてもらい、常に敬いの愛を感じながら食事もいただく助けがありました。

自己満足と同時に、私側の目線に立って敬いを持ち、押し付けも干渉もなく尊重してくれます。

そこには僧侶の愛を与える意志と気持ちがあり、奉仕や慈愛の助ける理由は、自らへの敬いを忘れずに助けられる人に喜びを与えるという、自他への敬いにて自他への喜びをもたらします。

困っている人を助ける理由はさまざまにありますが、良い悪いのルールはそこになく、人それぞれの認識と価値観によって、どの助ける行為も本人にとっての良い悪いに基づきます。

 

困っている人を助ける心理

困っている人を助ける理由がさまざまにあるのは、価値と利益を思考的に見出す脳機能によるものです。

同時に、心の気持ちによる認識があるので、思考的に助けるのか気持ちにて助けるのかの違いがあります。

違いはありますが、困っている人を助ける心理には共通して一つの認識があります。

困っている人を助ける共通認識は、納得と満足にて自分を喜ばすこと

  • 人を助けることが自分の喜びという人もいます
  • 利益を得られるから人を助ける人もいます
  • 価値を見出せるから人を助ける人もいます
  • 自己満足できるから人を助ける人もいます
  • 愛を与えられるから人を助ける人もいます

全てに共通するのは、自分自身の納得と満足を求めることです。

納得と満足を求める心理の詳細を見ていきましょう。

 

思考的に人を助ける場合には納得を求める心理がある

思考的に人を助ける場合には、頭を使うのでいろいろ考えます。

「どうやって助けよう?」「助けたらどれだけ喜ぶだろうか?」「むしろ助けが必要なのか?」「感謝されるかな?」「なんか貰えたりして」「きっと貰えるよ」などなど。

「助けた方が良いよな、でも困っていなかったらどうしよう」「あ、他の人が助けた、じゃあいいや」なんてことも起きます。

思考的に人を助ける場合には、“考えたことに対して結果が付いてくるかどうか”という計算式を巡って比較・照合する思考があり、満足というよりも“納得”のための行為です。

一度感謝される経験をすることでそれと同じ、またはそれ以上の利益(納得)を求めて人助けする認識が作られ、見据えた喜びに達しない結果の際には落胆したりということもあり、助けられる人の喜びではなく自らの喜びとなる納得を求める心理によって、助ける動機が作られます。

同様に、助けなかったことで周囲から蔑まれ排他されるような経験があると、否定されず攻撃されないように身を護る目的として、恐怖を恐れる状態から免れる利益による納得が助ける動機にもなります。

 

気持ちにて人を助ける場合には満足を求める心理がある

気持ちにて人を助ける場合は思考優位ではないのでとてもシンプルです。

人を助けることを正義として、ヒーローとして、正しい行為として認識しているため、何も考えることなく行動に及びます。

実際に人助けをして喜んでもらい、さらに周囲の尊敬する人が人助けして称賛されている様子などを見ることで、より一層強い正義感を固めて人助けに躊躇なく邁進します。

その際には、考えが正しい肯定による満足や、憧れの尊敬する人の称賛に近づけた満足があり、子供のように純粋に自己満足を求める心理があります。

助けることで、「私は良いことをしている」「良い人間だ」「社会の一員だ」「世の中の調和と平和を私が育んだ」「私の両親はヒーローだ」「私はその両親の子供だ」などの自負、自尊に繋がる喜びがあり、自らが社会を作り育むというリーダーとしての意識が強い人もいます。

自己肯定を求めずとも本人にとって自然な認識にて賞賛したりされることに満足があり、それを求める動機が強く心理に表れます。

 

困っている人を助ける人とは

困っている人を助ける人とは

助ける理由は数あれど、価値や利益を考えずに困っている人を助ける人がいます。

それは助けることの根底理解となる基本原理でして、“助ける”意味に忠実でシンプルな在り方が見られます。

助けるとは、

力を与えて救済する、苦しみや負担を軽減させ、物事がうまく行くように補い助力すること。

助ける行為は、自分の時間や肉体や能力によって他者に利益を与える働きです。

言い方を変えると、自らの働きによって他者に利益を与えることです。

従業員が社長のために働き、「あ、給料要らないっすよ」みたいな。社長泣いちゃうやつです。

人を助けることは相手の利益が目的ですので、そこに自分の利益を求める行為はありません。

助けることは自らの力にて他者に喜びを与えることなので、ある必要なものがあります。

助けたいと思う認識(意志や欲)、相手のために行為する優しさ(敬いや愛)です。

言い方を変えると、自らの意志と、人を想う優しさです。

優しさがあることで自らの意志となる動機に“人のため”、“自分のため”という両方の喜びを求める認識になります。

困っている人を助ける人とは、人のためと自分のための両方の喜びを目的にした認識として“優しさ”を持つ人のこと

人の利益を第一にして、助けられたことで自分も喜ぶのが人を助ける人です。

 

優しさにて人を助ける人は考えないで先に行動する

海にて髭ボーボーで仰向けにプカプカ浮いているおじいちゃんが、「おーい、助けてー」と言ってくれれば、わかりやすく助けられます。

私達は自分自身の認識しかわかりませんので、他者が何を感じ、どう思い、どう認識しているかはわかりません。想像や予想や予測にてそれらしいものを見出すことはできますが本人のリアルはわかりません。

その前提があるため、ベンチに座ってたそがれて困っているのか、電車で老人が座りたいのか、ホームレスの方が住所と家が欲しいのか、泣きながら自動販売機の下に手を伸ばしている人は助けを求めているのか、わかりません。

考えてもわからないので、困っている人を助ける人は先に行動します。

目の前の人が泣いていたら、悲しんでいたら、落ち込んでいたら、パニックになっていたら、悲壮感が出ていたら、落ち着きがなくなっていたら…。

自分の中で、「あ、困っている」と感じたら助ける行動に既に向かっています。

優しさで困っている人を助ける人は、己の認識にて困っていると判断したらまず行動する人。

とりあえず行動して、「えっ、違う?困っていない」

「あ、そうですか、それでは」と引く、それだけです。

正義感を押し付けることで相手に迷惑をかけることがありますが、優しさとして相手の利益を第一に考えて助ける場合には、相手を敬って行動するために相手に迷惑をかけることはなく、助けが必要かどうかは行動した初めに直ぐに判断できます。

その際のポイントが、助けながら困っているか確認することです。

 

助けながら困っているか確認する優しさを持つ

「あ、困っている」「あ、困っていそう」「あ、困っている感が強い」

自らの認識でしか判断材料はありませんので、パッと捉えてパッと行動。

「あ、階段の手前、おばあちゃん、風呂敷、足腰、きついっしょ」
パンパンパンと行動して、階段の上で風呂敷渡してさようなら。もはや、風呂敷置いておばあちゃんはまだ階段、でもさようならかもしれません。

何も考えていないので損得勘定がなく、「ありがとう」と言ってもらう必要もありませんし、言われるものとも思っていない、「言わないなんてどういう教育受けてんだ」なんてことは確実にありません。

例えば、松葉杖の人が電車に乗っています。

「すいません、あなた困っていますか?」
「いえ、大丈夫です」

大概こうなります。日本では特に、恩を買いたくありませんし、弱いと思われたくありませんし、周囲から注目されたくありません。

「もしよければどうぞ」
「いえ、結構です」
「そうですか」と座り戻る。それだけです。

行動しながら助けが必要かどうかを確認できるので、必要なければそれだけです。

ベンチに座っているおじさんは夜の帰宅時にもまだ居るとなれば、とりあえず隣に座って話します。

「今日も月が綺麗ですね」と。

おじさんと話しながら気持ちに寄り添います。

人を助ける人が何も考えていないのは、今この瞬間に集中しているためです。後に貰えるであろう利益も、自分の行動によって起きる結果も考えず、今、「あ、」と思えば行動。

「あ、辛そう」と相手を敬って思えば、「何があったんですか?」と聞くことはありません。相手が話せるように接するか、話したくなければ少し楽しい話をしてさようなら。

それ以外何もありません。とてもシンプルで、相手の目線で物事を認識するように模索することが唯一考えることです。

人を助けるのは自分が助けたいからです。相手のために助けたい動機は常に自分も他者も敬う行動になり、自分だけ損をする自己犠牲精神はありません。

※優しさについての詳細は、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をご覧ください。

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人助けにあるスピリチュアル

人助けする理由がさまざまにありますが、助ける行為には常に波動という振動エネルギーが発生します。

そんなスピリチュアルな見方から、人助けする際の違和感や疑問の答えが判明します。

波動とは自分自身の状態や状況、それは健康状態、精神状態、心理状態、思考に感情、気持ちに感覚、情動に心情。あらゆる今現在を表すエネルギーとして発され伝播するものです。

人助けをする際の思考や企み、気持ちや感情、愛やエゴの気持ちや認識、嘘があるかどうかなどからの波動にて、高波動か低波動かのエネルギーが発します。

※波動の高い低いについては、波動が高い人と低い人の特徴|エネルギーが高いとは?をご覧ください。

高波動が良いか悪いか、低波動が良いか悪いかは人それぞれです。しかし、自らの低波動にて人を助ける場合、助けられる人は他者の低波動を受ける状態になります。

とてもおおまかになってしまいますが、高低の波動の違いはポジティブかネガティブ、それは愛か恐怖(エゴ)かの違いがあります。

低波動であれば思考的に自らの利益を求め、人を利用することでの利益追求など、自らの価値を見出すエゴのための行為などが典型例になります。

自らの利益を求めることは低波動ではなく高波動ですが、そのために人を利用したり、自らのエゴを持って行為に及ぶことで波動が低くなります。

助けた後の見返りや恩を求める人間性が波動として露になり、助けられる側は何とも違和感を感じます。

「あれ、助けられた…よね?」という、「なんか、感謝したくない」という。

波動が低く、我欲の解消のために人を利用して助ける行為をする場合には、「なんとなく心地悪い」「助けられたのに助けられた感がない」といった違和感を無意識に感じ、助けたらそのまま行っちゃった、何も言わずにそそくさと。なんてことになります。

企みや心持ちは自分にしかわからないものですが、人助けの際には相手に関わる助けるという行為なので、自らの波動が相手に伝わり、「心地良いか悪いか」「スッキリするか違和感か」という感覚や気持ちの感受が相手に起こります。

「せっかく助けたのに…とほほ」という経験がある場合、ぜひ参考にされてください。

 

優しさの人助けは感動を呼ばない

最後に人を助ける行為にある人間模様をご覧ください。

困っている人がいようがいまいが、前提として“助けなければならない”という決まりはありません。

そのため、人を助けるかどうかは完全に個人の選択でして、人の喜びを求めて助ける場合には“優しさ”があることで助けることを選択します。

その際、自分の優しさを主体にして他者を助けるので、自分を主観にする必要があり、他者を主観にすることで価値や利益追求へと派生します。

助ける根底の動機があって行為に及び、助ける結果が生まれるので、優しさを基にした人助けでは行為が終わるまでは自分を主観にする必要があります。

結果への予想や期待や執着をしないので、結果以降に関しては他者が主観でも何でも良く、助ける本人はどうでもいいと思っています。

結果に頓着しないことから、優しさの人助けは感動を呼ばない救済人間模様を作ります。

川で溺れた子がいる!

なぬっ!と気付いてバッと行動、自分のできることを見極めて縄を前方の木に括り、ターザン、ラララー。

子供が流れてくる流れを読んで前方で待ち構えてキャッチ。救出です。

ワンワン泣いている子供を抱える助けた人に駆け寄ってくる親御さん。

「あの!本当にありが」
「トウッ、あははは、バチャバチャ、あははは、川遊びは楽しいな」と既に川で遊んじゃう。

「…。」

本当の人助けとは寂しく悲しい終わりです。

子供が助けられたことで子供自身が利益を得ます。それに助けた本人も喜びます。はい終了。

これじゃあ感動シーンが台無しだよ。ちゃんと感謝されて、泣いている親子を抱いて一言正義のセリフを言ってくれよー。

人間ドラマは疑似現実を作ることに今日も勤しむ、そんなニッポンチャチャチャ、人助けする人にとって興味なし。

※助けられる人と助けられない人の詳細は、助けてもらえる人の特徴に秘密あり│助けられない人との違いは思い出すこと をご覧ください。

助けてもらえる人の特徴に秘密あり│助けられない人との理解の違いがある何かと助けてもらえる人を見ると一つわかることは、助けられる時の着眼が利益ではなくその時間や空間そのものということです。 これは助け...

 

困っている人を助ける人 まとめ

人を助けることにはさまざまな理由がありますが、その根底には助ける意味に基づく優しさがあります。

それは敬いであり愛を与える救済、奉仕や慈愛でもあると思います。

相手が助けを求めていれば助ける側も助けやすいです。しかし、相手が助けを求めているかがわかりにくいこともあります。

そんな時に優しさがあることで、人への敬いと同時に自分への敬いを忘れません。

泣いている女の子にティッシュを渡します。それはちょうどポケットティッシュを貰ったからです。

そこに思考はありません、無意識なティッシュ、はい。何もおかしくありません。

しかし、「ハンカチの方が良いかな?」と他者の反応を気にしたり、社会性な常識に則ることで自己評価や価値を求める企みが出てきて低い波動を生み出します。

すると女の子は違和感を感じとり、ありがとうが言いにくくなります。

人を助けることに躊躇も思考も要りません。ティッシュ渡して、要らなければさようならです。

もしかしたら別のことを求めているかもしれないので敬い関わりますが、人を助ける人は利用されません。

助ける人を利用するエゴがいることで助ける人も躊躇して考えてしまいます。その逆も然りです。

何も考えず、助けたければ助けます。困っていなければそれまで、さようなら。

自分へも他者へも敬いを忘れないことで、優しさの人助けはスムースでシンプルな救済となり、自他が喜ぶ結果がもたらされます。

そこに残念ながら感動はなく、助け終わったらサっとどこかへ行ってしまうのもこれまた自然。

そんな優しい人を助ける人は世界中にたくさんおり、日本にもたくさんいます。私はどこに行っても人が助けられている光景を見ます。

素敵な社会を広げるためにも、ここでの内容にて人を助ける人の認識や理解が役立てば幸いです。

それでは、困っている人を助ける理由と心理、そこにあるスピリチュアルな話を終了します。

最後までありがとうございました。

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