意識、次元

魂的に縁がある人とは切れない【縁の深みは愛以上にカルマ】

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とんっ、と肩がぶつかった。

「すいません」と言って場を離れ、その後会っていない。

はて、あれは縁だったのか?

縁とはわかりにくいもの。

この世が幾何学模様でできている見方があるように、空間に貼り巡る蜘蛛の巣のようなものかもしれません。

縁があるからには深く関わり、縁がなければ関わらない。

最愛の人、運命の人とは縁があるから切れない、なんてことはありません。

切れない人は切れない、切れる人は切れる。そこには初めから縁の深みがあるかないかの真相が潜みます。

ここでは、魂的に縁が深い人を紐解き、縁が切れない人は何者なのかをお伝えします。

  • どうして縁がある人とは切れないか知りたい
  • 魂的に縁がある人が何者なのか知りたい

私達の根底深くで繋がる魂のご縁。

縁を切るわけにはいかない意識があり、もし切りたくなっても切れない実情が存在します。

怖くも嬉しくもある蜘蛛の巣、縁の深みを知る一つの考え方となれば幸いです。

縁がある人とは切れない理由

縁がある人とはいつでも切れる

初めにちゃぶ台を返してしまいますが、縁があっても私達はいつでも切れます。

なぜならば、この世の全ての意識体が縁の対象であるからです。

全てが繋がり合って構成される現実世界、この世に貼り巡る蜘蛛の巣が縁だと思っていただくとわかりやすいかもしれません。

運命の人だと思える一目惚れの同僚。

目が合う、電線でたそがれるカラス。

スーパーで買い物かごがぶつかったおばあちゃん。

たくさんある中で、寄りかかるために選んだ大きな木。

ベンチで座ったら過去の自慢話をしてくるホームレスのおじさん。

出会いも関わりも全て縁に基づき、その後に関わり続けるか否かは、全て相互の意識次第で決まります。

関わりたい、また会うだろう、仲良くなる気がする、また来るだろう。

例えば、おいしいカレー屋を見つけた時。

縁である蜘蛛の巣にモフッと絡まり、店主と仲良くなる。

しかし、またお店に行かなければ自然と縁は切れていきます。

それは蜘蛛の巣から一本の糸に垂れ下がり、重みでプツンと切れて落ちるようです。

お互いが向き合う意識が消滅した時、両者を紡ぐ縁は自然と切れます。

切れるか切れないかは出会った後の意識次第。

どちらか一方の意識がしっかり相手に向いていれば切れませんが、この世の全ての出来事が縁によって紡がれている考えでは、ほとんどの縁は既に切れまくっています。

別れがあれば新しい出会いがあり、縁を無限に繰り返し続けるのは、蜘蛛の巣の上を歩き続ける私達人間がいるからです。

 

切れない縁がある人

全ての意識体を紡ぐ縁。

小学校の同級生、切れていない縁の方が少ないと思います。

縁とは自然消滅的に切れていくものですが、いつまでも切れない人がいます。

「切れたと思っても再会、なんだかよく会う、直感だ、また関わる気がする、不思議な繋がりを感じる」

縁が切れない人とは、自分と相手の意識がお互いに向いている人です。

  • 自分から相手に意識が向いている
  • 相手から自分に意識が向いている
  • 両者がお互いに意識を向け合っている

意識が向くと蜘蛛の糸タランではなく、蜘蛛の巣としてボヨン。

さらに両者が向き合うとピーン!

切れない縁は、縁の自然消滅をさせたくない人と言えるかもしれません。

 

縁がある人と切れない仕組み:意識

切れない縁を紡ぎ続けるのが、意識。

なんだかややこしい複合体であり、ユング心理学ではこのように知られています。

  1. 顕在意識
    …自覚できる領域の思考や行動や記憶
  2. 潜在意識
    …無自覚な領域の思考や行動や記憶
  3. 集合的無意識
    …人類に共通した領域の元型作用

※Wikipedia参照

顕在意識や潜在意識では、自覚有無の違いはありながら、ご縁で出会った人とは遅かれ早かれ自然消滅的に切れていきます。

潜在意識であれば、「無自覚でもずっと相手のことを考えている」という可能性もあり、忘れたと思っても縁が切れていなかったりします。

しかし、潜在領域で相手を考えていることは無自覚の執着の可能性もあり、自分に喜びや関わる意味(利益)が見出せなければ消えてしまう脆いものでもあります。

①,②の場合、縁は遅かれ早かれ、時間差は人それぞれにありながら切れます。

縁が切れない人は、③集合的無意識、別名「魂」です。

魂的、魂レベルで縁がある人は何があっても切れません。

大切な人と別れた後、過去は過去として縁を切って新しい縁を受け入れる人もいれば、縁を切らず新しい縁も受け入れない人もいれば、魂で繋がっているから縁を切らずに新しい縁を受け入れる人もいます。

魂的に縁がある人は今世の記憶を抹消しようとも、忘れたと思っても、何があっても意識は常に相手に向いており、切れません。

どうして切れないのか、理由の紐解きへ入りましょう。

 

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魂的(魂レベル)に縁がある人とは切れない

魂的(魂レベル)に縁がある人の特徴

上述③集合的無意識の領域は、「あの人は今なにしているかなぁ」という物質・物理概念からぶっ飛びます。

何も考えずとも意識は相手に向いており、ピロピロした光の線が時間と空間の無い領域で隣り合わせて繋がり合っているような、

日本の木の根っこと、ブラジルの木の根っこが繋がり合ってコミュニケーションしているようなイメージです。

常に繋がり合っている“関係性”であり、時間や場所がなく、物質的三次元の縛りが一切ありません。

執着もなければ依存もない、思い込みも空想もなく、嘘も誤魔化しもない、ただあるがままの相手、そのままの現実を知る間柄です。

スピリチュアルな理解ではツインソウル、ソウルメイトなどと言うこともあり、無自覚でも相手を想い敬う愛がある相手。

このような縁がある人には、抱く気持ちに特徴があります。

魂的に縁がある人の特徴
  1. 大切にしたいと想う
  2. もらうより与えることに喜びを感じる
  3. 相手を受け入れたい気持ちが芽生える
  4. 相手主観と自分主観の両方で関われる
  5. 一緒にいると落ち着く、ほっこり
  6. 緊張や不安や焦りがない
  7. 依存や執着がない
  8. 沈黙が嫌じゃない
  9. 会っても会わなくてもいい

魂的に縁がある人の大きな特徴は、「会っても会わなくてもいい」と思える対象であることです。

蜘蛛の巣で言う、糸に垂れ下がる状態ではなく、巣同士が繋がる状態。

プツンもホワッもピーンもありません。

ツーとかスー

ただただ蜘蛛の巣そのまま。

魂的に繋がっているので、「どの道繋がってるんだから」と切れないことを知っている根源理解が無意識にあり、一切依存や執着心を抱かない対象です。

出会うと直ぐに仲良くなり、あまりに大切で距離感の近い間柄になると、大きな愛が大きなエゴや執着になる場合もあります。

しかし、執着を手放した時には、「あ、会っても会わなくてもどっちでもいいや」となる、そんな相手です。

 

重点:魂的に深い縁がある人の正体はカルマ(因縁)

この内容の主旨は、魂的に縁がある中でもひときわ深い縁の人、上述とは別です。

何があっても縁は切れないだけでなく、切りたくても切れません、別れてもその内に再会します。
※ツインソウルは執着を手放すなど成長を要しますが、この縁は何もせずとも再会する

愛と同時に怖さもある間柄でして、深く縁が刻まれています。

上述のツインソウルやソウルメイトはイメージするなら大気。自然に自己と一体する融合意識です。

この深い縁を持つ対象は、蜘蛛の巣にどでかいドングリが乗っているようなもの。

「な、なんだ、この巣に張り付くドングリは?!」
「巣(縁)の重みにも抵抗にもなっているじゃないか!」

魂的に深い縁がある人とは、カルマ(因果)に関わる人です。

解消しなければならないカルマに関わる因縁者は、この人生の超重要人物

それはもうツインソウルを遥かに凌駕するほど、会って関わらなければならない人です。

スピリチュアルや仏教の理解では、カルマを解消するために現世転生します。

この世の原理である因果応報のスタックをなくし、物事を本来の形に整えるのは、魂の宿題のようなものです。

蜘蛛の巣をこの宇宙と例えた時、巣にある欠損や糸が太すぎたり細すぎる部位、ドングリや虫が絡まって巣に負担をかける場所にカルマがあり、綺麗に解消することで宇宙のバランスを取りつつ巣を強くして進化していきます。

カルマがある部位の縁は、巣を整える意味があり、他の部位よりも強調されて魂に刻まれます。

まるでピコンピコンと反応するように、「この人と関わろう」と感じる因縁。

因縁には苦手意識、緊張と執着、恐怖、憎悪、恨みがあり、強い興味関心、恩返し、向き合い、成長、そして愛があります。

 

カルマに基づく縁がある人の特徴

カルマ(因果)に基づく縁がある場合、情熱的な恋愛に発展したり、結婚したり、ビジネスパートナーや友達になったり。

はたまた憎らしい人や許せない人だったり、人それぞれにさまざまです。

とにもかくにも縁が深い人に対するサインがあります

「関わりたい、一緒にいたい、関わらなければならない」と感覚的に感じ、関わると感情的になることが多いです。

思考ではなく感覚。

「なんかわからないけど関わらなければ」という感覚は、強い興味として感受します。

興味は好意、愛情にも、恐怖、怨念にもなります。

一体どんな人が対象に当たるか、特徴をご覧ください。

カルマによる深い縁がある人とは
  1. 家族(血縁者)
  2. ライバルや因縁深い人
  3. 心に傷を負わせてきた人
  4. 利用してくる身勝手な人
  5. 話せないほど一目惚れする人
  6. 気になって頭から消えない人
  7. 別れたのに会いたいと感じる人
  8. 関わらなければならないと感じる人
  9. 関わる理由がはっきりしていないのに会いたい人

カルマによる深い縁がある人は、家族や恋人や結婚相手、ライバルや忌み嫌う人など極端に強い感情を抱き、近い距離感になる人に多いです。

過去世を含めると私達は一体何をしてきたかわかったものではありませんので、とんでもない悪行、または善行をしています。

親や兄弟姉妹や親戚などの血縁者は、直接過去世のカルマに関わっていなくても、解消のサポート役として関わる場合もあります。

また、グループソウルによるカルマもあり、集団で作った大きなカルマ解消を担う役目を持つ人もいます。

親があえて辛い経験を与えて人間として成長を促し、大きなカルマを解消できるだけの力を養わせたりなど、グループごとに計画や工夫が見られます。

そんな関係上、憎たらしい許せない人になることもありますが、自他共に成長へ導く本当に重要な間柄でもあります。

 

カルマに基づく縁がある人とは切れない

カルマに基づく縁がある人は、縁という宇宙の原理の一部において破壊と再生を担います。

カルマを作って縁(巣)に負担をかけているため、なにがあっても修復を要する絶対法則と言えるかもしれません。

切れない縁は、愛以上にカルマ解消による縁の修復を意味します

大好きで愛しているとしても、「縁が切れない、やったね」とはなりにくく、関われば関わるほどお互いに解消できていないカルマが露呈し始めます。

一筋縄ではいかない関係性になり、ハプニングやトラブルを抱えながら、「一体関わる意味は何なのか?どんなカルマなのか?」を知る大切さがあります。

大切な人にも憎い人にもなり、人それぞれに自らのカルマ、相手のカルマに基づく関係性が構築され、「学びと成長」を促す間柄となります。

カルマが解消されない以上は魂の意識が切れないため、離れても何かしら関わる出来事が起き、現世限定ではなく来世に持ち越しもありえます。

※魂同士が繋がっている状態は、【心が繋がっている感覚】魂同士を繫げるかは自分次第だと知った日 をご覧ください。

 

参考例:縁が切れるのはカルマを解消した時

カルマなど蜘蛛の巣の抵抗となるものがなくなれば、縁は自然と消えます。

そのために、ただ関わるだけでなく何か認めたくない現実を認める関係性になります

言い方を変えると、成長へ続くステップがあり、自分を強くする何かがあります。

それは嫌で、苦手で、嫌いで、向き合いたくないこと。

不安で、怖くて、心配で、迷い、焦り、認めたくないこと。

離れても関わるので何か意味があると感じ取り、お互いのカルマを解消するために結婚して関わる時間を増やし、より深く相手を知りながら解消を無意識に狙う人もいます。

そんな縁に潜む本質的な意味を知っていただければと思いますので、私のカルマが一つのご参考になればと思います。

私はその人生である人に殺されました。

突然ですが、おかしな話をしますので気楽にご覧ください。

殺されるからには必ず原因があり、私がその人側の立場になって接しておらず、勘違いとお互いの認識を理解しないが故の出来事でした。

その人と今世で出会った時に私は、「はっ、関わらなければ」と訳もわからず感じました。

関わってみると、その人の悲しむ顔がとても苦手だと気づきます。

カルマです。

このカルマを解消するために、どうして苦手なのか知り、その人をしっかり理解し、悲しむ理由や、その顔になる原因を認め、反省して強くなる必要がありました。

もちろんその人にも認めなければならないことがあり、お互いの意識はピーンと張った糸のように緊張状態。

お互いが解消した時、縁は自然消滅していきました。

が、解消しない以上は離れても離れても何度も関わりました。

縁が切れるのは残念に思えるかもしれませんが、実際には縁が縁らしくなるため、より相手を敬い尊重し、依存と執着のない自然な間柄になれる重要なプロセスです。

 

見極め:エゴに基づく縁はすぐ切れる

カルマに基づく縁なのかどうかをわかりにくくさせるのがエゴです。

エゴに基づく縁は社会的に大切ですが、切れるかどうかのお話では、プツンと切れます。

とても大切な存在だと思っていても、エゴに基づく場合は即座に切れるカップ麺ラブ、別名インスタントラブ。

「この人とは共通点が多い」
「もっと知りたい」
「興味が強い」
「好き」

共通点が多いと急速に距離感が縮まり、運命の縁だと思えるかもしれません。

魂的な繋がりに該当する場合もあります。

しかし、エゴかもしれません。

わかりにくいものですが見極めがあります

すぐ切れるエゴの縁は、「この人と関わりたい」と思う明確な理由が顕在意識にあり、「自己利益を得られるから」が答えです。

カルマとエゴの縁の見極めは、感覚か思考かです。

カルマの縁は、どうしてかわからないけど関わろうとします。感覚的な関わる理由は深い縁です。

エゴの縁は、自己利益のみのために関わろうとします。思考的に関わる理由は浅い縁です。

深い浅いに良い悪いはありません。

エゴの場合は顕在意識に執着があるため、縁はあっても一時的なものとなり、切れる時は一瞬で切れ、関わることはなくなります。

全ての関わりは縁であり、深い縁なのかどうかで変わるのは、関わる意味が自己利益だけの狭いものか、他者やこの世の原理を含めた広いものかです。

 

魂的に縁がある人とは切れない まとめ

「縁」とは超ビックワード。

私には一端しか理解できないほどの宇宙の真理であり、この世の原理、自然の摂理、因果応報、カルマ、意識、心、魂、ワンネスを内包する仕組みです。

自分、他、社会、地球、宇宙の仕組みであり、それら全ての繋がりを意味する言葉。

この世のエネルギー、質量、粒子、物理の“流れ”のようなものが「縁」と考えます。

縁は本来切れるも切れないもなく、全てが縁であり、全てに因果があり、因果が解消されると停滞や積み荷をなくして縁そのものとして流れます。

流れた時、縁は切れたように思えますが、実際には本来のあるべき形になります。

魂の繋がりは、魂レベルを高め合う関係性でもあり、お互いに関わる重要な意味があります。

どうしても縁が切れない人がいる時は、確認してみてください。

関わりたい?
それは思考的に?感覚的に?

それともどっちでもいい?

どっちでもいい場合は執着なし、集合的無意識の魂の繋がり。

思考的な場合執着強め、エゴによる我欲と自己利益の願望。

感覚的な場合は魂的に執着があり、カルマを意味します。

その場合には関係性にある意味を読み取られてみてください。

私達は自己利益のみのために関わるだけでなく、お互いに意味があり利益があるからこそ関われます。

縁には自分と他者両方の関係性、関わる原因、目的が含まれ、縁を読めば読むほど自分という存在の集合的無意識へ繋がります。

縁がある人とはいつでも切れるものですが、魂的に縁がある人とは切れませんので、どうして切れないかを見つめながら、次のステップへ向かう紐解きを楽しまれてください。

そんなご参考になれば幸いです。

それでは最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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