スピリチュアル

絶望って何?正体に秘める哲学とスピリチュアル│希望は常にある。

絶望は本当に闇でしょうか?希望が潜む光かも?

「どちらでもない」

そんな話しがここにあります。

絶望とは悲しいのか、嬉しいのか。望みがないのか、手放したのか。

絶望とは何なのか、わかるようでわかりにくい。そして、私達が一般的に解釈している絶望とは全く違う理解があったりします。

ここでは、絶望についての紐解き、中身を掘っていきたいと思います。

と言いましても私はただの絵描きですので、「これが事実だ」なんてことは言えません、知りません、言いたくもありません。

私自身、絶望を何度か体験したことがあり、それら全てに共通する結果があったことから、ある一つの真理を私なりにですが洞察して理解しています。

その理解は哲学でありスピリチュアルを含めた認識。そこにはとても大切な気付きがあります。

奇妙でおかしな一人の思想、または戯言として、絶望とは何なのか、絶望によってもたらされること、そして絶望の大切さを、気楽に読まれてください。

「絶望って難しいけど、知るとわかるのは希望は常にあること」
そんな話しをお楽しみください。

絶望の哲学とスピリチュアル

絶望とは

絶望とは、希望を全て失う、望みが絶えること。

これは、希望という光が見えなくなった状態とは限りません。

欲がないことを表します。

光として希望が前提にある認識では、光がなくなってネガティブな状態に思えますが、そういった制限をなくして絶望単体をそのまま認識すると、光も闇もないかもしれません。

シンプルに、絶望とは望みが絶えた結果ではなく、望みがないこと。希望がなくなったではなく、希望がないことです。

少しわかりにくいかもしれませんが、望みが絶えるとは、本当にない、なにもない。

「辛いの嫌だー」「苦しいのはこりごりー」「こうしたい」「ああなったらいい」「こうなりたい」…なにもありません。

ネガティブもポジティブも、良いも悪いも何もないのが絶望です。

辛さや苦しみや悩みに負のイメージがつくのは、そこに希望や野望や向上や改善などの意欲を持ち、「こうありたい」「こんなはずじゃない」「もっと良い状態がいい」と望む場合です。

欲がなくなると苦しむことがなくなります。言い方を変えると、苦しむことができなくなります。

絶望とは、欲がない、執着がない、悩みがない、苦しみがないこと。

このことから、絶望には違った見方が出て来ます。

見方は二つ。

絶望する見方
  1. 他からの影響によって絶望する(希望を見失うほど打ちのめされる)
  2. 自らの意志によって絶望する(自覚できる欲や執着を完全になくす)

他からの影響で絶望する場合、悩みがない、苦しみがない状態にするのは困難かもしれません。

その状態は、悩み、喪失、見失い、彷徨いなどと言うかもしれません。

この状態はとても辛いですね。ですが、ここに自らの意志を含めることで、苦しみがない絶望そのものになります。

そのため、絶望とは望みが絶えるかどうかではなく、望みを絶やすことができるかどうかだったりします。

 

絶望は闇ではない

絶望と言うと、膝から崩れ落ちる、成す術もない真っ暗闇という印象があるかもしれません。

それはまさに闇。

絶望は闇の象徴で、悪魔の好むにおい…的な。

しかし、それはおそらく喪失や落胆、彷徨いや空虚、悩みの出口がわからない先が見えない状態、いわゆる先があると思う思想や信念体系に基づくネガティブな状態かと思います。

ちょっと現実的な話しをここにぶち込めますが、私達は希望を持って生きていないと、繁栄も進化も継承もできず、絶滅しかねません。

これは私達人間が拒みたいこと。そのために本能や性質から無意識に求める欲としての先天的欲求、生きたい、食べたい、眠りたいなどの生存維持や防衛本能などがあります。

そのため、光を常に見て、未来に希望を持ちたい。先行きが不安だと目的も動機も起きず、動力も生まれず衰退してしまうかもしれない。

欲求や願望がなければ生命力が見出せず、エネルギーも活力もなくなり、生きている意味も見出しずらい。

光がなければ闇はなく、闇がなければ光はないので、ネガティブもポジティブも両方大事です。

そのため、答え(光)が見えずらい悩み(闇)の状態は、光へ向かうためにも重要。

ですが、絶望になると話しが一気に飛びます。

ここではっきりと一線引いておきたいのは、絶望という望みがない状態と、望みが少しでもある状態。

いわゆる、望みがほんのちょぴっと、ちょちょぴっとでもある場合と、望みゼロは全く別物だということ。

悩みが解決できない状態や、現状は見出せないけどどこかに答えがあるだろうと信じている状態は、「答えを見出そうとする欲」があります。

欲はとても大切で生きる力にも動力にもなるので、欲が衰退すればするほどに落胆、空虚、現実逃避、喪失と闇要素を強めます。

この闇要素を強めれば強めるほど不安や恐怖が増え、それを受け入れた時には喜んで闇に浸かり、悪キャラ大好きみたいなことも起きます。

しかし、絶望するとどうなるか。

パッ。
全部消えます、闇が。

絶望とは闇の向こう側。それは光の向こう側でもあります。

光要素を強めれば強めるほどに、愛や敬いが増え、それを受け入れた時には喜んで光に浸かることも起き、喜び作りに勤しみ、向上、満たし、快楽、見失い(お金がありすぎて生きる目的を失った的なもの)が起きます。

光要素が強まれば強まるほどに欲が増え、闇サイドと目的や向かう矛先は違えど、同じように突き進み、ある時、「何でも手に入るからつまんなーい」。絶望パッ。

全部消えちゃいます。

絶望は闇ではない、そして光でもない。
じゃあ何でしょう?

 

絶望の哲学とスピリチュアル

絶望の正体は哲学とスピリチュアルに秘密があるかもしれません。

それは真理、そして精神、意識。

絶望は真理という考えがここでの主旨です。

真理とは普遍であり不変。誰しもに共通する摂理であり自然な様、だと考えます。

そんな真理となる絶望は、陰も陽も超越している、ネガティブもポジティブも、闇も光も越えた所にある自然な様。

不安や恐怖に偏る欲、喜びと愛に偏る欲、それらの欲や願望をなくした時に起きる状態。

これは潜在意識、または超意識になった様を意味します。

潜在意識とは、無自覚で90%以上の行動と思考を司る意識
超意識とはスピリチュアルなワンネス意識であり、自我を離れた魂状態にてジョインできる全ては一つの意識

ここから少しずつ話しは飛んでいきます。

私達はほとんどの行為を無意識に自覚せぬまま行っています。その潜在意識状態がまさに剥き出しになるのが絶望です。

絶望の時、潜在意識そのものとなります。

そして同時に、魂状態となることでの意識=自我を離れたワンネス状態にもなり得ます。

絶望した時に、潜在意識剥き出しになるか、超意識になるかで道が分かれます。

  • 絶望して潜在意識・・・無自覚の欲求(希望)が現実となる引き寄せが起きる
  • 絶望して超意識 ・・・ワンネス一体化の体験が伴い、心地良さと温かさに包まれる

見ていただくと、両方良さげな感じかと思います。

絶望するのは難しいですが、絶望した際には意識状態からのスピリチュアルな概念が加わるという話です。

 

潜在意識になる絶望とは?

絶望すると欲求も願望も何もない状態、完全喪失の空虚、それを絶望感というのでしょうか、膝から崩れ落ちても手で顔の怪我を守ろうとさえせず、ドーンと倒れます。

この状態は潜在意識が剥き出しになり、自覚できないだけで欲求も願望も、ネガティブもポジティブも認識が本当はあります。

そして、あることが起きます。

願望が叶う。

「んんん?!」

絶望のスピリチュアルな理解となるのが、思考の現実化(引き寄せの法則)です。

なんでこんなおかしな話をしているかと言いますと、私が絶望を体験した際、必ず潜在的な願いが叶っているからです。

※詳細は後述

 

超意識(ワンネス)になる絶望とは?

もう一つの意識状態はどうでしょう。

ワンネスになる絶望はこうです。

絶望によって自然(木や川や花など)そのものになります。

抗体のある方は読み進めてください。

これは、受け入れるも受け入れないもない受け入れです。

ややこしくなってきましたが、これは「拒否せずそのまま」の意です。

拒否なし+受け入れなし=じゃあどうなんの?と。

受け入れるも受け入れないもない状態は、起きることをただそのままにすること、干渉も介入もせず、ただボーッと見ているようなイメージです。

まるで木。晴れれば、雨が降れば、季節が廻れば、葉を付け、花を咲かし、枯れ、また葉を付けます。

しかし、晴れなければ、雨が降らなければ、季節が廻らなければ、朽ちる、分解される、土になる。

起きることをただそのままにする状態が絶望。そこには感情も思考もなく、願望も欲求もなく(自覚できず)、ネガティブもポジティブもありません。

これはネガティブもポジティブもあり、そしてない意味。

認識する基盤の自分が自分ではなく全体となることで、絶望にはポジティブがある自分の意見もあり、ネガティブがある全体の意見もあり、どちらもない自然な意見もあり。

※ワンネスの哲学とスピリチュアルな話しは、ワンネスとは宇宙の法則|哲学とスピリチュアルでわかる視点を変える話 をご覧ください。

話しがわかりやすくなると思うので、私の絶望での気付きについてをお伝えしたいと思います。

先に向かいましょう。

 

体験からわかる絶望の哲学とスピリチュアル

絶望体験

人生とは結構辛いものですので、おそらく人それぞれに絶望を経験しているかもしれません。

絶望の度合が人それぞれにあると思うので、それが絶望なのかどうかは本人にしかわかりません。

実は気付いていないだけで絶望している、そんな可能性もあります。

ですがここでの理解から、絶望は悩みや喪失とは別物で、願望や欲がない状態です。

私は絶望をはっきり憶えている範囲では三回経験しているのですが、一つは人生への絶望、残りの二つは命への絶望でした。

これは人生を彷徨い過ぎて崩壊した瞬間と、窮地で死を受け入れた瞬間、そして病気で辛過ぎてどうでもよくなった瞬間です。

これら全てに共通したのは望みが手放された状態でした、完全にパーっと。

人生への絶望は子供の時でしたが、自分の身の回りがことごとく崩壊し、最後に私だけが残り、精神が保てなくなった瞬間に膝から落ちました。

そして、全てがどうでもよくなった時でした。

喪失です。しかしその状態に自分の意志が入り、あることが起きました。

この世への未練が何もなくなった瞬間です。

言い方を変えると、大切なもの、すがりたいものがなくなり、執着がない(私の場合は執着するものがなかった)。

執着がないので欲がない、静かにスーン。

当時はわかりませんでしたがこの時、潜在意識状態で廃人になっていました。

すると突然状況が変わります。

私は独り暮らしができるようになり、その資金も助けてもらえるようになりました。

この状況、当時の私がずっとずっと望んでいた希望そのものでした。

願望はいつしか潜在領域へ入り、心からの願いとして無自覚に保持。そして、望みを手放した絶望時、引き寄せが発動して現実化へ。

引き寄せの発動条件が満たされたのは、絶望によってでした。

残りの二つも同様に、絶望にて潜在意識状態になることで何も自覚できる望みがなくなり、潜在領域に入っていた真意としての希望が、絶望した直後に叶いました。

その内の一つはワンネス体験が伴い、絶望によって自己理解を深める超意識状態でした。

絶望体験にある大切な気付きは、引き寄せができるということ以上に、感情も思考も執着も欲も手放された状態そのものにあります。

それは、自覚していないだけで、絶望しても希望は常に持っていること

同時に気付いた大切なことは、光も闇もない状態があるという体感です。

光も闇もない体感は、そこに全てが含まれていることも同時に教えます。

ここにあるのが絶望の真理であり真意、正体です。

最後に正体を暴いて終了します。

 

絶望の正体を哲学する

哲学といっても難しいことは私にはわかりません、一人のつたない思想だと思ってください。

絶望には顕在意識と潜在意識を分ける線があります。

普段は無自覚なので自らが潜在領域にいるかどうかは理解が困難で、寝ている時の意識状態はわからないけど確実にあるように、潜在意識とはウヤムヤだけど確実なものです。

そのウヤムヤを確実にする状態が絶望。

欲も執着も思考も感情も何もかもがない、けれどそれはあくまで自覚できないだけ。

絶望することで何もないけど、確実に欲も執着(自分に対する)も思考も感情も何もかもがある。

そこにあるのは、紛れもなく心の真意からはっきりと認識している“希望”です。

絶望とは希望を現実化する方法かもしれません。

光の反対は闇、ネガティブの反対はポジティブですが、絶望の反対は絶望。そこには陰も陽も超越した希望を、ただそのまま現実として表現するリアルがもたらされます。

絶望の反対は希望を紐解く自己理解。

するとわかるのは、人生の設計者は自分。自らが人生を創造している基本原理です。

何がリアルで、何が自己理解なのか、これは完全に人それぞれです。

そのため、絶望とは闇でもあり光でもあり、どちらでもない。

絶望によって現実化される希望が死の人もいます。

絶望はあらゆる自分を、仕組みを、真理を教えてくれます。死に良い悪いがなく、生に良い悪いがない。

良い悪い、光も闇も超越して存在するのは、常にある希望。

絶望するとわかるのは、常に、本当に常に希望を持っていることです。

このことから、絶望の正体は明確です。

絶望は良い悪いを手放し、執着との別れにて希望を灯します。

それは、他への執着とさようならをし、自らを知る始まり。孤独との家族化です。

「はい、出たー、意味わからん」

まとめますと、絶望とは完全に孤独になった時に表れる自分(希望)そのもの。

 

絶望とは孤独によってもたらされる希望

私自身、もし絶望するかどうかの時に、頼れる人や執着できる心の拠り所、甘えたり委ねられる人や環境があれば、絶望できた気がしません。

そのため、絶望するには(欲や執着を手放すには)孤独を受け入れる必要があります。

孤独とは悲しいものではなく、自己理解そのもの。絶望と孤独は切っても切れない関係です。

孤独とは己と人生の創造理解。自ら創って構成していることを知ると、光も闇もないそのままの自然が残ります。

受け入れるも受け入れないもないそのまんまは、欲も執着も手放し、自分の中にある真意の希望をポッと灯します。

孤独とはまるで家族のような身近で遠く、喧嘩も仲直りも、敬いも嫌悪も、好きも嫌いもあり、結局最終的には繋がっている関係性。

孤独と家族になると、絶望の中には常に希望があることを教え、絶望によって光も闇も越えた希望、それは良いも悪いもない自分そのものが現れます。

孤独との家族化は、絶望を光と闇を超えた希望にする、という話です。

※光と闇のスピリチュアルは、光と闇のスピリチュアルは自分の理解│光も闇も何もないけど全てある をご覧ください。

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絶望の哲学とスピリチュアル まとめ

おかしな話でしたが、お楽しみいただけたでしょうか。

絶望には負のイメージが強いかもしれませんが、絶望によってわかることは、私達は常に希望を持って生きていることです。

そこにあるのは、「良いことばっか起きて欲しい」ではなく、「自分のために」という自らを想う気持ちです。

絶望にて命を落とす方もいます。私の知り合いにも周囲にもそういった方はいました。

そこには、少し理解は困難かもしれませんが、この世の思考やルールだけではなく、自らの創造意識があり、潜在領域も超意識も含めて光と闇を超えた理解があるのかもしれません。

私の身の回りには病気や障害の方が多くおり、絶望感を感じて辛く苦しい日々を過ごす人もいます。

人それぞれに考え方や生き方があると思いますが、絶望する時はすると思います。

そんな時に、絶望の中には常に希望があることを知り、「自分のために」の理解を広げる一助となれば幸いです。

絶望は大切で重要な気付きをたくさんもたらします。視点を変え、認識を変え、絶望させられるのではなく、自ら絶望できるようにすることで苦しみとの関わり方も変わり、絶望の正体が垣間見えるかと思います。

絶望の理解が何か役立つものであることを祈ります。

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