「全ては一つで、みんなも一つ」
漠然としていて何のことかわかりにくいワンネス。
ワンネスとは、この世の摂理として存在する誰しもに共通の根っこの認識です。
ここでは、「ワンネスとは何なのか?」の理解を掘り下げ、より理解が促進されることを願い、哲学とスピリチュアルの両面からワンネスについてをお伝えします。
ワンネスとは何かを私達人間が理解できることはおそらくありません。
しかし、理解を少しでも真相に近付けることが私達にはできますので、過去の蓄積によって歴史が作られ社会を作るための継承が起きていく一過程として、私自身のワンネス認知経験を基に、哲学と宇宙の仕組みを混ぜ込めたお話をご覧ください。
Contents
ワンネスとは 哲学

ワンネスの意味
ワンネス(Oneness)とは、“一つであること”、“一体”などの意味を表します。
これを宇宙規模に広げて全体像を捉えるのが、“ワンネス”、“ワンネス意識”、“一体化”などと言います。
ワンネスとは、“全ては繋がっていて一つ”、というものと、“全てはエネルギーとして共通”という理解があります。
ワンネスの概念には哲学と物理学とスピリチュアルがありますので、順を追って見ていきましょう。
ワンネスの哲学的な理解
初めは少し固めに哲学から紐解いていきましょう。少しずつムニュムニュしていきます。
ワンネスへの哲学の認識は紀元前からあったそうです。
哲学者プラトンという人は、「宇宙は一つの魂を有する」と認識していたようで、それ以外にもギリシャ哲学では、宗教の概念や流行りとは全く別に、物事の紐解きをして理由や原因を紐解くことで宇宙や神というワンネスに辿り着きました。
「人とは、自分とは、この世とは、命とは、死後とは?」という哲学の先には全てが一つに繋がっていると考える哲学があります。
これはあらゆる私達が生きる上での根底にある理解となり、存在や仕組みを知ることにワンネスが潜みます。
個別意識を作るエゴによってワンネス有無が起きる
「全ては繋がっていない、みんなバラバラだ」と個別意識を持つ認識があるかないか。
ワンネスの前提には個々を区分けするか否かの認識があります。
その際に個別意識を持つことで、自我を主張するように我を持ちます。それを“エゴ”とも言います。
「私は私」と自分のことを認識する意識を“自我意識”と言いますが、自分のことを自分だと認識するのが当たり前であれば自我意識は無自覚で認識しようともしません。
しかしそこに、私は私と自我をあえて認識しようとする意識がエゴです。
哲学ではエゴへの思想が深くあり、エゴを理解することで“全ては一つ”ということが自然理解となる思想があります。
エゴがなければ自我意識を認識することもなく、「私は私」と思うこともありません。手が動くことが当たり前で、自分であることが当たり前、または自分だと思わないことが当たり前です。
そこに、エゴがあることで起きるのは“比較”や“勝ち負け”です。
自分を他と比べたり、他を基準にして自分を見出すことで自我を認識し、あえて自我を見出そうとする意識が強ければ強いほどにワンネスから遠ざかり、「そんなものはない」というようになっていきます。
エゴがあることで個別意識にて孤立しやすくなり、自らを見出すために他者の反応が必要不可欠となり、他者がいなければ自分を見出せないという矛盾を作ります。
エゴをなくすことで見える世界、そこにあえて個々を見出そうとしないワンネスがあると考えます。
集団心理がワンネスを理解させる
哲学には心理の概念が含まれ、集団意識があることでワンネスがわかりやすくなります。
エゴを克服しようという目的を持った集団がいれば、その際の集団意識が芽生えた時にエゴを克服するためのエゴを作り、個の意識をなくそうとする行動が“集団という個”を生み出します。
「みんな違うんだよ」「みんな一体なんだよ」と思うことで、“私、あなた”という認識をより作り、世の中の見方を狭めることになります。
集団を作ることはワンネスとは大きく異なり、敗者と勝者を作ります。
しかし、他者との比較、他のグループとの比較をすることで、他の存在なくして自分の存在が見い出せないことへの気付きの機会になります。
悪があるから善があり、地獄があるから天国と認識できるように、他との比較や二極性を作る際には片方が欠けると片方の価値がなくなり、分ける必要のなさがわかります。
そうすると、「個がないから個性を強く持とう」と思い、「個を持っていない人はダメだ」「悪はダメだ、平和じゃないとダメなんだ」という集団意識にて二極性の相手を抹消してやろうとすることが、いかに“全体”というワンネス概念から外れて、“集団という個”を押し付けているかがわかります。
他の存在によって生存しているワンネス
日常生活を観察すると人と人は共存していることがわかり、一人では生きられない考えがあります。
そこには、他者との共存と同時に他者への依存や執着があり、これまたエゴです。
一人で生きられないから集団になり、他者に依存することで自分がなくなり、無理やり見出そうとすることで集団の個として威勢をあげます。
哲学でその状況を紐解くと、他者に依存していても共存していても他者がいなければ自分で食べ物も生活もインフラも整える必要があり、病気や障害を持っている場合には困難を極めます。
食事をするのも、他の命を頂くことでその日を生き延び、毎日たくさんの形での共存として与え与えられの循環があり、他の存在がいることで生きられる自分がいます。
すると一人で生きているのではなく、存在も仕組みも法則も全ては繋がって一つになることで循環されていることがわかります。
地球だけでも食物連鎖の法則があり、自然と地球の関係性があり、川が流れることで季節が作られ、季節があることでさまざまな植物が育ち、魚が育ち、空気が作られ、命が循環します。
人だけでも細胞があり、血があり、空気を吸うことで心臓が働き、空気を吸う体があり、ごはんを食べたいと思う意識があり、人と共存して愛を与える心があり、全てが必要で大切なものだとわかります。
一つ一つが集まることで一つの全体として循環されていることに哲学のワンネスがあります。
量子力学にあるワンネス
量子力学によるワンネスの概念は波動によるエネルギー理解です。
五感による音、におい、味、光、感覚は全て肉体が変換していますが、そこには空間と物質に存在する振動があり、波動やエネルギーとも言います。
物質を分解していくと全ては“素粒子”という物質の最小単位になり、人もゴミも砂も同じです。
それをさらに紐解くとエネルギーになり、大気中にもエネルギーが振動をすることで存在しています。
あらゆるものはエネルギーとして存在し、素粒子をお団子みたいにくっつけていくことでゴミくずや人になったりしていて、全ては一つというワンネスに繋がります。
量子もつれによる理解
二つの粒子が強い相互関係を持つことを“量子もつれ”と認識されています。
対局するような繋がりを持つ粒子は距離に関係なく、片方が回転すると、もう片方は反対に回転するというような、粒子の相互の働きが知られています。
そこには時間や空間の概念がないかのように、光より早い速度で両者の動きが繋がり、太陽と地球のように遠-くお互いの粒子が離れても、まるで空間がないかのように繋がり、テレパシーのような共鳴のようなことが起きます。
そこには、理解の幅が広がる時間や空間の認識があるかもしれません。
※参照 Wikipedia
宇宙人のヒント
宇宙の概念として宇宙人のバシャールという存在が居ます。
その人は、「この宇宙は一つの粒子が高速に動くことで現実が創られている」と言っています。
それは素粒子が高速回転して人間や物体があるように認識していることと同じで、“この宇宙は一つの粒子でできている”というワンネスの物理的な認識にもなります。
事実かどうかは不明ですがそんな認識があり、量子もつれによる光より早い速度がある理解から、「時間の概念がないかも?」「空間は存在しないかも?」というスピリチュアルな話に繋がっていきます。
ワンネスとは スピリチュアル

お次はスピリチュアルな理解にてワンネスを掘り下げていきたいと思います。
ワンネスのスピリチュアル
ワンネスのスピリチュアル的な見方は、記憶や意識が全て繋がっているというものです。
全体として統括的な意識が一つあり、そこにあらゆる個々の私達や物など万物の記憶が含まれ、それを“ワンネス意識”とも“超意識”とも言います。
意識には顕在意識や潜在意識を持つ私達の自我意識がありますが、それらは過去の経験や知識による“記憶”の蓄積によって構成されます。
そのため、意識とは記憶のことでもあります。
一つの大鍋のようにワンネス意識があり、その中に万物それぞれの全ての記憶として、あらゆる魂の自我意識、顕在意識、潜在意識、ハイヤーセルフ、アカシックレコードなどが内包されます。
ワンネスのスピリチュアルとは愛の認知
ワンネス意識(超意識)とは言い方を変えると、宇宙の“創造主の意識”です。
名前がさまざまに出てきますが特に重要なことではありません。スピリチュアルとは魂として理解するため、気持ちや体感として経験することでワンネスを知ることができます。
哲学などの思想とは違うため、実際に感じたり認識する何かがあることでワンネスを理解することができ、それを“ワンネス認知”と言います。
ワンネス認知は“全ては一つである体感”のことで、感覚や気持ちにて認識することができます。
そこで、「ワンネス認知とは何なのか?」と疑問があります。
ワンネスを体感することは愛の認知でもあります。
ワンネスは誰しもを自分と同じように認識する際の体感を意味し、「あなたも私、このゴミくずも私」と極端に言うとこういう話ですので、“自分と同じ”ように誰しもと関わり接し大切にすることです。
その状態の体感とは想像が難しいかもしれませんが、“絶対的な愛”があることでそのように認識できます。
ワンネス認知には自分を愛する前提があり、他者の関わったことがない人も自分と同じように愛せることでの体感を意味します。
ワンネスの認知度合いは受け入れ許容で変わる
ワンネスとの繋がりの強さの度合いは人それぞれです。
私達は自分のために生きていますので、自分の喜びを求め、不利益のないことをとにかく望みます。
どれだけ綺麗ごとや偽善を申したとしても、これは単なる事実です。
自分を大切に愛する前提があり、その上で他者を自分と同じように愛することができることでワンネスを認知しますが、どこまでの人を愛せるかの距離感が人それぞれにあります。
距離感によってワンネス認知度合いが変わり、それは受け入れる許容にて変動します。
愛とは敬いのことであり、どれほど相手をそのまま認め、さらに自分のことのように喜べるかです。
喜んで認めることを“受け入れる”と言いまして、相手のことも自分のことのように取り入れ迎え入れる様を表し、そこには相手を許し、そのままを尊重する不干渉な様も表れます。
愛とは敬いであり許しであり不干渉であり、全てに共通するのが“受け入れる”という許容行為です。
家が燃やされた時に、「まぁ、起きちゃったもんは仕方がないね」と現実を認めることは容易ですが、そこでどこまで燃やした人を許し、「危害がなくて良かった」と自分のように敬い、犯行を否定したりの干渉をせず、現実や他者をそのまま喜んで認められるかにて許容が変わります。
“個”の概念がなくなり全体を統一的に認識することを意味します。
受け入れが増えて、最終的に何もかもを受け入れる状態となった時には、完全にワンネス一体化となり、自我意識がなくなり、
ワンネスとは自我意識との分離
魂として存在する私達を紐解くことでワンネスがわかりやすくなります。
魂についての説明図を描いてみたので、ご覧ください。

「なんやこれ?」って感じだと察します。
ワンネスとなる超意識からムニュと飛び出している青く囲んでいるものが魂です。
1~12と番号が付いているのが次元毎に存在する私達の自我意識です。その内のどれか一つが今生きている私達です。
※次元概念は私の理解ですので、人それぞれの認識によって別の理解があるのかもしれません
次元が上がることでワンネス意識へ近付いていく距離感があり、次元の概念は魂レベルと言い換えることもできます。
※魂レベルについては、魂レベルの段階(人生のステージ)に8つのステップ|最後は宇宙行?! をご覧ください。
魂レベルが高まることでワンネス認知が強まり、一体化へと近付きます。
次元概念を含めるとややこしくなるかもしれませんが、五次元からワンネス意識に繋がって、ワンネスの認知を自覚できる状態になります。
※どうして五次元からかと言いますと、創造主と言われるワンネス意識の源の体感が五次元以上の魂レベルにて可能となるためです
四次元以下ですと、哲学でお伝えした“エゴ”が強く、全体の認識よりも“自我”を見出そうとする認識が強いためにワンネスから遠ざかります。
エゴが必要ないということではなく、自我を見出そうとする意識が強いほどにワンネスから遠ざかり、自我を見出そうとする意識が弱いほどに自我意識が薄れて、個から全体のワンネス意識へ移行していきます。
次元毎に違う自分がたくさんいて、自分の次元よりも高い意識をハイヤーセルフ、低い意識をローアーセルフと言い、次元毎に自我意識をそれぞれに持ちます。
※ハイヤーセルフの理解は結構重要ですので、ハイヤーセルフとは何ものか?│守護霊とは違うアイテム的な姿の自分 をご覧ください。

五次元以降の自我意識は常にワンネスと繋がっている
五次元以降の自我意識は常にワンネスの認知があり、その度合いを変えるものが“受け入れ許容”です。
物事を、自分を、他者をどれだけ受け入れられるかによって、ワンネスの認知度が変わります。
受け入れることは敬いの気持ちがなければできません。自分の顔が、性格が嫌であれば、自分への敬いがないので受け入れません。
しかし、どんな顔でも性格でも自分を敬う気持ちがあれば受け入れます。それは“自分を愛する気持ち”です。
ネガティブな出来事を受け入れることができればネガティブを敬います。エゴを受け入れればエゴを敬います。それが陰と陽の理解となり、陰にも陽にも執着をしないことで陰と陽を超越したワンネスの“全ては一つ”に近付きます。
他者を受け入れ、物事を受け入れていきます。すると、受け入れるも受け入れないもなくなります。
受け入れようと自覚することは、自我意識を認識して見出そうとすることでもあるため、自我意識から離れていくことで自然と受け入れるも受け入れないもない(受け入れることが当たり前)状態となり、自然と誰しもを自分と同じように認識していきます。
それは、“私”という認識がなくなっていくことでの線引きや区分けがなくなっていくことで、その際の体感がワンネス認知。それが強くなっていくことでワンネス一体化として“全体を俯瞰する見方”になります。
ワンネスとは成長するための宇宙の仕組み
ワンネス意識へ近付くことで起きるのが、“全体を俯瞰する見方”です。
それは個を見出そうとする意識 →個を敬い自分を愛する意識 →個を見出そうとしない意識 →個がなくなり全体を見る意識 →全体を敬い愛する意識というように進んでいきます。
その流れを成長とも言います。
愛とは俯瞰性のことでもあり、成長によって俯瞰性が高まることで全体を把握する認識となり、余裕が生まれます。
余裕があることで他者も自分と同じように敬うことができ、それは人だけでなく物も環境も社会も仕組みも自然も地球も宇宙も敬うように広がっていきます。
まるで自分の頭上から浮いて、どんどん空高く昇り、みんなが同じ点・に見え、自分も他者も同じであり繋がっている認識のようです。
俯瞰性は魂レベルであり自我意識が弱まるための次元上昇にて養われ、成長することが大切な理解となるのがスピリチュアルなワンネスです。
そのために、スピリチュアルなワンネスの見方には輪廻転生の理解が含まれます。
生まれ変わりがあり、何度も何度も転生します。地球だけでなく他の星にも生まれ、人間以外にも動物や虫や植物もです。
全ては成長のためであり、魂の記憶を増やすために経験することで認識幅を広げ、他や自をなくすための固定観念をなくし、あらゆるルール設定や観念化にて物事に執着する様や、押し付けや決め付けにて他に干渉することをなくす機会となります。
何のために生まれてワンネスに帰属するのか?
ワンネス意識が高まることで、自分のことを自分だとも思わなくなり、ワンネス一体化として自我のない状態へとなっていき、まるでワンネスに帰属するかのように思えます。
何のためでしょうか?何のために成長を繰り返し、何度も輪廻転生してカルマを解消してきたのでしょうか?
さっぱり不明です。これは宇宙の始まりを知る宇宙そのものにしかわからないのかもしれません。
魂レベルが上がり、ワンネス意識が高まるにつれて自我意識と分離するために、理由や意味を考えなくなります。
しかし私でもわかることは、ワンネスの哲学となる、“一つ一つは全体として循環している”仕組みであり法則に則ることで、他者の成長をサポートするようになります。
それは、赤ん坊が何も言われなくてもハイハイをするように、地球が何を言われなくても回転周期を持つように、あるがままにそのままに、自然な形であることが全てを一体とするワンネスを認識させます。
なので自然な形で、「他者の成長サポート拒否」。それはそれで最高です。
何でもいいんです。自我への認識が薄れることで物事への固執・執着はなくなりますので、良い悪い、善悪、陰陽の二極化を超越していきます。
愛でもエゴでも共に大切であり、共に全体の見方をするために必要です。
あるがままに受け入れる自然な法則がワンネス
全てをそのままに、あるがままに存在することで自然のように循環が起きます。
それは地球のように川が作られ、流れることで自然を育み、海に生命を流し、食物連鎖を作ります。
自然な姿・形であることはワンネスとして一体となり、全てを一つとして物事を流し、変化が起き、成長が起きます。
常に移り変わり、そこに良いも悪いもないのは、ポジティブもネガティブも受け入れるあるがままで、全てを受け入れることで待っているのは経験です。
経験をするためには行動が必要となり、行動があることで記憶が作られ、記憶によって成長し、ワンネスへ通じる。
それによって人が動き、物事が変わり、関わりができ、継承が起き、歴史が作られる。
流れと変化と関係性を作ることが宇宙の法則となり、自然の循環となり、ワンネスの仕組みになります。
ワンネスとは、成長をするための宇宙の法則と考えることもできます。
ワンネスの愛とは不干渉
ワンネスは“全ては一つ”という全体の認識です。
社会と同じように他者の存在があるから自分が存在し、一つ一つが集まり構成されるように一つとして成り立ちます。
他者と比較して自分を見出すことも、他者と比較せずに自分を見出すことも、同じように見る視野になります。
「どうぞ、お好きに」という感じになり、みんなが一つなら一個一個の現象に干渉することはなくなります。
自分を愛して感謝と敬いが生まれるのがワンネス
自分を愛することで他者が悲しんでいる時に干渉はしません。するのは、その人の成長を自分のことのように見守ったり、励ましたり、気楽になれるように配慮することです。
ワンネス意識が芽生えることで他者の喜びが自分の喜びのようになり、みんなが居てくれることや、植物が生えていることでの自然循環や空気を吸えることなどに感謝します。
喜びや感謝には愛の気持ちが含まれ、それは“敬い”となり、自分も周囲も敬う愛を持ちます。
それがワンネスに繋がった状態でして、そこには一切の干渉も、自我の押し付けも決めつけもありません。
完全に自分を敬うこととなり、他者を敬い愛することとなり、それが不干渉の愛です。
ワンネス意識を持つことは、愛でもなんでも他者を干渉することではなく、あくまで他者の意志を、幸も不幸も含めて敬うことかもしれません。
ですが、一人一人の成長があり、魂レベルがあり、次元状態があるために、ワンネス認知が大切なものである人もいれば、煩わしく邪魔なものである人もいます。
人それぞれの成長を尊重して不干渉を愛だと認識する人もいれば、干渉しながらお互いに育み合って行くことが愛だと認識する人も居て、「何でもいいよね」というワンネスの理解だったりします。
※ワンネスを知るとわかる本当の愛の話は、ワンネスにある本当の愛│全ては一つだからこそ生まれる真実と愛の意味 をご覧ください。

ワンネスとは 最後に

ワンネスとは思想です、哲学です。
何よりも大切なことは今この瞬間であり、今生きている自分の認識です。全ては一つに繋がっていると思えば、自分の存在の意味や他者の存在の大切さを知り、心地良い共存が生まれるかもしれません。
ワンネスにエゴはありません。しかし、エゴをダメだというワンネスの理解も存在しません。
エゴは愛の裏側です。エゴがあることで他者の大切さがわかり、自分への成長を促し、自分を大切にするための視点が生まれます。
地球には地球にいる人のワンネス理解があります。自分には自分のワンネス理解があります。
それが私達一人一人は宇宙でありワンネスと繋がる存在たる考えです。
大宇宙の中に居る私達は小宇宙です。小宇宙と大宇宙は繋がり合う一元化、同じかもしれません。
俯瞰性とは空に浮いてくことだけではありません。自分を掘り下げて掘り下げて、内側にある心から魂へ向かい、自らの認識を遠ざけていく内側への俯瞰性もあります。
何でもいいのがワンネス。成長するのがワンネス。それは自然の摂理であり、宇宙の法則。
誰しもに共通のこの世の真理。色々な言葉がありますが何でもいい。
目の前のことを一つ一つ受け入れることで、愛を広げて感謝と敬いを真実として持ちます。
「気付けばそれはワンネスでした」という心地良い喜びの日が訪れる。そんな生き方となることを願い、ワンネスとは何かの理解をお伝えしました。
それでは、ワンネスとは何かの話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
今晩は🎵
「あなたはわたし、わたしはあなた」ですね。
れいさん。そうですな♪