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【悪口を言わない人は賢い】そして〇〇な人である詳細

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悪口は言わないことが“正”とされる傾向でありながら、言うことで周囲に人が寄り付き、みんな大好きドーパミンが放出されて快感に浸れることが知られています。

どっちを取りましょう。

私たちは選択して生きています。

その選択によって見られるのは、悪口を言わない人の“賢さ”、そしてもう一つ特出すべき“〇〇”があります。

ここでは、悪口を言わない人の賢さともう一つを紐解き、精神の本質に少し近付きたいと思います。

  • 悪口を言わない人の賢さを知りたい
  • 悪口を言わない精神的意味を考えたい

悪口と賢さの関連性には、心が磨けるものだからこその人間性質があります。

悪口を言わない人間味を知るためにも、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

Youtubeもありますので、ぜひご覧ください。

悪口を言わない人は賢い

悪口を言うのはデフォルト

悪口とは悪を肯定したさまであり、自己内部に毒を作り、他者に毒を吐く悪行です。

言わないに越したことはありませんが、言わずとも心の中で思えばその“意”は同じように毒を生み、因果を作ります。
※相手に与える分の悪行はない

とにもかくにも悪い口は自他を苦しめる元凶です。

なんでも
なんでも
悪口は私たち人間のデフォルトだと考えます。

人間は誰しも悪を兼ね備える性質を持っているので、悪い口を用いるのは自然。

正確には、子供であれば、自制できなければ、責任を持てなければ、嫌なことをされたら自然と言うもの。

純粋かつ素直な心を持っていれば、嫌なことがあれば泣き、怒り、反発する、それが自分を守る術になります。

友達にオモチャを投げつけられて頭が痛い痛いなったら、後で親にその子の悪口を言う。

そして、純粋であるが故に悪口を肯定したら子供はキレイに悪の道を邁進します。

ピュアなブラックアイズがギラギラ光るようになります。

・悪口は誰か止める人がいなければ言う

・自分を守りたい気持ちや自己愛が強いほど言う

・不条理で不道徳なことをされれば、心を守るために言いたくなる

正義とかルールとかどうでもよく、シンプルに自己愛(=自己悪)に基づいて言うのが悪口です。

ここでわかるのは、感情と欲望のままにすれば、嫌なことがあれば自動的に口がパクパク動いて、心が悪質を生み出すこと。

嫌なことが何一つない、または自分の意思を表現してはいけない環境で生まれ育っていれば悪口を持つことができないので話は変わりますが、そうでなければ自己愛が強くて子供の頃から変わっていない人こそ悪口を言います。

周りの親が悪口を趣味のように言っている、自分が言っても叱られないなど放任的、そんな育ちがあると悪口ばかり言うことに違和感すらなくなります。

悪口を言うことは何も変わっていない、何もしていない、何も成長していない表れ。

悪口を言わないさまは知性が追加されているからこそ、という考え方を基準に進めていきます。

 

悪口を言わない人が賢い理由

悪口とは自己内部に対処できない苛立ちや鬱憤、ジレンマに葛藤など、負のエネルギーを滞留させないための発散方法でもあります。

留めておけば精神は病み、病気になる可能性もありますので、対処できない場合はなんとしても排出したいものです。

なんでも
なんでも

悪口を言わないことは、不納得や不満足である負のエネルギーを他人を利用せずに対処できるさま。

精神的自立を物語ります。

そのため、ここでお伝えしたいのはこういう意味でもあります。

[悪口を言わない人=賢い]

[精神的に自立している人=賢い]

精神的に自立している人ほど、その道中は険しく厳しいものがあったと思います。

本当は言いたいのにグッと我慢して、ストレスを溜めて自らを穢す人もいます。

声に出さずとも心の中では罵詈雑言の雨嵐になっている人もおり、それならば言った方が身のためかもしれません。

悪口を言わないためには、不満足や不納得(負のエネルギー)を自力対処できる心や強さが必要です。

そんな心、かの有名なゴータマ・ブッダですら王子として居た時までは持っていませんでしたので、生まれ持っている人などいないと思います。

このことからわかるのは、悪口を言わない(精神的に自立している)人は、悪口を言う必要がない心を育んだことです。

ここに賢さの基があります。

 

悪口を言う必要がない心とは?

なんでも
なんでも

私たち人間には“磨ける心”があります。

良識や見識を経験測にて学び、育むことができます。

従う以上に育むことに重きを置くと、悪口とは言うものでありながらも、言わないようにしていくさまが見えます。

するとわかるのが、悪口を言わない人は心を育んでいること。

悪口を言う必要がない心とは、相手に反発心や拒否感、排他的に攻撃する意図を持たずに過ごせる意味です。

人を見下さず、「私が正しい!」と主義化・正当化せず、人をコケにして脳を快楽させる他人利用をせず、鬱憤晴らしに時間や重きを置かず…。

全ては自己内部に留まる負のエネルギーであり、不安と恐怖心と向き合いたくない問題

自分の問題を自分で見つめて、認めて、解決する力(心)があるかどうか。

これによって見られるさまがこちらです。

悪口を言う必要がない心
  1. 他人のせいにしない
  2. 自責と自律と自立を磨く姿
  3. 反発や攻撃せずに調和する力
  4. 人間関係を円滑にする適応と切り替え
  5. 相手側の立場を理解する認識や寄り添い
  6. 先見性、想像力、俯瞰性の高さ
  7. 作り育むクリエイティビティ
  8. 精神的余裕と許容の広さ

これらが“賢さ”となり、賢者の原基になります。

全てを完璧に兼ね備える人はいないと思いますが、該当するものが多いほど賢い人だと考えます。

 

悪口を言わない人と言う人

悪口を言う人と言わない人の違い

否定、批判、不平不満の悪い口。

人によっては悪意を込めて、相手を傷つけるために悪い口を使います。

なんでも
なんでも

否定や批判は物事を向上させ、道を逸脱させないためにも大切な社会的規律の一つです。

指摘や本音、助言やエンターテインメントにもなります。

リスクを負う条件と自分の意見と経験があるからこそ言えるものであり、心を開けば開くほど真意として発言できるので、悪口を言うことは人間味を表します。

しかし、自らでリスクを負う気がない場合、ただ相手に従っている、相手を傷つけるため、それは自分を守るための他人利用にもなり、酷い場合には自覚がありません。

責任を持たないということは自制がない、コントロールできない状態。

感情と欲求不満、快楽欲しさである“欲情”に支配された状態、動物と同じですので、賢いと言えるのはモルモットと比較した時くらいなものです。

自分をコントロールできている人は、悪口を言っても言わなくても賢いです。

ただ、両者には違いがあります。

 

違い:他と協力するか否か

・悪口を言う人は賢くなればなるほど、他と協力ではなく使用や利用する

・悪口を言わない人は賢くなればなるほど、他を使用や利用ではなく協力する

なんでも
なんでも
悪口を言わない人は自力も大切にしながら、他力も重要視します。

自分の非を認められ、直ぐに切り替えられ、相手の意見を取り入れられ、そのための調和や寄り添いができます。

他を使用や利用できるのは頭がいいからですが、長期的に見ると問題が生まれやすく、同じくらい頭のいい人が相手であれば戦いや敵対が起きるかもしれません。

先も含めて捉えると、知的ではあっても賢いかと言われればナムナムナム。

比較した場合、賢いのは明確に悪口を言わない人です。

私自身が旅をしながら出会ってきた悪口を言わない人々は、高宗なグルジーや経営者に多かったのですが、まさに賢者の印象です。

 

賢い人ほど[自力+他力]

なんでも
なんでも
これは私が出会ってきた人々でしかわかりませんが、悪口を言う人と言わない人の賢さには明確な違いがあります。

悪口を言う人は、「頭がいいんだろうな」という印象を持ちますが、余裕のなさも見えます。

どこか自分を正当化させたいメンタルがチラつき、他を排他することで自己愛を貫き、自らを保持しているように思えます。

「この人に経済的余裕がなかったらまるで別人になるんだろうな」と思えるイメージです。

悪口を言わない人は、「頭がいいんだろうな」という印象だけでなく、絶対的な余裕があります。

敵を作らず味方を作る。

自力だけでなく他力も活用し、必要なければ一人で、必要となれば協力してもらう。

その際に目立つのが、協力する周囲の人々が喜んで関わることです。

他者を使用や利用する人と、喜んで協力してもらう人では、持つ力の総合で圧倒的な違いが出てきます。

ただ、悪口を言う人の場合、一人で周囲を支配して、洗脳して思うままに使用する人もいるので、印象としてはより知的で理論的なさまが強いです。

両者の違いは“ある一つの状態”に全て集約されますので、それを最後にお伝えしていきます。

 

悪口を言わない人は賢い+〇〇

なんでも
なんでも
見かけは同じように賢そうだとしても、内面の違いは何があっても誤魔化せません。

悪口を言わない人の特出する点は、

幸せです。

小さなことに幸せを感じます。

悪口を言わない賢い人は、幸せそうです。

悪口を言う知的な人は幸せそうに見えません、幸せになるために頑張っているようには見えます。

もし近くにいたら確認してみてください。

悪口を言わない賢い人には余裕があり、焦らず、冷静、問題が起きても静かに何もなかったかのように片付けるか、他者と協力して楽しそうに片付けます。

悪口を言う知的な人は、見かけ上(経済的、生活的)の余裕や冷静さは見えるかもしれません。

しかし、焦りが多く、問題解決する際に怒りや苛立ちを露わにすることが多いです。

幸せになる必要性は人それぞれですが、幸せをしっかり作っているさまは、まさに賢さそのものを象徴する明白なものだと思います。

賢い人は幸せ。

幸せな人は悪口を言わない。

悪口を言わない人は賢い。

もし言うのであれば悪意や不平不満の吐き出しではなく、相手のための厳しい説教や助言、直接伝える本音になります。

悪口を言わない人は幸せなさまを含めて表れる賢さを持ちます。

 

最後に:悪口を言わない人は賢くて幸せ

幸せかどうかは本人の解釈に委ねられるため、幸せであることはこれまでの人生を集約した結果が見られます。

賢い人の幸福は在り方そのものです。

たくさんの悪口や悪意や罪悪を作ってきたからこその賜物であり、心を汚したからこそ切磋して磨いてきた証。

磨ける心を持つ私たち人間は、悪口を言うデフォルトを糧に如何に悪口を言わない自分を作れるか試されます。

それは変化であり、成長の意味。

精神的自立であり、自責の高めであり、自他のバランス理解です。

知性は陰側であり、知力は悪を基に高められます。

だからこそ私たちは悪質を用いて、自己悪にて知性を高めながら、自他を統合した愛を認めて、賢者の域を目指します。

賢者の認識は全体であり総合的。

個人特化で鋭くした刃を、大きなマグマで溶かして無に帰す。

もったいない、そんなことどうでもいい。

個は全体の一つでしかない、けれども刃のトロケがマグマを美味しくする。

そんな全体の目線は大きな心となり、そこに悪口を言わないさまがあります。

賢さも幸せも悪あっての善、悪口とは段階を表す指標なのかもしれません。

それでは、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. くこそつ より:

    子供が苛められていて家で相手にされたことやされて嫌になった気持ちを私にいつも報告してくれていましたが、私は
    「なにか相手にそうさせるような自分の行動や心遣いはなかったの?」
    とまず自分自身をふりかえさせるようにしていました
    当然、その上で子供を肯定し家ではいつも家族皆が楽しい時間を過ごしていました
    子供はしばらく苛めで辛そうでしたが最後の砦の家が楽しかったことで不登校にもならずなんとか卒業できました
    高校に進学後は良い人間関係にも恵まれて幸せな学校生活が送れています
    私ではなく子供の心(魂)が磨かれているだけでしょうが、外部影響に対し他責の心が癖付いていたら高校生活もまた違っただろうなと思いました
    いつも素晴らしい記事をありがとうございます

    • 北斗 より:

      どういたしまして、お役立ちとなってよかったです。
      素敵な教育ですね。
      悪口を言わないのは自力では困難を極めるので、
      言わないさまには、他者との関りの深さや意味の多さも表れるのでしょうね。

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