親には感謝するべきか否か、賛否両論。
当たり前の話ですが、一人一人に性質があり性格があり、親にも気質があり価値観があり、自らの在り方と親の在り方が一人一人、一家族一家族にあるので、感謝するか否かは他者がどうこう言うことではありません。
ですが、感謝できるかできないかの話になると、ちょっとお伝えできることがあるかもしれない。
「親に感謝できないからどうしたの?」という話ですが、この状態に悩みや違和感が少しでもある場合、ここで一休み。
少し物事を客観的に捉えてみませんか?
あくまで私の経験と理解ですが、親に感謝できなかった時と、心から感謝できた時を見比べるとわかる気づきから、原因と改善に大切な紐解きをお伝えします。
感謝とは無理にするものではないので、しなければならないことなどありませんが、感謝するかどうかの気持ちがわかりやすくなれば幸いです。
Contents
親に感謝できない理由と原因

親に感謝できない理由
私達人間は感謝したければします。したくなければしません。
人それぞれの価値観や観念が関わるので、どういったルールを自らに設定し、どういった考えで物事を認識しているかによって感謝するか否かが分かれます。
そこには感謝の必要性有無の判断や選択があり、感謝できない理由はとてもシンプルだったりします。
- 感謝しなければいけない縛りへの反発
- 感謝する必要性を感じない
もう二つだけ。
といっても内訳は結構広いです。
詳細を見ていきましょう。
親に感謝できない理由①:感謝しなければいけない縛りへの反発
感謝しなければいけないルールがあると、強制や義務=支配や縛りが起きます。
これに反発するのは人間であれば自然、いえ、自己認識や自らの意志がある人は自然です。
社会性の常識やルール規範、世間体、干渉、支配、押し付け、他者主観、自意識のなさ、自律のない他律、軸のない執着と依存に対する反発などなど。
これらは“自分”があればあるほどに反発します。
縛りを作られることと、自意識の強さです。
一つ目の理由から見えるポイントは、
親に感謝できない理由②:感謝する必要性を感じない
感謝とは無理矢理にするものではなく、思考的に見出すものでもなく、気持ちとして発される想いです。
そのため、感謝するか否かは自分にとっての必要性を認識した時に初めて選択が起きます。
例えば、感謝の気持ちを知らない、わからない、持っていない場合には感謝したくてもできない。または、上っ面のありがとうで片付けることが起きます。
同時に、感情や認識が希薄で(わからず)、自己表現や内観理解がなければ感謝の気持ちを持っていても、できなくなります。
以上は、感謝できるほどの余裕がない=自身や身の回りのことで精一杯の状態が考えられます。
余裕がない状態は自立が乏しいことを表すため、精神的、経済的、社会的、身体的、生活的自立の何かが欠け、未発達、または満たされていない可能性があります。
これら自らの感謝認識以外にも、親に感謝したいか否かの意向によっても必要性が変わります。
虐待や放任、否定や強制が多く、自らの意志に反することをされて抑圧、暴力、精神圧迫、納得のいかない関わりによって、感謝するに値しない人間として記憶され、感謝したくてもどこかで歯止めがかかったり、感謝なんかしたくもないと抱き、感謝できなくなります。
感謝の必要性有無をする自らの在り方の不調和と、親との関わりにある拒否の認識です。
二つ目の理由のポイントは、
親に感謝できない理由まとめ
上述の理由をまとめます。
- 親や他の目やルール、そして自らの支配による縛りがある
- 自意識が強く、縛りに反発する現状がある
- 自分と自分の調和がずれて感謝の必要性を感じない
- 親を認めて許せない拒否がある
反発には自意識がどれほどあるかが大きく関わります。
そして、自意識があっても現状の自らの在り方と不調和があることで、どこかで感謝できないことに違和感や悩みを抱えることになります。
その際には、自分に正直ではない、自分らしくない、主観が他になっている、他律で主体性がないなどが起き、そこに憤りやイライラを感じたり、悩みになります。
自らの在り方との調和、そして親との関わりに如何に感謝の必要性を引き出すかが、感謝できるかできないかを分けます。
ここで一つ明確にわかるのは、感謝できない人のフォーカスは常に自分。親ではありません。
唯一親が出て来るのは、親との関わりの際の自分がされたこと=自分に起きた利益や不利益の際の脇役登場という具合です。
親に感謝できない原因(掘り下げ)
感謝できないことは全て自らが中心です。かなり極端に言うと、親はどうでもいいくらいポイッという状態。
「そんなことはないでしょ?!」という感じで、少しわかりにくいので詳細を掘り下げていきます。
上述の理由ですが、簡単に要約すると、他者主観・他律に違和感がなければ、または親に対して拒否の認識がなければ、「親にされたことを鑑みれば感謝するのは当然だ」と感謝の必要性をバリバリ見出します。
同時に、自らの在り方と親の関わりに縛りがなく、調和があれば感謝。
そして、自分に対する不調和となる許せない気持ちや過去への執着、自らの支配を手放し、自分らしさを持ち、自意識強めの本来の在り方として軸と自律を持ち、自信や自尊を持つことで感謝。
ですが、感謝できない場合には、自らへの違和感(他者主観、他律)、不調和(自分らしくない)、許せない、記憶への執着、認めない拒否が拭えないことが考えられます。
これらは全て自分の話です。自らがどう関わり、どう許し、どう対処し、どう認識し、どう受け止めるか。
「親にされた嫌な記憶が消えない、」
「思い出すと許せない思いが出て来る、」
「他の家族を見ると違いを比較してしまい、」
「他人として関わってもどこかで感謝しなきゃと思っている、」
感謝の必要性は自らしか決められませんが、そこに親や他を含めるか否かは本人次第です。
親や他を含める場合、あることが起きます。
親への執着と期待。これらが感謝させないように自らを構成します。
感謝できないのではなくしたくない場合がある
本当は感謝できるのかもしれません。
しかし、感謝したくないので感謝させないように在り方を作り、価値観を持ち、現実を創ります。
すると、嫌な記憶が消えないのではなく消したくない、許せない思いが出て来るのではなく出したい、比較してしまうのではなくしたい。
少し正直になると、感謝しなきゃと思う。これは、感謝したいと思う。かもしれません。
感謝できない原因は、感謝したくないと歯止めする何か。
自らの支配です。
何度も言ってしまいますが、親は関係ありません、他も関係ありません。関係させるか否かは全て自分次第です。
この関係させようとする行為が親への執着と期待。その根底には自らの支配があります。
ここで一つ考えられる原因は、本当は親に感謝したいのにしたくない状態に縛ることです(反発)。
親に感謝したくないからできない原因
ここで根本の話になりますが、一つ大切なことがあります。
「感謝できないからどうしたんですか?」ということです。
感謝できない理由はこれまでのようにありますが、それが良いのか悪いのかは本人しかわかりません。
感謝できない理由の解釈は現状理解や改善見直しであり、良い悪いを判断するためではありません。
そのため、感謝できないことに何も違和感がなければそれまで、感謝できないことが=自分らしさにもなり、感謝したくないからしない=自らを大切にすることでもあります。
親への執着や期待をする場合には、感謝できないことに違和感があり、感謝したいとどこかで感じている状態があるかもしれません。
親に執着や期待するのは、社会環境で教育を受け、常識やルールをインプットし、切磋琢磨して世間体や他の目を気にし、努力するように比較して評価・価値を得てきた私達にとって自然なことです。
さらに、生きる環境を辛くてもなんでも与えてくれて、ご飯をまずくても与えてくれて、地獄のような時間でも精神を完全崩壊させないでくれたのであれば、思い入れもあるでしょう。執着や期待が膨らむのは当然です。
このような背景を踏まえて、感謝したくないからできない場合には大きな原因が考えられます。
親を愛しすぎたことです。
自らの愛を与え、奉仕のように親を喜ばせた。
我慢して、親の言うことを聞いてきた。
言いたいことも主張せず、あなた達が喜ぶように愛を振舞った。
はむかうことをせず、危害を加えない愛を与えた。
気を利かせる愛を持って、見返りも求めなかった。
なのに、なぜ?!
感謝したくないのは、感謝する方が違うからではないか?
感謝されれば感謝できる。
謝れば、感謝を感じ、こちらも謝る気持ちは持てる。
感謝したいのにしたくないのは、「次はあなたの番だ」と見返りを、愛の見返りを求めているのかもしれません。
愛を与えすぎたのかもしれません。
それは、親を愛しすぎたからこその執着であり期待。
ここに思い当たる場合、自意識の強さが大きく関与します。
自意識の強さは感謝できないことで自己防衛となる
感謝できない理由の一つ、自意識の強さ。
自意識とは自らの認知が強く、自己認識による内向理解や、自らを他と明確な線引きをして確立する意識を表します。
見方を変えると、自己愛です。
自意識の強さは自律を持ち、自らが主体で主観、能動的に軸を持って自らの規範に則って行動する傾向があります。
現状に自律がなく他律、他者主観で受動的な状態があると、自らとの違和感や不調和を強め、感謝の必要性を見出しにくくなります。
そして何より、自意識が高い人の大きな特徴となるのが、愛の認知の高さです。
自らの愛を強く大きく内包し、それを自覚している場合には意識的に愛を与えることをします。
無自覚の場合には無意識に愛を与えますが、同時に無意識に愛を求めることもあります。
すると、親への執着や期待があればあるほどに愛を求めてしまい、もらえない場合には自ら愛を与えることを止めます。
心のどこかでは感謝したい自分がいることを消したくても消せず、強引に抑制するように自意識をなくしたり、感謝したくないと親への拒否認識を強めることで、感謝できない状態をあえて作り出そうとします。
これは自己愛が強い人が愛の見返りを得られないことに対して、「自分は否定されている」と思い込むことを防ぐための自己防衛でもあります。
愛が強いことで執着や期待が強くなり、親を愛しすぎ、優しすぎとなり、自分が傷つくことを守るために感謝したくない意識を作り、感謝できない状態が自らのためになるというものです。
自己防衛は過去の環境や記憶にて無意識に構築されるため、感謝できないから悪いなんてことはなく、人によっては感謝できないことが大切な行為でもあります。
※感謝できない人の詳細は、感謝できない人の心理と原因に核がある│真意は内から外へ向かう紡ぎ糸 をご覧ください。

親に感謝できない 改善方法

親に感謝できないことに悩む人が知りたいこと
親に感謝しなければならないことなどありませんので、感謝できないことに悩む方を対象にお伝えします。
悩む場合には、感謝できないことに違和感や不調和があると思います。
この場合、自らの支配を解くことと、感謝の意味を知ることが改善になります。
親に感謝できない時の改善①:自らの支配を解く
執着と期待の手放し=他律、他人軸、他者主観、受動的の見直しです。
何も悪いことではありませんが、自意識が強いとこれらは違和感となり、らしさを抑圧してギュウギュウ潰してしまいます。
自分の人生を生きることが大切ですが、それを止めている大きな要因に“許せない”があります。
親を許せない。
実は、許す許さないの対象は完全に自分でして、そこに親はいなかったりします。
親の存在は仮想現実として過去の記憶の一コマ一コマ、リアルな存在となるのは、「許せない私」です。
そのため、親を許せない場合には自分を許せないことを意味します。
この許せない状態が執着や縛りを作り、自らを支配する元となります。
親ではなく自らを許すことにフォーカスし、意志を持って少しずつ対処することが大切です。
親に感謝できない時の改善②:感謝の意味を知る
自意識、自己愛はとても大切ですが、感謝の意味を固定したり思い込む可能性があるため、自己理解ではなく共通認識としての理解が改善に繋がります。
自意識が強いと、感謝の意味は愛を他者に与えることだと思う傾向があります。
その通りなのですが、感謝には別の意味もあります。
それが、自分の喜びの表現であることです。
ありがとう(有り難い)と思うことや謝りや感謝、これらは喜びや嬉しさを認めて感じることです。
または、自分らしく抵抗のない様や、有り難いと貴重なことが起きた時の受け入れる心地良さの感受、いわば感動の認知です。
親に感謝できないと悩む場合には、感謝=喜び表現と感動の認知とすることが大切です。
※感謝の意味の詳細は、感謝の気持ちを持つために知りたいこと│感情ではなく想いという話 をご覧ください。

親に感謝できない時は自分に感謝する
感謝の必要性は本当に人それぞれです。
感謝とは今この瞬間に見出す心からの想いです。どれだけ親に感謝したいと思っても、いざ目の前に来てお尻ぼりぼりしていたらぶっ飛ばしたくなるかもしれませんので、気持ちとは今にしか生きていません。
そのため、過去の記憶を基に今感謝できるようになることは、感謝することとは違い、愛を与えることを意味します。
愛を与えたくない、与える動機がない、必要性がない、与えたくない、そのために感謝できない現状があるので、これを無理矢理しても上っ面で片付けてしまいます。
感謝するのはしたいと思った時です。
することは自らに感謝し愛を与え、自らに感謝し喜びの表現をします。そして、その後は自らに有り難いことが起きていると認識し、心地良さや受け入れている状態を感受します。
親のことはポイポイッ、あとあと、後回し。
自らへの感謝を増やすことで許容や受け入れが多くなり、自分を許すことや、主体性を持って自立することにも繋がります。
自己を育み成長し学んでいくことで、余裕ができた時に感謝の必要性を見出し、自然と親に感謝する日がやってきます。
改善ポイント
ポイントは着眼を親にしないことです。
親に感謝できないことの着眼は己であるために、強引に親に向けても動機も行動も促されず、自己否定や罪悪感を強める逆効果に。
着眼はそのまま己。如何に感謝の必要性を自らの意志を持って見出すかが改善です。
そのためには、認識幅を広げ、過去に執着せずに清算、自らを許し、親との記憶への不調和や拒否を手放します。
すると、親からされた嫌なことや許せないことへのフォーカスではなく、当たり前だと思っている学校へ行けたことや、ご飯を無償で提供してもらったこと、布団を購入してもらったこと、家があることなどの恩恵や利益を貰っていたことに目が向きます。
このように認識を広げるためには自分の内側を知り、客観的に見る視点を持ち、他者との区分けや、他者の立場で物事を見る理解の育みが大切になります。
これを一度にドガッとしてくれるのが、アフリカに一人で旅することです。
有り難い環境を貰っていたことや、感謝する材料の多さにとんでもなく気づきます。
ですが、時間や制約があると思うので、わざわざ旅をせずとも日々の生活で認識を深める方法があります。
自己表現です。
表現する機会を増やし、自らの内にあるものを他者に表す練習や努力によって、表現力が高まります。
そのまま自己認識の内観能力の向上となり、さらに他者の立場で物事を見る視野を養い、感動の認知や、喜び表現としての感謝が増えていきます。
※自己表現の詳細は、自己表現の方法は絵がいいかな?|何でもいいけど表現する意味が大切 をご覧ください。

親に感謝できない まとめ

感謝とは必要性に応じて気持ちを表し、気持ちを与えるお返し。
私達は未熟です。そして親も未熟です。
親に感謝できないのであれば、おそらく親はその親に感謝できない、またはできない時があったと思われます。
子から幸せを貰っている親は子供に感謝します。
親から幸せを貰っている子は親に感謝します。
どちらかが感謝することで相互交流のきっかけを作ります。ですが、片方が拒めばそれまで。
しかし、感謝は喜び表現や有り難いことへの気づきでも生まれる気持ちです。
そのため、自らが一方的に感謝もできます。その際にわかるのは、自分のために感謝していること。
親に感謝できないとは、親から感謝されていない、または自分に感謝していないこと。
親のことは親が決めます。そのため、親から感謝されるかどうかはどうでもいい。ですが、自分のことは自分が決めます。
まずは自分です。少しずつ余裕や自立が出てきた時、それは認識が広がり自己表現が養われた時、感謝の必要性が変わり、親への見方も捉え方も変わっていたりします。
そんな時、気が乗れば想ってみてもいいかもしれませんね、「ありがとう」と。
私自身が感謝に気づく経験を綴った本があります。
目が覚めるように自らの過去を思い出す、感謝の気持ちを知る経緯を含めた物語です。
自分を知ることを主体にした大真面目なおふざけ本。
ここでの内容をより深く知ることができますので、興味のある方は読まれてみてください。
