対処・解消法

感謝の気持ちを持つために知りたいこと│感情ではなく想いという話

感謝の気持ちを持ちたくてもなかなかできない。
そんなことがあるかもしれません。

それは感謝の気持ちとは何かを知らないだけ、という可能性が。

感謝とは気持ちであり感情ではありません。

わかりにくいですが、感情ではなく想いであるということです。

感謝の気持ちを知らないと感謝できず、感謝の意味も質もあったもんではない。そんなことになりかねません。

すると、ただ口から音を発する行為になったり、規範に則りお辞儀だけしておくという肉体行動、角度の話?に。

中身がないと。

ここでは、中身である感謝の気持ちを持ちたいと思う方を対象にお伝えします。

私が感謝の気持ちを知ったのはある経験があったおかげでした。その前は感謝という外面を振りかざしてへらへらしていましたので、ゆで卵の黄身と白身がない状態、殻でした。

そんな経験話にお付き合いいただきながら、感謝の気持ちを持つために必要な理解と、その方法をご覧ください。

感謝の気持ちとは

感謝とは

感謝の気持ちを知る前に、「感謝」についてを少し紐解きたいと思います。

感謝とは、謝りを感じることです。

謝ることも、ありがとうと言うことも、お辞儀することも、お饅頭をもらって肩をポンッとすることも感謝。

意味や語源、また他国の認識を踏まえると、大きく二つの意味があります。

 

感謝の意味一つ目:自らの喜びや嬉しさの認識と表現

自分が対象の感謝です。

他者が何かしてくれた、自らが何かした。そこに自らを喜ばせ嬉しくさせる満足や納得の利益がもたらされたことを認識した時に感謝します。

それは自己表現として、「ありがとう」と言葉を発したりお辞儀したり、何かしら内側にある喜びを外に発することで表現されます。

子供がプレゼントを貰い、くれた人そっちのけで喜んでいるようなイメージで、その際の「ありがとう」は他者へのものではなく、自らの喜び表現というものです。

 

感謝の意味二つ目:他者への労いや敬いによる愛を伝える気持ち

他者が対象の感謝です。

プレゼントを貰った時に、自らを喜ばせてもらったことや、利益をもたらしてもらえた元に着眼した感謝です。

「この人は私は嬉しくさせてくれた」という所を認識したり、相手の行為や労力に対する労いと敬いとして、自らの愛を伝えることでお返しや尊重の意志を気持ちとして渡します。

いわば、相手の行為や気持ちを貰えたことに対して、お返しの愛をお渡しするというものです。

 

ありがとうとは

感謝する際の方法として、「ありがとう」という言葉があります。

言葉には言霊があり、波動があり、さらに感情を込めたり、想いを込めることができます。

そのため、言葉にチカラが宿るように、利益付帯の貰って渡してができる感謝方法の大きなツールです。

「ありがとう」は「有り難い」と書き換えることができ、仏教に由来すると言われています。

「貴重なことが起きた、有り得ないことが起きた」という、とんでもない奇跡を目の当たりにして、何としてでも受け入れたいと思える様でもあります。

そのため、「ありがとう」とは自らを受け入れる行為や様でもあり、貴重なことによって喜びの認識をした表現とも考えられます。

対義語は、[有り難い ⇔ 当たり前]となり、当たり前ではないと理解している状態が感謝とも考えられます。

※感謝の詳細は、言霊のスピリチュアルに神々が宿る|感謝のありがとうは波動の引き寄せ をご覧ください。

言霊のスピリチュアルに神々が宿る|感謝のありがとうは波動の引き寄せ「ありがとう」と言い続けることで幸せが引き寄せられる。 そんな、おまじないが事実としてある国、日本。 日本語には言霊が宿り、あい...

 

感謝の気持ちとは

上述の意味から、感謝や謝りには、喜びの認知や、自らを受け入れたいと思える状態があるとわかります。

喜んでいる時や、自分か他を敬っている時、そして受け入れたいと思っている時は感謝の気持ちが発生しています。

その気持ちを自己表現として発するか、愛を伝えるために発するか、これは人それぞれです。

国の文化・慣習にもより、日本は言葉の意味から自己表現として発する傾向がありますが、他者に着眼する人は愛を伝えるために感謝します。

感謝するのが恥ずかしいと思う時は、愛を伝える感謝なので、ちょっとこそばゆいなんてことですね。

このように感謝は種類があるように意味が分かれますが、共通があります。

喜びの自己表現とは自らの喜びを認知することでもあり、その様を受け入れたいと思えば思うほど自らへの労いや敬い、愛を認知します。

いわば、喜びの自己表現とは愛を自らに伝えること。

感謝の意味は二つあれど、どちらも自らの愛を自らに伝えるか、他者に伝えるかの違いで、共通して自らの愛の認知があります。

感謝の気持ちとは、自分の愛のこと。

だいぶメルヘンプープーになってきましたが、よりわかりやすくするために詳細を紐解いていきます。

 

感謝の気持ちとは意志と受け入れ

愛って何?という話ですが、愛とは自他への敬い、許し、許容、受け入れ、不干渉、俯瞰性です。

上記は全て同じことを言っています。

「どこが?」という感じですが、詳細は割愛します。
※詳しくは、愛とは何かを紐解くスピリチュアルと哲学 をどうぞ。

あらゆるものには想いとして共通があり、全ては心に繋がるという具合です。

特にわかりやすいのが“自他への敬いが愛”ということです。敬いとは尊重であり尊敬、そのままを受け入れる様や気持ち、拒否をしない自然体を意味します。

有り難いと思うことが感謝に繋がるように、貴重なことだと受け入れることは拒否のない様を表し、そこには喜びを認識したい意志と、拒否の概念のない状態があります。

感謝の気持ちとは、喜びを認識したい意志+拒否の概念のない状態。

二つあります。

言い方を変えると、自分らしくありたい気持ちと、受け入れる愛の認知。

これらがある人は感謝し、ない人は感謝しない(またはできない)と分かれます。

これら二つを紐解くと感謝の気持ちがはっきりしますので、見ていきましょう。

 

感謝の気持ち①:喜びを認識したい意志

一つ目は意志。

意志とは喜びを自ら作る動機、自分を喜ばせる想い。

それは心のことです。

自ら作る動機であるため、他者主観、自分がない、ルールに飲み込まれた、他への依存や執着、受信的、受動的、それらの度合が多ければ多いほどに心の認知が薄れ、感謝の気持ちがなくなります。

この人生は自分のもので、主人公であり、人生を創り、現実を創造し、と意志を持つことで自分が主観で中心である認識をもたらし、心が存在して感謝の気持ちを見出します。

ですが、これが行き過ぎると一方的な歯車のズレが生じ、感謝の気持ちがなくなることが起きます。

もう一つが重要です。

 

感謝の気持ち②:拒否の概念のない状態

受け入れることを表しますが、これは受け入れるも受け入れないもない自然体を意味します。

それが、拒否の概念のない状態。受け入れずとも拒否がなければ自然と受け入れます。それをしているのが上述の心。

二つ合わさることが感謝の気持ちです。

この拒否の概念のない状態、言い方を変えると脳に依存しない様のことでして、私達が拒否できるのは脳によるものです。

思考にて拒否し、判別して否定し、評価して拒絶し、本能的性質にて拒否し、肉体反応の制御にて拒否し、自己防衛にて拒否し、感情にて拒否し…と脳の機能や反射反応によって受け入れないことをします。

生存のために必要不可欠な拒否ですが、これが多すぎると感謝の気持ちがなくなります。

脳の使用過多、ルールの規範順守以上に飲み込まれる、他の情報の蓄積による思考構築、まるで辞書のように頭を膨らませることに依存する。

何も悪いことはないのですが、感謝の話になると心の認識がなくなる可能性があります。

意志という心を見出し、拒否を減らす脳の使用過多がなくなり、二つが合わさることで感謝の気持ちが表れます。

それを“想い”と言います。

※感謝がわかりやすくなると思うので、人に優しくするには自分の喜び第一│方法は優しさを知る経験 をご覧ください。

人に優しくするには自分の喜び第一│方法は優しさを知る経験優しい気持ちがどこかに潜む。 冷たくしたり、自分勝手になった時、人に優しくしたくなるかもしれません。 なかなか人に優しくでき...

 

感謝の気持ちを持つ経験

感謝の気持ちを持つとは?

これまでの内容から、感謝の気持ちを持つことの意味が見出されます。

それは、感謝できることではありません。

感謝するための愛を自らの中に認知できることです。

その気持ちを“想い”と言い、心が見出す気持ちです。

想いは思いとは違い、心から出て来ます。
思いとは脳にて作るものです。

そして感情も同様に脳。脳の反射反応、そして思考を組み合わせることで喜怒哀楽を作り感じ、そこに人それぞれに心を組み合わせることもできます。

感謝の気持ちとは感情ではなく想い、心があることで見出せる愛の認知です。

他者を愛するかどうかは人それぞれ。自己愛があることで自らの愛の認知にて喜びの自己表現となります。

他者を愛していれば、他者に対して愛を伝える感謝もできます。

他者を愛する場合には、自らを愛している、または誰かから愛されていることが必要になるため、まずは自らを愛し敬うことが感謝の気持ちを持つことの意味です。

 

感謝の気持ちを知った体験

ここで私事ですが、感謝を知らずに生きてきた人間が感謝の気持ちを知った経緯をお伝えします。よりわかりやすくなるかなと思います。

私が海外を旅していたある時のことです。アラスカの森にて一人で住んでみようと思い立ちました。

いざアラスカに到着し、森へ向かう前に暮らすための準備として、必要な備品を大型倉庫店にて調達していました。

何も考えていない能天気な私は銃が購入できず、「まぁ、熊が出てきたらナイフで戦えばいいか」と無知無能の嵐。

すると、お客の一人である現地人おばちゃんが声をかけてきます。
「そんな恰好でどこに行くの?」

「森に行って、野生動物と暮らそうと思うんです」と伝えると、おばちゃんはガシッと私の手を掴んで店内を連れ周ります。

「何すんだ?!」と思ったのも束の間、おばちゃんは私に蚊除けスプレーと熊除けスプレーのことを教え、「これだけは絶対に何があっても持っていきなさい、いいね!」と強めに伝えました。

若干引いていた私は、「は、はぁ、わかりました…ありがとう」と曖昧に答えますが、執拗に言われて結局購入することに。

おばちゃんは笑顔で去っていきました。

「一体何だったんだ、あの人?」と思っていましたが、あの「ありがとう」がただの上っ面の腐りきった死んだ言葉であることは、その後森の中で痛感します。

いざ森の奥地へ入ると。

異常な蚊の量、スプレーを塗っても一日何百回刺されているかわからないほど。テントを素早く締めて出入りしても、数えると一度に百匹以上中に入ってくる量。

さらに森の中には熊が多く、スプレーがなければどこに移動することも恐怖に苛まれてできないリアルの体感。

そして実際に熊に襲われ、スプレーによって熊との難事を逃れる。
「単純にスプレーがなければ死んだだろうな」と率直に思った私。

涙を流しながら、遠い森の奥地にて気付く感謝。
何度、「ありがとうございました!うわぁん、ボロボロ、オロオロ」と想い、叫び、伝わることを祈ったか。

「あそこで言ったありがとうは何だ、バカヤロウ!」と自らを殴りたくなるほどの気持ちを感じ、見ず知らずの人に見返りも求めずに知恵を本気で伝え、こちらを敬い想ってくれるおばちゃんを思い返し、本当に心から感謝の気持ちをまざまざと知りました。

この経験により、これまでの感謝とは何だったのかを考えざるを得ませんでした。

そして、本人がいない中でも心から抱く感謝が内側にあることを知った時、感謝とは気持ちであり、それは想いであり、心であり、意志であり、何より愛なんだと理解する経験でした。

感謝の気持ちが少しわかりやすくなれば幸いです。

※この話の詳細に興味のある方は、自分がわからない時に読む本|ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ をご覧ください。

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感謝の気持ちを持つ方法

感謝の気持ちを持つ方法①:自己認識のバランス重視

一つ目は自己認識のバランスを持つことです。

認識とは見たり、感じたり、思ったり、想ったり、評価したり、判断したりのことですが、自己認識は自らを主体にして己の内側を知り、さらに外側から客観的に知り、他者の目線になって他者認識を理解することで自らを知ることです。

内側から、外側から、そして他者の立場になる認識であるため、内外のバランスと他の理解があります。

内側だけ、外側だけになることで自己表現も他者への目線もなくなります。

自己表現は内を他に表すことなので、他への認識も必要となり、それがなければ自己主張という感謝とは別物になってしまいます。

自らを見ることも大切ですが、他者からどう思われているか、どう判断されているか、そして客観的にどう認識できるかと、物事の見方や捉え方を広げることが感謝の気持ちを持つために大切です。

そして自己認識の内外バランスが取れた暁には、他者の立場に立った認識が育まれ、他者への労いや敬いを自然と持ち、感謝が育まれます。

 

感謝の気持ちを持つ方法②:不便を定期的に体験する

物事の認識が狭まることで、当たり前と思うことが多くなり、受け入れが減って感謝から離れていきます。

この状態、当たり前とも思っていないことに少し問題があり、認識をしなくなります。

スマホがあることを当たり前とも有り難いとも思わない状態をなくすためにも、起きている現実をそのまま認識します。

感謝とは無理矢理すると大きく心から離れるので、わざわざ有り難いと思う必要はありません。

現状の環境恩恵や、自分独りでは生きられない現実を知ることが方法となり、そのために不便を活用します。

便利なことはありがたいのですが、行き過ぎると何も考えなくなり、そして何も感じなくなります。

生きている意味がわからないのではなく、意味すら考えない、感じない、認識すらしないという状態では完全に空っぽですので、自分の中身を作り、起きている現実に変化をもたすために、少し不便に。

炊飯器を使わないで鍋でご飯を炊いてみたり、一日電気なし生活など、何か一つでも少し不便さを作ることで、意志を持って行動し、受け入れを増やし、感謝の気持ちを持つことに繋がります。

 

感謝の気持ちを持つ方法③:旅をする

最後の方法は、上述の二つが全て含まれたもの、旅。最強です。

観光ではなく、旅行ではなく、旅。

これは感謝の気持ちを持つための旅ですので、自らの意志と責任を持って行動することが重要項目です。

何をするか、どこに行くかはどうでもいいんです。旅をすると自然と自己認識が養われ、嫌でも自分だけの認識では通用しないため、外側の認識、他者の立場を考えざるを得なくなります。

同時に便利さもなくなり、自らの肉体と脳と心をフル稼働させることが起きます。

そこで便利を求めると元も子もなくなるので、自分の中で調整しながら、便利と不便を見られるようになると良い塩梅です。

旅をするのは時間や資金や制約など縛りが多いかもしれませんが、旅でなくともこれまでしたことがない新規や、知らない分野の世界に足を踏み入れる、別概念の人と関わるなど、新しい挑戦が同じように効果をもたらします。

※感謝できない人の改善として方法もお伝えしているので、感謝できない人の心理と原因に核がある│真意は内から外へ向かう紡ぎ糸 もご覧ください。

感謝できない人の心理と原因に核がある│真意は内から外へ向かう紡ぎ糸世の中には感謝できる人もいれば、できない人もいます。 したい人もいれば、したくない人もおり、する人もいれば、しない人もいます。 ...

 

感謝の気持ちを持つには まとめ

感謝とは何なのか?

奥深いように思えるかもしれませんが、実はシンプルだったりします。

それは自らの愛。

自分を愛して敬う人は感謝することがとても多いです。

反対に自らを愛して敬わない人は感謝しない、またはできない人が多いです。

ですが、感謝できないのは私のように感謝を知らないという可能性があります。

今生きている以上は自らへの愛があり、自己愛の中点として存在している証そのものかもしれません。

毎日毎時毎分毎秒、何かしら喜びに溢れるのがこの世であり、社会。気付くか否かです。

あらゆる人と人が組み合わさり、過去と継承、そして現在進行形で一人一人の構成にて作られる社会であり社会性。

この基盤で生活しているだけでも数えきれない喜びがあり、嬉しさがあり、他者への労いに敬いがあります。

いつでもどこでも感謝する機会はあり、感謝したいと思う場があり、感謝の気持ちを持つ基盤が自分としています。

ですが注意点として、感謝とは想いであり心であるため、無理矢理にするものではありません。

バランスを崩すことで感謝という外枠や言葉の殻を使用した何か、「ありがとう」「すいません」「ごめんさない」という音、頭の角度になります。

ぜひ試しに、ゆっくりと一文字一文字堪能するように、「ほ・ん・と・う・に・あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」と言ってみてください。

感謝の意味が体感できるかもしれません。

私の理解では、感謝とはする方もされる方も嬉しくなります。

そのため、感謝する人は好かれますし、なんだかいろいろと助けられます。

同時に、感謝はしたくなるものであり、感謝させ上手な人の存在も見えてきます。

自己愛の認識、そして愛の受け渡し。それは敬いのキャッチボールのように、人が喜び、人を喜ばせ。

感謝ってなんでしょう。

こころー。

人の心と心は繋がっているー。そんな話でした。

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ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ

サラリーマンだった人間がおかしくなる、とある森での変人化計画とその全貌。

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